イセカイ&ドラゴンズ   作:原田孝之

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第五話:撤退戦

 はぁはぁ、とアンヘルは肩を激しく上下させながら漆喰璧に手をついた。街中で唐突に始まった剣戟をなんとか切り抜け、ようやく広場まで戻ってきたところである。

 

(いったいなにがどうなっている)

 

 ここに来るまで片手に収まらぬほどの魔軍兵を斬った。スピード重視で囲まれぬよう走り抜けたため、両手両足がパンパンに膨れ上がっている。その中に女夢魔らしき者が居たのを見逃して脇腹に一発良いのを貰っていたから、身体中が痺れるように痛んだ。

 

 額に流れる汗を袖口で拭いながら油断なく周囲を見渡す。呼吸の度に喉がイガイガした。

 

(村に残っているはずだった小隊は脱出している。そのはずだ)

 

 素早く小屋内を検分したが、候補生らしき遺体などはなく、また争った痕跡も見受けられなかった。皆予定通りエルンストらと共に野外訓練に励んでると思われる。彼らの堅い性格が役に立ったようだ。

 

 ただ、良い便りばかりではない。アンヘルはついでとばかりに周辺を見て回ったが、村人たちの死体がいくつも発見された。村は死体ばかりの廃墟と化していたのだ。

 

 しかし、奇妙なのはそれだけではなかった。

 

 状況把握に努めようと魔軍行進の隙間をぬって家々を飛び回っていたが、気が付いたのは知り合いに背後から刺されたような死体が多数存在することである。魔物、というのは基本力任せに相手を惨殺するから、死体は大体荒らされる。が、この村の中に残っているのやけに綺麗なモノばかりなのである。

 

 ロヴィニ村の凄惨たる光景に目を背けながら、アンヘルは再び思案していた。

 

(死体がない屋敷の共通点は――)

 

 いくつかある。たとえば、漁師や猟師が住む村の外回りは殺されていたし、裕福な家庭はほとんどが殺害の憂き目に合っていた。この村の農民衆屋敷は比較的無事であり、そこは一律ハンバニルという土着信仰をしているのか、すべての家に小さな祭壇があった。

 

 この演習が始まったときから、なにかある、というのは分かっていたが、現状起きていることはその想像を遥か上にゆく出来事である。

 

 アンヘルは今起きている状況を整理してから、すでに脱出したルトリシアらを追うために駆けだそうとした。

 

 そのときである。

 

 昨夜世話になった猟師が、黒い翼の女に襲い掛かられようとしていた光景を見たのは。

 

 

 

 § § §

 

 

 

「あのバケモンどもは何だ」

 

「わかりません。それより喋っていると舌を噛みますよ」

 

 騒ぎ立てるミゲルを黙らせると、アンヘルは跨るフレアに強くしがみついた。そうやって決死の鬼ごっこを演じながら、出入り口で合流したクナルへ叫んだ。

 

「どこから湧いたの、あれ」

 

「知らぬし聞くな。だがあの数が侵攻してきたにしては気配が無さすぎた。どこか潜む場所があったのか」

 

「一応専門家なら、もっと有効な情報を言ってよ」

 

「その看板は、すでに下ろした。今は軍人である」

 

「冗談でしょ。だったら遊びまわってないで、軍人らしく恭倹の心を持ったらどう?」

 

「ふん。寂しい独り身の貴様には羨ましかろう」

 

「一生いってろ」

 

 吐き捨てると、アンヘルは若火山龍フレアを召還しながら、ついでに掴んでいたミゲルを放り投げた。

 

「ぐへっ」

 

 クナルが呆れたような表情を浮かべる。

 

「なぜ使わぬ」

 

「龍なんて乗ってたらこっちが疲れちゃうよ」

 

「そっちの男を運ぶ方が疲れはしまいか?」

 

 言外に、中隊との合流を考えての能力隠蔽であると告げてくる。痛い所を突かれて嫌な顔をした。

 

「それより中隊はどこに」

 

「一つ前の開拓村ガンジログゼロに向かっている。貴様こそどうだったのだ?」

 

「空振り。多分だけど、予定通り動いているんだと思う」

 

