イセカイ&ドラゴンズ   作:原田孝之

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第十四話:ファントム・ブラッド

 

「二十七小隊は予備隊にまわすわ」

 

「……うん、いいと思うよ。六三小隊はどうするの?」

 

「あそこは四人だけね。なら、合流させましょう」

 

 ソニアは会議室の長机に右手をついて立ちながら、ボードに貼り付けられた紙をじっくりと眺めていた。それに答えるユーリは、長机の前の椅子に膝を詰めながら座っている。

 

「あとは、日程調整あたりかしら」

 

「こっちでやってあるよ」

 

 ファインダーから一枚の紙を抜き出すと、手元に差し出してきた。筆跡は丸文字で少しばかり女っぽいが、筆圧が濃く読み取りやすい字である。ソニアは素早く文字列に目を通すと「悪くないわね」と、紙をピンでボードに貼り付けた。

 

 今は午後の会議室である。ソニアとユーリは、合同班の大まかな方針が決まったことから、隊の編成や物資、遠征日程など細かな計画を決めている最中である。他の人員はいない。方針が決まってしまえば少人数のほうが素早く動けるし、なにより対立が起きない。

 

 ソニアは朝からずっと働き詰めの疲れからか、無意識に首をまわして、ふうと息をついた。

 

「疲れた?」

 

 ふふっと笑いながらユーリが尋ねてくる。ソニアはムッとして、喉に物が詰まったような顔をした。

 

「何を言っているの? 班長が戻ってくるまでに終わらせないと」

 

 計画会議には班長も参加するが、上科は講義数が多いから、大抵の作業は二人だった。

 

「でもね、ソニアさん」

 

 ユーリは立ち上がると、備え付けられたポットの側に行き、茶葉を落とし込んでからお湯を注いだ。

 

「あんまり根を詰めたら意味ないよ。細かい所なら、他の人に任せればいいから」

 

「私は、自分の仕事を放りだしたりはしないわ」

 

「あはは」

 

 ユーリはその言葉を聞くと、笑いながらカップを差し出してきた。

 

「なにが可笑しいのよ」

 

「頑張り屋さんだね」

 

「なによ、それ」

 

 ソニアは気恥ずかしくなって、プイと視線をそらした。ユーリはいつもこの調子である。二人きりで会話する機会が増えたからか、まるで見透かすように内心に踏み込んでくる所が、彼にはあった。

 

「自分でやるのが確実だからよ」

 

「それは、いけないこと?」

 

 ユーリはこてんと首を傾げながら、いった。

 悪いだろう。ソニアは心中でそうかえした。

 

 他人を信頼していないというのは、仲間意識の強い士官学校の中ではあまり好まれない。だが、仕方ないとも思っている。どうしたって、無能な奴に仕事を任せて失敗する愚を犯したくなかった。だが、そんな心境を知らず、ユーリは幼げな声で、

 

「そういうのはね、責任感があるっていうんだよ」

 

「なにを言いたいの?」

 

「もちろん、良い面ばかりじゃない。けど、悪い面ばっかりじゃないって、こと」

 

 邪気のない笑顔に見つめられると、なにも言えなくなってしまう。ソニアは苦し紛れに淹れてもらった紅茶をぐいっと飲み干した。

 

「聞いてもいい?」

 

「なによ」

 

 ソニアはぶっきらぼうに聞き返した。

 

「どうして、そんなに気を張ってるの?」

 

「そんなつもりはないわ」

 

「嘘」

 

 ユーリが断言するようにいうと、二の句が告げなくなった。ソニアとしてもそんなつもりはなかったのだが、他者から見るとそう見えるのだろう。

 

 ソニアの来歴は、武家として一部には名が通っているロブレド家の息女ということになっているが、その実、幼少期は孤児院で過ごしたただの養子に過ぎなかった。ロブレド家は、男の兄弟が多くかなり武張った家柄であり、ひとり本当の家族の愛を知らず育ったソニアは、他者より上に立たねばならない、とある種クレバーな性格を育むに至った。もちろん養父母の愛に不足があったわけではないが、実の子供と微妙な差が生まれてしまうのは、仕方ないだろう。幼少期の子供は、人の機微に聡く、ひとり孤独な感情を持て余すのは当然の成り行きであった。

 

 だからこそ、ソニアは誰よりも強くなければならないと、強迫観念のように己を戒めているが、そんな複雑な内心を告げることもなく、ただ、

 

