イセカイ&ドラゴンズ   作:原田孝之

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PHASE2-1:逃亡生活のはじまり

 縛の身となって騎士団詰所に護送されているとき、ふとこんな事を思い出した。

 

 真冬の厳しい季節だった。吹き荒ぶ風が窓を叩き、一歩でも外に出ようものなら、ツンドラの彼方にでも連れ去ってしまいそうな日だった。

 

 物悲しい教会の風景。献花された花にパイプオルガンの音色が溶け込んでいる。うすぼんやりとしたステンドグラスが、彼の収まった棺を照らしている。

 

 何度来ても葬儀は実に侘しいものだった。

 

 参列者は同じ班の者たち、そしてエルンストだけ。皆、どんな顔をしていいか分からないという様子だった。遺体は故郷に返し、形だけの儀式に意味などないように思えた。

 

 翌日の遺品整理は一人だった。

 

 アンヘルは私物を一つづつ箱に放り込み作業を終わらせた。アタッシュケース一つ分くらいの荷物しかない部屋はどこか虚無的ですらあった。

 

 本当に何もない。人の部屋にはその人の人生や性格が出ると聞いたことがある。部屋が綺麗に見えて押し入れがぐちゃぐちゃならナルシストの気があるらしいし、チリ一つない部屋なら潔癖症の気があるらしい。が、この部屋はそのどれにも当てはまらない、怖気すら感じさせる空虚さだった。

 

 最後、棚の中を整理したとき、たった一つだけ手紙を見つけた。二重底の下に隠してあったそれには、こう書かれていた。

 

 

 

 自分は許されない罪を犯した。

 

 許せないと思っていた母と同じ罪咎を犯していた。それ以上の悪徳を積んでしまった。友とその彼女を裏切り、いまものうのうと生きている。

 

 何度も自殺しようかと自問した。その度に躊躇した。怖かった。けれども、今は生きていることも怖い。

 

 死を想い、生を望む。今の自分は生ける死者でしかないことを知りながらも、誤魔化しながら生きてきた。

 

 自分が堕ちていった原因は今でもわからない。

 

 正義だけを信じているはずなのに、気づいた時には堕ちていた。

 

 外道に堕ち、救国を願った自分が正しくある方法は、未だわからない。

 

 だが、予感だけがある。自分のような外道には相応しい最後が待っているだろう。

 

 そして、その最後は決して遠い話ではない。

 

 これを誰かが読んでいるということは、自分の予感は外れていなかったのだ。恐らく存知のことだろうが、自分の運命は尽きている筈だ。

 

 それで構わないと思う。自分に相応しい最後だ。

 

 だが、そんな自分にも後悔がある。これを読む者にそれを残したい。自分のようにならない為に。

 

 裏切るな。

 

 友、恋人、家族。何者も裏切るな。

 

 どれだけ勝利したとしても、裏切りの先には虚しい未来が待っている。空虚で色を失った未来が待っている。

 

 もしも過去に回帰できるのであれば、自分に言い聞かせたい言葉を、これを読んでいる君に伝えたい。未来ある候補生の君に訓戒として。

 

 君に素晴らしい人生があらんことを、心の底から祈っている。

 

 

 そして願わくは、この手紙が友だった者に届かぬことを。

 

 

       ホアン・ロペス

 

 

 

 移り行く情景を認めながら、アンヘルはそんな事を考えていた。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 屋根から落ちる水滴が規則的な音を奏でている。夕刻の通り雨が地面を深く濡らし、歩いた人々の足跡が街路の縁を大きく汚していた。

 

 耳にするのはガタガタと窓を叩く湖からの風の音、それを大きく上回る男女の艶声。薄い壁をものともせず、鼓膜に直接叩き込む喘ぎが一際大きく響く。

 

 そんな最中にあっても、部屋の住人は誰も身動ぎ一つしなかった。この雰囲気の中では使われるはずもない、場末の連れ込み宿に相応しい二人掛けのボロ寝台は、物悲しそうに佇むだけだった。

