イセカイ&ドラゴンズ   作:原田孝之

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第十六話:曇天を晴らすのは

 よっ、よっと男は身長の肩程しかない少女に手を貸してもらいながら、吹き抜けるような治療院前の広場を歩いていた。

 

 緑色の芝生に暖色の石畳が美しい対比となっている。治療院の白さを覆い隠すようなその晴れやかな景色の先でリハビリに励む男――アンヘルは、少しばかりの鈍痛に顔を顰めながら歩いていた。

 

「そこ、段差があるですよぅ」

 

 と言いながら、肩を貸すイズナがぎゅっと脇の下から支える。優しい香りが鼻腔に広がる。柔らかな感触が身体に押しつけられて、アンヘルは知らずのうちに鼻の下を伸ばしていた。

 

「あぁ、またエッチなことを考えているですぅ~」

 

「えっ!? いや、そんなこと――」

 

 アンヘルはぶんぶんと手を慌てて振りながら顔を紅潮させた。するどい。イズナは青髪の隙間に瞳を隠しながら上目遣いに訝しがっていた。

 

「えー、怪しいですぅ。ねえ様に聞いたですぅ。男の人はいっつもアレなことばっかり考えているって」

 

「い、いつもそういう訳じゃない、よ?」

 

「そんな風に見えないですぅ」

 

 しらーとした視線を受けて目を逸らした。

 

(もしかして、僕、テリュスさんに嫌われているのかな?)

 

 事件以来会話していないが、実践経験のない少女に血生臭い現場を見られれば幻滅されることは分かっていた。良く言う、黒人の大男と白人の少年の厳罰率のようなものだ。

 

 アンヘルは「疲れた」と告げると、庭に併設されたベンチへ腰を下ろす。

 

 涼やかな風が木陰のふたりを巻き込んでいた。

 

「そういえばイズナの弓、どうでしたぁ。ねえ様みたいにかっこよかったですかぁ?」

 

 イズナが両手を広げてベンチの正面で構えをとる。空気を掴んで、ぱっと空に放つふりをした。

 

「そうだね。うん、すごかった」

 

 と、頷いていると不自然な会話に気が付いた。

 

「――ねえ様みたいに? テリュスさんって弓使えたんだ」

 

 テリュスの生家である道場は東方一刀流を習う稽古場だ。実践志向の道場では弓術や槍術を教えるところもあるが、彼女の生家には当てはまらない。基本かつ護身術向けというのが、かの道場の世評である。

 

「姉さまは関係ないですよう。ねえ様のことです」

 

「ええっと、テリュスさんと違うお姉さんってこと? あ、もしかして本当のお姉さんなのかな?」

 

「そうですぅ。イズナはねえ様に弓を教わったのですぅ」

 

 ぴょこんと青いツインテールを振り回しながら、小さく跳んで見せた。余程嬉しいらしく満面の笑みを浮かべている。

 

「じゃあ、お姉さんはもっと上手い?」

 

「そうなのですぅ」

 

「すごいなぁ、君以上の使い手は、あまりいないと思うけど」

 

「えへへ~。照れちゃうですぅ」

 

 格好を崩して笑う彼女はとても似合っていて可愛らしい。子供らしい表情がよく似合う。そんな印象を持った。

 

(というか、弓だけならクナル級な気がするけど)

 

 前回の戦闘で見た彼女の弓術は贔屓目なしに常人の域を遥かに超えた能力を示していた。速度、精度、位置取りに身体能力。すべてが高水準。候補生と比べるなどおこがましい。馬車を無傷で守り切った一因には彼女の力量があった。

 

「でもでも、ねえ様はもっとすごいですよぉ」

 

「もっとかぁ、それはなんていうか、怖いなぁ」

 

「そうですっ! びゅんってやったら、びしゅってなるのですぅ。アルなんてけちょんけちょんなのですよ」

 

「あ、うん。すごい、ね」

 

 イズナが矢を射る真似をする。擬音とともに空気が放たれた。アンヘルはその仕草を微笑みまじりに見ていた。

 

「そっか、じゃあ、一度会ってみたいなあ」

 

 そんなにすごいなら。その程度の感想だった。

 

