イセカイ&ドラゴンズ   作:原田孝之

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第三話:巫女の舞

 しゃらん、と遠くに鈴の音を聞いた気がした。木の根方に落ちた葉が、樹々の間を強く吹き抜けた風に沿って舞った。それは渦を巻いて空高く舞い上がると、ちかちかと陽を弾きながら降りそそいだ。

 

 乾いた落ち葉のくれぐれとした匂いが、纏わりつくようにしてあたりに漂う。その中を影が疾風のように駆けた。

 

 落ち葉を踏みしめる音さえなく迫る影。襲い掛かってきた狼には反応する隙さえ与えない。天高く掲げられた片刃刀が、その小柄な肉体とともに空を飛んだ。

 

 ――風と踊っているようだ。

 

 巫女の舞。アンヘルは、腰をぬかしたミゲルを引きずりながら、アルバの圧倒的な動きを見つめていた。

 

 アルバは宙を舞って、回転するように剣を薙いだ。真横に線でも引くような、軽やかな動きである。鈍く輝く刃は、飛び出してきた狼の毛皮を、まるでバターでも裂くようにして引き裂いた。

 

 一つ、二つ、三つ。

 

 鮮やかな銀線を描いてから、着地する。

 

 駆け出した。足に羽根でもついたような軽やかさで、垂直に木を駆けた。

 

 狼たちは追いすがる。群れの長とみられたひと回り大きい狼が、取り囲むように指示をだすも、それを嘲笑うように空を飛んで長の口腔にその切っ先を突き立てた。

 

 続けざまに胴を蹴って跳び上がると、着地ざまに再び三体ばかりを死に体へ変えた。

 

 きゃうん、と狼が悲し気に泣いた。十はいた仲間たちが一瞬のうちにやられたのである。神がかりてきな早業であった。

 

 アルバは怯えて後ずさる狼にゆっくりと近づくと、脳天に剣を振り下ろした。

 

「終わった」

 

 刀の血脂を半月のように地面に飛ばしたアルバの姿には、言葉がなかった。

 

「な、な、な、なんだァよ、こいつは」

 

 さらに蒼白となったミゲルは、直視できないのか目を反らすと震えだした。

 

(これは、すごい)

 

 アンヘルも心中で感嘆していた。

 

 あまりに人間離れしすぎているのだ。武芸とは、強化術という力をもってしても合理の先にある。たとえば武芸者の一歩は遥か遠くまで及ぶから、間合いという概念は常人よりも広い。

 

 が、いってしまえばただそれだけなのである。このようなアルバの動きは人外を想起させる。それにミゲルは本能的に気が付いたのだろう。

 

「……帰る」

 

 アルバは周囲の態度を気に掛けることなく反故紙で刀身を拭った。すぐに歩きだす。アンヘルは慌てて駆けだし、止めた。

 

「ちょ、ちょっと待って。帰り道、分かっているの?」

 

「……む」

 

 憮然とした顔つきでアルバは振り向くと、腕をだらんとしたまま立ち尽くした。頬が微妙に紅潮している。

 

 これまでの道はミゲルがけもの道を縫うようにして来たから、両者ともにどうやって村まで帰ればいいかわからない。

 

(もしかして、天然なのか)

 

 失礼なことを考えながら再びミゲルに近づくと、しゃがみ込んだ。

 

「ミゲルさん」

 

「な、なんだ」

 

 じっとしゃがみ込んで相手の目を見つめていると、目を逸らしていたミゲルは落ち着きを取り戻していった。アンヘルの優男の風やトボけたような眼差しはこういう所で役に立つ。

 

「立てますか」

 

「お、おう」

 

 手を引いてやると、ミゲルはゆっくり立ち上がった。

 

「もう勝負は構いませんね。ちなみになんですが、狼はこれくらいで十分ですか?」

 

「あ、ああ。だが、後始末をしなけりゃならん」

 

 血の匂いを嗅ぎつけた同族を呼び寄せる可能性もあるうえ、熊などより強大な野生生物が肉の味を覚えて村に降りてくる可能性もある。腕の良い猟師ほど親方から厳しく指導されていることを、今までの経験から知っていた。

 

「なあ、そっちの嬢ちゃんは何者だよ」

 

 ミゲルはよたよたと狼の死体に近寄りながら、上着と共においていた鉈を取り出して毛皮を剥ぎはじめた。

 

「アルバは男ですよ」

 

「んぁ? 冗談だろ」

 

