その日の夜、アンヘルは兄に村を出ていくと告げることにした。
一番上の兄はひとり、疲れたように家の前の箱に腰かけていた。家の中では兄弟たちとやりあうからだろう。最近の兄たちは食事が終わると、顔をあわさないように席を外すようにしていた。
空には真っ白な月が輝いていた。
「ちょっと話したいことがあるんだけど……いいかな?」
兄はその提案に少し意外そうな顔をした。アンヘルは自己主張するタイプの人間ではなかった。それは、新たな人格に変化して半年立った今でもかわることではなかった。
「次の税のはなし……どうなったの?」
「いっただろぉ! うちのいえにはよぉ、次の税をしはらうよゆうなんざねぇてぇ! はたけを手放してさぁ、人を減らさなぁどうしようもねぇだろうが」
兄は怒鳴った。怒りのようで悲鳴だった。そこには疲れが滲んでいた。怒鳴られることは分かっていた。散々兄弟と話し合った後で蒸し返すのである。機嫌を損ねることは分かりきっていた。覚悟していても、アンヘルの身体はびくっと硬直した。
それでも、それでも言った。決意して言ったのだ。
「兄さん。僕は街に行くよ。僕が出ていく。ひとり減れば収めなきゃいけない税を払えるでしょ?」
昼間のホセの提案についてよく考えた。その提案は無謀であった。田舎者が何の展望もないまま上京することは緩慢な自殺である。
異世界に限らず、どのような業界、国にかかわらず、何の寄る辺もない若者が夢を頼りに上京し、成功した例は余りない。それでも、社会整備が成された場所では、セーフティネットを頼りに身辺を整えつつ、力を蓄え成功する者は僅かながら存在する。しかし、十分な弱者救済措置の取られることがないこの世界では自殺と何ら変わらなかった。
それでもその方法へ賭けることにした。分の悪い賭けなのは、承知の上である。友人のホセは、何度か街に茶を売りに行ったことがあり、その時の伝手で荒事の仕事を知っていると言っていた。何もないよりは可能性がある。
兄妹のこともある。自分の兄弟を捨てて、あっさり切り替えられるほど大人ではなかった。捨てられる兄弟――おそらく一番下の弟は、仲が良いわけではなかったが、それでも自分の弟だ。今後、村でずっと生きていくのであれば、このような事態には幾度も遭遇するだろう。惨めで鬱屈した生涯を送るのならば、ロマン・ロランの「自分にしかなり得ないなにものかになる為に生まれてきた」の言葉どおり、自分だけの召喚士としての人生を歩んでみたい。
それが結論だった。アンヘルは、兄がどう返すのかわからなかった。
怒鳴るのか、問題がなくなったと喜ぶのか、それとも引き留めるのか。アンヘルは魚を取ることで家族内の食糧事情に大きく寄与していた。魚で税を払えないが、日々の食糧の足しにはなる。引き留めるかもしれないと思った。
少しの間、ふたりとも無言だった。
兄は戸惑った様子だったが、こう返した。
「そうか。わかった」
疲れた様子だった。予想した、どの返答とも違った。
「おまえは弟をへらすんにそんなにはんたいかぁ?」
「反対だよ。反対に決まってるじゃないか」
その言葉を聞いて兄は激高した。
「お、おまえにッ! なにがわかるってェんだぁ! お、おれが……」
だが、途中で思い直したように冷静になった。まるで別人のような変わりようだ。
「い、いや。わりぃ。なんでもねえよ。んなこといったっていみねえよなぁ。なあ、おまえならどうしたんだぁ? 弟をへらさず、とちもへらさずうまいことやれったてのかぃ?」
「無理だよ。どうやったって払えっこない。家にはそんな余裕ない」
それは事実だった。兄の言葉は、受け入れがたかったが受け入れざるを得ないものだ。他の兄弟たちはなんとか方法を探しているが、そんな方法などありはしない。この村は働き盛りの男が徴兵で減っていた。税も厳しい。だれも助ける余裕などなかった。
