イセカイ&ドラゴンズ   作:原田孝之

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第十八話:すべて虚構に過ぎぬと知りながら

「すごいじゃないか」

 

 オスカル教官は目尻に溜まった涙を拭いながら、感極まった様子でアンヘルを褒め称えていた。そんな教官の様子を候補生たちが忌々しそうに見つめている。クナルは興味なさげに欠伸を漏らして剣を愛撫していた。

 

 場はいつもの依頼待機場である行政区の建造物内だ。隘路に面した建物だが窓から微光が漏れている。魔導灯の光もあって、床の木目がはっきり見えるほど照らされていた。

 

「いえ、そんな」

 

 長椅子に腰掛けたアンヘルは、上級生の態度もあって大仰な態度の教官に苦い笑みを返した。

 

「謙遜するなアンヘル。本当によく頑張った。史上初だぞ、期間中に二度迷宮ボスを倒すなんて。エルサ班には演習特別賞が検討されているそうだし――」

 

 オスカル教官が話している途中、扉がガラっと開かれる。アグリッサや護衛たちとともに壮年の司祭が入ってきた。イズナがぴょこぴょこ手を振っている。

 

 アンヘルたちは踵を揃えて敬礼した。大神祇官は無機質な微笑みを浮かべた。

 

「すまないね。それより喜悦の声が届いたが何か慶事でもあったのかな?」

 

「いえ、申し訳ありません」

 

 オスカルは誤魔化すことなく謝罪し、その後恐縮したのか姿勢を低くした。待機中とはいえ、護衛の分際で騒がしくした事実に恥じているのか頬を染めている。

 

「気にすることはないよ。むしろ聞いてみたいな。何があったのかね?」

 

 ドミティオスはこんな些細なことで激怒するほど狭量ではなかった。

 

「詰まらぬことかもしれませんが」

 

 枕詞を付けながらも自分のことのようにして、アンヘルたち七八小隊の勇姿を語りはじめた。

 

「とくに、候補生ユーリを失ってからは我々正規軍人も見習わねばならぬほどすばらしい団結力でありました。士官学校を訪れた遺族たちに堂々と宣言したその姿。私は彼らが偉大な軍人として一歩を踏み出したのだと確信しています」

 

「それは素晴らしい」

 

 驚いたような言葉だったが、ドミティオス大神祇官の高雅な微笑は何一つとして変化しなかった。ただ、その淡い感嘆の端に氷河のような冷たい憐憫が浮かんでいた。

 

「よくやったようだね。アンヘル君」

 

 目を伏せて小さくその称賛を受け取った。イズナが「さすがなのですぅ」と言いながら腕に抱きついてくる。

 

 それを微笑ましく眺めていたドミティオス大神祇官は、

 

「さて」

 

 と手を打ちながら、室内の全員を睥睨した。

 

「今日集まってくれてありがとう。すでに宝剣の修繕は終え、諸君らの任務はほぼ達成されたと言っていい」

 

 ドミティオスはじっくりと候補生顔をひとつひとつ見比べながら、瞼を一度閉じた。

 

「最後にもう一仕事残っている。夕刻、私は魔剣騒動に決着をつけるため総督府官邸に赴かなければならない。申し訳ないが、正式な会談のため護衛を連れていく必要がある。そのため諸君には非常に少ない人数で宝剣警護に当たってもらう」

 

 ドミティオス大神祇官は護衛二人とイズナをちょいちょいと呼び寄せると、中央に鎮座した栗の木の机に宝剣の納まった黒檀の木箱を置かせた。

 

「ヘロルドとリャオセイル。それからイズナ。二人しか残せないことは誠に心苦しいが諸君に神々の祝福があらんことを。とはいっても何が起きるとは限らないのだけどね」

 

 ドミティオス大神祇官は最後誤魔化すようにパチっと片目を閉じると、苦笑いのような痛々しい感情が沸き起こった。

 

「クナル候補生。前に」

 

 入れ替わるようにして、黒い裾広がりの服を纏ったアグリッサが陰気な声を発した。

 

「あなたには別の仕事があります。送っていきますので付いてきなさい」

 

「お待ちください。どのような御用でしょうか?」

 

 オスカル教官が手を掲げて静止する。アグリッサが無作法を怒鳴りつけるよりも早く大神祇官が反応した。

 

