イセカイ&ドラゴンズ   作:原田孝之

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第五章:水のダンジョン
就活編第一話:頑張れソニアちゃん


 ――今日、私は珍しいものを見ているのかもしれない。

 

 祭壇に続く道。傍には長椅子がいくつも櫛比していて、がらんとして汚れ一つない乳白色の石畳は、高い窓から射し入る陽の光がステンドグラスの加減で鮮やかに彩られている。その中央、白と黒の飾り気ない僧服の男が神を模った彫像をながめていた。

 

 美しいが、長居したい場所ではない。主人の仕事場兼私室は教会でありながら葬儀場のような雰囲気漂い、荘厳さよりも悲壮さが重苦しい。そんな場所。

 

 しかし、今日ばかりはそんな感傷も吹き飛ぶ。

 

 帝都のミスラス教総本山、その教会にてドミティオス大神祇官麾下の私設部隊神聖七騎士第六位の召喚師アグリッサは、珍しい表情を浮かべる主人を見ながらローブの下の見えないところで拳を震わせていた。

 

「本当に危なかった、一歩間違えば水泡に帰すところだったよ」

 

 ドミティオスが背を向けたまま呟いた。

 

 アグリッサからはその表情は伺えない。しかし、首筋に流れている冷や汗から安堵しているのはわかる。主人は頭を振ったり手をこね回したりと、忙しなかった。

 

 ――本当に珍しい。

 

 ふと口元が緩む。見つかれば揶揄われるため前髪で顔全体を隠すように俯いた。

 

 主人ドミティオスが胸を撫で下ろしているのは、諜報戦を専門とする神聖七騎士序列七位、隻腕の騎士から齎された情報にあった。

 

 オスゼリアス士官学校第二回生遠征演習。その遠征に及んでいた中隊からバアル教団の資金源であるサイレール製造工場が発見され、さらに橋頭堡と目されるロヴィニ村の支配者邪竜の討伐の一報が入ったのである。

 

 簡潔に告げる伝令に対し、最初の邪竜討伐までは微笑気味の驚きを表していたが、邪竜の烙印、サイレール製造の産業の巨大さ、そしてヴィエントやリエガーら五大貴族の子息たちが死に瀕したという報を受けるといつもの微笑は崩れ去ることとなった。

 

 さすがの主人も寝耳に水、ということなのだろうか。時折髪を撫でつけている様がいつになく慌ただしい。

 

「君は驚かないのかい?」

 

「邪竜が出てくるのは、珍しいですが」

 

 アグリッサにとって思考は不得手である。そもそも駒に求められるのは確実に仕事をこなすことだ。一手一手の意味など思案するだけ時間のロスというものである。

 

 そんな意識を声色から読んだのか、上半身だけを捻りながら主人が振り向く。

 

「今回の事件で大事なのは、邪竜の烙印のほうだ」

 

「邪竜の烙印、ですか?」

 

「教団はこれまで多数の事件を起こしてきたが、貴族を直接狙った例は大昔にまで遡らないといけない」

 

 主人はゆっくりと長椅子に腰掛けた。

 

「皇居爆破事件は皇族や貴族を狙ったものでは?」

 

「それは勘違いだね。情報を精査したが、恐らく教団は無関係だ。オスキュリア家関連の事件だろう」

 

「そうなの、ですか?」

 

 そうそう、と頷くドミティオス。すでに余裕を取り戻したのかいつもの碩学な雰囲気が戻っている。

 

(しかしそんな情報。初耳ですが――)

 

 主人はいつもの微笑みを浮かべている。相変わらずの秘密主義に内心で深いため息を吐くしかなかった。

 

「では殊勲者に賛辞を送らねばなりませんね。騎士ハーヴィーといいましたか。邪竜討伐とは、ヴィエント家も大した手駒を飼っているようですね」

 

「それは必要ないよ。多分だけど、ね」

 

 ポカンとした表情を察したのだろう。ドミティオスは立ち上がり、教鞭をとる先生のような笑みを浮かべた。

 

「カルサゴ大戦の英雄スキピオ、その血がまさかヴィエント家に流れているとは知らなかったが、今回の件はたった一人の騎士には身に余る」

 

「ですが報告では――」

 

「あくまでも発表された情報だよ。内実はわからない」

 

