イセカイ&ドラゴンズ   作:原田孝之

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第十一話:オスゼリアス観光

 

「まだ士官学校に慣れてないみたいだな」

 

 カンカンに太陽が照りつける路地にて、オスカルはそういった。

 

「慣れていない、ですか……?」

 

 クナルは我関せずといった様子で、ひとりブラブラと歩いている。

 大神祇官との面会後。三名は士官学校への帰路で、言葉を交わしていた。

 

「ああ、そうだ」

 

 深く頷きながらいったそれには、咎めるような意図はなかったが、強い憂慮が見えかくれしていた。

 

 アンヘルは、頭を掻きながら、その真意について思考した。もう、一年と数ヶ月士官学校に通っている。慣れていないとは、そうそう言えない期間であった。

 

「なぜ、でありますか」

 

「慣れると、皆、何かしらの意見は持つようになるからだ」

 

 ほとんど政治的思想を持たない芋流儀の候補生も、一年二年と候補生内で語りあうことにより多様な思想を育んでいく。上の科のエリート意識や貴族たちの横暴に反感を持つのは、至極当然の流れだといえよう。

 

「悔しくは、ないのか?」

 

「どのような意味ですか?」

 

「見下されることを、だ」

 

 ソニアやエセキエルたちは、確実にみくびっているだろう、とつづけた。

 

「……悔しくない、といえば、嘘になります」

 

「なら、どうして」

 

 尋ねられて、そこで黙する。悔しくないわけがない。確かに成績は下の下だが、下に見られて、不満を覚えない人間は、それこそ異常者か本当に能力が低いかである。プライドとは、能力に正比例するというのが、アンヘルの持論であった。

 

 しかし、アンヘルは、なんとかではあるにしても、それを呑みくだせた。これはもう、祖父であった伊之助から植えつけられた信念である。韓非子を幼少から読まされたアンヘルは、才覚を隠すということを、もはや強迫観念のように信奉していた。

 

 ただその思考は、昨今の論壇上の士官には推奨されないため、アンヘルはただ黙って、

 

「こちらこそ、聞いてもいいですか?」

 

 とごまかした。

 

「……なんだ?」

 

「なぜ特科廃止などという提言をなさったのですか?」

 

 名家でもない零細武官族系貴族のオスカルが、元軍体制を批判する提言をすることはかなりのリスクがある。教官内には、現場時代の反省も含めて上層部に反意を抱く者も多いが、当時オスカルに賛同したものは少ない。いまでこそ認められつつある思想――現在においても、五大貴族や元老院系貴族などからは羽虫のごとく嫌われている――だが、当時の批判は途轍もないものだったと、アンヘルも聞き及んでいた。

 

 真正面からの質問に対し押し黙った教官を見て、アンヘルは、はじめ、答えにくいからだと思った。が、実際には違った。それは、彼の語る言葉を通じて確信へと変わっていった。

 

 その瞳の輝きに、アンヘルは飲まれた。これが士というものか、そう震えが走った。

 

「昔話をしても、いいか?」

 

「……はい」

 

 オスカルはゆっくりとした口調で語りはじめた。

 

「今でこそ反特科なんてのを掲げてはいるが、当時の俺は酷かったよ。下の科を見下すなんて当たり前。集団演習では、無能だと判断した奴をどんどん切って、ばんばん新人を入れた。

 今とは違って、差別の風潮が強い時代だった。女性差別や能力差別は今の比じゃない。それこそ、伍科は班長の情婦同然の扱いを受けることもあったよ」

 

 十五年ほど前(帝国歴300年代)あたりは、比較的泰平の世であったと言われている。しかし、平和であるほど身分の差は絶対になるもので、五賢帝時代の世の春とすら呼ばれた時代には、軍隊が脆弱化し、国家守護のためにと志した士官が御上の玩具になることはけっして珍しくなかったほどである。

 

 ふたりの歩む速度は徐々におち、子供の散歩と同じくらいになる。クナルはすでに消えていた。

 

