「あの女。まさかあんな身体でも力を出せるとは驚きです」
その声は、地の底から響く悪魔の囀りのように洞窟内を反響して、闇の中へと広がっていった。壁に設られた蝋燭の仄かな香りが、男の醜く肥えた樽腹をわずかに照らしている。
身体は木乃伊のように包帯が巻かれており、血が大量に滲んでいる。眼球は潰れ、激戦地帰りの古兵以上に満身創痍な姿だったが、口元には満足そうな微笑みが浮かんでいた。
「でもカオス様、嬉しそうに見えます」
「そうですかね」
狭い洞窟で傷だらけの男には似合わぬ哄笑をあげると、満足そうにぼりぼりと髭をこじった。
傅く多数の影が周囲に控えている。どれもみな一様に人とは思えぬ出で立ちで、邪悪極まりない笑みを浮かべていた。男はその集団をじっくり見据え、自らの陣容に対し満足そうに顎を引いた。
「運搬はどの程度終了していますか?」
「三割ほどです。ですが重要な人材と機材はすでに運び終えました」
「結構。信徒以外の村人はどうなりましたか?」
「ほとんど信徒が殺しましたが、一人候補生とともに行動を共にしており、逃しました。ただ、その男は密造にまったく関与していないので、情報漏れは警戒する必要がないでしょう」
「ふむ、あの数ですから。一匹くらいは仕方ありませんね」
足元の肉付き骨を取り出して大口でパクりと丸呑みした。さらに腹を満たすため、爪を尖らせて頭部を捻り切ると、ギョロリと張り出した目玉の部分から一気にバリバリと頬張りはじめる。ぴしゃぴしゃと滝のように血流が流れ落ち、身体を伝って辺りを血染めにした。
血特有のむせるような鉄の匂いが漂う。跪きながら控えている一匹の夢魔が、うっと鼻を抑えた。
「初い仕草ですねぇ」
ふっと男が微笑むと、その夢魔を手招きした。パンパンと毛が縮れている醜い太腿に導くと、座らせる。男の大柄な身体に女の矮躯が包まれた。
「ええぇ、またその女なんですかぁ」
「やめなさい――躾がなっておらず申し訳ありません。カオスさま」
「構いませんよ。そうですね、サキには明日に頼みましょうか」
「ええっ! 本当ですか、カオスさま。やったぁ、私、ちゃんと身を清めて待ってますから」
「サキには運送部隊統括という仕事が……」
一人の夢魔が困り顔で頬に手をやる。
「やめてください。あの方から任された大役を、些細な亀裂から失敗させるワケにはいきません。明日はマリサに交代させればいいでしょう」
「へへぇ、やったぁ」
ガッツポーズして女は飛び上がった。それを冷たい目で見据える金髪灼眼の女。どの女の背後にも醜い骨張った翼が広がっていた。
「そう拗ねないでください、レイナ。君には明後日に頼みましょう」
「そういうわけでは」
「嘘つきぃ、顔がニヤけてますけど?」
レイナと呼ばれた女は、サキと呼ばれた女に拳骨を落とした。涙目の女が頭を抱えて蹲る。男は腕の中の豊さに手を這わせ微かに感じる拒否感に中心を起立させた。
「それで、反撃の対策は十分ですか?」
「もっちろんです。こいつらが居れば、大抵なんとかなりますしぃ」
サキ、と呼ばれた女は、近くにあった二体の鋼鉄を叩いた。まったく微動だにしない身体は冷たい。魂を持たない古代の兵器の姿である。
「授かった貴重な兵器ですが、村の防衛の為には惜しんではいけませんよ」
黙って頭を下げる夢魔たち。今回の任務が教団にとってどれほど重要なことかを理解している者たちだからこそ、鋭い緊張が走った。
教団の収入源ロヴィニ村。その移転計画中降って湧いたヴィエント、リエガーという大物狩りの機会は、教団幹部であるカオスにも早々訪れない千載一遇のチャンスである。こうやって、変身魔法を使って醜いルイスという男の皮を被っているのだ。失敗は許されなかった。