 しかし、イズナはなにか恐ろしいことをいった。

 

「でも、アルはもう会ってるですよ?」

 

 こてんと首を傾げた。可愛らしい仕草だった。けれども、放たれた言葉は一切理解できなかった。青髪、狩人。どちらも思い当たる節はない。

 

 ぽかんと呆けた表情を浮かべるイズナがどこか白々しい。

 

 気の所為。そう嘯いて、浮かんだ疑問をかき消したのだった。

 

 

 

 §

 

 

 

 翌日。退院したアンヘルは一度アリベール邸に寄った後、ひとりクナルの寮部屋を尋ねていた。

 

 経験上、クナルは基本的に鍛錬をしているか、それとも自室で寝入っているかのどちらかであった。事前に修練場をちらり確認したあと、勝って知ったる野郎の部屋に向かった。そして、扉を開けた瞬間に目を覚ますだろうと――厚顔無恥など過去に罵ったが実は似たもの同士なのかもしれない――ノックもせず扉を開け放った。

 

 一瞬、なにが起きているか理解できなかった。

 

 窓の近くに設えられた寝台、夕日が差し込むそこに、ぴんと突き出した胸を反りながら女が喉を見せる。天井に向かって大きくほえていた。

 

(ああ、マジ、みすった)

 

 言語機能が崩壊した。一種の自己防衛である。

 

 アンヘルは完全に硬直。口をパカっと開けて馬鹿面を晒した。

 

 艶やかな嬌声。白い肉と褐色の引き締まった巨大な肉が二匹の蛇となって、もつれ、絡み、溶け合っている。

 

 ひときわ、おおきなあえぎとなる。

 

 確か――グレースといっただろうか。伍科の、有り体に言えばその美貌と肉付きで男子諸君の視線を独り占めする逸材だ。彼女は豊麗な肉体を曝け出して、思うまま喜びに打ち震えながら高い高い叫びをあげていた。

 

 馬乗りになって悲鳴をあげる女を冷めた目で下から見据えるクナルの瞳が酷く冷淡だった。淫蕩な匂いが部屋に充満していた。

 

 ごくり、と眼前で繰り広げられる光景に唾を呑んだ。大きく響く。クナルの冷えた目が此方を見据えた。

 

「感心しないな。覗き見など、趣味が悪い」

 

「へっ? え、あ、き、きゃぁぁあああああああ!」

 

 つんざくような悲鳴。アンヘルは咄嗟に耳を押さえながら、「ご、ごめんなさい」と部屋を出た。去り際、グレースの睨む瞳が心胆を凍えさせた。

 

 

 

 

 

「貴様が悪い」

 

「……はい」

 

 逢引きの相手が出て行った微妙に香りが残る室内でアンヘルは肩を落としながら静かに謝意を示した。クナルに常識を説かれると異常に腹が立つのだが、それでも反論の余地はなかった。

 

「今の班員じゃないよね。また引っ掛けたの?」

 

「くだらん女だが、程よい肉付きで飽きはまだ来ない。あのルトリシアやらクロエだとかいう女に比べれば月とスッポンだがな」

 

「手を出したら死ぬよ。絶対」

 

 アンヘルは頬を引きつらせた。

 

「言われずともわかっている。情事に惚けて命を捨てるほど私も愚かではない」

 

 戦いで無意味に命を賭けているだろうと聞くのはよした。理解不能な反撃にあうだけだ。長い付き合いですでに彼の反応には慣れていた。

 

 クナルは上裸のまま寝台に片足を立てていた。アンヘルは設られた椅子に腰を下ろす。何度か足を運んだが、一人部屋にはいつも心惹かれる。伍科のアンヘルにはまるで意味のない思考だったが。

 

「何の用だ? 詰まらぬ用だったら殺すからな」

 

「退院おめでとうぐらい言えないの? 一応病み上がりなんだけど」

 

「我らがそんな仲だと思うか。弱者は滅ぶのが必定であるしな」

 

「出た、また一族格言集のご開帳」

 

「残念だったな。これは私の語録だ」

 

「なおさらキモいんだけど」

 

 半眼で見つめるアンヘルを素知らぬ顔で受け流す。一呼吸おいて本題へと入った。

 

