イセカイ&ドラゴンズ   作:原田孝之

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第五話:出会い

 その女――ナタリアは、アンヘルを引っ張りながら、毒気を抜かれた顔をした店主達の脇をすり抜けていき、彼女の両親が経営する店へ案内した。

 

 『菜の花亭』。セグーラの街の大通りから一本となりの道にある古い木造建築の店である。

 食い物商売。特に酒場は多くの銭が入る。盛場は他の商売と比べ、初期投資こそある程度かかるものの店舗とある程度の調理スキルがあれば、簡単に始められる効率の良い商売である。

 その中でも、『菜の花亭』は大通りのすぐそばに面しており、そこそこ広い木造建築の店である。セグーラの中でも指折りの酒場と言ってよかった。

 その店の看板娘兼一人娘のナタリアは、良家のお嬢様といってもいいほど、農村育ちのアンヘル達とは育ちが違った。

 

「ごめんなさいね。最近、ちょっとピリピリしてて……」

 

 ナタリア――女というよりも少女に近い。年齢はアンヘルよりも少しだけ年上に見えた。栗色に光る髪と黒々とした瞳が特徴的な彼女は、その垢ぬけた美貌(びぼう)もあいまってとても輝いていた。

 

 彼女は謝罪しながらも、テーブルにビールと料理を配膳する。

 

 このトレラベーガ帝国においては、酒の制限は存在しない。古代から、水の保存のために、アルコールが使用される例は多く、異郷の地においてもそれは例外ではなかった。現在は魔石を利用した魔導工業化が進み、浄水や保存技術は向上しているが、慣例からか若年層の酒精の禁止には至っていない。

 アンヘルも当然のように村で呑んだことがある。

 気負いせずビールに口をつけた。

 

 アンヘルは喉を通るビールの苦みが嫌いではなかった。

 

「ど、どうして、助けてくれたんですか?」

 

「ううんとね……」

 

 アンヘルは彼女の仕草ひとつひとつにどぎまぎさせられた。

 村にいた女性は同年代ではなかったし、日々の農作業で薄汚れていた。

 最も情を感じた女性が姉だったのだから、村の事情がよくわかるというものである。

 

 考えるしぐさなのか、右の人差し指で髪をクルクルと巻く。後ろに束ねられた髪のためか、うなじが灯りに照らされて艶かしく見える。

 

「まっ、見過ごせないじゃない。わたし、あなたが友達と争ってるのも見ちゃったしさっ。可哀そうじゃない、喧嘩したあとにあんな騒動があったんじゃさ……。もちろんっ、ここのお代を払ってもらうっていう下心もあったけどねっ」

 

 そういうと、ナタリアは照れ隠しなのか下をチョロっとだした。

 

 愛嬌があるのか、親しみやすいのか。酒場の酌婦をやっているからだろう。人見知りが入っているアンヘルにも接しやすい。

 

 アンヘルは照れてしまって、視線を外すため辺りを見渡した。

 奥で体格のいい中年男性がテーブルを拭いているのが目につく。

 

「ああ、あれ? 父さん。からだ大きいでしょ」

 

 ナタリアは僕の視線に気づいたのかこちらに声をかけてきた。

 

「父さん、昔探索者を目指してたってこともあってさ。あなた、困ってるみたいだったから。助けたいなって、なんとなく」

「そ、そうなんだ。今は引退してるの?」

「ううんとね……。あんまり知らないんだけどさっ、やっぱり探索者も狭き門らしいから、うまくいかなかったって」

 

 そういうと、彼女は目を興味深そうに輝かせながらこちらを見る。

 

「ねえっ。あなたも探索者なんでしょ! どうだったの!?」

 

 興奮しながら尋ねてくる。

 

「ええっとね。今日はじめてだったからさ。『塔』にいってきたよ」

「へぇ、すごいじゃん。結構以外かも、あんまり探索者に見えないからさっ」

 

 ナタリアはかなり踏み込んだ感想を述べた。

 

 ――いや、わかってるよ。僕が向いてなさそうって……。

 アンヘルは悪気のなさそうな彼女に文句をいうわけにもいかず少しへこんだ。

 

 するとナタリアはそれに気づいたのか両手を合わせた。

 

「ごめん、ごめん。気にしてたんだね」

「い、いや、いいよ。なんか場違いみたいに見えるのは、ホントだから」

 

