イセカイ&ドラゴンズ   作:原田孝之

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第四章:プルトゥ渓谷
凱旋編第一話:故郷へ錦を飾る


 大都市オスゼリアスを南下し、中央山脈を越えたその先、さらに南東へ向かった地。

 

 ネルウィ賢帝時代に敷設されたスカリウ街道ぞいの旧ペンシル族の地は、共和国制時代よりもさらに前に併合されたとあって、古来より侵略の憂き目に合うことはなく、その一円はひどく平穏であった。

 

 しかし、帝国北方におけるデンドロメード湖近郊の、運河を利用した運送経路外ということもあり、また、西方は大森林に遮られたある種隘路的立地のため、あまり発展した様子もなく、年中、(まぐさ)くさい街道風が舞いたっている地域である。

 

 そんな事情もあり、その一帯を管理する領主は(元老院からの代官、現在はスピラ男爵)人気の薄い職で、一種の島流しとして機能していたが、保養地としての価値は高く、冬ごろになると積雪により移動にすら苦労する北部と違って、避寒を望む上流階級にはひどく好まれていた。

 

 なにより、スカリウ街道ぞいの中心都市にして衛星都市であるセグーラの町には、そこいらの旅籠とちがって上流階級を相手にした遊郭が拵えられており、飯盛女などとは比べ物にならない女が集まった。とくに、この地にはペンシルの血が濃く流れており、ふしぎと色黒が多く、人々は、

 

「南部の黒女」

 

 とよび、避寒する貴族や豪商たちが、この地に泊まるのを楽しみにしていた。

 

 午後である。

 

 といえば、あの騒乱のひと月――魔剣騒動に託けたドミティオス大神祇官の陰謀――が過ぎ去ってからすでに半年となる。そんな寒空の中、まだ日も高いというのに、茶髪の青年はボケッと街中に立ち尽くしていた。

 

「アンヘルは遊びにいかねえよな」

 

 とは、此度の遠征演習で一緒になったベップの言ではあるが、そのとおり、アンヘルは風俗には通うまい、というなにかよくわからない矜持のようなものをもっていた。忌避のような感情を抱いているわけではない。たとえば、今年の晩夏、ベップが無理やり連れて、第二期期末試験終了祝いに、士官候補生御用達の高級店へと繰り出したことがある。

 

 サンダカン三番娼館。アンヘルの敵娼は、ブルーナという店でも人気嬢となった。

 

 この地区の店は、帝都の遊郭とならんで、なんといっても天下の遊里であった。ことに人気嬢ともなれば、見た目麗しく、客の機嫌を取ったりしないことでも有名で、むしろ客の機嫌の取り方のうまさが、通人とされた。

 

 ベップはなかなかの遊び人で、レイラと呼ばれる馴染みにそうそう狎れたが、一方のアンヘルは、床に入るまでは緊張しっぱなしであった。が、いざ床に入ると、一向に沸騰するような熱情が上がってくることはなかった。

 

 結局、窓の縁でだまって杯を重ねた。ブルーナは見かねて、

 

「お好きやあらへんの?」

 

 といったが、その心中は穏やかならぬものだっただろう。こんな失礼な客を見たことがないとは仲居から聞いたはなしだが、口がさない連中はアンヘルのことを、

 

「伍科の不能野郎」

 

 と呼ぶ始末だった。ベップにも揶揄い混じりに「童帝」というあだ名を付けられた時点で、もはやどうしようもなかった。

 

 もっとも、アンヘル側にも言い分はあったのだ。これまで、ナタリア、マカレナ、ルトリシアと段階を踏んで位の高い女と触れ合ってきただけに、どうやら感覚が肥えて、なんの情欲も沸きおこらないのだ。

 

 ――身分は高いほうがいい。

 

 美醜や性格ではなく、ふかしぎな信仰を芽生えさせたアンヘルは、所作や言葉の切れ目切れ目に感じる高貴さ。それに震えるような魅力を感じるようになった。

 

 及ばぬ恋の滝のぼり、という奴である。

 

 その傾向はナタリアのような高嶺の花を好いた頃から如実に表れていた。通例、力に敏感な戦士ほど、根源的な力を持つ貴族に惹かれるのは当然である。また、現代日本の記憶を持つアンヘルには、諸芸学問に通じた才女のほうが遥かに魅力的だった。なにせ、あのテリュス――中にはイズーナが潜んでいる――と話しこんでいると、押したおして自分のモノにしてしまいたいという暗い欲望が湧いてくるのを抑えられないほどだった。