「私は、上に行きたいだけよ」

 

 といった。苦みを覚えた表情から察したのか、ユーリはただ優しく微笑んでいただけだった。

 

 部屋の外がバタバタバタと騒がしくなった。間隔の短い足音である。ソニアが扉に注目すると、ほどなく開かれた。

 

「すみません。遅くなりました」

 

 がらっと入ってきたのは班長であるエルサであった。息を切らしている。今日の予定は魔導具工学だから、講義に集中してしまったのだろう。ソニアは机の前で横並びになっていたユーリとパッと離れると、資料を片づけ始めた。班長がユーリに対して密に懸想していることは、班員のだれもが理解していたから、気を遣ったのだ。

 

「班長も講義があるのですから、構いません」

 

「でも……どこまで進みましたか?」

 

「目途はつきました。私が他班説明に行きますので、彼から詳細を聞いてください」

 

 ソニアはそういうと鞄を持って、制服の上着を羽織った。

 

「ソニアさん」

 

 エルサにあれこれ聞かれ始めたユーリが背後から尋ねてきた。キャッキャッと楽し気な班長の姿が映った。ソニアは首だけで振り返った。

 

「よろしくお願いしますね」

 

「これも仕事よ」

 

 ぶっきらぼうにいった。そのままノブを握って部屋の外に出た。

 

 なぜこんなにも、心がささくれ立つのか、まったく理解できなかった。あれ以来、ソニアとユーリの仲は縮まっていたが、気が合えば合うほど、永遠に縮まらない距離が浮き彫りになる。普通よりも近い双曲線。漸近線にいくら近づこうとも、交わることもなければ、なんの化学変化もない。ただただ、胸が痛んだ。ソニアはそれを誤魔化しながら、歩き続けていた。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 ――何者なんだ、この男は……。

 

 どこから現れたのか、アンヘルには、まったく探知できなかった。巨大な影が染み出すかのように、醜い蝙蝠の大群が一塊となると、男は音もなく佇んでいた。世界は暁に包まれているかのような、黄昏時の風景が、やけに冷え冷えとしていた。寒気は確実に増している。

 

 長い銀髪から覗くその相貌は、恐ろしく整っていた。にもかかわらず、まるで印象に残らない。直前の記憶と映る映像が一致しないのだ。見つめれば見つめるほど、瞬間ごとに、顔の印象やパーツが曖昧にぼやけていく感覚を覚えていた。

 

 全身黒で統一された漆黒そのものの姿で、道化がかった仕草で髪を掻き上げた。小鬼たちは、その男の登場に慄きながらも、背後に控えるように位置を変えた。

 

 もはや、見間違いようがない。この男こそ、小鬼たちを扇動した頭であることは明白だった。

 

「これは、これは、やはり雑魚だけでは、本命は取り逃したか」

 

 男は口の端を歪めて笑った。

 

「まあ、獲物は一匹掛かったのだから、それで満足するとしようか」

 

 吸血鬼の王らしき男は、聞き間違いのない、流暢な帝国語でアンヘルたちに話しかけた。彼らの認識を用いれば、下等生物たる人族の言語を操れぬ道理はない。のだが、アンヘルは吸血鬼という超高位生物が下等なゴブリンを従えるなど過分にして聞いたことがなかった。そもそも、吸血鬼は神話に登場する生物であり、実際に遭遇した人間はいない筈である。其れが、本当に奥地に住んでいて会わないのか、それとも遭遇した人間を尽く皆殺しにしているのかは不明だが。噂に聞く、陽光が弱点などということもなく、太陽の元平然としていた。

 

 オスカルは業火の立ち昇る直剣を正眼に構えながら、油断の一切ない姿勢で鋭い質問を浴びせかけた。

 

「きさま、何者だっ」

 

「ふ。何者か……。そうよな、私の名は、ドラクル。世に名高きドラクル公よ。我が勇名、街にも響き渡っているであろう? しかし、まあ、きさまのような貴族の端くれともあろうものが、詰まらぬ質問をするものよ。やはり、愚民どもに感化された者は、その貴き精神までも腐り果ててしまうものなのか」

 

「なにを」

 

「そのうえ、気分を紛らわそうにも、年頃の女などおらぬではないか。男、男ばかり。歳の食った青髪の女が一匹居るが、しかし、張りはすでに失われている。私は寛容だが、グルメなのだよ。あと三年若ければ可愛がってやるというのに」