 

 窓から差し込んでくるあわい月明かりが二人の影を伸ばす。その美しくも儚い光は、地面に映し出されたシルエットを裁く刃に思えた。

 

「最低!」

 

 柏手を打つような乾いた音が鳴る。鋭く走る痛み、それをまるで他人事のように感じながら、アンヘルはそっと頬に手をやった。

 

 ヒリヒリと痛む。手の熱がその痛みを和らげてくれるも、身体の芯にまで突き刺さるような楔は抜ける気配がなかった。

 

「なにか、あるでしょう。なにか!」

 

 目の前に立つ少女の手がさらに動いた。今度は肉を打ったような鈍い音。裏拳を振るったのだ。

 

 一歩、二歩と痛みに喘いで後退する。遅れて、鉄の生臭い味が口腔にいっぱい広がった。衝撃によって口内を切った。舌を動かすと、苦い味わいがさらに深まる。

 

 ひどく落ち着かない。しみったれた床の木目が、まるでぎょろりとした眼球のようだ。お前を監視している、お前を見張っているぞと言わんばかりの目玉。妄想はさらに悪化し、百の目を持つアルゴスに見つめられる状態。そんなありもしない幻覚に苦しむ。

 

 しかも、身体中の節々が痛んだ。長いこと動いていないときのような、濁った感触が神経を蝕む。ずっと長い間拘束を受けていたのだ。全身荷物でも背負ったように重く、脇腹や腰のあたりは尋問時の暴行でずきずき痛んだ。

 

 眼球だけを動かして、正面を見る。

 

 手を振り抜いた少女は、肩を激しく上下させながら一時も瞬きせずじっと此方を睨みつけている。眦の端には大粒の涙を溜め、さらにもう一度頬をぶち抜いてやろうと虎視眈々狙いを定めていた。

 

 冷たい顔にもかかわらず、怒りを押し込んだような熱い瞳。擦り切れた衣服の端から覗く肢体は大きく汚れていて、それでも立ち向かってくる意思を思うと、どれだけの悪行を為したのか証明されているようだ。

 

 怒れる少女――エマはヒステリックに陥ったように激しく絶叫しながら、汗と汚れで萎びた黒髪を振り乱した。

 

「最初から騙してたのね。私たちに近づいたのも、私に告白したのも。全部うそ。それで平然とした顔を晒すなんて、許せない!」

 

 再びエマの手が作動する。大きく振られた手に遅れて、乾いた音が響く。口の中の血が床に散った。地面に点々と散ったそれを眺めるしかない。

 

「その辺で止めたらどうです?」

 

 腕を組んで壁に凭れるガイルスが、激昂するエマの手を掴む。

 

「先輩は一応なりとも助けてくれたんですよ。感謝しろとは言いませんが、話ぐらいは聞いたらどうなんですか?」

 

「貴方もコイツと同類よ。指図は受けない」

 

 細められたエマの目には業火の炎が宿っている。

 

「咎めたいのは此方側なんですがね」

 

 軋む音の鳴る二階の床版を確かめながら、ガイルスは嘆息する。どうやら不衛生すぎて落ち着かないらしい。冷ややかに彼女を一瞥すると木椅子に腰を降ろした。

 

「それで先輩、どういう経緯でこうなったんですか?」

 

 アンヘルたちが憲兵に逮捕され、そして決死の脱出劇を繰り広げてから早くも半日。日はとうの昔に傾き、オスゼリアスの闇が顔を出す時間となっていた。

 

 ここはエマ提案の隠れ家「女王蜂」である。アンヘルたちはそのボロ宿でいったんの休息を取っていた。

 

 ここは貧民街近くの寂れ系ラブなホテルだ。環境としては劣悪極まりないのだが、受付時の顔見せを必要としない都合上、指名手配されている今にはうってつけの場所だった。あくまでも、緊急措置としてはだが。

 

「まず把握しておきたいことがある」

 

