イセカイ&ドラゴンズ   作:原田孝之

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第四話:邪龍の烙印

 男の背のむこうに赤光を渓谷の雲に滴らせながら、陽が落ちてゆく。足元の影は、縦に間延びしながら小屋や路へ立つようにして映じられた。

 

 胸中には、一掴みの緊張感が漂っていた。というのも、彼は今、制服を縫い合わせてくれた少女マリサの元に向かっていたからだった。

 

(よろこんでくれるだろうか?)

 

 彼女と出会ってからすでに三日経っている。その間、理由をつけて毎日会いにいっていた。

 

 彼女は最初こそ戸惑ったような顔をしたものの、嫌な顔は見せなかった。彼女自身、話し相手を欲していたのだろう。都市や中隊など、色々な話をした。

 

 気づいた時には、彼女に惹かれていた。彼女はつまらぬ理系的蘊蓄話にもいちいち相槌を打ち、ときには大きな笑い声をあげた。それが、なんとなく優し気に思えたのだ。

 

 士官学校の女性は候補生をライバルと考えているから、ただの雑談ですら勝負になりがちだ。必然、より勝負しやすい思想や国学について論じるのが常で、こういうたわいない話にはなり難い。それが魅力的に映ったのだ。

 

「もう暗くなっちまったな」

 

 疲れからか肩が重い。昼間、班員が突っかかってくる森師を怒鳴りつけたのだ。そのため場は白け、仕事自体も捗らなかったどころか、森師は責任者のホアンを責め立てる始末である。

 

(なにが、軍務に関係ない命令など従う義務はないだ。どうせ仕事をしたくないだけだろ)

 

 そうやって感情が内に向かうと、ふつふつと己の小隊たちへの苛立ちが立ち上ってくた。

 

 ――あいつらは己の出世のために倒院や救国を掲げている。

 

 それが、最近のホアンの中で燻る怒りの大元であった。

 

 皆平民派という名を借りてさも改革者ヅラをしているが、実際にやっていることは派閥の力を利用した成り上がりである。それでも行動するならまだ許せるが、最近になって加盟した平民派は、勝ち馬に乗りたいが為だけに平民派を名乗っている節がある。そういう奴らは、いざとなれば裏切る。

 

 そんなことを常々頭に描いており、思想を共にする同士を心底では好いてはいなかった。

 

 決まって最後に、はぁ、と息を吐いた。こういう思考に陥ると、蘇るのは過去の後悔ばかりであった。

 

(俺は正しかったのか。あのとき、エルンスト様の派閥を抜けて)

 

 敬愛した主人の限界を見たから、決断した。

 

 ――エルンスト様の理想はすばらしい。

 ――エルンスト様の方法は気高い。

 

 ――でも、それでなにが成せるんだ。

 

 正しいことを掲げて、正しい行いをすれば、自ずと結果はついてくる。昔はそう思っていた。

 

 だが、そんな筈がない。無理が通れば道理が引っ込む。優秀さとは、どれだけ無理を通せるかにかかっているのだ。なら、世界では慈悲や正義が通用する筈はない。

 

 だからこそ、より実行的な手段を講じるために「救国」すら行った。

 

 それなのにどうしてか。

 

 宿っていたはずの、エルンストに仕えていたころの熱意が消え去っていた。

 

(やめだ、やめ。今は個人で行動しているのに、士官学校のことばかり考えてもな)

 

 少しばかり歩くと、マリサの住む屋敷についた。もう完全に陽が沈んでいるから、木組の窓からちらちらと光が漏れているのがよく見える。今日は行けないかもと前日に言っていたから、彼女が帰っているか少し不安だったのが解消された。

 

 ホアンは在宅であることに胸を撫で下ろしながら、小屋に入ろうとした。

 

 が、小屋の扉が開くのを見て、咄嗟に物陰へ飛び込んだ。

 

(誰だ、家族は居ないって言ってたが)

 

 もしかして男か、という想像を振り払いながらゆっくり開いてゆく扉を凝視した。

 

 徐々に明らかとなるその人物。それは、信じられない人物だった。

 

(ま、まり、サ……なのか?)

