イセカイ&ドラゴンズ   作:原田孝之

34 / 100
第三章:試練の塔
第一話:元老院属州オスゼリアス士官学校


 それは、一人の女が燃やされた跡だった。

 

 うず高く積み上げられた薪の中央に裸体の女が固定されている。その女は肛門から四〇センチ大の杭を差し込まれていた。本当に少しづつ、少しづつ、何日もかけて己の体重によって深く刺さっていたのか、地獄の業火の中ですらこれ程の苦悶を味わいはしないだろうという形相を浮かべていた。

 

 体内を貫通し、口から杭が顔を出しているだけで死に至っていることは明白なのに、それだけでは飽きたらず下半身を猛火の嬲った跡が残っている。人肉の火炙り、火刑だ。

 

 周囲には同じように見知った顔の人間たちが身体の中心部から杭で串刺しにされている。誰もが悲鳴を上げ続けた、狂気の坩堝と化していた。

 

 よく見た駐屯地の光景はもうない。巨人の通り過ぎた残骸のようにすべてが踏み荒らされ、なにも残っていない。軍服を着た男たちは泣き崩れていた。

 

 その中央にいた男はゆらゆらと、夢遊病者の如く磔にされていた女性に近寄る。端正な顔つきに立派な勲章を拵えた軍人だ。腰に差す剣もまた同じである。

 

 表情は悲観に暮れ、きつく結ばれた唇はふるふると震えていた。

 

「……な、なぜだっ…………なぜなんだ……」

 

 声なく、紡がれる言葉。しかし、目の前の物言わぬ遺体が返事を返すことはなかった。

 

「どうして……どうしてエミリアがこんな目にっ…………」

 

 誰にも届かぬその小さな悲鳴は、風によって吹き消える。絶え絶えな息を整えながら、かろうじて吐き出した言葉が、その無垢な女の身体に溶けて消えた。

 

 焼け焦げた死体に群がる鴉が、塊となって啄んでいく。黒鳥は、不吉の使者となって、曇天の空を駆け抜けていた。

 

 男は、己の副官であった女――エミリアの身体を撫でる。そこは、夥しいほどの拷問の跡が残っていた。ただ、男の嗜虐心を満たすためだけの、それだけの跡がこびりついていた。

 

 男は、なぜ、己が信頼する部下を置いていったのか、深く後悔していた。

 

 見開いた双眸が血走る。食いしばった奥歯がギリギリと軋んでいた。鬼のような形相を浮かべながら、女の奥に映し出される過去を見据えた。

 

 ――ほら、心配しないでください隊長。命令は命令ですし、それに、隊長が任務を終えてすぐ戻ってくれば、なにも問題ありませんからっ。

 

 二ヘラと女は軽く笑っていた。

 

 まったく、気に食わない女だった。男は彼女の事を思い返す。

 

 平民の癖にいちいち突っかかってきて、そのうえ何度も張り合ってくる。魔の法理を統べる男には敵うはずがないと知りながらも、幾度となくぶつかってきた。

 

 それが信頼に変わったのは、何時だったのだろうか。

 

 士官学校時代から付きしたがってくれる副官であり、盟友であり、そして恋人にまでなってしまった

 

 男の与えられた任務はある貴族のボンボンが戦場でミスをした後始末だった。戦略的には重大事ではない。しかし、主流派である元老院派閥の要請を無下にすることはできなかった。男は渋りながらも己の信頼する部下たちの声に押されて、拠点である駐屯地を後にしたのだ。

 

 その結果が、この有様だった。

 

 身じろぐこともできず、ただただ見据えることしかできない。炭化した下半身と凌辱され尽くした上半身を受けて、魂にその光景を焼き付けた。

 

 守り続けてきた拠点の残骸を。

 

 部下たちの無惨な姿を。

 

 そして、己の恋人の遺体を。

 

 曇天に映し出される地煙のような赤い夕焼けが世界を包み込んでいた。朱色に染まる世界が地を掃く一陣の風となって、無数の炭と死臭を運んでいる。鴉たちが蠢きながら死の旋律を奏で続けていた。

