イセカイ&ドラゴンズ   作:原田孝之

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第九話:『試練の始まり』

 

「お姉さま~」

 

 間の抜けた声を発したのはイズナだった。テリュスは「離れなさいっ」と、両腕で押しのけた。師範代が怪我を押して懸命に指導しているのにもかかわらず、門下生たちの興味は美麗な少女たちに向かっていた。

 

 時はイズナ誘拐事件から数日。

 

 道場の平穏は戻りつつあった。とはいっても、肉親を失った痛みは未だ癒えない。それでも兄妹たちは歩み寄りを、仲は改善の兆しをみせていた。

 

「最近はアンヘルが来ないな」

 

 と、カルリトがいった。アンヘルは士官学校探索演習に集中したいと、ひと月ほど纏まった休みをとったところだ。学習塾では早くも不満がでている、と事務員がぼやいていた。

 

「仕方ないよ」

 

 セリノが兄の横で窘めるようにいった。

 

「まあ、テリュスが手伝ってくれてるから」

 

 と、兄の慰めを聞きながら、

 

(一番気にしているのは、テリュスだろうけど)

 

 と、思っていた。間違いではない。

 ふたりじゃれ合う少女たちをよく見ると、この話題が出たときから耳を澄ましていた。セリノはその分かりやすい態度に苦笑いした。

 

「夏聖祭へ誘うついでに聞いておいてくれないか?」

 

 夏聖祭では、士官学校や道場など、出店にかかわるような所以外はほとんどが休みとなる。異性も気軽に誘いやすいということもあり、事件以来話せていないことが気懸りな様子の妹に助言したのだが、

 

「うるさい」

 

 と、テリュスは小手を投げたのだった。

 

 その照れ混じりの行為を注意深くみていたイズナは、いやらしく笑った。

 

「姉さまぁ~、緊張してるですぅ?」

 

「うるさい、おバカ」

 

 テリュスは身体の強張りを見抜かれた腹いせに、ポカリと一発拳骨を落とす。イズナは、

 

「痛いですぅ~」

 

 と呻きながら頭を押さえる。ただ、指摘のとおり、顔は少し赤くなり心臓の鼓動は弾んでいた。

 

 ――ホントにお礼、それだけですからっ。

 

 心の声にもかかわらず、言い訳がましく言葉を並びたてた。真っ赤になったり挙動不振になったりと、忙しない様子の妹をみて、兄たちは微笑んだ。

 

 そんな喧騒を他所に、老齢の達人たちが掛け声を出しながら稽古に精をだす。明鏡止水の心持ち、というやつだろうか。長い鍛錬を積んだ老齢の剣士は、実力はともかく心構えだけは真似できない。

 

 セリノが近寄ってくる。

 そういえば、私塾専門の兄さんがなぜいるのか、と疑問を覚えた。

 

「どうしたんですか?」

 

 兄は眉を曲げ、非常に言いにくそうにしている。戯れあっていたイズナを引っぱり剥がして、向きなおった。

 

「父さんと話したよ」

 

「そう、ですか」

 

「ドミンゴのこと、相当堪えたみたいだ」

 

 近年は衰えもあってか、道場稽古や出稽古――まだ当道場の経営が危ぶまれていたころは、オスゼリアス近郊の村々に出向いて、町民相手に稽古をしていた――などは控えていた当主キジェルモだが、ドミンゴの最後を受けて、日がな縁側で空を眺める毎日がつづいてた。

 

「それでな、テリュスが道場で働けるよう、聞いてみたんだ。最後は、納得してもらったよ」

 

 セリノは複雑そうな面持ちでいった。

 

 望んだはずの言葉だった。望んだ武芸者としての道。それが家族から認められた。

 

 だが、テリュスは曖昧な笑みを浮かべただけだった。

 

「嬉しく、ないのか?」

 

 問われるが、自分の考えが判然としなかった。以前なら、大喜びしたのだろう、と思う。願いつづけた武芸者としての道。だが、不思議となにも湧きあがってこなかった。

 

「ありがとうございます」

 

 テリュスは、穏やかな微笑みをうかべ、

 

「でも、私の武道は、終わったんです」

 

 といった。言葉にしてみると、すっとそれが心に染み渡った。

 数日悩んでいたが、意外感はなく、表情は晴々としていた。

 

「ど、どうしてだいっ? あんなに――」

 

 その答えに、セリノは慌てながら聞きかえした。

 

「戦う才能がないって、はっきりわかりましたから」

 

 迷いなく答えた。

 戦いの才能ではなく、戦うことの才能。それが、ない。

 

 むろん、非常時ともなれば剣を握るのに拒否感はない。だが同時に、グンドのような本物の強者になれないだろう、と予感もある。勝敗をつけるための武術ではなく、相手を排除するための刃。そうはなれない。日常的に戦いに身を置くことなど、できはしない。そう、思った。

 

「これからは、ギルド職員として頑張っていきます。気を遣ってくれて、ありがとうございました」

 

 ペコリと頭をさげた。セリノは口惜しそうにしながらも、最後は、そうか、と不承不承に頷いた。

 

 話が終わったとおもったのか、再びイズナが抱きついてくる。いつもは強く拒絶すると寄ってこないのだが、今日は離れる素振りを見せなかった。

 

「ああ、もう、どうしたんです?」

 

「姉さま行っちゃうんでしょぉ。イズナ寂しいですぅ~」

 

 引き剥がしながら「帰ってきたら」と約束した。唇を尖らせてぶー垂れながら、イズナが渋々、

 

「絶対ですよぉ」

 

 と離れた。スキンシップ過剰な最近の様子に、溜息をこぼした。

 今日は一緒なのですぅ、と叫びまわってイズナが道場を駆けまわりはじめた。

 