 

 肩が完全に露出している本紫のシャープドレスを纏っている。表情は叫びを堪えるような悲痛さで、研ぎ澄まされたような鋭さが瑠璃色の口紅と相まって、陰鬱さを克明にしている。流れるような金髪は暗闇の中でも輝きを放ち、目に嵌る紅玉は蠱惑の色香を伴っていた。

 

(なんだ、あの格好は)

 

 ホアンは呼吸を忘れてふらふらと立ち上がりながら、彼女の後を尾行した。

 

 目の前の光景が信じられなかった。記憶では、あまり派手にならない慎ましやかな服を好んだ。色合いも白や明るい色を好み、晴れやかなブロンドが草原の空とよく合っていた。間違っても、こんな格好をする女ではない。

 

 何もかもを忘れて、夢遊病患者のようにマリサの後を追った。それを勘付かれなかったのは腐ってもホアンが優秀な候補生だからか、それともマリサの能力不足か。理性ではなく、感情が突き動かすまま彼女の背中を追い続けた。

 

 その足は村の中心部に向かう。人通りは少しあったが、闇に包まれていて気付かれることはなかった。

 

 辿り着いた先は代官館であった。

 

 マリサは知った顔で塀の門番に声をかけると、さっさと屋敷に入った。

 

(ルイス代官の元へ? どういうことだ)

 

 陳情かなにかだろうか。という予想が脳裏をよぎるが、嫌な予感は消えないままだ。こんな時間帯にうら若き女が脂ギトギトの代官の元へ訪れる。どんな阿呆だって嫌な想像をするものだろう。

 

 一瞬、このあとどうするかを思案した。いくら上科生とはいえ所詮階級を持たない候補生である。

 

 だが、迷いは一瞬だった。

 

(ええい、ままよ!)

 

 ホアンは意を決し西側の庭へ回った。人がいないことを確認して、足に強化を集中すると、六尺程の塀を飛び上がった。すたっと片手を着きながら軽やかに着地すると、二階建ての代官館を見上げる。

 

 ここから見えるのは一階二階合わせて八部屋。そのすべてにカーテンが掛けられており、中の様子は伺えない。他に回ると門番に鉢合わせする可能性があるため、ここから侵入するしかない。そう結論づけると、取り敢えず一階の窓一つ一つの錠を確認したが、鍵の開いている窓はなかった。

 

(これからはどうする……)

 

 大した考えがあったわけではない。そのうえ密偵技能には明るくないから、窓を破壊する以外に入る方法は存在しない。

 

 一度考え込んだ時、二階の一部屋がぼやっと光った。

 

 何かと思ってみると、カーテンに閉ざされた部屋から光が漏れてきた。ほのかな暖色がカーテンの生地に滲んでいる。たしかあそこはルイス代官の私室だ。脳内地図を閲覧していると、そこに一人の女らしき人影が映し出された。

 

 ――あれはッ。

 

 見覚えのある人影を見て叫びそうになった。だが、それを必死に抑え込む羽目になった。カーテンに映じられる人影が、さらに一人追加されたのである。

 

 バクン、と爆発したように心臓が高鳴ると、強烈なほど胸が痛んだ。禍々しく代官の館が歪む。視界が感情で歪んで、悪魔の居城のような幻覚を見せるのだ。

 

 禍々しい漆黒の窓に映じられるのは姫が魔王に貪られる。それが、今まさに現実として起きようとしていた。

 

 女の流れるような髪に、ルイス代官と思われる醜い体の腕が伸びた。そしてその腕がすっと肩に落ちると、マリサと思われるシルエットを包んでいたように思われる薄い膜が、すとんと地面に落ちたのである。カーテンに滲むシルエットは、俯きながらほんのひとまわり細身になった。

 

 女は俯いたまま徐々に沈んでゆき、カーテンには顔だけが隅っこで映っている。唇を震わせ顔面を蒼白にしたホアンを他所に、女のシルエットは二本の手を樽のような男の腰もとに伸ばし、準備が終わると思われると男の股間と女の顔の影が重なった。

 

 女の影が前後に動く。男のシルエットが上体をそらし天に唾を吐きつけるような姿勢となった。

 

 闇で蠢く黒のシルエット。

 

 無限に続くかと思われたそれは、ようやく姿を変えた。

 

 男の影が横倒しになった。いや、寝台に寝そべっているのか。飛び出した腹のようなものが不恰好に照らされた。

 

 そして、想像したくもない状況へと移る。

 

 男の樽ばった腹の上に女が乗ったのである。俯いた格好のまま意を決したようにゆっくりと近寄るといったん跨り、そして片足を上げてから位置を調節したかと思われると、すとんと腰を下ろした。

 

 女の顎が衝撃で上に跳ねた。

 

 細身のシルエットが嘶く。横に張り出た山がふるふると振動で揺れた。男のシルエットから山へ手が伸びて噴火後のように痕を残す。それが離れると、長い時を経て再び隆起する山脈のように、静かな振動を伴って張りを得た。

 

 それを機に馬上の人は激しさを増した。

 

 ぱっぱっと散る透明な汗。それが首筋、鎖骨、胸部をつたって臍へ流れる。一度貯まったそれは、乗馬の衝撃で再び流れ落ちると今度は密林へ迷い込んだ。そんな光景が、色彩を伴って脳裏に投影されていたのだ。

 

 それ以降は見ることもできなかった。

 