 

 男は誓う。地獄の轟々と燃えるその中心で、軍に横行する政治ゲームの末に起きたこの悲劇を二度と引き起こしてはならないのだと。

 

 すべてを引き起こした貴族の専横に反逆してやると。

 

「見ててくれ、エミリア……俺が、この国の軍を変えてやる…………そして、君のような悲劇を、もう二度と」

 

 双眸の奥に宿る決意の炎が、男に血の涙を流させていた。

 

 止める者はいない。男には物言わぬ死体となった部下たちが強烈に何かを訴えかけるのを感じていた。

 

「……君を、救ってみせる……」

 

 改革の炎が男を包んでいた。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 戦争。帝国発足以前、戦争は貴族が支配していた。貴き血に元づく魔法は、山を抉り海を割る。強大過ぎる魔法は更なる開発と血統の収斂により被害をさらに甚大化させた。

 

 人がゴミと等価だった時代である。夥しい量の血が流れ、河を作った。

 

 そんな情勢下で、ある新兵器が登場する。

 

 妨害魔道具(SNジャマー)。平民程度の魔法力で行使できる、対魔法新兵器である。これは理を操る範囲戦略魔法に介入することで、魔法発動を抑制する道具だった。

 

 それまでの戦争形態を一変させる兵器の登場により、戦術を駆使する軍師と、少数部隊で妨害魔道具(SNジャマー)を発動させる部隊を強襲する武芸専門軍人が躍進することとなる。戦争は貴族個人の魔法の強大さのみで決まる前時代的なものから、戦術や個々人の戦闘能力が趨勢(すうせい)を決める近代戦へと移行することとなった。

 

 元老院属州オスゼリアス士官学校は熾烈化(しれつか)する戦争に対抗するため、二百年以上の長きに渡り士官候補生を養成してきた学園である。定員は上級課程百名、一般課程五百名。学力試験で選び抜かれた候補生たちは、最先端教育によって五年間みっちりと訓練に明け暮れるのだ。

 

(あと、三周かぁ。士官学校っていうけど、なんか体育学校みたいな感じなんだよなぁ。いくら個人主義とはいえ、ずっと訓練ばっかりってのもなぁ……やっぱり、入ったの間違いだったのかなぁ)

 

 夏初めの白墨の粉のような日の光がじりじりと世界を照らし、大地に染みいる。梅雨の蒸し暑い季節は過ぎ去り、空はカンカンに晴れあがっていた。

 

 校舎の下に広がる障害物一つない平坦な大地。そこでアンヘルは汗を拭いながら午前体育調練に励んでいた。横には、背丈が低く頭を民族衣で覆った者とハンサムな顔立ちの男が並んでいた。

 

「なぁなぁ。そういえば今日だろ? 演習小隊のメンバー発表。アンヘルはどの班長がいい?」

 

「ちょっとベップ怒られるよ。基礎調練中に雑談なんかしたら」

 

「いいじゃん、いいじゃん。俺らの班いっつもクソ早いし」

 

「それは、そうなんだけど」

 

 このハンサムな顔立ちの男は一般参科ベップ・リベラ・フォルチ。寮舎で同室の青年である。

 

 名前が示すとおりベップは貴族の出身であるが、平民に対して分け隔てない性格だった。だが、彼が特別というわけでもない。というのも貴族とはピンキリで、魔法もそれほど使えなければ仕事もなく困窮する家も少なくない。

 

 彼のような貧乏貴族は大量に存在する。帝国に置ける爵位とはある種称号であり、それ自体が金になるシロモノではない。貴族の俸禄はあくまでも役職に就くことで支払われるのだ。

 

 貧乏貴族の中には、物心つくようになってから親に知らされるまで自分が平民だと思っていたと、笑い話にしても酷い話がある有様である。

 

「ほら、アルバも黙ってないでさ。ちょっとくらい、好みはあるだろ?」

 

「……」

 

 問いかけられた人物は、正面を見たまま黙して走る。ベップは肩を竦めた。

 