 

 こんな男も珍しかろう。が、それが性向なのだと思えばしょうがない事実でもあった。

 

 折角の演習中の休暇――隊を率いるユースタスのせいで三度目だが――にもかかわらず熱心に演習を果たすエルンストらにつき従う気もおきず、ひまを持てあましていた。

 

 と、そんなこんなでひとりとなったアンヘルは勝手知ったる故郷を歩み、一つの店に向かった。

 

 セグーラの町商業区そば、街路に板ぶき屋根を並べている店に聳えるその一軒は、アンヘルにも馴染みのある店だ。ようやく日が暮れはじめているなか、暖簾をくぐると、曖昧な笑みを浮かべながら、

 

「やっていますか」

 

 と、いった。歳若い人たち――仕込み中の店員たち――は、その明らかに軍人然とした装いの男に身を強張らせた。

 

 その日のアンヘルは、木賊色の開襟に、濃紺に染めぬかれた襟締、ぜいたくな拵えの飾りが上腕にたつ。脚部は総革のみごとな編上靴に脚絆を着用し、髪はサイドを刈り上げて、前髪を後ろに流していた。

 

 顔の造形はともかく、当時『塔』の探索で右往左往していたころと比べれば、背丈も相まって見ちがえるような立派な帝国男児の風である。

 

 場所はあの『菜の花亭』であった。

 

 中は驚くほど変わっていない。ナタリアを想って通いつめていたころ、懇意にした店員の顔もあるが、アンヘルの変わりようにピンときた様子はなく、

 

「どのような御用でありましょうか?」

 

 と低姿勢で聞かれるハメになった。怯えは隠せていない。

 

 この地に純軍人然とした装いの男があらわれるのは珍しい。事実、当時のこの街で過ごした記憶にも、貴人やエリート候補生の姿はなかった。

 

(こまったなぁ)

 

 当時、底辺を這いまわる探索者だったこともあり、士官となって敬われる機会が増えたことには胸がすくおもいだが、度々このような機会に遭遇していては辟易するのもやむなしだろう。

 

 困りはてて黙っていると、相手の男はさらに動揺を深めてゆく。アンヘルの曖昧な表情が、不興を買っているかと心配になったのだろう。

 

 酌婦である女たちも、眉を顰めながら身体を固くしていた。

 

 まだ日も落ちぬうちの客、しかもあきらかに分際の高い男である。菜の花亭はけっして客引きをしない健全な店だが、そんな好色ものとあってはなにが起こるかわかったものではないのだ。

 

「ああ、えっと」

 

(おんな)でしたら私どものみせは――」

 

 そうじゃないと、アンヘルは身振り手振りでなんとか説明した。説得が通じてからも女に酌をさせようとする相手を押しとどめ――相手がまったく気づかないのは、格好以上に抜けきった南西部訛りのせいだ――ひとりの男を呼びにやった。

 

 端の席に腰かけ、アンヘルはひとり舐めるように酒を飲んだ。オスゼリアスの品のある酒とちがい、度は火がでるように高い。昔はよく飲んだものだと味わっていると、待ち人がやってきた。

 

 外で仕入れ交渉をやっていた男は、ずいっと店に入ってきた。黒髪の短髪に、小さな背に似合ぬ威風堂々とした立ち姿。野良着であるのに、やけに風格あるその男は、もう田舎の百姓には見えない。

 

「アンヘルッ」

 

 驚いたように近寄ってきた男は、親友にして、このセグーラの街に残してきた人物、ホセであった。

 

 

 

 §

 

 

 

「えれェ変わっちまったな」

 

 そう言ったのは、筋骨隆々としていて鼻から伸びる小じわが印象深い男である。探索者用の仕事斡旋所に努める口入れ屋勤務のゴルカは、しみじみといった。

 

「そんなつもりは、ないけど」

 

「そう思ってるのはテメエだけさ」

 

 断言に、少しばかりむっとしたアンヘルは、黙って杯を傾ける。

 

 ゴルカは子供を見るかのように、相好を崩していた。

 

「そういえばリンヘルは?」

 

「あいつは遠征中よ」

 

「そっか」

 

「運がねえ野郎だよな。あんま居られねえんだろ?」

 

「うん」

 

 故郷へ帰ってきた理由。それは別に、郷里が懐かしくなったわけではない。二回生遠征演習。所詮、ピクニック演習と呼ばれるそれが、晩秋の時期になって開催されたからであった。