「私の所為だ。エズモンド伯との会食で御令嬢に美しくも鮮烈な強戦士が居るといったら、如何しても会わせて欲しいと頼まれてしまってね。クナル君にとっては退屈極まりない仕事かもしれないが、ここは一つ私の顔を立ててはくれないかな?」

 

 クナルは不機嫌そうに鼻を鳴らすと、一度アンヘルをチラリと見た。

 

 睨み返すと、心底不愉快そうに顔を背けた。

 

「では、よろしく頼むよ」

 

 ドミティオス大神祇官はそれを最後に部屋を去る。護衛やクナルたちもそれに続いた。

 

 魔剣騒動を巡る最後の幕が、開演の狼煙とともにあがっていった。

 

 

 

 § § §

 

 

 

「と、いうわけです」

 

 アンヘルは長椅子に座りながら、アリベールから収集した情報を警護する全員に共有した。オスカルが長椅子の背もたれに腰掛けながら感嘆の言葉を漏らしている。

 

「魔剣? 制限時間? 雲を掴むような話ばかりではないか」

「その通りだ。所詮伍科風情が手に入れた情報を信用など」

「ふ。どうせ適当に調べた情報を言っただけだろう。浅ましいことよ」

 

 候補生たちから厳しい言葉が飛んだ。彼らの中にあるのは、

 

  ――伍科風情が何を言っているのだ

 

 という侮蔑である。先ほどドミティオス大神祇官にお褒めの言葉を頂いたことや、イズナと仲が良いことから強烈な妬心の矛先となった。

 

 オスカルは彼らを咎めながらも、

 

「あまりに突拍子がなさすぎるぞ。そもそもどうやって」

 

 と、不信感を隠せない様子で、彼らの言葉を補足した。

 

「それは」

 

「情報源がなければ信用できない」

 

 彼の言っていることは正しい。実戦であやふやな情報はただ場を混乱させるだけだ。唯一、イズナだけが腕に絡みながら「ええー、私は信じるですぅ」と言っているが、恐らく内容を理解していない。「マジン、マジン」と言っており、リハビリ中に連れて行った観劇『ランプの魔神』だと勘違いしていた。

 

(これじゃ協力は望めないか。くそ、どうする)

 

 そっと歯がみする。折角得た情報が水泡に帰してしまう。

 

「えっと、あの……」

 

 往生際悪く説得しようとした瞬間、思わぬところから援護射撃を受けた。

 

「魔剣蘇芳。聖カトー騎士団に渡った魔剣の一つだ。奴らはもっとも強硬派で、この宝剣を一番欲している。もっとも襲撃の可能性が高いのは奴らだ」

 

 と、ドミティオスの護衛たちが、木造の壁にもたれながらぽつりといった。

 

 彼らは全身に警戒のラインを走らせながら、アンヘルの意見を支持した。候補生たちも彼らの判断には文句をつけられず、それ以降うんともすんとも言わなくなった。代わりとばかりに強烈な嫉妬の視線が飛んでくる。アンヘルはどうしようもなくなって目を伏せながら黙り込み、イズナの頭を撫でた。

 

 奇妙な静謐が部屋を支配する。そんな時だった。

 

 みんと場の詰まったような、独特の空気に転じた。

 

 最初に動き出したのはオスカルだ。彼は壁に背中をピッタリとつけ、窓の外を窺うように油断なく外を見つめた。ピリッとした空気が周囲を漂う。護衛たちも他の窓から外を覗いたり、宝剣の近くに寄った。その瞬間「くるです」とイズナが透き通る声でいった。

 

「一斉斉射だっ。全員散開」

 

 オスカルの怒声がはじけた。アンヘルの視界にも金属鎧を纏った男たちの姿が映ると、雨嵐のような大量の矢が窓の外から殺到した。

 

(ここは行政区なのにっ)

 

 この規模の襲撃はまるで内戦を想起させるものだった。ガラスやちょうど品を粉砕しながら、矢が部屋中に突き刺さる。

 

 突如始まった襲撃にオロオロした候補生を思いきり蹴りつけて、柱の影まで吹っ飛ばした。アンヘルは長椅子を蹴り上げ直立させると、イズナの頭を抱え込みながら椅子の物陰に隠れる。

 

 射撃の雨が弱まるのを見計らってイズナの手を引いた。

 

「部屋に固まっていてもやられます」

 

「ならばどうする」

 