「前回の吸血鬼騒動。その詳細がわかったよ」

 

「ほう、まさか貴様にそんな情報収集能力があったとはな。ふむ、首を飾る機会が去ってしまって残念ではあるが興味が湧いてきた」

 

 クナルが顎で催促してくる。傲慢で悠然とした口調に苛立ちを覚えつつ、指示通りに言葉を紡いだ。

 

「あの吸血鬼。たぶん、聖カトー騎士団の団員、それも相当高位の貴族だと思う。君の予想どおり、あれは吸血鬼じゃなくてそれに扮した魔剣騒動なんじゃないかな。あと彼の持っていたサーベル。確証はないけど魔剣だと思う」

 

 クナルはその瞬間、顔色を変えて一人黙した。促されているのかと続きを述べる。

 

「世界に幻術を掛ける魔法。どこか道場剣術っぽい技。幼い少女を攫うといった愉快犯染みた行動。吸血鬼じゃないなら単独犯もしくは少数の可能性が高い。僕はそう思う」

 

「魔剣について他に情報はあるのか?」

 

「わからない。その魔剣が幻術効果を持つことも判明していなかったみたいだし。でも、ひとつだけ。魔剣が光を放つには一定期間のインターバルが必要らしい。だから、もしかしたら長期戦に持ち込んだりすれば」

 

 アリベールが保管していた概要には魔剣蘇芳の情報はほとんどなかった。推論でしかないが魔剣蘇芳は貴族級の魔力がなければ発現しないのかもしれない。だが、一度発動してしまえば多数すら容易に相手取れる能力を秘めていた。

 

 クナルは黙してそのまま腕を組んだ。じっと一点を睨んで、なにかを思案している様子だった。

 

「この情報。どうやって手に入れた?」

 

「えっと、ごめん。それは言えない。結構逸脱した行為だから」

 

 アリベールの行為が外部に漏れれば処断される可能性はある。いくらクナルとはいえ漏らすわけにはいかなかった。

 

「情報源など興味はない。それよりもこの魔剣に行き着いた理由はなんだ? 貴様の想像の産物か?」

 

「え? いや、そうじゃないけど」

 

「ふ、やはりな。いくら鈍い貴様でもわかるだろう? これは偽計だ。貴様のこれからの行動は読める。どうせ教官殿にでも助力を頼むのであろう。だが、やめておけ。これは我らだけで解決したほうがいい。全貌は未だ見えぬが少なくとも小回りの利く駒だけにしておいたほうがいいだろう」

 

 一理はある。理由はわからないが、オスカル教官は狙われているのだから虎穴に入るのは少ない人数のほうが良いのは理解できた。

 

「話聞いてた? 幻術使い相手に少数戦なんてアホ丸出しだよ」

 

「一方のやられる隙にもう片方が殺せばいいのだろう」

 

「こっちは大量の仲間がいたのに逃げられたし、まだ凄腕の弓使いが控えてるんだよ。もう忘れたの?」

 

 クナルはそれを嘲笑うかのように鼻を鳴らした。

 

「貴様はいつもそうだな」

 

 みくびるような言葉に無性に腹が立った。苛立ちから眉を顰める。

 

 クナルは立ち上がり冷たい目で見下ろしてきた。

 

「貴様にも見えている筈なのだ。いや、貴様がわからねば誰にわかる? そうやって余計な思考に囚われているから、下らぬ幻想を信じてしまうのだ。弱者の真似をそろそろ控えろ。貴様は心底くだらぬやつだが、現実を見据える程度はできる筈だ」

 

「――何様のつもり? 偉そうに御託を並べちゃってさ」

 

 ガタンと椅子を鳴らしながら立ち上がった。

 

 両者に冷え切った空気が流れる。

 

「いつまでも不貞腐れているから失敗するのだ。貴様の失敗はすなわち周りの不幸になるのだぞ。まだそれが分からぬのか?」

 

 過去を揶揄するような言葉で完全にどたまにきた。

 

「――黙れ!」

 

 右拳を握り込んで捻りながら突き出した。クナルはそれを涼しげに掴み取った。

 

「わからぬならいつまでもそうやってやっていろ。詰まらぬ、詰まらぬ男よ。去れ。二度と私の視界に入るな」

 