 

 此度の演習は、夏場の迷宮探索演習とは違って規模の大きいもので、その目的は、士官学校近郊から出ない候補生たちの遠征能力――兵站や行軍など――を養成するためにある。つまり、アンヘルは遠征演習の最中にたまたま、故郷に立ち寄っただけだった。

 

 もう夜半を廻っている。ぽつぽつと、職人衆たちが店に顔を出しはじめた。

 

 変わらない光景だ、とたった数年前にもかかわらず懐かしくてたまらない。床板のシミも、簾の汚れも、あのときのように懐古できた。それでいて、ときおり知らぬ顔が見つかるのだから、少しばかり可笑しくなり笑みがこぼれた。

 

「ここは、変わらないね」

 

 落ちついた声で周囲を見渡しながら、いった。

 

「いや、変わったさ」

 

「そうかな?」

 

「ああ。おまえに比べればちょっとだけだけどな」

 

「やっぱり、平民派の勢いが?」

 

「それもあるが、あの盗賊騒ぎも大きいな」

 

「そっか」

 

 西方の旧シラクス領の民族紛争や南部リエガー領の奴隷解放運動など、ロウウィート事件以来、世の体制反対運動さわぎで物情騒然となってくるにつれて、帝国西南部一円にかけ、職にあぶれた徒輩の横行が目立ちはじめている。この潮流はなかなかに堰きとめがたく、領主軍の取りしまりが強化される中でも、治安悪化に歯止めはかかるようすがない。来年度からは遠征演習がなくなる見込み、というのが士官学校側の結論である。

 

 しんみりした空気を吹きとばすように、ゴルカは溌剌に酒杯を飲みほした。

 

「新しい酒だッ」

 

「はいよ」

 

 カウンターの裏側に回っていたホセが、家人のような慣れた手つきで新しい杯を注いだ。彼が机の上におくと、露出多めの酌婦が運んでくる。盆のうえのそれをゴルカは大きな手で鷲掴みにした。

 

「ホセの野郎も休めってんだ、折角の機会だろ」

 

「いいよ、べつに」

 

「おいおい、つめてえなぁ」

 

 目を丸くしたゴルカには悪い、と思うのだが、実際のところアンヘルにもとくに話す内容もない。開店前に一言二言程度話せれば十分だった。若い男ほど過去を語り合ったりしないもので、二人もその例に漏れないのだろう。

 

「そういえば、さ」

 

「なんだ?」

 

 ひょこひょこと周囲を見渡してから、アンヘル声を潜めていった。

 

「その、ナタリアさん、は?」

 

「なるほどな」

 

 ゴルカは腕を組みながらニタニタ笑いを浮かべた。彼は、初恋の相手がナタリアだと知っている人物であり、またそれについて揶揄われたこともあって、いやらしい声で、

 

「まだ聞いてねえのか?」

 

 といった。

 

「なにが?」

 

「そのナタリアちゃんのことさ」

 

 口入れ屋の店員として街の事情には通じている。せいぜい一万を越す程度の地方衛星都市程度では、町人たちの生活など自然に入ってくるものだった。

 

 ゴルカは右親指を立てながらホセを指差して、

 

「あいつとくっついたよ」

 

「それは、知ってるけど」

 

 アンヘルの返事には未練の色は残っていない。社交辞令よりは親身に聞いていただろうが、実際のところ、現況を聞きたい程度の感情しか込められていなかった。

 

「ちげえよ」

 

 ゴルカは、自分の左薬指を右手で叩いた。それがなにを意味するのかさっぱりわからなかったが、指差された方向を見てようやく検討がついた。ホセの薬指に、銀色のリングが嵌っていたからだった。

 

「そっか、なるほどね」

 

「ああ? 興味ねえのか」

 

「脈なしなのはわかってたし」

 

 あっさりとした口調に、ゴルカは逆に驚いたようだった。ただ、逡巡してから、あまり拘泥されなくて助かったと思っているようであった。

 

「臨月だそうだ」

 

「えッ! それは、そういう」

 

「はっはっは、それはさすがに驚いたかッ」

 

「いや、そりゃそうでしょ」

 

 ホセの配偶者であるナタリアは今月出産予定であった。彼女はもう少しで十八になるのだから、この世界では盛り時、という時期であるのだが、現代人にはあまりに早すぎるお産に感じるだろう。少なくとも、アンヘルは驚きを隠せず瞠目した。

 

「あの野郎も身を固めてやがるし俺もさっさと結婚してえなァ」

 

