「いやあ、すまん、すまん」
そう軽く言って、赤毛の男は謝罪した。
「ナタリアさんから、最近不穏だってのを聞いてたから。君は道場でも不審者扱いされてたし、危険かと早とちりしてしまって……」
赤毛の男――名をホアン・ロペスは、アンヘルより幾ばくか年上の青年であった。背丈はそれほど変わらず、百七十に届かぬほどであった。身体は、武芸者らしくムダな肉は一片もないがっしりと引き締まった筋骨であった。顔立ちは爽やかで、さながらエリートスポーツ選手である。
ホアンはその特徴的な赤髪をゆらし、アンヘルに頭を下げた。
「え!? 何、不審者って……」
そういって、こちらを見てきたのはナタリアである。少しだけアンヘルから距離をとる。ホアンの道場不審者発言が気になったのであろう。驚いたように、口元に手を当てながら聞いてくる。
「ああ、道場をずっと見てくる不審者だ。道場を見る奴は、少なくはないが初めから終わりまでずっと見てるやつなんかいないからな、見てたろ?」
「え、いや、その……そうだけど」
完全にアンヘルの仕業とばれているようで、ごまかしの類は通用しそうになかった。アンヘルとしては、物陰から覗いていており、不審に思われているとはまったく考えていなかったが。
「なんで、そんなことしてたの?」
「あっ、その……かっこいいなぁって」
アンヘルは穴があれば入りたい気持ちになる。しかし、正直に白状したことが功を奏したのか、ホアンとナタリアは顔を見合わせて笑った。
「いや、そうかそうか。そういうことだったか」
「やっぱり、男の子ってやつかなっ?」
ふたりは微笑ましいものを見る目でアンヘルを見る。その視線に余計にいたたまれない気持ちになった。ホアンがバシバシ背中を叩く。
「まぁ、だけど、これからはやめたほうがいい。他の門弟も金を払っているわけだから。あんなに長時間見学しているのは倫理に
ホアンは真面目な顔になりながら注意してきた。
「は、はい。もうしません。すいませんでした」
アンヘルはそう言って頭を下げる。そうすると、この話はもう終わりとナタリアが両の手をパンと合わせた。
「もう、いいじゃない。ねっ、ふたりとも。そういえば、自己紹介もまだだったね。こっちはアンヘル。見習い探索者さんよ。それで、こっちは軍入りを目指してるホアンよ」
「ホアン・ロペスだ。よろしく」
そういって、ホアンは手を差し出してきた。
ロペス。
ホアンはロペスと性を名乗った。
貴族ではない。貴族は爵位をミドルネームとして持つ。そして、爵位は貴族にとって名誉であり、誇りである。貴族はその誇りたるミドルネームを隠したりしないのである。例外も存在するが、堂々と性だけを名乗ったホアンには当てはまらない。こうやって、名前の後に性がつくのはいわゆる軍人の勲章姓。つまり、三等騎兵以上の地位にある軍人――恐らく父親が、戦勲を積んだ報酬として家族に姓を授かったということである。三等騎兵以上の軍人は、いわゆる現場指揮官に相当する。つまり、ホアンはこの都市における一定の地位を得た男の息子であることを示していた。
アンヘルは差し出されたその手を握り返した。豆が潰れたゴツゴツした手のひらであった。
「しっかし、ひょろく見えるが、探索者なのか。君は」
「まぁ、見えないかもしれないですけど。一応、探索者です」
「ふうん。まぁ、手はなかなか鍛えてそうな感じだったけど……」
体格と瞳はその人物の多くを映じている。アンヘルは魚取りや探索者稼業を続けていくうえで、急激に向上した食糧事情によって、身体が驚くほどの勢いで成長していた。急激な成長のために、どうしても筋肉が追いつかず、ひょろく見える身体つきと、その精神性を表した素朴な瞳から、どうしても探索者と思われにくいのであった。
「ホアンさんは、軍人を目指しているんですか?」
「ん、ああ、ホアンでいいよ。ああ、それで、軍か。父さんが軍人でね。俺も、軍人を目指そうかなって。いま、あの、
「えりーと? そ、それで、道場で訓練しているんですか」