 ドミティオスは自分の横を素通りして教会の出口に向かった。木造の扉の隙間から光の筋が流れこんでくる。

 

「夏の調査で有力な人間は見あたらなかった。ヴィエント家の騎士ならもっと名が知れ渡っていてもおかしくない」

 

「ですが、名声を捨てるなど狂人のやることです」

 

「狂人か、云い得て妙だね」

 

 名声の価値は計り知れない。あの悪名高きバアル教団の邪竜を討伐した者となれば、その勇名はオスゼリアス中に響き渡るだろう。縁故主義の強いこの世界、名声は金以上に重要なものだともいえる。

 

「名声を捨てるのは馬鹿のやることだ。けど、例外も居るだろう?」

 

 どこか楽しそうに告げるドミティオス。

 

 その表情を見て、ふと閃きの電光が走る。アグリッサの脳裏には不憫な二人の青年が浮かび上がった。

 

「彼らのことを考えていますか?」

 

「正解。彼らだけが、今回の事件で名声を必要としないんだ。平民派の運動が高まるオスゼリアスでは佐皇派として振る舞うことは勿論、五大貴族のヴィエント家に付く事も難しいからね」

 

「それを最初から予期して……」

 

「そんなに買い被らないで欲しいな。私だって神じゃないんだ。彼らは保険に過ぎなかったんだよ?」

 

 遠征演習第一中隊の目的地が変更されたのはアグリッサもその謀略に加担したことから知っていた。

 

 折角得た総督への貸しをそんな詰まらないことに使う意味がわからなかったが、こうして結果を知ると背中が粟立つ思いである。そんなアグリッサを無視して主人は茫洋に語る。

 

「しかし、まさかロヴィニ村とはね。三分の一、いや、それ以下の確率なのに。彼らの引きには本当に参るよ」

 

「……」

 

「けれど怪我の巧妙といったところかな。そこまで働けるとなれば、此方も防御に回らなくて済む」

 

 悪戯に成功した子供のようにドミティオスはつぶやいていた。

 

 主人は相手に出し抜かれる事が極めて少ない。それはありとあらゆる可能性を排除しない思考ゆえだ。

 

 だが、それは決して無敵たり得るわけではない。

 

 身体が一つしかない以上、遠い地方の出来事では後塵を拝することがまったくないとはいえない。

 

 そして、だからこそ駒となる優秀な人間を探している。

 

 教会の扉に手を掛け、外に出てゆこうとするドミティオスの背を追った。

 

「彼らにはお礼をしないとね」

 

「望まないと思いますが、彼らは」

 

「だろうね。私は嫌われているから」

 

 ゆっくりと重々しい音を立てながら扉が開かれる。突き刺さるような陽光が差し込んできた。

 

「けど、考えはある。モノはやりようさ」

 

 ドミティオスの手には、従士の証である鞘入りの短刀が握られていた。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 ガヤガヤと混雑の音が無秩序に響いている。春先の清洌な風もこの密度の熱にあっては大した清涼感を得ることはできない。

 

 その混雑を一足早く回避した女は険悪さを伴った表情で群衆を見つめ、苛立たし気にサラダをつついていた。

 

 士官学校に内設された古い食堂。ボロ木の露出した内壁や柱は割合出自の良い候補生には不評である。今にも木くずが飛び散りそうな古びた机もそれに拍車をかけた。そこに座る彼女もその一人。旧七八エルサ班の副隊長であり、士官学校の中で上から二番目に位置する壱科ソニアの表情は苛立たし気だ。対面には同班の同僚であるエルサ、エセキエルが並んで食事を取っていた。

 

「それでソニアさん。目ぼしい小隊はありましたか?」

 

 のほほんとした声でエルサが言う。頬を膨らませて食べる様はどこか栗鼠を思わせた。

 

 しかし、癒しの動きもなんのその。ソニアはさらに眉間の皺を深くした。

 

 時節はすでに春を迎えている。深い積雪は溶け、オスゼリアスは厳冬を乗り越えた末の鷹揚さで満たされていた。というのに、箸の進んでいないソニアの心情は暗く沈んでゆくばかりである。

 

「で、でも、大丈夫ですよ。ソニアさん優秀ですからっ」

 

 エルサが不味いことを聞いたという表情をした。

 

「慰めてくれてありがとう」

 