「リエガーはサキの房中術で瀕死。ヴィエントもあの規模の戦略魔法を行使すれば、持って三日。それでは解呪師に処置してもらうどころか、会いに行くことすらできないでしょう」
男は自らの身体を見やりながら、そういった。
身体が回復するまで一日ほどか。それまでの期間、村を守り通せば当初の移転計画に継いで、帝国の怨敵である貴族を二匹も斃すことができる。
しかも、ターゲットとなる二人はすでに瀕死で、「邪竜の烙印」のデメリット、呪返しの可能性は極めて低い。最初は期間内に仕留め損ねる確率を考えて実行には躊躇したものだったが、結果として判断は正しかったようだ、と首肯した。
「ガードの固かった五大貴族が遂に崩れる。しかも、ヴィエントは次期家長という立場です。あと数日、絶対に気を抜かないように」
会議の幕が降りると、男は負傷した身体を引きずって奥間に引っ込む。
その去り際、部下たちの話し声が聞こえてきた。
「あの裏切り者の龍理使い、私にやらせてくださいよぉ。あ、それか、逃した情報源でもいいですよ」
「そういえば、召喚師の存在がありましたね。ですが、サキ。あなたには任せられません」
「ええぇ、なんで」
「もっと楽な方法があるからです。そうですね、マリサ。あなたも耳をかしなさい……」
ふふふ、ふふふ。そんな歪な笑い声を聞きながら、己が主人であるあの方に報告すべく、男は筆を取った。
§ § §
決戦の日になった。
まだ夜は明けていない。シンと静まり返った世界をアンヘルたちは駆ける。沈んでゆく月を眺めながら、腰もとの剣柄を確認した。上着の下には、編みこみの鎖帷子、ブーツの底には仕込み用の鉄板。制服には血の洗い残しが紋様のように残っていた。
背後には臨時小隊を組みクナルたちの姿がみえる。彼を除けば皆一様に緊張した面持ちだ。中でも、ハーヴィーの気合の入れようといったら尋常のものではなく、顔に傷でも付けられたような皺が深く刻まれていた。
アンヘルは、木陰を隠れるようにして走りながら、そっと最後の忠告について思いを馳せていた。
――あなたの提案は理解できました。ハーヴィーの諫言もありますし、なにより撤退戦の功労者として、その意見を尊重します。
――待つのは、二日。それ以降は、オウル候補生の提案を受けるになるでしょう。それまでに成功しなければ、死んだものと看做します。
――ですが、勝算はあるのですか。奉仕を受ける側が言ってはならぬのですが、アンヘルさまの実力では、唯の自殺志願者にしか思えません。
突き抜ける冷たい風がアンヘルに囁く。本当に、お前に勝てるのか、と。
ハッキリ言って、コンディションは最悪である。夢魔に斬られた傷は未だ癒えないし、大して眠れもしていないから、頭の中はぼやっとボケている。
そして、勝算などこれっぽっちもなかった。結局あの邪龍について勝ちの目など見通せないし、その他にも敵が立ちはだかるだろう。大将特攻とは、戦時劣勢下で最後っ屁として破れかぶれに敢行する手段で、こんな素人集団がやっていいことではない。
広範囲に広がる敵軍を潜り抜け、敵本陣の守りへ特攻し、相手の大将首だけを狙う。敵軍をやり過ごせるかもわからず、大将が見つかるかもわからず、そして、倒せるかもわからない。隠密、発見、打倒という三つの関門が立ちはだかるくせに、打ち倒した後のことなど一切考慮していないから、待っているのは敵陣のど真ん中で孤立した馬鹿のいっちょ上がりだ。死んで元々、大将首を獲って玉砕すれば御の字だろう。
だが、それでも勝ってみせる。
それが勝つためにすべてを捧げた自分ができる、唯一の贖罪と信じて。