 

 ドラクルは喉を鳴らして上品に笑うと、その手で虹色の光を放つサーベルを弄んだ。

 

「なぜ我らの事情に通じているッ!?」

 

 オスカルの悲鳴が響きわたった。目の前の怪物は世俗に少しばかり通じていた。いうなら、人語を理解するライオンのような存在である。人間社会に通じる怪物など、笑い話にしてもタチが悪すぎた。

 

 イズナも怯んだようにして、可愛らしく悲鳴を上げた。言うまでもないが、イズナはパッと見十七くらいの少女でだから、それを皺くちゃババア扱いとは、とんでもない異常性癖だった。

 

 ドラクルは少しばかり逡巡を見せた。結論は嘲笑だった。彼は剣を再び掲げた。

 

「死にゆく貴様らに何を語る意味があるのだ?」

 

 ドラクルが胸元に手を差し込みながら、身体を前屈みにした。

 

 同時。みん、と場が詰まった。

 

 空気が一瞬で転じた。魔素粒子が意思を持って停滞を始める。オスカル教官の魔法剣が勢いを失う。火が掻き消えた。

 

「――妨害魔道具!」

 

 オスカル教官が己の魔法剣の残滓を見てしまった。それでも、アンヘルは目の前の男から視線を切らなかった。今までの戦闘経験である。アンヘルは異常なほどに上位者との戦闘に慣れていた。

 

 勝率九割の殺し合いを十回行えば、その生存率は三割近い。だからこそ、探索者や軍人は十二分にマージンを置いた戦いを信条とする。しかし、アンヘルの相手は常に格上ばかりであった。訓練も積まぬうちに『塔』へ挑み、それからも戦い続けた。災厄が降りかかる際には、無意識の中の戦闘本能が、どこかで危機を察知させた。彼の戦士の才能は、士官学校という基礎鍛錬を経て、開花の兆しを見せていたのだ。

 

 水の中に滲んだ墨汁のようにして、煙のように掻き消えたドラクル。そこからオスカルへ垂直に線を結んだ中間点に、燕のようにして飛び込んだ。

 

 薄い。黒い靄が空間を滑り蠢いていた。

 それを、アンヘルは直感に沿って剣を振り下ろした。

 

 ただの畦道の一角に剣を突きたてる。

 何もない空間に打ち下ろしたはずの剣は、硬質な金属音に弾かれた。

 

「き、きさま。どうやって?」

 

 驚愕するドラクルが現れた。

 

 後方から、怒号が爆ぜた。ドラクルは鋭く喉を鳴らしながらも、アンヘルの胴体を蹴り飛ばす。剣を掲げ、発光させた。

 

 遅れて銀色が靡く。巨大な鉄塊が生き物のように地を走ると、豪快に風を撒き散らして、世界を薙いだ。

 

 クナルの大曲刀がドラクルの身体を半分に割った。

 

「油断するな、間抜けっ。まだ殺ってないぞ」

 

 言われるまでもなかった。半分に断ち割られた姿は、靄となって掻き消えた。幻影である。

 

「まさか、見破られるとは……」

 

 何もない空間から声が響き渡る。その方向へ向くと、時間が巻き戻るようにして黒い靄が人型を作った。ドラクルは冷や汗を滲ませながら、油断のない鋭い眼光で睨んでいた。

 

「アンヘル……おまえ……」

 

「質問は後です、教官。今は闘いに集中しないと」

 

 誤魔化しはきかない。先ほどの一撃は、二回生の域を明らかに超越していた。オスカルはなにか聞きたそうにしていたが、一度頭をふると思考を追いやった。

 

「こっちの候補生はかなりの重症だ。そちらはどうだ」

 

「アンヘル以下、負傷ありません」

 

「ならば直ちに離脱するッ。殿(しんがり)は我らだ。すまないが、最後まで付き合ってもらうぞ」

 

 アンヘルは黙って頷いた。優しい男だ、そう思う。ずっと力を偽ってきた自身に対して、まだ気遣いできるのだ。

 

 アンヘルは剣を構えなおす。そんなとき、

 

「ダメだな」

 

 と、クナルが反対意見を述べてきた。

 

「ワガママ言ってる場合じゃ――」

 

「気付かんのか?」

 

 クナルは静かに敵を睥睨した。

 

