「どうした? そんな大声だして」
そのあらん限りの怒声に驚いたベップが声を掛けてきた。クナル班は現在村の夜警任務に当たっているから、たまたま見つかったのだろう。
鼻先を撫でるようにして夜の山風が流れてゆく。ベップの持っている松明の火の粉がちらちらと視界に舞っていた。
「なにも」
アンヘルは、首を振って否定した。
「色々あったから気が立ってるんだ。気にしないで」
「そうか。まあ、そうだよな」
初の実戦だしなぁ、とつづけたベップは疲れたような笑みを漏らした。金剛流として高位の剣術家であるベップであっても、疲れの滲んだ表情をしている。
「そういえば連れかえってきた奴さん。そうとう暴れてるらしい。あとで見に行ってやってくれ」
「わかった。けど、ちょっとだけいいかな」
アンヘルはそういうと、ベップを連れて、クナル班が集う場所へ向かった。
村の外円部から中央の警邏司令部となっている場所へ向かうと、クナル、アルバの他に、騎士ハーヴィーが集っていた。
「これは私が取れる最大の譲歩だ」
「くだらんな」
ハーヴィーはクナルの前で剣に手を掛けながら尋ねている。が、相手は木箱に座ったまま、じっと目を閉じて相手を無視していた。
「なにがあったの?」
「……」
アンヘルはなにが起きているかアルバに尋ねた。しかし、彼女はつんと無視したまま再び道具の整理を始めた。他の人間の姿はない。クナル班は、班長のあまりの鮮烈さに気圧され、実力がない他三名は日がな距離をとっているから常に二分されている。
アルバの反応に眉をしかめながら、加熱してゆくクナルたちの話し合いを見つめた。
「聞いているのか貴様!」
ハーヴィーは胸倉をつかみ上げてようとしたが、クナルの重さに持ち上げることができず、ただ睨みつけるだけになった。
「意味のない闘争に興味はない」
「ヴィエント家に逆らうというのかッ!」
「死体はなにも言わぬよ」
クナルは相手の反論を斬って捨てた。ハーヴィーが鼻白む。
「なにが望みだ」
「報酬の可否など、それこそ無意味よ」
「貴様ッ」
「お引き取り願おうか」
取り付く島もない。騎士とは、高圧的に従わせることは得意でも、話術で相手の同情を引いて協力させる能力は欠いている。この男が相手、と考えると効果があるかは謎に過ぎたが。
ハーヴィーは激憤を喉の手前でなんとかこらえながら、ぐっとその場に踏みとどまった。とてつもない形相である。ぷるぷると拳を震わせたまま、しかしそれでも、凶行に及ぶことはなくすっと踵を翻した。
アンヘルは、その背中に呼びかけた。
「お待ちください、騎士スキピオさま」
「なんだ」
炯眼が振り向く。クナルたちの視線も集中した。こういう場で発言するタイプの人間ではないと思われているから、珍しく思われたのだろう。
ハーヴィーは怒りよりも意外そうな表情を前面に押し出していた。
アンヘルは慇懃に家名で呼んでから、頭をさげた。
「ヴィエントさまのご容態、それと噂されている森林防衛戦部隊到着日をお教えいただきたいと存じます」
ハーヴィーは怪訝そうな表情を浮かべた。そこには、アンヘルを信用しきれないという感情があったし、それ以上にどこまで話していいものかという派閥原理もある。
代わりにクナルが足を組みながら、いった。
「間抜け、何をするつもりだ」
「想像通りだよ」
アンヘル自身が驚くほど低い声だった。あのクナルがすこしばかり戸惑っている。
「お答えいただきたい」
ハーヴィーは苛立たしそうに眉を寄せながらも、苦々しそうに答えた。
「ルトリシアさまの御加減は芳しくない。森林防衛戦線までには数十里ある。持つとは思えない」
「ならばオウル隊長の案を受ける御つもりで?」
ハーヴィーは般若のような鬼面で地面に唾を吐きながら、
「腹立たしいがな」
といった。余程の窮地なのか、剣を抜いて居なくとも殺気が漏れている。アンヘルは再びクナルに向き直った。
「君は上科生の実力を大体分かってるはず。成功率はどのくらいに見る?」
「軍の指揮など私には門外漢だが――」
クナルは顎に手を当てて考え込みながら、鋼のように光る目で虚空を見つめた。
「あの規模の相手に、この戦力では万が一ほどであろうな」
「やっぱりそうなる?」