「だが、入学時点での成績なんて、あんまり関係ないんだよ。ある奴が、何度も俺に挑んできてな。それはもう何回も模擬戦をやったもんさ。『隊長は間違っていますー!!』ってな」

 

「それからは」

 

「そうだ。任官してからは何度も助けられた。あいつがいなきゃ、今ごろ墓の下だっただろうな」

 

 オスカルは、懐かしいものを語る寂しい瞳をしていた。

 

「その方は、今……?」

 

「ふ、察しの通りさ」

 

 緋天と呼ばれた男の勇名は、国が揺れはじめた都市連合との大戦によるものだ。オスカルが都市連合に急襲された駐屯地を奪回するために、鬼気迫る迫力で日夜少数部隊によるゲリラ戦を繰りかえしたのちに、敵軍主攻となる将軍を単独で撃破したことはあまりに有名だ。

 

 しかし、それには前日譚があった。貴族のお坊ちゃん、軍行動がつまらぬと、川で情婦たちと遊ぶために、魔物狩りに周囲の軍勢を利用したのである。オスカルはその任のため、己が信頼する副官を前線駐屯地へ置いてきたが、遠征の隙を突かれ、部下たちを失ったのであった。つまり、彼の大戦の英雄という称号は、己が片腕を失った苦い記憶なのである。

 

「申し訳ありません」

 

「いいさ、もう八年になる。嘆き続けるには、長い時間だよ」

 

 彼の顔には悲しみは残っていなかった。だが、何も感じていないようには思えなかった。燻り続けるなにかが、奥底にあるようにアンヘルは感じていた。

 

「だから、特科廃止を……」

 

「常々、軍は政治から切り離されるべきだと、そう考えていた。教官の任を受けたとき、天啓だと思ったよ」

 

 オスカルの目が、燃えている。

 

「俺には軍の体制を変えることはできない。だが、内部から意識を変えることはできる。差別を廃し、縁故主義を阻止して、貴族の専横を止める。今の主席教官の地位では力及ばぬが、いずれ学長の地位につく」

 

「……」

 

「必ず実現してみせる。仲間を失わない世界を、俺は……」

 

 最後は、アンヘルに向けてではなく、自分に、そして世界に向けて放たれていた。拳を握り、高く掲げている。

 

 理想家、若き改革者。

 熱が、ただ話しているだけにもかかわらず、伝わってくる。

 

 これぞ男だ、と思った。彼を信奉する士官候補生は多いが――代表例としてはエルンストたち――実際に彼ほど覚悟を決めている人物はいないだろう。国を憂う志士は、道半ばで息絶え、溝や堀に打ち捨てられることを常に想像し、自分の首が撥ねられる覚悟をしていなければならない。そういう人物でなければ、大事はなせない、と古来から言われている。彼には、他人の語る危険やそこらが見えない。いや、見えるのかもしれないが、彼にとっては細事にすぎないのだろう。徹頭徹尾、苦い現実から描き出された夢が、深い深い苦悩によって磨かれ、鮮烈に煌めいていた。

 

 アンヘルは強烈すぎる彼の世界に、言葉を失っていた。時代を変えうる寵児に相対してるのかもしれない。そう思いながらも、反駁が口をついた。

 

「ですが、それは軍が国の支配から離れ、独自行動の余地を与えかねないと思います」

 

 その反駁は、エルンストに従い起きた苦い記憶が吐かせたものだった。否定する材料はなに一つなかったが、理想に対して期待を抱くような過去を持ちあわせていなかった。

 

「その可能性は確かにある」

 

 オスカルは青い反論に微笑んだ。

 

「だが、今を解決しなければ、何事も先には進まないさ」

 

 それを最後に、講義は終わりと、オスカルは路の先へ消えていった。

 終ぞ、賛同して欲しいとは、いわなかった。彼の寂しげな、しかし燃えるような双眸が、彼の心情をあらわしていた。

 

 ――あの一件がなかったら、賛同していたんだろうな。

 

 アンヘルは心中で苦笑いを漏らしていた。立派だな、とは思う。けれども、行動を共にはしないだろうな、と己が性格を鑑みて、結論づけた。ただ、彼の信じる未来が、実現すればいいな、とそう願った。