 柱に身を潜めたオスカルが叫び返した。

 

「廊下で迎撃します」

 

「よし、いくぞ」

 

 オスカルは残りの候補生へ護衛たちに従うよう言いつけると、アンヘルと共に部屋を飛び出した。

 

 二手に別れて西方と東方のニ方向を塞ぐ。

 

 同時に廊下や窓から金属鎧を纏った重装の騎士たちが押し寄せてきた。

 

「イズナ援護!」

 

「ハイですっ」

 

 幻影か。いや、雑念はデリートしろ。集中。深く、静かに見極めろ。相手の剣だけに集するのだ。意識を尖らせるごとに、時間の感覚が鈍くなっていく。闘気が放出されると、エンジンが切り替わったように身体中を巡る血流の速度が倍加した。

 

 イズナの水のような矢。それが呼び水となった。

 

 引き抜いた剣がびょうと風を巻いた。管理迷宮に持っていくときとは違う、己がもっとも信頼できる魔導剣。それを突き出す。

 

 壁を疾る剣が先頭の騎士の剣と絡み合う。押せない。ゴブリンとは遥かに違う膂力を感じた。ヒヤリと汗が流れた。

 

 剣を撃ち合った騎士が唐突にしゃがんだ。後方の騎士から突き出される槍が肩を薄く抉った。眼下の男を蹴りながら後方に跳躍。イズナの矢が乱れ打たれるが、新たに出現した短刀使いにほとんど撃ち落とされる。

 

 後方を見た。オスカル教官も必死に戦っているが、此方と違い一人の為部が悪い。

 相手。明らかに正規軍の様相を呈している。幻影かどうかもわからない。アンヘルは瞼を一度閉じると、即座に決断した。

 

 右手を開きながら、空を切るように真横に振った。呪文を紡ぐ。虚空からゲートが開かれた。

 

「召喚」

 

 若水龍シィール。若火山龍フレア。二頭の龍が顕現した。劈くような強烈な咆哮を上げる双頭、アンヘルはシィールの息吹の中を疾駆した。

 

「アルっ。行くですよっ」

 

 イズナの声と同時に眷属たちが水を纏った。よくわからないが、ありがたい。アンヘルは突如冷気が増した白銀の世界で、剣を閃かせた。

 

 突然の召喚師に騎士たちも動揺を露わにした。

 

 下がっていく槍の騎士。対照的に兜の目庇から覗く無機質な表情を浮かべた騎士が突撃をかましてくる。

 

 ――こいつらは、幻影だ。

 

 魔剣の幻影能力について検討がつきはじめていた。どうやら騎士たちを複写する能力で力量すら真似できるが、細やかな心情までは再現できないようだった。

 

 アンヘルは剣を逆手に持ちながら、冷気に動きを鈍らせる騎士に近づくと、鎧の隙間から臓器を穿つようにして首元から斜め下に突き刺した。

 

 そのまま背中を向けて騎士を背負う。背走すると、背負った死体にがきんと幻影たちの刃が突き刺さった。

 

 敵集団に突っ込むと、ど真ん中で騎士を振りおろす。回転しながら周囲の男たちを斬りつけた。するどい金属に打ちつけた音がなる。騎士たちは重装である。真っ向からの斬撃はまるで意味がない。

 

 白雪がぱらぱらと舞う幻想的な空間で、さらにアンヘルは笑った。

 

「突貫!」

 

 入れ替わるようにしてフレアの影に隠れる。狂気の咆哮とともに相手の矢や刃を弾きながら突進する巨大な火山龍。その強烈な顎が騎士に噛み付いた。

 

 フレアは捉えた獲物を誇るように天井に掲げると、ばりばりと奇怪な音を立てて、その顎に絡みつく胴体を食いちぎった。

 

 腹部のその七割。腸や贓物がボロボロと落ち、血潮を地面に撒き散らすその様子を見ながら、フレアはグギャグギャと歪な笑い声を漏らした。

 

 すぅんと騎士たちが半分ほど煙となって消えていく。突如として、二十ほどいた騎士たちが半分となった。

 

(これはもしかして)

 

「教官。核となっている本物の騎士を倒せば幻影は消滅します!」

 

 小鬼の時と違って騎士に限りがあるのか、一気に形勢が傾く。しかし、アンヘルの助言は必死に戦っている教官には届かなかった。

 

