イセカイ&ドラゴンズ   作:原田孝之

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第二十話:払暁の龍理使い

 空は晴れていた。日盛りだというのに寒気を誘うような雲一つない抜けるような空の下、男たちは俯いたまま歩く。

 

 向く先は元居た行政区の建造物、隘路に挟まったように存在するそこに入ると、予想通り奥の木椅子の背凭れに手を置いて佇む一人の男の姿を認めた。

 

 僧服の壮年の男、大神祇官ドミティオスである。傍には黒のローブ姿のアグリッサが居心地悪そうに控えていた。

 

「宝剣の奪還ご苦労だったね。ご覧のとおり事後処理は此方でやっておいたよ」

 

 アンヘルは瞳に虚な色を浮かべた。

 

「首謀者と思われる貴族は聖カトー騎士団の剣客モルドレッド子爵だった。彼の非道と合わせて追求する材料となる。宝剣が失われたことには肝を冷やしたが、君たちの行方もわからなくなっていたからね。なんとかしてくれると信じていたよ」

 

 気にした様子すらなく、大神祇官は言葉を紡いだ。

 

「それにしても危険な行為だった。君たちは援軍を待つべきだったのではないかね」

 

 咎めるような声色で尋ねてくるが、それがもう一種の遊戯のようにすら感じられた。戦闘の余波でボロボロになり、血潮が撒き散らされたその中央で優雅に笑う男がアンヘルには恐ろしくて堪らなかった。

 

「それで、私たちの命はあったのですか」

 

「どういう意味だい?」

 

 大神祇官の優雅な微笑はかけらも変化しなかったが、淡い感嘆のようなものを口の端にのぼらせた。

 

 今回の事件。宝剣警護失敗の瑕疵はそれほどないが、実際に責任を取る人物が居ないとなれば、誰かが被らなければならない。それは生き残った唯一の人間に被せられることは明白だった。その最悪を想定した予想は目の前の男の白々しい笑顔で確信に変わった。たとえこれが遊戯でしかないとしても、である。

 

 ふと視線を散らした。脇には麻の死体袋が何枚も置かれている。中身は詰まっているのか膨らんでいた。イズナや教官が入っているのだろう。逆巻くような心痛を抑えながら再び碩学の男を見た。

 

「私も聞きたいことがあります」

 

 真実が知りたいわけではない。弾劾したいわけでもない。だが、このまま引き下がることは許されなかった。アンヘルは震えそうになる声を必死に抑えながら、尋ねた。

 

「なぜ、猊下は情報を漏洩させたのでありますか」

 

 その告白で途端にアグリッサの視線が鋭くなった。護衛たちの警戒心が跳ね上がる。大神祇官だけは優雅に微笑んでいた。

 

「どこで気がついたのかね?」

 

「気がついたのは先ほどですが、よく考えれば奇妙な点はいくつもありました。なにより注目すべき点は猊下の課題です」

 

 アンヘルは大神祇官から出された課題。十七匹の馬を長男の1/2、次男の1/3、三男の1/9に分けるため、老人はなにを助ければいいのか、についての解法について語り出した。

 

「猊下からの課題。十七匹の馬の問題を解決する方法ですが、それは老人が『一匹の馬』を持ってくることです」

 

 十八匹を分けると、

 

 長男の1/2には九匹。

 次男の1/3には六匹。

 三男の1/9には二匹となる。

 

 その合計は十七匹。つまり、老人は一匹を連れてきて、計算に入れるだけで実際に分ける必要はないのである。

 

「この課題。よく考えると、今回の魔剣騒動に合致する点が多くあります。各騎士団の魔剣配分も似たような構造で、その配分が上手くいかず争っていました。他方、突如として現れた老人役と思われる猊下が類似性を想起させます。

 相手の襲撃は猊下不在の警護の薄い時期を狙いすましてきました。完全に極秘とされていたはずの宝剣の修繕。猊下が訪れていることすら周知されていないにもかかわらず行動を読まれている。漏洩者がいるとしか思えません」

 

「ふむ。だが、情報漏洩の可能性は他の人物の可能性もあるよ。たとえば君の教官オスカル君だ。故人を悪く言うつもりはないが、彼は貴族排斥論者で私のことを嫌っているだろう?」

 

「ですが、その可能性はオスカル教官が第二のターゲットになっていたことから除外されます。いえ、それ以上に教官が狙われていたことを考慮に入れると、ふと見えてくる全体像があります」

