イセカイ&ドラゴンズ   作:原田孝之

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PHASE1-4:デート・インポッシブル

 照りつける太陽が雲ひとつない大空で燦々と輝いている。建物の明るみから前へ逆さに照り返されて、威厳を帯びた戦女神の銅像が黒いシルエットとなって地面に落ちていた。広場へと続く並木道では、梢の影が切り細やかで、まるで女神の親衛隊になったかのようにやはりシルエットとなっている。

 

 時刻は昼下がり。集う群集であたりはごった返している。遠方から小さな影がひとつ現れた。晴れやかな衣装を纏う少女がお上りさんのように首を振っている。アンヘルは銅像の下で大きく手を振り回し、居場所を大きくアピールした。

 

 こちらに気づいた少女――エマが雑踏を抜け、パタパタと駆ける。淡い水色のワンピース姿を認めて、不謹慎にも緊張する自分に嫌気が差した。

 

「ごめんなさい。待たせちゃったかな?」

 

「いいえ、僕も今来たところですから」

 

 はにかんで笑うと、エマは気まり悪気な顔をした。

 

「じゃあ、行きましょう」

 

「え、ええ。そうね」

 

 告白の翌日。彼女の視点に立つなら、士官学校四天王の内、三者が一同に会したあくる日だ。

 

 本日の逢引は、日頃何度となく士官学校を無断外出している彼女の思考を追うに絶好の機会である。失敗するわけにはいかない。

 

 アンヘルは男女間の通例にならい手を伸ばそうとしたが、寸前で引き留めた。緊張感が伝わっては問題である。真横に並んで混雑する群集の群れから抜け出した。

 

 彼女はいつもとは違って長い髪を下ろし、前髪を小さなピンで分けている。雲母を薄く引き延ばしたような、太陽に照らされた白いワンピースの縁は、今流行の薄い水色のグラデーションになっていた。

 

 足元には可愛らしい黒革のブーツ。趣味も大衆的であるのか、開演中の演劇細工をポーチにつけていた。身辺調査結果とも合致する嗜好、ミーハー的な押しの弱さを感じさせる出で立ちだ。

 

「よく似合ってますね。新作ですか?」

 

 アンヘルは訓練校で学んだ誑しの手管を思い返した。

 

「あ、うん。ありがと。去年買ったんだけど、あんまり着る機会がなくって」

 

「士官候補生って意外と忙しいですから。でも、長期休暇で着たりしなかったんですか?」

 

「一回は着たんだけどね」

 

 エマはちょっと俯きながら低い声で唸った。

 

「誰にも気にしてもらえなかったとか?」

 

「そう、そうなのよ。リカルドったら、私がせっかくおしゃれしてきてるっていうのに『戦い難いだろ?』とか言い出すのよ。あり得る? ――あ、ごめん。せっかくのデートなのに他の人の話なんかしちゃって」

 

 はっとしたエマは、目を少しだけ伏せて謝った。

 

 アンヘルは苦笑いしながら、手を顔の前で振った。

 

「いえいえ。それよりランチでもどうですか? お昼はまだですよね?」

 

「うん。そうだね――あ、その、アンヘルくんも似合ってる、よ」

 

「あ、ああ、ありがとうございます」

 

 ちょっとだけ頬を染めながら、エマはお返しにと褒めてくれた。

 

 アンヘルのコーディネートは、周囲の人間に溶け込むような軽い格好だが、良くみるとそこそこ名店のモノで固めてあった。普段着など探索者用の衣装以外は制服しか持っていなかった――入学以来、身長が伸びて昔の服は捨てた――ので、機嫌の悪いアリベールに無理やり用意させた形だった。

 

(はあ、別にデートじゃないって言ってるのに)

 

 二人は近くの喫茶店に入って簡単な軽食を頼んだ。向かい合いながら、たわいない雑談をする。間も無く料理が運ばれてくると、アンヘルはスプーンとフォークを回して、パスタを頬張った。

 

 食膳のスープを掬っていたエマは、その仕草を見てふふっと笑った。

 

「その食べ方、おじいちゃんみたい」

 

「えっ! 上品じゃないの?」

 

「なに言ってんのよ。そんな食べ方、今時老貴婦人くらいしかしないよ」

 

 緊張が取れてきたのかケタケタと笑いはじめた。アンヘルは憮然としてスプーンを放り出す。その態度が余計に笑いを誘ったのか、エマは目の端に涙を溜め、腹を抱えた。

 

「あはは、そ、その、ごめんなさい。私、ちょっとお手洗いに」

 

 バッグを手に取りながら、エマは化粧室に消えていった。廊下の先に消えるまでくすくすと笑い声が漏れている。

 