 イズナを援護に送ろうかとも思うが、此方とて余裕があるわけでもない。そもそも弓使いとの唐突な連携は難しいものだ。アンヘルは偶々イズナと綺麗に連携が取れるが、オスカル教官とならば逆に力を発揮できなくする可能性もある。

 

 手に持つ剣。光を放つそれを一瞬見た。

 

 即座に敵を打ち払い、援護に向かう。それしかない。再び世界が闇に沈んだ。もっと、もっとだ。強化の光が渦を巻く。燃やせ。相手を叩きのめすのだ。

 

 アンヘルは一歩踏み出すと、それを遮るようにして黒い靄が行く手を妨害した。

 

「アル。下がってくださいっ」

 

 全身に冷気が走った。瞬きの彼方。それだけで、右腕が竹のように坂剥けた。それでも必死に後ろに下がった。

 

 すぐ真横を矢が突き抜ける。それは靄が型どった剣にはじき落とされた。

 

「本当に気に食わぬやつよ。よかろう。この私自ら始末をつけてやるとしようではないか」

 

 靄が型どったその男は白銀の上を靡かせ、紅の瞳を輝かせている。手にはあのサーベルがあった。

 

 因縁の相手である吸血公ドラクル。その男相手に最後の戦いが始まった。

 

 

 

 

 

「くそっ」

 

 ごろごろと横に転がりながら、必死の形相で敵の攻撃を躱していた。夥しい量の汗が全身から吹き出ており、避け損ねた斬撃の影響で滲んだ血が服を朱色に染めあげていた。

 

 肩に乗せたリーンが必死に回復を紡ぐが、それ以上の速度で傷が増えていく。士官学校の制服はもはや原形を留めておらず、ただの襤褸切れと化していた。

 

 教官や護衛たちの安否を確認する余裕などありはしない。戦いの中で、アンヘルは階段を昇り降りして現在位置すら不確かになっていた。

 

 後方の騎士たちが背丈ほどの巨大な弓――竜狩り――を構える。イズナを抱え込みながら、必死に角の向こうへ飛び込んだ。壁に巨大な矢が突き立つ。アンヘルは壁に背を付けながら角越しに敵を睨んだ。

 

「苦しいか? そうよな、そうでなくては。我はおまえのせいで五日間も愛しい子猫たちと別れを余儀なくされた。おまえが悪いのだよ。我はただすこしばかり剣を突き立てるだけだったのに、愚民風情が逆らいよって。そのうえよ。今回の戦いに当たって我は苦渋の決断を強いられたのだッ」

 

 ドラクルは怒りと悲しみで満ちた強烈な顔をしながら、横にいた騎士の頭をむんずと掴んだ。すううと幻が溶けてゆく。幻の中から現れたのは涎を垂れ流し、虚ろな表情を浮かべた赤毛の幼気な少女の姿があった。

 

「見よ、この醜悪な姿をっ。おまえがいなければ私は子猫にこのような卑劣極まりない行いをせずに済んだのだ」

 

 ドラクルはその長い腕を伸ばすと、水蜜桃のような白い臀部をまさぐり、性器の内部へと指を貫入させた。毛も生えていないその披裂を引き裂くようにして肘近くまで突っ込んだ。

 

 少女の虚ろな瞳が苦悶に揺れた。イズナが「ひっ」と小さな悲鳴を漏らした。

 

「な、なにを、なにをしている」

 

「知れたこと。幻影を生み出すための対価よ」

 

 ぎちぎちという不快な音が響きわたった。

 

「おまえを殺すため、我は涙を飲んで今まで集めた子猫たちを捧げねばならないのだッ」

 

 ドラクルはそう言いきると、少女の卵巣を掴み取り、体外へと掴みだした。ピンク色のそれが男の掌で動いている。それが煙のように掻き消えると、少女は鎧を纏った騎士となり、背後に騎士たちが続いた。

 

 うっと、胃から内容物がこみあげてきた。それをまき散らしながら悶えた。

 

 手が震えた。先ほど倒した騎士の真相にアンヘルは表情を消した。

 

(ぼくは)

 

 先に倒した騎士を見た。じっと見た。

 

 幻影が解ける。栗毛の少女だった。股から血を流した幼い少女。記事に乗っていた吸血鬼に誘拐された少女。その虚ろな瞳には深淵を覗き込んだように底がなかった。

 

