イセカイ&ドラゴンズ   作:原田孝之

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第三話:されど平和な日常に

「…………帝国歴が始まる前、共和政時代よりも(はる)か昔の王国時代。帝国創神話によると、女神ヴィーナスの血を引く少女の息子(むすこ)にして、軍神の系譜に連なる少年、崇高なる皇帝陛下のご先祖様にあたるトーラさまが、御家騒動(おいえそうどう)による遭難から偉大なる王龍に拾われ成長した後、建国した国がトレラベーガ王国である」

 

 誰もが知っている、試験にすら登場しない退屈な建国神話について語る。

 

 教室の前方にある教壇(きょうだん)へ肘をつきながら、暇つぶしの言葉を並び立てる。不真面目(ふまじめ)極まりない態度だが、気にする生徒は一人(ひとり)としていなかった。視線を上げると、私塾の教室が広がっている。教会の長机のように机が櫛比(しっぴ)した場所に、何人もの生徒が座っていた。

 

「まだこの頃は、魔法も発展していない、いわゆる軍史学上では原始戦争時代と呼ばれる時代だね。この後、トレラベーガ王国は十代ほど王政が続くけれど、王家の横暴によって市民たちが立ち上がり、各勢力の頭、今の貴族家の前身となる部族たちを旗頭に据えて、王政を破り、王国は共和制へと移行することになる」

 

 語られる言葉はしわがれていた。喉元には黒く濁った跡がついている。ただでさえ疲れているというのに、こんな道化のような事をしているせいで、憂鬱な気分は加速した。

 

「でも、これについては魔法技術によって、権力が王一強から、貴族に分割されていったことが原因なんじゃないかと史学では訂正されつつある。実際に僕がいたわけじゃないから真相は分からないんだけど、確かに魔法なんてものが出てくるんなら、世界の情勢は一変してもおかしくないなあと思うよ」

 

 生徒たちは言葉を聞かずに板書している。言葉を紡ぐ本人としても、板書中の暇をつぶす閑話休題的な話だった。しかし、金を(もら)っている身としては続けるしかなかった。

 

「魔法は、当時、神人や使命を受け、()(しろ)となった使徒の末裔(まつえい)のみが使える技術だったんだ。これまた、神人なんて大袈裟(おおげさ)だと思う人も多いだろうけど、神降ろしと呼ばれ、神霊を天から祭壇に招き迎える使命を負った巫女(みこ)はいまだに存在するから、まったくの(うそ)ってわけじゃないんだろうね。最近は巫女(みこ)プレイなんてものもあるから、現代人は巫女(みこ)に対して神秘性を感じなくなっているみたいだけど」

 

 くだらない冗談に優等生のお下げ少女が眉をひそめる。生徒たちは失笑を漏らすか、不快な様子を隠さないか、その二つに分類された。優等生らしく一足早く板書を終えた少女以外には誰も反応を示していない。

 

「まあ、そんなこんなで、トレラベーガは世にも珍しい共和制国家となったわけだね。当時は王国ばかりで、新たに登場した魔法に対応することが出来なかったけど、トレラベーガ共和国は貴族へ権力を集中させず、優れた血筋を持つ人材を力として使うことが可能だった。色々苦難はあったけれど、トレラベーガは世界に対して覇を唱え、結果的に広大な領地を得ることができたんだ。

 でも、物事には始まりがあれば、終わりもある。共和国時代にも限界があったんだ。それは広大になりすぎた国家を支配するのに、共和国制による議会統治では判断が遅すぎるということや、各国の魔法戦力が増大したという指摘もある。けど、一番大きな要因は、みんなの知ってのとおり妨害魔道具(SNジャマー)だ」

 

 これには板書を終えた数人の男子学生が反応を示した。記憶を引っ張り出して、彼らが士官学校志望生であることを思い出す。この時代、帝国成立の時代は、少年たちが心躍る時代なのだろう。アリベール教官の元、必死に学んだ試験前一ヵ月の地獄を思い返した。

 