 アンヘルは打たれた頬を撫でながら、氷の眼差しを送るエマを真正面から見据えた。

 

「エマさん……貴方はなぜあの廃倉庫に行ったんですか?」

 

「言う必要はないわ」

 

「ではもう一つ。あの大量のサイレールはなんですか」

 

 あの夜、廃倉庫で確認した木箱は十箱程度だったが、そのすべてに大量のドラッグが収められていた。末端価格にして日本円で数十億規模。平民派の軍事資金になると考えれば恐ろしい額になる。

 

「知らないわ」

 

 エマは凍った眼差しで臆面もなく答えた。

 

「なら、最近の不審な動きはなんだったんですか?」

 

「……それは」

 

 ここではじめて、エマの返答が淀んだ。一歩踏み込みながら彼女を見下ろす。

 

「言えないことなんですか?」

 

「プライベートなことよ」

 

「それを聞いています」

 

 そっぽを向いて気まず気に答えたエマ。アンヘルは彼女の胸ぐらを掴み上げて、ぎゅっと真正面にまで引き寄せた。

 

「君はこの数日間。それも夜になってから常に外出していた。三日前には戦闘の痕跡も発見されている。言い分は?」

 

 息が届くほどの至近距離で相手の瞳を覗き込んだ。エマは眉一つ動かさず、此方を睨みあげてくる。

 

「恫喝のつもり? 似合ってないわ」

 

「質問に答えろ」

 

「プライベートだと言ったはずよ」

 

 強行姿勢が反対方向に作用したらしい。先刻までディアゴらに受けていた尋問からすれば、アンヘルの生温い質問で口を割らせるのは不可能だろう。

 

 舌打ちしてから、突き飛ばすように彼女を解放した。

 

「憲兵に何を聞かれましたか?」

 

「……」

 

「何か話しましたか?」

 

「……」

 

「答えてください」

 

 エマは口を一文字に結んで一向に話そうとはしない。ただじっくりと此方を見据え、今にでも殴りかかってきそうな怒りを内に溜め込んでいる。

 

 これはだめだ。かぶりを振って背後のベットによろよろと腰を下ろす。ボフンと埃が舞うと、寂れた安宿特有の硬い寝具の感触が伝わってきた。

 

 一息つくと緊張を堰き止めていたダムが決壊し、すべてを洪水の彼方に消し去ってしまいそうな感覚になる。

 

 もう丸二日眠っていないのだ。昨日はデート。その晩憲兵詰所に勾留されて、夜通しで尋問を受けた。翌日、ガイルスの手引きによりプリズン・ブレイクを果たしたあと、こうやってこの安宿にいる。精神も体力も限界だったのか、座り込んだだけで泥のように眠ってしまいそうだった。

 

「埒があきませんね。そもそもどうしてこの女を救出したんですか?」

 

 ガイルスは気だるそうに頭を掻いた

 

「それは……」

 

 口ごもりながら、その理由について思考を巡らせる。

 

 同情心があったとは思う。まだまだ職務に徹しきれているかと問われると怪しい部分は大であるし、秘密警察機構の随行員である自分はそもそも諜報員ではない。

 

 だが、たった少しの間ではあったが仲を通じ合せ、ある程度性格は把握できていた。経歴や動きも密売や平民派の活動に関与していた可能性は低い。

 

 何よりエマは廃倉庫で囚われ、あともう少しで殺されるところだった。助けに入らなかった場合、彼女は殺されていただろう。つまり、現状でエマは平民派の可能性は低く、尚且つ何かしらの情報を掴んでいるかもしれないのだ。現状、二人は指名手配の身である。総督令の恩赦か冤罪を晴らさない限り、死罪が確定する。協力の余地はあると思っていた。

 

「どうなんです、先輩?」

 

 苛立ったガイルスがつま先で地面を叩く。アンヘルはゆっくりと留置場脱出の経緯を語り始めた。

 

 

 

 

 

 

「いいかげんにしやがれってんだ。一日中そうやって黙り込みやがって」

 