 

 ふと生暖かい風を受ける。それがどうしようもなく、不穏だった。色んな情報が取り巻いている。どこか、街並みが歪んでいた。

 

 

 

 §

 

 

 

 幾千万の紙吹雪が、建物の歩廊や縁側から通りを練り歩く群衆へと降り注ぐ。建物と建物の間には、細い紐が張られ、吊られた魔導灯内蔵型の提灯が絢爛と咲き誇っていた。

 

 行進する楽隊の軽快な音色が、聴衆たちの高揚や発揚の気勢と重なり、重奏のような喧騒を生んでいる。

 

 うかがえる露頭には、大道芸人、踊り子、職人や露天商人などが、乱雑に折り重なっている。年齢も性別も人種も容姿も、多種多様な人々がまるで洪水の波濤のようになって、空前の大混雑を作り出していた。

 

「オスゼリアス夏聖祭。訪れたのは二度目だが、豪勢なものだね」

 

 炎暑の喧騒を、ドミティアス大神祇官は、名所となっている橋の欄干に身体を預けて、幼子のように眺める。

 

「すまないね。君も街へと繰り出したかったろうに」

 

 呑気に謝意を告げる大神祇官に対し、アンヘルは所在なさげに否定した。周囲では、護衛七人が不自然にならぬ程度の間隔で円陣を組んでおり、その中には欠伸を漏らすクナルの姿もあった。

 

 あの会談から数日後。

 

 相変わらず向上の余地が見えない第二回迷宮探索から帰還したそのとき、アンヘルはドミティオスたちから呼びだされていた。とはいえ、宝剣警護のためではなく、大神祇官本人を護衛するためである。クナルとふたり、お偉いさんの護衛役――というよりは観光案内役――を任されていた。

 

「よろしかったのでありますか。賓席から祭りを楽しむことも……」

 

「無粋だね。祭事は現地がもっともおもしろいのさ」

 

 護送犯みたいな観光がいいと思うかね、と尋ね返されれば、アンヘルとしては黙るしかない。そもそも、護衛たちが強固に厳重警戒下での観光を主張したにもかかわらず、鶴の一声でひっくり返されたから、現在の状況へと陥っているのだ。

 

 きりきりと胃が痛んだ。望んだ状況とはいえ、あの大神祇官の護衛など、平常心で望めるはずもない。該博な学士に似た気さくさを持つとはいえ、絶大な権力を持つ有力者との会話は、血で血を洗う激闘に匹敵する緊張感を伴わせた。無言の催促を受け、アンヘルは講師業の雑談用に仕入れた夏聖祭の観光案内を再開した。

 

「帝都の誕生祭、ミスラス総本山で行われる聖夜祭にはおよびませんが、帝国屈指の祭りであることは間違いありません。

 堅牢な要塞であり、あらゆる外敵を食い止める前線基地の役割であったオスゼリアス民が、エトリアル打倒を掲げて戦歌を歌った、そんな故事があります。この街に劇場が溢れているのは、歌信仰が強いからだ、と言われていますね」

 

 大神祇官は、響いてくる群衆の歌声に耳を澄ます。盛大に流れるその音楽は『戦乙女の依り代』。戦女神ヴァルキリーが巫女に憑依し、祖国の敵を討ち払わんとする軍歌である。

 

 ああ、とアンヘルは記憶を辿った。それは、マカレナが昔好んだ詩の一つである。一年半も過ぎたというのに、ふとした瞬間、美しい思い出が蘇り、心を蝕んでいた。

 

「『私は神の使徒となりて 祖国の敵を討ち払わん』――か。

 この一節。軍歌にしては愁嘆に過ぎるというか、曲調の軽快さに比べて悲愴さに溢れ過ぎている、と思うね」

 

 都市全体で好まれる名曲だというのに、ドミティオスは皮肉げに笑っていた。

 

「ポップな曲調ゆえ戦意高揚の軍歌とされますが、歴史的には悲劇の歌だそうです」

 

