イセカイ&ドラゴンズ   作:原田孝之

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第七話:叱責

「落ち着きましたか?」

 

 栗鼠のような可愛らしい仕草で首を傾げながら、隊長であるエルサが水筒を差し出している。ソニアはほっと息を吐きながら、薪を焚き火に放り込んだ。

 

「……ああ」

 

 救出したホアンが心此処に在らずという風で返事をした。パチパチ、と焚き火が弾けている。だと云うのに、寒々しい谷風が轟々と唸っており、全身を突き刺すようであった。ソニアは身体を縮めながら炎に近寄るが、風が体温を奪うのは止められない。

 

 闇の帳が降り、一寸先すら見通せない深い暗闇の中でソニアたちはなんとか脱出後の一息をついていた。

 

 身体が鉛になったように重い。長い距離を奔走したうえ、見通せぬ先行きに鬱々とした不安が蔓延り、朧げな森へ一層影を落としたようにすら思えた。

 

「結局、七〇小隊(ホアンの班)とは再会できませんでしたね」

 

 ソニアはその短い黒髪を撫でつけながら、ハキハキした言葉遣いで答えた。

 

「無事で居てくれればいいのですが……そもそも入村前に逸れたので合流は絶望的でしょう」

 

「これからどうしますか?」

 

「斥候次第ですが、一度情報整理するため、撤退したほうがいいでしょう」

 

「ですね。中隊なら詳しい情報を得ているかもしれません」

 

 エルサたち七八小隊がここ迄ホアンを追ってきた経緯はこうである。魔軍襲来の情報が齎された時、七八エルサ班は偶然外回りに出ており、ホアンの追跡を頼まれたのだ。よって、中隊の窮地など何も把握していなかった。

 

 ふう、とエルサが息を吐いた。ここで軍行動は終わりという合図だ。ソニアもそれに合わせて口調を崩す。

 

「――遅いですね。エセキエルさんも居るので、無茶はしないと思うのですが」

 

「ユウマが居るからね」

 

 ソニアはちょっと呆れた顔を見せる。

 

「前はその辺のキノコを食べて腹痛で死にかけていたかしら」

 

「今の場面では笑えませんね」

 

 エルサが苦味のある笑みを浮かべた。薬学を学んだ彼女としては、信じ難い行為なのだ。ただ、ユウマも学んでいる筈なのが笑えるが。

 

 ソニアはゆっくりと焚き火の側に寄った。ホアンはまだ呆然としている。じっと焚き火の炎を覗き込んでいるだけで、瞳に空虚さすら感じさせる。このまま放っておくには忍びない。

 

 それに、このまま黙っていても何も改善しない。エルサと顔を見合わせてから、頷き合った。

 

「ロペス隊長」

 

「……」

 

「聞いていますか、ロペス隊長。貴方には脱走の疑惑があるそうですし、魔族の女と関係があったように見受けられます。一度話して頂きたいのですが」

 

 男は沈痛な色を浮かべた。このような表情を見れば心が痛む。言葉を失ったソニアの代わりに、エルサが身を乗り出した。

 

「ロペスさん。せめて、話せることだけでもお願いします」

 

 それでも黙っていた。どれだけ問いつめても口を結んだまま、何も答えようとはしない。

 

 ソニアたちもとくに話を聞き出すことに慣れているわけではなかったし、焦燥した男から無理やり聞き出すのは気が咎める。

 

 体育座りで彼を眺めるだけの時間が続いていると、唐突に風の吹きすさぶ音が止んだ。

 

 無音。

 

 それが口を開かせるきっかけとなったのか、ホアンはぽつりと言葉を紡ぎはじめた。

 

「手先、と言っていた」

 

「つまり何某かの部下、という意味ですか?」

 

「そう、だろう」

 

 饒舌な訳ではなかったが、ポツリポツリと話す内容に耳を傾ける。

 

 曰く、女の一人はもう一方の部下である。

 曰く、その上に『カオス』という人物が控えているらしい。

 