「魔物の腹の中でなければいいがな」

 

「……君の脳みそはそうでしょ」

 

「ほう?」

 

 ゆらりと、クナルが表情を変えた。

 

「貴様は瀉血というものを知っているか? 病人は、悪い血液を抜くと良いらしい」

 

「それ、最近学会で完全に否定された否定された民間療法だよッ――」

 

 言葉の途中。突如として剛と剣が風を巻いた。

 

「なにすんの!」

 

 アンヘルはスウェイの要領で必死に避ける。パラパラと前髪が数本舞った。

 

「貴様の首を取り払って、瀉血してやろうというのだ」

 

 そういうのは、瀉血とはいわない。そう心中で呟きながら剣の柄を叩いた。必然、走りながらも睨み合う形になる。

 

「おいアンタらっ、なにふざけてんだっ」

 

 ミゲルが吠える。額からは大量の汗が流れており、彼の焦燥具合がよくわかる様だった。

 

「遊びはほどほどにして、さっさと行くぞ。もたもたしていると追いつかれかねん」

 

 クナルは悠々とそう告げた。一騎当千の力を持つ彼だが、それはあくまで短期的なもので、草原で千の敵軍に囲まれればひとたまりもない。

 

 それにアンヘルが遭遇した敵には、魔剣騒動での小鬼軍団とは桁の違う敵が混ざり込んでいる。多数に囲まれれば脱出すら叶わないだろう。

 

「って、ちょっと待って。アレって、中隊じゃない?」

 

 アンヘルが指し示した先、距離にして数里の場所に中隊の姿を認めた。

 

「……であるな。さっさと退かねば碌な事態にならぬぞ」

 

 猟師の若者を連れているから大した速度は出せないのに、グングン距離が縮まってゆく。背後の魔軍とは距離があるとはいえ、そう楽観視できる状況ではない。

 

「このままでは追撃を受けるだけだ。待機になんの意図がある」

 

「上の考えを探るだけムダだよ。それより、もしぶつかり合ったら勝算はどう思う」

 

「目算で敵は数百。つまり大隊規模か」

 

 クナルは背後を振り返りながら、同じように数里後方に見える集団を眺めた。

 

「一方、こちらは実働五十だ。殲滅可能だろうが、今後を考慮すれば戦力消耗は下策だろうな」

 

「その目測は正しいの? こっちは集団戦の経験なんてないよ」

 

「指揮官次第だ。あの女(ルトリシア)が万全ならどうとでもなるだろうが、バラバラに動いては魔物の個に圧倒されるやもしれぬ」

 

 四半刻ほどして、アンヘルたちはルトリシアたち撤退部隊に追いついた。

 

 プルトゥ渓谷に落ちる湖、それに接続する州河川へ沿うようにして広がる草原。少しばかり盆地になっているその場所でエルンストたちは野営をしていたのか、小さな天幕が乱立していた。

 

 真横へ付けるようにして、ルトリシアの馬車が留まっている。その中は慌ただしく、健康な者たちが看護に精を出していた。

 

 アンヘルはすぐさま状況を整理するべく、指揮官の元へ向かった。そこでは、ルトリシアとエルンストの二派が激しくやり合っていた。

 

「このまま村人を見捨てて逃げるなど、正気なのか? ユースタスが佞臣ならば、貴方は冷血漢そのものだ」

 

「たとえ溢れてしまうとしても、ときに小さな器で物事を成さねばならぬときがあるのです。あなたも法務官の御子息として、理解できることではありませんか」

 

「詭弁だ。俺には貴方の言葉がすべて空虚に聞こえる」

 

「あくまでも一時的な措置、大いなる廻天の翼を張るための後退です。理想ばかり唱えるのではなく、今一度現状を推して知るべきでは?」

 

 両者折り合うことなく、厳しい目つきで睨みあう。こういう自体に陥ると、両者の確執がただならぬとわかる。立ち位置の差が原因だから、もしかするとユースタスより根が深いのかもしれない。

 

 そんな舌戦の外、のんびり顔のベップを見つけたアンヘルは事情を尋ねた。

 