 憲兵ディアゴは薄暗い尋問室の木机をぶっ叩いた。

 

「いいか、俺が最初から説明してやる。お前はあのエマって女と一緒になって、日中憲兵が把握している密売所を回ったあと、ドラッグの調達のためあの廃倉庫に向かった。

 あそこを夜通し調査したが、大量の『サイレール』が発見されている。証拠は揃ってる。どうだ、なにか違うか?」

 

「……」

 

「そうやって黙りこいて居られるのも今のうちだぞ」

 

 ディアゴは厚い胸板の筋肉を膨らませると、強烈な声量で怒鳴った。

 

「何か言ったらどうなんだ!」

 

 荒々しくスツールに座り込んだディアゴは机の上に力の入った拳を置き、ぷるぷると怒りに震わせていた。背後からも同僚と思われる憲兵から刺々しい視線が突き刺さる。

 

 連れてこられた尋問室には剣呑な空気が漂っていた。

 

 バレンティア騎士団のダンジョン――地下留置所――の壁はまるで坑道のように土が露出しており、排泄物の不衛生な匂いが薄ら染み付いているような感覚になる。狭い室内には数人の男たちが控えていて、暴れようものなら一瞬で切りかかってきそうなほど緊張が高まっていた。

 

 ここには日差しなど差し込まない。魔導灯のぼんやりした光を背景に押し問答を重ねたのは、果たしてどれほどか。瞼が落ちそうになるところを鑑みて、おそらく日は回っただろうと結論づけた。

 

 首を回すため肩の力を抜く。そしてゆっくりと頭を振ると、ごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。焦点の合っていない目で見渡すのが気に触ったのか、後ろの男の沸騰したのだ。

 

 横目で流し見ると、唾を吐く男が拳を振り上げていた。

 

「舐めやがって!」

 

 顔面に拳がめり込んだ。手枷が机に繋がっている所為で吹っ飛ばされてから元に戻ってしまう。ふーふーと荒い息で男が詰め寄ってきた。

 

「てめえみてえな悪党はよ、こうやってぶちのめしてやらねえと気が済まねえ」

 

 膝が顔面にぶち込まれる。ぐわんと視界が揺れると口から赤い血が飛んだ。衝撃で机ごと持っていかれる。

 

 腕だけ机に括り付けられた状態で椅子から転がり落ちる。追い討ちとばかりに、男の爪先が突き刺さった。

 

「がはっ。はぁはぁ」

 

「しぶてえ野郎だ。どこまでその痩せ我慢がもつか楽しみだなぁ、おい」

 

 激怒を身体中から放出させた男に胸ぐらを掴まれる。荒い息が顔に当たるほど近い距離で凄まれた。

 

 だんまりを決め込みすぎたか。情報を与えないために閉じていた口が痛みで開きそうになる。

 

 ――だめだ。憲兵団には平民派が潜り込んでいる可能性も。それに、相手の捜査力は信用できない。

 

 痛みを堪えながら必死に自制心を働かせて、なんの感情も浮かべない虚無の瞳で男を見つめる。相手の歯ぎしりが聞こえてきそうだった。

 

「やめろ」

 

 静かな声でディアゴが止めた。

 

「ですが隊長」

 

「この野郎、大したタマだよ。さすが候補生なだけはある」

 

「巨漢でも指の一本や二本折れば口を開きます。こいつもそうやってやれば――」

 

「見た目と精神力ってのは、比例しないもんだ。こういう奴は油断できねえ」

 

 ディアゴは舌打ちしながら貧乏ゆすりをした。

 

「でも、あともうちょいで」

 

「お前の馬鹿力じゃ口が聞けなくなんだろ。こいつは町中で横行するテロ事件の最重要人物だ。元老院どころか教会からも身柄の保護を指示されている。もしも尋問で廃人にしちまったら、こっちの首が飛ぶぞ」

 

 暴行を加えていた男が此方を突き飛ばしながら元の位置に戻る。いつでも飛び掛からんと歯を剥き出しにしていた。

 