 のしかかられているマリサを想像してしまう。巨体が美しい足を持ち上げ、押し開くと思うさまに肉を嬲っている。男の脂汁が全身から垂れ流されると、美しい金髪や白い肌を塗りたくるように染めていった。巨獣のまあるく醜い手が這うようにまさぐった。実のなった麦畑に消えることのない痕を残してゆく。なだらかな腕を撫でて、嫋やかに浮いた鎖骨に沿わせ、丘の上に咲く蕾を強調するように絞り上げた。女は痛みと痺れの綯交ぜになった表情で鳴き、快楽と辱めで桃色の染め上げられた身体を震わせた。

 

 うっ、うっと、つまらぬ妄想だというのに、ホアンの脳内を麻薬のような鈍麻が襲った。胸が締め付けられるように苦しくなったが、妄想ですら頭の片隅で興奮してしまう自分が尚嫌になった。くそ、くそと蹲りながら地面に拳を打ちつける。

 

(なぜだ、なぜなんだ)

 

 ミゲルは荒い息を吐きながら再び代官館を眺めた。激しく喉が乾き、全身が火であぶられたように熱い。

 

「候補生さま、勝手に入られては困ります」

 

 闇から響くようにして、声をかけられた。

 

 ホアンは振り向いた。

 

 そこには、一人の女が立っていた。

 

 マリサと同じ明るい金髪に蠱惑な紅玉。造形はまったく違うから血縁には見えないが、かといってまったく無関係にも見えない。同じ部族、といえば納得のゆく相似性である。

 

「ルイスさまは現在ご就寝中です。御用がお有りでしたら、明朝にお願いいたします」

 

 答える余裕などなかった。顔の向きは目の前の女だが、持てる意識のほとんどは二階の明かりに向けられていた。

 

「お、おれは――」

 

「このような御見物はいささか不作法であると思われますが。喫緊のご用件でなければ、お引き取りを」

 

 女はそういって、静かに頭を下げた。

 

 その場で良い考えなど浮かばず、ホアンは悪の居城から去ることになった。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 ふと、唐突に目が覚めた。まだ夜は空けていない。月の薄明かりが差し込んでくるが、すでに大きく傾いており、あと数刻もすれば朝だろうと瞼を瞬かせた。

 

 床には酒瓶が転がっている。アンヘルはそれを踏まないようゆっくり立ち上がる。すると、部屋の壁に背を付けた姿勢で座ったクナルが声を掛けてきた。

 

「ようやく起きたか、間抜け」

 

 その声で周囲を見渡す。ベップも起きたのか、寝ぼけ眼で目をこすっている。アルバに至ってはすでに準備万端なのか、制服にターバンと完全装備で直立している。

 

 アンヘルたちは先日、ミゲルの誘いに乗って村外れの漁師小屋にてやっかいになっていた。ベップ、アルバはそれに釣られた形である。夕飯が向こうの奢りというのが効いたのだろう。クナルは夜居なかった筈だが後に来たらしい。

 

「これは……」

 

「気づいたか?」

 

 なぜ、目が醒めたのか。脳が活性化を始めると、戦士の勘のようなものがけたたましく喚きはじめた。

 

(魔の法。しかもこの規模、尋常じゃない)

 

 村の中心部で燃え上がるような力が渦巻いている。この距離でも感じられる魔法など、平穏な村では通常考えられないことだ。

 

「間抜け、貴様はどう思う?」

 

「行くしかない。嫌な予感がするんだ」

 

 ミゲルは起きる様子がない。彼は最後まで飲んでいたから、かなり酔っているだろう。同程度飲んだベップが酔ってない理由は謎だが、気にして居られない。

 

「おい、なんだってんだ?」

 

「早くしろ、殺すぞ」

 

 クナルの恫喝にベップは青い顔で準備をはじめた。

 

 アンヘルたちは装備を整えると、出発前にいった。

 

「村を迂回して行こう」

 

「どうしてだ? ど真ん中突っ切ったほうが早いぜ」

 

「そっちはどう思う?」

 

「気に食わんが、賛成だな」

 

 アルバは不投票。というか、隊長のクナルが賛成しているのだから結果は決まりだろう。

 

「遅ければ置いてゆくぞ」

 

 というクナルの掛け声と共に、すぐさま部屋を飛び出した。即座に追いかける。無言のまま走ると代官館に到着した。

 

「これは、結界?」

 

 代官館全体を風が台風のような風が取り巻いている。薄らと見える奥には無傷の代官館があり、壁の周りには惨殺された遺体が複数あった。

 

 血の匂いが強く漂っている。暗がりでよく見えないが、死体は魔物のものであるらしかった。

 

(これはヴィエントさまの結界か。だけど、どうして魔物の死体があんなにたくさん……)