 エトリアルの侵攻から国を救った依代の巫女ヴェスパーは、ミスラス教を信仰するただの信徒であったが、突如して神託を受けた彼女は、私事を捨て祖国に殉じた。戦乙女の使徒と化した彼女が、幼馴染への悲哀を唄ったものだと、歴史書には書かれている。

 この知識はマカレナの受け売りである。彼女は、数ある詩や歌劇の中でも、これをとくに好んでいた。アンヘルもいまでこそ理解できるが、彼女がこの詩を好んでいたのは、自身の政略結婚という境遇を重ねあわせていたからであった。

 

「芸術にも造詣が深いんだね」

 

 軍人は実利主義となりやすく、貴族含めて芸術に興味を持たないことが多い。アンヘルやルトリシア――彼女の場合は、家の見栄のための芸術家支援という面が比較的強い――のような絵画趣味を持つ人間は少数派だ。

 

「私は、例外的な人間だと思います」

 

「そうだろうね。私と似たところを感じないでもないな」

 

 その自嘲に、アンヘルは人工的な愛想笑いを浮かべるに留めた。こういう、キツイ話題を振られるのが、上位者との会話で難しい点だろう。無関係を決め込んでいるクナルの横顔が、さらに表情を固着化させた。

 

「楽しんでいるかい」

 

「いえ、お構いなく。私は銅像だと思っていただければ」

 

「だが、そもそも君もはじめてだろう?」

 

 一回生は基本的に泊りがけで集団行動を叩きこまれる。休校になるのは、二回生以上だけであり、アンヘルは去年の夏聖祭に参加していない。

 

「元々、人混みは苦手なたちでありまして」

 

「それは損だね」

 

 ドミティオスはその瞳を空へ向けた。

 

「立場が変われば、楽しめなくなる」

 

「猊下も、でありますか?」

 

「ふふ。誰しも、若い頃の自由を懐古するものさ」

 

 力には、責任が付き纏う。皆大成を求め、日々努力を重ねるが、さりとて、其れを得たとき、必ずしも過去を回顧しないとは限らない。そのあり方は社会人に似ている。学生の時は、金がないことを嘆くが、実際に社会人となると、どれほど学生時代の自由が素晴らしいものか気付くのだ。

 

 会話を重ねる中で、まったくもって貴族らしさが窺えない態度に、アンヘルは調子を崩していた。ルトリシアもミチェル会長も、立場に合った態度であったが、大神祇官にはそれがまるでない。一応敬っているが、穏やかなその話し方に対して、空回りしているのでは、という猜疑心が湧くのを抑えきることはできなかった。

 

 気疲れからか、アンヘルは隠れながら息をついた。

 

 道ゆく女性たちが、クナルの並外れた容姿に対して惚けた表情をしている。囮としては十分な役割を果たしているのだろうか、と護衛たちは怪訝な顔をしていた。

 

「どうして、士官学校側へ協力を求めたのでありますか?」

 

 アンヘルは相手の空気に当てられて、率直に尋ねた。

 

 皇帝派にとって、この地は難しい場所だが、さりとて、未熟な候補生たちを頼りにしなければならないほど大神祇官の力は弱くない。ミスラス教の僧兵は自由にできるうえ、総督との仲を考えれば、融通はきいて然るべきだ。

 

「本当に、必要なのですか?」

 

「さあ、きまぐれと言ったら怒るかな?」

 

 欄干に背をつけて、肘を乗せた格好でドミティオスはいった。

 

「ま、確かに君たちを呼ぶ必要などなかった」

 

 アンヘルはその言葉に驚かず、ジッと続く言葉をまった。

 

「私も皇帝派で力を振るう側の人間だからね。やりようはあったさ。白状するとね、この士官学校を見たかったのさ。非常事態に託けての見学だよ。私も、単なる遊び好きの中年、ではいられないからねぇ」

 

 元老院属州という名がつくだけあって、オスゼリアス士官学校卒業生は基本的に元老院派閥の意を受けた任地ばかりである。毎年行われる四、五回生による小隊交流会を除けば、皇帝派側が生の情報を手に入れる機会はなかなかない。そのような観点からの、士官候補生への協力依頼であった。