 鼻骨を折ったのか、息が上手くできない。ぐいと鼻下を押してから現在の状況の整理をはじめる。

 

 生温い尋問の理由は外部の力。全州会議の時期が迫っている今、治安維持は憲兵目下の最大目標だ。相手はアンヘルの背後関係を徹底的に洗いたいのだろう。

 

 現代の警察と違って、この世界の尋問は荒っぽいを通り越し殺人的だ。これほど重大事件となれば、あらゆる拷問にかけられて然るべきだろう。そうなれば事情を吐かない自信はなかった。

 

 しかし逆に考えれば、尋問の過激化には未だ猶予があるある。その隙に脱走できるかもしれないと霞かけていた意識が再浮上した。

 

 手首を廻しながら手枷の具合を確かめ、胡乱気に天井を見上げる。赤茶の土壁が切迫感を募らせるが、まだ焦る場面じゃないと心に言い聞かせる。

 

(憲兵は召喚術のことを知らない。一瞬、一瞬だけでいい。この部屋の人数が一人か二人なら召喚術で逃げられる)

 

 まだチャンスはある。じっと感情を潜めた。

 

 唾を吐き捨てながら、ディアゴはもう一度身を乗り出した。

 

「もう一度だけ聞いてやる。他の奴の拠点はどこにある? お前がただの使いパシリだってことは承知の上だ。素直に吐きさえすればお前の恋人は解放してやる」

 

(そうか、忘れていた)

 

 反射的に顔を戻してしまう。ディアゴの表情が一変した。

 

「さすがに恋人のこととなりゃ気が変わるか?」

 

 しまった。弱みを見せてしまった。背中に冷や汗が落ちる。

 

 ディアゴは冷ややかな声で部下に「女の尋問をさらに強めろ」と指示すると、ドスの利いた声色で続ける。

 

「お前の恋人はドモン道場の親戚だからな。殴ったり拷問したりはできねえ。だが、うちの留置所には便所なんて碌なモンはねえからな。あの年頃の嬢ちゃんには酷な仕打ちだと思うがねぇ」

 

 ――くそ、せっかく手がかりを掴んだのに。

 

 アンヘルはこっそり歯噛みした。

 

 まだ半日くらいの尋問だが、こうやって同じ質問を繰り返されるだけでもかなりの疲労感を覚える。尋問のセオリーである、繰り返すことによる矛盾点の突き合わせは理屈としてわかっていても、かなりの徒労感を引き出してきた。

 

 エマは何らかの情報を握っている可能性が高い。それを憲兵が掴み、大掛かりに調査してしまえば、相手側も警戒して尻尾をくらますだろう。

 

「聞こえてるのか!」

 

「……」

 

「この野郎、完全に舐めきってますよ」

 

 ディアゴの眉が傾く。さすがに痺れを切らしてきた頃か。内心の焦燥感を隠しながら能面を保つ。

 

(当番弁護士でも居れば外部と連絡ができるのに)

 

 弁護士ドラマ見過ぎ脳でくだらない妄想が降ってきた。武器がない今、反抗は愚策。しかし、ただ待つのはそろそろ限界か。

 

 どうする。廃倉庫の現場を見る限り、事態は喫緊だ。

 

「どうしても吐かないつもりだな」

 

 思考を彷徨わせているのを察されたのだろうか。ディアゴは冷たい目でこちらを見据えていた。

 

「いいだろう。こちらも根気勝負だ。お前が音をあげるまで、ずっとこの留置所に留めておいて――」

 

 その瞬間、ズシンと建物全体が揺れた。それが数回、まるでトラックでも突っ込んできたような大きな爆発音が連続する。

 

 ――まさか、ガイルスか?