 とはいっても、大した情報量ではない。女二人が幹部のような存在であること。前々から何かを計画しており、今回の襲撃事件は突発的な犯行であるらしいこと。ちょっと不手際があったらしいこと。彼女らが、有名な魔族、サキュバスであること。などを話した。

 

 エルサがホッとしたように息を漏らした。

 

「よく生きていられたわね。私たち」

 

「追いかけて来なくて助かりました」

 

 しみじみとエルサが呟いた。確かにその通りなのだ、なのだが。

 

(もしかしたら……)

 

 ソニアには別の意図があるように思えてならなかった。

 

 それは、最近の悩みにも直結する。この激化する士官学校内の派閥争いの真っ只中で奮闘するソニアはひとつ、大きな疑念を抱くようになっていた。

 

 ――士官学校には、力を隠した人間が多数存在する。

 

 七八小隊は、迷宮探索演習初の二回踏破を達成した。しかも、クナル班が単独で制覇してしまったから、実質合同小隊の中心となったのは七八小隊なのである。特別賞受賞もあり、下位班の中では随一と謳われていたが、最近の動きを鑑みれば、それが幻か何かだと思えてしまっていた。

 

(この班の連携は悪くない。いいえ、個人としてもユウマの実力は抜き出ている。そう思っていたのに)

 

 最近起きたオウル班の躍進。あの小隊演習戦を見たとき、不覚にも及ばないという感想を抱いてしまったのだ。

 

 それ以外にも、警戒していなかった連中に模擬戦で負けるなど、戦闘訓練成績は徐々に下がり始めている。ソニアには彼らが努力によって突如能力を開花させたとは微塵も考えられなかった。

 

(それに、先輩たちが言っていたこともある)

 

 先輩たちは、武芸者に「ボーダー」と呼ばれる基準が存在すると述べていた。無論、その存在に否定的な者もいたが、昨今の事情を鑑みると、それがまったくの嘘であるとは言いきれなかった。

 

 ボーダー。つまり、境界を超えし者たちのことである。人間の生存本能が極限まで研ぎ澄まされる環境に身をやつし、それでも尚真に生を望み、勝ち取ったものに与えられる神の恩寵である。

 

 一般には秘匿されているが、武芸者の能力向上は青天井であるのだ。無論、誰でも辿り着ける境地ではない。いや、ソニア自身覚えがあるのだ。あの巨人との戦闘において、底から溢れんばかりに力が流れ込んできた。あれは決して嘘偽りではない。

 

 少年老い易く学成り難しゆえに一寸の光陰軽んべからず、というが、武芸者には成長など瞬きの間かもしれない。今年の候補生は奇跡の世代だと、皆口を揃えて言っていたのもある。冒険者あがり、紛争地帯出身に部族出身。それらの人間が纏う空気というのは、すこし違うことを感じはじめていた。

 

(その疑わしき筆頭は、このホアン・ロペスという男)

 

 決して目立つ男ではない。班の序列は七〇であり、有名な班員も居ない。だが、その殺伐とした風貌、尖り切った目つきは明らかに尋常の者ではないとすぐわかる。世間では「救国」主義者たちが蔓延っているが、彼がその一味であると否定しきれぬ自分がいた。

 

 ――もしかしたら、相手はこの男を警戒して。

 

 いいえ、とソニアはぶんぶん首を振った。現状を棚上げしても仕方あるまい。士官学校の下らぬ事情など持ち込んでいる暇はなかった。

 

 さっさと場を退くべきである。いつ敵が現れるかわかったものではないし、彼とエルサの相性もわかったものではなかった。

 

 ソニアは腰を浮かしながら、告げた。

 

「馬鹿たちを探してくるわ。いつまでもこうしてはいられないもの」

 

「そう、ですね。よろしくお願いします」

 

「そいつは結構だ――」

 

 立ち上がったソニアの背後で、ざっざっと雑踏を踏む音が響いた。

 

 無礼な口調で近寄ってきたのは、話題の男エセキエルだった。神経質そうな目が細まり、眉間が連峰のように波打っている。

 

 馬鹿と言われたことに腹が立ったのだろう。足音をどすどす立てながら近寄ってきた。

 