 

 意味不明な事態過ぎて頭の思考回路がショートしたが、取り敢えず現状を打破することに決めた。アンヘルは最大戦力であるクナルに向かう。

 

「これって、突破できる?」

 

「不可能ではない。が、多少は苦労するだろうな」

 

 クナルは大曲刀を掲げた。禍々しい輝きをその刀身が放つ。ベップはその威容に呑まれたのか、一歩後ろに下がった。

 

 咆哮からの一刀。風の空間を切り裂きながらクナルが突貫する。アンヘルたちはそれに続いて、切り裂かれた隙間に飛び込んだ。

 

「おいおい、マジでなんだコレ。何が起きてんだ」

 

 ベップがボヤく。アンヘルも内心では同意していた。飛び込んだ庭の中には、大量の魔物の死体が転がっているのだから。十はくだらない。目に見えるだけでも五十近い死体の山。紛争地帯のような光景である。

 

「早く」

 

 気にしている暇もない。胸の焦燥感は消える気配がなかった。アンヘルは抜刀すると、館の中に走り込んだ。

 

 目指すは本邸。直感だけを頼りに進んでいると、曲がり角から唐突に刃が降ってきた。鋭く反応。正面にいたアンヘルが剣を受け止め、クナルが剣を走らせる。それで終いだと思った瞬間、切り落とす寸前で剣をなんとか止めた。

 

「あなたは――」

 

 予想外の人物に、アンヘルたちは硬直した。

 

 完全に殺される一歩手前だった男は、憮然としながらむっつり黙り込んでいた。金髪をオールバックにして、神経質そうな顔立ちに目元のほくろが大人の色気を思わせる、ヴィエント家の筆頭護衛ハーヴィーは、首に剣を添えられた状態で停止していた。

 

「貴様らか」

 

 舌打ちをしながらも、どこか安緒の響きがある。彼が剣を降ろせばこちらも剣を引いた。

 

「スキピオさま、これはどういう――」

 

「風の結界を突破したのは貴様らか?」

 

 尋ねるが、相手は貴族専用窓口のベップに話しかけた。というより、アンヘルを嫌った形だが。

 

「え、ええ。そうですが」

 

 ハーヴィーはかなり長い間逡巡したが、結局話すことを決断したのか「こっちに来い」と近くの部屋に案内した。

 

 しかし、部屋の前にたどり着くと彼は再び長い逡巡に襲われていた。それでも鋼の決意で憎しみを飲み込むと、アンヘルだけを連れて行くことを決断した。主人が気に入っている人間、という判断だろう。

 

 他の人間は廊下で待たせ、扉をノックした。

 

「ルトリシアさま。結界は問題ありませんでした」

 

「そうですか、ありがとう」

 

 アンヘルは騎士に続いて、入室した。

 

 部屋に踏み入った瞬間、強烈な腐臭のようなもので一瞬立ちくらみにあった。

 

 通された部屋に漂っていたのは、バターと脂が焦げて混ざり合った腐臭であった。アンヘルは立ち眩みにあった。そうやって耐えがたい悪臭の最中にいると、段々感覚が慣れてきてこれが魔力の匂いだと思い至った。

 

(しかもこの感触、呪いやその類)

 

 漸く視界が明瞭になり、候補生たちが寝そべっているのが目に入る。ルトリシア系の候補生とユースタス系の候補生が関係なく顔を青くして眠っている。

 

「アンヘルさま、でしたか」

 

 中心人物、ルトリシアは青い顔を笑顔で誤魔化しながら、ユースタスの寝台の隣に座っていた。彼女は白い手を広げて緑色の光を当てている。治癒魔法の光だ。彼女以外に起きている人物――ラファエルやフェルミンら――もそれぞれ誰かを治療していた。

 

「緊急事態です。ハーヴィー説明を」

 

「はっ」

 

 彼女の横に控えたハーヴィーが、はきはきと説明をはじめた。

 

 事態は深夜ごろから始まったらしい。

 

 ことの始まりは、ルトリシアの体調不良から始まったらしい。ただ、その時点では勘違いかと油断していた。貴族は魔力のせいで毒や病に滅法強い。だから、精神的疲労かなにかだと思ったのである。

 

 が、様相が変わったのはそれから一刻後である。明らかに尋常ならざる状態だと思ったルトリシアは、扉の前で待機していたハーヴィーに指示を出すと、驚愕すべき情報が返ってきた。なんと、派閥全員が同じ状態に陥っていたのである。

 

 そこで屋敷の調査を命じたが、代官らの姿は消えており、重傷のユースタスらが青白い顔で伏せっているのを発見した。しかも、魔法を行使しても治癒の兆しが見えず、体力を回復させて延命するのが精一杯だった。そのうえ、館の外から魔物の集団が迫ってきたらしいのである。