 

 座っていたアンヘルとディアゴ以外は、衝撃でヨロヨロとよろめいた。

 

「なんだ、何が起きてやがる!」

 

 ディアゴが怒鳴った。部下が悲鳴のような声音で返答する。

 

「わ、わかりません」

 

「ちっ、またテロか。くそ、セイ。お前が残っていろ! 絶対に目を離すんじゃないぞ」

 

 そういってディアゴたちが尋問室から消えてゆく。

 

 チャンスだ。脱出路を確保して、次にエマを救出しなければ。尋問室には一人。目的を明確にしてからアンヘルはこっそり呟いた。

 

「召喚」

 

 

 

 

 

「憲兵詰所を爆破するなんて思い切ったね」

 

「倉庫を爆破しただけですから、大した労力は掛かってませんよ。それより先輩こそどうやって脱出したんですか?」

 

 ガイルスは珍しく興味深げな表情だった。

 

「上からの指示だったので従いましたが、普通騒ぎを起こしたくらいじゃ脱出できないと思いますけどね」

 

「監視役が減るよ?」

 

「手枷はどうするんですか? 大抵の勾留所は妨害魔道具が働いていますし、ああいうのは強化術でも破壊できないよう作られています。それで脱出できると思われているなんて、よほど信頼が厚いんですね」

 

「失敗すれば見捨てるだけでしょ」

 

「なるほど。上はそう考えそうだ。ただ、まさかまさか同行人まで助けるとは予想外でしたが」

 

 チラリとガイルスはエマに視線を送る。彼女は部屋の端で体育座りをしていた。

 

 鋭い視線も今は弱くなっている。気合いで眠気を鎮めているようだが、激情は萎んでいるらしい。

 

 かっこんかっこんと椅子を傾けていたガイルスはピタリと動きを止めた。深刻そうに声を潜める。

 

「これからどうしますか?」

 

「任務に変更はないんじゃないの?」

 

「状況は大きく変わっています。先輩はオスゼリアス中で指名手配の身だ。今までのようには動けませんよ」

 

 顎を摩りながら、思考を深める。

 

 秘密警察機構は未だ公表されていない組織だ。現状アンヘルの身分は一般の民間人に過ぎない。もし憲兵に捕まり、略式裁判にでも掛けられることになれば、助けなど来ない。

 

 だが、もしかしたら――

 

(サイレールというドラッグが関与している以上、これがバアル教団の差金である可能性は否定できない。となれば……)

 

 そっとエマの様子を伺った。すでに意識は朦朧としているのか、うとうと船を漕いでいた。

 

「彼女を見つけたとき、廃倉庫で殺されそうになっていたことは言ったよね」

 

「ええ、聞きましたが」

 

 これはピンチではない。むしろチャンスだ。

 

 エマは何かしらの情報を握っている。それが意図的なものなのか、それとも想定外のことなのかはともかくとして、手がかりを一つ掴んだことになる。

 

 あの調子では憲兵に漏らした可能性も低い。それを聞き出せれば、状況が改善される可能性はある。

 

 情報の引き出し方にも手はある。ストックホルム症候群のような長い緊迫状態が続くことによって、仲を急速に縮めるのだ。特殊警察機構の随行員であるアンヘルとは違って、エマは正真正銘の容疑者だ。事態解決に協力するしか、死罪を免れる方法はない。

 

 ということは、このままエマに協力するフリをすれば、彼女の協力を引き出し、どうしてあのような行動を取ったのか把握できるかもしれない。

 

 結論は決まった。

 

 自分はあのとき切り札を切ったのだ。バアル教団という邪悪を祓うため、神意という悪に手を染めた。ドミティオスの指示ではない。ホアンやマリサのためでもない。己の意思で決断を下したのだ。

 

 そう思えば、迷いなどなかった。

 

 アンヘルは立ち上がって、ボロ木扉のノブに手をかける。

 

「行動を共にすれば手掛かりが見つかる可能性は高い。捜査続行だ」

 

「ま、それが先輩の決断なら構いませんがね。今は全州会議に向けて多くの議員や護衛団が流れ込んでますから、多少は誤魔化しも効くでしょう」

 