 

「君こそ、疑問には思わないのかい?」

 

「疑問、でありますか?」

 

「なぜ自分が呼ばれたのか、気にならないのかね?」

 

 遊びに興じる子供のような無邪気な瞳であった。そこには裏もなにも窺えない。

 

 ここから本題だと感じたアンヘルは、いったん喉を濡らして、緊張を飲みこんだ。

 

「何も語らない。たった一瞬の間ではありますが、及ばずながら考えた次第であります」

 

「へえ、どうしてだい」

 

「彼らを上回る意見など持ちえません。また、あの場で目立てば、強烈な妬みをかったでしょう」

 

 なんといっても、伍科なのだから。それは、心中に留めた。

 

 このような処世術は、もはや必須技術だ。意見を述べるときも、実力を試す時も、いかなる時であっても目立ってはならない。戦の天才であった韓信は、いかなる時も己が主君への恩義を思って裏切ることはなかったが、しかし、主君劉邦は猜疑心を抑えられず、彼を誅殺した。古来より、もっとも恐れるべきは、人間関係に付きまとう妬心なのである。

 

 同級からならともかく、上の級から恨みを買うことはアンヘルにとっても避けたい事柄だった。なにせ、横のつながりもその能力も、二回生とは一線を画している。学内派閥で下位のアンヘルに目立った行動は御法度なのである。

 

「けど、それだけじゃない。君が配慮したのは、それ以上にオスカル君へ対してだ。違うかい?」

 

 と、ドミティオスは見透かすように言った。

 

「君は恐らく、元々オスカル君に対し、賛同はしていないんだろう。いや、違うな。否定はしないが、この私の前で反貴族的主張をするべきではない、と考えている。違うかい?」

 

「……その通りであります」

 

 渋々、頷いた。詰られる可能性もあったが、ひしひしと感じる現実主義者かつ享楽的な態度を鑑み、アンヘルは本音を告げるに至った。

 

 あの場で分からないと言ったのは、計算の上であった。穏便に場を切り抜け、そして爪痕を残す。一種の賭けだが、こうしてそれに成功し、大神祇官という宗政の頂点に限りなく近い男と一対一への面会を実現していた。

 

 正解だよ、とドミティオスは拍手をした。しかし満点回答を叩き出した生徒を見るにしては寂しげに、僧侶は川を見た。

 

「君は、利口だな。正しいが、君の過去を思えば悲劇的ですらある」

 

 突き刺さるような言葉に、アンエルは黙った。

 

 欄干に頬杖をつきながら川を眺めるドミティオスは、その痛みに気づかなかった。両者を、すうっと、群衆の熱気とは異なる一陣の風が吹いた。

 

 その時、突き抜ける碧空に、花火が打ち上がった。

 

 轟音と共に、炎が空へと舞い上がり、下降し、さらに上昇する。そして、空中で強烈に炸裂し、雄大な花を天へ咲かせた。

 

「いつも摩訶不思議な気分にさせられるよ。あれも魔導具の産物なんだろう? いや、吊るされた魔導灯にもさ。ありふれた品なんだろうが、私にはさっぱり検討つかない」

 

 大神祇官は、御伽噺の産物でも見るように眺めていた。それに対する回答を魔道具講義の教本の一文から引っ張りだした。

 

「花火、に関しては存じ上げないのですが、魔導灯は至極単純な構造です。魔力貯蔵機関に蓄えられた魔力が、微粒子となってフィラメントを通過、その抵抗による摩擦熱によって灯しています。これはストーブと同じ、原理です」

 

「いやはや、今時の候補生は物知りだね」

 

「必修課程ですので……」

 

 因みに、アンヘルの魔導具工学は学年最低点近辺である。エルサやユーリなどと比べれば雲泥の差だ。

 

「この世は、まさに魔法時代だな。私には、君の言う原理は分からない。だけならいいが、それを操る術すら持たない。愉快な話だよ」

 