「ああ、試験にも軍で活躍するにしても、腕前は重要となるからね」
「ホアンはすごいのよ! 16なのにもうすぐ、伝位に届きそうなんだから。この前あった、若者の剣術大会で優勝しそうなところまでいったのよ」
「すごい、そんなに強いんだ!」
「まぁ、若者ばっかりで腕自慢のやつは出場してないからっ。まぁ、それでも腕には多少の自信はあるが」
そうは言いながらもかなりの自信が伺えた。剣の腕に絶対の信頼があるようだった。
アンヘルの脳裏に華麗な剣戟で師範と思われる人物から勝利を手にしていた光景が蘇る。
「そうだ、君も門徒にならないか。探索者なら剣の腕はあって困るもんじゃない。それに、ずっと見学するより習ったほうが効率いいぞ。誰の目にもはばかられず、見学もできることだしな」
「いや、でもお金が……」
「あぁ。そうか、まあ高いな……」
アンヘルも幾度か道場に入門しようとした。セグーラの街には、ホアンが通う道場以外にもいくつか道場が存在しているが、どの道場もアンヘルの薄給で賄える月賦ではなかった。
何事にも習い事というものには金がかかるものである。中でも、道場はいわゆる私塾の役割も兼ねていた。軍人の卵を養成する私塾である。当然、読み書きや学問についての指導も行ううえ、力をもった人物が荒くれ者にならないよう道徳倫理や仕事の斡旋まで兼ねている。必然、上流階級の人間かコネのある人物にしか通うことが許されない。
「ま、それでも諦めないでくれ。剣術の指南だけなら、割安で人を受けることもあったらしいから、昔は。いま、師範の数が少ないからやってないが、いつか再開するはずだ。それまで待ってくれ」
そういって、ホアンは慰める。
アンヘルは剣術の指南のみが行われていることを初めて知った。
――あとで、詳しく調べよう……。
ホアンとアンヘルがふたりだけの世界に入っていたのが、気に食わなかったのだろう。ふんふんと拗ねた素振りをナタリアが見せる。
「もういいっ? 私たち、買い物があるんだけどっ! そんなに剣の話ばっかりしちゃってさっ」
「えっと。すいません。盛り上がっちゃって」
「もう、みんなそうやって女を除け者にしてさっ」
そう言いながらも、もう怒りの色はない。
参加するタイミングを見計らっていたのだろう。
「お金がないなら、ホアンが教えてあげたら? ホアンって実力あるらしいし、せっかく今日知り合ったんだから。剣で叩かれそうになったんだから、それくらいお礼してあげなよっ!」
「それは無茶だ。師範じゃないから。そんな勝手したら、破門になる」
「ふうん。意外と厳しいのね。道場もさっ」
「ああ。まあ、アドバイスぐらいならしても構わないけど」
「あれ、言っといてあれなんだけどさっ。ホアンって暇なの? 働かなくていいの?」
「暇なわけがない。こっちは試験までに腕磨いてる途中なんだ」
「へー。」
ホアンに強い口調で注意されてもナタリアが興味を示す様子はない。恐らく遠い世界の物語のように感じているのだろう。アンヘルにも、ホアンが遠い世界で暮らす人物に見える。歳はさほど変らないのに、将来に対するヴィジョンがまるで違った。
「その、試験って、いつあるんですか?」
「いつって言うか……。この街にはないよ。ここは帝国の辺境だから。皇帝直属領帝都グラディラウスか元老院属州にしか、
「す、すごいね」
「凄くないよ。受かってもないからな。語るだけなら誰だってできるさ」
帝都、元老院属州、エリート。アンヘルが知らない言葉ばかりすらすらと出てくる。ホアンは、剣の腕だけでなく知識に関しても十分な研鑽を積んでいるようであった。
「で、でもそれなら、この街を離れることになるんじゃないですか? 不安じゃないんですか?」
ホアンはおもしろそうに笑った。
「男は冒険してこそっていうだろ! 君も街に生まれながら探索者なんて志した癖に、妙なことを聞くんだな?」
「え、アンヘルは違うわよっ。たしか……ケソンから来たんじゃないかしら?」
「う、うん。1ヵ月前。村の人頭税が払えなくなって……」