 返答が素っ気なくなってしまうのも仕方ないだろう。実際、ソニアは結構切羽詰まっていた。

 

 士官学校では基礎課程として一、二年の間、強制的に組まれた小隊で成績を競い合うことになっている。しかし、その間の成績が卒業時に響くことはない。重要なのは、これから訪れる三回生からの試験にある。

 

 小隊演習。六体六で行われる対抗戦である。

 

 三回生からは自由な小隊編成が許可され――隊長は上科固定――一年間固定だった序列の変更を及ぼし、成績の如何によっては個人の科変動すら起こす士官学校花形の試験である。

 

 これ迄の成績は、この小隊編成を見据えたアピールタイムといえるだろう。が、ソニアはその小隊編成で大きく躓いていた。

 

「面接はどうだったんだ?」

 

「門前払いよ。エマ隊長はリカルド隊長の班に入るんですって」

 

 エセキエルに返答する。

 

 ソニアが最有力候補として考えていた第五エマ班は、序列一桁かつ女性が率いる小隊である。

 

 今与一とも呼称されるほどの腕前の彼女。上位層のラファエルらは基本的に門閥派、平民派など色を帯びているが、彼女だけはリカルドと共に無派閥である。

 

 だからと思ってソニアも応募したのだが、返答はまさかの合併。まったく例がないとはいえトップ層。上科同士が組むなど予想外の返答だった。

 

 リカルド班に立候補するのも手だが、第一位と第五位が組んだ小隊に割り込むのは難しい。そもそもなんの面識もないのだ。信頼度という点でも大きく劣る。

 

「良いわね其方は。もう決まっているんでしょう」

 

 言葉を濁しながら返答した両者。ソニアと違ってこの二人はすでに所属を決めた者たちだ。

 

 エルサは初期の希望通り、軍研究部への道を歩むため所属を移すことになっている。つまり彼女は三回生からの小隊演習には参加せず、研究と勉強漬けになることとなっていた。

 

 一方のエセキエルは、いつかの迷宮探索演習で誘われた班に席を移すことになっている。序列は六十位程度と悪くなく、また、個人としても軍議盤の腕を買われ作戦参謀への道を歩むことになっていた。

 

「あ、そうそう。ユウマちゃんもフェルミン隊長の班に決まったそうですよ」

 

「聞いたわ。今は凹むからやめて」

 

 ソニアはフォークで茄子を突き刺す。ザクリと乾いた音が鳴った。

 

「俺は知らないぞ、そんなの」

 

 新聞屋の息子として仲間内の知らない情報が気に入らないのか、エセキエルが口を尖らせる。

 

「五月蝿いわよ。それでユウマはまだ訓練しているの?」

 

「はい。あの遠征演習以来、時間があるたびずっとです」

 

 平民派の反乱主導者オウルに鎧袖一触とされた遠征演習以来、あのボンヤリしたユウマにも何か思うところがあったのか。彼女の選択としては意外な感のあるヴィエント派への立候補もそういう所から来ているのかもしれない。

 

 そういうソニアにとっても思うこと多数だったのは同意である。

 

 まったく歯が立たなかったオウル、それを正面から打ち破った召喚師ラファエル。その上、彼らの戦いが児戯に思える偉業、邪竜討伐を果たした英雄ハーヴィー。人の噂など七十五日に過ぎぬが、迷宮探索にて轟いた七八小隊の勇名など今ではないにも等しい。

 

 ソニアとて五十位以下なら引く手数多である。が、もっと努力しなければならない。あの世のユーリに失望されないためにも、もっともっと努力する。その為の一歩として上位三十位以内の班を目指す身にあっては、五十位以下など眼中にすらない。

 

「本当、どうしたものかしらね」

 

 手から力が抜けて、フォークがカランコロンと零れ落ちる。正面の気まず気な瞳に遣りきれなさを感じた。

 

 食事は残ってはいるがこのままでは空気が悪くなる一方である。食膳にフォークを片付け立ち上がろうとする。

 

「なあ、ソニア」

 

 音を立てながら椅子を引いてエセキエルが立ちあがる。

 

「なによ?」

 

「もしよかったら、なんだが……ウチに参加しないか?」

 

 どこか恥ずかし気なエセキエルが鼻の下を掻きながらそういった。

 

「何、憐れんでるの? タチ悪いわよ」

 