 

 アンヘルは、挫けそうになる心を奮い立たせながら、必死に告発を続けた。

 

 氷河のように冷たい静謐が二人を取り巻いた。それでも、ドミティオスの微笑は動かなかった。

 

「それはなんだね?」

 

「当初は三勢力の争いを止めること、そして刃向かう騎士団への貸し、などの理由が思い浮かびました。しかし、その本当の目的は他にあったのではないですか?」

 

 恐ろしい確信に触れている。そんな予感があった。

 

「その目的とは、オスカル教官の殺害だ」

 

 ドミティオス大神祇官の発言を振りかえれば理解できる。彼は穏やかに振る舞っていたが、よく考えると皇帝派として反貴族思想を肯定していない。

 

 今回の事件の顛末は、とどのつまりすべてドミティオスから始まっている。

 

 彼はオスゼリアスで三勢力の魔剣争奪戦が起こっていると知ると、論理クイズである『十七匹の馬』から着想を得た策謀を考えついた。

 

 論理クイズの配役である老人として、持ちだした儀礼剣である宝剣を魔剣として情報を流し、各勢力を刺激する。また、子飼いであるイズナ姉妹を利用して、聖カトー騎士団の所為にすることで、士官学校の筆頭教官であり士官学校反貴族思想の根本であるオスカル教官を葬りさる。極めつきには、オスカル教官殺害を追求材料として、聖カトー騎士団から魔剣を合法的に強奪し、争いを収めたことにより総督からは信を得る。

 

 一石を投じた波紋だけで集団を争わせ、利益をだけを得る。最低最悪な発想だった。

 

「ふふふ」

 

 ようやく男は笑いを溢した。いつもと変わらぬその笑い声にアンヘルは心底震えそうになった。

 

「やはり君は利口だな。悲しく、不憫だ」

 

 ドミティオスは小声でいった。

 

「だが、私の目的は違うよ。本当の目的は――」

 

「士官学校開校以来の天才と呼ばれる私だろう。それは間抜けに移ったようだがな」

 

 クナルが言葉を引き継ぐ。その聞き流せない言葉で反射的に振り向きながら、鋼のような美貌を睨みつけた。

 

「そんな、意味のわからない――」

 

 あまりに唐突で衝撃的な事実に、目を見開き硬直するしかない。クナルの瞳も憎々しげに燃えていた。

 

「真実とは常にありふれたものだ。私にとって敵対勢力たるオスゼリアス軍への貸しなど役に立たないし、オスカル君の処遇についても、苦労はしようが手は幾らでもある。言ったはずだよ、私の目的は士官学校の生徒を視察することにあると」

 

 ドミティオスは残念そうに告げた。真相を語れなかったことが残念であったらしい。

 

「予想以上に賢い、いつから分かったのかな?」

 

「何も知らぬ。ただ貴様のような男を信頼しないだけだ」

 

 クナルは辛辣にいった。代わりにアンヘルが動揺を深めていく。

 

「どうして、こんな大掛かりな」

 

「いけないなぁ。薄々感じていたが、君はどうやら自己を低くする評価する傾向があるようだ。冷静になってみたまえ。私に対し不興を買わぬ話術。士官候補生を超越した戦闘能力。同胞クナルくんの存在。なにより、その召喚師としての能力だよ」

 

 驚愕に打ち震えるアンヘルをさらに打ちのめしていく。

 

「クナル君の推測通り当初の目的は彼だった。だが、最初の邂逅で戦うべき思想も何もないことが分かった。能力は兎も角そんな危険人物、勧誘する価値はない。しかし、その友人が召喚師ともなれば興味が移るのも当然だろう?」

 

 大神祇官は、あくまで優雅に品よく笑う。

 

「なぜ、なぜ、そんなことのために教官を殺す必要があったのですか。そしてイズナまで……」

 

 アンヘルの悲痛な叫びに、大神祇官は笑顔のまま返答した。

 

「そちらの方が効率的だろう。イズンくんの死は計算外だったが、想像以上の結果といっていい」

 

 冷淡すぎる言葉に、アンヘルは言葉に詰まった。

 

「そもそも君は召喚師の能力が知られていることに疑問を覚えないのかね?」

 

 ドミティオスは己の右眼を、目蓋の上からとんとんと叩いた。

 