「好かれているんだな」

 

「どうしてでしょうか?」

 

 ふとした疑問だった。その瞬間、はしゃぎまわっているイズナが振り返った。

 彼女は、手を大きく振って答えた。

 

「だってだって、もうちょっとしたら、ご主人さまの所へ行かないとなのです」

 

 蒼穹。透き通るような青が瞳に宿る。

 イズナらしくないその力強い台詞に、テリュスは寒々しさを感じざるを得なかった。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 学園管理迷宮『試練の塔』はオスゼリアス郊外に位置する士官学校から馬で一刻程度の場所にある小さな塔であるが、渦巻く力場よろしく、空間が歪んでいるのか最上階まで約三十層あり、愚直に攻略をすると優に数日は掛かる代物である。

 

 そこで、候補生たちは各々情報収集を行い、諸先輩方から有効なルートを尋ねたり、同輩たちが頻繁に利用する道を探すのが常であった。

 

「でも、勇んで入っちゃうとこうなるってことかぁ……」

 

「なにか言った?」

 

「いえ」

 

 前を行くユーリがバッと振りかえる。極度の緊張状態にあるのか、物音一つするたびに反応を示していた。

 

 さらにその前方には、エルサ、ソニア、ユウマが続く。

 

「ここさっき通っただろっ」

 

 後方のエセキエルが不機嫌そうに告げる。その事実を知っていながら、皆黙していた。

 

 チームに漂う空気は良くない。いや、端的に言って悪いと言わざるを得ないだろう。なぜなら、アンヘルたち七八小隊は、この広い試練の塔で迷える子羊と化しているのだから。

 

 ソニアはあらゆる意味でトラブルメイカーだと、アンヘルは思っている。しかし、その能力はプライドに比例して非常に高い。彼女の足取りに乱れはなく、間断なく罠を指摘する姿はまさに理想で、先導者として並外れた能力を有していることは間違いなかった。

 

 ただ、いかに先導者が優れていようと、実際に上手くいくかは別だった。

 

(僕も苦手だしなぁ、探索)

 

 試練の塔は、日頃の演習の間引きによって出現する敵の量が少ない。ウルカヌ火山に比べれは五分の一以下だ。よって通常ならば、低層ではサクサク進めるはずなのだが、さすがは七八小隊。三体以上の群れとの相対は絶体絶命のピンチとなってしまう。必然、迂回数が増大するのも止むなしだった。

 

 アンヘルは、ふうと息を吐いた。担ぐザックが肩に食いこむ。総重量で、六十キロはあるだろう。

 

 人間が一日に経口摂取する水分量は一、五リットルであり、携帯食に湯が必須とあらば、一日二リットルは必要である。それが六人分とあらばザックは満杯となる。ただ、複数人で運んでしまえば戦力は激減である。そうなると、小隊内でもっとも役立たずと思われているアンヘルが荷物持ちを請けおうのは、半ば当然の成りゆきだった。

 

 その様子をみたユーリが、

 

「大丈夫?」

 

 と首をかしげた。

 

 強化術は短期的な能力上昇しか見込めず、長期的な持続能力強化には向いていない。とはいえ、ヒョロ長だが、長きに渡って鍛えられたその体は、持久力という点においても、候補生の中では突出しはじめていた。

 

 対照的にユーリの足元は覚束ない。段差のたび、手を貸してやりながら進んだ。

 

 そうして一刻。

 

 石造りの階段がみえてきた。その手前、大広間にモンスターの姿があった。

 

 ソニアは舌打ちすると、壁に寄るように指示してくる。アンヘルたちはそれに続いた。

 

 数は三。三色色彩豊かな『デカりん』タイプである。

 

 某龍クエストのようなスライム系統のモンスターであり、丸々とした胴体をしていた。どう考えても自然の摂理に逆らった身体で、明らかに生命活動に不都合な気がするのだが、物理法則を超越して踊るようにポコポコと跳ねていた。

 

『デカホノりん』

『デカアワりん』

『デカモノりん』

 

 士官学校では『最初の試練」と呼ばれている。

 

 管理迷宮の間引き頻度もあって、不成熟なモンスター程度チームで当ればさほど大した相手ではない、はずだった。

 

 さすがは七八小隊。まず、ユウマが何時ものように突っ込んだ。

 

「ウチ、いきっますぅー」

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいっ」

 

 大きな戦斧を持ったユウマの背中。それを見たソニアが仕方なく飛び出していく。エセキエルは心底苛立たしそうに続いた。

 

「え、え、えぇぇぇ」

 

「ぼ、ボク、どうすればいいかな…………」

 

「……さあ」

 

 アンヘル、ユーリ、エルサは後方待機である。七八小隊の得意戦術(笑)では、階層ボス相手にまずいだろうと、さすがに思った。

 

 不揃いな小隊を他所に、戦闘は激しさを増していった。一番優勢なのはユウマであった。パワーはずば抜けており足運びも抜群だ。敵の耐久力故時間は掛かるだろうが、危なげなく勝利するだろう。次点はソニアである。彼女の総合能力はユウマ以上で、その戦い運びは熟練の技すら感じさせる。しかし、魔道銃を使う性質上、時間はかかる。エセキエルは油断ならない状況だ。なにより、双剣という手数重視の剣術では、一撃の重さが重要となるモンスター相手には不利だ。一対一では高い確率で敗北する。

 

 そう判断したアンヘルは渋々、

 

「取り敢えず」

 

 と三方を睥睨した。

 

「ユーリさんはソニアさんの援護に向かって貰えますか。それから、エルサさんは魔道銃でエセキエルさんを援護してください」

 

 ちなみに、班長の頭越しに指示をだすのはこれで都合三度目である。

 