「彼女の言う通りですね。先輩はいつの時代に生きているんですか?」

 

 突然、背後の席から声が聞こえてきた。

 

 ガイルスだ。

 

 いつの間にいたのか。顔を見られないよう帽子を被って紳士を装っている。手元の珈琲からは湯気が立っていた。

 

「くだらない茶々を入れに来たのか」

 

「それでもいいんですがね。そのまま顔を動かさないで、目だけで右の細工屋を見てください。そう、あの固そうな男ですよ」

 

 黙って窓の外の眺望の良い風景を伺った。群集の中に混じって、此方に背を向けてチラチラ振り返っている男の姿がある。明らかに監視者の出で立ちだ。よく観察すると、他にも怪しそうな人物がちらほら見受けられた。

 

「何者?」

 

「さあ? でも推測が立てられないってわけじゃありません。彼の顔はとても日焼けしていますし、不摂生しているようにも見えません。つまり、日中よく歩き回る仕事です。それから、よく観察すれば一様に左足が発達している。つまり左の腰に帯剣しているという事です。そんな男たちが尾行しているとなると、答えは一つでしょう?」

 

「憲兵、つまりバレンティア騎士団か」

 

「御明察。目的は恐らく彼女でしょう」

 

 ガイルスは化粧室を一瞥してから、周囲に聞こえるほど大きなため息を吐いた。

 

 ――これだから、素人は。

 

 身辺調査の目的とは、その奥に潜む本命の情報を探ることにある。このようなすぐバレる中途半端な尾行はむしろ標的に疑念を抱かせ、本命への繋がりを絶たれるだけである。

 

 憲兵のほうもしびれを切らして動き始めたというのは本当らしい。アンヘルが随行する機構は、元は政治犯摘発の為に結成されたのをサイレール事件のために転向させている形だ。他機関と協力関係にあるわけではないため、厄介な事態に陥っている。

 

「眼を逸らすことはできる?」

 

「此方も身分的にはただの候補生ですから、真っ向から職務質問を受ければ止められませんよ。ま、努力はしますがね」

 

 エマが化粧室から出てくる。ほぼ同時にガイルスが席を立って店の外に出ていった。

 

「ごめんなさい。ちょっと笑いすぎたわ」

 

「いえ。それよりも行きましょうか」

 

 割り勘を渋る彼女とやり合いながらなんとか金の支払いを済ませると、ドアベルを鳴らしながら外の風を浴びた。

 

「これからどこに行くの?」

 

「そうだなぁ。エマさんって、休みは何を?」

 

「いつもはお気に入りの喫茶店とあとは道場とか、かな。あとは射的場にも顔を出すけど」

 

「そっか。えっと、どうしよっかなぁ」

 

「えー、何も予定を決めてないの?」

 

 非難の声が上がってアンヘルは一人苦笑いをするが、知らずのうちに頬を撫でる指が冷たくなっていた。

 

 ――射的場。

 

 これは摘発された男の密売所と重なる。ここ数日ユーシンたち外部調査係が心血を注いだ結果を鑑みると、エマに不利な情報ばかりが出てきている。

 

(となると、藪を突いてみるしかないか)

 

「僕、エマさんの弓術見てみたいなぁ」

 

「ええっ! この格好で?」

 

 エマは自身の格好を見下ろす。

 

「そもそも道具を持ってないし」

 

「じゃあ取りに行く? ここから実家って遠いかな?」

 

「ええ、でも……」

 

 エマは消え入りそうな声で反論した。

 

「二人で行ったら、勘違いされちゃうかも……しれないし……」

 

「一度だけでいいから、ダメ?」

 

 お願いと両手を合わせながら尋ねる。エマはそれをじっくりと見合わせて、最後にはあと息を吐いた。

 

「強引よね、アンヘルくんって」

 

「男ってのは、強引な方がモテるんだよ」

 

「優しい方が私は好きだけど?」

 

「そういう人も居るかもしれないけど、それが真理なら世の中は聖人君子しか居ないだろうね」

 

 アンヘルはニヒルに笑ってみせると、彼女はプッと噴き出した。

 

「変なこと言った。僕?」

 

「ううん。全然似合ってなかっただけ。はいはい、わかったわかった。道具を取りに行くから、付いてきて」

 

 そのまま実家の方向に向かってゆく。実家は把握しているが、それを告げればストーカーと判断されるだろう。アンヘルは彼女の後ろに付き従った。

 

 昼下がりの街並みは陽気な風が吹いていて、とても気分がいい。わいわいと街角で出店が騒がしかった。

 

「おい、二人とも待て」

 