「まあ、簡単な真相なのだけどね。私たち魔盲と呼ばれる人々は、あまりに弱いせいか、召喚師の放つ微弱な能力の波動すら感じ取れる。君のひた隠しにしている能力ですら。無論、大抵の人はそれが召喚師の波動だとは知らないのだがね。これは偉大な召喚師を兄に持った、私の特殊能力だといえるだろう」

 

 第神祇官は椅子に座りながら、さらに真相を続けた。

 

「君もご存知のとおり、イズンくんとイズーナくんは配下の子飼いでね。彼女らを使ってわざわざ接触して、口先だけの頭のない彼らを、親切に煽ってあげたのだよ。

 そういう意味では魔剣蘇芳は真実味を増すいい演出だっただろう。相手の動向を完全に掴んだワンサイドゲームさ」

 

「あなたの護衛すら殺させて、ですか」

 

 アンヘルは問いながらもその答えを得ていた。

 

「死ぬことも仕事の内だよ。そうでなければこれが真実に見えないだろう? ま、当初の予定では君たちはイズン君と協力して、姉であるイズーナ君を討つ予定だったのだがね」

 

 アンヘルは平素そのもので語られる真相に心底恐怖していた。

 

 大神祇官はまだ笑っている。微笑んでいるのだ。ありえない。それに尽きた。すべてが虚構。あらゆる物事がひっくり返った。すべてが、馬鹿馬鹿しいお遊びだったのだ。

 

 深い悔恨が舞い降りる。なぜこんな事態に陥っている、という耐えがたい後悔が襲ってきた。エルンストの若い理想を鼻で笑い、オスカル教官の真摯な願いを斜に構えて拒絶し、目の前の怪物を信奉した。

 

 クナルの否定が正しかったのだ。今考えれば、この男を信じた判断をまるで許せそうにない。

 

 謀略で人の運命を操り、真摯な願いすら遊戯として扱ってしまう本性に。

 

 思考をたどれば、アンヘルは綱渡りのような日々を送ってきたことに気づく。今回の事件で、反貴族的思想を持つ候補生は皆殺しの憂き目にあった。いや、それだけではない。もしも、宝剣の奪還に赴かねば確実に責任を取らされ、もし課題の解答がなされなければ、十分な能力を持たないということで殺害されていただろう。

 

 また、もしこれを告発しようにも、大神祇官の策謀の事実はまったくなく、しかも時の権力者として敏腕を振るう男に不確かな証拠しか持たぬ今、確実に投獄される。

 

 ――いや、それ以前に、今も不幸な事故として片付けられる可能性もある。

 

 アンヘルは悟られぬ程度に半身となり、緊張の糸を張り巡らせた。アグリッサが手を振り、ドミティオスの真横に巨大なゲートが開かれる。大神祇官に危害を加えれば即座に殺害するという威嚇だが、それ以上に強大な眷属の存在感に冷や汗が流れ落ちた。

 

「私たちにあの神聖七騎士が相手ですか」

 

「卑下しすぎだよ。私は君たちの能力に敬意を払っている」

 

 いつも背後に控える不気味な女アグリッサ。得体の知れぬ不気味な黒ローブの女だが、アンヘルはうっすらとその正体に気がつきつつあった。

 

 神聖七騎士の噂はいくつもある。

 

 ――喪服を纏った闇召喚師。

 ――狂戦士と魔法剣士の兄妹。

 ――最強の矛にして、最強の盾である騎士団長。

 

 軍における最強戦力たる神聖七騎士。彼らは大陸全土を見渡しても精強であり、所詮士官候補生であるアンヘルやクナルなどが敵う相手ではない。

 

「課題に対する答えは満点回答だ。多少の不足はあったが、君の相棒であるクナル君が補ってくれた。いや、イズン君の忠誠とイズーナ君の打倒を考えれば花丸をあげてもいいさ」

 

 まったく動けない。無関係を決め込んでいるのにもかかわらず、異常すぎる論理に飲み込まれる。

 

 配下の忠誠心や己の死すら天秤に掛けた遊戯そのものの策略。アンヘルの必死の努力すら、大神祇官の脳内盤上から一歩も踏み出せていない。

 

 イズナやオスカル、そしてアンヘル自身の身に透明な薄い糸が結ばれているのが想像できた。いや、その心にすら。

 

 その恐怖を振り払うようにして叫んだ。

 