「まあ、それはともかく。仕事も終わったのでアルバを帰そうと思うのですが」

 

 まだ震えているミゲルに助け船を出してやる。予想どおり提案に飛びついてきた。

 

「か、構わねえよ」

 

「道はどちらですか?」

 

「右下のけもの道を通っていけば小川に辿り着くから、そこを下れば湖だ」

 

 アンヘルはひとつ頷くと、離れたところで無感情にこちらを伺っていたアルバに道を教えた。集団行動を好まない性格どおり、ひょいひょいと軽やかに森を下っていった。

 

「ふう。なんだ、あのバケモンは?」

 

「特別だと思いますよ、アルバは」

 

「そうかよ」

 

 ぶっきらぼうにミゲルはいった。どこか悔しそうである。よく見れば、唇を噛んでいた。士官に対してどこか恨みを持ったような態度に伺えた。

 

 軍人というのは、軍国主義を貫く帝国内では大きな権威や地位を持つから、それを妬んでとげとげしい視線を向けるものは多い。実際に横柄な態度の軍人も多いから責めるわけにもいかなかった。

 

 ふたりはそのまま毛皮を剥がした後、死体を地面に埋めて村に戻った。

 

 行きは曲がりくねった道を行ったのだが、帰りは一直線で四半刻もかからなかった。湖が見えて森が開けると、村の風車がすぐに見えた。

 

 レンガ造りの湖街が広がった。美しく異国情緒溢れる風景である。旧カルサゴ教国の文化が少しばかり流れてきているのがありありとわかった。

 

 ただ、国教としてミスラス教を信仰しているせいか、どこかちぐはぐな印象だ。しかも、道中の開拓村とは発展度が違っていて、新しい煉瓦造りの建物が幾つも並んでいた。

 

「あの教会は何信仰ですか?」

 

 アンヘルは街の中心部から少し離れた教会を指差した。見慣れぬ形の教会で、普通なら使われているはずのステンドグラスがなく、屋根の上の鐘もない。石造りの建築が一般的だが、木造で、段になるように作られているから、どこか東風の印象を受ける。

 

 ミスラス教はミックス教だから、名が知られていない一柱の場合、見慣れない教会になったりする。その程度の雑談としてアンヘルは聞いた。

 

「あぁ? ハンバニルさまだよ」

 

「えっと、ハンば――さま? 不勉強で申し訳ないのですが」

 

「俺に聞くな。最近宗派が変わったとかで建て替えたんだよ」

 

「そうなんですか」

 

 ハンバニルという神の名は、知識にはなかった。恐らくだが、先祖信仰の派生だろうという結論をたてた。帝国は「父祖の遺風」なんて文化が色濃く残っているから、先祖を祀るのは珍しくない。

 

 そんなことを話していると、ミゲルは立ち止まってバツの悪そうな顔をした。

 

「悪かったな」

 

「何がですか?」

 

「突っかかっちまってよ」

 

 ミゲルは気恥ずかしそうに、頬を掻きながらいった。

 

「構いません。こういうのは慣れていますから」

 

「いや、だがよ」

 

「こういうのはよくあることです。勿論、殴りかかられては困りますが」

 

「兄ちゃんは人ができてんな」

 

「……僕も、同じ穴のムジナですよ」

 

 アンヘルは俯くしかなった。ミゲルはそんな感傷を気に留めず、毛皮を纏めた袋の紐を重そうに担ぎなおした。

 

「少し聞いても?」

 

「ああ? なんだ」

 

「軍と何かあるんですか」

 

 ミゲルは一瞬キョトンとした。

 

「軍に恨みはねえのさ。いや、最近来たお前らの使番にはイラついたが、本当にムカついてんのは代官の野郎だよ」

 

「代官、ですか?」

 

「いや、こんな話は恥ずかしいんだが」

 

 アンヘルはポカンとして話の続きを促した。

 

「あの野郎、最初の頃は大人しくしていやがったが、この頃は気味の悪い教会を建てたり、色々好き勝手やってやがる。その上、最近は渓谷に続く森まで封鎖しちまいやがった。何様のつもりだってんだ」

 

「代官の指示で教会を、ですか?」

 

 教会に代官が介入など珍しいな、とアンヘルは頭を捻った。

 

「そんな細けえ話は知らねえよ。けど、あのヤローは好き勝手ばっかりしてやがる。それだけじゃねえ。最近は女遊びに嵌ってるのか、どっかから連れてきた女どもを侍らせて。しまいにゃ、マリサちゃんまであんな格好をさせやがって……あんな良い子だってのに」