 ――ころして、ころして……ください…………

 

 耳を澄ますと、少女たちの悲鳴のような呻きが響いてきた。

 

 アンヘルは目を見開きながら、呆然と木偶のように立ち尽くした。

 

 イカれている。本当にイカれている。攫ってきた少女を、その性を掴み取るようにして捧げなければならぬ魔剣など存在していいはずがない。

 

「殺すっ、殺してやるぞ愚民よ。そしてその死体を我がコレクションとして、新たな子猫たちにみせてやるとしよう」

 

 ドラクルの哄笑を合図に幼気な少女の幻影である騎士たちが波濤のように押し寄せた。アンヘルは固着していた。手にした剣のツバが強風にあおられた戸のようにカタカタ音を立てた。

 

「危ないです」

 

 イズナが庇い立てるようにして、アンヘルを抱えて飛んだ。避けきれなかった斬撃によって彼女の背中に血がにじんだ。

 

「だいじょうぶですか? アル」

 

「き、きみこそ、だい、じょうぶなの」

 

 ふたりはもつれあった状態で地面に倒れ込んだ。イズナが痛々しい作り笑いを浮かべている。

 

「ご主人さまを守るのが、私の役目なのです」

 

 瞬間。イズナの紅い唇が飛び込んできた。ふわっと柔らかく、甘い感触が口の中に広がる。涼し気な目立ちの奥に嵌る蒼穹の瞳が飛びこんできた。

 

「負けないで」

 

 イズナの悲痛な眼。それが、アンヘルの心の中にあった種火へ火を着けた。

 

 ごうごうと風が吹いた。なにをしても掻き消えぬそれを胸に手を突いて立ちあがった。

 

「ふ、ふはは、なんとつまらぬ三文芝居よ。さあ、これで終幕よ。ありったけの絶望を我に見せてみよっ!」

 

 ドラクルは高らかに吠えながら、猛烈な勢いで迫ってきた。

 

 近くにいた眷属たちが、剣呑な瞳を輝かせる。

 

「あなただけは僕が討つ!」

 

 言いきる前にアンヘルは大気を割って駆けだした。

 

 

 

 

 

「消えるがいい」

 

 ドラクルは身体を黒い霧に変えると、即座に襲い掛かってきた。同時、相手の後方から騎士たちが銀色に光る槍を投擲してきた。大気を割って迫る。穂先は驚くほど鋭い。しかし、悠長に回避をしていればドラクルの手中に落ちてしまう。奴の幻術は混戦であればあるほど効力を発揮する。

 

 だが、そんな状況の最中であっても、アンヘルは不思議と恐怖を感じなかった。

 

 凄まじい勢いで伸びてくる槍がやけにゆっくりな映像として映った。

 

 飛びのくように避けては迫りくるドラクルに対処できない。異常なまでに集中したその動体視力で、立体交差した槍の瞬間ジャングルジムを赤外線でも躱すかのように紙一重で躱しきった。

 

 ハラハラと舞う雪の結晶の残滓。その中を滑る黒い霧を正確無比な斬撃で引き裂くように抉った。

 

 がきん、と硬質な音が響き渡った。

 

 ドラクルは絶叫しながら人間体を象ると、ゴロゴロと剣圧に負けて地面を転がった。騎士たちが彼を守るように壁を作る。騎士たちから隠しきれない怯えが滲み始めていた。

 

 アンヘルはその異常な攻撃能力に目を疑った。手元。握る剣から迸るような水の魔力が渦巻いている。蒼穹に染まった剣が、青々と唸っていた。

 

 人垣の中に隠れているドラクルは起き上がろうと床に手を突いて力を込めているが、肩をぜいぜいと揺らしながら、無様に口を開けている。瞳を激しく瞬かせながら薄い唇を震わせた。

 

「ばか、な。なんだ、この力はっ!?」

 

 全身から薄い水が渦を巻いて、アンヘルを取り巻いていた。いや、己だけではない。眷属のシィールも、強烈な魔力がまるで増幅でもされるかのように膨れ上がっている。

 

 ふと気が付くと、イズナが背中を抑えながらも嫋やかな微笑みを浮かべていた。

 

「行くですよ。アル」

 

 袖をそっと握りながら彼女が言った途端、それまで以上の魔力が、身体の内から溢れんばかりにこぼれだしてきた。

 