「え、で、でも……」

 

 と、ぐずるエルサを、有無を言わせぬ強い口調で説得した。

 ユーリは指揮系統にこだわらないのかさっさと駆けていった。

 

「エセキエルさんっ。今から援護します」

 

 アンヘルの掛け声と共に、エルサの魔導銃から弾丸が発射される。パスンと間の抜けた音が響くと、弾丸がデカモノりんの胴体に突きささる。しかし、それは体表で弾かれ、敵の身体を一瞬硬直させただけだった。

 

「よっ、余計なことするなっ」

 

 エセキエルが吠えるが、完全に無視した。

 苦戦しているのは一目瞭然だ。実戦でくだらない意地に拘っている場合ではない。

 

 怒鳴り声に怯えるエルサを無理やり装弾させ、さらに銃弾を浴びせる。

 

「早く攻撃を」

 

 ヘイトが此方に向きかけている。鋭い声で注意を促した。

 

「うるさいっ。伍科風情が指示するな」

 

 エセキエルが怒鳴りながら剣を振りおろす。そのまま身体を旋回させて横に薙いだ。双剣の強みである手数が存分に生かされ、敵の脾肉を削いでゆく。

 

 挟まれた敵が一瞬の行動不能に陥った。

 

 機動力を失ったモンスターを仕留めるのは至極容易で、デカモノりんは血飛沫を飛びちらせながらくぐもった悲鳴を上げつづけた。

 

「おらおらおらっ、この下等生物がっ、ゴミムシがっ。エセキエルさまに逆らうなんて、一兆年早いんだよっ」

 

 エセキエルが先ほどの苦戦を恨んで強烈な悪意を迸らせる。アンヘルはその人格の変わりように頬を引きつらせながら、切り刻まれるモンスターを眺めていた。

 

 敵はもう、死に体だ。

 エセキエルは、もう虫の息、と油断していたが、アンヘルはモンスターの目が一瞬輝いたのを見逃さなかった。

 

 モンスターが最後の力を振りしぼって頭部を振りまわす。頭頂部に生える巨樹がエセキエルを数歩、吹きとばした。

 

「お、おい、うわぁぁぁっ」

 

 よろよろと後退しながらエセキエルが尻餅をつく。その姿を尻目に、デカモノりんは巨体を揺らした。

 

 死際の力で敵の巨体が宙を舞う。その肉体を持って押しつぶさんと、エセキエルに迫っていたとき、アンヘルは駆けだしていた。

 

 全身の力を右足に集中させる。右足を振りかぶると収縮させた大腿四頭筋へ、振りきると同時に爪先へ力を収束させた。

 

 体重の乗った一撃が敵の横っ腹を撃ちぬく。鈍い音とともに、壁まで吹きとばした。

 

 デカホノりんは壁に染みを作りながら、ずるずると地面に墜落する。瞳は、もはや光を映してはいなかった。

 

「あ、ああ、ぇええ? は、はぁ?」

 

 その鮮烈な一撃に唖然としている男を放置して、あとはどうなっている、と視線を振った。視界の端で巨大な戦槌がトドメの一撃を放っているのが見えた。

 

 爆死、南無三。

 

 十階層もクリアかと思っていると、もう一方で悲劇が起きていた。

 

 苦悶の声。

 

 ユーリが足から血を流している。魔導銃の弾痕だった。

 

 一瞬、目が点になったが、状況を整理すると、焦ったユーリが射線状に飛び出したらしかった。

 

 自滅した奴を押しつぶさんとデカホノりんが迫る。それを妨害したのは、大斧を持って突撃した少女だった。

 

 振りかぶった戦斧を水平にフルスイング。大きく血肉を削いだその身体を、二つの砲口から吐き出された銃弾が穿った。ズドドドと速射砲の連射のように穴が空くと、モンスターが生きたえる。

 

 おわった。

 階層ボスを倒して感動のフィナーレのはずだが、最悪の雰囲気だった。

 

「仲間同士でなにやっとるんよっ」

 

 ユウマは鬼気迫る表情だった。

 

「同士討ちなんて、サイテーやでッ!」

 

「こいつが飛び出してきたのよっ」

 

 ソニアが言い返した。

 

「言い訳ばっかやんっ!」

 

「もうやめてくださいっ」

 

「だ、大丈夫だよ、エルサさん。それに、ボクが間違えて飛び出しただけだから……」

 

 仲間割れ、同士討ち。小隊は空中分解寸前である。やばいなぁ、と思いながら、今後どうなるか祈った。

 

 今回の探索結果。第十階層まで攻略。負傷一。

 

 前途多難な迷宮探索第一回はここで幕を下ろした。

 

 

 

 §

 

 

 

「なに考えてるんだっ、お前らッ」

 

 それは、まさに咆哮そのものだった。重く、轟雷が鳴りひびく。アンヘルはビクッと身体を震わせた。

 

 オスカルの表情は悪鬼羅刹そのものである。そこから吐きだされる声量は並大抵ではなかった。教官が心底から怒気を露わにしていると知った七八小隊の面々は、皆俯いて意気を挫かせていた。

 

「迷宮内で同士討ちなんて、冗談でもたちが悪すぎるぞ。これはもう、リタイアにする可能性も……」

 

 声を潜めていった。むしろ聞き取りにくいくらいだったが、有無を言わさぬ迫力があった。言葉の意味を悟った面々は顔を青ざめさせた。

 

「悪いのは飛び出してきた側です。私にいっさい過失はありません」

 

 最初に抗弁したのはソニアだった。彼女の意見にも理はある。基本、射線上に飛びだす際には、声を掛けるのがルールだ。

 

 彼女は、俯かせていた顔をあげて、必死の形相で他の班員を論った。

 