 もう一人の同部屋。背丈が小さく頭の大部分を布で覆った人物は一般肆科アルバである。とはいえ、名前を聞いたわけではなく、プレートに記されている文字を知っているだけだが。

 

 一年と数か月同部屋でアルバと顔を合わせているが、講義や訓練以外では一切声を聞いたことがなかった。

 

「まあまあ、アルバはいつものことだから」

 

「そうだけどなあ、いっつもなーんにも話さねぇから口ついてないんじゃね?」

 

「だめだって、邪魔しちゃわるいよ」

 

「へいへい。真面目だねアンヘルは。この前の進級パーティに来なかったしな」

 

「いや、あれ。その後風俗コースだから」

 

「悪いか? 飲む打つ買うの三拍子は男の甲斐性だぜ」

 

「悪いわけじゃないけど。やっぱり、そういうのは好きな人がいいなぁって」

 

「けっ。やっぱ童貞臭いなアンヘル」

 

「ど、童貞臭い!?」

 

「なに動揺してるんだ? 童貞だろ?」

 

「い、いやぁ~、そんなわけ――」

 

「言わなくていいぜ、なんかこっちが恥ずかしいわ」

 

「ちょっ、なにそれ!」

 

「おいおい必死になんなって。ほら、教官が睨んでるぞー」

 

「もう最悪」

 

「そんな大したことないだろ。どうせなにも言われないさ」

 

「……とか言って、この前追加で十周されたじゃん」

 

「それは言いっこなしにしたろ」

 

 アンヘルはジト目でベップを睨む。ベップはからからと笑っていた。速度は落とさない。そのまま黙って規定の周回を終える。三〇五号室の面々は、この基礎体力訓練において上位だった。

 

 ベップは布で汗を拭いながら息を整える。

 

「で、話を戻すけどよ。班長は誰がいい? もう走り終わったから別にいいだろ?」

 

「うーん、難しいなぁ」

 

 班長。それは、一年超に及ぶ長い訓練を終えた候補生初の『演習班長』のことである。演習内容は、上級課程の候補生を班長にして、壱組から伍組までの生徒一人づつ選んだ小隊によってダンジョン踏破を目指すものである。

 

 いわば、初の実戦訓練であった。

 

 その中で重要なのはチームを指揮する隊長だと言われている。演習だけではなく、今年一年間の上司となる存在である。誰しもが無関心では居られない話題だった。

 

「やっぱり、リカルドさんやエマさんかなぁ? あとは、召喚士のラファエルさんとか、幼年魔導院主席って言われてるニコラスさんになるのかなぁ」

 

「無難といえば無難か。そういえばクナルは入れないのか? あいつは学年どころか学内でもぶっちぎりだぞ?」

 

「それだけは御免」

 

 問答無用の即答。しかし、事情を一切知らないベップは疑問符を浮かべている。

 

「はぁ? たしかに変人だが……もしかしてイケメンが嫌いなのか?」

 

「性根が死滅しているから」

 

「……辛辣だな」

 

 アンヘルたちは教官に敬礼するとそのまま寮に向かう。午後からの講義まで時間は限られている。昼食時間を合わせても、ゆっくりする暇などない。こういう部分だけは、なぜか軍隊色が濃い。

 

(一年間ずっと勉強と身体トレーニングばっかりで、しかも規律もそんなに厳しくないんだから、ここも緩くしてくれていいのに)

 

 オスゼリアス士官学校では大抵の規律に煩くない。なんなら教官たちにため口を聞いても許されるぐらいである。無論、講義中は咎められるが、休憩時間はその範疇にない。現代の軍隊では鉄拳制裁ものの緩さである。

 

 これは超実力主義から起きた現象である。ダンジョンや魔法による強化術が支配する世界では、人間の限界値が限りなく高い。集団行動を必要としない士官候補生たちには自立と向上心が求められるが、規律はそれほど必要とされないのだ。

 

 そういえばとベップが辺りを見渡す。

 

「アルバはどこだ。急にいなくなったが」

 

「いつも居なくなるよ。シャワー皆で浴びるの嫌いなんじゃない?」

 