 ソニアの視線の温度が下がる。見据えられたエセキエルがあたふたと慌てた。

 

「そうじゃないってっ! その、お前と一緒ならうまくいくかなって。あ、ほら、お前は結構副隊長として悪くなかったっていうか。その、なんならこれからも一緒にやていきたいと……いうかさ」

 

「あぁ、そうね」

 

 気のない返事をして一瞬考え込む。

 

 予想外の反応である。喧嘩友達のような仲だったが、こう照れ臭い様子で告げられては返事もし辛い。

 

 ありがとう、などと微笑むのが淑女の嗜みだろう。しかし、そこを裏切ってゆくのがソニアスタイルである。

 

 頬杖をつきながら簡潔に告げた。

 

「貴方の事嫌いじゃないけど、そういう対象じゃないから」

 

「いっ! お、俺は、そんなつもりじゃ!」

 

「ならいいでしょ。自分のことは自分でやるわ」

 

 ズバッと轟沈、これこそソニアスタイル。パクパクと酸素を失った魚のようにエセキエルが口を動かしていた。

 

 その後、完全に崩れ落ちる。どこか侘しさを誘う背中だった。

 

「じゃ、あとはよろしくね」

 

「えっと、はい。頑張ってください」

 

 苦笑いで慰めるエルサを見ながら、食膳トレイを持って去ってゆく。

 

(まだまだ時間はある。そのはずよ)

 

 やる気が出た。ついでに撃墜数も伸ばした。

 

 たぶん、お局さまへの未来は明るい。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 そうやって三週間の時が流れた。

 

 しかし、状況は一向に改善の余地を見せてはいなかった。

 

 目ぼしい小隊にはほぼすべて声をかけ終えた。いくつか良い返事を貰えた小隊もあったが、そのどれもが現状以下の成績を残す未来しか見通せない。

 

 ソニアを勧誘してきた小隊ないではなかったが、どこも思想の色が強く危険な香りしかしない。完全にお手上げ状態だった。

 

 もはや新年度は目と鼻の先だ。三回生となれば悠長に班を選んでいる余裕もなくなるだろう。桜が散り、浮ついた空気が漂っている。街角には毎年恒例、他州からの新入生を目当てとした詐欺紛いの商売が蔓延っていた。

 

(ああ、本当にもうどうすれば良いって云うのよ!)

 

 ガンガンとアーチ橋の石畳をげしげしと踏んだ。士官学校制服で激しく地団駄を踏む女性の姿は奇異そのものだが、辛うじて人通りが少なく見過ごされる。

 

 ソニアは現在、新年度前最後の休日をたった一人街で過ごしていた。

 

 いや、過ごしているというよりはヤケのようなものだろうか。

 

 何の目的もなく街をぶらついては、時折思い出したように地面に当たるだけである。しかし、反応のない地面を相手にしていても虚しいだけだ。気づけば迷惑顔の子連れ女性が横を早足で通り過ぎていった。

 

(聞こえたわよ。見ちゃいけませんですって? 情緒教育に悪いとでもいうの)

 

 いっそ叫んでやろうかとすら思ったが、流石に人間としての尊厳を捨て去ることはできない。石ころを蹴り飛ばしただけで済ませる。

 

「ああ、もうっ。うっとおしいわね」

 

 ――久しぶりに店でも行くか。

 

 思い立ったが吉日。都合よく目当ての店にも近い。これこそ天の配剤だと思ったソニアは、直ぐに回れ右をして目的地に向かう。

 

 都合数分。目的地パティスリー・レイにたどり着く。洋菓子の老舗であり、確かな腕と黒の格式高い建築が有名な名店だ。

 

 金銭的事情や店内の混み具合から避けている店だが、幼少期の来店以来窮地には必ず訪れた店である。

 

 昼前の時間だからか、昼過ぎとは違って混み合っておらず運よくテーブル席が空いていた。

 

 店員の指示にしたがって席につこうとする。

 

 そのとき、ドタバタと慌ただしい音とともに一人の少女が来店した。

 

「あ、あの。席って空いてますっ?」

 

 

 

 

 

 突然来訪した少女はテリュスと名乗った。

 

 ブロンドに近い茶髪をポニーテールにして前髪にピンをつけている。口紅を薄く引いているぐらいの自然な化粧にもかかわらず、同性のソニアすら目を奪われる美しさだ。

 