「だから僕は文句を言わず出ていくんだ。どうしようもないことだから」
「……」
兄は落ち込んだ表情となり、そして気の毒そうに見た。それは兄がアンヘルに見せたはじめての素顔だった。
急にいなくなった保護者の代わりに、家を守らねばならない兄。自身の結婚は破談となり、頼りになる長女が隣村に嫁ぐ。さらに、自身の伴侶となれる適齢期の女性はこの村には存在しない。そして、父が死んだことで人手が足りなくなり、さらに厳しくなる税。追い打ちをかけるように、兄弟を切り捨てなければならない重大かつ誰にも賛成されない結論を下した。最近の兄は苦悩を体現しているように、さまざまな苦難を抱え込んでいた。
アンヘルは、その若い兄の背に大きな荷物を抱え込んでいるように見えた。潰れかけているようだった。兄の横柄な振る舞いは、家族の見えない先行きの不安の裏返しだった。頼るもののない、孤独な戦いだった。
兄は寂しそうに尋ねた。
「まちではどぉすんだぁ? 仕事もなんもわかんねえだろぉ?」
「ホセが街で荒事の仕事があるって言ってた。そこで働くつもり」
「ああ、『たんさくしゃ』かい。ちょっとまってな」
そういうと、兄は家に入り、先端を金属でコーティングした木の棒を持ってきた。
「これをもっていけぇ。なんも物がなきゃかっこうつかねえだろぉ」
それは、父が徴兵時に持ち帰った軍の武具だ。丈夫な木に手元を布で巻き、先端に金属をつけたこん棒。軍が農民に配る武器のひとつだった。このご時世、村では非常に貴重な金属製の武具である。父はオオカミや野犬が出ればこのこん棒で戦ったのだった。父の形見である。
「こ、こんなのいいの。家にあるたったひとつの武器じゃ?」
「きにすんなや。弟の旅立ちになんもわたさんかったらバチあたんでぇ」
兄は笑いながら豪快にいった。
§
セグーラの街は、トレラベーガ帝国の東に位置する都市である。アンヘル達が住んでいたケソンの村など複数の村を束ねる衛星都市で、住んでいる領主はここ一帯を取り仕切っている。人口は約1万5千人ほどの小さな城壁都市で、周囲は壁で覆われている。しかしここ一帯はすべて帝国の領内であり、侵攻の気配はなく、過去に作られた防壁は整備されることなく老朽化している。都市には、スピラ男爵の軍団が警備しており、一時期前までは治安のよい都市であった。
しかし、近年西方で行われる戦争のため、税が上昇していることから農民の流入があり都市パンク状態となっていた。ひとつの都市にある仕事量は一定である。そのため、許容量以上の若者が集まることによって、街は困窮した者や犯罪者が増加し、治安は悪化の一途を辿っていた。
道端には困窮した市民が寝そべっているのが見える。いきなりの別世界にアンヘルは面食らった。それをごまかすようにつぶやく。
「つかれたねぇ、ホセ」
アンヘルは兄に相談した次の日の朝、兄弟に事情を説明すると次の日には街に向かった。兄弟達は悲しんだり心配したりしていたが、その中には安堵が見え隠れした。それは、2番目の兄も同じであった。恐らく、この争いに不毛さを感じ取っていたのだろう。
そんな皆に一抹の寂しさのようなものをおぼえた。
ただひとり、姉だけは純粋に悲しんでいるようであった。アンヘルは姉が泣いているのをそのときはじめて見た。一番上の兄は感情の変化を見せなかった。ただ最後に「……げんきでなぁ」といった。
ホセとは、村を出てすぐの大きな木の下で待ち合わせた。アンヘルと違い、ホセは無断だったからだ。街までの道のりはまる三日ほどだった。三日間の旅程は厳しいものであったが、問題は起きなかった。時期が良かった。春の暖かい気候は、昼でも体力を奪わず夜に凍死する危険性もなかった。獣には遭遇しなかったうえ、盗賊も出会わなかった。いくつかの幸運が重なることによって、なんとかアンヘルとホセはセグーラの街に辿り着いたのであった。
ホセはその弱気なつぶやきを拾う。