 

 ハーヴィーら騎士決死の応戦虚しく、屋敷に侵入を許してしまう。そこで、ルトリシアが風の結界を張り、魔物の侵入を防いでいるということであった。

 

「原因は不明ですが意識不明の重体です。アンヘルさまは何か案でも?」

 

 召喚師は魔力の動きに聡い。それは、魔剣蘇芳と正面から闘った経験を持つアンヘルの特性でもある。そしてその能力は、ルトリシアの体調が見た目以上に悪いことを察していた。

 

「ただちに脱出すべきです」

 

 アンヘルは間髪入れず、いった。拙速を尊ぶべきという思想がまずはじめにある。

 

「できません」

 

「どうしてでありますか」

 

「移動手段がないのです。牽くはずの馬が死亡しています」

 

「馬車は無事ですか」

 

「ええ。一部は壊れていないと報告を」

 

「ならば無事な人間で牽きます。クナル班は半数が無事です」

 

「そうですか。では、運びましょう」

 

 起きている人間が十名行かぬほどで、伏せっているのが二十名ほどである。症状がましな者も人一人を運ぶのは重労働だから作業時間を考えてのことであった。

 

 廊下待機組も加わって作業を開始仕様とする。ベップに話し終えた後、アンヘルも担架を運ぼうとした。

 

「こっちはこっちで相当愉快な状況なようだな」

 

 クナルが近寄ってきて小声でいった。

 

「黙って。これは遊んでいるような事態じゃない」

 

「であろうな。もしやあの男の指金か」

 

「どうだろう。こんなことをして得があるとは思えない」

 

「ふむ。たしかに相当な傾者じゃないと笑えまいな」

 

 とアンヘルとクナルが端で言い合っていると、青ざめたアルバが進みでた。

 

「どうしたの?」

 

 その問いかけを無視して、アルバはルトリシアに寄った。

 

「おい、貴様何をする」

 

 ハーヴィーの静止を完全に無視して、体を震わせながらおもむろにルトリシアの服を捲くりあげ、その純白な腹の上に手を当てた。突然の出来事にその場の全員が驚愕する。

 

 当然、ハーヴィーはその暴挙へ激昂するのだが、ルトリシアは冷静な表情で制止させた。やり場のなくなった怒りを他にぶつけるためか、その白い肌を凝視していた男どもに剣を向け、明後日の方向を向かせた。

 

「そう言えば、あなたはエゴヌ一族の者でしたね」

 

「……」

 

「なにか分かりましたか」

 

 ルトリシアの言葉を聞いて一瞬嫌そうな顔をしたアルバだったが、調査に集中したのか目を閉じた。少しの間そうやっている、目を閉じたままゆっくりと後ろに下がった。

 

「これは、邪龍の烙印」

 

 そういったアルバの顔は引きつっていた。

 

「どういうものです?」

 

「邪法。獲物につける印のこと。効果は魔封じ」

 

 さらに、この呪いの原因について言及した。

 

「基本は性交。他には飲食物に混ぜる方法もある」

 

 たどたどしい説明曰く、この邪法は古来より貴族を狩るために編み出された方法であるらしい。かなり強力で、相手は定められた期間内に相手を殺さねば呪いが跳ね返るという誓約を持って、基本は呪いすら効かぬ貴き者を堕とす手法だ。魔力を持たない者には効き目が薄いという欠点もあるらしかった。

 

 なによりこの邪法の特性は、相手の魔力を侵食して毒に変えるという点である。掛けられた相手は進行を遅らせるために魔法行使を控えざるを得ない。「貴種堕とし」という別名はここから来ていた。

 

「ルトリシアさま。お身体に障られますので」

 

「そうですね」

 

 と言いながら、ルトリシアは遠隔治癒魔法を一部除いて打ち切った。残された魔法は、主にユースタスに向けられている。大貴族級の魔法でなければ、彼の容体の維持が難しいということなのだろう。

 

 ハーヴィーはふうっと息を吐いた。彼が無事なのは、昨日酒を一滴足りとも飲まなかったからだろう。まさに鋼の精神である。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ。となると、今から襲撃を受けない?」

 

 あまりの情報量に唖然としながらも、思い至ったことをいった。アルバは頷いている。

 

「呪いの期間は約一週間。呪いが深まるまで待つかも」

 

「……」

 

 嫌な予想である。冷静な視点だといえばその通りだが。

 

「では結論は出ましたな。撤退しましょう」

 

 出揃った情報をすべて整理したハーヴィーが主人へ進言した。

 

「それもダメ」

 

 アルバの瞳には絶望したような色がある。

 

「呪術は『人を呪わば穴二つ』。逃げ切っても相手が死ぬだけ。助からない」

 