「やっとね。って、その背中のはどうしたの!」

 

「ああ、これね」

 

 エセキエルが背負っていた人間をごろっと降ろした。唐紅色の髪が印象的な女性、ユウマである。

 

 ソニアは反射的に鋭く叫んだ。

 

「どうしたのっ、それっ!」

 

「どうしたもこうしたもあるか。この馬鹿、また隠れて拾い食いを始めやがった」

 

「また? だからちゃんと見張ってなさいと」

 

「俺はお守りかよ。一々そんな注意しなくていいと思ったんだよ」

 

 エセキエルの眼がちょっとばかり剣呑となる。彼もさすがに疲れているのだろ。まあ正直なところ拾い食いする人間の重りなど御免だと、ソニアならそう答える。

 

 だが、エルサがこの班で最大戦力なのも事実。とくに仲間の死に敏感なエルサは、こちらの身体を押しのけながら寝転がっているユウマに駆け寄った。

 

「ユウマちゃんは大丈夫なんですか!」

 

 近寄り、首元に手を当てている。脈を確かめはじめたのだ。

 

「心配すんなよ。ただ、寝てるだけだ」

 

「むみゅ~、ウチ、もう食べられへんてぇ」

 

 幸せそうな顔をしたユウマから、これまた幸せそうな台詞が吐き出された。口の端には涎。

 

 このボケ。ソニアは無意識の内に地面を蹴っていた。エルサも同意だったのか、数センチ持ち上げていた頭を無造作に落とす。ゴツンという嫌な音が鳴った。

 

「起きたら水に沈めるわ」

 

「協力します。三日は眠れないようにしましょう」

 

 エルサはもはや小隊の恥だと感じたのか、目が据わっている。が、エセキエルは頭を掻きながら擁護した。

 

「ま、やめてやれよ。コイツは馬鹿だが、今回ばかりは勲章を上げてもいいかもな」

 

「なぜ庇うの?」

 

「俺も叩き起こしてやろうかと思ったさ。けど、こいつ頬を引っ叩いても起きねえ。なんかおかしいと思って、コイツが食ったのを良く見たのさ」

 

 エセキエルは腰のバックから三枚の葉っぱを取り出した。緑色が茂る、何の変哲のない葉っぱ。それを見る彼の眼鏡は怜悧な光を反射していた。

 

「なによ、それ?」

 

「コクの葉ってやつだ。南部の暖かい地域に生える。こいつが大量に植えられていたのさ」

 

「だからそれがどうしたっていうのよ?」

 

「話の腰を折るなよ。最後までちゃんと聞け」

 

 エセキエルは眼鏡をくいッと上げながら、かぶりをふった。

 

「次にこのバカの特徴はなんだ、ソニア?」

 

「英雄症候群よね。それがどうかしたのかしら?」

 

「そう、それだ。強化術が得意ってことだが、実はそれだけじゃない。無意識に使えるってことは、意識しなくても使ってしまうってことなんだ。そしてそれは、身体能力以外にも適応される。

 なあ、森に住む部族が、半里先の足音を判別できるって話を聞いたことはないか?」

 

 思い当ることがあるのか、エルサが発言した。

 

「アルン人ですね。長い耳が集音能力を高めると長年信じられていましたが、実は聴覚強化に優れる遺伝的特徴だと証明されたのでしたか?」

 

「よく知ってるわねエルサ隊長も。それで、それに何が関係あるの?」

 

「この二つを合わせると、ある事実が出てくるんだよ」

 

 エセキエルはしゃがみながら、言葉を紡いだ。

 

「『サイレール』っていうものを知っているか?」

 

「なによ、それ」

 

 聞き馴染みのない単語に眉を顰める。エルサも同様だったのか、不思議そうな表情をしていた。

 

「おいおい、冗談だろ。情弱でも知ってるぞ」

 

「わかったわ。早く説明して」

 

「……錬金術師お得意の物質錬金で作り出された合成物質にケルタミンというものがあるんだが、この葉っぱがそれの原材料なんだよ。昔はカルタゴ教国の資産で、南部の暖かい地域で育つと思い出してピンと来たんだ」