 クナルの剛腕がうなると、気づいた時、壁に打ち付けられていた。見上げたそこには興味を失った顔が巌のように聳えていた。

 

「君に会わなくてせいせいするよ!」

 

 立ち上がると、扉をヒビが入るくらいの勢いで開けて閉めた。

 

 走った。廊下を走った。

 

 張り裂けそうなほど胸が痛んだ。あれほど気が合わない奴だと思っていのに、しかし、彼の言葉は心に突き刺さった。

 

 訃報を聞いたのは、そんなささくれ立った日の夜だった。

 

 

 

 §

 

 

 

「我ら安和にして至と高き主の言葉を。我らはどのような行為にも、敬虔の念を持って、主の御恵みをひたすら祈り求めております。

 そして願わくは聖霊の働きによりあなたがつくりたもうた生命に、御心叶うことを願います」

 

 朗々と祈祷する司祭――デーモン退治で邂逅したヴェルナー司祭――の声が教会内の光の下で響き渡っていた。

 

 じっと目を伏せて立ち尽くすアンヘルにぽつぽつと押し殺したような声で泣く老婦人――いつかの看護婦――が映った。横に整列するのは、彼と同じように喪服に身を包んだ小隊の候補生たちが居並ぶ。友人たちであろうか。同部屋、壱科生などの姿もあった。

 

 先日帰還した合同小隊における名誉の戦死者を讃える葬儀が、士官学校近くの教会で行われていた。

 

 祈祷を行っている司祭の横で順番になって献花と黙祷を捧げていく。ソニア、エルサに続いて、ゆっくりと中央の献花台に近づいた。

 

「主よ。我らが友、ユーリの魂をあなたに委ねます」

 

 司教の言葉で若い候補生や家人たちが嗚咽とすすり泣きを堪える音を漏らした。アンヘルは引き絞った口そのまま、深い悔恨に囚われながら、ゆっくりと花を置いた。白い百合の花が友人の眠る棺桶を彩っている。目蓋を閉じると過去の優しい記憶が浮かんできそうだが、静かに流れる讃美歌が過去の葬儀と重なってやけに酷い鈍痛を齎した。

 

 よく言う、葬儀は死者を送るための儀式ではなく送る側の告別式に他ならないなんて言葉がある。事実、その意味はあるのだろう。こうやって厳かな雰囲気の中で見送る中、生物故のどうしようもなさを実感しながら、己の気持ちに区切りをつけていくのだ。まるで章区切りのように。

 

 しかし、こうやって目を閉じると、幽鬼のように暗く忍び寄ってくる過去を抑えきれないのだ。膨れ上がる後悔が、何もしてやれなかった自分を、その無力さを弾劾されている気分になる。

 

 この世界に来てからもう三回目だな。アンヘルは己の過去を振り返った。一度目はこの世界の父。二度目はマカレナ。三回目はユーリ。

 

 慣れない。慣れるはずがない。じくじくと心臓を捻りつぶされたかのような鋭い痛みが、半身を引き裂くようにして全身を駆け巡った。献花したそこに、背を向け去っていく。これで終わり。彼とはもう終わりなのだ。人々の記憶の中で輝き続けることはできても、新たに何かを生み出すことはできない。

 

 ああ、なんて、命の軽い世界なのだろうか。アンヘル、アンヘルと親し気に呼んでくれた声を再び聞くことは叶わない。軍人として、そして武人として志した時点で、すでに戦人の覚悟を決めねばならぬと言われるかもしれないが、この若き候補生の死は堪えに堪えた。

 

(先に待ってて。いつかは分からないけど、そのうち行くからさ)

 

 葬列から離れて悲しみに暮れる人々の間を抜けながら、再び自身の席へと戻る。着席せず、じっと立ち尽くす。ステンドグラスの下。そこに聳えるような天使を象った彫像が此方を睥睨するかのように鎮座していた。

 

 参列者の中から士官学校代表オスカルが献花を終えて、此方に向かってきていた。完全なる無表情。唇に悔しさのような戦慄きを残しながら佇むアンヘルの横に並んだ。

 