それからともなくして、草原を抜け、ロヴィニ村の外縁部に到達していた。小高い丘に寝そべりながら、村内の敵影を確認する。篝火は伺えるものの、それが逆に確認を困難とする。遠望から眺めても敵影は確認できない。暗闇に紛れているのか、それとも警戒が浅いのか。一度立ち止まり、方策を練り始めた。
「そろそろ日が昇るぞ。そうなれば、我らは多数に囲まれる可能性がある」
「わかってる。スキピオさま。地理に関しては信頼しても?」
「冒険者あがりが私に指図するな――スキピオ家は代々風の法を得意とし、風水や地理を読む術に長けている。問題はない」
「……ヴィエントさまの御身が懸かっているのです。下らない啀み合いはよしませんか?」
「黙れ! 貴様と馴れ合うなど有り得ぬ!」
唾を飛ばしながらハーヴィーが怒鳴る。これは、無理やり連れてきたベップ、アルバも同じだろう。所詮、強制された兵士など露払いぐらいにしか役に立たない。唯一信頼できる剣鍔を一人叩いた。
「ですがスキピオさま」
じろりと炯眼が向けられる。彼を煽り立てると知っていても、忠告しておかなければならない。これから挑むのは超常の相手。ミスの要因はなるたけ減らしておきたい。
(責罰されてもなお忠孝を尽す人物こそ、真の忠臣孝子である、か)
無論、杞憂な可能性も高い。
アンヘルは彼の義手を眺めた。彼の忠誠心は、その右肩あたりから先を金属の魔道具に変えられたところで目減りしていない。今回も主人の不興を買って挑んでいることを、直前の讒言で見聞きしていた。
「作戦中は我々にしたがっていただきます」
言われるまでもない、とばかりに首肯するハーヴィー。アンヘルは立ち上がりながら揺れる芝を引き千切り、文字を書けるよう土を穿りだした。
「作戦を説明します」
鞘で地面に文字を書き始める。アンヘルとクナルを頂点に置き、他の三名を周囲に配置した布陣である。
アルバとベップも覗き込んでくる。月光で薄く照らされた地上絵に数人が覗き込む。クナルは当然の無視だが。
「スキピオさま、あなたにはベップらと一緒になって、後背を守っていただきたいのです。本丸は僕とクナルで相手をします」
「……」
「以上です。では、いきましょう」
足で描いた布陣をかき消すと、先へ進もうとする。それを誰かが後ろから襟首を掴んで止めた。喉が一瞬つまる。
「ちょっと待て。なんだこの作戦は」
「ふ、不明な点でも有りましたか」
ケホケホ咳き込みながら、いった。
「貴様はバカか。一応黙って聞いてやったが、これは作戦ではなくただの現状報告にすぎぬ――もしや、いつもこんな戦い方をしているのではあるまいな」
じろりとハーヴィーが白い目を向けた。クナルがバカにしたように嘲笑を浮かべる。
「馬鹿がカッコつけて作戦など立てるな。我らには突撃か撤退しかない」
「馬鹿っ、馬鹿ってなんだよ」
「いや、アンヘル。これを見て馬鹿以外の感想は思い浮かばないぞ。というか、本当に候補生か?」
ベップ以下が呆れた顔を見せた。顔に血があがって真っ赤になる。
恥ずかしさから「うるさい」という言い訳をして、先に進んだ。
昼間であっても凍てつく風の染みだす季節である。闇夜の中であわい月光に照らされる村々を見るだけで、迫り来る朝の寒さが制服を通して全身を苛んだ。背後の連峰の奥に、空に溶けるような陽光が滲みつつある。先々日に降った夜雨の影響か、泥濘んだ畦道に足を取られ、すこしばかり顔をしかめた。
「敵の気配だ。開戦と行こうではないか」
パンパンとクナルが旅塵を落としながら、背中の大曲刀を抜いた。各々が勝手に抜刀する。見渡せる距離には敵影はないが、魔の者特有の気配はひりひり来ていた。
「行くよ!」
アンヘルたちは、隠密モードだった姿勢を変更して一気に村の中央へ走り出した。同じくして、強化術の発露を感じた魔物たちがわらわらと湧く。
「おい、アンヘル。やっぱり、潜んでやがったぞ」