「あるとすれば敵大将への特攻ぐらいだろうが、可能な人間が居るとは思えん。あの取引内容では、前報酬だけ受け取られて終わりだろう」
であろう、とハーヴィーへ尋ねる。その推測は正しかったのか、彼は義手が壊れるほど力強く
拳を握った。
「おい、なにを考えてる」
ベップが肩を掴んでくる。それを振り払うと、話し合う中央に進みでた。
「今回の事件については?」
「どういう意味だ」
「この事件にはあの男の影がある。今の状況は何か仕組まれたモノだと思う?」
「どうだかな」
クナルは不快そうな表情をしながらも、組んだ足の膝を指で叩いた。
「確かにあの男は恐ろしい男だ。だが、決して神ではない。全知全能でも、すべてを見通せる慧眼を持ち合わせているわけでもない。ただの人間に過ぎぬのだ。情報なくこの事態を予期したとは到底考えられぬな」
「今回の事件は偶発的なものだと?」
「起きる可能性ぐらいは考えていただろうが、規模も危険性も想定外、というのが現実的だな」
「――さっきからなにを言ってるんだ」
ベップがさらに横合いから口を挟んでくるが、完全に無視した。場の空気は剣呑さを増している。唐突に始まった二人の会話によそ者は口を挟む余地を失くしていた。
ピリピリした空気が二人の間を流れる。再び口火を切ったのはクナルだった。
「やる気だな。なぜだ?」
「聞く意味があるの、それ」
「意味なく戦う人間ではあるまい、貴様はな」
クナルは不思議そうな顔をしている。この男には珍しい表情だった。
「君はなんのために戦ってるの」
「知れたこと、己の為よ。貴様もそうであろう」
「そうだよ」
アンヘルは一歩踏み出すと、剣を抜き放ち天頂へ掲げた。
「なら、僕がやることはひとつだ」
他の連中はなにも分かっていない。どいつもこいつも、皆、分かった気になって軍の基本を忘れている。ここで退いてどうなる。軍の名門ルトリシアを見捨て、名家のユースタスを見殺しにして、最後になにが残るというのだ。そんな状況で士官学校へ逃げ帰れば、上官抹殺の汚名を着せられ永久に出世街道から外れる運命となる。
ユーリを偲ぶ家族の清洌な願いを地獄送りにしてまで、「迷宮探索演習踏破」という下らない点数に変えたのだ。この二年間の士官学校生活で虐げられてきた同輩を幾人も見捨ててきた。ならば、やることは決まっている。
アンヘルは掲げた剣を一直線に振り下ろした。
「ヴィエントさまを死なせるわけにはいかない」
§ § §
――アンヘルは、いったいどうしてしまったんだ。
ベップにとって、アンヘルの印象とは取るに足らない人間であった。
いや、誤解を恐れず言うのなら士官学校の同級などすべてが物足りない人間ばかりだった。
ベップは幼少の頃から才気に優れた子だった。元老院系貴族の武官族にして、軍家の名門フントの傍流フォルチ家に生まれた彼は、一族の長男として、十分な教育を受けて育った。
帝国の一般的な考え方として、己が子孫のために栄達を望み十分な教育を施すことこそ美徳である、と信じられている。一軍人の両親の元に産まれたが、そんじょそこいらの下民には望めぬ武芸、学問を学んだ。
中でも大きく影響を与えたのは、金剛理心流グラン試衛館の門弟たちであった。ベップには下に二人男兄弟が居たが、歳が離れていて競い合う相手にはまったく向かず、彼の情熱はこの道場の武芸へ向けられることになる。
ベップはそこで頭角をあらわす。人間社会の常として、フォルチ家程度の家柄では妬みを買うことも珍しくなかったが、人好きのする性格と幅広い交友関係を築ける快活さを持ってして、しだいに有能の士という立ち位置を得るに至っていた。
両親からかけられる期待も大きくなる。金剛流は東方一刀流と違って名門の流儀だから、学問に対しても十分に仕込んだ。そのうえ、ベップはそつがなかったから、若者衆の論議でも禍根を遺さないよう細心の注意を払っていた。
結果、オスゼリアス金剛流グラン試衛館史上最年少にて、ベップは伝位の座に着くこととなった。
この時代が彼にとってもっとも輝かしく、未来の明るかった時代だといえるだろう。
当然の流れとして、ベップは流派闘技会へ出場する流れとあいなった。流派闘技会とは、金剛流の流れを汲む全傍流が集い、各門人の中で秀でた人物が御前で技を競い合うというものである。彼は、年少の部の第三格――身分もあって一、二格を譲った――として出場した。