 

「……」

 

「しかも村の奴まで信じてやがるんだ。なにが救世主さまだ。たしかに村に金や仕事を運んできてくれたみえてえだが、胡散臭くてあらしねえ」

 

 と、ぶうぶう文句を垂れ始めた。開けてはならない扉を開いてしまったらしい。

 

 ミゲルは腹の虫が納まらない様子でげしげしと足を地面に撃ち込みはじめた。こういうときは、相槌を打って躱すのが賢いとひたすら頷く機械に徹した。

 

 顔を真っ赤にしながら愚痴を垂れ続けると、最後に「悪かったな、今日はウチに泊まれよ。まだ宿は決まってないんだろ?」と言い始めた。冷静になると、初対面の人間に愚痴ったのが恥ずかしくなったのかもしれない。

 

 アンヘルはその言葉に甘えた。宿は幹部で一杯だから、どこかに野営するしかなかったのだ。さすがにこの季節の夜風は堪える。

 

 ふと、向こうに暗くそびえるプルトゥ渓谷が見える。龍のような唸り声が、轟いたような気がした。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 夜も更けて、村に提灯が灯りはじめた。

 

 外は雨が降っている。目には見えぬほどの細かな雨だが、地面は少しづつ濡れて、濃い土色に変わりつつあった。村人たちは雨を嫌がって軒先ばかり歩いているから、そこがどんどん泥汚れに染まっていく。

 

 遠くで閃光のような光が弾けて、そのまま一直線になって縦に落ちた。それはほんの一瞬で、闇夜にひび割れでも入ったような眩さがあり、遅れてゴロゴロ音を立てる。

 

 ルトリシアはそんな光景を代官屋敷の一室から見下ろしていた。部屋の大きさは百人ほどが入れるほどだが、家財は平凡である。壁に掛けられた画はどれも名のある画伯の作品ではないし、窓際には埃が薄らと残っているから、それほど使われていないのだろう。瀟洒な細工がないことも、自身の確信を強めていた。

 

 ――だと云うのに、宴会の肴は豪勢ですね。

 

 どうもこの村は具合が変である、というのがルトリシアの内心であった。代官が日々村民から搾取し、贅を凝らしているというなら理解できるが、宴会となるとそうはいかない。食材、シェフ、酒に酌婦と十分なモノを用意するには金だけでは不十分なのである。

 

 だが、ユースタスの満足しきった表情を見て、準備されたモノが大貴族を満足させる一級品ばかりであるのは明白だった。

 

 派閥候補生たちが箸を進める。テーブルの上の食材が無くなると、使用人たちがすぐに運んでくる。この村は湖業が盛んだから、とくに魚が美味い。それとどこから手に入れたのか豚がローストされていた。

 

 ルトリシアの眉間に一瞬深い谷が刻まれる。

 

「フェルミン候補生もお酒が進んでいるご様子で」

 

「は、い、いえ! 申し訳ありません」

 

 派閥配下のフェルミン連隊長は飛び上がるようにして謝罪した。グラスが都合三つ、彼女の前に並べられている。始まったばかりだというのに、相当気に入ったのだろう。

 

 ルトリシアは微笑みを浮かべて嗜めるも、内心ため息を吐いていた。

 

(呑気なものです。これからが本番ですのに)

 

 貴族子女の常として幼い頃から舞踏会で社交の経験を積んできた彼女にとって、外交に疎い平民候補生を減点せざるを得なかった。騎士ハーヴィーの酒を絶つ姿勢を見習ってほしいとすら思える。

 

 今はルイス代官主催の宴会。アンヘルやクナルなどの非主流派候補生の姿はない。場は、ルトリシア派閥、ユースタス派閥、エルンスト派閥の助勤や連隊長が集っていた。

 

 規模は兎も角、親睦会など手慣れた代官の手腕に舌鼓を打ちながら、手抜かりの部分に目をやった。面の皮が厚い貴族の彼女にも、直視は中々堪える問題である。親睦会を開かないよう指示しなかった自分の過誤だと思い込むことで、精神の均衡を保った。

 

 宴会に相応しくない怒声が耳に入る。ルトリシアは鉄壁の微笑みのまま、その場に近づく。

 

「代官の好意だ、受けないほうが失礼ではないかね」

 