「あの男、なぜか教官を狙っている」

 

 大剣を肩に担ぎ、全方位を威圧しながら、指でいくつかの小鬼の死体を指さした。

 

「あの死体。最初の方に斬り殺した死体だが、未だ消える気配はない。今考えれば、あれらだけ感触が違ったように思える。それに、ドラクルと名乗る男。妨害魔道具を使うところや、不死特有の負のオーラを感じないところを見ると、もしや、吸血鬼ではないかもしれん」

 

「……どういうこと? それは」

 

「私も知らぬ。ただ、これを単なる襲撃だと勘違いしていては、大きな失敗を招きかねんということだ。先ほどのやり取り、幻術に思考が囚われるが、動き自体は大したことない。目に見えるものだけを信じなければ、対処のしようもある」

 

 クナルは薄らと微笑んだ。艶冶だが、まさに狂人の微笑みだった。五感の内、戦闘で最重要なのは視覚だ。それが当てにならぬと言うのに、笑える男は世界を探してもこの男ぐらいだろう。

 

「ふ、御託は終わりか?」

 

 ドラクルは余裕な表情を浮かべる。ただ、よく観察すれば、頬は固着化し、瞳は刃のように鋭く輝いている。すべてではなくとも、クナルの言葉に少なからず真実が含まれていたのだろう。とはいっても、状況はなにも改善していないから、チャンスというわけでもなかった。

 

 ドラクルは再び黒い靄となると、今度は周囲の小鬼たちをけしかけてきた。

 

「間抜け、我ら二人で切り抜けるぞ」

 

「同意した覚えはないよ」

 

 といいながら、オスカルに向かって叫んだ。

 

「教官は援護をお願いしますッ」

 

「――っ! わかった、気をつけろよ」

 

 最早相手は偽りもしない。小鬼たちが目の前で分裂し、さらに分裂した。切り捨てた死体が時戻しの砂でも使ったように、再度身体を起こし、向かってくる。

 

 戦いに身を投じながらも、アンヘルは饗宴でひとり、じっと耳を凝らしていた。

 

 クナルが戦闘に関して超人的な洞察力を誇るのと同じように、アンヘルにも長けている部分がある。それは相手の思考を読み取る能力であった。

 

(クナルのいうとおり、剣術自体は大した事がない)

 

 敵は、姿を隠し、暗闇から突如として襲ってくる。これは能力としては恐ろしいが、しかし、真正面から戦うことのできない臆病者の裏返しに感じられた。そのうえ、相手はこの幻術だかなにかの能力に慣れていないのである。アンヘルは先ほど打ち合ったとき、擦れる小さな足音を聞き逃していなかった。視覚にしか作用できないのか、余裕がないのか。冷静になれば、対処法はいくつか浮かんできた。

 

 正面から襲いかかって敵を両断して、蹴り飛ばす。微かに、地面の擦れる音が背後から響いた。

 

 ――回転。

 

 身体を反転させると同時に剣を水平に薙ぐ。視界には何も映っていないが、しかし、金属音が響き渡った。影が実態を持ち、世界に顕現する。ドラクルの慄いた姿が克明に映しだされた。

 

「やるではないか」

 

 追撃は、遠くに居たクナルのほうが速かった。初速も、終速も桁が違う。乗用車とレーシングカーだ。その褐色の肌の下が、鉛色に変色した。轟音とともに飛来した大曲刀が突き出された。

 

「なぜだ! なぜわかった!?」

 

 ドラクルは鋭い吠え声を上げながら飛びずさる。それは、はじめて聞く、彼の本心からの叫びであった。

 

 脇腹を抑えながら、苦悶に顔を歪めている。黒い靄は人間体に戻ったり、消えたりしながらなんとかクナルの追撃を躱した。

 

 再び姿を消し、大きく距離を取る。

 逃げに徹されると、さすがに対処法がなかった。

 

 血は流れていない。金属鎧がアンヘルの剣撃を防いでいた。しかし、衝撃までは消しきれない。遠方。青白い顔で膝を突いて蹲っているドラクルは、怒気を露わにした。

 

 余裕を失ったからか、小鬼たちの幻影は煙のように掻き消えていた。オロオロと、数体ばかりの本物が視線を彷徨わせている。恐らくだが、仮初の頭領に見えるよう幻影で作り出し、操っていたのだろう。小鬼たちはすぐさま散っていった。