「悪いな。病み上がりなのに」

 

 小声の囁きに、アンヘルも無感情な言葉で返した。

 

「構いません。彼は友達、でしたから」

 

「そう、だろうな。もう詳細は聞いているか?」

 

 アンヘルは泣き崩れるエルサに目を向けながら、ソニアからの説明を思い返した。

 

「班長とエセキエルさんの様子は、その、かなり、深刻だと」

 

 エルサは親よりも感情を高ぶらせているのか、ユウマになんとか付いていてもらいながら立っている状況である。えっぐえっぐと、息をするたびに堪えきれない嗚咽のような音が響く。

 

 エセキエルの様子も通常ならあり得ぬほど変わっていた。あの饒舌な男が言語機能を失ったかのように首肯するだけの存在へとなり果てている。頬はごっそりと削げ、目からは生気を失っていた。

 

 班員たちもどこか歪になっている。ユウマもいつもの快活さは鳴りを潜め、沈痛な表情を浮かべるだけだった

 

「庇われたエセキエルの動揺は大きいようだ。エルサもとくに親交があったみたいだからな」

 

「そう、みたいですね。ソニアさんとふたり、協力してもう少し気を配ることにします」

 

 彼らの状態はまったく平常じゃない。軍人として覚悟を決め、そして、苦難の過去を乗り越えてきたアンヘルですらこの調子だ。眼前で仲間を失った彼らの衝撃はその比ではなかった。

 

 オスカル教官は優しい色を瞳に浮かべながら、気丈に前を向く女性を顎で示した。

 

「それなんだが彼女にも気を払っておいてくれ」

 

「ソニアさん、ですか?」

 

「ああいうタイプは抱え込みやすい」

 

 エルサから事あるごとに頼られていた。つまり、ユーリの人間関係で特筆すべき女性はエルサになるだろう。鈍いアンヘルでもそれは一目で理解できたが、ソニアの好意はまるで想像できなかった。

 

「勘違いならいいんだけどな。俺には悲鳴にしか見えないよ」

 

「教官」

 

 アンヘルは、痛まし気に見る教官の横顔をじっと見ていた。それに気づいた教官は振りむき、右手でガシャガシャと無遠慮に頭を撫でてきた。

 

「アンヘル。おまえもだ。いいか、大人に頼っていけないことなんて世の中にはほとんどないんだ。頼るってのは恥ずかしいことじゃない。冷静になっているつもりでも、積もれば心は鬱屈していく。俺じゃなくてもいい。けど絶対、吐き出すんだぞ」

 

「……」

 

「大人じゃなくて、友達でも恋人でもいい。あの黒髪の見舞い人なんかいいじゃないか。淀んだモノを吐き出さないと、結局こっちがミイラ取りになっちまう」

 

 アンヘルは彼を正面から直視した。優しく、気高く、そして寂しげに映る。教官の内面、その一端を垣間見た気になった。

 

「だから彼女とはそんな関係じゃ」

 

「人生は短い。それを忘れるな」

 

 オスカル教官は家族と話すために消えていった。恐らく、謝罪の言葉を残すのだろう。士官学校として、優秀な人材を死なせてしまったと。ただ自分の指導不足だと告げるため。イゴルのときと同じよう、憎しみをたった一身に集めるため。

 

 ユーリの弟らしき子供が泣き崩れる婦人を横から支える。昔、世間話で十にもならぬ弟がいると聞いたのを思い出していた。

 

 ふと、セリノとの会話が頭の中に湧いた。

 

 反吐が出る思いだ。己の汚らわしい龍の思考に嫌気が差した。

 

 ごくりと喉を鳴らした。アンヘルは壊れていく小隊員を見つめていた。

 

 

 

 §

 

 

 

「そう、わかったわ」

 

 短めの黒髪を鬱陶しげに払う女性は他の班長のつれない返答を受けて、己が仲間の待つ部屋へと向かっている最中だった。

 

 慌てているのか、注意散漫になっていたのか。「いたっ」と角に置いてあった木箱に足をぶつけた。苛立ち混じりに蹴り飛ばす。ガラガラと積み上げられた木箱は崩落した。

 

 知らず、唇を噛み締める。

 