 少しばかり歩いていたところで、背後から声を掛けられる。ピタリと動きを停止させるアンヘル。エマは自分が声を掛けられたと思っていないのか呑気に鼻歌を歌っていた。

 

「聞こえているのか、そこの候補生」

 

(そんな言い方じゃ、監視していたと自白するようなものじゃないか)

 

 小さく舌打ちしながら、ゆっくりと彼らに向き直る。エマが怯えたような青い顔で憮然としていた。

 

「何の用ですか?」

 

「身体検査だ。手荷物を此方に預けてくれ」

 

「急に出てきて何なんですか、あなたたちは!」

 

 エマはらしくない苦い顔をしながら焦った声で怒鳴った。

 

「ふん、よくもぬけぬけとそんな口を利けるな。すぐにその化けの皮が剥がれないことを祈るよ」

 

 心底苛立たしそうにいったのは、中年の男だった。先刻細工屋で見かけた人物である。彼は渋面を浮かべてにじり寄ってきた。

 

(なんだ、なんでこんなに攻撃的なんだ?)

 

 憲兵と軍は魔剣騒動以来、相当仲がこじれている。しかし、それはあくまで上層部の話であり、末端の末端、それも候補生との間に不信感の募る原因が思い居たらなかった。

 

 とはいえ、両者とも引っ込みつかぬほどいきり立っている。アンヘルは両手を広げて、素っ頓狂な声で宥めた。

 

「ちょっと待ってください。僕たちはオスゼリアス士官学校に通う候補生です。身体検査を要求するのであればご存知かと思いますが、軍役に就く場合手続きが必要です。書類はお揃いですか」

 

 先頭の男は顔に苛立ちを浮かべると、懐から書類を取り出した。ざっと目を通して、必要事項の確認を済ませる。

 

「これで問題ないな」

 

「あります。僕は兎も角、彼女は女性です。こう云う場合、同性しか検査できない決まりの筈です」

 

「なんだとっ」

 

 屈強な右の男が怒気を露わにする。

 

「今回の話、正式に抗議させて頂きます。責任者の名前を教えてください」

 

「バレンティア騎士団第三隊、ディアゴだ」

 

 苦虫でも噛み潰したような表情で男がうめいた。

 

「ありがとうございます。正式な手続きを踏んでいただければ我々も応じますので、その時に」

 

 アンヘルは慇懃に頭を下げる。その瞬間、右の屈強な男が爆発した。

 

「こっちが下手に出てればいい気になりやがってっ。このクズがっ!」

 

 頭を下げていた所為で反応できなかった。男の右こぶしが頬に突き刺さる。よろよろ後退すると、すぐさま左の男が飛びかかってきた。

 

「アンヘル君!」

 

「手を出さないでっ」

 

 地面に組み伏せられながらも必死に叫んだ。ファイティングポーズを取ろうとしていたエマの動きが固る。

 

「向こうの狙いはしょっぴくことだ。絶対に抵抗しないでっ!」

 

 アンヘルは上目で直立する憲兵を睨みつけると、怒気混じりの声でいった。

 

「軍と敵対するつもりですか?」

 

「そんなつもりは、ない」

 

「ならすぐ解放してください。本当にタダでは済みませんよ」

 

 苦い顔をしたディアゴは絞り出すように「引け」と命じた。上に乗っていた男の体重が消える。すぐさまエマが駆け寄ってきた。

 

 アンヘルは土埃を払いながら、厳しい顔で睨んだ。

 

「お前たちが薬の密売に関わっていることは間違いない。いいか、絶対に俺はお前たちを逃さないぞ」

 

 ディアゴはゆっくりと去っていった。

 

 ふうと肩の力が抜ける。ヘナヘナと地面に座り込んだアンヘルの頬にエマが手を添えた。

 

「いたたた」

 

「だ、大丈夫? ちょっと切ってるよ」

 

 組み伏せられたとき、頬を石で切ったのか。小さな切り傷がついていた。エマの指先が傷口をなぞる。

 

「いつっ」

 

「あ、ごめんなさい。すぐ手当を」

 

 そういってガサゴソとバッグを漁りだすと、エマは消毒液とガーゼを取り出して、手当してくれた。

 

「大丈夫、ひりひりする?」

 

「問題ないですよ。それより、いつも救急箱を持ち歩いているんですか?」

 

「あ、うん。リカルドっていつも怪我するから、なんか癖になってて」

 

 照れたようにはにかむエマ。アンヘルは救急箱を受け取って自ら手当てすると立ち上がって裾の埃を払った。

 

「アンヘル君って、実は頼りになるんだね」

 

 エマは背側で手を組みながら、ちょっとだけ上目遣いに言った。

 