 

「よくやった、アンヘル」

 

 オスカル教官はアンヘルの隣に立ち、剣を水平に構え直した。視線はドラクルに注がれていた。

 

 クナルも自然体のまま佇んでいる。推測でしかないが、ドラクルがアンヘルを狙ったのは、相手を選んだような意図を感じ取った。彼の野生の勘とも言うべき直感力はずば抜けている。常人なら、ラシェイダ族の超人を最初に狙う愚は犯さない。だが、自信があるなら、まずクナルのほうから狙うはずなのだ。

 

 幻術を除けば、大した腕ではない。負傷もある。ドラクルの表情。憂悶の色が濃い。唇を歪め、額には栗粒の汗が滲んでいた。それどころか、銀髪だった髪の偽装は解け、金色が薄らと浮かんでいる。相手は、此れ以上ないほど、追い詰められていた。

 

「まだ殺すなよ。コイツには、聞かねばならん事が山ほどある。そもそも、妨害魔道具を使う吸血鬼など、宗教問題にすら発展しかねん」

 

 オスカルが油断せずににじり寄っていく。包囲の輪は確実に縮まっていた。ドラクルは剣を握りしめるが、虹色の光は小さく輝きを灯すだけであった。

 

 ――勝敗の潮合は極まった。

 

 ここから、挽回の手立てはありそうにない。ふっふと青ざめた表情で息を荒げる男には、当初の余裕などまるでない。浮かべていた薄笑いは消えさり、瞳孔は拡散していた。

 

 オスカルはさらに男に詰め寄った。イズナの「終わったですかぁ」という間抜け極まりない声が響き渡った。

 

 その瞬間だった。

 森の中で、小さく何かが光ったのを見逃さなかった。

 

 それは癖である。皆が同じ方向を見ていると、ふと、違う所に視線を向けるのだ。警戒心の現れ。いわば怠け蟻の習性である。怠け蟻は普段なにもしないが、働き蟻が不慮の事故で居なくなると、突如として働き蟻へと変貌する。日頃は力を蓄え、有事には動く。社会生物の仕組みだ。それは小隊にも当てはまる。全員が全力で一つのモノに当たると不慮の事態に酷く脆い。集中してる最中、休んだり、サボったりする人物が必要なのだ。

 

 その光は、光線となって空間に一筋の線を描いた。

 自然と身体が反応したのは、本当に奇跡の産物だった。

 

「え?」

 

 閃光と化した鏃が、油断なくにじり寄っていく男――オスカルを斜めから突き破ろうと走った。何もしなければ、確実にその脳天を突き破り、彼の命は一瞬で潰えていただろう。

 

 ――アンヘルが突き飛ばさなければ。

 

 怪我を気にしないとか、そんな自己犠牲精神に薫陶を受け、飛び出したわけではない。大した事ないとか、侮ったわけでもなかった。見る必要もなく、ヤバイ代物なのは、簡単に理解できた。

 

 それでも、飛び込んだ。分かっていて受けたほうが、さほどマシだろうと。

 

 次の瞬間、全身の毛が逆立つほどの冷気が肩口から全身へと広がった。

 激痛。耐えることのできない、電流が身体を駆け巡った。激しく叫びながら、地面を転がる。痛みで視界が真っ赤となった。

 神経を剥ぐような、凌辱感が全身を走った。鋭い痛苦が半身を襲う。遅れて、魂すら溢れそうなほど、大量の出血。苦しすぎて呼吸すら叶わない。無様に倒れこんだ。

 

「大丈夫か、アンヘルッ!?」

 

 オスカルの鋭い悲鳴が間遠に聞こえた。即座に彼が抱き起す。矢が肩から突き刺さり、鎖骨あたりから飛び出ていた。

 

 まともに答えることすらできない。抱きおこされるのにも苦痛に感じる。クナルは冷静に周囲を観察していた。

 

「は、なにをっ、失敗っ? ――わ、わかりました。指示に従いましょう」

 

 正面でドラクルが耳に手をやり、一人芝居のように頷いている。最後に同意を残すと、影のように消えた。

 

「アンヘルッ。早く、早く治療するからなっ」

 

 オスカルの声をどこか他人事のように聞いていた。此処からは、治療院までかなりの距離がある。召喚できれば、生存可能だが、水色の矢が、まるで毒のように全身を蝕んでいた。