 ドミティオス大神祇官。彼が有名となった理由は、その権力ではなく能力にある。

 

 魔盲と呼ばれる、ごく少数の生まれながらにして魔力拒絶症にかかった人間たち。青き血に連なる魔法を使えず、武芸者の技である強化術も使えない。生命の源であり、第二の血液、人なら誰しもが無意識ながら生命維持に使っている神秘の力を、神から授けられずに生を受けた者たち。

 

 病に弱く、身体は儚く、傷で容易く死に至る。そんな存在が、魔法至上主義の貴族社会で生き抜いているというのは、驚愕そのものの事実である。だからこそ、「市民の代弁者」と呼ばれ、平民出身の軍人にも信奉されていた。

 

「私には、魔法が奇跡にしか思えない。御伽話のように杖の一振りで国を救って欲しいものさ」

 

 そう語る声には苦悩の色がなかった。もう、魔法が使えないことには、割りきっているようだった。彼の魔法に対する口ぶりは、夢を語る幼子のような憧れすら垣間見えた。

 

「貴族の大魔法。超常の龍理使いたち。私から見れば、候補生も超人そのものだ」

 

 視線の先では、大道芸人が手品を使って人間消失マジックを行っていた。箱に入った男が移動する、ありふれた手品である。たわいない芸に対して観衆が歓声をあげる。

 

「ですが、魔法は万能たり得ません。たとえば、工業分野で必須の鉄を錬成しようとすれば貴族が必須でありますし、しかもその生成量は極小に過ぎます。魔法が万能性を有さないことは明白です。むろん、魔法や魔道具による人類の発展の功績を否定するつもりはありませんが、現状を鑑みれば、所詮人殺しの兵器にしか過ぎない、そう思います」

 

 アンヘルはそこまで言いきってから、深い後悔の念に囚われた。大神祇官の気さくな物腰は、人に建前以上の物事を語らせる能力がある。こういうのを、徳、というのだろう。つい、魔法・強化術信奉精神旺盛な軍内を批判してしまった。

 

「君の話は夢がほとほと欠けているな。普通、若い候補生は夢を語るものだと思うが?」

 

 口調に反して呆れはまったくない。その思考を覗きたいのか、爛々と瞳を輝かせていた。「私、気になりますっ」とはこのことだ。

 

 苦い顔の若者を見た壮年の僧侶は、思い出したように、

 

「そういえば、まだ聞いていなかったな」

 

 といった。言っているのは、前回の軍の改善点のことである。

 

「前の質問。本音で頼むよ」

 

「それは……」

 

 問われて、アンヘルは一瞬息を飲んだ。彼の持つ意見は完全に異端で、現代社会を生きた故の唐突さがあった。だが、それらしい欺瞞で嘯くことも不可能だった。生まれつき嘘が下手な彼は、政治の世界で生き抜いた相手に嘘を突き通せるなどと驕っていない。

 

 もう、どうにでもなってしまえ。そんなやっけっぱちな感情がなかったとはいえない。元来、深く思案するよりかは、どこか投げやりな感性を持つのが彼の特徴である。

 

 茹だるような喧騒の中、青年は覚悟を決め、深く息を吸いこんだ。

 

「軍、そこで魔法は切って離せない問題です。妨害魔道具の登場により、相対的に優位は下がっていますが、未だ戦争を決定する要因であります。

 オスカル教官は軍が政治や身分から干渉されていることを問題としていますが、真の問題とは、軍、そして国が魔法という力から切っては切れない存在であり、またその力が個人や血筋のみに由来する能力である、という点です」

 

 そこまで語って、アンヘルは顔色を伺った。魔法とは神が授けた恩寵であり、それを高い領域で行使する貴族は自らを使徒と自称する人間も少なくない。反貴族を掲げることは、危険ではあっても突飛ではない。しかし、反魔法主義は異端も異端であった。

 

 これには、周囲の護衛たちがぴくりと反応を見せたが、主人の会話に割り込んでくるほど愚かでもなかった。大神祇官の顔色に変化はなかった。

 