負けなかったことだけは覚えている。道場内の試合なら兎も角、対外試合になれば遠慮する必要などない。本当に器用で、とくに相手の動向を読むことに長けていたから、大人でも早晩負けることはなかった。
世界とは狭い、それが子供のときの心情である。
そんな天才少年のはじめての挫折は、登ること叶わぬ巨壁であった。
試合見学として座に訪れた貴族がいた。名を、クロエ・シルウィア・エル・オスキュリア。オスキュリア家の長年の夢であった、神童その人であった。
オスキュリア家は玉の後継者に優れた護衛を望んでおり、優秀な成績を残した五名に士官の打診を行った。が、まだ幼かったクロエ御令嬢は、
「ボクも戦ってみたい」
と言い出したのである。まだ十を越えたばかりの少女の我儘を諌めることは家人たちもできず、結果、絶対に怪我を負わせないよう言いつけられ、ベップは対峙することになった。
――所詮、お偉方のお遊びだ。
という感情が、当時のベップには渦巻いていた。相手には鍛えた跡もなく、運動神経も大したことはないように窺えたのである。大魔法は禁じられているから、勝敗は簡単な魔法と剣術のみに絞られている。少なくともそんな侮りがあった。
勝負は、一瞬だった。
気づいた時には地面を這いつくばっていた。多数の剣士が顕現して、瞬く間に叩き伏せられたのだ。それがはじめて見る召喚師という名の怪物の姿であった。
後日。師範は召喚師とまともに遣り合う愚についてベップに説いたが、彼の心中にあったのは剣への失望心だけであった。
すべてがくだらなく思えたのである。幼心ながら、己が届かぬ場所をまざまざと見せつけられたのだ。古来から、真に成長した召喚師に勝つのはほぼ不可能であると言われているが、それを体験したとき、鮮烈なまでに現実を知ったのだ。
さらに時が経って、残ったのは諦めだけであった。
聡すぎるというのも考えもので、彼には叶わぬと知りながら愚直に向かってゆく、という思考はほとほとなかった。
熱意は徐々に失われていった。最初は学問である。両親と同じように改革論を説くような物には一切身が入らなくなった。それは広がり、最終的には剣技と基礎学以外はほとんど空耳状態が続いた。代わりに、金のある連中と連んで博打や女に時間を注ぎ込んだ。
虚しい感覚を慰める、そんな時間が己の血となり、肉となっていったのである。
それでも剣技だけはやめられなかった。未だ道場内で一番の腕であったから、剣だけなら、というくだらないプライドだけは捨てられなかった。
それを打ち砕いたのは、再び、敵わぬ天才の存在だった。
士官学校上級課程の試験において、クナルの腕前を見た。その光景を見た者は少ない。しかも一瞬の出来事である。中には信じられぬという馬鹿もいたが、騙される筈がなかった。雄々しく剣を掲げる様は嫉妬すら浮かばぬ、天才の名に相応しい姿だった。
それを見たとき嫉妬や悔しさは微塵もなく、ただどうでもいい、という感情だけが湧いていた。
試験内容はまるで記憶にない。上科、悪くて壱科という師範の予想を裏切って、参科に補欠合格したとき、親に何時間詰られても何も感じなかった。士官学校に入ってからは、楽にやれればいい、それだけしか考えてなかった。
だから、なおさら理解できなかった。
どうしようもない、意味のない戦いに身を投じようとしている男を見て、ベップの中で言語化できない恐怖のような感情がみるみるうちに沸きたった。
所詮平民に過ぎぬのに、身に余る計画をしている男。
才気をまるで感じないと思っていた男。
ベップの目には、遠い昔に諦めたはずの、理解できぬ根源にすら思えたのだ。
「冗談だろ。そもそもアンヘル程度の腕でどうするつもりなんだ」
ベップは手をばたつかせながら、尋常ではない宣言をした男へ反論する。
「その意見には一理ある。だが、命あっての物種だろう。それにこの時勢だ。いくらヴィエントさまを見捨てたからとはいえ、瑕疵を問われるのはシュタール派閥らだろう」
もっとも、ベップ自身代償は支払わなければならないとは思っている。そんなことを考えていないのは呑気な奴くらいで、大半がお咎めなしだとは思っていまい。
「許容できないんだ」
それを、アンヘルは鼻で笑った。