 ゴルカが管を巻きはじめると、女の話か結婚したいという願望かのどちらかになる。彼は故郷から離れてこの街に居着いているために、結婚の主筋である親の紹介という手が使えない。

 

「確かもう三十路だもんね」

 

「いうなってェよぉ」

 

 それから先は、下らない愚痴を言い合うばかりだった。

 

 どれくらい時が過ぎ去っただろうか。客が減ったときには夜は完全に更けた後で、ゴルカはひとり机で寝ていた。

 

 アンヘルは仕方ないなぁ、と酒を置いた。あまり酒を嗜まない彼だが、意外に酒が強く――というよりはゴルカが見た目にそぐわず弱い――しれっとした顔をしている。呑む間隔を縮めなければ、次の日に残ることもあまりなかった。

 

「よお、楽しんでるか?」

 

 ゴルカの横に座ったのは、すでに従業員用の服を脱ぎ去ったホセだった。髪が疲労でしなびている。口から酒精の匂いがしていた。

 

「まあまあだよ。最後は管を巻かれて大変だったけど」

 

「はん。酒癖ワリィからな、コイツ」

 

「そうだったね」

 

 ホセはコップの角でゴルカの頭を小突いた。うーんという声が漏れた。

 

「なあ、アンヘル」

 

「どうしたの?」

 

「おまえは、そっちで上手くやってるのか」

 

「……」

 

 アンヘルは沈痛な面持ちで黙りこくった。返事はできなかった。友人たちの死。それを乗り越えられたわけではなかった。胸の奥に棘となって刺さったままだったのだ。

 

 それを、士官学校での失敗と受け取ったホセは、

 

「帰ってこねえこたぁ分かってる。けどよ、別に帰ってきたらいけねぇわけじゃねえ」

 

 といった。

 

「そうかな?」

 

「そうさ。故郷は出てった奴のためにあるんだぜ」

 

「はは、そうだね」

 

 アンヘルはその朗らかな励ましに、久方ぶりに心から笑った気がした。お返しにと杯を掲げて、

 

「結婚、おめでとう」

 

 と相手の杯にからんとぶつけた。

 

「もう聞いたのか?」

 

「うん。今月産まれるんでしょ」

 

「ああ、良く知ってらァな」

 

 ホセは気恥ずかしそうに明後日の方向を見ながら頬を掻いた。

 

「いつ結婚したの?」

 

「今年の春さ。わりぃな。俺だけ先行っちまってよ」

 

「いいよ。僕には結婚なんて」

 

「ま、そうだろぉな」

 

 照れ隠しなのか、ホセはにやりと笑った。

 

「どうせまだ童貞なんだろ?」

 

「……」

 

「おいおい、拗ねるなって。まったくよ、そういうところ変わってねえな」

 

「ホセこそ。相変わらずそういうところは勝ち誇るよね」

 

 両者はガンを飛ばし合った後、堪えきれなくなって同時に笑いだした。懐かしい空気に当てられたのか杯は進んだ。

 

「な。そういえば何時までいるんだ?」

 

「二、三日ってところかな。それがどうかしたの」

 

 遠征総隊長を務めるユースタスは、演習始まって以来の都市部遊郭を楽しみにしていたのか、かなりの時間をこの地で浪費することはわかっていた。ただ、目的地であるプルトゥ渓谷周辺を治める地ブルクランまでまだ幾ばくか距離があるため、そう何日も滞在できない。数日だろう、というのが予想である。

 

「ならよ、明日ちょっくら手伝ってくれねえか?」

 

 ホセのギラリとした目が輝いている。久々のタッグがここに決まった。

 

 

 

 §

 

 

 

 早朝、アンヘルは街が目を覚ます前に行動をはじめた。泊まった宿を飛びだし、待ち合わせした場所へゆく。ただ、やはりというか二年もあるためかなり記憶があやふやで、土地の人間に尋ね歩きながらようやく辿り着いた。石造りの巨大な門柱、立派な鉄扉が嵌めこまれている場所に、背の低い男は立っていた。

 

「それで、今日はなにするの?」

 

 ホセに聞いた。門の脇にある詰所の中から、子分らしき男が早朝に集まる男たちを訝しげに誰何していた。

 

「そっちは黙って見てりゃぁいいよ」

 

 この日のホセは、先日の町人然とした装いではなく、革の上着にベルト、靴といつかの傭兵らしい格好である。探索者時代の斧ではなく、短剣を腰に差しており、手に袋を持っていた。