 

 結論を言わないその話し方にイライラする。ソニアの額に青筋が浮かび始めていた。

 

「だからいつも言っているでしょう。御託が長過ぎるわ。要点だけいいなさい」

 

「こっちが教えてやってるんだぞ……」

 

 エセキエルが不貞腐れたように口を尖らせる。とはいえ、エルサも同感なのかちょっと口先が曲がっている。それを察したのか、まあいいとエセキエルは話を続けた。

 

「それで、サイレールってのは、そのケルタミンを錠剤化したものらしい。製造当初は薬として重宝したらしいが――」

 

 いったん言葉を区切って、二人を見渡した。

 

「今は違う」

 

「違う? どういう意味よ?」

 

「これには判断を狂わせる効果と強い依存症があるんだ。それ以来、こいつは別のことに使われている」

 

「何よ。それって」

 

「待ってください。それはもしかして――」

 

 エルサが話を遮ってきた。検討がついたらしい。血の気が引いた顔をしている。

 

「そうだ。今は、ドラッグだ」

 

 サイレールとは、オスゼリアスで流行の兆しをみせる非合法の薬物である。意味するのは名前の通り。しかも、強い依存性があり、手慣れた人間なら快楽と借金の地獄に叩き落として人間をランクアップさせる。人間の尊厳を丸ごと踏み砕く、禁忌の薬物である。

 

「この馬鹿は、意識しないと常人の何倍もの消化・吸収力を発揮する。だから、濃縮しないと効果が薄いコクの葉でも、覿面に作用したんだろう」

 

「ちょっと待って」

 

 頭を押さえながら、話を分断した。

 

「この村では、違法ドラッグが製造されていたってことなの」

 

「そうだ。思い返せば明らかにこの村は富んでいた。こんな辺境なのにな――それに、気づいたか?」

 

「これ以上何があるの?」

 

「村の人口は、あの規模からいって三百人はくだらない。その人数が魔軍に気が付かないなんてあり得るか?」

 

「……たしかに。村人なら一目散に逃げるはず。半日の間に制圧なんて無理だわ」

 

 ソニアは知らぬことだが、ほとんどの死体は家の中で殺害されており、アンヘルが奇妙に思ったことと一致していた。

 

(もしかしたら、村と魔物はグル? いいえ、そんな筈ないわ)

 

 内心浮かんだ疑問を自否定していると、エセキエルは得た情報に満足したのか、うんうんと頷いている。

 

「違法ドラッグの栽培。神速で制圧された村。ここまで異常事態が重なるなんて偶然はありえない。とすればだ――」

 

 そこまで続けてから、エセキエルは思案に耽っていた顔を上げた。キョトンとした顔である。

 

「なあ、ソニア。俺の装備はどうした?」

 

「そこに置いたはずよ」

 

「そこって、何処だよ」

 

 キョロキョロと周りを見渡すしかなかった。置いたはずの道具がない。しかも、エルサが恐ろしいことを言いはじめた。

 

「あの、そういえばロペスさんはどこに?」

 

 ぎょっとして全員が居たはずの場所を見た。何もない。忽然、ホアンは姿を消していた。ソニアは皆に向かって激しく言葉を発することしかできなかった。

 

「うそでしょッ! 探して、くまなく探すのよ!」

 

 多分、一番の苦労人になるのは彼女だろう。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 同刻、ガンジログゼロ村村長宅。

 

 男は室内にて、一人で佇む貴人の姿を認めていた。その女――翡翠の君は、粗末なスツールに腰掛けながら、こちらに背を向けている。

 

 それを見てほくそ笑む。いつもは凛々しかったその姿がどこか萎んだようにすら思えた。

 

 男――オウルは、足音を殺して女の背後に忍び寄ると、そっと背後からその肩に手をおいた。

 

「ルトリシアさま、ご様子を伺いに参りました」

 