「妨害魔道具は知っての通り、というか試験対策には必須だから知っていると思うけど、魔法大国リヒテガルドのアルント伯が開発した対魔法兵器だ。魔道具工学の分野的に言うと、魔法による魔素微粒子干渉を妨害するために、先んじて魔素粒子に干渉しておいて、相手の発動を妨害する兵器のことだね。これまであった防御魔法と違って、平民にも使えるし、維持も簡単。そのうえ、その妨害範囲も広大となれば、貴族一強の時代は終了した。魔法が絶え間なく飛び交う戦場では、平民は肉壁と同じ扱いだったらしいから、僕たちにとっては有難い事なんだけど、貴族の魔法を頼りにしてきたトレラベーガ共和国は困ったことになる。

 そんなとき起きたカルサゴ教国との大決戦、相手方の大将軍ハルカルミに大敗北を喫してしまったのも仕方ないといえば、仕方ないことなのかな。やっぱり国家としては問題があったということで、初代皇帝陛下の父君にして、あのトーラさまの血を引き、そして永久独裁官に指名された英雄カエルノさまが新たに軍体制を見直して、軍師やダンジョン攻略に励んでいた探索者たちを勧誘。専門的な軍人部隊を作り出したんだ。当時は徴兵制が基本だったから、軍の中核を志願制に変えたのは、(すさ)まじい決断だね。

 これが、現在のトレラベーガ帝国の基本。軍の武芸至上主義や軍国主義など、今まで貴族政治体勢だった風潮を一変させて、新たな風を巻き起こしたんだ」

 

 そこまで言いきって、アンヘルは生徒たちに視線を戻す。二十名の生徒たちがこちらをじぃっとみている光景に、自身が教師の真似事(まねごと)をしているという現状を再確認させられた。

 

 アンヘルとしてはまったくの不本意なのだが、学術院や士官学校に入学するため、もしくは単なる教養のため、日々私塾で勉強している生徒たちに教師のようなことをしている。

 

 理由としては比較的簡単で、目が飛び出るほどの借金をしていながら、日夜士官学校に通って返そうともせず、嗜好(しこう)品購入の(ため)に金の無心を続けたため、アリベールが激怒したのだ。

 

 出世払いが通用する、慈しみ(あふ)れる少女ではないことが悲運(ひうん)だった。

 

 そんなわけで、騎士ハーヴィーに気絶させられた次の日も、仕方なく街へ繰り出していた。当然ながら、本日行われている七八小隊計画会議には出席できない。

 

 カチカチと、頼まれてもいないのに時計(とけい)が独りでに針を動かしている。あともう少しで終わりだった。講義を終了させる。

 

「それじゃあ、終わりにするね。小テストはまた次も実施するから、しっかり勉強してね」

 

 生徒たちの不満の声を尻目に、そさくさと教室を出る。授業後も生徒たちの雑談に付き合うほど、教師業に熱心ではなかった。

 

 他所の教室から出てくる生徒たちに挨拶を返しながら講師控室へ向かう。ガラガラと扉を引くと、アンヘルを予備校の教師として迎えてくれた事務員のレズラの姿があった。

 

「あら、今日(きょう)も早いのね」

 

 恰幅(かっぷく)のいい中年の彼女は、その見た目通り機嫌よく焼き菓子を口に運んでいた。

 

「計画どおり授業を進行していますから」

 

「まあ、そうなんでしょうけど。やっぱり親御さんは、時間目いっぱい使って授業して欲しいのよ。ほら、学術院の生徒さんたちは、時間を超えても講義を続けるでしょう?」

 

 口ではそう言いながらも、本人にはそこまで執心している様子はない。とりあえず言ってみる、という様子だった。

 

 そんな彼女の分かりやすい面が嫌いではなかったが、アンヘルが教師として雇われているのは、彼女のもう一つの側面、人の話をあまり聞かない性格に由来していた。

 

 アンヘルが教師として雇われた経緯はこうである。

 

 アリベールに休日就業を強制されたため、今までの経験に(のっと)って東方一刀流の道場で指導員に応募した。(かじ)る程度だが基礎はできているし、士官学校候補生なら道場生に武術を教えることに不足はない。貧乏候補生の中には、指導員として食いつないでいる者も少なくなかった。

 

 すんなりいくはずだったのだが、レズラ事務員の早合点とアンヘルの士官候補生らしくない容貌が悲劇を生んだ。その日たまたま、学術院から雇われた新人講師が来ることになっていたが、それを勘違いしたレズラは、戸惑うアンヘルを引っ張って無理やり教壇に立たせたのだ。

 