 不思議な感覚だ。理屈も、意味も分からない。別次元の感覚を味わいながら敵を見下ろした。

 

 悪鬼。それを下すことに微塵も躊躇は生まれなかった。

 

 床を蹴って高々と跳躍。剣を逆手に持ち替え、胸を狙って正確に突きおろす。

 

 ――邪魔をしたのは、騎士たちだった。

 

 ドラクルが掴んでいた少女がその細面を兜から晒してアンヘルを正面から抱きとめた。金属の重厚感に一瞬動きを止めてしまった。

 

「いいぞ、いいぞ。その調子だ我が子猫たちっ。時間を稼ぐのだ」

 

 衝撃。

 

 ドラクルが騎士の向こう側から剣を突き出した。その先端は騎士ごとアンヘルの胸を撃ち抜いた。

 

 視界に真っ赤な日輪が咲き、胸の中に火でも放り込まれたような熱が迸った。痛みをとおりこした強烈なそれが体中に行き渡った。

 

 決定的な一撃だった。

 

 転がると、指先一つ動かすことができない。視界が壊れた映像機器のようにざわざわと揺れた。

 

 一緒に倒れた少女の幼い顔が視界一杯に映る。

 

 少女は白い喉をぶるっと震わせると、血の塊を吐き出した。熱い。顔を血反吐で濡らしながら強烈な炎が魂を焼いた。

 

「最後に我が子猫を抱くことができて嬉しかろう。おまえには大きすぎる栄よ」

 

「し、ね――」

 

「まだ強がれるとは見た目どおりゴキブリ並みの生命力よ」

 

 ドラクルはかなり余裕を取り戻したのか、指先でサーベルを弄ぶと、びょうとそれを突き出してきた。

 

「アルっ」

 

 と叫び声を間遠に聞いた。

 

 ごめん。心配させて。ほんとにごめん。どうして君がそんなに僕に肩入れしてくれるのか、分からない。けど、君の真摯な想いは嘘じゃないと思うから。

 

 振り下ろされる死の刃に必死に抗った。

 

「召喚」

 

 死地の最中に描き出した新たな手法である。この世界にいる眷属を再び呼び寄せる。遠方で主人を心配していた相棒シィールをすぐ脇に再召喚した。

 

 シィールがアンヘルの手を咥えて引き起こす。顔の真横を薄皮を裂くようにして剣が素通りした。かわりに狼狽しきったドラクルの顔があっという間に迫ってきた。

 

 ドラクルが目を見開いた。イズナがキンキン声で叫ぶ。

 

 水平に薙ぐ形で、剣を打ち込んだ。

 

 刃は、無防備な胸元に突き刺さると、深々と肉を抉った。

 

 そのまま、もう一度地面を踏んだ。

 

 跳び上がる。「愚民如きが」とドラクルの負け惜しみを聞いた気がした。

 

 剣を垂直に振り下ろした。轟雷。アンヘルの直剣はドラクルを脳天からすべてを叩き斬ったのだった。

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 リーンの回復を受けながら、アンヘルは倒したドラクルの骸を眺めていると、それはみるみるうちに金髪の細面へと変貌していった。吸血鬼の見るものを惑わすような美はない。そこにあるのは神経質そうな男だった。

 

「大丈夫ですか? アル」

 

「うん。それより、他の様子を見に行かないと」

 

 すでに魔剣を持った男は倒した。幻影の騎士たちも元の痛々しい少女たちの姿に戻っている。彼女らはすでに生気を失っている。

 

 心苦しいが、先に教官たちを確認したかった。首をまわして現在位置を確認する。戦闘の余波で建物はぼろぼろになっているが、よく観察すると当初の廊下からそれほど離れていなかった。

 

 アンヘルはイズナを背負い教官たちの方へ走った。

 

「そういえばさっきのご主人さまってのは――」

 

「アル。ごめんなさいです。イズナ、嘘ついてたのです」

 

 走りながら問うた疑問へ被せるようにして、イズナは告白した。

 

「本当はイズナじゃなくて『イズン』っていうです」

 

「それってどういう」

 

 と、あまりの意味不明な告白を問いただそうとした瞬間、アンヘルは立ち止まった。

 

 強烈な違和感。いや、既視感か。それが近づくにつれて強大化していった。わなわなと唇を戦慄かせながら直立した。一歩、二歩とそれに近寄った。

 