 入室の際には返事をしたから、その存在は気付いていただろう。だが、決して反応を示そうとはしない。貧民を歯牙にも掛けないという意思表示なのかもしれないが、それが寧ろ怯えを隠しているようにすら見えた。

 

 所詮はまだ十七、八の若い女に過ぎないのだ。いくら気丈に振る舞っても、自分の命が掛かれば弱気にもなるだろう。オウルはニタニタとした笑みを口の端にのぼらせた。

 

 ――貴き女を堕とすのは、心底ソソるものだ。

 

 オウルは長い髪で隠れた可愛らしい小耳に息を吹きかけて露出させた。ルトリシアの身体がピクリと跳ねる。

 

 それでも、女は抵抗を見せなかった。

 

 さらに甘い言葉を耳元で囁く。

 

「心配はいりません。貴方も私の実力をご存知のはず。必ずや邪龍を討滅して差し上げましょう」

 

 嘘である。あの邪龍の姿を一眼見たが、おそらく捨身で特攻しても敗北することは明白である。

 

 だが現状、ルトリシアには縋る道がない。エルンストは勢力としては達者だが、単独戦闘能力には欠ける。あのような化け物には、集団よりも単騎性能に長けた人材が不可欠であった。

 

 歪んだ笑みを貼り付けながら、オウルはされるがままの宝玉のような髪を手で梳いた。

 

 ――これでこの女も私のものだ。

 

 喝采で叫びそうになる心を抑えて、視線をスライドさせる。

 

 陶器のような白い肌に細い首。鎖骨は、屈辱か感情の昂りの所為で、薄く桃色に上気している。未だ年若いというのに、士官学校制服を大きく押しあげる果実が実っており、掬っても拾いきれぬほどだ。まさに美術品そのものである。

 

 この女を楽しんだ後は派閥を皆殺しにし、その首を元に派閥を駆け上がれば――

 

 地位、名誉、女。すべてが思いのままだ。そんな皮算用を胸に、すでに同意が取れたものと確信する。

 

 さて、少し味見でもするかとその乳房に手を伸ばした所で、女が手首をぐっと掴んだ。

 

「まだそこまで許したつもりはありません」

 

 視線もくれなかったが、さすがの迫力だ。もう力をたいして使えないことは派閥に潜り込ませた手の者によって知っている。だが、それが本当に正しい情報なのかわからなくなるほどだ。

 

 掴まれた手首を押さえながら、数歩後退する。その背中を強く見つめた。

 

「よ、よろしいので? まだご決断されなくとも」

 

「論結を待ちなさい。オウル候補生」

 

 その言葉を最後に、興味なさげに会話を打ち切った。

 

(クソっ。まだこれほどの力を……)

 

 真正面から撃ち合えば確実に敗北する。向こうにはまだ召喚師ラファエルや騎士ハーヴィーもいるのだ。それに貴族が加われば敗北は必至である。

 

「では、良い返事をお待ちしておりますよ。ルトリシアさま」

 

 慇懃無礼に頭を下げて部屋を出る。だが、まだオウルには余裕があった。

 

 どうせ手は存在しないのだ。強がっていればいい。

 

 オウルはほくそ笑みながら、手に入る宝石の大きさに感嘆するのだった。

 

 

 

 §

 

 

 

 ソニアたちが野営する少し前。アンヘルは村中央の広場から外れた中年夫婦農家の道具小屋で世話になっていた。彼らに礼をすると、設えてくれた土間のかがり火の前に座った。

 

 疲れからウトウトする。朝から飛び起き、真昼間からは村の大虐殺騒動や邪龍追撃で大いに体力を消耗していたから、寝入るのは早かった。

 

 そのまま目を閉じる。剣を抱えた姿勢で膝を立て、壁に背を預けていた。傾いた日が空を血の色に染め上げ、世界が詰まったような印象を与える。吹き込む山風が地を冷やし、アンヘルの吐息を白銀へと変える。老夫婦が土間中央のかがり火に薪を足してゆく。いったん降りてきた日常に心緩めていると、ふと、唐突に外が騒がしくなっているのに気が付いた。

 

「うん?」

 