「なぜ、あなたはそれを理解できるようにした!」

 

 大神祇官は寂しそうな表情をした。

 

「君に対する試練だよ」

 

「なにをっ」

 

「使徒には試練が尽きものだ。だが神など存在しない。ならば誰かが使徒へ試練を与える必要があるだろう」

 

 大神祇官は高貴な腕を掲げながら静かに告げた。

 

「君を測るためでもある。表面的には賛同してくれたが、しかしその実、オスカル君側に転ぶ可能性もまだあった。だが、杞憂だったようだね。これほど怒りに燃えてもやけになって向かってくる様子がない。君は利口で、そして国家権力に対して歯向かうほど馬鹿でも勇者でもない。もし私に歯向かうようでは危険人物として処理しなければならない」

 

 大神祇官の思考は、もはやどうやって試練を施すのかという神の視点で世界を見ていた。

 

 ドラゴンなのだ。あまりにも恐ろしい智謀の龍。それがアンヘルたちを喰らわんと吠え猛っている。

 

「君には能力がある。だが、まだ青い。もっとシビアなれば私に向かって問いただすなどせず無難にやり過ごしていただろう。けれど、それこそが伸び代で君を信頼できる所以でもある。もし君がそこまで利口なら、私はやはり殺さねばならなかっただろう」

 

「ここで反逆しないと?」

 

「ふ、その結果どうなるか君はわかっているのかね」

 

 アンヘルは、

 

「死ぬだけでしょう」

 

 と怒気を露わにした。クナルも呼応するように柄に手を掛けた。

 

 勝算はないといっていい。噂に聞く神聖七騎士。護衛も合わせれば、大神祇官に負傷すらさせることなく敗北するだろう。

 

 それを無視した。ここまでコケにされれて、駒扱いされて、なにも感じないほうがおかしい。

 

「そういうところが青いのだよ。君は本当にわかっていない。死ぬのは君の恋人であるアリベールくんだよ」

 

 ドミティオスは失望したようにいった。

 

「あなたは!」

 

「不思議に思わなかったのかね。彼女が、なぜ、二人きりの病室へなんの断りもなく入ってこれたのか。それは私が、君の恋人が来るタイミングを狙ったからだよ」

 

 鮮烈な言葉だった。脳が沸騰するほど熱くなる。対照的に身体は氷像と化した。

 

「君は私の出した魔剣という情報に踊らされて、無理矢理彼女から機密情報を得た。わかるかね。彼女を想えば、これからも君は従うしかない」

 

 あまりに茫洋とした語り口だった。本当にすべてが手のひらの上だったのだ。呆然とアンヘルは目の前の男を見つめた。無機質な黒い瞳が己の怯えを反射していた。

 

「あ、あなたは、人間じゃない!」

 

 さすがの大神祇官も苦い顔をした。

 

「きつい言葉だな。ふふ、私は普通以下の人間なんだがね。それがまさか古の龍理使いに言われるとは」

 

 続く言葉に、はじめて大神祇官は感情を込めた。

 

「ならば、いずれ菖蒲か杜若、とでも返そうか?」

 

「どういう意味だっ」

 

「オスカル教官が今朝言った言葉。覚えているかい。そう、士官学校に君の同胞の家族が訪れた、という話さ」

 

 彼が言っているのは、ユーリの家族が士官学校を訪れ、小隊全員の士気が著しく向上したことを指している。

 

 そしてそれはアンヘルが突かれたくない事柄でもあった。相手の言葉にどくんと心臓が高鳴り、唇がふるふると震え、顔は蒼白になった。

 

「士官学校などでも親族であれば入校許可は出る。死んだ候補生の遺品受け取りとなれば尚更だ」

 

「やめろ」

 

「だが、実際にその足で受け取りに来る人間はいない。皆、家族を失ったことで士官学校に恨みを抱く。誰かが彼らを招待し、入校許可を得なければ起こりえない」

 

「黙れッ!」

 

 完全に無視を決め込んでいたクナルの視線が突き刺さる。言わせるわけにはいかない。しかし、攻撃を加えれば、アリベールにどんな目が降りかかるかわかったものではない。

 

 必死に叫ぶが、冷たさが増した大神祇官は冷酷だった。

 

「あの口振り、指導教官の仕業ではないと士官学校側に使いをやってみたよ。そしたら、どうかね。彼らに入校許可申請を出した者の名前は」

 