 

 ミスったなぁ、という思いが、胸をよぎった。

 身体は不随意となる。アンヘルの意識はしだいに遠のいていった。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 軍人の役割とは、得てして不条理なものである。オスカルは、負傷した候補生たちを、オスゼリアスの治療院へ間一髪運び込めたことにホッと胸を撫で下ろしていた。

 

 夜は更け、そして日が昇ってからすでに半日以上経過している。医師が疲れた表情で、なんとか峠を越えましたという宣言を聞いてから、待合室を後にした所である。

 

 それにしても、なんという生命力だろうか。オスカルは、候補生の分を遥かに超えた生命力に、侘しさのようなモノを覚えていた。

 

(節穴だった、のだろうな)

 

 候補生の中には、己の出自や交友関係の不確かさから、能力をひた隠しにする人間が少なからずいることを、オスカルは理解していた。そして、それが、彼らなりの自己防衛だということも。人はすぐに甚助を起こす。目をつけられた候補生の行末は、教官としてもっとも危惧すべき事態だった。

 

 ある候補生をオスカルは永遠に忘れられない。士官学校に勤めて、二年目の候補生だった。その少女はソニアのような、気が強く、そして上昇志向に溢れた壱科生だった。それがある上科生の目に留まった。曲がった事が嫌いな女性候補生は、班長へ事あるごとに噛み付いた。班長の利己的な方針に噛みつき、特科へ忖度したような思想を許さなかった。彼女には信奉者も多かった。美しく、そして強い少女だった。オスカルはそんな彼女に、失ったエミリアな面影を時折見ていた。

 

 若く、未熟だった。指導教官でないなど言い訳にもならない。サインを見落とした。級があがり、時折男性に怯えた視線を送るようになった彼女。終着はあっという間だった。三回生に上がり、小隊員の交代が可能になると、一気にそれは噴出した。便所。其れが渾名だった。詳細は何も知らない。当時のオスカルには己の業務で手一杯だった。いわく、頼めばやらせてくれる、とか。どんな、プレイでもやりたいほうだい、とか。すべて後から聞いた噂だ。彼女の死は、訓練中の事故で片付けられた。ただ、筆舌にし難い苦痛を味わったことだけは事実だった。

 

 権力や政治、それが軍と切っても切れない関係なのはオスカルも理解していた。綺麗事を騙った所で、暴力に訴える勢力が力を持つのは、もはや定めである。だからこそ、士官学校にまで持ち込まないでほしい。それが、オスカルの願ってもやまない理想の姿だ。

 

 大それた、身のそぐわない思想を掲げている。自覚はあるのだ。似合わないことをしている、と。だが、候補生たちが若い頃から政治に取り込まれ、能力のすべてを曝け出さずに、ひたすら貴族という上官の顔色を伺い続ける養成校が、果たして国家機関として正しいあり方なのか。アンヘルのような、才能のある候補生が、力を隠し、講義でも手を抜く士官学校に果たして未来はあるのだろうかと。オスカルは嘆かずにはいられないのだ。

 

(エミリア。まだ、君を救える世界は遠いみたいだ……)

 

 息を漏らすと、士官学校の門を(くぐ)った。まったく一睡もしていないため、目の縁に隈ができていた。纏う装束はくたびれている。が、それ以上に憂鬱な気分だった。

 

 誰もいなければいい。そんな面持ちで十三会議室――七八小隊がよく使用する――を覗いた。

 

「教官。お疲れさまであります」

 

 伺うようにして会議室へ顔を出すと、ユーリ候補生が立ち上がり敬礼した。中には他に、ソニアとエルサの姿もある。彼女らも敬礼した。

 

「ああ、座ってくれていい」

 

 場の空気は、見違えたように落ち着いたものだった。ソニアのなり振り構わない姿勢は消えており、他者の意見を受け入れる余裕があった。

 エルサもいつぞやの傀儡ではなく、意見を述べる勇気を持てていた。ユーリにくっつくように、というのは穿過ぎだろうか。彼女はチラリチラリと事あるごとに、彼の表情を窺っている。

 

 オスカルはボリボリと頭を掻いた。彼らが合同小隊を組んで迷宮探索に挑むことは事前相談で知っている。水を差す事実は告げたくなかった。

 唇がまごついて、無意味に動いた。言わなければならない。アンヘルは自分を救う為に、犠牲となったのだ。指導教官がねじ曲げることは許されなかった。

 