 アンヘルは寝ぼけ眼をごしごしと手の甲で拭ってから、虫籠窓からじっと様子をうかがった。

 

 敵襲という気配ではない。人同士の小競り合い、というように見えた。

 

 ようやく目が慣れてくると、男たちの小競り合いだと判明する。猟師服姿の男は戸惑う候補生ふたりを突き飛ばすと、一気呵成に村中を飛び出していった。抜き身の輝きが差し込む。どうやら、腰に鞘を外した剣を持っているらしい。

 

 大方、落ち着いてから血の気の逸ったミゲルが制止する候補生を押しのけて飛び出し行ったのだろう。とはいえ、現状が現状である。余り騒ぎ立てると、彼がどんな目にあわされるか分かったものではない。アンヘルは外套を羽織ると、屋敷の外へ出た。

 

「なにかあったの?」

 

「おっ、アンヘル。いや助かったよ。あの男、俺たちのいうことも聞かずに行きやがった」

 

 ベップは困ったように首を掻きながら、そういった。

 

「止めようとはしたんだが、話を聞かないもんで」

 

「僕が追いかけるよ」

 

 ベップは安堵したように笑みを漏らした。

 

「助かるよ。もう村は悲惨だろうし、一人くらいは助けてやりてえ」

 

「そうだね――徒歩でいった?」

 

「ああ、残された馬の管理は厳重だからな。だが剣を一本持っていきやがった」

 

「分かった」

 

 アンヘルは黙って一度頷くと、泊まっていた屋根に飛び乗ってから、目の上を手で陽射し除けを作ってから方々を睥睨した。遥か彼方、燃えるような夕焼けに向かって、一人の男の焦燥感に溢れた背中が見えた。

 

 このまま黙っていかせるわけにはいかない。

 

 屋根から飛び降りると、小走りで追いながら声を掛けた。ミゲルは背後のアンヘルに気が付くと、突如として進む方角を変更し、深い森の中へ分け入っていった。その走力は猟師だけあって、一般人離れしている。士官候補生が全力で追っても、なかなか追いつけない。

 

(くそッ、暗くなってきた)

 

 夜が更けてしまえば、相手を見つけるのは困難である。アンヘルはあくまでも士官候補生であって、レンジャー技能はまったく保有していない。一度見失ってしまえば、足跡から森の中でたった一人の男を追跡するのは、困難を極める。

 

 アンヘルはさらに足を速めた。それほど俊足ではないが、持久力には自信があったのである。

 

 とはいっても、相手もそれは同じだっただろう。山は相手のホームグランドだから、時折迂回しなければならない道すらも、ミゲルは颯爽と走ってゆく。

 

 息せき切って走る。呼吸は激しくなり、心臓が口から飛び出しそうなほど鐘を打つ。ぬかるんだ地面が、体力を奪う。それでもむきになって追い続け、見失ったときには樹林の上に飛び上がって、遠ざかってゆくミゲルを補足しつづけた。

 

 半刻ほどの鬼ごっこであった。

 

 もう森は一寸先も見通せぬほど真っ暗になり、相手は敵を撒いたと油断している。そんなとき、アンヘルは木の上からばっと蝙蝠のように飛び降りた。

 

「て、てめえ」

 

「追いかけっこは終わりにしましょう」

 

 アンヘルが低くいうと、ミゲルは呑まれたようにして一歩二歩と後退するが、背後には彼が手を掛けていた巨樹があり、距離をとることは叶わなかった。

 

「放っておいてくれ! 俺は村に戻らなきゃならねえ」

 

「死ぬと分かっていて、あなたを行かせるわけにはいきません」

 

 すっと抜き身の剣を正眼に構えるミゲルだが、いつかの余裕はまったくない。先日とちがって、アンヘルの実力を把握しているから、付け焼き刃の暴力では勝負にならないことを承知していたのだ。

 

 アンヘルが一歩踏み込む。それに呑まれたミゲルはフルフルと剣を震わせる。

 

 動揺に合わせ、一気に間合いを詰める。手首を押さえ込みながら剣を叩き落とした。

 