「どうなってるの、これ」

 

「ああ、アンヘル。帰ったのか。そういえば七八小隊はそこにいたぞ。さっきまた出て行ったみたいだが……」

 

「そうじゃなくて、今何やってるの?」

 

「見た通りさ。撤退派のヴィエント様と村人救出優先のシュタール様。話は平行線だよ」

 

(今はそんなことをしている場合じゃ――)

 

 そんなことを思った瞬間、警邏担当の男が高い声で吠えた。

 

「敵軍襲来!」

 

 それは、数里先だと思っていた魔軍とは別方向だった。アンヘルたちを追っていたのとは違う軍勢が中隊に牙を向いたのだ。

 

 

 

 §

 

 

 

「全軍退却!」

 

「隊を分けろ。陣形を守るんだ!」

 

 ルトリシア、エルンストが真逆の命令を発して全員が行動指針を一時的に見失った。

 

 それは集団戦において、致命的な隙になり得た。

 

(なにもこんな時に対立が表面化しなくても――くそっ、あの馬鹿はどこだ)

 

 混乱する人垣を掻き分けてなんとかクナルの下へ駆けつけた時、戦闘の音が断続的に響いてきた。

 

「遅いぞ」

 

 平然と大剣を背負いながら、クナルはいった。

 

「そっちこそ部隊はいいの」

 

「戦場で脚欠けの家鴨(レームダック)はいらぬ」

 

「あっそ。それより、今の爆発音はわかる?」

 

 クナルの非人間的聴力は、特定不能なディスタンスボイスすらつきとめる。それを期待しての問いだった。

 

「馬鹿が焦って撃ったのだろう。収拾がつかなくなるぞ」

 

 その言葉どおり、エルンスト派の魔使いが続々と詠唱を開始する。

 

「おい、止めろ!」

 

 素早く気がついたエルンストの静止虚しく、候補生の指先から大火が放たれた。下位の貴族にしては立派な大炎が渦を巻いて、一里ほど向こうに見えた魔軍を飲み込んだ。

 

 ざぁぁと、潮が引いたように一瞬静まり返る。身に余る大魔法の行使によって、身体機能の低下した候補生が荒い息を吐いている。土埃が舞い、周囲がやったかと安堵を漏らしている。

 

 その油断を戒めるようにルトリシアが厳しい声で叱咤した。

 

「陣形を横列に――左翼はシュタール隊が中心となって迎撃してください」

 

「なにをッ!? いや、アンドレス隊、先行しろ!」

 

 この場では、この二人だけがさきほどの悪手に気がついていたのだ。そしてアンヘルの隣にも、集団戦の基礎を知っている者がいた。

 

「奇襲戦防衛側は、何にしても視野の確保と状況整理が重視される。自ら視界を妨げるなど、愚の骨頂よ」

 

「何、どういう意味っ?」

 

「間抜けは黙って見ていろ」

 

 戦争において経験というのは重い。戦術に詳しい者でも突発的な事態となれば、力を発揮できないことが多いのだ。

 

 そういう意味では、この男に勝てる人物はそういないだろう。

 

「乱戦になるぞ」

 

 クナルは背中の大曲刀を引き抜き、正眼に構えた。

 

「だから何を――」

 

 アンヘルの言葉は最後まで紡げなかった。

 

 土煙の向こうから、大量の魔軍が出現した。幽鬼、小鬼、大鬼、機械人形に夢魔。それらは塊となって、どよめく候補生集団に突撃した。

 

 血みどろの乱戦が始まった。

 

 魔物というのは、基本的に野生に忠実で戦術もクソもあったものではないと思われているが、実は違う。「王冠を被った小鬼」のように、集団を率いる頭の存在があれば、己の命を駒とした軍隊として機能する。

 

 仲間の屍を超えて先に行け。生温い戦闘経験しか持たない候補生たちに、それは覿面に作用した。

 

 一方、部隊の戦術は拙い。奇襲、主力の負傷、負傷者の防御など考えることは多い。そのうえ、基本的に小隊員は超個人主義ばかりである。乱戦には極めて脆弱といえるだろう。

 