 ハーヴィーはギョッとした。唇をわななかせている。

 

「解呪方法はなんです?」

 

 一方、ルトリシアはその結論を想定していたのか、気丈なまでに表情を変えなかった。

 

「掛けた人物の死。他は知らない」

 

「なんだそれは! ふざけていると叩き殺すぞ!」

 

「呪いは一方通行。そこらの術者では解呪できない」

 

 アルバは胸元をつかまれて揺さぶられながらも、そう淡々と返した。

 

「必ず命を落とすのですか?」

 

「魔力が少なかったり、本命じゃないなら大したことはない」

 

 比較的進行の遅いラファエルらを指し示しながら、言った。

 

「本命とはなんですか?」

 

「呪いの矛先のこと。大抵は中心があり、そこから伝播するように呪いは拡散する。それれぐらいなら自然治癒でも対処できる」

 

 呪いは基本、指向性を持たせることで効力を上昇させる。この邪法は跳ね返りも考えればターゲットを絞るのは当然と言えるだろう。ユースタスの陣営がやけに重症なのは、放蕩の限りを尽くしたからか。

 

「でも、メインターゲットには――」

 

 アルバは、ルトリシアの瞳を見つめた。

 

「必ず死が訪れる。相手も命が掛かっているから、必死」

 

 アルバの言葉を信じるならば、ここにいる配下たちもあと一週間の命である。無論、メインターゲットではない彼らは呪いで死なずとも、主人を失った瑕疵は大いに咎められるだろう。

 

 アンヘルはたまらず顔を青くして、一座の顔つきを見渡した。全員が揃いも揃って痛々しい表情をしている。なによりも、騎士ハーヴィーの表情には途方もないものを感じた。

 

「シュタール派に協力を申し出てみては?」

 

 といったのは、ベップである。ただ、進言した彼にも苦いものが浮かんでいた。

 

「貴様は馬鹿か。ありえぬ」

 

「今回に至っては、猫の手も借りるべきかと」

 

「何も知らぬくせに、口を出すなと――」

 

 叱責しようとしたハーヴィーを遮って、ルトリシアが引き継いだ。

 

「耳にしたことはあるでしょう。彼らとは協力できない理由があります」

 

 ルトリシアは、まったく感情のこもっていない声で反論した。

 

「救国主義者の可能性が高い彼らとは、むしろ獅子身中の虫を抱え込むことにすらなりかねません。とくにオウル候補生やロペス候補生が居る今となっては」

 

 士官学校内におけるエルンスト派閥は、一般に貴族排斥論を掲げた過激派集団の急先鋒、という見方をされがちだが内実は違っている。彼らの派閥は実は内部で二極化されていた。

 

 一つは、エルンストら貴族を中心にした穏健派とされるグループ。彼らは、行政官族と呼ばれる元老院系貴族の傍流で、帝国内に蔓延る不正、不平等打破、身分格差是正を唱えているが、その手法は議論や法改正などに終始し極端な手段を取らない。

 

 一つは、オスカル教官の遺志を継がんとする派閥であり、学内における五回生フランシスを中心としたグループ。二回生においては、一八オウル班長が筆頭株となっている。彼らはより直接的な手段に傾倒し、夜半に徘徊しては「救世」と称して貴族を誅殺しているという噂が立つほど超過激派であった。

 

「態勢を整える必要があります。一度、手前の村まで後退します」

 

 ルトリシアは、目を閉じて静かに決断した。死に向かっての敗走である。

 

 大急ぎでルトリシアたちが乗る馬車七台を牽いて、館の門を潜った。アンヘルは村の中に残っている隊――エルンストらは野外訓練、エルサ・ホルディ班もそちらに追随しているから保険といって差しさわりない――を回収するよう言いつけられ、クナルを道案内に残して村に潜った。

 

 アンヘルは走った。心の中に突き刺さる不安感が消えるよう願いながら。

 

 

 

 § § §

 

 

 

「んぁ?」

 

 ミゲルはちらちらと差す陽射しに眩しさを覚えて、もぞもぞと寝台から這いでた。頭が、唸るように痛む。二日酔いの感覚である。

 

 ミゲルはいつもそれほど飲まないが、他所から来た男たちと飲むうちに、いつもは吐き出せない苛立ちを解き放ったせいか酒が進んでしまった。

 

 かぁぁと喉を鳴らして、痰を窓から吐いた。ついでに食道から内容物がちょろちょろと這い出てくる。ミゲルはそのまま胃の中の物を吐きだした。

 

(ちっ。まぁたオヤジにどやされるぜ)

 

 すでに仕事始めの時間は過ぎている。ミゲルは奥にあった装束を取り出して装備を整えると、外へ飛び出した。顔には焦りが強く出ていた。

 