 剣を失ったミゲルは、懇願するように頭を地につける。

 

「頼む、頼むよ。なあ、今生の頼みだ」

 

「ミゲル、さん」

 

「あんたには関係ないことだろう。だがよ、あの村は俺が生まれ育ったところなんだ。なあ、わかるだろ。俺にとってあそこはすべてなんだ。生まれて、死ぬまで。ずっとあそこに居る。くだらねえとはわかってても、それが俺のすべてなんだ!」

 

 そう叫ぶと、身体を九の字に折りながら、嗚咽を漏らしはじめた。

 

 その痛ましげな姿が過去の誰かに被って見えた。

 

 ――それでもオレたちの村なんだ。ここで戦わなきゃ、いつ戦うっていうんだッ。

 

 ――そ、そっか、それじゃ、オレたち……むらをま、まもった、んだね。へ、へへ、やった。やったなぁ。

 

「やめて、やめてください」

 

「なあ、なあ頼むよ。頼む」

 

 涙声になって足元に縋り付いてくる。目尻から澎湃と透明な雫が流れ落ち、地面にポタポタと後をつくる。

 

 その姿が鋭い刃となって突き刺さる。

 

 彼の家で飲み明かしたときの話を思い出す。改宗した親方とは口汚く罵り合った。代官が持ち込んだ農業に従事する連中とは縁を切った。だが、それでも村のことは大切だと、言い切ったのだ。

 

 たとえ酔っていたとしても、それは嘘には思えなかった。

 

 それが、自分には眩しく映るのだ。いつかあの平穏な日の本の国へ帰りたい。美しく、優しいあの世界へ。誰もが、死と強奪の気配に怯えることのない、煌びやかな世界へ。

 

 それが決して叶わぬ夢だと知っていて。

 

「あんたらは、村を見捨てて逃げるつもりなんだろ。なら、いいじゃねえか。人生ってのは、誰かに決められて進むもんじゃねえ。あんただって男だ。なあ、そう思うだろ。なら、黙って行かせてくれ。

 俺は、後悔しているんだ。あんとき、あんたに連れて行かれて、そのまま呆然としたまま逃げちまった。けど、あんな状況だったんだ。俺が残りゃ、誰か助けられたかもしれねえ。新婚のバルス。従兄弟のヘンゲル。誰でもいい。俺の命なんて、おしかねえんだ!」

 

「もう、やめてください。行かせられません」

 

「頼む、今生の頼みさ。俺を、俺を行かせてくれっ!」

 

 アンヘルは、そっと彼の肩に手をそえた。できない、という意味をただ態度で表した。

 

「行かせて、くれよぉ」

 

 ミゲルはそのまま涙を流し続けた。

 

 

 

 §

 

 

 

 時は亥の刻を廻っている。

 

 夜は斑なかがり火の揺れ具合以外、道と田圃の境すら判らぬほどの暗さだが、ただ一人火の前で暗やみを見つめている男には、すでに目が慣れている。地面と、草と、空の闇は違うし、遠くのプルトゥ渓谷を見上げれば、大きくそびえたったそれが薄っすらと輪郭が映りこんできた。

 

 アンヘルは谷風が地を這って火を揺らせているのを、ただじっと眺めて、己の中で大きくなっていく感情と向かい合っていた。

 

(いまさら、なにを悩むことがある)

 

 帝国はいま、新たな危機に直面し、真っ二つに割れている。現体制を維持しようとする皇帝派、行政のほとんどを担う門閥派、そして革命、体勢打破を目指す平民派。そんな時代に、アンヘルは士官として身を起こした。

 

 だが、所詮一市民として、力を求めて軍人を志したに過ぎぬ男には、思想などという高尚な事柄などほとほと共感することはできなかった。祖父伊之助が植えつけた物事でさえ、思考を助ける一助にはなっても、根本に宿ることは、終ぞない。

 

 結局のところ、はやりの論客めいた輩の語ることなど、自分の立ち位置を屁理屈を捏ねまわして正当化したいだけの戯言にすぎぬと思っていた。だから、それに傾倒する理由など欠片もなかった。