「そういやそうか。俺、一回も見たことないわ」

 

 ベップは頷くようにして首を縦に振った。

 

「まあ裸って見せるの嫌がる人もいるからね」

 

「アンヘルもそうだったよな。最初は」

 

「慣れたけどね」

 

「ほんとかぁ? 童貞のくせに」

 

「もう、しつこいって」

 

 言い合っていると、部屋の前にたどり着く。アンヘルはさっさと部屋の中に入った。室内には簡素な三段寝台と木造の机が三台並んでいる。十畳の部屋は二人入るとすし詰め状態になった。

 

「そういえばアンヘル。伍科はこれから何があるんだ?」

 

 ベップが汗だくになったシャツをカゴに叩き込む。アンヘルもそれに倣って上着を脱いだ。

 

「ええっと、一応、砲術計算学と兵站学、それから、基礎算術に最後が基礎体術だったかな?」

 

「うへ、地獄。砲術計算なんか俺らにいらねぇぜ。試験は楽だがな」

 

「……ぼくにとっては鬼門なんだけど」

 

 士官学校は意外にも、と言うべきなのか学術関係の講義が多い。アンヘルはなんとなく剣を振り回していればいいと考えていたが、実際にはまったくの逆で頭脳集団的側面を多く持っている。

 

 当然といえば当然だが、軍国主義国家における二大士官学校となれば東大京大に相当する超エリート校だ。クラス分けは入学時の成績のため、伍科に配属されたアンヘルは勉強のできない落ちこぼれだが、国全体を見渡せば十二分にエリートである。

 

 ブルームとウィードで分けるならウィードかな? という下らない妄想はそこでやめた。

 

「そういやそうだったな。アンヘルって真面目だけどバカだからな」

 

「うるさい。っていうか電卓なしってのがおかしいよ。三角関数表を暗記とか、無理にも程があるでしょ」

 

「電卓? なんだそりゃ」

 

「気にしないで」

 

 ぶつくさ呟きながら袋に着替えを詰める。

 

「そういや、そろそろ夏聖祭の時期だよな。アンヘルは予定あるのか?」

 

「ないよ。残念だけど」

 

「そうかい。寂しいねぇ俺たち。じゃあさっさとシャワー浴びようぜ」

 

 ベップに続いてアンヘルも部屋を出た。

 

 

 

 §

 

 

 

 

 茜色した細長い雲が色づいた西空。修練場の茶色の大地が、燃えるようなみずみずしい夕焼けに包まれていた。アンヘルはその光景を窓から眺めながら歩く。今日も一日終わったとホッと息を吐いた。

 

「そ、その、今日もありがとね。練習に付き合ってくれて」

 

「いえいえ、授業ですから。そんなにかしこまらなくても」

 

「けど、ボクやっぱり弱いし、皆いい顔しないから……」

 

 弱々しく語るその童顔の少年はユーリといい、弐科との基礎体術では度々一緒になる候補生だった。

 

「いえいえ、そんなこと」

 

 と、慰めようとしたが踏みとどまる。普通なら有り得ない判断だが、事ユーリに限っては正しい判断だった。

 

 このユーリ、尋常ではないほど弱いのである。アンヘルとてみくびるつもりは一切ないが、擁護することが寧ろ皮肉に聞こえるほどだ。なにしろ、彼は訓練が開始されるまで武道経験がなかったのである。

 

 そもそもとして、軍人にはダンジョンの強化が最重要である。強化術を会得していない一般人と武芸者には、それこそ赤子と大人ほどの差が存在する。

 

 そのため、士官学校には 養殖迷宮 (レベリングスクール)の蔑称を持つ新人訓練用管理迷宮が存在した。新入生たちは一年間そこでみっちりと鍛錬し、強化術を会得するのである。その為、一般課程においては入学前の実力に一切頓着せず、筆記試験だけで生徒を選定する。

 

 よって、親が入学のための学力さえあればいいという、ある種育児放棄的行為をすれば、ユーリのような運動音痴が稀にとは言えない頻度で紛れ込むのである。無論のこと、ユーリも一般人に対しては身体能力で圧倒できるのだが。