「なんだぁ、こりゃ」

 

 外へ出たミゲルは、街並みを見渡すと、どこか何時もと変わった印象を受けた。どこが、と問われると難しいのだが、強いて言うなら匂いである。漁港の生臭い匂いと田舎臭いどこか野暮ったい風がいつも吹いているのに、今感じるのは、けばけばしいネオン街のような甘ったるい匂いである。

 

 ミゲルは猟師だから鼻が利いた。それも、風の流れのような匂いだけじゃない人々の生活の感触を、身体ですっと覚えているのである。彼の眼には、何時も住む世界に別の色が塗られたように映っていた。

 

「おいおい、マジでどうしちまったってんだァ?」

 

 人が一人も居ないのである。田舎くさい村だからこそ、そこらを歩いていても誰かから声が掛かるものだ。だが、今は朝だというのに、まるで闇夜が深まったように静けさを保っている。

 

 仕方なく、ミゲルは教会に向かった。

 

 村でもっとも人の居る可能性が高いのは、領主館に次いで教会である。現代日本人はどこか宗教を疎んでいるが、この村の教会とは、一種の集会所のような役割を持っており、年老いて仕事のない老人たちは、日がなここで時間を潰していた。

 

 ミゲルは最近になって変化した教会が好きではなかったが、背に腹は変えられぬと道を急いだ。

 

 森近くの古小屋からは、教会まで一里ほどある。猟師の彼には大したことのない距離で、あっという間についた。

 

「おい! だれか居ねえのかッ!」

 

 ミゲルはガンガンと教会の大扉を叩きながら、大声で叫んだ。しかし、閑寂とした空間に虚しく響くばかりで、大した効果は見えなかった。

 

(ちっ、しょうがねえなぁ)

 

 それは、どこか不安の表れだったのかもしれない。ミゲルは巨大な鉄扉を押すと、教会の中に入った。

 

 教会は、木造の長椅子が幾つもならび、窓から仄かな光が差し込んでいた。祭壇には大仏が飾られており、そこまで一直線に道が続いている。

 

 そしてその祭壇の前で、誰かが跪づいていた。

 

「なんだ、居るじゃあねえか」

 

 ミゲルは、ほっと胸を撫で下ろしながら、その人物に近寄ろうとした。

 

 だがそれは、相手の姿で立ち止まらざるを得なかった。

 

「あらら、取り残しがいましたか。だっから、信徒を使うのは嫌だっていったのにぃ」

 

 肩が完全に露出している朱色のトップスを纏った女。体型は幼なげだが、表情全体に蠱惑な色を浮かべ、縫い付けられるような色気がある。。流れるような金髪は、しっとりと日陰に際立ち、眼に嵌る紅玉のような瞳が色気を出している。

 

 女は、嫌悪感を隠さずにゆっくりと立ち上がった。

 

「なんだテメェ、こんなところで何してやがる」

 

「やだやだ。口を開かないでよ。ばっちい菌が移ります」

 

 女は顔の前で手を振った。高飛車なところを感じさせる仕草である。

 

「ちっ、まあいい。他の奴はどうした?」

 

「はぁぁあしんど、まあいいですよ。私が仕事をしますから」

 

「聞いてんのか!」

 

「こういう雑用はつまんないですけどねぇ。ねえ、そこの人。なにか言い残すことってあります?」

 

「何いってんだ。話が通じねえのか?」

 

「親切で言ってあげてるのに、馬鹿な男です」

 

 女はそっとため息をついた。しかしその顔には、冷たさが滲んでいる。

 

「お探しの人たちなら、もう居ませんよ」

 

「なんだと?」

 

 怪訝な顔をするミゲルに、女は東を指差した。

 

「見えるわけはないんですが、我らの故国に向かったのです」

 

「故国? 何いってやがる」

 

「これだから無宗派は。本当に無知ですねぇ」

 

 その口振りにイラッとしながら少しづつ近寄っていくと、ふと段差に足を取られた。

 

 なんだ、と思ってそれを見ると、それは長椅子の影まで続いている。暗がりでよく見えないが、どこか薄気味悪い物に見えた。

 

 ミゲルはそれを掴むと、すこしぬめった。

 

「なんだ、これ?」

 

 少しばかり差し込む光に、水分の付着した掌をかざした。衝動的な行動である。

 

 ――照らされた掌は、真っ赤に染まっていた。

 

「うわぁぁああああああ!」

 

「そっか、愚民にはこういう直接的な方がわかりやすいんですねぇ」

 

「なんだ、なんだこれぇっ!」

 

 ミゲルはパニックになりながら、それをひっくり返した。

 

 苦悶に歪んだ表情。よく知る猟師親方の顔だ。いや、それだけではない。代官の用意した仕事に追随しなかった、所詮古参村民ばかりが連なるようにして捨てられていた。

 