 憲兵は身辺警護に駆り出されるでしょうから。そうガイルスは続けた。

 

「どこに行くんです?」

 

「まずは武器だよ」

 

 ゆっくりと扉を開く。外から冷ややかな夜の風が吹き込んできた。振り返らず静かに告げる。

 

「ここからは荒事メインになるからね」

 

 アリベールに怒られるな。後の借金を想いながらも、アンヘルはいつものウィルキン武器店に向かっていった。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 事態は少し巻き戻る。

 

 アンヘルたちが留置所から脱走したすぐ後の出来事だ。

 

「エマが脱獄、だと?」

 

 震える声でリカルドは呟いた。ライバルから告げられた言葉を認識した瞬間、地面が崩れてゆくような光景を幻視する。

 

「それは、なんの冗談、だ」

 

「すべて真実だ。これは少し前の報告だが、騎士団東本部詰所が爆破されたらしい。その地下に収監されていたエマ候補生は騒ぎに乗じて姿を消した。それ以上詳しいことは上がってきていないが……」

 

 いつもとはうって変わって気の毒そうに報告したヴァレリオットの言葉も、耳から抜け落ちてゆく。

 

 自分の指先がフルフルと震え、血の気が引いているのがはっきりと映る。

 

 最悪の事態だ。まさかこんなことになるなんて。

 

 エマが最近、なにやらコソコソとやっていることは知っていた。心配しないでと言うから無視していたが、それがまさか密売の関与などと。

 

 現在、サイレールの密売は救国主義者の主要資金源として看做されており、捕まった場合死刑が確定する。今朝エマが逮捕されたという情報が入って以来、リカルドはなんとかしようと駆け回っていたところだった。

 

 父親のエドゥアルドにはすでに口が擦り切れるほど助けを乞うた。知り合いのバレンティア騎士団に務める連中にも掛け合った。だが、すべて徒労に終わった。

 

 超一級犯罪。そう見込まれるエマを助ける方法など存在しない。可能性があるのなら、総督令による恩赦ぐらいだ。

 

 ギリギリと唇から血が出るほど強く噛み締める。

 

 視界が朦朧として揺れる。いや、違う。揺さぶられているのだ。ヴァレリオットが肩を掴んでいる。

 

「しっかりしろ」

 

「ヴァレリオット……」

 

「君がしっかりしなくてどうする。彼女が冤罪だと信じているんだろう? だったら、なすべきことを成せ」

 

 リカルドはハッとした。真正面からライバルの男を見る。

 

「私もエマ候補生が密売に手を染めていたなどとは信じられない。上科の候補生はそれほど暇じゃないからな」

 

「あ、ああ」

 

「なら冷静に聞きたまえ。私は知っての通り、バレンティア騎士団副団長ファブリツィオの甥だ。多少は憲兵を動かせる」

 

 必死に冷静さを保ちながら、リカルドは話を聞く。

 

「今回の事件で一番不味い状況は何だ?」

 

「エマの冤罪が晴れないこと、か?」

 

「それもあるが、一番怖いのは逃走中に殺害されてしまうことだ。憲兵の連中も脱走騒ぎで怒り狂っているらしい」

 

「なら――」

 

「まずはエマ候補生を確保するしかない」

 

 リカルドは驚いて顔を上げた。確保だと、何を言っているのだ。睨みつけるとヴァレリオットは静かに首を振った。

 

「落ち着け。今回の脱走も外部の手の物が関与していた可能性は高い。同じく逮捕されたアンヘル候補生も脱走している。君が言う通り、エマ候補生が脱走を企んでいないなら彼が主犯ということになる。まず確保して、これ以上罪を重ねないよう努めるべきなのは理解できるだろう?」

 

「だが、まさかアンヘルが……」

 

「この際誰が犯人などは関係ないんだ。まずは事態の収集。それから真相の究明だ。エマ候補生が犯行に及んでいないのなら絶対に無罪となる。違うか?」

 

「あ、ああ。そうだな」

 