「きさま」

 

 とクナルが衝撃的な事実を知ったかのように目を怒らせた。

 

「アンヘルくん。君の名前があったよ」

 

 ドミティオスは同類を見るような親愛の目をしていた。

 

「君も私と変わらぬのではないかね」

 

 ぼ、と視界が焼けた。

 

 本当に心の底から消し去りたい行為だった。そう、そのとおりなのだ。アンヘルはつまらぬ遠征演習達成という成果を欲し、士官学校へユーリの家族を招待して、そして悲観に暮れる小隊の面々に引き合わせた。

 

 結果は、予想のとおり悲観に暮れる候補生たちを盛り上げることができた。

 

 だが、その場にいてどんな顔で円陣に参加したというのだ。悲しみに暮れる親族を無理やりあわせ、傀儡のように士気を操ってみせた。それがどれほど悪辣なのかわかっていながら。

 

「私と君には相似性がある。私たちは弱い必死に生きる人間さ。だがね。負けないよ。普通の人間の力を見せてあげようじゃないか。この斜陽の国を立て直すためならあらゆる敵を鼻歌混じりに滅してしまおう。私たちの弱さでね」

 

 ドミティオス大神祇官は、そういいながら手をアンヘルに向かって伸ばした。

 

「私と共に来い。理想を持たない君にみせてあげようじゃないか。この国を立てなおすという夢を。勿論、クナル君もいっしょに」

 

 返答は決まっていた。強烈な力を目にこめて相手を睨みつける。

 

 折れそうな心をなんとか立ち上げ、必死に拒絶する。

 

「誰が」

 

「二度と我らの前に現れるな」

 

 素っ気ない拒絶にも、大神祇官は微笑んだままだった。

 

「いいさ。望もうと望むまいとも、私の理想に共感する。なぜなら私の行う方法こそが君の近視眼的な防衛論にもっとも相応しいからで、現実を知ったならば我らに付かざるを得ないからでもある。君たちはいいコンビだ。悩むリーダーに悩みを捨てた狂戦士。どちらも知らぬうちに依存していく。君たちほど将来有望で悲劇的なコンビを私は知らないな」

 

 大神祇官は静かに椅子から立ち上がり、襟元正して出口へと出ていこうとしたが、アンヘルは呼び止めた。

 

「イズナさんたちになにか意味はあったのか」

 

「ふ。それはすぐにわかる。そして自らの才能に後悔するだろう」

 

 ドミティオスは悲し気に笑った。

 

「私からも訂正しておこうか。君の軍歌の解釈。あれは間違っているよ。あの歌は依代となった少女が歌ったのではなく、その相手、使徒が歌ったのだよ」

 

 最後のその言葉に、アンヘルたちは立ちつくすだけだった。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 通路に出たのは、ひとりの僧服の男だった。

 

 閑散とした行政区の街路には人々が忙しなさそうに駆け抜けていくだけで、魔剣騒動が勃発していたなどと窺わせる余地はなかった。

 

 僧服の男は路地の前に付けられた馬車へ乗りこんだ。照りつける陽射しの影が濃くなるような、陰鬱な翳りを帯びた人物が続く。黒いローブを纏ったアグリッサと呼ばれる女だった。

 

「お戯れがすぎます。正直に答えるなど」

 

 咎めるように低くいった。それに対して微笑みを絶やさずに、

 

「君は遊び心にかけるね」

 

 と返す。

 

 二人が乗りこむと、馬車はかっぽかっぽと行政区をぬけて、街の外へとむかう。僧服の男――ドミティオスは窓越しに歩いている市民を穏やかにみつめていた。

 

「ですが」

 

 アグリッサは最後まで言葉を紡ぐことはなかった。だが、不満はありありと瞳に映じられている。先ほどの将来有望な青年たちに対する憐憫も強く浮かんでいた。

 

「不満かね。神の力を授けたことが」

 

「イズーナとイズンは私の眷属でしたから」

 

「そして、君の元大切な人たちだった」

 

 アグリッサはぎろりと鋭い眼を向けた。貫くような非難の視線である。

 

 馬車は門を抜けて、帝都への帰路をとっていた。がたごとと揺れる簾中でひとりごとのようにドミティオスは呟いた。

 

「闇の時代がやってくる。私たちには龍理使いが必要なんだよ」

 