ホアンは意外そうな顔を浮かべる。訝し気な表情をしながら、アンヘルをじっくり眺めた。
どうにも納得できない表情だ。
「1ヵ月まぇ!? 全然、そうはみえないけどな?」
「嘘じゃないわよ。街に来たばっかりのときは酷い格好だったしっ」
「いや、それは、忘れて欲しいというか……」
「あっ、ごめんなさい。もしかして、気にしてた?」
「う、えっと、そうじゃないけど……」
ホアンは、中々信じない。アンヘルは、元々日本人としてある程度の教育を受け、普通の農民以上に教養を身に着けている。そのうえ、見た目を整えてしまえば、初対面の人間はどうにも、アンヘルを町出身であると勘違いするのである。
もっとも、勘違いしてほしいナタリアには村出身であることが判明してしまっているのがアンヘルの持っていない所以であるが。
それでも、ホセは男らしく気にしないと決めたのか、もうその話題について触れることはなかった。
「で? そちらは何してるんだ。ナタリアさんは買い物だとして……探索者って暇なのか?」
「い、いや。そういうわけじゃ。いま、悩み事があって」
「悩み事? なにそれっ?」
「結構たいへんなんだな。探索者ってのは」
ふたりは口々に悩み事について訊ねてくる。それを耳に聞きながら、アンヘルはホアンについて考えた。
実力については問題なし。歳の頃も同じで接しやすい。ホセがうまくやれるかは分からなかったが気安いホアンのことだ。恐らくうまくやれるはずである。探索者でないのなら、実力が離れていても報酬で揉めたりしないだろう。あらゆる面でホアンは仲間に誘う条件が整っていた。
アンヘルは少し深呼吸すると意を決して頭を下げた。
「あ、あの、『塔』の攻略、手伝ってもらえませんか?」
その言葉は人通りも少なくない通りに響き渡る。辺りの人がアンヘルの大声にビクっとして反応した。
アンヘルは、頭を上げてホアンの顔をみた。
「はぁ!?」
ホアンの間抜けな顔が印象的だった。
§
アンヘルとホセは、日がようやく登り始めた早朝、セグーラの町東門周辺の広場に集っていた。
「で、なんとかひとりつかまえたと?」
「う、うん。木刀で打ち込みそうにになったことを負い目にしてたのか、渋っていたけど……」
「はぁん。言っといてなんだけど、どうせむりだろぉなと、おもってたんだけどよぉ。アンヘルにはよぉ」
ホアン・ロペスはアンヘルの提案に驚き、当初は断ってきたのだ。しかし、ナタリアがホアンに対して木刀でアンヘルを襲った事を引き合いにだしつつ、何回か手伝うことに渋々同意させた。
ただ、本人も度重なる試験勉強に嫌気が差していたのだろう。道場に通う子息であるホアンには、実践を積む機会などそうそうなかった。実際の戦いの場の空気を知っておくことが試験で有利に繋がるとホアンは考えたのか、アンヘル達と分かれる頃にはノリノリで準備の計画を進めていた。
――本当、ナタリアさんには助けられてばっかりだな、僕。
「そ、それで、ホセは見つかったの? 新しい人」
「ああ。ふたりくるぜ」
「え!? ふたりも! どんな人なの? 強い?」
「いや、どっちもずぶの素人だけどよ。ちょっと、扱いずれぇが、なんとかなんだろぉ」
「えぇ!? だいじょうぶかなぁ?」
「まぁ、しんぱいすンなや! わりぃやつらじゃねぇからよ。それよりよ、そっちの奴は、どんな奴なんだぁ? からだのよぇやつじゃ、使いもんにならねぇぞ」
「あ、うん。心配ないよ。道場に通う人でかなり強いはずだから……」
そう言ってホセに対してホアンの事を説明しようとしたアンヘルだったが、その背後から複数の声がかかった。それに対してホセは返事を返し、アンヘルの会話を打ち切ったうえで、彼らの紹介を始めた。
ふたりの男はナセ、ヨンと名乗った。
ナセは比較的背の低く百六十ほどの男でホセと似た体格をしている。頭皮はボサボサで、あまり綺麗にしていないのが伺えた。胸を張り、手をポケットに放り込んだその歩き方はどことなくホセに似た部分を感じさせる。しかし、目元にある大きな隈が、彼の印象を