「いい意味に聞こえないんですけど」

 

「あ、ごめんなさいっ。ってそういうわけじゃなくて……急に身体検査なんて言われて、あんな風に書類の不備をつくなんて誰でもできることじゃないから」

 

「ああいうやり口で強盗する連中が居るって聞いたことがあるだけですよ」

 

 真実は特殊警察機構の訓練で、憲兵のやり口を学んだからだったが。

 

「ううん、それでもだよ。正直、ちょっと頼りないかなって思ってたけど、本当はできる子なんだね。あーあ、そっかだからクナル班なのか。騙されてたなぁ」

 

 成長した弟を嘆くような、微妙なニュアンスが含まれた声でエマは遠くを見た。

 

 立ち上がりながら、彼女に手を差し出す。

 

「行きましょう。あんまりのんびりしていると、騒ぎを聞きつけた人が来るかもしれません」

 

 ざわざわと曲がり角の向こうが騒がしい。エマも目の色を変えて手を取ってくれた。それから一気に道を急いだ。彼女の実家で道具を取り、射的場に急ぐ。到着したときには、すでにおやつタイムに入っていた。

 

「いやぁー、なんか緊張するなぁ。誰かと来るってあんまりないし」

 

「そうなんですか?」

 

「うん。私の道場ってあんまり弓をやる人居ないんだ」

 

 彼女は背丈ほどもある巨大な大弓を取り出しながら、寂しそうに語った。

 

 中世で人をもっとも殺した武器は弓だと言われているが、この世界ではそれほど猛威を振るう存在ではない。強化術は武芸者の身体能力を大きく向上させるため、通常の鏃程度では刺さりもしないのだ。

 

 よって弓を強化しなければならないのだが、肉体の延長線上として捉えやすい近接武器とは違って、打ち出す矢と弓両方を強化する必要があり、難易度が幾何級数的に上昇する。使える人間は居なくもないが、弓を本命に訓練する人間極めて少ないのが現状だ。

 

 エマは慣れた手つきで胸当てを着ると革の弓掛けを装着し、弦を軽く弾いて感触を確かめていた。

 

 射的場はエマの実家からほど近いところにある酒場の路地にあった。彼女曰く、酒場の店主が弓道大会好きで、酒を賞品に大会を開いているとどんどん拡大し、遂には横の店を買い取ってまで巨大な弓道場にしてしまったらしい。

 

 目の前に小さな柵があり、その奥に円形の色付き的が等間隔に並んでいる。的までは大凡四〇メートルほどだろうか。彼女は慣れた手つきで受付に挨拶すると、練習用の矢を受け取った。

 

「って、エマちゃん。どうしたんだいその格好? おめかししてるじゃねえか」

 

「もう、からかわないでっ!」

 

「もしかして彼氏とデートか? リカルドの野郎もすみに置けねえなぁ……っておい、誰だお前?」

 

 強面の受付に睨まれて、アンヘルは苦い笑いで挨拶する。受付の態度が周囲に伝播したのか、急にやっかみが飛んできた。

 

「誰だあの男っ。エマちゃんと一緒にいやがる」

 

「ふざけやがって、俺たちのアイドルと」

 

「ぶっ飛ばしてやる」

 

 先ほどまで熱心に練習していた男たちも唾を飛ばしながら、罵声をあげてきた。

 

 エマは顔を真っ赤にさせながら、アンヘルの腕を引っ張ってレーンの近くの椅子に座らせた。

 

「外野は気にしないで、皆馬鹿ばっかりだから」

 

「愛されてるんだね」

 

「そんなんじゃないっ。昔から通ってるから、遠慮がないのっ」

 

「やっぱり、そっちが素?」

 

 より親しくなるため、一歩踏み込むことにした。

 

「口調。お姉さんっぽく振る舞ってたけど、結構崩れることも多かったから。喋りやすいほうでいいよ?」

 

「別に、そんなことないし…」

 

「一応今日はデートだから。楽なほうで、ね」

 

 アンヘルがにっこり微笑むと、エマは口をパクパクさせてから、

 

「知らないっ」

 

 と叫んで、レーンに向かっていった。

 

(ちょっと狙いすぎだったかな)

 

 任務目標は、仲良くなってサイレール密売関与の証拠を見つけることである。やはりアンヘルの青春ラブコメは間違っているのだ。諜報員――正確には随行員だが――として感情移入しすぎないためにも、この程度で留めておくのが得策だろう。

 

 ひとりごちながら伏せていた顔をあげ、彼女が精神統一を図ってゆくのを見届けた。

 