 古の龍理使い。現代では召喚士と名付けられた、神の使いたちのことである。

 

 カルサゴ教国時代から脈々とつづくその能力者たちは、歴史の転換点において必ずといっていいほど姿をあらわす。竜をあやつり、神意を得て行動する彼らは、貴族たちが認めずとも大仕事を成しとげるのだ。

 

 アグリッサは普段よりも興奮したように語る主人を見ながら溜息をつくと、目を付けられてしまった若人たちを心底不憫に思った。

 

 ――彼らの行く先は、大成か、それとも破滅か。

 

 闇の召喚士として、帝国の矛たる神聖七騎士に名を連ねるアグリッサは、彼らとおなじように主人である大神祇官ドミティオスに引きたてられ成りあがった過去をもつ。そしてそのために歩んだ茨の道も。

 

 恨みはない。今あるすべては主人ドミティオスによるものだ。

 

 理想は蒼天のように高く、そしてどこまでも願いは他者のためである。だが、合理主義的な手段を選ばない手法をみると心の底が凍てついてくのを止められない。

 

 そんな心を見透かすようにして、もっとも力なき存在ながら、権力者としてアグリッサたちを統べるドミティオスは微笑みつづけていた。

 

「遡れば初代皇帝も、そしてその血脈のはじまりである王政時代の頂点も、常に龍理使いが時代の覇者となる。神の力をもつかれらが」

 

 心の底から愉快そうに告げる主人にアグリッサは、

 

「アンヘルとやらが皇帝にふさわしい、と?」

 

 といった。

 

 それに対して噴きだしながら、ドミティオスは、

 

「ありえないな」

 

 と、可愛いものをみる目で見返す。

 

「彼は上に立つ器じゃない。神輿として担がれるにはクナル君以下だろうね」

 

 ならどうして、と叫びそうになったがなんとか口を噤んだ。反論は当然である。イズンたち黄金の林檎を管理する女神はアグリッサの眷属にして親友たちだったのだ。

 

 今はまるで別人へと変貌してしまったのだとしても、それがただの気まぐれで譲渡されてしまってはたまったものではない。

 

「だがね」

 

 ドミティオスはさらに感情をさらけだした。常に冷静な男には珍しい態度だった。

 

「解決能力には目を見張るものがある」

 

「……」

 

「使いでのある駒としては飛びぬけて優秀になるだろう。足りない部分はクナル君が補ってくれるだろうさ」

 

 田園風景を一陣の風がさっそうと舞いた。あらたな季節の到来を予感させる、そんな涼しげな風をドミティオスは窓を開けひろげながら感じていた。

 

 蒼穹の空。連峰を見据えながら笑みを深めた。

 

「バアル教団。西方の民族紛争。揺れる南方奴隷制度や次期候補者である狂人スッラ。そんな時代に神の力を持たぬのでは話にならない。彼も乗り越えてくれるといいんだがね」

 

 さらに不幸を呼びよせる不吉な言葉だった。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 夢をみた。いや、それは夢でなくてはならないとアンヘルは思った。凍えるような冬空のなか、ふたりで並んでいた聖夜の街並み。寒さに反してうんざりする人混みの熱気があたりに満ちていた。

 

 もう、朧げな記憶。駆け抜けてきた一年を思えばすでに遠い昔にすら思える。やさしい彼女の微笑み。天真爛漫な姿。それがどこか真っ青に染まっていく。ああ、いまごろきがつくのだ。イズナはそう、誰かに似ている。

 

 大切な人を失う。という経験はどれほど年月が経とうとも消えるものではない。顔の造形が思いだせずとも、細部が再現できなくとも、苦しみと痛みだけは心に突きささったままなのだ。

 

 隣にたつ彼女の横顔が交互に入れかわって薄く消えてゆく。どちらも手をこちらに差しのべながら、闇の彼方に遠ざかっていった。

 

 おかしいことはわかる。けれども、同時にここが真実のように感じてならなかった。

 

 アンヘルの衣装は厚手のコートだった。今の季節にあっていないと脱ぎ捨てる。雪が降りしきるよるだというのに寒さはなかった。空を仰ぐと眩しい半月が浮かんでいる。それが転じて濃い蒼穹の空になった。街路はじりじりと陽炎がたっていた。

 

 人混みはきれいさっぱり消えていた。かわりにマカレナの葬式をやった、丘の上の教会へと風景がかわっていた。今度は喪服の人々が脇から追いこしていく。アリベールの沈んだ表情が印象的で目に焼きつけられた。痛々しい車椅子姿だった。