「前方だけに集中。他は無視して」
「貴様に指図されずとも!」
豪雷に似た音と共に、騎士の動きが素早く滑る。やはり、護衛筆頭に返り咲いた実力は際立っており、たった一薙で数匹の小鬼を膾に変えた。
寝ぼけ眼だった敵兵の目が据わる。彼らの目にあった侮りが掻き消え、血相を変えて、わーきゃーと姦しく喚き出した。
「ぐぎゃぎゃぎゃぎゃ」
「ザボゾロバ、ゴパシダ」
「ボグゾ、ジョデ、ボグゾ、ジョデ」
敵の魔物集団は、尋常一様なものいいで咎め立てはじめた。その粗末な衣服からは、隠しきれない死臭が漂っている。彼らは残らず人類の敵であることは明白であった。
「……仲間、呼ぶ」
「どうしてわかるのっ?」
「……知ってるから」
クナルは無言で答えてみせた。増援を呼ばれては突破できぬという判断である。無造作に敵集団のど真ん中に突っ込むと、大剣を剛っと振るった。
鈍く輝くその刃は、アンヘルたちに見えるように血潮を撒き散らしながら、小鬼たちの脳髄を真正面から断ち切った。
「邪龍までの良い肩慣らしよ」
機嫌良さそうに鼻を鳴らすと、損傷した小鬼の胴体を蹴り飛ばし、ドミノ倒しになった軍団へ飛びかかる。数メートルは悠に宙を舞った男は、重力に沿ってその鉄の塊を振り下ろす。一塊になっていた敵から、噴水のように血が吹き上がり、ばらばらと地面へ腕を投げ出して力を失った。
「力を使い果たさないでよ」
「野暮な心配よ」
即座に転進してきたクナルはどこ吹く風である。唖然とするベップを他所に、脂の乗った刀身を払うと、眼前に現れた大鬼の頭蓋へ手刀を突き入れた。
そのまま地面を引きずる大男には愉悦に染まった笑みがある。この男にかかれば、人喰い大鬼など赤子のようなものだ。あっという間に破られる上顎。相手は、吐瀉物のように脳味噌を引き摺り出され、無惨な頭部が地面へ晒された。
「くそ、無限に湧いてくるぞ」
ベップが苦言を述べながら、眼窩を刀身で撃ち抜いた。
「こんな雑魚どもに構っている暇はないぞ。邪龍は何処に居る」
「スキピオさま。この密度、当初の予定である代官館には居ません。西になにが有ります?」
「何もない。いや、教会があるから大広場があるはずだ」
「全員西進!」
アンヘルの掛け声と共に、より密度の高まる陣営へと足を向ける。敵兵を斬りながら駆けていると、大きな橋に差し掛かった。走り抜けてから、叫ぶ。
「クナル!」
「言われずともわかっている」
大曲刀を振り回すと、石造のアーチ橋を欄干ごと叩き切り、背後で追撃していた魔物たちを叩き落とした。川の流れに魔物たちが流されてゆく。とはいっても、大して深くない川だから、時間が経てばすぐに追ってくるだろう。
第一関門の敵陣突破は闇夜に紛れたのもあって、なんとか無傷で切り抜けた形になる。いったん立ち止まって、そっと息を吐いた。
「よし。よし。いける! いけるぞ! 後は、邪龍の討伐を残すのみだ。やります、ルトリシアさま。騎士スキピオはやりますぞ」
「……早く行く」
敵の包囲をくぐり抜けたアンヘルたちは、その中央にある教会へたどり着いていた。今まで敵が溢れていたというのに、まったく敵影が見えない。
一番最初にクナルが立ち止まった。続いてアルバ。二人はじっと教会を凝視している。
「どうやら、此処が当たりのようだな」
クナルの言葉に、アンヘルは教会へ瞳を動かした。東方造の瓦が印象的な建造物である。全員が息を飲んで待っていると、重々しい鉄扉がギィィと摩擦音を立てて開かれた。
「あれは……」
アンヘルは、静かに相手の姿を認めた。知っている顔もある。ミゲルを襲っていた夢魔や右わき腹をブチ抜いた夢魔だ。その背後には動く機械人形の姿もあった。
「夢魔――」
ベップの息を飲む音が此処まで響いてきた。美しく、そして、酷薄な表情である。人理を超えた、魔の者の妖しい容貌であった。