 こういう人の変化に気づきやすいのが彼女の長所なのだろう。先ほどからこちらの話を進めやすいよう、気を配ってくれている。

 それにしてもナタリアはコロコロと表情が変わる。まるでアンヘルの話を楽しんでいるようだった。

 

「でも、それで? どうして喧嘩したの? せっかくの初凱旋だってのに」

「いや、報酬が少なくてさ……。それで、もめちゃって」

「あー、『塔』って少ないんだね、報酬。ここに来てた探索者志望の子たちが嘆いてたよ……。あ、これもらい」

 

 そういうと、テーブルに置いてあるスプーンで麺料理――セグーラの街名物『パンシット』を一口食べた。

 

「んー、おいしー。君も食べなって! おいしいよ」

 

 そういうと、皿をずいっと前に押し出す。

 そして彼女が使用したスプーンを渡してくる。

 

 間接キスだ。中学生の発想で、アンヘルは渡されたスプーンにドキドキしながら食べた。

 

 ――パスタというよりは皿うどんに近いかな……。

 パサパサしていて千切れやすいつまみ料理の味に、アンヘルは感動した。

 

 この世界に来てから初めてまともな料理に出会った。最初はパサパサした味のない米らしきものだったし、シィールが来てからはほぼ魚の丸焼きだった。その料理からはたしかに文明の味がした。

 

 感動からか涙目になると、ナタリアはわたわたと慌てだす。

 

「え、え!? 泣くほど!? そんなに美味しかった?」

「い、いや、ちょっと埃が、埃がね……」

 

 苦笑いしながら涙を拭う。同時に意味不明な場面で泣いたことにより、アンヘルは気恥ずかしくなってしまった。不格好なヘンテコ回答をしながら、なんとかごまかした。

 

「うん、うん。まあ、それだけ美味しかったってことかな、ウチの料理はさっ!」

 

 ナタリアはアンヘルの態度に満足したように笑った。

 カラっとした笑みだった。

 

 すると、店の扉がガラガラと開き、複数の男達が入ってくる。男達がナタリアを見つけると彼女の名前を呼んだり、手を振ったりしながら席についた。

 

 すると、奥で作業をしていた彼女の父が声をかけた。

 

「おおい、ナタリア。休憩も終わりにして、こっち手伝ってくれ」

 

 人が増えたからだろう、店内が慌ただしくなり始めた。

 

「はーい」

 

 ナタリアが元気よく答えると、小悪魔的笑みを浮かべながら言った。

 

「じゃあ、私はいくけどさっ。好きなだけいていいよ。私が助けた分はサービスしてあげるからさ。また来てよ、それが君のお礼ってことで」

 

 そういうと、ナタリアは颯爽とカウンターに向かう。しかし、途中でこちらに振り返り、注意するように言った。

 

「あと、ともだちとは仲直りしなよ。次来るときは、友達といっしょにね」

 

 そういいながら人差し指を立てた。子供っぽい仕草だったが、異様に彼女に似合っていた。

 

 アンヘルは他の客の給仕に向かう彼女の後ろ姿をずっと眺めた。

 沈んだ気持ちがどこかに消え去り、輝かしい明日への予感がした。

 

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

 

「チッ、どうすっかなぁ、こんなんじゃあよ」

 

 ホセは手に持ったコインを上に投げ上げ、落ちてきたところを掴み取る。

 

 この1枚では、2日も飲み食いすれば空になる。繁華街で遊興に耽ることは不可能であった。

 ホセはフラフラ歩きながら、自然と明るいほうに歩いていく。

 

 ホセの頭には、先ほどのアンヘルとのやり取りが浮かぶ。

 

「あいつもよぉ、あいつだぜ」

 

 悪態を吐く。

 

 しかし、本心では分かっていた。

 あれ以上、粘っても何も引き出せない。

 アンヘルの言い分が正しいことも。

 しかし、その言い分を理解するのと自分の言葉を取り下げるのは別だった。

 

 人は誰だって振り上げた拳を下げるには理由がいる。探索者というアウトローを自称しているホセにとって面子は大事だ。

 なにより、自分を頼りにしているアンヘルの前では。

 

「はぁ、クソ!」

 

 虚空にいろいろ吐き出しながら歩いていると、辺りは雰囲気はどんどん明るくなる。それに、騒ぎ声も大きくなっていった。

 