 

「お頼み申します。直接、親分に会って話したいことが」

 

「なんだってんだ? 親分はたいてい宵っ張りなんだよ。用事があんなら、昼にきやがれ」

 

「いんや。親分は朝から仕事をしてる。それが親分の癖だ」

 

 知ったような口ぶりに子分は苛立ったのか舌打ちして、

 

「そいじゃどんな要件よ。場合によっちゃ口利いてやってもいいぞ」

 

 といった。

 

「直接お会いしてぇ。親分にはフリオの借金だといえば、とおる」

 

 ふうん、と子分はいうと、家の中へ消えていった。

 

「借金の返済?」

 

「ああ。親分のところにな」

 

 語るのも面倒臭いのか、ホセはこめかみを抑えながら低くいった。

 

 この屋敷は、セグーラの街南方の富豪街リースフィールドを縄張りとする貸元グスタボの店である。つまりやくざ者の根城ということだ。こういうと、どんな大悪党が住んでいるのかとおもわれるが、しのぎ自体は金貸しで成りたっており、金利も悪くなく、金を返さない連中以外には菩薩のような組織である。

 

 親方グスタボは今年四十になる苦みばしったかなりの男前であった。尖った鷲鼻が怜悧さを醸し出し、たっぷりした黒髪をワックスで撫でつけた恰幅のいい男である。

 

 そして、なにより大事なのは、ホセが用心棒時代に雇われていた親方だということである。傭兵時代の主な仕事は、金の返さない客を脅しつけることだったが――正確には金を返さない決断をさせないための抑止力――主な仕事はグスタボからであった。

 

「店の野郎が、こっから金を借りやがったらしくてな」

 

 ホセの述べるところによると、こうである。

 

 菜の花亭のような酒を出す店には、酌婦たち五、六人のほかに、男手が数人居る。やはり女手では不可能な量の物品を購入する際には必要であるし、酔客の制止役も必要だ。

 

 名前はマテオ。雑貨屋の三男坊で、将来店を持つための修行として徒弟に出された男である。いわゆるナタリアの幼馴染という関係で、真面目でないわりに、のらりくらりとやってきた男であった。ただ生まれつき身体は大きく、容貌も優れていても女は寄ってくる。金に困れば女を引っかけ、それをナタリアの父が詫びて回る日々だったそうだ。

 

 ただ、この男は、春前くらいに店も止めてしまったらしい。噂で聞いた話では、どうやらナタリアに惚れていたが、ホセに盗られたのが悔しかったのだろうとのことだった。

 

「おれァ、やっぱ街の奴には好かれちゃいねえ」

 

 ホセは寂しそうに門にもたれかかった。

 

「だからって、こっちが喧嘩腰でもしょうがねえ。それによ、わりぃじゃねえか。ぜんぶ持っていったみてえでよ」

 

 アンヘルからすれば、そんなゴミなど切ればいいと思う。なにより、ナタリアがそんな人物と結ばれて幸せになるとは思えないのだ。だがこの男は、マテオを追い出したという負い目があったのだろう。

 

 ――やっぱり、いいやつだな。

 

 妻にモーションを掛けた男を助けるとは、なかなか人ができている。真似できる人間は少ないに違いない。

 

「でもそんな金どこにあったの?」

 

「傭兵時代の蓄えがちょっとだけ残っててなァ。心配すんな。店の金に手を付けたりはしねえよ。それより、そっちは準備いいのか?」

 

「戦いになるかもしれないの?」

 

「そうはならねえ、と思うけどな。やっぱ、一人じゃどうにもならねえからよ」

 

 そうやって話し込んでいると、許可が降りたのか子分がやってきた。会ってくれるらしい。鉄の門が左右に開かれると、ホセを先頭に家敷の中に入った。

 

「お久しぶりです。親分」

 

 ホセはそう言いながら頭を下げた。通された大広間の部屋で、漆喰の椅子でどっしり構えているのがグスタボである。アンヘルはいつもどおりの候補生制服のまま、部屋の隅に立った。

 

「それで、今日はなんの用だ?」

 

「マテオの金、そっくり揃えてきやした」

 

 そういうと、ホセは控える子分たちへ袋を渡した。ずっしりした中には百コインほど入っている。田舎では中々の大金であった。

 

「ほう、別にテメエが払わなくても構わねえんじゃねえのかい」

 

「へい」

 

「なら、どうしたってんだ」

 