 

 ちなみにだが、アンヘルのような田舎出身探索者というのは十年に一度の稀れ人といえた。士官学校に入れるのは上流階級の子供に潤沢な勉強を積ませられる家に限る。そんな子供が危険極まりない探索者業に励んだり、田舎村出身などありえないのだ。アンヘルが受かったのは、偏に現代人的受験テクニックとアリベールの超絶予想によるものだった。

 

「アンヘルみたいに強くなれたらなぁ……ボクも上の順位を取れるのに」

 

「いやぁ、僕より強い人はいっぱい居ますから」

 

 とりあえず励ましの言葉を掛けるしかなかったが、ユーリは首を振るばかりだった。

 

「そうかなぁ? ボクにはみんなが強く見えるけど、アンヘルほど強いと思ったことないけど……」

 

「それは僕とばかり訓練しているからだと思いますけど」

 

「そうなのかなぁ」

 

「たぶん」

 

 励ましの言葉が見つからない。アンヘル自身が順番に拘らないし、そもそも伍組が順番に拘っても仕方ない最下位組である。

 

「ねえ、そういえばアンヘルって何処に集合なの? さっきから同じ方向だけど」

 

 アンヘルは配られた用紙をもう一度確認する。

 

「ええっと、第十八多目的室です」

 

「ええっ、ウソ! ボクも同じだよ」

 

 ユーリがバッと用紙を広げ、掲げた。顔には満点の笑顔が浮かんでいた。

 

 ――これは、しんどそうだなぁ。

 

 ユーリは気のいい友人であるという言葉に嘘偽りはない。だが、演習という試験の場においては御守を押し付けられる可能性が高くなる。それは勘弁して欲しいというのが本音だった。

 

 その後は黙々と歩き続け、十八多目的室の前に辿り着く。部屋番号を示すプレートが黒く汚れていた。

 

 ガラッと戸が開かれると、中からぞろぞろと人が流れ出てきた。知らない顔が三人続くと、その後ろからベップとアルバが出てくる。ベップはアンヘルに気が付くとヨッと手を上げた。

 

「なんだ、アンヘルもオスカル教官が指導担当か。けど、アルバもいるんだからアンヘルも一緒の班にしてくれりゃいいのによ」

 

 指導教官は六人班を三つ受け持つことになっている。オスカルとは班は別だが、指導教官は同じだということだろう。

 

「って、僕たちオスカル教官が指導なの?」

 

「そうさ、やったな! 俺たち、あのオスカル教官の元で演習だぜ。けどよ、それだけじゃねえんだぜ。なんと、オレたちの班長は――」

 

「邪魔だ」

 

 ベップが興奮混じりにぺらぺらとまくし立てていたのを遮ったのは、後ろから悠然と現れた長身にして候補生制服を着流している銀髪褐色の美姫クナルだった。

 

「おお、こりゃわるいわるいっ」

 

 ベップが焦りながらもサッと退く。

 

 が、クナルの視線はベップではなく、アンヘルを捉えていた。

 

「聞こえなかったのか? 私は邪魔だといったはずだが?」

 

 ベップはキョロキョロと向かい合う二人を見比べている。先に出た班員たちも訝し気に此方を見ていた。

 

「どうやら貴様には人類に備え付けられて然るべき聴力を置いてきてしまったらしい。すまぬな、気が付かなくて」

 

「気にしないで。ぼくから置いてきたんだよ。サルの言葉を理解する必要性は恐らくないと判断したからね」

 

「ほう、その割には受け答えができているようだが? どうやら、言葉の意味すら分からんらしい」

 

「もう一度言ってくれるかな? ああ、またサル語になったみたいだ。次の自然理化学の議題は、周期的な頭脳退進化にするべきだね。ああ、必要ないか。君だけの病気だからね」

 

 ピキピキと青筋が浮かぶ。クナルが腕を振るった。

 

 アンヘルは右腕を掲げて頭を守る。まるでトラックに衝突されたような衝撃音が響くが、吹き飛ぶことなくそのまま耐えた。

 