 葬儀は昨日、終えたのだ。思考を切り替えなければならない。彼が言っていたではないか。チームには支える人間が必要だと。引っ張るのは自分しかいない。

 

 なにをやっている。力のない弱い自分が恨めしい。ごしごしと手で目元を拭った。微かに手の甲が濡れた。それが、想像以上にきつかった。

 

 感傷など必要ない。いらないのだ。

 

 任されたのは他ならぬ自分なのだ。実行班長をあなたに、と。ならば強くなければ、強く在らなければ価値なんて、きっと、ない。

 

 ぎっと壁面の肌を睨んだ。足を止めて、ぎりぎりと右拳を握りしめた。強く、強く。壊れそうなほど。金剛石のように硬くイメージした。仲間を奪った憎き怨敵を粉砕するのだと。

 

 まずは対策を練らねばならない。予定より二日も早く迷宮ボスが復活してしまった。困窮している小隊は少なくないと同部屋の女から聞いていた。可能性はまだある。黒髪の少女――ソニアは、悲鳴のような痛みの伴う覚悟を決めて、いつもの十三会議室に入った。

 

 扉を開けるとアンヘル以外が揃っていた。皆沈痛な面持ちで、設られた木椅子に俯いて腰掛けている。

 

 エルサは涙が止まらぬのか、目を腫らした状態でいまだ鼻水を啜っていた。

 

 ひどく閑散としている。皆の意見を整え、一つの方向に向けていた人物は存在しない。がらんと其処だけが切り抜かれたかのように空いているところを見て、なにかが込み上げてきそうになるが、それをぐっと飲み込んだ。

 

「取り敢えず報告よ。合同小隊は今回のことを受けて皆消極的よ。でもまだ可能性はある。二日も早く復活したのだからボスの力は不完全だし、それに踏破できなかった班がいくつも残っている。それを纏めあげれば――」

 

 室内に進みつつ、全員の顔色を伺った。心ここに在らずといった様子で返事は返ってこなかった。

 

「エルサ班長。あなたは一応班長なのですからそろそろ切り替えてください」

 

 努めて冷厳に言った。誰かが言わねばならないのだ。その役目は、彼に牽引役を任された、自分の役目だ。少なくともソニアはそう思っていた。

 

「あなたは、いつも変わりませんね」

 

 冷徹に映ったのか、エルサが血走った目で此方を睨んできた。

 

「なにが言いたいの?」

 

「あなたにとってユーリさんは替えの利く駒程度の存在だったかも知れません。けど、私にはっ! 私にはチームを支えてくれた、ただ一人の人間なんですッ。それを、それを、捨てるみたいに、そんな風に忘れて、ホイホイ次に行かないでくださいッ!」

 

 涙と嗚咽の混じった魂の叫びに、心の奥底の封じていた感情がぐつぐつと煮えた。

 

「いつまで被害者ぶっているのよ!」

 

 絶叫が室内に木霊して、ビリビリと部屋が震えた。血が滲むほど強く握った拳が震えた。

 

「私たちは、候補生ッ! そして、軍人なの! 切り替えて、先に進まなきゃなにも始まらないわ!」

 

 その反論に、エルサはぐっと詰まると、大きく叫んだ。

 

「私は別にずっとこのままって言ってるわけじゃありません。でも、葬儀から、たった一日です。それしか経っていないんです。あなたには人の心がないんですか!」

 

 彼女から吐き出される言葉は止まらない。唾を飛ばしながら、その小柄な体格すべてを使ってあげられる悲鳴のような狂乱の訴えは、ソニアの心の底を抉っていった。

 

「それにこの班でもう一回なんて、ムリです。私が、無能だったからユーリさんはっ…………私、班長なのに、一番先に下の階へ」

 

 ワッと、エルサは机に突っ伏した。

 

 気に入らない。気に食わない。この女はこうやってずっと、被害者ぶって悲しみに暮れて。それでどうなるというのだ。それで彼が帰ってくるというのか。

 

「泣いてそれで何が変わるの。現実を見なさい。もう守ってくれる彼はいないわ。戦う、それしかないのよ!」

 

 机に突っ伏しているエルサを穴でも掘るくらいに強烈に睨みつけた。

 