 強引なレズラに断りを入れることもできず、はじめての講義でばっちり生徒たちの心を(つか)んでしまった。とは言っても、別段話が上手(うま)いとか、教え方が上手(じょうず)という意味ではない。知識自体も士官候補生としては底辺を彷徨(さまよ)っているし、教師としては不適格なはずだったのだが、ある一点、それだけにおいては誰の追随も許さぬ能力を持っていた。

 

 それは、受験対策である。

 

 そもそもが、この時代の勉強方法が稚拙に過ぎた。アンヘルが担当することになった史学においては、勉強法とは、ただ講師が年表を読みながら合わせて必要な知識を板書するだけのゴミ以下の内容である。

 

 これが算術などであればうまく行かなかっただろうが、史学は語呂合わせ、メモリーツリー、小テスト形式に穴埋め問題など勉強法が点数に直結する。

 

 こうやって、当代最高の私塾講師として高額な報酬を手にしたアンヘルは、辞めるに辞められず、教師を続けていたのだった。

 

 講義資料を机の上に(ほう)()して、椅子に腰かける。講師室には(ほか)にも学術院のアルバイト生が居て、妬心に満ちた瞳を向けていた。不真面目(ふまじめ)なアンヘルが講師人気最高というのが気に食わないのだろう。アンヘルとしては、日本時代の勉強法をそのまま伝授しているだけなので、誇らしくともなんともないのがまた不幸だった。

 

 レズラがしみじみと(つぶや)いた。

 

「ねぇ、あなたは講師の方が向いているんじゃないかしら?」

 

 何時(いつ)もの勧誘に対して壮絶に嫌な顔を浮かべる。だが、中年女性のいいところなのか、悪いところなのか、無視して続ける。

 

「あんまり、軍人さんには向いているようには見えないしねぇ。勿論(もちろん)、士官学校のエリートさんにこんなこというのは失礼だってのは分かってるんだけど。試験対策に詳しいし、なにより生徒から人気もあるから。もしやる気があるなら、臨時ではなくて正式に講師になるべきだと思うのよ」

 

 レズラがうんうんと(うなず)く。アンヘルはとりあえず笑っておいた。それが、社会を円滑に回す潤滑油だと知っていたからだった。

 

 心底どうでもよかった。

 もう一時間講義をすれば、その後は道場で指導を受ける予定である。講師料の一部と引き換えにタダで訓練できるとなれば、多少の嫌なことも忘れられた。

 

 

 

 §

 

 

 

 カンカンと竹刀を打ち合う音が、木張の道場内に響き渡っている。ささくれだった床板の上には、門弟たちの努力の跡が島のように連なっている。

 

 道場の奥、日陰となっているその場所で二人(ふたり)の男が激しくせめぎ合っていた。

 

「いやぁあああああッ」

 

 獅子吠。白い道着を(まと)った男が竹刀(しない)を両手で握りしめて、垂直に振り下ろす。

 対峙(たいじ)する茶髪の男――アンヘルは、その剣撃に対して、全速力で顔面から突っ込んだ。

 

 雷轟のような振り下ろしに、目が風を切る感触を感じるほどの至近距離で見極めると、そのままショルダータックルをお見舞いする。流れるままに足払い、回し蹴りを繰り出して、体制を崩した相手に横殴りの剣を振るった。

 

 ぺたんと男が尻餅(しりもち)をつく。アンヘルは首元に切っ先を据えた。

 

「ま、まいったよ」

 

 いちちと男が打たれた頬を()でる。その瞳は敗れたことの悔しさと門弟の成長を喜ぶ気持ちで二分されていた。

 

「いえ、たまたま作戦が成功しただけですから、カルリトさん」

 

 男は差し出された手を取って立ち上がる。パンパンと裾の(ほこり)をはらうと、手首を振って負傷具合を確かめた。

 

「ま、確かに剣の腕ならまだまだなんだろうが。何でもありとなると、道場でも勝てるやつはいないなぁ。師範のオレでも、こう易々と負けちまうとは。はは、面目丸つぶれだよ」

 

「そんな……」

 

「いやいや、謙遜してくれるな。今まで何人も弟子を見てきたが、その中でも群を抜いた身体操作技術だと思う。さすがは、士官候補生というべきなのかな?」

 

 カスコ道場。中央区に堂々と(そび)え立つ、数多くの門弟を士官学校に送り込んだ名門道場である。ただ、その功績は、どちらかといえば私塾のほうに重きが置かれているのが悲しいところなのだが。