 しかし、それは他の班員の怒りを増大させるだけだった。

 

「お前こそっ。ずっと仕切りやがってっ。そもそもお前がいなけりゃ問題はなかったんだっ」

 

 エセキエルは怒りが納まらないのか、さらに他の人間を論う。

 

「いや、それ以前にお前らが勝手に突っ込んでいくから作戦が無茶苦茶に――」

 

「ウチだって、ちゃんとやっとるもんっ」

 

「あ、あの皆さん、もう辞めませんか……ボクの不注意のせいですし」

 

 というユーリの諭しは無視して、ソニアがボソッとエセキエルに向かって、

 

「何もしていないくせに」

 

 といった。

 

「テメェっ」

 

 オロオロとするエルサを他所に、ソニア対エセキエルの対立が勃発した。両者は肩を怒らせて、ガンを飛ばし合っていた。

 

「いい加減にしろッ!!」

 

 再び鳴り響いた轟雷が皆の肩を小さく震わせる。静まりかえった班員を見て、オスカル教官はさらに朱を顔にそそいだ。

 

「責任を押しつけあうなんてどうかしてるぞッ」

 

「私は、別に……」

 

「俺も、そんなつもりは……」

 

「金輪際、内紛行為が発覚すれば、活動停止を視野に入れると宣告しておく」

 

 続けて、

 

「それからお前たちもだ」

 

 と、ユーリとユウマを睨む。

 

「チームワークは、仲間を思いやることから始まる。この二人にはスタンドプレーの傾向が見受けられるが、それをサポートするのがチームの役目だ。味方が動いてくれないからといって、お前たちまで適当の動いてはチームは崩壊する」

 

 二人はしょげかえる。探索に関してだけなら、ユウマの非は大きい。彼女の突撃思考を御せなかったのが、事件の間接的な要因でもあった。

 

 反論がなくなったことを確認したオスカルは、その瞳に班長のエルサを捉えていた。彼は何度も悩みながら、最終的に息を吐きだした。

 

 オスカルはアンヘル、ユーリ、エルサに残るよう指示すると、小隊を解散させた。

 

 班員たちがバラバラにはけていく。

 その別れていく様が、チームとして完成されていないようにみえた。

 

 残されたアンヘルたちはひんやりとした部屋で立ちつくす。全員が出ていったのを確認したオスカルは腕を組んで、隊長であるエルサにむいた。

 

「今回の件、ソニアやエセキエルをこっ酷く叱ったが、本当の問題はちがう」

 

 彼に似合わない強い口調だった。

 

「迷宮探索で上手くチームを回せないのは、班長の責任であることが圧倒的多数を占める。そして、この七八小隊が回らない理由も、班長である君にある」

 

「――ッ! わたし、ですか……」

 

「そうだ」

 

 オスカルは断言した。

 

「むろん、君の事情は知っている。将来、軍魔道工学研究所に勤めるため、軍に志願したそうだな」

 

「……」

 

 エルサは黙り込んだ。オスカルは、

 

「だからといって実技が苦手では困る」

 

 と、咎めるように言った。同時にアンヘルは、あまりに弱い彼女の上科配属理由、それについてある程度理解しはじめていた。

 

 士官学校上級士官養成課程試験では、数学(算術、幾何学、代数学、関数学の四分野)、明経学(ミスラス教典の解釈)、論策などの他に選択の史学、基礎軍略、地学など多岐に渡るが、幅広く人材を募集するために、代理科目というものを実施している。彼女は、実技の代わりに魔導具工学を受験した人物であった。

 

「向いているようには見えない。将来、実戦に出る可能性が低いのもわかっている」

 

「なら、別に私じゃなくても――」

 

「だが、やらなければ、今ここで仲間を失うかもしれない」

 

 今回、負傷した場所が第十階層ということもあって、比較的治療までに時間がかからなかったが、これがもし、踏破寸前の最高層あたりで起きれば、本当に死ぬ可能性はある。

 

 大戦で仲間を失った、オスカルらしい、気迫のある言葉だった。

 

「で、でも……わたし…………」

 

 エルサは目尻に涙を溜め込んでいた。俯いて、やるせなさに唇を噛み締める。小さな身体を震わせていた。

 

 オスカル教官は、彼女の肩をポンと叩きながら、

 

「だからこそ、仲間がいるんだろ?」

 

 といった。ユーリは笑顔で、

 

「は、はい! エルサさん、絶対、ボクたちが支えるから」

 

 と励ました。アンヘルはそれを受けて、微笑みをなんとか浮かべる。上手く笑えているか不安になったが、表情筋はなんとか動いていた。

 

「わだしなんかが、できますか」

 

 鼻声になりながら、目尻に雫を浮かべている。

 

「大丈夫っ。だから、頑張ろうっ」

 

「……う、うぅぅっ」

 

 それを皮切りに、エルサは大粒の涙を溢しはじめた。大丈夫、大丈夫だからというユーリの励ましをただ立って眺めていた。

 

「君にも頼むよ。エルサには、協力者が必要なんだ」

 

 教官はアンヘルの肩に手を置き、念を押すようにして言った。室内には、泣き崩れる女の声が響いていた。

 

 此れからの展開は簡単に予想できた。ユーリが、

 

「いまからどうすれば良いか考えようよ」

 

 と言うと、エルサが涙ながらに感謝を述べるのだろう。

 

 ふと、過去の思い出。セグーラの街で知り合った友人、ゴルカの話を思い出した。

 