 なにより印象的なのは、どこかチグハグな空気感を持っているのである。彼女のことをどれだけ注意深く観察しても快活や活力など動のエネルギーしか見当たらないのだが、しかし、感性の部分では神秘的で楚々とした静の印象になる。

 

 陽光に照らされる髪はどこか黄金の輝きすらあって。自然と傅いている自分と、彼女の女子然とした活力にげんなりする自分がいて、板挟みになったような気味の悪さを覚えていた。

 

「いやぁ、ありがとうございますっ。相席してもらっちゃって」

 

「……問題ないわ」

 

「助かりますっ。あ、店員さん新作二つ。ハリアップで」

 

 テリュスは店員に向かって指をしゅぴっと二本立て、高らかに宣言した。

 

 頭痛がする。ソニアは頭をおさえながら天真爛漫な彼女に追随するよう注文した。

 

 少し経って注文した紅茶が運ばれてくる。柿の渋い香りがあたりに漂う。執事のように優雅な動きで去ってゆく店員を眺めていると、手元のケーキをパクつきながらテリュスが言った。

 

「そういえばソニアさんって士官学校の候補生なんですよね?」

 

「ええ。それが何?」

 

「いえいえ、士官学校ってどんなところなのかなって思いまして。そういえば何科なんですか?」

 

 どういう意味だ、とソニアは眉尻を下げる。

 

 要領の得ない質問である。親族か誰かが士官学校に通っているのかとも思ったが、オスゼリアス在住なら会うのは難しくないだろう。

 

 まさか受験志望者だろうか。さすがに彼女のような人間を軍に入れるわけには。そんな葛藤をしていると、テリュスが不思議そうな顔をした。

 

「もしかして、兵卒教練の方だったんですか?」

 

「壱科よ。けどどうして士官学校の話を気にするの? こんなことを言うのは失礼かもしれないけれど、軍は危険と隣り合わせよ。軽い気持ちで挑むのは」

 

「あー、気持ちはありがたいんですけど」

 

 そういいながら、テリュスはカバンから封筒を一つ取り出してひらひらして見せた。

 

 見覚えのある茶封筒、緑の袋綴じ紐。それはソニアにも見覚えのあるモノだった。

 

「それはッ」

 

「そうですっ。後輩ってことになりますね」

 

 てへっという擬音すら聞こえそうな笑顔で首を傾げて見せると、封筒を仕舞う。

 

 その表情には士官候補生に相応しい厳しさなど何一つ身についていないように伺えた。

 

 気持ちが軽い。そんな印象を抱いた瞬間、気づけば身を乗り出していた。

 

「貴方ね、士官学校は遊びじゃないのよ。一歩間違えたら死ぬことだってあるわっ!」

 

「ちょ、ちょっと待ってください。店の中ですよぅ」

 

 ビックリした様子のテリュスは、キョロキョロ店内を見回して冷や汗をかいている。

 

 店内の客や店員も何事かと此方に注視していた。

 

 さすがに恥ずかしくなってストンと腰を下ろす。だが、声は落とすものの論調は変えないまま問い詰めた。

 

「遊びじゃないのよ。そんなヘラヘラした態度じゃ――」

 

「心配してくれているのはありがたいんですけど、正直こっちにも事情が有りまして。それに私、ソニアさんより強いと思いますよ?」

 

 持っていた銀フォークから手を下ろし、腕を組みながらニッと口角をあげるテリュス。

 

 舐められている。士官学校で訓練を積んだこともない小娘の勘違いにソニアはため息を吐きそうになった。

 

「吹くじゃない。剣を握り始めたばかりのお嬢さんがね」

 

 腰を浮かし、浅く座り直す。彼女も態度を変えたのがわかったのかさらに笑みを深めた。

 

「すごい迫力ですね」

 

「それがわかるのなら、完璧な素人ってわけでもなさそうね。道場にでも通っていたのかしら?」

 

 生ぬるい家庭教師からの教えのみで士官学校に入学する例は後をたたない。男なら虐めで済むが、女は後に引く事態へ繋がりかねないのだ。

 

「いえいえ、私は道場の娘ですからっ」

 

 軽く答えた少女には、そんな事情も折り込み済みのように見えた。

 