 

 その師範代であるカルリト――正確には師範代代理だが――道場の長男ということもあり、師範不在の際にはこうやって道場を仕切っていた。

 

「こうして付き合っていただいて、ありがとうございます」

 

「いやいいさ、気にするな。実際のところ、此方(こちら)も私塾の大先生に稽古をつけるだけで給料を抑えられているんだ。それに、君が道場生から避けられているのは知っているしな」

 

 はははと笑う。言われた側のアンヘルも笑うしかなかった。

 

 道場生から避けられている、というのはもはや周知の事実だった。それは、嫌われているとか、見下されているわけではなく、単純に練習相手に誘いたくない人物という意味である。

 

 実戦経験、とくに人間同士の殺し合いを演じた戦士は、強化に殺意が混じるようになる。アンヘリノとの激戦を越えたアンヘルは、あれ以来勝負となると相手を無意識に(おび)えさせる戦意が芽生えつつあった。

 

 無論、経験豊富な武芸者には何の意味もない能力なのだが、年若い門弟ばかりの道場では、遠巻きにされるのも致し方なしだろう。そういう理由もあって、アンヘルの相手はもっぱら大人(おとな)ばかりだった。

 

「じゃ、俺は(ほか)の連中を見てくるから、少しの間素振りでもしていてくれ」

 

 身を翻すと、師範代である男が厳しい声を門弟たちに浴びせる。そのあとは、何時(いつ)もなら実力ある武芸者に稽古をつけてもらうのだが、日が悪く誰もいない。そうなると、素振りに従事するしかなくなるのだが、どうにもやる気が起きず辺りを見渡した。

 

 若い少年少女らが型通りに剣を振り回している。上方からの袈裟斬(けさぎ)り、【穂群切り】だ。

 

 ――流派自体は嫌いじゃないんだけど、名前だけは滅茶苦茶(めちゃくちゃ)ダサいんだよなぁ……。

 

 東方一刀流の初代は農村出身の男で、日々の農作業から剣技を編み出したとされる。そのため由来自体は尊いのだが、流派の基幹部分はどうにもダサい技名ばかりであった。

 

 その中でも際たるもの。【穂群斬り(ほむらぎり)】は、鎌で稲穂を切る動作から着想を得たものだ。が、若者は歴史の重みよりも、分かりやすい格好の良さを求めるものだ。

 

穂群斬り(ほむらぎり)にするなら、焔斬りにすればよかったのに。こっちで勝手に改名してやろうかなぁ……)

 

 (なお)、師弟たちが後年になって開発した技はこのかぎりではない。ホアンの奥義、【流水波濤剣】がらしい名前なのはそんな理由だった。剣術的には(いま)だ表位のアンヘルにはまったく関係ないのだが。

 

 渇きを訴えた喉を(いや)すため、道場を出て裏庭の井戸に回る。涼しげな風が吹き込んでいた。

 

 テクテクと石畳の上を歩く。いつもは静けさに包まれているその空間は、今日に限って少女たちの嬌声(きょうせい)で満ちていた。少女たちが木陰の石段に隣り合って座っている。

 

「こらぁー、くっつかないでくださいっ」

 

「いいじゃないですかぁ、テリュス姉さまぁー」

 

「だから、(わたし)はお(ねえ)さまじゃないって、いってるじゃないですかっ」

 

 少女たちが(じゃ)れあっている。片方の少女は嫌そうに、もう片方の少女は(うれ)しそうにくっつきあっていた。

 

今日(きょう)はなにするですかぁ?」

 

「だーかーら、あなたを連れて行かないっていってるでしょっ」

 

「えー、どうしてですぅ。ひんひん」

 

「その嘘泣(うそな)き。通用すると思ってますっ?」

 

 仲が良いのか悪いのか。打てば響くような関係だ。その片方、茶髪の少女には見覚えがあった。

 

 探索者ギルドの受付嬢テリュスである。いつもは人を引っ掻き回す小悪魔的策略が、己よりもさらに無邪気な少女の前では翳りが見えている。巻き込まれるのも大変だと思い、アンヘルはそっと身を引こうしたのだが、そういうときに限って現れなくても良い人物が登場する。

 

「――あれ、アンヘル。こんなところに居たのか」

 