 ――なあ、アンヘルよ。お前は、合コンってもんに参加したことあるか? へえ、ないって? よし、いっちょ俺がそのテクニックってやつを披露してやんよ。いいか、合コンってモンは、例えるなら海よ。俺たちが、波を起こして、砂浜まで海面を引き寄せんのよ。けどな、偶に空気の読めねえやろうがいやがる。言うなら、凪だな。凪。そうなりゃ、しめえよ。もう、その回は失敗で、お持ち帰りもできやしねえ。そんときはな、冷えた座卓を見て、「ここは昔、海だったんだぁ」と懐古すりゃ、楽しかったことだけが、浮かんでくるんだぜ。ああ? よくわかんねえってか。はは、まだまだ、おこちゃまだな。アンヘルはよ…………。

 

 それが楽しむ為のテクニックとして適しているかは、未だわからない。ただ、それを思い出したアンヘルは、何も語らずじっと立ちつくしていた。

 

 

 

 §

 

 

 

 ふう、と息をすうと新鮮な空気が身体に入って全身を駆けめる。呼吸とは、空気中の酸素を血中へ取り込む身体機能に過ぎないことを知りながらも、そこになんらかの意味を見出すかのように、吸い込んだそれに淀んだ汚泥を混ぜて吐きだした。

 

 すでに、ユーリたちとはわかれた後である。

 

 今は、風を浴びたいと、寮への道からそれて校舎をすすんでいるところであった。

 

 明後日からは、再びダンジョンアタックが開始されるだろう。此度のお叱りをうけ、エルサは七八小隊の手綱を握ろうとする筈だ。そして、それが容易くはないということも。先を考えれば、ため息が出るのも仕方ないものだった。

 

 考えれば考えるほど、己が何をしているのだろう、と思考の迷宮を彷徨うはめになる。不条理に抗う力を欲して、士官学校へ入学した。もう一年になる。無論、これまでの経緯を否定するなどとは欠片も考えていない。ど田舎の開拓村出身という、身分があやふやな存在から、上への道を切り開いた。そこで学んだことは、雨露をしのぐ程度なら役にたつ。だが、先に進んでいるとはこれっぽっちも思えない。日々押し寄せる物事が、近視眼的にさせているような気にさせる。

 

 ああ、と黄昏の空を仰いだ。

 

 広く、そして明るい空が広がっていた。

 

 その下では、候補生たちが基礎鍛錬に明け暮れていた。一級下か、と彼らの幼い顔つきで判断する。そういえばグリックス兄弟の弟が上科に入学したらしいという噂をベップから聞いたのを思いだした。

 

 物思いに耽っていたからだろうか、廊下の先から聞こえてくる紛擾を聞き逃した。

 

 角を曲がった廊下の先。暗く影の差した木造のそこに騒ぎの元はあった。

 

 そこは、見るからに高貴そうな服装をした少年と取り巻きが、ひとりの少女を地べたに座らせて叱責していた。

 

 ここは校舎の中継点でもあり、人通りが多い。廊下を通る候補生たちがこれから起きる惨劇に目を逸らしながら足早に去っていく。

 

 しかし、アンヘルはその衝撃的な状況と暮れる心情もあってか立ち尽くしてしまった。

 

 中心人物である貴族の少年、ユースタス・リンゼイ・アル・リエガー。柔らかなブロンドと、薄い茶色の瞳が美しい、女性的な、帝国風美男子である。一目で育ちが違うと理解できる、豪華な改造制服が似合う貴公子然とした風貌だった。

 

 ――アンヘル、リエガー家の野郎には絶対に目をつけられるんじゃないぞっ。

 

 入寮して一週間。物知りのベップが口酸っぱくして語った言葉である。

 

 それが決して誇張ではないことを、アンヘルはすでに理解していた。

 

 ユースタスは、通り過ぎていく群集の侮蔑すら楽しむかのように、その場にしゃがみ込みながら、ペタンと尻もちをついた少女に目線を合わせた。

 

「ねえ、ダリア。どうして、こんな目に遭っていると思う?」

 

 優し気に、目下の者を慰めるかのように涼やかな落ち着いた口調で尋ねた。

 

 問われた少女。ダリアと呼ばれた候補生の顔は、茶髪に切れ長の目と、涙と恐怖に塗れていながら、ともすれば愛おしさすら覚えるほど男の加虐心を煽る美しさがあった。

 

 上半身には何も身につけていない。アンヘルからはその華奢で薄く、頼りなげな背中が克明に見えた。肩甲骨が硬く浮き出ている。腰もとの申し訳なさげに巻かれている制服が、彼女の大切な部分を隠す役割を果たしているが、そこにはチラリズムなどというエロスはまるでなく、ただひたすら濃い陰鬱さが浮かんでいた。

 

「わ、ばか゛りませ゛んっ」

 

 ダリアは縋るように主人を上目遣いで見た。

 

 言葉の反面、理解しているように感じた。少なくとも、アンヘルは理解できた。

 

 ベップの言葉を借りるなら、あの男は、性格破綻者、だ。

 

 五大貴族リエガー家の次男、ユースタスは名誉ある家に生まれ育った人間が有するべき誇りも情もまるで持ち合わせていなかった。

 

 ――いるんだよなぁ、そういうクソ野郎が。俺も一応貴族だからよ。そういう情報は入ってくんのさ。零細つっても、やっぱ世俗とは切っては切れないからよ。普通だったら、そういうやつは家紋の恥とかで幽閉したりするんだけどさ。けど、たまに逃れる奴がいるんだよなぁ。

 

 ユースタスは急に立ち上がると、彼女の頭を踏み、いきなり地面にたたきつけた。ダリアは地面に顔をモロにぶつけると、涙目で顔をあげた。

 

「どうして?」

 

 己の容姿に頼るしかない彼女は、主の戯れだろうと盲目に信じて、媚びた目つきで手を伸ばした。

 