「てめえはよえぇなぁ。おれなんかこんな重ぇ斧もってんだぜぇ」
ホセは家を出る際に、大きな木を切り倒すための斧と茶の葉を拝借していた。賢明な判断だったが、見つかったらホセの家族に殺されそうだ。アンヘルはそう思った。
「ホセも疲れてるじゃない。昨日の夜、足痛いって喚いてたじゃんか」
「そんなのうそにきまってんだろぉ。こっからはじまんだぜぇ、おれの伝説がよぉ!」
言い合いながら街を進んでいく。
ホセの夢見がちなセリフに笑いながらも、アンヘルはバカにできなかった。いや、アンヘルのほうが内心期待していたといっても良かった。
日本にいた頃には当然のように思えた豊富な食事、充実した衣料品。それらは突然失われた。娯楽などない。村には気の利いた遊びがない。子供がつくったような木彫りの玩具か古典的なごっこ遊び。仕事をすれば寝る。それが農村の人生だった。ようやく来た街。しかも、ゲームのように、敵を倒してお金を得る。アンヘルには日本の記憶があって、実年齢よりもすこし年上だ。しかし、まだそれでも思春期の少年だった。浮かれるのは仕方がないことだった。
セグーラの街は雑然としていた。
村とは違い家はレンガ造りで地面も舗装されている。たくさんの人が行きかい、活気に
行き交う人々を観察していると、多様な年齢層、職種を目にすることができたがファンタジーお約束の獣人やエルフには遭遇しなかった。
――当然だけど、エルフや獣人なんていないのかなぁ……。アンヘルは中世感ばりばりの街に文句を言った。辺りには公示人の声や店の客引きで溢れており、ただ会話するのも難しかった。
アンヘルはホセに大きめな声で言った。
「ねぇ、ホセ。これからどうする?」
「あー。アンヘル、おめえは『くちいれや』にいって仕事を聞いてこいや。おれはいつもンとこいって、茶を売ってくる。あの宿前にしゅうごうな!」
口入れ屋――いわゆる
「くちいれや? なにそれ? どこにあるの?」
「仕事をもらうとこだよ! まわりのやつにききゃあ場所くれぇわかんだろがよぉ!」
「なんか怖いし、一緒にいかない?」
「ふざけんじゃねぇ! さっさといかねぇと茶のかね、分けねぇぞぉ!」
それにはたまらんと駆けだした。今日の食事はホセの茶の代金にかかっていた。
不安からか、独り言が口から出る。
「ねぇシィール。ちょっと怖いね」
そのつぶやきは空に溶けていった。
アンヘルは『口入れ屋』について、周囲の人に尋ねた。
その調査はなかなかうまくいかなかった。多くの人は、アンヘルが尋ねても通り過ぎていくばかりであった。たちどまって話を聞いたとしても、『口入れ屋』について尋ねると人々は蔑んだ目でアンヘルを見て去っていった。この『蔑まれる』という事態には、この街に来てから何度も遭遇した。門番や店員など、多数の人がアンヘルとホセを卑しい者を見る目で見た。
苦労しながら、気のいい老人からなんとか『口入れ屋』の場所を聞き出したのであった。
「ここが『口入れ屋』かぁ……おもったより小さいな」
その建物はレンガ造りの一軒家で、周囲の家と何ひとつ変わりなかった。ただ、剣と盾で作られた看板が家の前に立てかけられているだけで、横にある酒屋と大きな差はなかった。場所を聞かなければ、ただの住宅か店だとおもっただろう。失礼な感想を持った。
アンヘルは悩みながらも決意をすると、扉のドアをノックした。
「あ、あの……すみません。ここって」
店の中は荒事を専門とする斡旋所のわりに小綺麗だった。店の奥にはボトルが整然と並んでおり、テーブルは綺麗に整えられていた。天井にはランプがついていた。その明るさは一般的なオイルランプやろうそくと比べ、異様に明るい。まるで蛍光灯のようであった。
中には二人の男がいた。ひとりは中年で、奥で書類を書いている。もうひとりは若い男で、家の中の清掃を行っていた。どちらも筋骨隆々とした身体だった。
中年の男はアンヘルを見るとぶっきらぼうに尋ねた。