 エマが凛々しい動きで弓を構える。清廉とも言えるほど静かだ。鳥の囀りと、木の葉の掠れる音だけが響く。

 

 街の喧騒が切り取られ、神でも降ろしたように神聖な気配を纏う。彼女がゆっくり深呼吸し、弓を引き絞り始めた。

 

 時が止まったような静寂。ギリギリと引き絞られた弓が軋み、弦が限界まで引き絞られる。

 

 その緊張が解き放たれるように、彼女の矢を持つ右手が開かれた。

 

 空間を駆ける一筋の閃光が、まるで糸にでも引っ張られたように的の中央に吸い込まれる。マグナム弾でもぶち込んだようなけたたましい音を奏でた。

 

 エマは止めていた呼吸を再開してから、ゆっくりと振り返った。

 

「どう、かな?」

 

「……」

 

「えっと、聞いてるの?」

 

「あ、ああ、うん。見てた、すごいね」

 

「何? その生返事」

 

 エマは気恥ずかし気に笑いながらも、満足したように首肯した。打ち尽くすつもりなのか、矢筒から一本矢を取り出した。

 

 息ができない。いや、神聖なものを穢してはいけない気分になったのだ。

 

 なぜ周囲の男たちが一斉に喋るのをやめたのか、わかった気がした。正直に感動した。射的場の内情を探ろうとやってきたが、彼女の神技に見惚れて何一つ身動きできなかった。

 

 そっと息を漏らす。それが真横に座った女と重なった。

 

「すごいね、今の」

 

「え、ええ、はい。そう、ですね」

 

「ボク、びっくりしちゃった」

 

 女性にしては中性的な喋りだな。しかも、聞き覚えがある声だ。表情を横目で伺う。

 

 金髪のボブに碧眼。その横には護衛らしき人影がある。誰だこの人、と思った瞬間、彼女の姿が幻のようにぶれた。

 

「あなたはっ――」

 

 クロエ・シルウィア・エル・オスキュリアだ。アンヘルは仰天してひっくり返りそうになった。

 

「はいはい、騒がない騒がない」

 

 あははと軽い調子で言った彼女は、濃紺の髪と砂塵色の肌を塗り替え元の金髪の姿に変えた。

 

「君ってばこんな所でデートしちゃって、ルトに怒られるよ?」

 

「あ、そのオスキュリア様も……」

 

「名前は禁止、ここでは代名詞で呼んでよ」

 

 茶目っ気たっぷりにウインクして見せると、彼女は大袈裟に伸びをして見せた。

 

「意外にモテるんだねぇ。ま、ルトが気に入るんなら当たり前かぁ。あ、しかもあれエマちゃんじゃない。やるな、このこの」

 

「あ、ちょ、やめてください」

 

「うーん? ボクに逆らうのー?」

 

 マジで死ぬから。護衛が死ぬほど冷たい目で見てるから。アンヘルは心で悲鳴を上げながら、小突いてくるクロエに耐えた。

 

 ようやく飽きたのか、からかいが止む。アンヘルは息も絶え絶えとなって肩を落とした。

 

「どうして、このような場所に……」

 

「うーん。暇つぶしってのもあるんだけど、ちょっと用事かな?」

 

 クロエは静かに周囲を見渡した。

 

「これから領地に帰らないといけないんだけど、その前にやれることはやっとこうかなって。ルトが怪我したら嫌だし」

 

 ハッと息を飲んだ。クロエはそれを認めて、いつもの猫っぽい悪戯気のある笑みではなく、獲物を狙う猫科の鋭い眼光を瞳に宿した。

 

「これだけでわかるってことは、君も同じなのかな。それじゃボクが居てもムダだよね。護衛のせいで悪目立ちしちゃってるし」

 

 すっと立ち上がる。クロエはパンパン肩を叩きながら、元の軽い調子で笑った。

 

「それじゃルトによろしくね。アルヘンくん」

 

「あ、はい」

 

 ――アンヘルだけど。

 

 手を振りながら、彼女が射的場の外に消えていくのを見送った。

 

 しかし最近、変装してる奴ばっかりだな。そんな風に思っていると、ふと目の前に立つ憤怒を纏った女性を発見した。

 

 というかエマだった。

 

「へえー。折角真剣に披露してるのに、どっかの誰かさんはそっちのけでナンパですか。そうですかー」

 

「げっ」

 

 極寒を瞳に携えながら、エマが髪を逆立たせてこちらを睨んでいた。もちろん、周囲の男たちは熱気を伴ってブチギレている。

 

 ――ああ、これはやばいかも。

 

 アンヘルは空を見上げながら、あの天真爛漫系貴族を呪った。

 