「うん。それはね。おまえに飽きちゃったからさ。最初のほうは、市井の女を抱くのも悪くないと思っていたんだけど、もう一年にもなる。よくもまあ、この僕が我慢したものだとおもうよ。それにお前。最近、がばがばだろう? ダメなんだよね。女ってのは、キリキリ締まってなきゃ。やっぱり、処女が一番だよ」

 

 ダリアは呆然と口を開けていると、ユースタスはぱちりと指を鳴らす。取り巻きの男たちは、少女へとにじり寄った。

 

 これはショーだ。主演女優は彼女。めくるめく乱交ぱーちぃーが始まるのだ。

 

 見ていられなかった。このおぞましい催しの主として、一人満足げに腕を組むユースタスがこれ以上ないまでに陰鬱に見えた。

 

 何が恐ろしいか。これがはじめての催しではないからだ。直接は目にしていないが、過去にも数度あったことなのだ。ダリアは彼が持つ情婦(候補生)の中でも飛びぬけて容姿に優れていた。だが、人に飽きは必ず来る。見せびらかして愉悦に浸る趣味嗜好を持つ彼が、このような愚行を敢行する可能性は常にあった。

 

 男たちは、無神経かつ侮蔑の言葉を並びたてながら、ダリアの腕を取って地面に縛りつけた。

 

 汚らしい陰茎が、下履きからポロンと零れおち、まるで触手のようにダリアに襲い掛かりはじめた。

 

 まもなく、白昼堂々の凌辱が開幕の狼煙をあげた。アンヘルはその強烈な光景に、全身を硬直させた。

 

 ぐおお、とか、うおお、とか雄々しい叫びをあげながら、男たちが半裸を振りまわして少女を踏みにじる。ダリアは、その惨めさに涙を堪えることができなかった。ぽろぽろと涙が盛りあがってくる。それを見た男たちが一斉に欲をたかぶらせた。

 

 剣に、手がかかった。がちがちと震える指が、柄をがっしりと掴んでいた。

 

 貴族殺し。大罪だ。幽閉され、首を落とされることは確実である。

 

 常ならば止まっていた。一人女が嬲られるだけだと。

 だが、これは見過ごせない。この光景を見逃すには、辛過ぎた。

 

 剣を握る拳が、燃え滾る。

 熱くなった掌が、血が噴出するかのように鬱血し、筋が浮いていた。

 

 あと一歩だった。

 

 それを止めたのは、対面から登場した一団の叫びだった。

 

「やめろッ!」

 

 俯いて、激情を爆発させていたアンヘルは視線を正面へと戻す。

 

 そこで、貴族の少年を中心とした一団が肩を怒らせて、ユースタスらに詰め寄っていた。

 

 男にしては華奢なからだつきに、女を思わせん整った鼻梁。腰に携えられた剣が一際目立っている。躑躅色の髪を靡かせ、背後に供を連れたったその姿は一角の人物であることに疑いを抱かせなかった。供たちにはアンヘルの見知った顔が多い。いつか紹介された新進気鋭の実力者たちだ。一般的に貴族は実家や知り合いの若手騎士を伴うものだがら、かなり特異な人物である。その中に、赤毛の男が目に入る。剣士らしく鋭い眼光が光っていた。

 

 正面に立つ男、それはロゴスの村防衛戦で知り合った貴族エルンスト・オーゲル・シュタールだった。

 

「キサマ、貴族として恥ずかしくはないのかッ」

 

 エルンストはカッと吠えた。

 共のひとりが取り巻きどもを追い払い、ダリアを庇うようにして服を掛けてやる。

 

 ユースタスは鬱陶しそうに眉を顰めた。苛立たしそうにとんとんと指で足を打っている。彼らの仲が悪いのは誰もが知っている常識だった。

 

 逡巡すると、ユースタスは、

 

「おいっ、いくぞ」

 

 と、踵を返した。

 

 いくら家格に差があろうとも、他所の貴族と正面切って戦うのは憚られる。しかも、シュタール家は法政を司ることで有名だ。瑕疵のある状態で向かっていくほど無鉄砲ではなかった。

 

「あ、おいっ」

 

 手を伸ばしたエルンストの声が、どこか間遠に聞こえた。

 

 ダリアと呼ばれた少女は、助けられたにもかかわらず、すっと脇を抜けるようにしてユースタスと同じ方向に抜けていった。逃げられないのだ。逃げることは許されない。強大な何かが、ユースタスを制止しない限り、彼女の地獄は終わらない。

 

 恐らく、彼女に生きて会うことはもうないだろう。目を覆うような光景が、夜を越しても彼女を嬲って嬲って嬲りつづける。迎える先は、死のみだ。

 

 置いてけぼりにあって、ポカンとする彼らをアンヘルは強烈に罵った。なぜだ、なぜ、そんな単純な理屈すら分からない。中途半端な助けが一番の害悪なのだ。これから彼女は、ユースタスたちの苛立ちを、暗い場所で受けることになる。

 

 助けるなら根本から、そうでなければ、見捨てるか。

 

 何もしなければ、彼女は穢されるが、命は助かるだろう。退学か、精神を病むか。それでも命は救われる。それが許せないならば、相手を根絶やしにするしかない。

 

 ふつふつと煮えたつような苛立ちを堪えていると、声を掛けられた。

 

「よかった。君が飛びかかりそうに見えたから」

 

 いいながら、どんどん顔色が変わっていった。

 

「――!? 君は、もしかして、アンヘルじゃないのかッ」

 

 エルンストは、驚愕したとばかりに目を見開いていた。

 

「生きていたんだな。よかった、よかったよ」

 

「……」

 

「村の防衛戦以来、連絡が無かったからもう死んだとばかり」

 