 近くには、血相を変えたオヤジや前後もわからぬほど酔っぱらった男が歩いている。ピリピリした空気。血の匂い漂う戦いの場の空気ではない、けれど戦場のような独特な雰囲気を醸し出す区画にホセは辿り着いた。辺りはショッキングな色でライトアップされている。

 

 ホセはその中でも盛り上がっている店に入った。

 

 辺りで歓声や悲鳴が聞こえる。

 ホセは人が集っている区画へ行き、血走った目をした男に話を聞いた。

 

「なんだ、てめぇはよぉ、賭けに参加しねぇならあっちいけや!」

 

 男はぞんざいな返事をすると、すぐに盆台を見る。

 

「うらぁあああ! 来たぜぇ」

「おらぁのもん取り返すまでは、ひけねぇんだよ!!」

 

 歓声と怒号は鳴り止むことがない。

 別世界に入り込んだようだ。

 

 壁際には、派手な服を着た若い女――娼婦が腰に手をあて、艶やかな視線を周囲に送っている。大きく勝った男の近くにいっては、手をとってやる女もいた。

 

 ホセが入った店は鉄火場だった。

 辺りで行われているのは(サイ)をつかった勝負のようだ。

 

 ディーラーが振った賽の目に大きな歓声と悲痛な叫びが響き渡る。

 辺りの客は、数字の書かれた紙切れを握りしめていた。

 

 サイは古くからある博打である。

 大きな場所を必要とせず、必要な知識もないことから、日銭でその日暮らしを繰り返す貧困層および下民に好まれた。

 サイのルールは原始的である。賽の目が偶数なら『丁』、奇数なら『半』と予想して賭けるだけである。しかし、単純がゆえに学のない民衆はこの娯楽に熱中した。

 

 当然ながら、街に来たことはあるが、その隅々まで行ったことがあるわけではないホセには物珍しく映った。

 

 ホセの目の前、盆台の上でツボを振っていたディーラーが言い出す。

 

「さあ、揃ったよ、賭けた賭けた!!」

 

 客は一斉に数字の紙――コマ札を線で区切られたふたつの領域に置いてゆく。

 

 少し待つと、客がコマ札を出し終えたのか誰も置かない。

 

 緊張が高まるが、まだ勝負は始まらない。

 どうやら、『丁』――偶数側の札が多いようだった。

 

「ほらほら、『丁』に賭ける奴はいねぇのかい」

 

 店側があおるが、なかなか賭ける奴は出てこない。

 どうなるのか気になっていると、横から声がかかる。

 

「なぁ、あんた。『丁』側に賭けねえか? 今回はいける気がすんだよなぁ」

 

 声を掛けたのは、ホセよりも幾分か身長の高い青年だった。

 年のころもそれほど変らない男である。

 

 目に大きな隈があり、健康状態が悪く見えた。良く言っても、その恰好からは浮浪児にしか見えない貧困層の住民である。

 

 男の名はナセといった。ナセもホセと同様、昨年の秋に村から上京してきたのであった。

 ナセは博打に慣れた様子で、ホセに札を買うように勧めてくる。

 

「なあ、ここで無効にしたかねぇんだよ、持ってんだろ?」

 

 ナセが指で輪っかを作り、こちらに話しかけてくる。

 

「ほら、打つは男の器量っていうだろが。ビビってんのか?」

 

 ホセはその言葉に、血が頭に昇った。

 ――くそ、舐めやがって……。売り言葉に買い言葉でホセはその提案に乗った。

 

「参加するにはよ、どうすりゃいいんだよ?」

 

 ナセはその言葉に嬉しそうにクックと笑った。

 

「ほら、あそこの店員に札もらって賭ければいいのさっ」

 

 そういって、近くの男を指差した。

 

 ホセはその言葉に従い、半コイン分の札と取り換え『丁』へ置いた。

 

 ホセの動きにつられたのか、数人が続いて賭けた。

 

「さあさあ、出そろいましたよ!!」

 

 ディーラは右手でツボ振りを握り、左手は開いて客側に見せる。

 ホセの心臓が高鳴る。

 

「くるぜ!、くるぜ!」

 

 ナセが騒ぐ。

 

 ディーラーが静かにいった。

 