「特別な力は選民思想を生みます。魔法が切っても切れぬ存在なのならば、差別や身分制に基づく不平等も同様です。バアル教団のような邪教が謳う魔法排斥行為に賛同示すなど、国家安定のための魔法が本末転倒な結果になりつつあります。魔法が権力を生み、強化術が上下関係を植え付ける。軍の問題とは、つまり、魔法という力に頼らざるをえない点にあります」

 

「まさに、呪いだな」

 

 ドミティオスは深く笑った。

 

「だが、候補生の君が、よりによってそれを否定するのかね」

 

 そこではじめて冷たい目を向けてきた。アンヘルは逡巡しながらも返答した。

 

「私は、魔法に連なる技術を絶対に拒否できません。人類は、自然やモンスターたちとの戦いにおいて、その力なしには生存競争を勝ち得ません。

 ですが、それに胡座をかいていては、確実に衰退の道を歩むでしょう。西では民族蜂起の機運が高まっていると聞きますし、オスカル教官の例もあります。おそらく、私の知らない不満の種は大量に転がっているのでしょう」

 

 これは嘘ではなく、実際に、帝国南方の穀物庫と呼ばれる五大貴族リエガー家領ではスパルタスを核とした奴隷解放運動が巻き起こっているし、西方の旧シラクス領では、独立運動が盛んになっていた。

 

「しかし、何を変えるべきか、と問われましたが、私は、何も変えることはできないと思います。魔法は、生きていくために必要不可欠なものなのです。魔法を超える力がないかぎり、それらの論議はすべて夢想にすぎません」

 

「だが、それでは何も変わらない。まさに欺瞞だ」

 

「ですが、それが現実でもあります」

 

 アンヘルには語る夢などない。美しい夢など見れる若さを置いてきてしまった。失った過去が、夢の儚さを告げている。信じるものは、ただひたすらに己の力のみだ。それ以外は、信じられない。特別な理想や思想など、なんの役にも立たない、と思っていた。

 

 視線が厳しくなる。だが、ここまで言いきった以上アンヘルに釈明の余地はなかった。

 

「きみは、すべてを信じられないのか?」

 

 悲しそうにいった。ドミティオスはつづける。

 

「夢や理想を、まるで拒絶しているかのようだ」

 

「私は、ただ……」

 

 そこで、喘ぐようにして言葉を切る。

 

「私は、ただ夢を語る人物に難癖をつけているだけです」

 

 そこで、語る言葉を喪失した。両者は、そこで長い時間沈黙した。

 

 街は変わらずに喧騒の時間を続けていたが、閑寂とした空気が両者の間には漂っていた。大神祇官がふと、露天の焼き串屋を指差して、護衛を走らせる。

 

「君もいるかい?」

 

 と誘われたが、アンヘルは首を振って断った。焼き串を頬張りながら、ドミティオスは寂しそうに言った。

 

「悲しいな。自分の居場所は此処ではないと、私には聞こえたよ」

 

 強烈な弾劾に心臓でも貫かれたような気分になって、アンヘルは息を飲んだ。突き刺さる刃を、大神祇官は重ねていく。その表情は心底憐んでいた。

 

「君の経歴に珍しさはあっても、特別さは感じなかった。だが、その思考はペシミストそのものだ。けれど、心の底では美しい夢を信じている。君のような若者が、そんな結論に至ってしまう人生を、私は見ていられないな」

 

 哀愁漂う声に、心底憐れむ優しい瞳を受けて、アンヘルは返す言葉を見つけられなかった。

 

 大神祇官の視線が横にそれる。焼き串を頬張りながら、父親に肩車されている少女をその瞳に捉えていた。

 

「この国は末期で、衰退の道を歩んでいるといって間違いない。蠢く諸国、割れる国家、暗躍する組織、分断される民衆たち。

 そして、君のいうとおり、抜本的な改革などありはしない。私の行く道は、君と同じ次善策の繰り返しだ。すぐに、とは言わぬが、君の教官の意見を捻り潰す可能性は低くないだろう。罵ってくれて構わない。結局、私も支配する側の人間なのだから。