「なに?」
「今回の失敗が些細な欠損にならないんだよ」
アンヘルはクナルだけを見ている。彼にとって、説得する相手はまず第一にクナルなのだろう。反論をまじめに受け取ってもらえなかったベップは相手をねめつける。
「なにが言いたいのだ?」
クナルが話を引き継いだ。
「あの男がどういう意図を持って僕らを遣わしたかなんて知らない。でも、ここで失望されるわけにはいかない」
「あの男に従うと言いたいのか?」
「そんなわけがない。けど、オスカル教官、テリュスさん、イズナという犠牲を払って、何の報酬も得ず帰るわけにはいかないんだ」
あまりの迫力に、ハーヴィーすら黙り込んでいる。
「分かっているのか。今回は火山龍の一件とは訳が違うぞ」
「関係ない。君こそここで退けるの?」
「ふん。知ったような口を聞くな」
クナルは一人渇いた笑い声をあげると、すっと立ち上がった。
「なにが要る?」
「露払い」
アンヘルは間髪入れずに答えた。クナルも想定していたのか考え込むことなく二方を指さした。
「こいつらは使える。だが四人だぞ」
といいながら、クナルはベップとアルバを見た。アンヘルは、さらに人員を追加した。
「スキピオさま、あなたにも協力していただきます」
ハーヴィーは戸惑ったままだったが、渋々頷いた。もしかしたら、たった一人で特攻するつもりだったのかもしれない。
アンヘルは満足そうに頷いた。
「一人足りないけど、足手まといが居るよりはいいよね」
「で、あろうな」
もうすでに話は固まりかけている。このまま進行させては、望まぬ大将特攻の一員にさせられかねない。ベップは介入するため声を上げようとするが、伸ばした手は空をきった。
「自分は、むり」
と、アルバが先んじて反論したのである。全員の眼が彼女を見る。
「それは貴方の事情。関係ない」
「貴様っ」と吠えたハーヴィー。それを落ち着いた声で止めたアンヘルは、笑顔のままゆっくりと近寄っていった。
その姿に一歩二歩と下がるアルバ。いつもは平然としているアルバだが、アンヘルの変わりようには戸惑っている様子だった。
「そうだね。確かに、関係ない」
不気味な声だ。
だが、アルバも決して頷こうとはしなかった。魔軍、それも邪龍が絡むような軍勢である。大将特攻を仕掛けるなど、正気の沙汰ではない。
「どんな報酬なら賛成してくれる?」
「むり」
アルバはにべもない返答をしたあと、
「自殺なら勝手にやって」
と気丈かつ辛辣なまでに云い切った。常識的な反応ともいえる。少なくとも、意見をはっきり言えるというのは美徳といえるだろう。
その態度を嘲笑うように、アンヘルは凶行に走った。
「なら君自身のことにしてあげるよ」
アンヘルは逆手で剣を引き抜くと、同時に右手でアルバの胸ぐらを掴み上げた。そしてそのまま木箱の上に叩きつけ、刀身の根本を喉元に突きつけた。
「おいっ、アンヘル、おまえ何を!」
「こっちは構ってる暇がないんだ」
アンヘルは戦友に向けるには殺伐としすぎた雰囲気を隠さず、アルバの額に寄せて正面から睨んだ。
「もう一度聞くよ。協力するか、否か」
「……得がない」
アルバが震える声で返答する。アンヘルは微笑みすら浮かべていた。
「あるよ。従えば首が繋がっていられる」
怯えを堪えているのがハッキリわかる。ベップは額から流れる汗に戦慄を隠せなかった。
「どうせ、ハッタリ」
「なら試してみる?」
ベップには、その態度が真嘘偽りには見えなかった。本当に仲間すら叩き切りそうな剣呑さである。
「十数える。その間に決めて」
というと、本当に数を数え始めた。
一、二、三。
折れたのは、五を越える前だった。アルバは震えた声で「わかった」と小声で承認した。その額には栗粒大の汗が浮かんでいた。
アンヘルはそれを無感情に見つめながら剣を腰に戻すと、同じようにベップへ尋ねた。選択肢は、一つしか残されていなかった。
「貴様も、立派な戦士だな」
「君ほど外道じゃない」
「いいや、同じよ。仲間を見殺しにできるとき、真の戦士となる。我が一族の伝統よ」
「いやな伝統だね」
アンヘルという名の知らない男が悲しそうに笑った。
「臨時小隊、結成だ」
帝国暦314年。偉大なる召喚師と苛烈な剣士を双頭とした鮮烈無比な小隊の雛形は、晩秋の寒空の下誕生した。