 頭上林檎射的大会をなんとか拒否するため、小一時間土下座を交えて抵抗したのはどうでもいい余談だ。

 

 

 

 § § §

 

 

 

「とっても楽しかったです」

 

「そう? 私が知ってる場所ばっかり連れ回しちゃったけど」

 

「いえいえ、僕がお願いしたことですから」

 

 男はそう言いながら、ふっと和やかに微笑んだ。

 

 エマたちは待ち合わせした広場に戻ってきていた。すでに日は傾いている。空は夕焼けに染まり、人通りもまばらになっていた。

 

 落ち着いた雰囲気になると、途端に交わすべき言葉を見失う。勢いと熱に浮かされていた頭が冷静さを取り戻し、現実のしらべを送ってきた。

 

 ふう、と呼気が大きく漏れ出る。今日こそは。そう小さく呟いた。

 

 ――ここで言わないと、本当にずるずるいっちゃう。

 

 ずきんと心臓が痛む。先延ばしにすれば、この痛みはさらに大きくなるだろう。今日一日、短い間だったが、彼に抱いていた親愛の情が膨れ上がってゆくのを自覚していた。

 

 優しかった。

 

 楽しかった。

 

 こうやって気楽に遊べたのはいつ頃なんだろうか。懐古しても、そうすぐには思い出せそうにない。士官学校ではいつも競ってばかりだった。それが悪いとは思っていない。だというのに。

 

 ふっと指先が伸びる。「また明日」と言えれば簡単だ。けれど、目の前に立つのは望んだ黒髪の中肉中背の男ではなく、エマにとってまだ何も知らない人物でしかない。

 

「どうしたんですか?」

 

 割り込まれる。心の奥底にしまった筈の、たった二人の思い出に彼は入り込んできた。このまま外堀を埋められ、流されてしまったら。もうそれは、身を任せるのと同じだ。

 

 このままでは最果てまで行ってしまう。

 

 たった一言。「今日で終わりにしよう」それで終わり。それが捻りだせない。昨日の再現のようだった。

 

 唇が乾く。舌が固まる。身体が震えて、でも、心は全然傾かなくて。

 

 鼻の調子が変だ。ぐすっと鼻水を啜った。見っともない動きに気恥ずかしさを覚えるが、それを感じる心が嫌になった。

 

 言わないと。太ももの肉を無理やり摘んで、痛みで己を叱責した。

 

 先延ばしが一番、悪いから。

 

 ぶわっと巻き上げるような春風が身を包む。一瞬、その涼やかな風に煽られて雑踏のざわめきが止まった。

 

「あ、あの、今日で――」

 

 ――終わりにしよう。

 

 けれど、云い切ることは叶わなかった。今までとは別の意味でエマの心臓が跳ねた。

 

 アンヘルの顔、その奥に見覚えのある姿を発見したのだ。その男は俯いた表情で癖と思われる爪を噛む仕草のまま、暗い表情で裏路地に入って行った。

 

 はっとアンヘルを押しのけて、彼の姿を確認する。痩身に黒のザンバラ髪。背中は昔の凛々しかったものではなく、どこか薄暗い所に身を窶した者の気配を漂わせていた。

 

 ――イーサク、にい?

 

 そんな馬鹿な。恋愛じみた先刻のやり取りを忘却の彼方に追いやり、身体を震わせる。

 

 そんな筈はない。兄がこんなところにいる筈がない。口の中でなんども呟くも、目に映るのは決して幻ではなかった。裏路地の角にその姿が消えてゆく。

 

「あの、どうしたんですか?」

 

 アンヘルが怪訝な顔をしている。

 

 脳裏にあるのは先ほどまでの告白ではなくなっていた。エマは弓の道具を彼に預けると走り出す。

 

「ごめん。それ、学校で返してくれればいいから」

 

「え、あの、ちょっと」

 

「また明日っ!」

 

 戸惑う彼に叫びながら、エマは路地裏に消えていった影を追った。

 

 幅一メートルほどの薄暗い路地に足を踏み入れると、壁へ寄りかかるようにして乞食が屯していた。臭気のような暗がり者特有の非日常が漂う。

 

 エマは彼らに小さく詫びを入れ、かき分けて進んだ。

 

 小さな角を曲がって、さらに折れる。この辺りの商業区は都市計画整備されていないせいで、中心区以外はかなり乱雑な作りをしている。裏道の中に建蔽率を無視した置物が積まれ、道そのものも九十九折りの迷路だ。日が落ち始めたのもあって、薄暗い道を進んでいればまるで迷宮に迷い込んだような感覚を齎した。

 

「はぁはぁ、やっと?」

 