「勝負!」

 

 賽のひとつは五。

 もうひとつは……。

 

 三だ。

 

 偶数、『丁』だ。

 

 そう分かった瞬間ホセは手を振り上げながら叫んだ。

 獣のような声がでた。ナセも大きい声で叫ぶ。

 

「へっ、みたかよ。やっぱり『丁』じゃあねえかよ!!」

「ああ!、ああ!」

 

 ホセは興奮したように頷くだけだ。

 ナセはその様子に頷きながら言った。

 

「なあ、俺が博打教えてやるよ。どうだ、一緒に賭けねえか?」

 

 ホセは興奮冷めやらぬまま、一気に増えたコインを見つめる。

 ホセの返事は決まっていた。

 

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

 

 あの晩、ホセは住んでいる倉庫には帰ってこなかった。

 それほどに怒っているのかと、アンヘルは心配した。

 何回も探しにいこうか迷った。治安も悪い郊外で問題が起きるのも珍しくはない。ホセの身に何かあったのかもしれなかった。

 

 しかし、結局アンヘルは探しには行かなかった。

 喧嘩した後にどんな顔をして迎えに行けばわからなかったというのもある。顔を合わせるのが、バツが悪い気もした。なんだかんだと言い訳をかさね、倉庫から出ることはなかった。

 

 もう帰ってこないかと思った矢先、ホセはあっさりと明け方には帰ってきた。酒精の匂いを漂わせながら。

 ホセはとても上機嫌に酔っぱらいながら帰ってきたのだ。

 

 アンヘルは昨夜の喧嘩について恐る恐る謝ろうとすると、ホセは上機嫌なまま「気にするな」といったのだった。

 アンヘルは釈然としないような、それでもホッとしたような気持ちになった。

 

 ホセは眠いと床に入りながら、アンヘルに盾を探すように言った。

 

 

 アンヘルはそんなホセを見送りながら、盾探しのために街へ繰り出した。

 しかし、盾探しは難航した。

 

「そんな簡単に盾なんて見つからないよぉ」

 

 水辺の岩に腰をおろしながら、アンヘルがぼやく。

 柔らかな風が吹いており、降り注ぐ光による熱を緩和している。

 

 あたりにはふんわりと水の匂いが漂っていた。

 

 アンヘルはホセに言われたように盾を買い求めに店を訪ねたが、どの店も手が届くような値段ではなかった。そのうえ、アンヘル達が必要としているのは飛んでくる石から身を守る大型の盾である。しかしながら、その条件を満たす盾は偉丈夫のみが使えそうな重厚な盾だけだった。

 

「もっと薄くてもいいのになあ、シィール」

 

 シィールは水に潜りながら顔だけ出して、アンヘルの言葉に反応する。

 アンヘルが手を出せば、なめらかな頭をこすりつけてくる。

 

 アンヘルは望み通りの物が見つからず、現実逃避のために街の外の河まで遠出していたのだった。そして、日課になっているシィールとの触れ合いおよび魚の入手を行っていた。

 

「えらいなぁ、シィールは」

 

 頭を撫でてやると、シィールは目を細めながら気持ちよさそうに鳴く。

 魚を持ってくるシィールはほめてほめてと言わんばかりに甘えてきた。

 

「ごめんね、今はまだ外で大っぴらに会えないんだ」

 

 言葉が分かっているのか、シィールは寂しそうな表情をする。

 そんな顔をみて、アンヘルは決意をより深くする。

 

「みてて、シィール。もっと強くなって、いつでも会えるようにするからさ」

 

 そう言いながらもため息をつく。

 

 今やっていることが現実逃避であることは分かっていた。

 

 しかし、盾を入手するのは容易でない。

 

 そもそも武具は高い。

 効率的な生産を可能とする現代日本とは違い、工業化が始まったばかりのトレラベーガ帝国では、武具はすべてワンオフ品であり、下々の民衆にまでいきわたる程量はなかった。

 そのうえ、治安の悪い辺境においては、民衆は自分の身を自分で守らねばならず需要は増加するいっぽうであった。戦争で軍が武具を必要としていることにも武具不足に拍車をかけていた。

 そのうえにどの店にもほしい盾が置いていないため、新造してもらう必要のあるアンヘルには打つ手がなかった。

 

 ――最悪、木を張り合わせただけでいいのに……。

 頭にボロい盾が浮かぶ。

 