 だが、あの子供たちが幸せに送れる光景があるかぎり、私は帝国を支えるよ。そして微力ながら、策を捻りだし、血を流し、研鑽と叡智を傾けよう」

 

 そう言い切った目は、まごうことなき真っ直ぐだった。

 

 アンヘルは意気に呑まれ、立ち尽くすだけだった。

 

「ま、魔法の使えぬ私が言っても仕方がないのかもしれないけどね」

 

 最後は酷く茶化したものだった。本音は、どこまであったのか、だれにもわからない。しかし、今まで聞いたどの人物よりもアンヘルの心に響いたのは事実だった。

 

 はい、とも、いいえとも言わぬ相手に対して、ドミティオスは笑っただけだった。その姿が、どうにも煌びやかな希望のようにアンヘルは感じはじめていた。

 

 和やかな空気が支配する。欄干にもたれかかっていたドミティオスは、閃いたように手を叩いた。

 

「さて、折角こうやって語り会えたんだし、君は中々おもしろい。恐らくだが、伍科ということで、貴族と知り合う機会も少ないだろう。そうだね…………今から課題を出そう。それを護衛終了までの期間に答えられれば、君を引き上げてもいい、と思うんだけど。そうだね、神聖七騎士の従士はどうだい?」

 

 軽く告げたが、神聖七騎士の従士とはそんな軽い地位ではない。皇帝直属の帝国最強騎士七名の従士である。近接戦闘能力を磨かないはず貴族階級を集め、その能力を遺憾なく育んだ正真正銘怪物集団である。士官学校候補生の身から、その従士にたどり着いた人物はいないほどの地位だ。

 

 護衛たちの咎める視線の最中、頭を捻る碩学の男。やはりいつもこんな風ならしかった。

 

「なにが得意だい?」

 

「……史学ですかね」

 

「それで問題を出すのは難しいなぁ」

 

 ドミティオスは右上に視線を移した。

 

「数学はどうだい?」

 

「……苦手ではない、と思います」

 

 他の科目に比べたら、という言葉は外した。一般候補生からみたら、数学も十二分に苦手科目であった。

 

「実はね、数学には自信があるんだよ。なんていったって、二十五になるまでは学術院の教授を目指していたからね」

 

 ドミティオス大神祇官は、魔盲という瑕疵もあってか元々家の主流にはない人物で、その後、召喚師の能力を持った英雄である兄の暗殺を受けて突如政界へと引っ張りだされた。そんな特殊な経歴もあってか、かなりの学研肌なのである。

 

「じゃあ、ううんと、そうだねぇ。最近の話題……となると」

 

 大神祇官の視線が右上へと移動する。先には、曇りない空が広がっていた。

 

「夏聖祭、十七魔剣、猊下の来訪……あたりでしょうか?」

 

「そうだね。私の話題を問題にするのはあれだし、夏聖祭は君のほうが詳しそうだからねえ…………十七! よし、十七魔剣から取ろうじゃないか」

 

 大神祇官は、閃いた学者のように顔を綻ばせ、そして右上に視線を流した。

 

 

「じゃあ、問題を出すよ。

 

 ある牧場主の男が病に伏せっていました。

 牧場主には17匹の馬がおり、それを息子たちに譲るという遺言状をしたためました。

 1/2を長男に。

 1/3を次男に。

 1/9を三男に。

 それから間も無く、父親は亡くなりました。さあ、と子供たちは馬を分けますが、17匹では上手く分けることができません。

 そんなとき、困った三人に、老人がある手助けをしました。

 それはなんでしょうか?

 ただし、老人は損も得もしてはいけません。

 

 どうかな? まあ、焦らなくてもいいから、ゆっくり考えて欲しい」

 

 

 そういいながら、茶目っ気多く歯を見せた。観光は終わりということなのだろう。アンヘルたちは護衛したまま宿泊している官邸まで供をさせられ、そこで今日を終えた。

 

 

 




最後の問題、ネタばれは禁止でお願いします。今の人気だと、そんな心配要らないかなぁ(泣)とは思うのですが。
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