 無粋な声は後ろから掛かった。アンヘルを探しにきたカルリトが、空気を読まずに呼びかけてきたのだ。無邪気にじゃれ合っていた少女たちの視線が集中する。同時に、カルリトの視線も少女たちへ向けられた。

 

「テリュスじゃないか。どうしてこんなところに居るんだ?」

 

 カルリトが見知った知人に声を掛けるような気やすさで尋ねる。知り合いなの、と感じるアンヘルを尻目にテリュスは嫌そうな顔をした。

 

「訓練するなら、道場を使ったらどうだ?」

 

「……どうでもいいんで、()っておいてくれませんか」

 

「けど……」

 

(にい)さんには、関係ないことですからっ」

 

 仲が悪いのかと(いぶか)しげに見るが、カルリトは悲しそうに苦笑いをするばかりだった。ギロリと妹に(にら)まれたからなのか「じゃ、じゃあ」とだけ言って去っていく。

 

 置いていかないでよ、という叫びは封じられた。テリュスのじろりとした冷たいナイフのような瞳が輝いていた。

 

「はあ、変なところを見られちゃいましたね」

 

 テリュスがしみじみと(つぶや)く。立ち上がりながら、ぼりぼりと頬を()いていた。

 

「ええっと、君もこの道場の人なの……」

 

「ええ、そうですよ。あなたもこの道場に通っていたんですね。一年前からポッキリとギルドに来なくなったので、死んだものとばかり思っていましたが」

 

 プライベートということなのだろうか。受付時の親しみある態度ではなく、どこか突き放した態度である。

 

 言いたいことを終えると、シンとした空気が立ち篭める。元々私事までは知らぬ関係である。とくに話す話題があるわけではなかった。

 

「姉さまぁ? 誰なのですぅ、この人」

 

 空気をぶち壊しにする間抜けな声が響き渡った。蒼穹(そうきゅう)の瞳が、不思議そうな色を浮かべていた。

 

 イズナがぴょこんと飛び上がって、アンヘルの周りをぐるぐると回る。ともだちーともだちーと騒ぎながら、碧空(へきくう)のツインテールを振り回していた。

 

「はあ、その人はアンヘルさんですっ。昔は探索者、今はたぶんニートさんです。こっちのおバカは――」

 

「イズナですぅ」

 

 ――ニートって……。

 

 不躾(ぶしつけ)な言葉だが、あれほど世話になった人物に対してなにも告げずに去った自身にも過失があったと、甘じんて(そし)りを受け止めた。ニート戦士ここに誕生せり。

 

「ぼくは、アンヘルです。ええっと、よろしく」

 

 半笑いで自己紹介する。

 

「アンヘルぅー、アンヘルぅー。うう、なんか言いにくいですぅ」

 

 確かに三文字が主流だけど、たった四文字だろとは言えなかった。大人(おとな)の辛さである。

 

「えっとぉ、じゃあ、アヘがいいですぅ」

 

「……いや、それはちょっと」

 

 ちょっとというか、かなり不味(まず)い。幼気(いたいけ)な少女にアヘと呼ばせるなどと、良識のある人間にはできるはずもない。テリュスも頭が痛いのか、手を当てていた。

 

「んーと、んーとですねぇ、じゃあ、アン。アンにしますか?」

 

「いや、それもちょっと」

 

「わがままですねぇ。仮称アンくんは」

 

 むむむむと少女が(うな)る。ぐるーりぐるーりという擬音が頭に響いてきた。蒼穹(そうきゅう)の瞳に恐ろしいほど整った鼻梁(びりょう)の持ち主なのに、どうにも残念な少女である。

 唐突に少女が(つぶ)っていた目をパッチリと開く。

 

「じゃ、アルにしましょう。けっていなのですぅ」

 

 ある、ある、あると鼻歌を謳いながら駆け回る少女に、アンヘルは疲れが多分に混じったため息を吐き出した。

 

 

 

 §

 

 

 

 イズナが悪戯(いたずら)をして、テリュスが文句を言う関係に見えたのだが、両者は根本的な所で一致しているのだろう。共通の(いじ)られ役が登場することで、息のあった姉妹のように暴走を始めた。

 