 机に向かい合うだけでも戦闘に慣れた様子が窺える。先ほどの叱責は野暮だったかと肩から力を抜いた。

 

「御免なさいね。勘違いだったわ」

 

「あれ、そうですか?」

 

 テリュスはへへぇと相好を崩した。

 

 子供かよと内心毒づくも内心の評価は上がりっぱなしだ。此方が敵対の意思をやめた瞬間合わせて力を抜いた。かなりの使い手であることは明白だ。

 

 それでも、と釘を刺すようにソニアは厳しい顔を見せる。

 

「でも大言壮語は止めたほうがいいわ。世界は広い。士官学校の訓練も受けたことがない貴方には相応しい言葉じゃないわ」

 

「あはは、確かにその通りです。って昔はそう思っていたんですけど、ね」

 

「けど、何よ」

 

 入学する前に変な勘違いは正しておくべきだ。彼女は才能ある、しかも女。同性として捨て置くのはしのびない。

 

 しかし、ソニアの鋭い眼光にも彼女は微塵も怯まなかった。むしろ、彼女の深淵のような瞳に飲み込まれる。

 

「昔は私も驕ってました。所詮、道場でしか学んでないのに私の方が強いって勘違いしてました。

 でも、不思議なんです。今は何も鍛錬してないのに――」

 

 突如、自分のティーカップから突沸のような音が響く。

 

 ほんの一瞬、目の前の少女から意識を逸らしてしまった。

 

 刹那。少女の鋭い眼光が煌めくと魔法の発動兆候を確かに感じた。

 

「――私はどんどん、強くなる」

 

 唾を飲み込むことしかできなかった。

 

 目の前に据えられた氷の刃。ソニアのティーカップから立ち上ったものが漣を打つかのようにして薄く広がり、鋭利な刃物となって凍りついた。

 

 その氷の剣を掴んだ少女は、そのまま目にも止まらぬ速度で此方の喉元に切っ先を突きつけたのだ。

 

 一歩も動けない。

 

 これが戦闘なら、殺されていた。

 

 戦慄するソニアを他所にテリュスは軽い調子で戯けてみせる。

 

「ごめんなさい。けど、やっぱり舐められるのって我慢ならないんですよ」

 

 ――只の人間になんてね。

 

 軽く言ったような、そんな言葉。けれど副声音のような声を続けて聞く。小さくウインク。似合わないはずの妖艶な仕草に色気と恐怖を感じた。

 

(この子……)

 

 化け物だ。ソニアはたった一度のやり取りで彼我の実力差を実感していた。恐らくどのような場面で遭遇したとしても敗北するだろう。絶望的なまでの壁を彼女との間に認めた。

 

 額からひんやりとした汗が流れ落ちる。身体は金縛りにあったように動かない。

 

 オウルやラファエルのような化け物が、ここにも居る。世界は広いということを逆に思い知らされた。

 

 そこでふと気づく。

 

 テリュスは氷の刃を手掴みしていたが、それは……。

 

「ねえ、私の紅茶なんだけれど」

 

「ああっ、ごめんなさぁいっ!」

 

 なんか締まらないな。ソニアは先ほどの修羅場も忘れてげんなりした。

 

 

 

 

 

 結局、テリュスがお詫びとして新たな紅茶を注文して、先ほどのやりとりはなかったことになった。

 

 普通ならこれで気まずくなるものだが、そこはやはりソニアスタイル。小隊活動の悩みもあり、逆に空気が軽くなったよう感触すらある。

 

 なにより彼女の特異性は注目に値する。二年差ならば学校内で行動を共にする可能性はあるだろう。

 

 しかし、そんな興味は早々に打ち砕かれた。

 

「さっきの魔法ですか? うーん。なんかグニャってやるとできるんですけど、わかりません?」

 

「どこで鍛えた? あんまり覚えがないんですよね」

 

「志望理由? なんとなく、ってかんじですかねぇ」

 

 大体この調子である。というか、魔法は神秘と論理の産物である。感覚で扱えるなど聞いたこともなかった。

 

 それ以外にも大抵の質問に対し明瞭な回答が返ってこない。見当違いの答えに到達したときの不可解さの残る会話が続いた。

 

「――どういうこと? 士官学校に入学した理由も言えないの?」

 

「そういうわけじゃないんですけどね」

 

 テリュスは渋面を作りながら唸る。尋ねる側の目が鋭くなるのもやむなしだろう。

 