「まあ、そのなんだ。どうだ。合同小隊のほうは、上手くいっているか?」

 

「今まで例にない事ですので、完璧とは行きませんが。しかし、やり甲斐はあります。必ず成功させて見せますよ」

 

 ソニアは人差し指で唇をなぞりながら、薄く笑った。攻撃的な印象が先行するが、こうやって優しげな目をすると、短い黒髪に唇が映えて、酷く柔和にみえた。こういう一面を候補生たちに見せられれば、印象をガラっと変えられるだろう。

 

「それよりも、教官。今日はなにか御用でしょうか? もしかして、合同小隊のほうに何か不具合でも……」

 

「いやっ! そんなことは、ないよ」

 

 オスカルは慌てて手を振った。不自然な態度だっただろうか。ユーリから尋ねられるのははじめてだった。

 

 全員を見渡した。引き締まった表情に、場の空気が一気に締まった。候補生たちも顔を強張らせた。

 

「その顔は、愉快な報告ではなさそうですね」

 

 ソニアが唾を飲んだ。白い喉がゴクリと鳴った。

 

「そうだ」

 

 オスカルは言った。拳を握りしめた。

 

「明日の合同小隊による迷宮探索。君たち七八小隊の候補生アンヘルは演習に参加できなくなった。無論、君たちに瑕疵があるわけではないので、評価が下がることはない。ただ、彼が参加できない事実は通達しておく」

 

「ええっ。どうしてですかっ!?」

 

 ユーリの悲鳴が響き渡った。しかし、其れだけだった。

 

 オスカルの想定した反応とはかけ離れていた。ソニアやエルサは興味なさそうにボンヤリとした視線を向けていた。ユーリは反応を示さない仲間たちを見比べてから、不思議そうな顔をした。

 

「あぁー…………質問はないか?」

 

 寧ろオスカル側が遠慮してしまった。無関心が滲んでいる。ソニアは慌てた様子のユーリを一喝して黙らせると、静かに尋ねた。

 

「なぜ、参加できないのでありますか」

 

「申し訳ないが、詳細は述べられない」

 

 オスカルは軍人らしく、強い語尾でいった。

 

「ただ、現在負傷中で、数日は復帰の見込みはないとのことだ」

 

「はぁ、そうですか。まあ、訓練中の負傷だとは思いますが。一応、彼も努力をする側の人間だったのですね。てっきり、お坊ちゃん育ちのなんちゃって候補生だと思っていましたから」

 

 ソニアは冷厳に言った。そこには、同じ窯の飯を食う仲間に対する親愛の情はまるでなかった。エルサも苦笑いしているが反論の兆しはない。

 

「ソニアさんっ。そんな言い方っ」

 

「別に構わないでしょう。そもそも、彼は荷物持ち。居ても居なくとも、結果は変わらないでしょうに」

 

「そうですよユーリさん。悪く言うつもりはないですけど、やっぱり。ほとんど打ち合わせにも来ないんですから」

 

「けど……」

 

「足手まといがいなくなった。それでいいでしょう?」

 

 ユーリの声が尻すぼみとなっていく。オスカルは事情を知っているゆえ、反論を口にしたいが、生憎負傷の原因となった任務は最優先秘匿事項であった。

 

 ソニアは再び席に着いた。彼女は顔だけを向けてきた。

 

「教官。教えていただきありがとうございました。ですが、迷宮探索は予定通り実行したいと思います」

 

 それを最後にソニアは机に向かった。エルサもペンを取り出した。刺々しい雰囲気はまるでなかったが、それがやけに寂しいことに思えた。ひとり戸惑っているユーリを、オスカルは手招きして部屋の隅に呼び寄せた。彼もやるせない感情を持て余していた。

 

「……アンヘルは無事なんですか?」

 

「ああ、かなりの重症だが、命ある状態で治療院に運んだ。出血が多くてかなり危険な状態だったが、もう一命は取り留めたよ。数日もあれば退院できると思う」

 

 治療院の全力を尽くした治癒師による回復は、大神祇官ドミティオスの好意によるものだ。ただ、アンヘルを蝕んでいるのは、傷だけではなく、矢に込められた水の魔力痕のような残滓のせいだ。それが抜け切るのに、数日間は必要となる。

 