 煉瓦壁に手をつきながら、肩膝立ちで角越しに兄の様子を伺う。

 

 日は完全に落ち、オスゼリアスは夜の街並みを映し出している。エマの追跡はそれほど長くにおよび、ようやく港区にたどり着いていた。

 

 兄が足を止める。港区の廃倉庫だ。ゴンゴンと規則正しく大きな扉を叩くと、中から扉が少しだけ開かれた。

 

 何かやり取りをしている。角に隠れているエマにボソボソと声が届いてきた。一言二言会話すると、扉は一人がギリギリ入れるほど小さく開き、イーサクは中に身を滑り込ませた。

 

 角に隠れていたのをやめ、身をばっと乗り出した。急いで扉の前まで進む。扉は施錠され、無理やり破壊するしか入る方法はなさそうだった。

 

 ――イーサク兄、なんで。

 

 わからない。家から出られるような状態じゃない筈なのに。ぐるぐる、ぐるぐる頭の中で思考が巡り、混乱が進む。

 

 嫌な予感がする。どくんと心臓が鳴った。アンヘルの時とは違う、恐怖の鼓動だった。

 

 最近の周囲で起きている状況を鑑みて、エマの脳裏に最悪の将来が予見されてしまう。そんな筈はない。兄だけは絶対に無関係だと思っていた筈だったのに。

 

 そっと扉に手を添える。破壊するか、それとも――

 

 視線を周囲に散らしていると、ふと壁の端に小さな小窓が付いていることに気がつく。

 

 幅は五〇センチもない。小柄な女性ならばなんとか、といったところだろう。窓柵は腐食しており、力を込めれば外せそうだった。

 

 ――勘違いだったら、謝ればいいだけだから。

 

 エマは廃材を積み上げ、二階へ繋がると思われるそれに手をかけた。窓柵を思いっきりひき剥がす。枠ごと取り払い、すっと身体を滑り込ませる。弓術有利ながら、あまり女性の豊さに恵まれていない肉体にはじめて感謝した。

 

 くるくると回転しながら着地したエマは、さっと周囲の風景に目を凝らす。大量の木箱が乱雑に積まれており、物陰に身を潜めるのは簡単そうだった。

 

 先ほどの窓はどうやら二階部へ繋がっていたのではなく、換気のために備え付けられたものだったらしい。差し込んでくる月明かりを頼りに少し歩みを進めてみる。

 

 どうやら定期的に掃除されているのか、廃小屋にしてはそこまで不衛生の感はなかった。

 

「……囮…………魔剣………………」

 

(なに? この声?)

 

 闇の奥、蝋燭の明かりに照らされたところで人の声がした。それも、どこかで聞いたことがあるような。ゆっくりと木箱伝いでにじり寄ってゆくと、兄の姿を発見した。

 

「……援軍を頼…………剣士と召……」

 

 兄は男の話を聞いて、神妙に頷いている。ここからでは話し相手の姿は伺えない。これ以上顔を出すと発見される危険性が高まる。エマは年配の優しい声にどこか既視感を覚えながら、よく耳を澄ませた。

 

 もう少し。兄が何も関与していないとわかれば、笑い話で済むことだから。

 

 わかりきっている未来から目を逸らすかのように、エマは両耳に手を当てた。

 

「……襲撃を決行する……元老院に裁きの鉄槌を……」

 

「はい。自由、平等、忠国しからずんば死を」

 

 そこだけ、はっきり聞こえた。

 

 ばくんと心臓が高鳴る。嘘だ。そんな筈は。エマは顔を蒼白にしながら、一歩二歩と後退った。

 

 元老院への襲撃。ということは、最近頻発しているテロ事件の首謀者はまさか――

 

 そのとき、近くの廃材を踏んで音を立ててしまった。

 

「誰だお前はっ!」

 

 背後の闇から声が響いた。

 

 しまった。前ばかり気にして、後ろを警戒していなかった。反射的に振り向いてしまう。

 

 半分だけ振り返った時、顔の目の前に巌のような拳が迫っていた。衝撃。振り抜かれた瞬間、腹部に重い衝撃が走った。

 

「がはっ」

 

 唾を吐いてうずくまる。意識は流され霞んでゆく。誰かが近くに走り寄ってくる。間遠に密談を聞いた。

 

 ――つけられましたね。外の様子はどうです?

 

 ――見張っている奴がいます。もう、囲まれているかも。

 

 ――……仕方ありませんね。ここは放棄します。

 

 ――エマはどうしますか?