対照的に、ヨンはアンヘルに迫るほどの体格で、貧民暮らしとおもわれるその装いに反して若干肥満体質である。ヨンはナセを頭と認識しているのか、良妻のごとく三歩後ろに付きしたがっている。
アンヘルは、第一印象からヨンとは仲良くなれそうだなと思った。
「こっちの奴が、ナセ。で、そっちの奴がヨンだ。それで、こっちの奴がアンヘルだ」
「はぁー。だいじょうぶかぁ? こんな、ひょろい奴でよぉ」
「しんぱいすんなぁ。アンヘルは、これでもまぁまぁキモがふてぇ。それより、そっちのデブはいいのか?」
「まぁ、使えねぇが、力はあるからな。にもつもちくらいには、なるだろぉよ」
そう言ってナセはヨンを顎で示した。ヨンは大きな身体を小さくしながら、ぺこぺこと頭を下げた。よく見ると、ヨンはふたつ袋を担いでいる。ナセが何も持っていない所をみると、ヨンが2人分持っているのだろう。
ナセはアンヘルのことなどどうでもいいと言わんばかりに振る舞う。早くもナセとアンヘルとの間に格付けがついてしまった。
「で、早くいこうぜ。さっさとよぉ、こんなに朝はやいんだぜぇ」
「そうだな、おい! アンヘル。新人はまだかぁ?」
「え、えぇっと。じ、時間は伝えたから、もう来ると思うんだけど……」
「あぁン!! なんだそれはよぉ! はっきりしろや、ボケ!!」
「おい! やめろって、ナセ」
アンヘルはいきなりの怒声に反応して反射的にびくっと震えた。ナセはどうやら、ホセよりも遥かに気が短いらしい。しかし、ホセには従うのかナセを諫めると、舌打ちしながら引き下がった。
気まずい沈黙が4人の間に流れる。黙ったまま、少し待っていると通りの向こうからホアンが走ってきた。
「すまん、すまん。遅くなって。ブーツが中々見つからなくてね……」
そう言って、ホアンは軽く謝罪した。
ホアンは昨日見た姿と違って、十分に武装した姿でやってきた。上半身には体格に合わせて作られた茶色の皮鎧、アンダーにはキルティングが施されたものを着用している。足元は脛の中ほどまである丈夫そうなブーツで覆われていた。彼の赤い短髪に良く似合っていた。
「おぃおぃ!! なんだぁ、遅れやがってよぉ! その態度はよぉ」
そう言ってまた、ナセは怒りだす。
「すまないっていったじゃないか」
「だから、やめろって言ってんっだろ! ナセ!!」
「あぁ!? なんだよ! おれが間違ってるってのか!?」
「こんなところでよぉ、やめろよ! まだ、なにもよぉ、はじまってないんだぜっ」
「でもよぉ、こいつ絶対舐めてやがるぜぇ」
「もう、やめろって! おい、あんた。ホアンっていったか? 時間はまもってくれよなぁ」
ホセはナセを諫めながらホアンにも釘を刺した。ホアンはそれに同意して、もう一度謝罪したが、ナセは舌打ちしながらホアン側を向かなくなった。そして「さき、行くぞ!!」といいながら、ヨンを腹いせ代わりに蹴りつける。
ヨンはウッと唸ると、地面に両の手をついた。ホセはナセを注意するためか、「おい!」といいながらナセを追いかける。
アンヘルとホアンはヨンが心配になって、声をかけた。
「ね、ねえ。だいじょうぶ?」
「しかし、かなり苛立ってるな。探索者ならそんなものなのか?」
ヨンは埃を払いながら落ちた袋を拾う。そして、アンヘルが差し出した手も取らず、独力で立ち上がった。
ヨンは卑屈そうな表情で言ってきた。
「で、でえじょぶだから……」
「で、でもさ。そんないきなり蹴られるなんて」
「あいつ、なにか気に食わねえ事でもあんのか?」
ヨンは一瞬、逡巡したあとふたりに告げた。
「ぁあ……ナセさんはしゃっきんがあるだ……。いま、気がたってるんだべ……。その、おまいらも気をつけたほうがいいだっ。ナセさん、おこぉると手がつけられンだ……」
ナセと借金。
アンヘルはホセの口からたびたび出てきていたその名前を思い出した。彼はホセと用心棒業を一緒に立ち上げた人物である。ホセは彼と賭博を一緒にやったときの知り合いだと漏らしていたのだ。借金は恐らく、賭博の代金だろう。常習的に博打をする人間特有の刹那性をナセは醸し出していた。