 

 信ずるは、力。

 

 それこそが、この暗澹たる異世界で信奉した「正義」であった。

 

 気に食わないなら、力を蓄える。刀を抜くと決めるまでは、相手を必ず打ち倒せると確信するまでは、ただ耐える。そして、いつか必ずや。

 

 それだけを信条にしてやってきた。

 

 それなのに、だというのに。

 

 今のアンヘルには、敵が見えない。

 

「ご主人さま。今日は、どんなことでお悩みなのかしら」

 

 鈴の音のような声が背後から響いた。何時も聞く幻聴である。いや、これは正常な世界なのかもしれない。

 

 世界が靄に包まれた。彼女の淑やかな右手がすっと首筋を沿わせてから、胸を伝って反対側の肩に移動した。耳元に頬寄せてそっと優しい声で撫でた。

 

「消えろ」

 

「あら、今日も冷たいのね。ご主人さまのために出てきているのに」

 

「頼んでない」

 

 アンヘルは無表情のままである。顔を見ようともせず、ただ無感情そのままだった。

 

「また夢でも見たのかしら?」

 

「うるさい」

 

「ふふ、図星ね。可愛らしいご主人さま」

 

 女は空いた左手でアンヘルの左手の上に重ねると、上から指一本一本に絡ませて、熱っぽさを隠さないまましな垂れかかった。

 

「私は行けないのだから、そう迷われては困りますね」

 

「もともと使うつもりはない」

 

「いい傾向ね。『使う』だなんて言葉、やっと出てくるようになった」

 

 アンヘルは相手の揚げ足を採るような言葉に、うぐっと詰まった。

 

「それでいいのよ。使徒にとって、眷属なんて道具でしかないの。もっと割り切りなさい。私はただ戦う肉の塊なのよ。ご主人さまが望むこと、それを実現するのが私の望み」

 

「他人の身体を使っている分際で、いい気になるな」

 

「もう他人じゃないわ。あの子は、私」

 

 女は、妖艶に微笑んだ。

 

「ご主人さまは、最近、人を遠ざけているみたいね。好かれるのが怖いみたい」

 

「……」

 

「怖い顔。ゾクゾクするわ」

 

 女はゆっくりとアンヘルの正面に回り、膝の上に跨りながら、瞳を正面から覗き込んだ。

 

「でも、ダメよ。愛こそが力となる。もっと、他人を愛して、愛されなさい。たとえ、依り代に出来ない貴族であっても、懇意になれば得難い縁になるわ。そう、弱さこそが、ご主人さまの最大の武器」

 

「そこをどけ」

 

「そうはいきません。ご主人さまったら弱いんですから」

 

「いいから、そこをどけ!」

 

 アンへルは力の限り、女を突き飛ばした。

 

「なにをするの?」

 

「話をするつもりはない」

 

「勝手ね。私を蹂躙したくせに」

 

 女は、ゆっくりと立ち上がった。

 

「私を拒絶したいなら、迷わないことよ。だって、そうでしょう――」

 

 しかりつける聖母のような眼差しで、此方を見る。

 

「目的なき意思は、何も果たせないのだから」

 

 たまらず「召還」と叫ぶ。悲鳴と共に世界の霧が晴れた。

 

 晴れた後に残ったのは、悔恨と、苛立ちの混じった己の吐息だけであった。

 

 朧げに消えた幻影が、やけに己を導く礎となって見えた。気に入らない。俯いたまま、ずっと、消えたその幻影をにらみ続ける。氷のような三日月が、夜空にギラギラと浮かんでいた。

 

 気に入らない。けれども、どこか。

 

 女の言葉を否定しきれない自分がいるのも確かだった。

 

(ここで折れては、今までの犠牲はどうなる)

 

 己の失敗のせいで、数多の人間の命が失われた。

 

 だが、だからこそ、今、退がるわけには、いかない。

 

 進み続けるしかない。

 

 なにがあろうとも。

 

 ならば、やることはひとつしかなかった。

 

 

 

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