 

 転じて、姉のイズーナを戦った場所。飛沫の舞う河川で男たちが金色の少女に挑んでいる。銀色の男と茶髪の男。クナルとアンヘル。彼らは双頭竜のように鋭くせまっていた。

 

 鋭く響く、少女の弾劾。

 

 イズーナの踏むステップや剣舞が言葉となってアンヘルを糾弾しているように感じる。外から見ると一目瞭然だ。いたぶるように少女は戦っている。

 

 ばかだなぁ。ほんとうになにもわかっていない。知っている気になっているだけだ。うまくやればイズナも、教官も、そしてマカレナも助けられただろうに。

 

 くつくつと笑みがこぼれた。泣き笑いのような痛々しい笑い声だった。

 

 世界が滲んで色を置き去りにした。ふと、暗転した。

 

 目が覚める。気づいたときにはアンヘルは場末の酒場の住人となっていた。窓から差し込む光があかるい。暁方の時間だ。迷惑そうな店員の顔が映ると、反射的に支払いを済ませて少しばかり冷える外へと繰りだした。

 

 クナルのことは知らない。もともと二人で飲んだりするような仲ではない。もともと仲がいいかと尋ねたのは誰だったか、くそ、あの男じゃないか。アンヘルは苛立ちまじりに石ころを蹴りとばした。

 

 足は士官学校の方角には向かなかった。どうでもいい。そんな気分だった。

 

 無意識に街の郊外、墓地に足が向いた。空は青い。鮮烈な緑の山々が目にしみいるようで俯きながらアンヘルは歩いていた。人はいない。明かるいのに見渡すかぎりたった一人だ。まるで世界に自分しかいないようだ。そんなことを想いながら、マカレナの墓の前で蹲った。

 

 ――ぼくもがんばって、いるんだけどなぁ。

 

 アンヘルは頑張ってるよ、と返してくれるはずもない。これはいつものルーティーンだ。どうしようもなくなったとき、己の無力さに打ちのめされたとき、ひとりぼおっと白の十字を見ていると過去に帰れる気がするから。

 

 目をあげると十字に汚れが付着していることにきづき、懐の布でぬぐってやる。ついでに枯れている花を取りのぞいた。

 

 どれだけそこで過ごしていただろうか。日が登っている。じりじりと茹だるような暑さになっていた。

 

 もう帰るか。ふとおもったとき、ふと後ろから声をかけられた。

 

「こんな場所でどうしたんですか?」

 

 振り向いた。腰に短弓を付けた、茶髪の少女だった。女はやさしげな、信頼の篭ったキラキラした瞳で佇んでいた。

 

 ――テリュスだった。

 

「どうした、って?」

 

 アンヘルは誤魔化すように立ちあがる。さっさと裾をはらうと、なんでもないように優しくいった。

 

「お墓参りだよ」

 

「故人思いなんですね」

 

 テリュスは口に手をやりながら嫋やかに微笑む。アンヘルは荷物を持ちながら、「君もかい?」と尋ねて、己の心を悟られぬように流れをかえた。

 

 女は首を振って穏やかに否定した。テリュスの手は花束もなにも持ってはない。テリュスの兄ドミンゴの墓は家人の希望もあってか実家に一番近いミスラス教会の北東部墓所にある。

 

 ならどうして。聞こうとした瞬間、目の前の少女に違和感を覚えた。

 

 蝉の声が間遠に響いているのがやけに寒々しい。ピリピリするような力の感触を感じた。

 

 アンヘルはじっと彼女を凝視する。いつもと変わらない涼やかな笑みだった。

 

「どうしたんですか?」

 

 こてんと首を傾げた。どうしようもなく、そのしぐさは可憐だった。

 

(気にしすぎか)

 

 感覚が尖りすぎている。それも必要以上に。

 

 目に映る風景が敵の隠れ家にすら思えるのだ。美しい自然も建造物も。湧きあがる猜疑心の塊が胸の奥にたまっている。自嘲しながら、アンヘルは彼女から目を離して遠くをみた。

 

「だいじょうぶですか? 元気がないみたいですが」

 

「大丈夫だよ」

 

 やけに心配性だなとアンヘルはおもった。嫌われているとすら思っていたのだ。

 