 ため息しかでない。

 

 最終手段だ。アンヘルはそう思った。

 木を張り合わせて、取っ手をつければいいだろう。

 

 ないものねだりを諦めたアンヘルは自作することにした。

 工作技能は小学生並みの自身があったが、不格好でも目的さえ果たせればいいと割り切る。

 

 ――どうせ、あそこを乗り切るための盾だ。使い切りにしてしまえばいい。

 

 そう考えたアンヘルはシィールを召還すると、街へ向かって歩き出す。

 

 ろくな盾ができないとわかっていたが。

 

 

 

 §

 

 

 

 木材はかなり安く手に入った。

 もう材質にもこだわらず、見た目にもこだわらず廃材を使うことにした。

 

 それを素人作業で張り合わせると、張りぼてと言わんばかりのぼろぼろの盾が完成した。誰が見ても、斧の一撃で破壊されそうなボロさだったが、アンヘルにはは作り上げた達成感があった。

 

 ――見た目は最悪だけど……。隠れられるし、わるくないよね?

 

 もはや石を避けるためだけに使うと決めた。

 

 そう考えれば、一応とはいえ身体も覆えるし、十分な大きさが確保できたこの盾は十分であるかのように思えた。

 アンヘルは最後の部分である自作盾の取っ手をつけるため、工具を買った後、仕上げをするため家に向かっていた。

 

 ――あとは、取っ手をつけるだけだ……。

 

 アンヘルの気分は、盾造りを通して上向いていた。

 

 久しぶりの休養であった。

 農村では、毎日のように農作業が続いており、街に来てからは生活基盤を整えるのに必死で街を見廻った事はなかった。民衆にとって、娯楽のないこの時代における買い物は良い気分転換であった。

 

 この世界において、男の娯楽といえば酒、女、博打である。それは、どこの国でも変らない不変の事実である。

 

 しかし、アンヘルにとってそれらの娯楽は関心の外側にあった。

 アンヘルには、日本人として過ごした記憶がある。いや、正確には日本人として暮らした人格のほうが支配的であるといえた。

 

 そのため、日本人の価値観として、現在未成年にあたる飲酒や博打――パチンコなど日本にも合法の賭博があったが、若いアンヘルにはそれらは息を抜く方法として考えも及ばないものであった。

 唯一、若干の興味があった女に関しては、その生来の性格や環境ゆえに生まれてこの年まで縁がなかったのであった。

 

 アンヘルも一般的な男子学生と変わらず、図画工作について興味がある――人並以上に優れているとはいえないが、盾を自作するための街巡りは気持ちを軽くさせたのであった。

 

 足取りは軽い。

 買った工具を背負い、家に向かってどんどん進む。

 

 日はもう少しで落ち始める頃だった。

 

「お金に余裕ができたら、また会いに行きたいな……」

 

 酒場『菜の花亭』はここから数分の距離である。

 垢ぬけた笑顔の看板娘――ナタリアの顔が頭に浮かぶ。

 

 こうやって、時間に余裕ができればそのことばかり考えてしまう。

 それは、アンヘルにとって初めての経験だった。

 

 ――ホセとの仲直りできたし、塔に突入できれば打ち上げもかねていこう。

 

 盾をつくったばかりであるのに、楽観的に考えてしまう。

 色も知らぬ少年の幼い思考回路であった。

 

 気分よく歩いているアンヘルの耳に、何か硬いものをぶつけ合う音と威勢の良い叫び声が聞こえてくる。

 

「はああぁあああああ!」

「腰を落とせ、腰を!」

 

 複数の男達の掛け声だ。

 周囲を灌木で囲まれた敷地では、少年と言える年頃の男達が木刀を振り回し、打ち合っている。

 

 周囲には打ち倒され、泥にまみれた者が幾人かいる。

 彼らは、息を荒くしながら下を向いていた。

 

 多くの人物が、疲れたように剣を振るっているなか、赤毛の少年だけは威勢よく師範と思われる年配の男性に挑みかかる。

 

「うらぁああああああ!」

 