 瞳が潤んでいる。

 アンヘルは怒りをけすように、唾を飲みこんだ。

 

「どうして、連絡してくれなかったんだ?」

 

「……シュタールさまはご多忙でいらっしゃいましたので……」

 

「おいおい、やめてくれよ。俺たち皆戦友だろ?」

 

 エルンストは背後の友たちをみた。背後にいた供たちも戦友だと思っているのか、優しげな眼差しを向けてきた。爛々とした若い徒人特有の光である。眩しすぎて、目をそらしそうになった。

 

「ああ、そういえば紹介していなかったな」

 

 エルンストは、手で差ししめすようにしながら、赤毛の男を前に連れだした。

 

「上科のホアン・ロペスだ。あとは、皆知っているよな?」

 

 ホアンは気まずげに頭をさげた。当然アンヘル側も知っているし、また向こうも知っている。

 

 親しげに接する仲ではない。不自然に思われない程度に挨拶を返すにとどめた。ピリピリした空気感だったが、エルンストたちにはそれが初対面ゆえの居心地の悪さだと思ったのだろう。両者の確執について問いかけることはなかった。

 

 彼は、アンヘルの怒りに打ちふるえているさまを義憤だと勘違いしたのか、優しげな瞳をむけた。

 

「それにしても、君は変わらないんだな。だが、今度は俺を呼ぶんだぞ。あいつは、一般科の生徒が相手にするのは大きすぎる。いや、俺にとってもだな。悔しい、悔しいよ。本当、あんな奴ばっかりさ。権威を笠に着て。あの女の子。大丈夫かな。もう、ユースタスの手から離れられればいいんだが……」

 

 心配そうにつぶやいたエルンストに、取り巻きのひとりが悲鳴を上げるかのようにして賛同した。

 

「本当に許しておけませんッ、あの野郎っ」

 

「おいっ、やめるんだっ――」

 

「でも、何人目ですかっ!」

 

「分かっている」

 

 エルンストはかれらの怒りを纏めあげるようにして、神妙に頷いた。

 

「必ず、あいつに勝ってみせる。それまで、付いてきてくれるな」

 

 信仰のような熱い熱が迸った。取り巻きたちの間で熱いやり取りが交わされていた。それをジッと見ていた。

 

 熱が冷めると、エルンストは置いてけぼりになっているアンヘルに向き直った。

 

「すまないな。熱くなってしまって」

 

「いえ」

 

 小さく答えた。エルンストは優し気にいった。

 

「それで、君は何科なんだ?」

 

「……伍科であります」

 

 と低い声で小さくいった。エルンストは寂しげに、

 

「だから、そんな他人行儀をやめてくれっていっただろう。俺たちは、同じ理想を持った勇士なんだ。そこに身分を持ちこまないでくれよ」

 

 と諭した。一年も経つが、彼らの思想にはまったくの変わりがない。供たちとも分け隔てない関係を築いていたし、時折見かけたホアンとの会話にも壁は感じられなかった。

 

「教官から指導されている方針ですので」

 

 嘘である。定められた上下関係が指揮系統を安定させる、と指導する教官がいないこともないが、少数派である。勿論オスカル教官は気にしない。

 

 アンヘルも指揮系統云々を気にしているわけではない。

 これは、上の者に対して媚び諂っているに過ぎない。ユーリやエルサに対する敬語は、そこから出ていた。

 

 ただ、今だけは違った。壁だった。それを馬鹿正直に告げるほど青くもなかったアンヘルは、申し訳なさそうに告げたのみだった。

 

「まだ、そんな身分主義が蔓延しているとは……」

「そのとおりだ。オスカル殿が主席教官となられてからは、なくなったと思っていたが」

「これだから権威を傘に着た奴らは」

 

 アンヘルの台詞は逆効果だった。口々に供の者たちが不満を漏らす。

 ホアンは口を閉ざしていたが、賛成派なのだろう。同意するように頷いていた。

 

 エルンストは労わるようにして、

 

「そんなことには賛同しなくていいんだぞ。俺たちは同じ釜の飯を食う軍人なんだ。それなのに、差別を助長する言葉にしたがってどうする?」

 

 と、主張するため声を大きくして、さらに握りこぶしを大きく掲げた。

 

「俺たちは、皆平等なんだ。五大貴族が、元老院派が、なんだ。あんなのがのさばるだなんて。くそくらえだっ!」

 

 皆が「そうだそうだ」と、気勢をあげた。盛り上がる集団の中で、アンヘルはただ一人、置いてけぼりになっていた。

 

 彼らのアイデンティティを知らぬ内に刺激してしまった。彼らは軍内のマイノリティ派閥、身分主義撤廃を唱えていた。とはいえ、反身分制と謳ってはいるが、別に政治団体というわけでもなく、正確には純粋実力主義というぐらいで、いわば、彼らのカラーだ。士官学校内における、政務官系貴族に多い、左派的立ち位置派閥の彼らは、専横の過ぎる元老院派貴族に対して反意を抱いていた。

 

「な、アンヘルもそう思うだろ?」

 

 エルンストが訪ねてくる。

 

 その思想については理解できた。特待生科の候補生の横暴に直面したことは一度や二度ではない。苦々しく思っている人が少なくないことも知っている。

 

 だが、アンヘルは言葉を濁すだけにした。

 

「私はまだ、候補生なので」

 

「なにをいってるんだ」

 

 エルンストははじめて咎めるような声をだした。

 

「差別なんてダサいことをやっていたら、いつまでたっても軍は正常化しないんだぞ」

 

「…………」

 