 かえろう。そんな風に気が晴れた。

 

 その、瞬間だった。

 

「良かったわ。人間、いえ、ご主人さま」

 

 相手の言葉で、ばちっと世界が転じた。アンヘルの心が急激に冷えこんだ。

 

 云い知れぬ戦慄が全身の皮膚を暴風のように這いまわり、駆けめぐるのを感じた。歯の一枚一枚がカチカチと打ち合うのを止めることができなかった。狂気の形相で振り向きながら、腰の剣を引きぬき正眼に構える。切っ先にはあきれ顔の少女がいた。

 

 その少女の髪は先ほどまでの茶色ではなく、黄金に染まっていた。

 

「また殺すの?」

 

 こてんと首をかしげた。先ほどとまったく同じ動作。それにもかかわらずまるで違う印象をもたらした。アンヘルは驚愕しながらも絶叫した。

 

「テリュスさんはどうしたッ!?」

 

「あら、ご挨拶ね。私はそのテリュスなのよ」

 

 金髪の少女は両手を広げて、アンヘルの震えるように構えている切っ先を赤い舌で舐めた。しっとりとした唾液が刃先をつたって波紋を撫でていく。震える剣先が彼女の舌を薄く裂いて、刀身を赤く染めあげた。

 

「テリュスは今ここに依り代となったわ」

 

「な、なにをいっている!」

 

「本当になにも知らないのね。自分がなんの為に戦っていたのかすら、わかっていない」

 

 テリュスを依り代とした神格――イズーナは金色に転じた彼女の身体でアンヘルに抱きつき、耳元で囁くようにいった。

 

「使徒となるには神を屈服させねばならない。あなたは認めさせたでしょう。この双星の女神イドゥン――いえ、イズンとイズーナを」

 

 アンヘルを強く抱きながら、徒然とつづけた。

 

「使徒は依り代として己を好いてくれる人物を『生贄』に捧げるの。さあ、殺すなら好きになさい。思いのままよ。私の身体も、そして、心も」

 

 かぷっと紅の唇がアンヘルの唇を啄んだ。そのキスはざらつく血と呪いの味だった。

 

 水の衣がアンヘルの身体を包んだ。嫋やかなその指がつつっと頬を撫でて、下へとおりていく。徐々に怒張へと迫っていった。典雅な、けれども恐ろしいその行為に反射的に突きとばした。

 

「ひどいわね」

 

 よろよろとよろめきながら、イズーナはいった。

 

「テリュスさんはどうしたんだ」

 

「だからいったでしょう。依り代として、(めい)を果たしたわ」

 

「殺したのかっ」

 

「人聞きのわるい。身体を使わせて貰っているだけよ」

 

 悪びれもなくイズーナはそういった。アンヘルは剣を動かして、首元に剣をそえた。

 

「いますぐそこから出ていけ」

 

「お望みのままにご主人さま。といいたいけれど、私にできるのは奥に引っ込むだけ。いずれ時が経てば私の神格に依り代の意思は飲み込まれる」

 

「でていけッ!」

 

 イズーナは寂しそうに笑った。

 

「あなたもそんな反応をするのね。そう思うなら一息に殺しなさい」

 

 そういって目を閉じた。すべてを受けいれるように厳かに。

 

 視界が怒りで真っ赤にそまった。けれど剣は万力に固定されたように動かない。

 

 殺して、テリュスが返ってくるか。そんなわけがない。あの軍歌の通りだ。依り代の死はテリュスの死なのである。どれほど経っても剣を動かせない様子にイズーナは悲しそうな瞳をみせながら、

 

「妹の復活を待ちながら、ご主人さまの(めい)をお待ちしておりますわ」

 

 と、それを最後に地面へと倒れる。ふっと彼女の身体から放出されていた神格のようなものが消えさった。

 

 アンヘルは彼女の身体を抱きかかえながら、そらにむかって大きく吠えた。

 

 天頂は新たな使徒誕生を祝福する蒼穹の空が広がっていた。

 

 

 

 

 

 帝国歴314年。報告書には「魔剣蘇芳、その強力過ぎる能力から封印が決定されたとある。また、残りの魔剣配分には魔剣騒動を終息させた大神祇官ドミティオスの功績が大であるとし、三本分与される」とある。人々はそれ以外の情報を認知することはなかった。

 

 

 




最後にあとがきを投稿して三章終了です。
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