「班の文句を言うのは結構。でもね、私たちは運命共同体。彼のことを思うなら戦って、敵の首を捧げるのがそれこそ本当の供養なの」

 

 呼吸は荒く、顔は血が昇って紅潮した。けれど譲れない。あの巨人は自分の手で。自分たちの手で。誓って、そして信じたい。

 

 エルサは顔をあげると、弾劾するように吠えた。

 

「そもそもあなたの所為じゃないですかッ。私とユーリさんで必死になって計画を立てたのに、それをぶち壊しにして。あなたがいなければもっと早く踏破できていたのに!」

 

 その狂乱ぶりに一歩たじろいだ。エルサはさらにその矛先をエセキエルに向けた。

 

「それに、あなたもですッ」

 

「お、おれは」

 

 急に振られたエセキエルは、動揺を露わにしていた。直視できないのか、視線を左右に彷徨わせていた。

 

「ユーリさんが必死になって考えてくれた計画を、ぶち壊してっ! それが、嫉妬ッ。ふざけないで!」

 

「――俺が悪いってのかよっ!? 他のやつだって、全然、それこそ班長だってなんにもしてなかっただろ」

 

「ふざけないでください! あなたのせいっ! なんでユーリさんがあなたなんかクズ、助けて死ななくちゃいけないんですかッ! 代わりに、あなたが死ねばよかったんです! 返して、ユーリさんを返してよぉぉぉ」

 

 それを最後にエルサは地面へと崩れた。悲鳴の残滓のようなものが部屋に残っていた。ソニアはその常軌を逸した狂乱ぶりに、なにもできなかった。

 

 エセキエルが立ち上がって、キョロキョロと周囲を見渡す。

 

「な、なんっだよ。ぜ、ぜんぶ、おれのせいだってのかよっ。なんか言えよ! みんなそう思ってるんだろッ!?」

 

 誰も俯いたまま返事をしない。彼の叫びだけが虚しく響いた。

 

「なぁ、もうやめよーや。言い争うんも、これ以上戦うんも」

 

 突然、これまで沈黙を保っていたユウマが口を開いた。

 

「ウチ、もうイヤや、こんなん」

 

「なに言ってるの?」

 

 幽鬼のような表情を浮かべる彼女に呑まれながら、ソニアは聞き返した。彼女は目を合わせず床をじっと見ていた。

 

「おかしいやん。こんなん。戦って、争って、目の前で死んで、でもすぐ戦って。ずっと、ずっとこんなんやん。おかしい、おかしいって」

 

 最後の方は涙ながらの言葉になっていた。

 

「それが仕事やっていうんなら、ウチ、もう無理や。わかってるんよ、それが必要ってのは。けど、おかしいやないの。今までイヤなこといっぱいされた。貴族からやとか、ヤラシー目で見られても我慢しとったよ。けど、けどな。こんなんたえられへん」

 

 静かな言葉だったが、それがやけにしんと響いた。ユウマは頭を抱え込みながら後退していく。壁に背をつくと、かがみ込んで俯いた。

 

 急に視界が真っ暗になった。崩壊。それが現実となっていた。

 

 こんこん。扉をノックする音が、突然響いた。

 

 全員が扉を見る。日常の音に全員が少しだけ落ち着きを取り戻す。扉に近いのは自分だと、ソニアは近づき扉をゆっくり開いた。

 

「あなたは」

 

 其処にいたのは、ユーリの葬儀で見た夫人と弟の姿だった。

 

 夫人は葬儀の喪服ではなく、見た目のいい礼服を纏っている。弟も同じだ。小さな背丈を武装するように礼服で身を包んでいた。

 

 弟の顔はユーリによく似ていた。そのまま大きくすれば彼になるだろう。その類似性に否応なく悲しみを沸きたたせた。

 

「なんの、御用でしょうか。ユーリさんのご家族の方ですよね」

 

 ソニアは膝を降りながら、弟である少年に目線を合わせながら言った。

 

「ほら、カイン。あなたが言い出した、ことでしょう」

 

 夫人はカインと呼ばれた少年の背中に手を優しく添えた。少年が一歩前へと出る。

 

「あの」

 