「マテオの野郎が金を借りねえようにして欲しいんです。ウチのカミさんが野郎の家族と仲良くて。あいつが不義理をすると実家がやべえんです」

 

「ほう、そうかい」

 

 グスタボは感情の見えない顔で頷きながら、

 

「けどよ、道理が合わねえんじゃねえか?」

 

 といった。

 

「それは――」

 

「テメエは、ウチの仕事を台無しにしてくれやがった。それを久々に来て頼み事たぁ、どういう了見だい」

 

 実はこのグスタボ、ホセの器量を信じてより大きな仕事を任せようとしていた最中であった。そこを裏切られて、ある程度のダメージを負ったのである。

 

「すいやせんとしか、いえねえんです」

 

 ホセは膝を折り、頭を地面にこすりつけて謝罪した。しかし、その眼差しに惨めさはいっさいなく、子を持つ父のように力強かった。

 

「あんときは俺も調子にのっていました。親分にも迷惑をかけたことは悪いと思っています。けど、そっちもわかってるはずです。あいつに金を返す力がねえことは」

 

「……」

 

「頼んます。ここらでしめぇにしてくだせえ」

 

 グスタボはぼりぼりと顎を掻いたあと、子分に袋を持ってこさせ、一枚一枚数えはじめた。金貸しらしく、あっという間に終わる。

 

「俺も鬼じゃねえ。テメエにも家族があるしな。だが、わかってんのか。あの野郎、うちだけじゃなくて他からも借りてやがる。それをどうするよ」

 

「そっちはあいつになんとかさせます」

 

「はん、そうかい」

 

 なら話は終わりだ、とグスタボはキセルを取り出した。

 

「これは、一応なりともウチの門をまたいだテメエに言っといてやるがよ」

 

「へい」

 

「あの野郎はクズだぜ。さっさと片つけちまえ」

 

「へい」

 

 それっきり、さっさと出て行けと手を振ると子分たちが背後の扉を開けた。ホセは立ち上がって礼を言った。部屋を出る。それに続こうとしたアンヘルは、

 

「兄ちゃん、ちょっと待てや」

 

 という声に止められた。

 

「何モンだい。ちょっと剣が使えるってぐれえじゃねえだろう?」

 

「私は、ただの候補生ですよ」

 

 自分の胸元をぴろっと掴んでアピールした。士官学校の制服はどこも共通で、近在の大森林警備隊には簡易養成課程が存在することからこの街の住人も制服だけでわかる。セグーラはこの近辺でもっとも発展しているため、気晴らしにそこの候補生が訪れることもあった。

 

「は、んなわけねえよ。俺だって若い頃は柳流の門人だったんだぜ」

 

 彼の出身は中央山脈周辺のポーナで、その立地の悪さから皇帝、元老院の支配が及ばず、民衆に対する統制が緩やかな地であった。自然、野盗たちが蔓延りやすく、中々に治安の悪い地域である。自然、百姓作男たちは争って武芸を学ぶ武侠の風土であり、どの村にも武芸自慢の若者が多くいた。

 

 この一円には、そういう連中に教える剣法が幾つもある。その一つは名の通った東方一刀流で、質実剛健かつ数多くの門人を抱える。出世したいならまずこれを、という名門だが、勉学重視の流儀のため、手っ取り早く技を磨きたい村衆には好まれない。

 

 柳流は、オスゼリアスで金剛流を学んだ流祖ラウデリーノが故郷に帰ってきてからはじめた流儀であり、気組と呼ばれる気魄重視の剣術で、都会の巧緻な剣術に比べれば田舎臭いが学のない村民たちには分かりやすい流派であった。

 

「ホセの野郎、一発かましてやろうかと思っていたがな。まさか、てめえみてえなガチ(もん)の軍人がいるとは思わなかったぜ」

 

「……」

 

「こんな片田舎になんの用だってんだ?」

 

 とはいうものの、金貸しを営む男が士官候補生来訪を知らぬわけがない。総隊長であるユースタスは街で派手に遊んでおり、明日の昼頃には街全体に噂が広まっているだろう。

 

 あくまでも確認程度だった会話に黙っていると、

 

「あの野郎、分かっていやがらねえ。テメェが、片付けてやれや」

 

 といった。

 

「それは、どういう意味ですか?」

 

「俺は言わねえ。自分で調べろ」

 

「そう、ですか」

 

 アンヘルはそれを最後に部屋を辞した。久々のタッグは、ここで解散の運びとなった。

 

 

 

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