 脳が拒否していた。理解するのを。しかし焦点が合うと、拒もうとしても目に焼き付いた。手を伸ばした状態で苦悶の表情を浮かべる男。地面に転がっている男。胸に矢を突き立てた、男。アンヘルの教官にして強烈な理想を掲げた男の姿。

 

 驚愕に打ち震えるアンヘルの背後でさらにイズナが続けた。

 

「さすがすばらしい腕なのです。ねえ様」

 

 心底寒気を齎す響きだった。

 

 彼女はとんとんとアンヘルの背中から飛び降りると、ごふっと血を吐いた。

 

 その動きを呆然と見ていた。怪我の具合についてすら聞くことができない。肉体を貫いて雷光のように駆ける不安な戦慄を息苦しさとして覚える。喉の奥のそれが舌を引きだし、歯をこじ開けて外へ連れだそうとしていた。

 

 イズナはずるずると壁に背中をつけると、徐々に息を荒くして喘ぎだした。優しい蒼穹の瞳が、今はなにか別のものを見ているような気になった。

 

「なにか、知っているの?」

 

「何かなんてわかりずらい質問ですよアルぅ。イズンはおバカさんですけどアルよりはいろんなことを知ってるです。それにですね。うぺ、げろげろ、気持ち悪いのです。変な気分なのです」

 

 イズナは血の混じった痰をペッと吐き出すと、からからと笑いながらしゃがみ込んだ。

 

「心配しなくても大丈夫なのです。これは怪我じゃなくて、ご主人さまを裏切った罰なのです。アルに力を貸した時点でもう分かり切ったことだったのです」

 

「だから、さっきからなにを言ってるんだっ。教官はどうしてっ。いや、君はなにを知ってるんだっ!」

 

「無粋ですねえアルは。最後だというのに」

 

 イズナはごほごほと咳き込むと喉を鳴らして笑った。どんどん色素が抜けたように白くなっていく。存在が消えるように、儚く、薄く、なっていく。

 

「最後っ! どういう意味なんだ」

 

 アンヘルは狼狽しながらイズナを問い詰めた。

 

(意味が、意味が分からない。どうして死ななければならない。ねえ様? ご主人さま? 神罰?)

 

 膝をついて、救いを求めるようにしてイズナを見た。なにを言っているんだ。偽名を使っていた。神話に出てくる女神の名前だから遠慮したのか。

 

 いや、関係ない。リーンに回復を指示する。死なせるわけにはいかない。真実を聞き出すまで。彼女が嫌いではない自分のために。

 

 しかし、まるで回復しない。一瞬一瞬でイズナの存在が消えていく。薄くなっていくのだ。それをアンヘルはただ身体を激しく振るわせて見ていた。

 

 イズナはそうやって嘆くアンヘルに救いを与えるようにして、女神の微笑を浮かべた。

 

「アル。私たちを愛してくれますか?」

 

「なにを」

 

「そしてあなたは神の使徒となるのです」

 

 滲んだ視界に両手を差し伸べるイズナの姿が映し出された。血反吐をまき散らし、背中から大量の血を流しているにもかかわらず驚くほど神聖で美しい。触れることのできない、侵すことのできない完成された美。底から滲む慈愛。

 

 彼女はアンヘルを抱擁するように手を差し伸べていた。

 

「終わり、なのです。アルとの毎日、楽しかったのです」

 

 すっとイズナが泪を零した。すとんと腕の力が抜けて、全身から神秘性が失われていった。

 

 アンヘルは彼女の肩を握った。その小さな唇が細動した。

 

「姉さまに、ありがと、う、って。ある、にはまた、あえますけど、姉さま、にはあえない、から。さいごに、いってください、なの、です」

 

 とん、と腕が落ちるとそれを最後に、イズナの瞳から生気が消え失せた。

 

 ぐるぐる、ぐるぐる。途轍もない量の思考が頭の中を駆け巡った。

 

 叫ぶように吠えた。

 

 滂沱の涙を流しながら、アンヘルの想い、一つに収斂されていった。

 

(まだ、事件は終わっていない。この絵物語を描いた人物がいるなら必ず僕の手で)

 

 教官の死。そして、イズナの死。

 

 アンヘルは幽鬼のように立ち上がり、目の奥に消えることのない憎悪の炎を宿らせた。

 

 

 

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