 

 ――始末してください。彼女も納得してくれるでしょう。

 

 ――ですが……。

 

 ――これも革命の為の犠牲です。気にやまないでください。

 

 そこで、意識はぷっつり途切れた。

 

 

 

 

 

「早く起きて」

 

 ペチペチと頬が叩かれる。薄ぼんやりした世界が瞼を開くことで明確になっていった。

 

 暗い。うっすらと開いた目が瞳孔の拡散と収縮を繰り返し、光を調整しようとする。遅れて、腹部の痛みが神経を襲った。

 

「いたっ」

 

 ようやく目が慣れてくる。エマを叩き起こしたのは、今日一日過ごした茶髪の男アンヘルだった。さらに周囲を見渡すと、大量の木箱が積まれていた。

 

 手首がヒリヒリと痛んだ。周りを見渡すと切られたロープの残骸がある。手を縛られていたのか。エマは得心するとガラガラ声で尋ねた。

 

「こ、ここは?」

 

「港区の廃工場だよ」

 

 意識が覚醒したことを確認したアンヘルはすぐさま立ち上がった。声が酷く冷たい。エマは知らず身震いした。

 

「どうして、ここに?」

 

「様子が変だったから尾行したんだ。それより、これは……」

 

 楽しく逢引していたとは思えないほど冷酷な顔で、木箱を片っ端から開けてゆく。

 

 無理やりこじ開けているのか、周囲にぱらぱらと木屑が飛び散った。

 

「なに、してるの?」

 

 そう尋ねたとき、指先に触れるぬめりとした感触。そういえば、鉄の生臭い匂いも。嗅ぎ慣れない、嫌な匂いだ。

 

 悪寒に支配されながら辺りを見渡す。そこで違和感の根源である物体を発見し、エマはギョッとした。

 

「レンズ、カリストっ! どうして」

 

 知り合いの道場生が首から血を流して倒れていた。エマは飛びつくようにして二人に駆け寄り、首元に手をやる。すでに脈はなかった。

 

「酷い、誰がっ!」

 

「そんなことよりこっちを見て」

 

 アンヘルが切羽詰まったように叫んだ。木箱の中を指し示す。

 

「何がそんなことよりよっ」

 

「気にしている場合か。これを見ろっ!」

 

 身体が無理やり引っ張られると、木箱を正面から覗かされた。

 

「え、え、何よ、これ」

 

「しらばっくれるんじゃない。これは『サイレール』だ!」

 

 中からは袋に包まれた真っ白の錠剤が大量に出てきた。彼が中身をひっくり返すと、そこいら中に散乱する。それが、大凡十箱以上。たった一握りでも末端価格は家が立つほどだ。

 

 絶句しているとアンヘルが怒気を噴出させる。彼が手を振り上げた。

 

 ――殴られる。エマは咄嗟に目を閉じた。

 

 そのとき、倉庫の外から大きな音が響いた。

 

 轟音と烈風。爆破だ。遅れて手榴弾の破片のような鉄片が足元に突き刺さる。エマが構えようとして身体をこわばらせると、さらに大きな扉が吹っ飛ばされてきた。

 

 続くのは整った軍靴の音。濛々と立ち登る白煙の中、三十人規模の人が流れ込んでくる。皆一様に帽子をかぶり、腰元に剣を下げていた。

 

「武器を捨て腹這いになれ! 貴様たちはすでに包囲されている!」

 

 何度もそう復唱しながら突入してきたのは、憲兵ディアゴだった。

 

 携帯魔導灯の光がまるでサーチライトのように照らしてくる。数十人のそれが二人へ焦点を合わせる。

 

 眩しさでエマは咄嗟に腕で目を覆った。

 

「待ってくださいっ。僕たちはここに囚われていただけで――」

 

 アンヘルはさらっていた禁止薬物から慌てて手を離すが、すでに遅い。

 

「問答無用だ。ついに正体を表したなこの外道どもめっ!」

 

「違う、待ってださい!」

 

 アンヘルが必死に叫んでいるが、憲兵隊らしき男たちは容赦を見せる様子はなかった。男たちが抑えようと飛びかかってくる。

 

 灯が走り寄ってくると、いきなり体当たりを喰らわせられる。かはっと息を吐くと途端に地面へ押し倒され、腕を捻られた。

 

 訳もわからぬまま床面に顔をつけアンヘルの方を伺う。霞む視界の中で叫びながら押さえつけられていた。

 

 歯を食いしばりながら、頭上のディアゴを見た。

 

「貴様らの悪行、必ず暴いてやるからな」

 

 殺意の篭もった視線を浴びて、エマはゾワリとした悪寒に支配されていた。

 

 

 

 士官候補生アンヘル。士官候補生エマ。

 

 両者は、第一級禁止薬物密売の現行犯で逮捕される運びとなった。

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