「何? 依頼?」
「い、いえ……えっと、ここにくると仕事をもらえるってきいて」
中年の男は舌打ちすると、若い男に顎で指示した。
若い男はアンヘルに近寄り、いきなり殴りつけた。ガンッと大きな音がして、アンヘルは後ろに吹き飛んだ。鼻からは血が出ていた。
若い男はアンヘルを店の外に連れ出すと、店の扉を完全にしめ、倒れているアンヘルの胸倉を掴んだ。
「おまえ、どこで聞いたんだここの話?」
「そ、その、ともだち。いっしょに来た友達から聞きました」
「あぁ! なんて聞いたんだ!?」
「え、その、えっと『口入れ屋』にくれば仕事がもらえるって」
若い男はアンヘルを離した。そして、呆れたような口調で言う。
「最近はどの村も厳しいみたいでなぁ。街に出てきた田舎者がよく仕事くれってくるんだよ。わりぃなぁ。主人はそういうやつがきらいでよ。まあ、諦めてくれや。新入りに仕事はねぇんだわ」
「な、なんで、ないんですか?」
「あぁ? おまえ、なんも知らねぇんだな」
若い男はバカにしたような感じで語りだした。
つまりこういうことだった。
――探索者になるには親方探索者と呼ばれる人物にスカウトされ、一定の実績を積まなければならない。
――仕事は親方および親方から一人前と認定された人物にしか供給されない。
――田舎から仕事を求めて街を訪れる人が増えている
「とくに最近はよぉ。仕事のねぇ奴が俺らの仕事場所を荒らしたりしてるしよぉ。そんな奴らは根性もねぇ。すぐに盗みや強盗をしやがる。街の奴らは俺らまでごろつきみたいに見やがる。いい迷惑だぜ」
男はうんざりしたようにいった。
「そういうわけでおまえに仕事はないし、主人は田舎者が嫌いなのさ。勘弁してくれよ」
そうか、そうだったのか。アンヘルはさっきまでの町民達の蔑んだような目の意味を理解した。
とても非協力的だったのは、自分が犯罪者予備軍のように見られていたからだった。アンヘル達の格好はボロの上下で、どこからどう見ても上京してきた農民だった。街がそんな状況ならば、そう見られるのも理屈の上ではわかる。
見られる側のアンヘルはたまったものじゃなかったが。
しかし、ここで諦めるわけにはいかなかった。所持している金は、ホセが持っている茶を換金したものだけだ。どれくらいの金額になるか判断はつかないが、仕事が無ければそう遠くないうちに尽きるだろう。
アンヘルは顔から流れる血を拭いながら尋ねた。
「ど、どうやったら、見習いになれますか?」
「いまはどこも募集してねぇよ。諦めんだな」
「なら、なにかありませんか。人気のない仕事でいいんです。どんな仕事でも構いません。仕事がないと生きていけないんです」
アンヘルは懇願する。男は悩んだ様子だった。言うかどうか迷った様子だったが、深刻な言葉が響いたのかこういった。
「一応、あるにはあるぜ。依頼じゃなくてフリーの仕事だけどよ。こっから半日くらいの所に『塔』って呼ばれる遺跡がある。そこのモンスターの魔石を回収すりゃ金にはなるぜぇ。めっちゃ安いけどなぁ」
「ほ、ほんとうですか! ありがとうございます」
アンヘルは涙ながらにいった。バツが悪くなったのだろう。店の前で半泣きになったアンヘルの対処に困ると、男は頭をがりがりと掻いた。
「チッ、わーったよ。ちょっと詳しく教えてやるから」
アンヘルは『塔』について教えてもらった。
§ § §
「あぁ、たしかこっちだったかなあ?」
ホセはアンヘルと別れた後、家からくすねた茶を売るため、何時も卸している店に向かっていた。数回しか街に来たことはなかったから、おぼろげな記憶を頼りにここまで来ていた。
空はもう昼頃を過ぎており、太陽は傾き始めていた。
「しっかし、アンヘルのやろー。いつまでたっても、ビビりがなおんねぇなぁ」
先ほどのやり取りを思い出す。
――ひとりで仕事場を見に行くことのなにが怖いんだ?