「ご登場ですね。愚かな人間ども」
「あっー、あの男。私の言ってた裏切り者ですよ。ほら、やっぱり来るっていっじゃないですか」
「喚きすぎです、サキ。歓迎していないとはいえ、一応の御客人。礼節は弁えなさい」
中央に立つ金髪紅眼三姉妹の中央、その女がゆっくりと頭を下げた。
「ようこそおいでくださいました。とはいっても、招かれざる客で御座いますが。わたくしはレイナと申します。我々のおもてなしを存分に」
そう言った女は、目鼻がキリッとしており、一番年上の印象を受ける。目元には泣きぼくろがあり、大人らしい艶冶な美しさがあった。
「はいはーい。私はサキでーす。あの茶髪野郎は私が達磨にして飼ってやりますから、触らないでくださいよぉ」
こちらはアンヘルがミゲル救出の際に遭遇した夢魔である。金髪紅眼は同じだが、背丈は他二人に比べれば小さく、プロポーションも抜群からは程遠い。小柄な可愛らしさと、小悪魔的な悪辣さが同居していた。
「……」
最後。無言のままこちらを見ているのはルイス代官の妻のマリサである。能面そのものの無表情だが、三人の中でもっとも整った容姿を持ち、その儚さは深窓の令嬢を思わせる姿だった。
三者三様の挨拶を見届けてから、アンヘルは一歩進み出た。
「邪龍はどこですか」
「カオスさまに会おうなど、考えぬことです。それよりも、今は我々に集中しなさい」
「貴様ら雑魚に興味はない」
クナルがぶっきらぼうにいった。この物言いには、相手方も態度を変えた。
「邪龍を出せ。それとも聞き出してもらいたいのか?」
クナルが一歩踏み出そうとした――
その直後である。まったく別の大広間に繋がる路地から、一人の男が駆けてきた。服はボロボロで薄く血が滲んでいる。頬は痩け、眠っていないのか濃い隈が浮かんでいた。
「ま、マリサ!」
戦時下の雰囲気には似合わぬ逼迫した声が響いた。それはどこか、”シェイクスピア”の悲劇「ロミオとジュリエット」のバルコニーで愛を叫ぶ姿におもえた。
その姿を認めて、アンヘルの脳裏に形成された杜撰な計画が、がらがらと崩れ去る感覚を覚えていた。酷く喉が渇く。乾いた唇がひび割れて、ピリピリとした痛みを神経に訴る。頭痛や苦悩が蘇ってくるようであった。
(どうして、ホアンが)
彼の目に映っているのは、マリサと呼ばれた女だけであった。
「ホアン、さん」
マリサと呼ばれた女は俯いたまま、そっと男の名を呼んだ。あれほど能面のようだった表情が一、点沈痛な面持ちである。死していた瞳に生気が吹き込まれる代わりに、パンドラの箱の最悪を抱え込んでしまったような、そんな印象を受けた。
「あははっ、まぁた来たんですか。あんなにこっぴどく振られたっていうのに、結構なことですねぇ」
サキと呼ばれた女がクスクスと嘲る。拭いきれない人類への蔑視が滲出していた。
ホアンはそこで漸く他人の姿に気がついたようだった。最初アンヘルたちの姿に面食らいながらも、頭の中からその情報をこそぎ落としたように切り替え、一歩踏み出した。
「マリサ頼む。もう一度だけ、もう一度だけチャンスをくれないか。俺はあんな酷いことを口走っちまった。けど本心じゃない。おれは本当はマリサと……」
「あぁもう。なんですかこの茶番は。はいはい終わり終わり。恋愛脳なんか引っ込んでてください」
「マリサ。黙ってないでなにか言ってくれ。なあ、俺にはわかるんだ。たしかに君は俺を騙した。けど、それは、きっと本心なんかじゃないって。君が語ってくれた村の外の憧れは嘘じゃない。そう思うんだ」
「うるっさい! ちょっとアンタ。あんな奴さっさと始末しなさいよ。あの下心塗れの薄っぺらいポエム聴いてると、こっちまで吐きそうです」