その荒っぽい雰囲気は探索者に向いている気がしたが、ヨンには余りそぐわない。アンヘルについ疑問が口から出た。
「き、君はどうして、この仕事に参加したの?」
「確かに。あまり向いているようには、見えないが……」
「んとだ、ナセさんは頭だから……。おいらは付いていくしかないんだっ」
そう言ってヨンは先に行くふたりを追いかけようとしたが、最後に思いついたようにこちらに忠告した。
「ナセさんは、怒ると……ホントこええだ。とくに……、あんた……ホアンさんていっただか。あンたみたいな、坊ちゃん……ナセさん大きれぇだから。じっとしてて、くだせえ……」
そういうと、彼は駆け出していく。
前途多難な探索になりそうだ。アンヘルは今日の探索が順風満帆に進むことを神に祈った。
「はぁ、前途多難だ……」
ホアンは腰に手を当てながらあきれ果てた。
――ホアン……。それ、僕が先に思ったから……。
苦しくなると、どうでもいいことが気になるのがアンヘルの癖だ。
§
「おらぁあああ!」
ホアンは叫びながら、上段に構えた長剣から袈裟斬りを放つ。そして、そのままの勢いで、横にいた敵へ飛びかかる。
強敵――『ドラゴンシード』。『塔』の内部へ侵入してはじめて登場するモンスターである。緑色の蛹型モンスターでかなり小型だが、森にも多数出現するゼリー状モンスターよりはるかに頑丈な外甲殻というべき鎧を纏っている。奴らの突撃にはアンヘル達が対峙したどのモンスターにも勝る威力と速度を誇っていたが、ホアンにとっては飛んでくる的であった。アンヘル達が苦労したその生命力をものともせず、長剣で叩き割った。
その近くで、アンヘルとホセが駆け出す。周囲のモンスターはリーダーとする『ドラゴンシード』が瞬く間に撃破されたことによって、および腰だ。
アンヘルはモンスターの考えが理解できるほど、この『塔』に通い詰めていることに、場違いながら感慨深くなった。それでも、アンヘルの手は緩まない。ホセが一撃で敵を斃すと同時に、アンヘルも相手に打撃を見舞った。そして、気絶してピクリともしない敵に、鉈による止めの一撃――止め専用の鉈を振り下ろした。
ブシュッと体液が飛び散った。
後方では、ナセとヨンが同数の相手に苦戦していたが、早々に大将を撃破したホアンが援護にまわっていた。強固な外殻を一撃で叩き切るその剛剣の前になすすべなくモンスターは敗北した。
――楽だ。まるで雑魚みたいだな……。
前途多難な門出となった人間関係とは対照的に、探索は悠々と進んだ。味方が五人となることによって、圧倒的な手数を得られたアンヘル達は、塔の内部であっても苦戦することなく進行していた。アンヘルやナセら複数の人間がモンスターを相手取っている間に、ホセが的確に敵を各個撃破してゆく。
そして、際立ったのはホアンの強さであった。メンバーの中で、もっとも敵を撃破する確立の高いホセであってもモンスターを相手にするには一対一でなければ厳しい。複数の敵を相手取ると乗数的に難易度が上昇する。その戦いの原則は、動きの不確定性が増大するモンスターとなると殊更変えられないルールであった。しかし、ホアンは日々培った圧倒的な剣技によって、一方的にモンスターを切り伏せた。まさに、鎧袖一触である。一度に複数の敵を相手取るその実力は、チーム全体の負傷するリスクを大幅に下げた。
しかし、その強さが人間関係をいい方向に導くわけではなかったが。
「へぇへぇ。すごいですねぇ。さすが、ホアンさまだ」
そう言って、ナセは拍手をする。彼の言葉には、からかいと内に秘められた醜い嫉妬が多分に含まれていた。
「ああ、そうだろう。今のは、【
「はー。そいつは、すげえですなぁ」
そういってホアンは得意げに話す。
ホアンの気のいい面がありありと出ている発言だったが、彼は悪意を察する能力が致命的に欠けていた。ナセが剣技をからかい混じりに褒めて、それを真に受けたホアンが返すといった奇妙なやり取りがアンヘルの目の前で行われていた。
――もしかして、ホアンって天然なのかな?