 アンヘルとしても、負い目があり中々無下にし(づら)い関係である。それに、美少女二人(ふたり)に構われて嫌な気はしない。棒も玉もある、立派な男児なのだ。不承不承ではあるのだが、稽古を中断して話し相手に徹することとなった……はずだったのだが、その判断を一瞬で後悔することになる。肝胆相照らす仲の女たちは想像以上の(かしま)しさで、中天にあった太陽が傾き始めても(いま)だ終わる気配をみせず、空が黄ばみ始めて(ようや)くイズナの「お(なか)すきましたぁ」の言葉で三人は店へ出かけることになった。

 

 イズナが街頭をクルクル回りながら歩み、その横を朗らかな笑みを浮かべたテリュスがペタペタと進む。追随するアンヘルの疲れた表情がやけに印象的だった。

 

 街ゆく人々が仲良さげな少女たちの嬌声(きょうせい)に振り返る。テリュスも十二分に整った顔立ちだが、イズナの非人間的な顔立ちを横に並べると、王侯氏族の姉妹に匹敵するほど(きら)びやかだった。

 

「で、どこにいくですぅー?」

 

(わたし)は、『バルモス』がいいですけどねぇ」

 

 (そろ)って視線を投げかけてくる。(おご)れということなのだろう。しかも、テリュスが告げた店名はドレスコード必須一歩手前の高級店である。借金のせいとは言え、働いても薄くなり続ける財布に悲哀を感じ入るしかなかった。

 

 見知った角を曲がって三人は進む。(ちょう)のような好奇心旺盛さでイズナがあちこちを行き来するせいで、ムダな時間を浪費していた。

 

 ようやく店先まで到着する。しかし、その先から(うっす)らと厄介ごとの気配が忍び寄っていた。

 

「けっ、乞食がオレらに逆らいやがって」

 

「へ、命があるだけ感謝しな、(にい)ちゃん」

 

 不穏な空気が曲がり角の奥から放射されていた。騒然とした雰囲気を醸し出している。

 

 待って、とアンヘルは先行く二人(ふたり)を静止しようとする。しかし、くるくるとまわる千鳥足のイズナを止めることはできなかった。

 

「あぁ!? なんだぁ」

 

 男たちの先頭へ立つ大男にボフンとイズナがぶつかる。あーれーと間抜けな声を出しながら、ぽてんと転げた。

 

 男たちは急のぶつかってきた少女に怒りを(あら)わにしたが、その容姿を見るなり態度を一変させ、下卑た欲望を秘めながら地面に転がって痛がりはじめた。

 

「い、いてぇぇぇっ! いてぇえよ。これ、骨が折れてやがるぅうう」

 

「嬢ちゃん、兄貴になんてことしてくれやがんだ。こりゃ完全に()れてやがる」

 

「おで、おでのあにきが。いしゃろう、はらうのだっ」

 

「バカ、”いしゃろう”じゃなくて、慰謝料だろが」

 

「嬢ちゃん、悪いことはいわねぇから、黙ってついてくれば、慰謝料はチャラにしてやるよ。どうだい?」

 

 げへへへと男たちが笑う。アンヘルとしては古典的だなぁという感想しかわかないが、男たちは手慣れている様子で、脅し役と痛がり役、そして仲裁役を一瞬の内で分担していた。

 

 彼らの腕には黒のスカーフが巻かれている。黒豹傭兵団であった。ただ、その実態はかなり怪しいものだった。傭兵団と名前は付くものの、下っ端のほうは会費を払えば名乗れるため、街の破落戸(ならずもの)たちがこぞって所属し、その後ろ盾もあって手付かずの無法状態になっていた。

 

「ほへ? いしゃろうってなんなのれす?」

 

 あちゃあ、とアンヘルは頭が痛くなった。螺子(ねじ)が数本外れているのか、イズナはバカっぽい返答をした。他方、揶揄(からか)われる形となった男の一人(ひとり)がプルプルと震えていた。

 

 ――あぁ、これは完全に刃傷沙汰(にんじょうざた)になるなぁ……。

 

 ため息を吐きながら、面倒くさい状況を解決するため前へと進み出ようとする。しかし、それよりも早くテリュスが飛び出した。

 

「ちょっと、何いってるんですかっ。別に()れても何にもないじゃないですかぁ。そんな言いがかりつけるなら、憲兵に言いつけますよっ!」

 

 イズナを(かば)()てるように両手を広げて()える。その叫び声で、野次馬たちが円を作って遠巻きに見守りはじめた。

 