「……」
問われた女は、ずっと黙り込んでいる。見かねたレイナは助け舟を出した。
「マリサ、よい機会です。計画したアレ、貴方が実行なさい」
「……」
「聞いているのですか、マリサ」
「……承知、しました」
「マリサ、待ってくれ!」
マリサは身を翻すと、さっと去っていった。ホアンはそれを追って駆けだす。
緊張の糸が切れたようにどこか白けている戦場。クナルは顎で去っていった二人の方角を差しながら、ぶっきらぼうにいった。
「貴様が追え」
「……どうして、そんなことを僕が?」
「適任だからだ」
クナルはじっと敵を見据えて、つまらなそうな表情を浮かべた。
「こいつらは幹部だ。誰かが邪龍の居場所を知っているだろう。貴様はあの女から情報を聞き出してこい」
「でも」
「貴様が今作戦を企画したのだ。貴様が壊すつもりか?」
それを問われて黙り込むしかなかった。ベップやアルバたちがこちらを見据える。彼らは、アンヘルが無理矢理ここへ連れてきたのだ。にもかかわらず、過去の遺恨如きで台無しにされれば、地獄でも祟られることになるだろう。
悩みは一瞬である。それでも酷い懊悩に遭ったが、足に力を込めて進んだ。
「こっちは任せたよ」
アンヘルはあの男を追って駆け出した。背後からは、汗の飛び出るような鬼気が溢れている。だというのに、脳裏に過るのはマカレナを通した確執だけであった。
(また、やり合うのかな)
やけに肌がピリつく。それは、過去の遺産を精算せねばならぬ時が来たのだ、と思えた。
「ふふふ。わたくしたちが、どうしてあの男を追わぬか不思議ではありませんか」
チロチロと舌を出したレイナは、豊な金髪を右手で梳きながら白い八重歯をチラリとみせて笑った。その犬歯はやけに艶やかである。どこか吸血鬼を思わせる奇怪さであった。
「どういう意味だ」
騎士ハーヴィーが鸚鵡返しに尋ねると、サキという女が口の端を歪めて嘲笑を浮かべた。
「バッカですねぇ。あっちには罠が盛りだくさん。小さい路地に魔物が湧き湧き。あぁあ、飼ってやろうと思っていたのに魔物の餌ですねぇ」
「なっ!」
ベップは息を呑んだ。ハーヴィーも苦い顔をしている。あれだけ嫌っていた人間でも、戦力減少は避けたいということなのだろうか。
レイナは右手を掲げると、正面に構える候補生たちを指し示した。同じくして背後に控えていた機械人形たちの頭部に光が宿る。戦闘モードへ移行した合図なのか、ギランと目が煌き、重々しく前進を始めた。
「悲しむことはありません。無残な死を彼らは迎えることになりますが、あなた方もすぐに送って差し上げます。さあ、誰からお相手致しますか?」
無機質な、感情を感じさせない威容を伴って進みでる機械人形二体。鋼鉄製の槍を光らせると、不快な圧迫感が分厚い壁のように空気ごとジリジリ迫ってくる錯覚を覚えた。
不安そうにしているベップを見て、クナルは一瞬うんざりした。やはりあの間抜け以外と組むとやる気が下がるな、と呟く。
「貴様らは、わかっていないな」
相手の圧力を跳ね除けるように、クナルは闘気を噴出させた。その場の空気を塗り替える強烈な闘気である。
「あの馬鹿は集団になると考えすぎて自滅する。一人放り込んだほうがいい」
それに、と続けながら大曲刀をぐるぐると旋回させ、正眼に構えた。
「我々の目的は邪龍よ。貴様ら前哨戦など、暇つぶしにすぎん。御託はいいからさっさとかかってこい、雑魚どもが」
いわずと知れた、オスゼリアス第二一三回士官候補生の豪傑にして、個人戦闘能力においては並ぶ者なしと冠される怪物ユーバンク・アーバスノット・タフリン・クナル。
敵は、クナルから噴出した尋常ならざる闘気を浴びると、それぞれが同時に地面を蹴って、風のような速さで飛び出した。