 少年の唇は震えていた。ソニアは待った。

 

「お兄ちゃんは、どうでしたか? さいごまでゆうかんでしたか? みんなにそんけいされる、ぐんじんさんに。皆さんの、おやくに、たてましたか?」

 

 エセキエルがゴクッと息を呑む音が微かに聞こえた。

 

 少年カインはボロボロと涙を溢しながら、さらに続けた。

 

「お兄ちゃん、ずぅっと、ずぅっとイヤだって。そう言ってて。でも、おにもつうけとりのついでに、がっこう、みていったらどうだって。おにいちゃん。かっこよかったですか?」

 

 ソニアは言葉を喪失したままなんども縦に首を振った。目から、涙が溢れる。どうしようもなく抑えられなかった。夫人も同じように涙を溢していた。

 

「ありがとうございます」

 

 少女が頭を下げた。夫人も同じように下げる。

 

「それを聞いて報われました。ずっと、無理をさせていたんじゃないかって。けれど、あの子はあの子なりに、頑張っていたんですね」

 

 少年は涙に塗れた顔を上げながら、その小さな瞳を輝かせた。

 

「ボク、ずっとがくじゅついんに入りたいと、おもってました。けど、ぼくは、お兄ちゃんのかたきを、とります。おしえてください、お兄ちゃんをやっつけたやつは、どんなやつなんですか?」

 

 真摯な瞳だった。誰もが明朗な返事を語れなかった。先ほどまで、仇を討つことに否定的な話をしていたのだ。エルサも、エセキエルも、ユウマも枯れ木のように立ち尽くしていた。

 

 そのあまりにも気高い想いに、跪きながらハンカチで涙を拭ってやった。深い悲しみに遭い、それでも尚、失った兄の為に敬意を表して行動する。あまりにも清冽な願いだった。

 

「ありがとう。でも、大丈夫。お兄さんの願いはあなたが学術院にいくことだったでしょう? ならそれを叶えてあげなさい。仇は私たちが取るから」

 

 ソニアは振り向かずにそのまま言葉を投げかけた。

 

「私たちはなに? ただ力のある武芸者? 違うわッ! こんなにも純な願いを持つ遺族の代わりとなる力を求めたから此処にいるんでしょうッ! ここまで聞いてそれでも、自分可愛さに逃げ出したいってやつは今すぐこの部屋から出ていきなさいッ!」

 

 皆泣いていた。涙を溢し俯いていた。けれどそれは、悲しみにくれる涙ではなく、怒りと誇りに満ちた涙だった。

 

「俺は仇を絶対にとってやるッ」

 

 エセキエルが吠えた。エルサがソニアと同じように跪いて、少年を抱きしめた。

 

「私ももう、逃げませんッ。ごめん、ごめんなさいっ。かならず、かならず、ユーリさんの仇とってみせますっ」

 

「ウチも、やめるなんてもう言わへんッ! ぜったい、ぜーったい、あいつを倒すんやッ!」

 

 ユウマの鼻声が響いた。エルサが泣き、エセキエルが吠え、ソニアが美しい微笑みを湛えた。少年と夫人は泣き崩れた。

 

 開け放たれたままの扉から涙目の教官のオスカルと苦い顔をしたアンヘルの姿があった。

 

 オスカルは唇を噛み締めたままその光景をじっと見ていた。

 

 顔を上げて、立ち上がった。

 

「教官。私たちを、より厳しく指導してくださいっ。そしてかならず、仇をとってみせますッ」

 

「そう、だな。ああ、ああ、そうだ。それでこそ候補生だっ!」

 

 オスカルがひとり室内に入ってくる。部屋にいる全員の手を合わせると、気焔をあげるようにして円陣を組んだ。

 

「これは、俺の部隊でよくやっていた儀式だ。ソニア、一二の三で、頼む」

 

 円陣のように全員が組んだ。気合が爆発。あげた顔には、誰一人、悲観に暮れた表情をした者はいなかった。

 

 ――ユーリさん、必ず、あなたの仇をとってみせるわ。

 

 迷宮攻略演習終了まであと十日。未踏破小隊は十五組。

 

 七八エルサ小隊の真の門出は今日この日はじまった。

 

 

 

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