「なんか、気づいたら志願書送ってたんですよね」

 

「意味がわからないわ。親が送ったということ?」

 

「いえいえ、送ったのはテリュスなんです。たぶん」

 

 意味がわからず、お手上げと両手を上げた。

 

「本当にわからないんですよね。気づいたら志願してて、試験受けてて。仕事も辞めてるし、強くなってるし。もしかして病気なんでしょうか?」

 

 彼女は困ったような笑みを浮かべた。

 

「大丈夫なの、それ」

 

「悪いことばっかりじゃないんですけどね。この前なんかはじめて弓を触ったのに、親族全員驚愕するくらいの腕で」

 

「どのくらいよ」

 

「あの看板ぐらいなら余裕です。端っこにある盾のイラストを撃ち抜けますっ」

 

 ソニアはそれを見た。ここから都合三百メートルはある。しかもその距離の霞んで見えないボール大の飾絵を打ち抜こうというのだ。笑えるほど異次元の実力である。

 

「ま、そんなのは良いんですけど」

 

 テリュスは気軽に頭の後ろで両腕を組みながらいった。

 

 かなり問題あるだろうとは思うのだが、本人がいいなら良いのだろう。もはや麻痺して驚かなくなってきた。

 

「ただ、困ったことがありましてね」

 

「困ったこと?」

 

 ソニアはお代わりの紅茶を飲み干した。

 

「うーん。ちょっと恥ずかしいんですけど」

 

 困ったように頬を染めるテリュス。ああでもない、こうでもないと唸る。

 

 ソニアは頬杖を突きながら反対の手に持ったスプーンで紅茶をかき混ぜた。

 

「言いたくないなら良いわよ。あんまり面白そうじゃないし」

 

「うーん、はい。決めました。言います、言いますよ――その私、実は好きな人がいるんですけど……」

 

 テリュスは頬を染めながら嫋やかにはにかんだ。

 

 やっぱりそんなことだろうと思った。ソニアはこっそり嘆息しながら、一応の礼儀で先を促した。

 

「けど、ですね」

 

「どうしたの?」

 

「最近変なんですよねぇ」

 

 一転して寂しげな表情を浮かべるテリュス。急激なテンションの変わり方に混乱する。

 

「何が変なのよ」

 

「昔は、なんか良いなぁって感じだったんですけど――」

 

 一度言葉を区切ると、テリュスの眦が寂しそうに下がる。

 

「今はなんでも叶えてあげたい、って思うんですよね」

 

 寂しさが多量に含有された眼差し。普通なら甘ったるくて聞いていられない台詞な筈だが、アガペーのような決して交わることのない壁が存在しているように思えた。

 

 意外な結論にうまい返しが浮かばなかった。

 

「あんまり、私らしくないと思うんですけどねぇ。こういう重いの」

 

 

 

 § § §

 

 

 

 後の話は弾まなかった。ちょうど店内が混みだしたということもあり、偶然の出会いはそこで終了を告げた。

 

 それにしても、とソニアは昨日のことを思い浮かべる。

 

(あれくらいの年頃で、あのレベルに到達できるなんて)

 

 色々不可思議な少女だった。

 

 志願動機、能力、心情すら謎の少女。密偵を疑ってしまいそうな不可解さだが、あの容姿では目立ってしょうがないだろう。意味がわからないとしか言いようがない。

 

 結ばれた街角の奇縁。ただ、それだけ。

 

 流してしまうような、そんな一日に過ぎない。

 

 しかし、彼女と会ったことでソニアの中にも確固たる決意が生まれようとしていた。

 

 流々転々。物事は常に移り変わり続ける。

 

 最下級生として常に同級を出し抜こうとする時は終わった。基礎課程も終了し、三年度からは小隊演習も開始する。テリュスのような実力を持った下級生たちも此方を追い越さんと迫ってくるだろう。

 

 となれば、小隊結成になど躓いている暇はない。ソニアは最後の手段をとっていた。

 

「クナルを紹介してほしい、ですか?」

 

「ええ、そうよ」

 

 ソニアが尋ねた人物とは旧七八エルサ班の同僚にして、唯一疎遠のアンヘルである。

 

 彼は寝ぼけ眼のまま寮部屋から出てきた。髪はボサボサで、頬の小さなそばかすが如何にも間抜けっぽい。

 