ホセがさっさとしろと怒鳴るのは珍しくなかった。いや、ホセだけでなく家族でもそんな扱いだった。アンヘルは主張が弱く、何をするにしてもワンテンポ遅れる。そのため、どうしても家族内からは重要な立ち位置に添えられにくかった。
村社会とはそういうものだ。多少の頭の良さや性格の良さは考慮されない。とくに、男は村を守るためにはオオカミや野犬を追い払ったりする必要がある。腕っぷしと度胸が男の甲斐性とされた。村では強さと度胸が必要とされていたため、アンヘルのような弱気な男はどうしても冷遇されやすい。狩りもできないアンヘルにとって村は針の莚であった。
去年くらいからは要領が良くなったのか家族に叱られることも減った様子だったが、臆病なアンヘルが心配になる。
「あれもあれで、わりぃとこじゃねえけどよ」
アンヘルは気が利き、農民の割りに頭が良い。親父は、数年経っても未婚であれば、齢8の妹と結婚させるか考えていたようだった。
だが、不安なのも事実だった。今仕事にしようとしているのは荒事専門のモンスター狩りだ。
――あんなビビり野郎じゃ、すぐおっちぬぜ。
そうホセが悪態をついていると、不意に見覚えのある建物が目につく。
カブラの雑貨店――中年の男女が営む店で、雑貨や食器を主に扱っており地方から取り寄せた少量の茶も販売している。セグーラの街の商業区では老舗で通っている店だ。ケソン村の茶農家は、行商人へ売る以外にもこの店に卸していこともあり、ホセは何度か親の手伝いで訪れていた。
ホセは勝手知ったように扉を数度ノックし、ガチャと開けて入っていった。
「茶を売りにきたんだけどさぁ。いま、いいかぁ?」
がらんとした店内にホセの声が響きわたる。店の奥には中年の女が座っていた。その女は一瞬なんだと顔に疑問を貼り付けたが、すぐ思い至ったように言い出した。
「あぁ。あんた、たしかケソン村の人かね」
ホセの顔をじっくりと見た後、尋ねた。
「それで、何の用だね?」
「だ、か、ら、茶をうりにきたっていっただろが」
「あぁ、そういってたね。どれくらい持ってきたのさぁ」
ホセはそう言われて、背中に背負った袋から瓶をふたつ取り出した。
「これさ、これ。2つあるぜ」
女は瓶の蓋を開けると、中の茶の状態を確認し始めた。じっくりと葉の状態を確認したあと、瓶の蓋をゆっくり締めた。
「ポレオかね。状態も悪くないしねぇ……七十コインでどうかね」
「もっとたかくなんねえのかよぉ?」
七十コインはそれほど安くない。宿に泊っても二人一部屋なら一週間はもつだろう……。ホセはそう思った。
一般的な3人家族が街で一ヵ月暮らすのに百コイン程度である。それに対してポレオは一般的な茶でそれほど高く売れるものではない。今回はまとまった量と高品質、そして品が切れた時に都合よく持ってため高くなったが、通常はそれほど高値ではうれない。
しかし、金は貴重である。地獄の沙汰も金次第というし、いくら持っていても困らない。仕事探しの時期ならなおさらであった。
「えっとよぉ。そうだ、さいきんはウチの村の連中も売りに来てねえんだろう? もっと高くしてくれよ」
「まあ確かに茶はないけどね。あんまり嗜好品は売れないのさぁ、不景気だしねぇ」
「棚にはぜんぜんねぇじゃんかよ!」
「倉庫にあんのさ。とはいっても十分には程遠いけどね」
その時、ホセはひらめいた。