 諭されて、ようやく普通の視界でヴァレリオットの顔を見上げた。彼はいつも通り不敵に微笑んでいるだけだった。

 

「これは何かの罠か?」

 

「おいおい。私は勝つためならどんな悪虐でも尽くすが、非道に身を染めたことはないと思うがね」

 

 そっと肩に手が置かれる。労っているような優しい表情だった。

 

「我々は競い合う敵同士だが、軍内にあっては同僚でもある。違うかな?」

 

「ああ、すまない」

 

 リカルドは顔を久方ぶりに綻ばせた。憲兵に繋がりのある彼なら、より詳しい情報を発見できるかもしれない。ようやくエマを助ける道筋を見つけた気がした。

 

「よし、なら俺は何をすればいい」

 

「そうだな、まずは……」

 

 ヴァレリオットは顎をさすりながら、一つ提案してきた。

 

「エマ候補生の行き先はわかるか? もしくはアンヘル候補生でも構わないが」

 

「ああ、それならたしか……」

 

 いくつか候補を述べる。エマは絶対に死なせない。自分の中に宿る強い意志を信じた。

 

 

 

 § § §

 

 

 

(なにが『さすがはヒモだ』だよ。やんなっちゃうなぁ、もう)

 

 ウィルキン鍛冶屋で武器を調達したアンヘルは、項垂れながら部屋の扉をノックした。手には新造の剣とエマ用の弓と短剣。深夜価格ということもあり、目が飛び出るような額を請求された。

 

 もし彼が指名手配を知っていたら、さらに桁違いの額を請求されただろう。あの薄汚いウィルキンの顔を想像すると頭がどうにかなってしまいそうだった。それプラス、アリベールにつけた借金の件もある。事件解決後に領収書で落ちないと地獄を見る事態だ。

 

「どうぞ」

 

 規定のノックをすると、中からゆるやかにドアが開かれた。部屋の中に滑り込んでフードを取る。中には眠りこけたエマと退屈そうなガイルスが居るだけだった。

 

 しょうがないのだが、士官学校の自室に戻って武器を調達するのはリスキーだった。借金と借用主の心情さえ考慮しなければ、ウィルキン鍛冶屋は最善の決断であろう。

 

「尾行は大丈夫ですか?」

 

「寄り道はしてないから」

 

「あの距離で見つかる心配はありませんか」

 

 ガイルスが無用の心配をしたと嫌味に笑う。この広い都市で監視カメラもなしに個人を見つけるのは困難を極めた。

 

「今日の見張りは僕がしますよ。先輩もお疲れでしょうし――」

 

「ガイルスっ!」

 

 最近の癖で窓の下を覗き込んだとき、無意識の内に怒鳴っていた。偽名を呼び合うことも忘れ、身体中に緊張を張り巡らせる。

 

「ここの居場所を誰かに教えた?」

 

「そんなわけないですよ」

 

 ガイルスはすぐさま立ち上がり駆け寄ってくる。窓の下では大勢の影が蠢いていた。

 

 その数、見えるだけでも数十。規定の制服に帽子、腰には長剣。

 

 バレンティア騎士団。つまり憲兵だ。

 

「尾けられた――訳ありませんね。短時間で集められる量ではなさそうです。もしかしたら張られていたのかもしれませんね」

 

「原因を探っている場合じゃない。逃げるよ」

 

 くそ、またか。アンヘルは弱る心を叱咤し、近くにあった手荷物を握りしめる。剣を腰に佩いてすぐさま脱出する。

 

 ――そう思った瞬間。

 

 駆けだそうとする二人を嘲笑うかのように、部屋の扉が強く叩かれた。ぎくりとして男二人揃って扉を見る。心臓の鼓動が激しくなり、呼吸が途絶する。

 

 ノックの音が止んだ。一時の沈黙の後、扉の向こうから険しい男の声が聞こえてきた。

 

「こちらバレンティア騎士団だ。身元を改めたい。すぐさま扉を開くんだ」

 

 

 

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