 連携が上手い班は倒し過ぎて孤立するし、弱班は、片っ端から陣形崩壊を余儀なくされた。唯一の救いは、獅子奮迅の活躍を見せる騎士スキピオの存在である。彼の適正かそれとも経験か、馬車への猛攻を躱す指揮ぶりをみせ、すんでのところでなんとか堪えている。

 

「これは負け戦だな」

 

 鮮血に半顔を染めたクナルが鮮烈に笑った。

 

 イカれてやがる、とアンヘルは心中で貶しながらも、口先では同意を示した。

 

 とはいっても、まだ余裕があった。病人、負傷者を多数出し万全になくとも、ほぼ全員がルトリシア指揮の下、足並みを揃えているからだろう。そもそもルトリシア派は構成員含めて精鋭揃いである。途中参戦したクナルの暴威もあって、徐々に後退の準備が整いつつあった。

 

「フェルミン! 右方の敵を押しとどめろッ」

 

「わかりました。ラファエル隊長もお気をつけて!」

 

 近くで分隊を率いるラファエルは二ッと人好きのする笑みを浮かべた。

 

(こっちはどうにかなる。けど、あっちは)

 

 アンヘルの危惧通り、エルンスト派は動きを硬直させている。元々彼らは敵殲滅を考慮しているうえ、そもそも練度が低いのだ。

 

 畳み掛けるように不幸は続く。こういうときに限ってルトリシアは非情な選択をとる。勝手に殿を押しつけるかのように、エルンスト派の陣と連絡を切り孤立させたのだ。

 

「ホアン、ホアン候補生はなにをしているのだッ!」

 

 若武者エルンストの無情な響きが広がる。

 

「あれでは全滅もあるかもしれぬな」

 

「……助けにいったら?」

 

「自殺したいなら、貴様が行け」

 

 エルンストの計算ではこの危機でもなんとか乗り越えられる予定だったのだろうか。しかし、魔軍の個人能力に圧倒され、敵軍内で立ち往生を余儀なくされた。

 

 こうなると、候補生はフレンドリーファイアを恐れて恐慌状態になる。

 

「くそ、ここは俺がッ」

 

「エルンストさま。前に出過ぎれば――」

 

「だが、このままでは仲間がッ」

 

 巨大な機械人形が突進の構えを見せている。マズい。そう思った瞬間、ある男が颯爽と現れ、一刀の元にそれを切り倒した。

 

「この戦闘は無益である。見よ、ヴィエントの浅ましい姿を。我らに敵兵を押し付けて、助かろうとしている。我ら志士が貴族らの保身の爪牙となって堪るものか!」

 

「オウル、何を勝手にッ」

 

「貴方の指揮ではムダに犠牲が増える。ここは、私にしたがってもらおう!」

 

 オウルの掛け声と共にエルンストの指揮を脱して後退行動を取り始めた後、強烈な武威を持ってして、乱戦状態にあった候補生たちへ戦意高揚を促した。

 

 一方、そんな状況を見ていたアンヘルたちの戦況も佳境を迎えようとしていた。

 

「さて、此処からが本番よ」

 

「相変わらず、こういう役回りかぁ」

 

 クナルの異形の咆哮と共に、アンヘルは平青眼に構えると力を込めた。

 

 ルトリシアらは馬車の準備を終え、すでに数台走り出している。戦線は縮小し、残っているのは殿を受けたクナル・アンヘルだけである。気づけば少し先のエルンスト隊も考えを改めたのか、撤退の準備を始めていた。

 

「勝負でもするか?」

 

「褒賞は?」

 

「決まっていよう。名誉よ」

 

「寝言は寝て言おうね」

 

 場に残存する五十ほどの魔物は、さすがに精鋭揃いだった。

 

 とはいっても、対峙する方も尋常の使い手ではない。彼らは皆一様に目を血走らせて攻撃を加えてくるが、アンヘルたちの剣戟に近寄ることはできなかった。

 

 そもそも、二人の仕事は殿であり、殲滅ではない。斬っては引いて、斬っては引いてを繰り返して、なるたけ囲まれぬよう戦いを演じるだけである。数は大して減らなかったが優位に戦況を進めた。