 ミゲルは驚愕して、ペタンと尻餅をついた。

 

「さあ、最後はお前の番ですよ」

 

 女が舌なめずりしながら近寄ってくる。四つん這いになりながら、ミゲルは必死に扉の外へ遁走した。

 

「いーぬさん、いーぬさん。どこまでゆくの」

 

 女が童謡に載せて、歩いている。

 

 ミゲルの背中には、大量の冷や汗が流れ落ちていた。

 

「お遊びは、この辺で終わりにしましょうねぇ」

 

 背後で圧力が増した。その瞬間である。ミゲルの身体は真横に吹き飛んだ。

 

 視界が斜めになると、遅れて時間が追随してきた。己の脇腹を掴む手に気づいた。男の手である。

 

 顔をあげると、先日飲み交わした男――アンヘルの姿があった。

 

「あんたは――」

 

「静かに。アレは?」

 

「知らねえよ。くそアバズレじゃねえのかッ」

 

 彼は、厳めしい目つきで女を見つめていた。

 

 なんだ、と思って釣られてみると、女の背中に巨大な翼が生えていた。悪魔を想起させる、骨と被膜の禍々しい翼である。頭からは一対の角が出ている。どこからどう見ても邪悪の徒にしか見えぬものだった。

 

「なんだ、これァよぉ!」

 

 ミゲルの叫びが遠くにまで響いた。女は手を突き出したままの姿で、ゆっくりと首だけを向けた。

 

「貴方は候補生。やはり、逃した連中もいたんですねぇ」

 

「……」

 

「喋らない……警戒心が強いのはポイント高めですよ」

 

 女は己の懐に手を差し込むと、場が急激に詰まった。

 

「妨害魔道具!」

 

「油断しましたねっ」

 

 そういうと、女は目にも止まらぬ速度で駆け抜けた。ミゲルには、紺の影がさっと動いたようにしか見えなかった。

 

 アンヘルは驚きつつも冷静だった。剣で相手の手刀を弾くと、切り返す。つつっと上段に構え踏み込むと、轟雷のように剣を振り切った。続けざまに突き上げると、女はたまらず後方へ退いた。

 

「くっ」

 

「残念だけど、僕は貴族じゃない」

 

 赤黒い地飛沫がパッと辺りに舞ったかと思えば、女の足元まで点々と痕が流れた。

 

 ミゲルの眼にもわかる。相手にあるのは恐怖だ。戸惑いといってもいい。

 

 彼女の頭には貴族は魔法を封じれば大したことはない、という先入観があったから、一瞬のやり取りで相手の実力に気づいて恐れ戦いたのだ。ミゲルには速過ぎて理解できなかったが、彼女の戦闘能力は恵まれた身体能力に頼り切った戦い方で、見た目の大仰さに較べれば驚くべき強さではない。

 

「やれぇ、やっちまえッ!」

 

 女の目が、ミゲルを見た。

 

「そっちのうるさそうなのを先に片付けますか」

 

 再び女の姿が消えると、眼前に現れた。その手刀は、アンヘルが必死に防いでいる。

 

「邪魔です。下がって」

 

 胸に衝撃を受けた。気づくと、ミゲルは宙を舞っていた。足裏で蹴られたのである。

 

「庇いながら、戦えるとでも?」

 

 だが、実力差は確かだった。アンヘルは最初こそ不意打ちに面食らった様子だが、相手の手数が減ると、あっと云う間に詰める。

 

 あと一歩だ。

 

 しかし、女が手を掲げると、さっとアンヘルが身を引いた。ミゲルはその様子を唖然としていると、彼らの周囲に敵が集ってくるのが見えた。

 

「どうです。諦めます?」

 

「……」

 

 場は、すべて敵に囲まれていた。見たことのない悪鬼ばかりであるが、誰が見ても悪の先兵だと確信を得る容貌ばかりである。

 

「ジッとしていれば、痛みは一瞬ですけど?」

 

「かもね」

 

 アンヘルは、そんな状況でも表情を変えなかった。

 

「余裕そうですね。もしかして怖くないとか?」

 

「隠し玉があるのは君だけじゃない」

 

 アンヘルはそう啖呵をきると、腕を真横に振って、召喚、と叫んだ。

 

 巨大な紅龍が顕現した。

 

「なにっ!?」

 

「行くよ」

 

 驚き戸惑っている女を他所に、アンヘルは赤き龍に跨ると、ミゲルを掴んで駆け出した。再起動した敵に向かって、赤き龍が灼熱のほのおを吐き出した。

 

「逃すなぁぁあ、追えぇ!」

 

 女の叫びが、ミゲルには間遠に聞こえた。

 

 

 

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