「なんか物を置くために、クラをいっぱい持ってるって、いってなかったかぁ?」
「よく知ってんねぇ。とはいっても最近は倉庫も空だけどねえ」
――シメた。空き屋だ。これで住む場所が手に入る。
ホセは知っていた。どんな場所でもよそ者には厳しい。今までの経験から、住居を見つけるには苦労するだろうと。とくに、街には村から来た若者が多いように感じられた。ならば、なかなか探すのには苦労するだろう。アンヘルはそこらの機敏が鈍いがホセは気が付いていた。
「じゃあよぉ。その倉庫をさぁ……」
§ § §
アンヘルが集合場所に戻ると、ホセはすでに待っていた。ホセはアンヘルを見つけると、すぐさま叫んだ。
「おせぇ! おせぇぞ。さっさとしろよぉ」
アンヘルは駆け寄りながら、ホセに言った。
「ごめん、ごめん。そっちはどうだった? 高く売れた?」
「まあまあいいねだんになったぜ。それにちいさいものおきをかりたんだ。いまのカネじゃろくな宿にはとまれねぇからな」
ホセは自慢げに言った。茶を60コインと倉庫を10コイン月極で借りる契約をしたのだった。
アンヘルはホセの自慢げな表情に納得した。茶を売るには農民だと足元を見られるだろう。家に関しては借りることすら難しい。宿に泊ることは可能だろうが、一瞬で金が溶けてなくなる。そのため、月10コインで倉庫を借りられたのは大きな進捗だった。
――ホセがそのことについて理解していたかは謎だったが。
失礼な事を考えていると、ホセは顔の傷に気づいたようだった。
「おい、アンヘルよお。そのかおどうしたんだぁ?」
「あ、いや、転んじゃってさ」
アンヘルはとっさにごまかした。殴られたことが気恥ずかしかったからだ。そのうえ、得た情報が半ば泣き落としだったため、堂々としたホセに言いにくかった。
「そ、それより、仕事について聞いてきたよ。なんか『塔』ってところのモンスターを狩ってくればいいんだってさ」
「やるじゃねえか。なんもわかってねえかとおもったけどよぉ」
「い、いや、そんなことないよ」
アンヘルの額に冷たい汗が出た。
「半日くらいかかるらしいからさ、『塔』まで。明日朝早くに出てさ、さっさと稼ごうよ……あんまり高くないらしいけど」
「高くないだぁ? もっといい仕事なかったのかよぉ?」
「え、いや、なかったんだよ。最近村から来る人が多いらしくてさ。新入りにそんないい仕事なんかないっていわれたよ」
「ああ。そうかよ」
「で、でも、『塔』の仕事続いてる人全然いないからって。店の人が。だから続けば見習いにしてくれるって」
「だれがンなもんになるって?」
「な、なんか、見習いにならないとほとんどの仕事は回ってこないって……店の人が」
最初から説明すれば良かった。アンヘルは思った。
「さ、最初はさっ、しょうがないよ。安全第一っていうじゃない?」
ホセは苛立ったようだが、当たってもしょうがないと思ったのだろう。息を吐くとホセは言った。
「チッ、しょうがねぇ。さっさと稼いででビッグになってやるかぁ! なにしてんだ、さっさと行くぞ。あしたに備えていいもんくわねぇとなぁ」
ホセはそういうとずんずん進んでいく。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
アンヘルは走って追いかけた。
明日には探索者としての人生が始まる。浮き立つ心を抑えながらアンヘルはホセの背中を追いかけた。