そのうえ、ホアンはなかなかに正義感の強い男であった。正義感が強いというのは、大抵の面において正しいことであるとアンヘルは思っているし、信頼できる人物の条件にもなると考えている。彼のような誠実な人間が軍に入るべきだと思えるほどの、一種の才能である。
しかし、アンヘルは彼の信頼できるその部分が今日だけで嫌いになりそうであった。
「おい! ナセ。あんたも、魔石拾いを手伝ってくれよ!」
「おれは、けーかいってやつだよ。けーかい。そんなのも分からンのかぁ?」
「だけど、そうやっていつもヨンとアンヘルに任せてるじゃないか!」
「ホセだって、何もしてないだろがよぉ」
「彼は、ちゃんと見廻っているが、君はさっきから座り込んでるだけだろ!」
「座ってみてんだよ!」
ナセは座り込んだまま立ち上がらない。
こういったふたりのやり取りは幾度となく繰り返されていた。
ホセも最初は注意していたが、一向に改善の兆しが見えないふたりの関係に無視を決め込んでいた。そのうえ、ホセ自身にも上流階級出身のホアンに対して何らかの含みがあるのか、ふたりで話し込む様子はなかった。
そして、当然のごとくカースト下位に回されやすい性格のアンヘルとヨンは淡々と魔石を回収する。アンヘルはナセに便利な奴だと思われたのか。ナセに頻繁にこき使われていた。そして、それを見たホアンが注意するという誰も得のない負の
――別に食糧をあげたり、雑用をするくらいいいんだけどなぁ……。
アンヘルは順調に進む攻略と、それと同じくらいに破綻している人間関係の板挟みに苦しんでいた。ヨンは我関せずという様子で、黙々と作業を続ける。
これまでにないほど順調であるのに、アンヘルは今すぐにでも街へ帰りたかった。
完全に魔石を取り終える頃、ふたりの諍いも収まった。ホセが介入したのだ。ホアンは不承不承、ナセは舌打ちをして離れる。
ナセはホアンから離れると、小さな声で呟いた。
「おれだってよ、あいつみたいに剣があればよぉ。いくらでも活躍できんのによぉ……」
そう言ってヨンを小突く。
ナセの武器はアンヘルたちと同じく、ただの棍棒である。ナセはそのことについて、さっきから幾度も文句を言い続けていた。
ホアンの持つ長剣は非常に高価だ。
一般的な短剣に分類される長さの武器は、扱いやすいうえに鍛造の難易度から、努力すれば手が届く値段である。しかし、長剣は製造に複雑な技術を必要とするうえ、用途が戦争に限られる。そのため、どうしても持っている人間は少ない。
とはいえ、この面子の中で下から2番目に弱いナセが武器を手に入れた程度で、日々訓練を重ねたホアンと同じ働きができるとは到底考えられないが。
――こんなに争ってるのに、なんでホアンは褒められたことに疑問を感じないんだ? ホアンってもしかして、バカなの?