「キサマの魂胆は分かっている。また女遊びだろうが」

 

 代官ルイスの邸宅の一室、地方代官の部屋にしては大きすぎるそこで、二人の男を筆頭にした集団が睨み合っていた。

 

(またですか。仲裁は疲れますが、遣らないと本当に斬り合いそうで)

 

 主催のルイス代官も涼しげな顔を崩している。士官学校の事情に詳しくない彼は「混ぜるな危険」を知らず、一緒くたにしたことを後悔しているのだろう。

 

「これも見学だよ。私は、市井の良さを学んでいるに過ぎないんだ」

 

 染み一つない白いコートには、襟元の金色の刺繍以外にはなんの飾りもない。それが、彼の身体全体を覆っていた。美しいブロンドの髪が肩近くまで垂れている。目を引くような美しい髪で、帝国貴族として典型例のような容貌である。

 

 男は左手の繊細な指を滑らせて、サキと呼ばれた女の腰に手を回した。相手が「やぁーん」という作った声をあげて悦ぶ。それをニタニタ笑いで眺めていると、神が右手で描いたような顔も台無しだった。

 

「お二人とも、冷静になってくださいな。ここは士官学校ではありませんよ」

 

 その男――ユースタス・リンゼイ・アル・リエガーはルトリシアを認めると、はっとサキから手を離した。取り繕った表情を浮かべている。

 

 内心の軽蔑を抑えるのに苦労した。彼の好意も理解しているし、政略結婚となれば選択肢のない話ではあるが、さすがに大根役者すぎるだろう。杜撰すぎる隠蔽に対し、何度目かもわからない、もはや数えることも億劫な回数のため息を小さく吐いた。

 

 しかし、介入の効果はあったのか。第三者の介入に、苛立ちを隠そうとしていなかった両派閥の人員も取り繕いはじめる。不特定多数の目がある場では表面上上手くやる分別を持って頂きたい、とユースタスの杯に酒を注いだ。

 

 その行為に少し満足したのか、にんまりと笑みを浮かべるユースタス。ただ、悪いことに、エルンストはそれを相手の援護と受け取ったようだった。平民派を標榜するだけあって、門閥派が羽虫か何かに見えるのだろう。五大貴族は正確には門閥派ではないことを言っても聞きはしない。

 

「分かっているのか」

 

「何を、かな?」

 

 苛立たし気に問うたエルンストを、ユースタスは小馬鹿にした様子でいった。彼の派閥配下が皮肉気に笑う。

 

「もうすでに、五日も超過しているんだぞッ!」

 

 躑躅色の髪を逆立て、エルンストは唾を飛ばしながらいった。

 

「だからどうしたんだい?」

 

「なにがどうした、だ。教官はセグーラの街に置いてきているんだぞ。これ以上遅延してどうする」

 

「そんなもの、待たせておけばいい」

 

 薄笑いを浮かべるようにして、いった。

 

「き、きさま」

 

 エルンストは額に青筋を浮かべている。

 

 彼らが言い争っているのは、遠征演習のことであった。

 

 第一中隊の目標はこのロヴィニ村まで行き、帰ってくることなのだが、途中の村々でユースタスが遊び惚けているから、日程が五日も遅れているのだ。教官はいない。その諫言にユースタスがうっとおしがって、セグーラの街で待機するよう指示を出したのであった。

 

 正論はエルンスト側にある。しかも、自分自身ユースタスの横暴っぷりには辟易としていた。行く町々で騒動を起こしては、その揉み消しに奔走させられたのは自分であり、事件を起こさないよう度々配慮に思考を割いたのも自分である。

 

 ただルトリシアとしては、リエガーを敵に回すことは避けたく、そして平民派の人員取り込みを狙う身とあっては場を濁すに留める他なかった。

 

「今はお酒が入っていますから、明日に――」

 

「それで反論は終わりかね。ならば、この村の滞在期間は三日だ」

 

「明日出発だ!」

 

「聞こえなかったのかな。中隊総隊長の言葉だよ、これは」

 

 完全に無視された。火花が散るほど激しく二人の視線は交錯した。ルトリシアは頭痛を覚えると、頭を軽く押さえた。

 

「ですから――」

 

「宴もたけなわでございますし、ここでひとつお休みになられては」

 

 横からルイス代官が入ってきた。緊張しているのかてかてかとした頭を撫でていた。これはチャンスだと感じたルトリシアは、話の流れに沿った。

 