 確かに、そのような気持ちはある。平等であって欲しい、と。ただ、それが不可能なのもわかっていた。甘ったれた思考は捨てた。なによりこの男を信じたくない自分がいた。そう思っていると、ふつふつといいようのない怒りが込み上げているのを感じた。ボワッと、まるでガソリンが注ぎ込まれたかのように、炎が燻り始めた。

 

 何も、何もないのか。

 

 気高い意志を持ちながら、今の光景を目にしても。

 

 彼女が辿る運命にも。

 

 そして、過去の惨劇にも。

 

 言いようのない怒気が吐息となって漏れそうになる。なぜ、こんなに燃え盛っているのか、自身にもさっぱりわからなかったが、目の前の男が言葉を紡ぐたびに、封じたなにかが溢れそうになっていた。

 

「また一緒になって戦おう! 知っているだろ? 次の遠征演習では特待生科が主体となって動くことになる。君にも、協力してほしい」

 

 それは、甘美な理想に乗せられた過去の自分に対する怒りだった。上手くいかぬと知りながら、死なせたイゴルたちの幻影が、忘れたい過去が蘇るのだ。お前がころしたのだと、なにかが囁く。

 

 怒りが、急速に反転して負に向かう。反駁が口をついた。

 

「なぜ、彼女を助けたのですか……」

 

「うん? あんな状況だぞっ。助けるに決まっているだろうが。君も助けようとしていただろう?」

 

 強かったら、自身に力があれば、こう思えたのだろうか。眩しくて、眩しくて、目が痛かった。苦しかった。

 

 間違っていることを正したい。それはいい。

 

 だが、現実は違う。彼女は、命を失う。今日、アンヘルたちが余計なことをしてしまったせいで。イゴルも、みんなも、希望を作るから、縋らせてしまう。

 

 無知なまま出逢いたかった。そう、思う。今は、唯々凍えるのみだった。

 

「お誘いは嬉しく思います」

 

 喘ぐように、小さくいった。

 

「班長には伝えておきますので……」

 

「あ、おい――」

 

 礼を失しているとは知りながらも、短い挨拶のあと彼らの前を辞した。

 

 角を曲がると、ただひたすら走った。止まっていると、後ろから追いかけてくる亡霊たちに捕まりそうで、何かに怯えつづけた。

 

 木陰で、ふうふうと息をつく。溺れたようにして喘ぐと、さらに忘れた筈のなにかが責めたててくる。忘却という名の恩寵は、より強大で鮮烈な過去に対して無力だった。

 

 蹲って、そらを見上げる。先ほどとは違って曇天だ。風に流されて、積もりに積った雲が天頂にある。もう日が暮れるな、と思った時にふと影が差した。

 

「なにをしている? 気が散るからどこかへ行け」

 

 遠慮のない声が、うずくまるアンヘルを打ち据えた。其方をみた。そこには、美しい男が上半身を晒しながら歩いていた。テカテカと流れ落ちる汗が輝いている。自己鍛錬の跡だ。手には錘の付けられた木刀を握っていた。

 

 アンヘルは心情を探られぬよう、マインドベールを掛けながら美麗な男――クナルに返した。

 

「――君こそモロぬぎになって。露出狂かなにかかい?」

 

「不快ではあるまい。女どもも騒いでいるようだしな」

 

「へえ、異性に興味があったとは意外だよ。てっきり鉄にしか興味ないと思っていたからね」

 

「客観的事実だ。されど、興味がないのによってくるのは悲劇だな」

 

 この男は、モテないことを常々バカにしてくる。気に食わない奴だった。

 

 額に青筋が浮いた。何倍にもなって帰ってくると知りながらも、言ってしまう。ただ、自覚していないが、さきほどの暗い思考がどこかへと飛んでいた。

 

「暇みたいだね」

 

「貴様ほどではない」

 

 手ぬぐいで汗を拭いていた。余裕ぶった顔が気に食わなかった。

 

「自慢かい?」

 

「だといいがな」

 

 クナルはつまらなそうに口を歪めた。

 

「管理迷宮は詰まらぬ。貴様と共闘した火山龍のほうがよほどマシだ」

 

「君が共闘を懐かしめることに驚きだよ」

 

「ほざけ。あくまでも目糞と耳糞を比較しただけだ」

 

「僕がいなけりゃ死んでたくせに」

 

「此方の台詞だと言っておこう」

 

 クナルが下らぬことを話したと、木刀を投げ、手招きをする。組み手の合図だ。ごく稀にだが、気分が乗らぬときはこうやって打ちあいを求めてくる。

 

 ――どいつもこいつも、知り合いが少ないなぁ……。

 

 ふっと苦笑いを浮かべながら、投げてきた木刀を拾う。

 

 徒手空拳対剣術。完全にアンヘル有利だが、勝ちを拾えた回数は数えるほどだ。

 

 だが、気晴らしにはちょうどいいと、正眼に構えた。

 

「気絶させる前に、聞いておきたいことがあるんだけど」

 

「無理だな。だが、なんだ?」

 

「昔言ってたよね、幻の十八本目のこと、なにか知ってる?」

 

「貴様、そのような与太話を信じているのか?」

 

 その嘲笑に苛立ちを覚えた。身体を戦闘態勢。準備は万端。ナイフもランプも、熱い想いも眼差しも詰めこんだ。

 

 いざ、勝負! と身体を投げ出そうとしたとき、クナルの口が艶かしく蠢いた。

 

「明日は空いているのか?」

 

「――講義はあるけど?」

 

「ならばいい」

 

 完全に油断した。ふっと歪んだ笑みを見せたクナルが唐突に消えた。達人の縮地も真っ青な高速移動だ。気付いた時には、地面を転がって空を仰いでいた。

 

 それから、一刻、何度もぶつかった両者だが、疲れもあってかアンヘルに軍配があがることは一度もなかった。

 

 

 

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