 部屋の中からは酒精の匂いが強く漂う。アンヘルの口からは匂わないのでおそらく同部屋の人間が夜通し飲んでいたのだろう。

 

「貴方たちの班はまだ規定の六人に達していないでしょう? それに壱科の生徒は含まれていない。私なら十分力になれるわ」

 

「ああ、えっと、そう、ですね」

 

 クナル班は序列三十位にありながら、未だ欠員が埋まっていない珍しい班である。構成は、旧クナル班のクナル、ベップ、アルバになぜかアンヘルを加えた四名である。

 

 班員の上昇志向の薄さとクナルの異常さを合わせて、行動の読めなさからダークホースともポンコツ班とも言われている。そのうえ、旧クナル班の残り三人は小隊編成が解禁された一ヶ月前の初日に脱退している。この辺りが学内で敬遠される要因の一つだろう。

 

 しかも、気に食わない理由がもう一つあった。

 

「でも、受け入れられるかはわかりませんよ?」

 

 ソニアはその言葉を聞いて眉間に皺を寄せる。

 

 頼れない理由とは気軽そうにいったこの男アンヘルの存在である。いつからか判然としないが、この男を苦手に思うようになっていたのだ。

 

 伍科でも最底辺の成績を突っ走り、ポンコツ童帝と呼ばれる。

 

 不真面目で、休みの日にはバイトばかり。訓練のくなど見せたことはない。

 

 その割に虐められる気配を見せず、何だかんだ小隊にもいち早く加わっている。

 

 怠惰で無能、しかし順調。一年共に過ごしても評価が定まらない人物である。

 

(それに――)

 

 いつでも大らかなユウマが言っていた。「ウチはあの戦い方を認められへん」。彼に対する頑ななユウマの姿勢を問いただした際の言葉は、衝撃を伴って頭の片隅にこびりついていた。

 

 それ以来、彼を見下しているエルサやエセキエルとは違って、ソニアはこの男のことを警戒していた。どこか不気味な存在。そんな意味でもって。

 

 とはいえ、所詮気に掛かるぐらいだ。その程度で有力な小隊を選ばない理由はない。ちょうどクナル班は頭脳を欠いた状態。もし自身の戦術によって好成績に導くことができれば、なくてはならない存在へと昇華されるだろう。

 

 そんな皮算用を持ってして無理矢理面接実施に漕ぎ着ける。結果、明日正午に面接する予定となったのだが――

 

「……これ」

 

 四半刻遅れで現れたのは、隊長であるクナルではなくアルバという小隊員だった。アルバに手渡されたのは、なんと「合格」と書かれた雑紙一枚だった。

 

 もはや笑える程のザル勘定。一度も面識のない隊長に会うことなく合格を言い渡される。同班にアンヘルという問題児がいる事も忘れ、これからは隊の管理を十全にして見せるとやり甲斐のようなモノが沸き立つ。

 

 そして迎えた新年度。

 

 一向に揃わないクナル班の面子に苛立ちながらも、休みの間にコツコツ戦術や訓練内容を考案した。なんとしてでも自分が隊を導いてみせる。そんな決意を持ってして。

 

 しかし――

 

「って、どうなってんのよぉぉおっ!」

 

 準備した資料がバラバラと崩れる。虚しい叫びが空へと溶けていった。

 

 試合当日。集合時刻になって気の毒そうに告げた担当教官。彼はフルフルと顔を横に振るだけだった。

 

 クナル班は、三回生における小隊演習において伝説的ともいえる成績を残した。

 

 ――前期。一部班員の特務による離脱にて、前期前哨戦不参戦。

 

 ――後期。軍特務における離脱にて、後期小隊リーグ戦不参戦。

 

 クナル班は一年間全戦不戦敗という歴史的偉業を成し遂げ、消えることのない汚名を士官学校二百年の歴史に刻み込んだのだ。

 

「ふざけんなぁああっ!」

 

 がんばれソニア、君の未来は暗い。

 

 

 




五月二十一日現在、五章は八話まで執筆しています。四章あとがきでエルサ班の紹介を忘れたということもあり、短編の主人公は五章で登場予定のないソニア、ユウマでした。恐らくファンはいないと思うのですが、ぜひぜひ彼女らのこともよろしくお願いします。
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