「やっぱり原始人だね。話を聞かない」

 

「貴様こそやせ我慢は止めておけ。手が震えているぞ?」

 

「気のせいだよ。もしかして、視力を母親の胎に忘れたの?」

 

 とっさの判断だった為、掲げた腕に込めた力が弱かったのだ。だが、半ば遊びで痣の残る殴打を繰り出す反社会的な男に対して、またもや頬の不随意筋が悪口を奏でそうになった。

 

 この現象を、アレルギー性嫌悪クナル症候群とアンヘルは呼んでいた。

 

 どんな皮肉を返してやろうかと思ったが、突飛な暴力沙汰にユーリが目を丸くしている。というか明らかに注目を集めている。これ以上は続けられないと道を譲った。

 

「なかなか殊勝な心掛けだ。それでこそ、雑用係に相応しいというものよ」

 

「ほざいてろ」

 

 勝った、という微笑みを浮かべながらクナルが去っていく。その横には、疑問符を頭上に乱舞させたベップの姿もあった。

 

 アンヘルは疲れからため息を一つ吐くと、横で白目を剥いて、魂魄離脱しているユーリの肩を揺さぶった。

 

「もう時間ですから、行かないと」

 

「あ、う、うん。あ、アンヘルこそ、大丈夫だった? なんか、聞いたことないすごい音だったけど」

 

「あれは、音だけだから。ちょっと痺れるだけですよ」

 

 アンヘルは十八会議室の扉を開いた。

 

 ギギッと木造建築ゆえの摩擦音が響きわたる。奥には教壇に立つ男性と座席に腰掛ける候補生が数人危座していた。

 

「ああ、お前らも早いな。遠慮なく座ってくれ」

 

 気さくに声を掛けてきたのは、ざんばら髪を後ろで小さく纏めた男性だった。

 

 オスカル教官。士官学校屈指の実力、そして将来学校長を担うと噂される地位を合わせ持った教官であった。指導教官として翹望(ぎょうぼう)すべき相手だ。アンヘルは踵を揃えて敬礼をする。ユーリは少々興奮しながら、動きを緊張でカクつかせた。

 

「いや、いや。そんなに緊張しないでくれ。ほら、座った座った」

 

 ガチガチのユーリを連れてアンヘルは席に座る。そのまま周囲を見渡して、今座っている候補生たちの様子を観察した。

 

 まず目についたのは、斜め前に座する黒髪の女性だった。黒髪を刈り上げない程度に短くしており、ピンと伸びた姿勢が相まって社会人然としていた。如何にも気の強そうな雰囲気の女性である。胸のワッペンには壱科とあった。

 

 横目で隣の男を見る。線が細く、いわゆる参謀然とした風貌の男で、顔には眼鏡が乗っていた。

 

 もう一人、その後方に女性が居たが、興味津々に振り向くのはどうかとそれ以上の情報収集は諦めた。結論として、よく知っている人間は居ないことが分かっただけだった。

 

(というか、僕って知っている人少ないよなぁ)

 

 カチカチと古時計の秒針が時を刻む。ピリピリした空間の中、オスカル教官が態とらしく話題を振った。

 

「例年のこととはいえ、あまり緊張するのも良くないぞ。今日から一年、小隊を組んでやっていくんだから。ほら、まだ一人来ていないが、自己紹介でも始めたらどうだ?」

 

 時間も余っているしと教官が続ける。横に座るユーリはキョロキョロと周囲を見廻しだす。反対側の男やその後ろの女性も話を切り出そうか迷っているのが横目に映る。さがなら進級後の教室であった。

 

 ――仕切ろうとする人がいないから、今居ないのは上科の人かなぁ?