「そうですね。私も長旅の所為か思考がボヤけてきました。ユースタスさま、本日はここでお開きになさっても?」

 

「……そうか。そうであるな」

 

 ここが纏め処だと感じたのだろう。さらにルイス代官が畳みかける。

 

「良ければ、サキをお連れください。サキは妻の従姉妹なのですが、歌が上手く、それはもう。リエガーさまのお眼鏡にかなうこと間違いなしでございます」

 

 サキは蠱惑に微笑みながら、頭を下げた。他の従姉妹と思われる人間が倣う。彼女らは、皆決まったように金色の髪をしていて、大きな紫水晶の瞳を輝かせていた。

 

 歓待には慣れているのか、赤いフリフリのミニスカートに、水着のようなトップス、赤い手袋とブーツだけをしている。唇を紅で塗っているから、色気も合わせて売春宿の引き嬢にも見えた。

 

「だが」

 

 ユースタスはこちらの顔色を伺ってきた。今更気にしてどうすると思うのだが、収まるならなんでもよかった。

 

「私も眠る前にはよく歌を聴きますわ。旅の疲れもありますし、ぜひお試しになって?」

 

「そ、そうか」

 

 ユースタスは婚約者から太鼓判を押されたと思ったのか、隠すことなく大胆に女の腰もとに手をやると、ぎゅっと引き寄せた。鼻は下劣に伸びている。

 

 彼の言葉を借りるなら、この後「市井の良さ」を教えてもらうのだろう。

 

「そうであるな。私も旅塵を落とさねばならない。うむうむ」

 

 もはや誰に言い訳しているのか。分け前を貰えそうな仲間たちとともに、女たちと廊下に消えていった。

 

「シュタールさまも、別邸に一室を用意してあります」

 

「結構。俺たちは野営訓練に励む」

 

 所詮、多少羽目を外しても構わないはずだが、彼らは常に街の外で野営訓練に励み、泊まるときも最低限に控えていた。これは一種の当てつけだろう。本人に響いていないから、意味はないが。

 

「そ、それはこまります。折角の御機会でございますのに」

 

「あんな男と一緒にするな」

 

 出て行こうとしたエルンストだが、目の前にまでやってくると怒気を露わにした。

 

「貴方はなぜあの男の味方をする」

 

「彼の味方でもなければ、エルンストさまの敵になったつもりもありませんわ」

 

「――ッ! 貴方のその曖昧な態度があの男をつけ上がらせるのだ!」

 

 一瞬怒りを全面に出したが、それを引っ込めると踵を返した。その後ろに派閥の者たちが続く。「救国」主義者と予想されているロペスは居ないが、穏健派のロールスや軍議盤都大会二位の助勤ミカエラなど、壮々たる面々である。

 

 そして最後に、勢力成長筆頭株である倒院論者オウルが慇懃に礼をした。

 

(嫌な目つきですね)

 

 自信に溢れ、貴族など歯牙にも掛けないと思っているかのような鋭い目立ち。それでいて、戦士特有の修羅場慣れした鋭さではなく、草食動物に身を潜めている雑食動物のような、上手く立ち回っている男特有の目である。これなら、ユースタスのようなわかりやすい感情のほうがまだマシだ。ルトリシアは表に薄くにじむ苦い顔で彼らの去る姿を最後まで見続けた。

 

 ふと、視線を外す。近くにいたレイナという妻の従姉妹がルイスに話しかけていた。

 

「どうされますか?」

 

「まあ、仕方ないでしょう。メインは泊まると言っているのです。計画に不足はつきものと割り切りましょう」

 

(なんでしょうか?)

 

 レイナが下がると、ルイスが頭を下げながら話し始めた。

 

「ヴィエント様の部屋もご用意しておりますので。配下の方々は、こちらに」

 

「お言葉に甘えまして」

 

 ルトリシアたちも本邸に泊まることとなった。こんな村宿では不足の事態が起きるとも限らないし、接待側も不安だろう。強いて上げればユースタスの蛮行が心配だが、騎士ハーヴィーらの守りを抜けるとも思えない。

 

 因みにだが、他の候補生はルイス代官の手配した場所に泊まる予定である。

 

 ――そういえば、たしかクナル班の一部が村衆の世話になると聞いたのですけど。

 

 一部の候補生の動向を報告し忘れたことを思い出した。まあ、所詮は一候補生。報告せずとも問題にならないと考えたルトリシアは、案内されるまま部屋に入った。

 