 

「我らも引くぞ」

 

 エルンスト隊が引き上げ始めたのを見て、クナルは小鬼の首を足で割ると、一気に速度を上げた。

 

「こっちだ、馬車に乗れ!」

 

 先行していた馬車で唯一近辺に待機していた一台から、騎士ハーヴィーが叫んだ。アンヘルたちは大股で一気に草原を駆け抜けると馬車に飛び乗った。

 

 荒い息をつく。後方から魔物たちが恨めしそうに見ているのが視界の端に映った。

 

「御苦労でしたね」

 

 馬車の中で労いの言葉を掛けたのは、派閥の長ルトリシアだった。通例なら跪かねばならぬのだが、馬車内の狭さもあって敬礼で済ませた。

 

「ありがとう、ございます。てっきり先んじていたとばかり」

 

「あら、私があなた方を見捨てるとでも? それにしても腕を磨かれましたね。いえ、今までは手を抜いていたのでしょうか」

 

 ルトリシアは優しい微笑みを見せた。アンヘルは少しばかりドキリとしながら、いえと頭を下げた。

 

 なんとか一息ついたアンヘルは、馬車の端、ルトリシアの対角を描くようにして腰を下ろした。

 

 そんなとき、アンヘルは御者の脇から覗く前方に、脂ぎった中年の姿を見た。膨れ上がる感覚。微かに死の気配が香った。

 

 ――あれは、まずい。

 

「停車するんだ!」

 

 アンヘルは叫びながら、落ち着いた顔をしていたルトリシアの腕を掴んで、全力で馬車から飛んだ。掛け声と同時、クナルもハーヴィーを蹴り飛ばして地面に転がった。

 

 一拍遅れて、馬車を引いていた馬――エルンストらの馬を強奪したらしい――御者、木造りの馬車を貫通する様に巨大な鋭いモノが通過した。

 

 アンヘルはルトリシアを抱きながら、草原をゴロゴロ転がった。少しばかり避け損ねたのか、二の腕が裂けている。

 

 目を丸くしているルトリシアを背中に隠すと、アンヘルはしゃがんだ状態のまま抜剣の態勢をとった。

 

(落ち着け、どうやって切り抜けるかだけ考えろ。相手のアクションを見逃すな)

 

 ルトリシアの瞳に縋るような光を認めて、如何にこの状況が絶体絶命の危機か実感させられた。遠方から騎士ハーヴィーの非難が突き刺さるが、アンヘルは彼女の腰を抱いて、いつでも駆け出せるようにする。

 

「ほう、ほう。イケたかと思いましたが、物事に予想外はつきものですな。『あのお方』の計画を無視しての作戦でしたが。包囲は遅れて相手を逃すわ、追撃も退けられるわ、その上、姫を守るナイトの登場ですか」

 

 警戒を全開にしているアンヘルを他所に、呑気そのものの声が響いた。

 

 優雅にカツカツと歩いてくる男は、先日に挨拶を交わしたばかりのルイス代官であった。

 

 その間に生き残った乗員のクナル、ハーヴィーが走り寄ってくる。中でもクナルの顔にはには、鬼気迫る緊迫感と昂揚感が漂っていた。

 

「今回の事件はあなたが?」

 

「そうですとも。勿論、私がすべて計画させていただきました。叡智溢れる『あの方』の鬼謀が、こんな杜撰な結果を招くわけがありませんよ――ああ、そうそう、あなたがたが知りたいのはこれですかね」

 

 男はそういうと、纏っていた白のスラックスを開け広げ、胸元に刻まれた円形の刺青を示して見せた。

 

「私こそが、神秘の法の主人ですよ」

 

 ハーヴィーの目がギラっと光った。だが、ルトリシアが声でそれを制する。

 

「なぜそれを教えるのです」

 

「ははは。愉快、愉快ですよ。やはり聡明なのは見せかけですかな。穢れた血の末裔に相応しい見識です」

 

 男は腹を抱えて大声で笑った。

 

「どういう意味です?」

 