 男たちは二の矢として放たれたテリュスを見て、さらに興奮高らかにした。これからの行為を想像しているのか、股間を膨らませている男もいる。野次馬たちは不幸な少女たちに同情を寄せながらも、介入してくることはなかった。

 

 テリュスが拾った棒を構える。しかし、男たちに(ひる)んだ様子はない。ヒヒヒとにじり寄る。

 

「嬢ちゃんたち、大人(おとな)しくしといたほうが身のためやでぇ……」

 

 群衆から悲鳴が上がる。誰もが、幼気(いたいけ)な少女の最後を幻視(げんし)していた。

 すわ、激突かっ! と思われた瞬間、野次馬の中から一人(ひとり)の男が飛び出してきた。

 

「うわぁあああああっ!」

 

 背の高いヒョロ長の男が、身を低くして体当たりする。その男は先ほど男たちに暴行されていた人物だった。彼は、そのぼろぼろの身なりのまま破落戸にしがみついていた。

 

「な、なんだってんだ。この野郎ッ」

 

「またボコボコにされてぇかっ!」

 

 ならずものたちが()って(たか)って殴る蹴るの暴行を始める。飛び出してきた男はボロ雑巾になりながらも、必死に気勢を上げ、集団の先頭にしがみついたまま必死に歯を食いしばっていた。

 

(にい)さんッ!」

 

 テリュスが目をひん()いている。アンヘルもその言葉でテリュスと男を交互に見比べた。

 

「て、て゛りゅすぅ、ばや、く、んげろぉぉぉ」

 

「ああ? なんだこいつ、こいつの兄貴か。こりゃ傑作だ。一緒に持って帰えって、目の前で遊んでやるか」

 

 (ゆが)んでいく男の顔を見て、テリュスが手に持っていた棒に力を送り込んだ。

 

「セリノ(にい)さんから、離れてくださいっ」

 

 土煙を上げてテリュスが疾走する。

 

 ただの力自慢とは違う、訓練された戦闘者の動きで男たちに迫る。武芸もなにも知らぬ男たちは、驚きで体を硬直させていた。

 

「はッ!」

 

 一陣の風となったテリュスが斜めに斬り下ろす。そのままの流れで、独楽(こま)のように旋回するとズバッと真横に()いだ。

 

 男たちが吹き飛ぶ。瞬く間に倒された仲間たちをみて、演技をしていた男が大粒の汗を浮かべていた。

 

 ――道場の娘だけど、やっぱり本人も訓練してるんだ……。

 

 アンヘルの感想を他所に、残された男は恐怖にたじろいでいた。

 

「お、お、おぉ」

 

「早く、ここから消えてくださいっ。これ以上ここにいるなら、通報しますからねっ」

 

 びゅっと棒を振って威嚇する。悪を撃つセイラームーンのような、純真さがそこにはあった。

 

 男は今時古い「覚えてやがれぇ」と()台詞(ぜりふ)を吐いて散っていった。

 

「ヒューヒュー、(ねえ)ちゃんやるね」

「いい気味だぜッ。黒豹の(やつ)らめ」

「それにしても、(にい)ちゃんのほうはなっさけねぇなぁ」

「おねぇちゃん、すごーいっ!」

 

 野次馬の拍手が響きわたる。テリュスは照れて頬を赤く染めていた。

 

 アンヘルもホッと息をつく。そして、ひとり地面に尻もちを着いたままの少女に手を差し伸べる。イズナはポカンとした表情のまま、騒がしくなっている光景を眺めていた。ぐっと手を引いて立ち上がらせる。イズナは拍手喝采の群集をボーと見ていた。

 

 ――探索者ギルドの職員だけあって、そういう出自の人ばかりなのかなぁ……。

 

 その疑問は(もっと)もだが、ほとんどの受付嬢は顔採用である。昔の銀行のような、顔面偏差値差別が就職活動にまで及んでいるのだ。

 

 騒ぎになっている群集を避けて、倒れ込んでいる男に駆け寄った。男はうめき声を漏らしながら、地面を()いつくばっていた。

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

 と聞いたものの、男からの返答はない。意識が朦朧(もうろう)としているのか、明朗な返答は期待できそうになかった。

 

 アンヘルは、彼に肩を貸して治療院まで行くことになった。

 

 

 

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