「ルトリシアさま、我らは扉の前に居ますので何かあれば」

 

「ありがとう、ハーヴィー」

 

「それから寝酒にと、代官から。高級酒らしいです」

 

「そうですか」

 

 ハーヴィーから受け取って一口呑んだ。不味い。貴族として酒を嗜むが、実はあまり好まない。しかも、この酒は地方酒特有の強い葡萄の香りと、底に潜ったようなざらついた舌触りがある。酒にそれほど詳しくない彼女にも、到底高級酒とは思えなかった。

 

 結局、一杯味わっただけで飲むのをやめた。

 

「では私はこれで。貴方もお休みになってくださいな」

 

「いえ、リエガー爵の一件もございますし」

 

「そうですか。では、お先に」

 

 ルトリシアは髪を解してから、制服を掛けて床に入った。どこか、この村は不審な点が多い。そんな予感を胸にしながら。

 

 なにかわからない。それでも、どこか不安をよぎらせる何かがある。ルトリシアは底から這い出てくる不安を拭えぬまま、微睡の世界に溶けていった。

 

 

 

 

 

 分厚い何かが自分を覆っているような感覚を覚えた。

 

(寒い、それに身体が重たい)

 

 分厚い闇が広がっている。それは身体中を取り巻き、重力のように沈み込もうとしている。

 

 世界は光がなく、奥行きもなにもわからない。そもそも、世界といっていいかわからない状態である。上下左右すら判別不能だった。

 

 頭が麻薬でも打たれたように鈍い。声が枯れているのか、くぐもった呻めきが流れたようであった。凄まじく動くことが億劫に思える。熱っぽい頭は人生で味わったことのないものだった。

 

 四肢に力を込めるも、毛ほども動こうとしない。セメントで固められたようにピクリともしない。

 

 それでも言い表すことのできない寒気に押され、なんとか身体中の力を振り絞った。

 

 微睡の中にいたルトリシアは掛け布団を押し上げると、転がるようにして覚醒した。

 

 寝台に手をつきながら、必死に体を起こす。それすら、長距離走並みの労力を強いられた。

 

「これは――」

 

 部屋は薄ぼんやりとした月明かりが差し込んでいる。が、それすら禍々しい。呼吸が苦しく、水の底に放り込まれたような圧迫感がある。

 

 鎖骨が肺に食い込み、胃を捻られた嘔吐感を抑えながらルトリシアは叫んだ。

 

「ハーヴィーっ、そこに居ますか」

 

「る、ルトリシアさま。なにか御座いましたかッ!」

 

 部屋の外でずっと待機していたのか、素早くノブが捻られた。廊下の魔導灯の光が差し込んでくる。太陽に等しいまぶしさを覚えながら、なんとか上着を羽織った。

 

「何が有りましたか。もしやまたあの男がッ」

 

 入ってきた騎士ハーヴィーは絶句した。

 

 ルトリシアの美しかった翡翠の髪は見る影もなく、くたくたになり艶を失っている。そればかりか、頬は青ざめ唇も一眼でわかるほど色を失っている。陶器のような白い肌は病的なほど色を失っていた。

 

「立ち上がられてはお身体にさわり――」

 

「化粧道具を。それと他の人間を呼びなさい」

 

 ピシャッと意見を跳ね除けながら櫛を取り出して整える。制服もヨレてはいるが、気にしていられない。

 

 ハーヴィーは部屋の棚に置かれた化粧箱を手渡しながら、動揺を露わにしていた。

 

「これはどういう」

 

「早くなさい、ハーヴィー。これは」

 

 続きを言わんとしたとき、屋敷の下から耳障りな音が響いてきた。すぐさま立ち上がって、窓から階下を眺める。信じられない光景が広がっていた。

 

 そこには、剣や槍を振りかざし、庭のあちこちに迫り来る悪鬼の集団が、津波のように押し寄せていたのだった。

 

 ルトリシアは冷静を保ったまま、騎士に指示した。

 

「直ちに派閥全員を集めなさい。それから、リエガー子爵のご様子も。屋敷の人間は全員敵だと思いなさい」

 

 ハーヴィーが息を飲む。今の事情を飲み込んだようだった。

 

 剣を引き寄せて大きく宣言する。一葉落ちて天下の秋を知る。初動対処が状況を決定すること、それを深く理解してのことだ。

 

「これは、敵襲です」

 

 その表情は厳しさに満ちていた。

 

 

 

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