「私を倒すことなど不可能だからですよ。当初は脱出されて、解呪される可能性を危惧しましたが、まさかその場に留まって魔力を浪費するとは。口酸っぱく警戒を促されましたが歴史から何も学ばぬ無知蒙昧の徒を相手にしていたとは思いませなんだ。『あの方』の心配性も困ったものです」

 

「ほう、四対一。背後からは援護もくるぞ」

 

 と、クナルが挑発気味に言い返した。

 

「私相手に、穢れの邪法なしで勝ち目があるとでも?」

 

「やってみるか」

 

 クナルの狂気の笑みに相手も少しばかり面食らったようで、余裕綽々とした態度が剥がれ始めた。

 

「ほう、ほう。ならば、その言葉が偽りでないか、証明していただきましょうか」

 

 ルイスは己の頭頂部に手を当てると、顔をすり潰すようにして力を加える。顔が変形してゆく。それと同時、下顎が物理法則を超越するかのようにして、迫り出し始めた。

 

「あれは――クナル、やめさせるんだ!」

 

 アンヘルが叫ぶのも虚しく、極めて短い時間で体躯の変形は終わり、そのすべてが詳らかになった。

 

「お、お、お、お、オオオオォッ!」

 

 変化を始めたルイスの身体は、ミシミシと奇妙な潰れる音を立てながら、みるみるうちに肥大化していった。白豚の樽腹は爬虫類を思わせる被膜に覆われ、巨大化した頭蓋からは禍々しい角が突き出ていた。両腕には人体を容易く引き裂く五対の爪牙が光っている。

 

 その身体は鱗ごと尽く紺紫で、二対の翼を大きく広げると二階建て住宅ほどの大きさだ。眼前で見上げると、如何に人間がちっぽけなのかと実感させられるサイズ感である。中央には醜く太い血管が収斂して脈動し、邪法の元だと思わせる宝玉に繋がっていた。

 

「なんだ……これは」

 

 背後から徒歩で撤退してきたエルンストたちが、驚愕した表情でその巨躯を見上げた。

 

 ――邪龍。

 

 その禍々しい狂気の双眸が、アンヘルたちを貫くようにして、光っていた。

 

(どうすればいい。ヴィエント様を背負って逃げるには、相手が大きすぎる。かといって、邪竜相手に全力勝負となれば、剣しか選択がない今勝機は薄い。それに、追撃してくる魔軍を相手にしたら、飲み込まれる)

 

 龍というのは、なんであれ強力過ぎる。相手の特性を考えた時、乱戦時に味方ごと呑み込む戦術を取られれば、容易く全滅の憂き目に遭うだろう。

 

 そんなアンヘルの焦りを見越したように、ルトリシアが静かに囁いた。

 

「風が止んだら、抱いて逃げてくださいな。触るのは許可しますが、優しくですよ」

 

 なにを、と振り向いた時、やさしく微笑したルトリシアの顔があった。

 

 その瞬間。

 

 大気を裂くようにして、何層もの烈風が辺りを駆け巡り始めた。遅れて感じる神秘の奔流。それがルトリシアの身体を取り巻き、翡翠の髪を神々しく輝かせた。

 

「まさか、まだこれほどの力を――」

 

 邪竜がその巨体を震わせて、逃走の気配を見せる。

 

 だが、それよりも早く魔法が発動した。

 

「――嵐流」

 

 ルトリシアの手の指し示した方向に向かって、一陣の刃が何層にもなって迫った。それは強大な邪竜や魔軍に殺到すると、血風を巻き上げながら空間を切り裂いた。

 

 異次元の破壊力に唖然としていると、力の抜けたルトリシアがくてっ倒れた。アンヘルはすんでのところで抱き止める。

 

「撤退!」

 

 そのまま彼女を背負うと、ハーヴィーの怒鳴り声を無視して一気に駆け出した。

 

 ――ふふふ。やってくれますね。まさか今の状態でもこれほど迄の邪法が使えるとは。ですが、試合に負けても勝負には勝っていますから、良しとしますか。ふふふ、ふはははは。

 

 そんな笑い声が響く土煙から離れる。アンヘルたちは、からくもその追撃戦を振り切ったのだった。

 

 

 

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