 

 上科は大抵組織を率いたがるものである。気質というよりは、そう教育されていると言ったほうが正確か。一般と違い、上科には軍を率いるため組織掌握術なる講義が課される。幹部候補生の上科が嫌われる原因であった。

 

 戸惑いを醸し出す空間を最初に打ち破ったのは、黒髪の女性だった。

 

「必要ありません。全員揃ってからのほうが効率的です」

 

 凛と澄んだ声だった。人によっては冷たいと感じるかもしれない。事実、威圧されたかのようにユーリは身体を震わせた。

 

「あー、そうだな。そうするか。時間までもうすぐだから」

 

 これには流石の教官も苦笑いだった。アンヘルは心の中で、黒髪の女性をキャリアウーマンと名付けた。

 

 寒々とした空気の中、ひたすら沈黙が続く。ムードメーカー不在の集団は地獄という定説を証明する時間だった。時間の最小単位を示す時計の針が十周したところで、教官がぼりぼりと頭を掻いた。

 

「さて、そろそろ時間なんだが。あと一人はどうしてるんだ?」

 

 その言葉に返答したのは、またしても黒髪の女性だった。

 

「軍人が時間に遅れるなど恥さらしもいいところです。早く始めましょう」

 

「それはその通りだが。一応初顔合わせだからな。そういうわけにも……」

 

 困り果てたオスカル教官が首を捻っていると、扉の外からドタドタドタと音が聞こえてきた。その音はしだいに大きくなった。その音がピタッと止むと、ガラガラと扉が開かれた。

 

「せ、せーふですか? ウチ、部屋間違えてもうてぇ~」

 

 似非っぽい喋り方の少女が手を膝について息を吐いている。ぜひぜひと喘ぎながらも、目は爛々と輝いていた。

 

 ――確か、肆科のユウナ、だっけ?

 

 鮮やかな唐紅の髪と豊かな身体が特徴的な候補生である。アンヘルは、学年末総合戦闘術試験で相対したため、彼女を記憶していた。

 

「アウトだ。と言いたいが今日はいい。折角の小隊結成日なんだ。早く着席しろ」

 

「へへへぇ。ありがとなぁ~」

 

「謝るときくらいは敬語を使え」

 

 はーいという軽い返事を聞き流しながら、教官は頭痛を堪えている。黒髪の女性も額に青筋を浮かべていた。

 

「頭スイーツだな」

 

 ぼそっと横の男が呟く。暗い声にアンヘルは少しばかりヒヤッとした。

 

 遅れてきた少女が椅子に座る。全員が席に着くと、教官は教壇に両手をついて候補生たちを睥睨した。

 

「よし、これで全員が揃ったな」

 

 オスカル教官はそこで切ると息を吸い込んだ。

 

「では、今ここにいる六人が一年間苦楽を共にする仲間たちだ。そして、士官学校最初の課外演習を行うメンバーでもある」

 

 教官が一人一人の顔をゆっくりと眺める。ごくっと喉を鳴らした。

 

「ここに二一三回生第七八小隊の結成を宣言する」

 

 士官学校入学以来はじめての演習。アンヘルにとって転機となる遭逢(そうほう)のひと月が始まった。

 

 

 




 ◇ 用語説明 ◇

~近代戦の成り立ち~

貴族が魔法で無双 ー> 妨害魔道具誕生、魔法が使えなくなる -> 戦術や少数部隊で妨害魔道具持ちを倒して、そっから魔法ぶっぱすればよくね? ー> 戦術、武芸至上主義誕生

~妨害魔導具~

SN(supernatural )ジャマー:Nジャマーじゃないよ


~クラス分け補足~

貴族組
特待生科:護衛(騎士)も通える

エリート組
エリート(上科):上級課程入学組 -> クナル

一般組
壱組(一般壱科、壱科):入学試験 1位~100位
弐組(一般弐科、弐科):入学試験 101位~200位 -> ユーリ
参組(一般参科、参科):入学試験 201位~300位 ー> ベップ
肆組(一般肆科、肆科):入学試験 301位~400位 ー> アルバ
伍組(一般伍科、伍科):入学試験 401位~500位 -> アンヘル


~寮分け補足~

八畳一人部屋:グレード一(上科)
十畳二人部屋:グレード二(一科、二科)
十畳三人部屋:グレード三(参科、肆科、伍科)-> アンヘル

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。