 赤毛の少年は、上段八双に構えながら、相手側の間合いに目にも止まらぬ勢いで飛び込み、雷光の如く降り下ろした。

 木刀はなめらかな曲線を描きながら、轟雷のような音を鳴らして相手の木刀を打ち据える。

 打たれた側はたまらず下がる。背丈もアンヘルと変らぬような少年が繰り出す斬撃はまるで巨人が打ち込んだと思わせるほどの迫力があった。

 

 赤毛の少年は引いた相手に合わせて、さらに一歩大きく踏み込む。そのまま剣を打合せ、鍔迫り合いになった。ぎりぎりと必死の表情を浮かべながら競り合う。一瞬の拮抗の後、力の比べ合いは師範代側に傾きはじめた。

 

 単純な膂力においては、大人である師範代に分があるのだろう。赤毛の少年は、足跡が残るほど強く地面を蹴り、後ろに飛びのいた。

 

 それが、仕切り直しの合図となった。

 赤毛の少年は上段、師範代側は下段に構えなおし、間合いを図り合う膠着状態へ陥った。

 じりじりと小さく移動しながら、互いは互いを伺う。

 

 両者の位置が時計回りに動く。両者が円を描いて半周した。

 

 ――す、すごい、これが、剣術!

 

 アンヘルははじめて見る実践的な闘技に目を奪われた。

 

 道場。

 軍国主義を標榜するトレラベーガ帝国において支配階級ではない下層民にとっても武芸者としての実力を高めることは立身出世の近道のひとつであった。トレラベーガ軍には、現場のたたき上げであったとしても実力主義を採用している。それは、周辺国家の中でも先進的な主義であった。

 そして、武術を高めるための私塾、家庭教師、道場は各都市においては一般的なものであった。

 

 各地域には力の満ちる『ダンジョン』がある。そのダンジョンに眠る富とモンスターの間引き――スタンピードを引き起こさないための措置のために、軍は上位の探索者を引き抜いたり、軍内で迷宮探索専門の人員育成を行っている。実際、この国において、高名な迷宮探索者は軍人で占められている。『ダンジョン』に満ちている力は、人を強化するが、一方でモンスターも強化した。このような情勢下において、人々の個人能力信奉が高まり、剣術に始まる武芸が信仰されるのも当然の流れであった。

 

 あくまでも、道場に通える余裕をもつ住民が一定数おり、一定の腕を持つ技能者が存在する中規模以上の街に限られるが。

 

 いまアンヘルが目にしている剣術は、軍内でも使い手の多い東方一刀流であった。

 

 アンヘルは興奮した。敷地を囲う木に近づき、身を乗り出して試合を見る。

 

 互角の戦いを繰り広げるふたりの間は、まるで空気が違うかのごとくヒリヒリしており、見ているだけで圧倒されそうであった。

 ふと、身を乗り出している不審者――アンヘルが気になったのだろう。赤毛の少年がこちらに視線を向けた瞬間であった。

 

「余所見などとぉおお!」

 

 師範代の叱責と共に、滝を断ち切るが如く剣を下段から振り上げる。予備動作も見せない剣戟を少年はぎりぎり身体をスライドさせることで避けた。

 はらはらと少年の髪が数本舞う。

 

 髪に触れるほど至近距離で避けた利点を生かし、少年は伸びきった師範代の腕の中に踏み込む。そして、上段から降り下ろした剣を首筋にピタッと止めた。

 

 紛れもない、少年の勝利であった。

 

 勝負が決まった後、スッと剣を引き、激しく争ったと気づかせないほど、落ち着いたたち振る舞いで礼をした。

 

 アンヘルは拍手をしたい気持ちが胸に溢れた。

 今の技に比べれば、アンヘルの武技など子供の癇癪(かんしゃく)同然である。

 

 ――か、かっこいいな……。ぼ、ぼくもあんなふうに……。

 

 そうやって考えていると、赤毛の少年は師範からはなにやら指導を受けているようで、見本を見せている。

 

 それを見ていると、アンヘルは棘のある視線を感じた。倒れ伏している少年たちだ。

 その視線を認識すると、アンヘルは自分の行為がまごうことなき不審者であることに気づいた。ぼろぼろの農民服と合わせて乞食不審者と印象は最低最悪である。

 

 アンヘルは慌てて駆け出し、その場を逃げ出した。

 

 アンヘルは今日見た光景をなかなか忘れられなかった。

 

 家にかえっても見た剣術の真似をしていたため、盾に取っ手がついたのは夜が更けてからだった。

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