 オスカルは皇帝派として辣腕を振るうドミティオスのことを好ましく思っていない。まるで力を持たず、それゆえに市民からの支持は分厚いが、そんなことは関係なかった。彼に至らぬ点はなくとも、反貴族的思想を掲げるオスカルにとって、皇族とは敵である。そんな彼が、力の限りを尽くして生徒である候補生を救ってくれたことに微妙な気持ちを隠し切れなかった。

 

「じゃあ、お見舞いに行ったほうがいいんですかね」

 

「……それはどうだろうな。一応、最高峰の治療を受けているから、恐らく迷宮から帰った時は、ピンピンしていると思うぞ。多分、明日の迷宮探索を頑張ったほうが喜ぶんじゃないか?」

 

 オロオロするユーリを前に、オスカルは腕を組んだ。眉は顰められている。

 

「なんでしょうか?」

 

 教官が何かを聞きたそうにしていることに、目ざとく気づいたユーリは、そう尋ねた。

 

「アンヘルのことを、知っているのか?」

 

 歯切れの悪い台詞に、ユーリはぽかんとした表情を浮かべた。首を捻る。目はオスカルを見据えていた。

 

「ええっと、何をでしょう……」

 

「その、なんだ。あいつのその力というか――」

 

「――隠している実力、のことですか」

 

「知って、いたのか」

 

 まごついているオスカルに対してハッキリと告げた。

 

「そのどう思ってるんだ? いや、他の奴は知っているのか?」

 

「どうなんでしょう? あの反応を見ると、多分みんな知らなんじゃないでしょうか。いえ、ボクも詳しく知ってる訳じゃなくて、多分そうなんだろうな、って気がするだけですけど」

 

 ユーリはからっとした表情を見せた。

 

 彼に迷いは伺えなかった。

 

「でも、別にいいんです。本気を出さなくても。本当に危険に陥った時、彼は見過ごせるような冷血漢じゃないって、ボク、知ってますから」

 

 オスカルはその言い切る姿勢に、途方もない羨望を覚えた。

 

 信頼関係を築くには、まず己が信頼しなければならない。常識だ。しかし、簡単ではない。上に行けば行くほど、人は裏切る。扱うものが大きくなればなるほど、大義の為と嘯いて、人は容易く裏切りを働くのだ。オスカルはある確信を得ていた。なぜ、このバラバラだった小隊が急速に固まったのか。それはユーリという中核が力を発揮したからだったのだ。

 

 ――士官学校も、捨てたもんじゃないな。

 

「オスカル教官?」

 

 ニヤケ顔が堪えられなかったのを、ユーリに見咎められた。頬が急速に赤らむ。誤魔化すようにして話題を変えた。

 

「そういえば、ユウマとエセキエルはどうした。休みか?」

 

「ユウマさんは、疲れたとかで身体を動かしに行っています」

 

 ユーリは窓の外、演習場を見た。

 

「エセキエルさんとは、その恥ずかしながら、上手く行っていなくて――」

 

 言いにくそうな、歯がゆい顔になっていた。

 

 まだ、順風満帆とは行かないか。

 オスカルが若人たちを微笑ましく見た瞬間、扉の外で慌ただしい足音が飛び込んできた。

 

 バンと開かれた扉。そこから飛び込んできたのは唐紅の髪を上下に揺らして息を乱している少女、ユウマだった。彼女はぜひぜひと呼吸を整えると、悲鳴のように、凶報を告げた。

 

「ちょ、聞いたッ! 計画がなぁ――!」

 

「ちょっと落ち着きなさい」

 

 ソニアが鋭くいった。いつものやり取りである。ユウマは呼吸を落ち着けてから、息を大きく吸い込んだ。

 

「えっと、今日合同小隊を組む人と偶然あったら、その、計画が稚拙過ぎて俺たちは参加できないっていわれてなぁ。まだ計画は提出してないんよねぇ?」

 

「ユウマさん? なにを言ってるんですか。あなたも先ほど一緒に練っていたじゃありませんか。ほら、ここに……」

 

 ソニアは無言だった。ひとり腕を組み、じっと目を瞑った。ユーリとエルサが騒ぐ中、思考を巡らせ、そしてカッと目を見開いた。バンと机を叩き立ち上がった。

 

「エセキエルッ!? あの野郎、やりやがった」

 

 その響きは、地獄の閻魔すら凍りつくほどの迫力を伴っていた。

 

 

 

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