常とは違う疲れからか、アンヘルはホアンを侮辱する。
「おれもよぉ、ああいう、金持ちのいえにうまれりゃよお。女どももとっかえひっかえだったのによぉ。なぁ、てめぇもそうおもうだろ」
「ええ、ええっと。うん、そうだと、思うよ?」
「ああ!? ちがうってか? バカにしてんのか!?」
「い、いや! そんなことないよ」
「ふん。ま、てめぇよりは、マシだけどな!」
そういって、アンヘルの頭を軽く張る。
その行為がホアンの目に留まった。ホアンがまた厳しい口調で注意し始める。
――まただ、もうやめてよ……無限ループだ。
ダンジョンの探索は厳しい所も多いが、苦難を乗り越え、徐々に成長している自分が好きだった。アンヘルは日本で暮らしていたにもかかわらず、ダンジョン探索という命の危険も省みない向こう見ずな人生がなんとなく、性にあった。けれど、それがきょう、覆されようとしていた。
仲間の重要性。アンヘルは戦力でもなく、補給でもなく、人間関係によって仲間選びの重要性を理解した。
理解したと同時に、今日が早く終われと願った。
すると、助けの声はホセから響いた。
「もう、十分な数はあつめた。てっしゅうだ」
ホセは苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。
§ § §
日は沈み、街は驚くほど暗い。昼間は活気に満ちていた通りも、いまは人影ひとつ見えない。
セグーラの街はトレラベーガ帝国南端に位置する、最も辺境にある都市である。近年、進歩の著しい魔道具による工業化も、この都市では通りひとつ離れるだけで、その恩恵をなくした。煌びやかな大通りと繁華街の区画以外は、日が暮れると同時に、誰も住んでいないかの如く静かになる。
そして、都市には税の厳しさから若者が街に際限なく流入してきていた。それは必然、仕事のない浮浪者の増加による都市の治安を引き起こしていた。そして、その犯罪行為は、さびれた郊外に集中した。
(はああ、しっぱいしたなぁ。つけられてるみたい、どうしよう)
誰もいない通りを歩く少女――ナタリアは、早歩きで後ろを振り返りながらすすむ。彼女は、実家の酒場『菜の花亭』で切れた酒を補充に買い足しへ行ったのだ。しかし、つけられていることを察したナタリアは、撒くために街を走ったが、急いだせいで人のいない区画へ来てしまっていた。
(もおお。最近視線を感じてたのにぃ。さいあくぅ)
ナタリアは走ったり、早歩きを繰り返して撒こうとするが、相手との距離が離れることもなく後方20メートルの位置をキープされていた。
そのうえ、逃げることに必死なナタリアは、自分がいる位置を見失っていた。半時間ほどの追いかけっこの末、レンガ造りの住宅街から、木造の貧民街に辿り着こうとしていた。
(さいきん、悪い人がふえたってお父さんが言ってたけど……。もおお、なんでなのよぉおお)
ナタリアはこのあたりの区画まで来たことはなかった。これ以上進めば取返しの付かないことになる。ナタリアは覚悟を決めて振り返り、相手をキッと睨みつけた。
若い男だ。
20代くらいのひょろっとした男である。髪は乱れていて、頭頂は薄い。顎は異様に出っ張っていて、ぎょろぎょろした目つきがせわしなく動いている。その大きな身体に似合わず、卑屈そうな体勢がより不気味さを強調していた。
――うええ。こわいかも……。
それでも、なんとか声を出した。
「あの、さっきからずっとつけてるみたいですけど。なにか、御用ですか? なにもないなら、私行きますんで! もう、追いかけて来ないでくださいね!」
ナタリアは勇気をふり絞って、相手を指差しながら言った。そして、なるべく視線をそらさないようキッと睨んだ。
(だいじょうぶ、こういう連中は強く言われたら、にげていくから)
必死に強気の仮面を取り繕った。しかし、それでも恐怖が勝った。ナタリアの足はかすかに震えていた。
ストーカーというのは、大抵の場合強く言われればその場は去っていくものだ。相手の住所を知りたいなどと特別な理由がないかぎり、付きまとう行為はその男の積極性がないことを表している。ストーカーはいきなり直接行動を起さないからストーカーなのである。
しかし、今回の場合はそれが悪い方向に働いた。恐怖に逃げ惑う姿や震えながら忠告したのが見せかけにしか見えなかったのだ。ナタリアの抵抗は、男にとって可愛らしいアクセントにしかならなかった。
「な、ナタリアちゃん!」
そういうと、男はナタリアの手を強引に掴んだ。高い身長に似合ったその大きな手は、かなりの剛腕でナタリアの細い腕へし折る勢いで引っ張る。
「な、なんですか!? ちょ、はなして!!」
「いっ、いっしょに、く、くるんだな!」
「いや、いやです! はなして! 人、呼びますよ」
「べ、べつに、いいんだな。だれも、こないな」
男はナタリアをずっとつけまわしていた犯人であった。アンヘルがホアンに木刀で打たれそうになった原因である。男はナタリアを襲う勇気が持てず、ずっとつけまわしていたのだ。しかし、それは失敗に終わっていた。ナタリアが早々に気づき、周囲から人を絶やさず、夜に街へ出かけないようになっていた。ナタリアはこれでも酒場の酌婦である。一般女性よりは遥かに自己防衛する術を身につけていた。
そのため、男のストーカー行為は継続できなくなり、パタッと一度はなくなったのだ。ナタリアはそれに油断して、夜に外出してしまった。そして、たまたま男と遭遇してしまう。さらに、逃げ惑って人の少ない区画に入り込んでしまった。それが、男の欲望に火をつけたのである。
「ほら、はやく、するんだな!」
「名前も知らない、あなたなんかに、だれが!」
そういって、ナタリアは掴まれた腕を振り払うと伸びてきた手をひっぱたいた。後ずさって警戒を強める。
身体はぶるぶると恐怖に震えていた。対照的に、男は自分の物になったと錯覚したナタリアからの反撃で、目の色を変えた。
男は一歩前にでる。ぐっと大きな体がナタリアに近づいた。
「やだ、こっちこないで!!」
相手から距離を取るため全力で駆け出す。しかし、恐怖で足がすくむナタリアの速度は遅い。
服を掴まれながらもなんとか曲がり角を曲がろうとする。ビリビリッと服の割ける音がした。
角を曲がった先に、小さな男が歩いているのがみえた。その男が、事態を好転させる要因になればと考え、きゅっと勇気をふり絞った。
「助けてっ!」
今まで出したことのない切迫した声だった。高くかすれたその声は辺りによく響き渡った。
小さな男は小さな斧を背負っており、丈夫そうな皮の服を着ている。貧民街に似合わず、靴も上質な物を履いているのか、皮のブーツを履いていた。その顔には、体格に似合わず生意気な顔が乗っている。ナタリアにはその顔に見覚えがあった。
――たしか……アンヘルといっしょにいた……ホセだっけ?
ナタリアは、アンヘルと一緒に一度だけ来た少年――ホセを思い出した。ふたりの邂逅は、一方的にナタリアの気にしている身体的特徴を揶揄される最低な内容だったが、そのことも忘れ彼の背に隠れた。
「あ、あの、助けてください。襲われてるんです!」
男は一瞬驚いた表情をしたが、目の前に飢えた狂犬のごとき男が立ちふさがると目に理解の色を浮かべた。そして、ニカッと童のように笑うと、一歩相手に向かって踏み出した。
男は気圧されたように後ろへ下がった。ホセの斧を背負う小さな背中が、まるで父親のように頼もしく見えた。
「あぁ!? なんだてめぇ?」
「な、なんなんだな! か、関係ないんだな!」
「ンだとてめぇ!」
そういって、ホセはナタリアを庇うように腕を広げた。
ナタリアは不安になって、ホセの背に手を添えながら顔だけ出して様子を伺った。
その様子が男の嫉妬を煽る。奇妙な叫び声を出した男は突進してきた。ホセは男の突進を軽くいなすと、顎に一撃を与え、昏倒させた。
ガクッと男が地面に倒れ伏すのが見えて、ナタリアは漸く自身が助かったことを実感した。ナタリアは腰から力が抜けて、へなへなと地面に座り込む。はぁーと大きなため息を吐いた。なかなか立てそうにない。
それでも感謝の意を示そうと、昏倒した男の顔を見ているホセに言った。
「あ、あの、ありがとうございます。助けてくれて」
ナタリアは無意識のうちに声を高くして礼をいった。ホセはナタリアを助けたことを誇ろうともせず、座り込んだナタリアに手を差し出した。
「ん、ああ。気にす……うん? あんた、あんたたしか……胸なしか!?」
ホセの最低発言が響き渡った。