皆様、本日はご多忙の中、私たちの結婚式へご列席いただきありがとうございます。この場をお借りして、日頃は伝えられない、私を育ててくれた父への感謝の手紙を読むことをお許しください。
お父さん、二十二年間、育てていただきありがとうございました。無事今日という日を迎えることができたのも、お父さんのおかげだと感謝の気持ちでいっぱいです。
子供の頃、はじめて喧嘩したことを覚えていますか? 私が教会のシスターを目指すといったとき、お父さんは見たことないくらい怒鳴りましたね。あのときは許せませんでしたが、今は私のことを想って、叱ってくれたんだとわかります。
こんな頑固さはお父さん譲りですね。若い頃、軍の改革に熱を上げたこと、皆さんからよくお聞きしました。融通の利かない私をここまで育てて頂き、ありがとうございました。
大切に育ててくれたお父さんの元を旅立つ寂しさはありますが、これからはイーサクさんと二人三脚、しっかりと進んゆきたいと思います。どうぞ、神様と一緒に暖かく見守りください。
イーサクさんのお父さん、お母さん、そしてエマちゃん。本当の家族、姉妹になれて本当にうれしく思います。一日でも早く馴染み、仲の良い家庭を築いて行きますので、これからもよろしくお願いします。
こうして今日を迎えることができたのも、ご列席くださった皆様のおかげです。未熟な私たちではありますが、どうぞ暖かくお見守りくださるようお願い申し上げます。
エドゥアルドの娘ブリヒッテ。
何度となく読み返した文章。紙切れの端はヨレ、何度もこぼしてしまった涙の跡が残っていた。
そのたった一つの思い出を封筒に仕舞い、壊れ物のように懐へ戻した。これだけが、幾度となく折れそうになった自分を支えてきたものだった。
「イーサクさん、いつもその手紙を見てますね。何が書いてあるんですか?」
「メルクリオ、か。いや、何もないよ」
気さくに声を掛けてきた、五つ年下の同門。人懐っこい性格で、イーサクもそんな彼を弟のように可愛がっていた。
だが、彼も立派な救国主義者の一人である。一見優男風の見た目の下に、恐ろしいほどの怒りを溜め込んでいることは、よく知っていた。
倒院、そして憲兵機構の是正。
不幸を越えた男たちの情熱は、一点に収斂されていた。『あの人』が唱えた革命。その日は目前に迫っている。
熱意が膨れ上がりすぎたのだろうか。がたがたと足が無意識のうちに揺れている。イーサクは強く爪を噛んだ。
「イーサクさん、これを」
「あ、ああ」
メルクリオからモノを受け取り、それを口に含んで嚥下する。これで大丈夫、まだ俺は戦える。彼の肩に手を置いて、軽々しい足取りで皆が集う場所へ向かう。
薄暗い室内に揃うのは数十人の勇士たち。皆覚悟を決めた顔つきをしている。たとえ作戦が成功を収めたとしても、自分たちの命がないと知らされているからだ。
だが、すべて承知の上だ。
自分たちの屍を踏み越え、必ずや『あの人』が革命を成し遂げてくれるはずだ。想いを継ぎ、必ずや世界を正してくれる。そう信じていた。
イーサクは勇士たちの前に立ち、雄々しく微笑んだ。男たちも粗野な笑みを返す。言葉にせずともわかっている。そんな暗黙の了解に目の奥が熱くなった。
「皆、しっかり休んでくれ。そして、帝国の素晴らしい明日を願って」
さあ、これからが革命の始まりだ。
§ § §
「うそ、嘘よこんなのっ! イーサク兄がこんなことに加担してるだなんて、そんなのッ――」
部屋一杯に悲鳴が轟く。一人の女が首を激しく振って慟哭していた。
ガタガタと激しく窓を叩く風の音。大きな紗で掩うたかと思うように薄い陰翳が夜空を包んでいる。いつもなら星燈でうっすらと見える連峰が、罩めた灰色の積雲のせいで影も形も伺えない。
慣れてしまった場末の連れ込み宿。ギシギシと煩い床版に響きわたる喘ぎ声。汚れの染み付いた椅子は自重で軋みをあげている。ぼんやりと淡く光る蝋燭。その時折掻き消えそうに揺らめく炎は、まさに自分たちの運命を暗示しているようですらあった。
バアル教団と救国主義者。彼らを追った捜査は一応決着を見せた。
長い、長い調査であった。
約一ヶ月。友人を装って接近し、身辺を洗いざらい調べた。人間関係、弱み、好意、思想。そのすべてを詳らかにした。
続く逃亡生活。エマになじられながら憲兵の執拗な追跡を躱した。幾度となく折れそうになりながらも踏みとどまった。
名も知らぬ候補生を叩き伏せ、信頼してくれたアリベールを利用した。塗炭の苦しみ、そのすべてを近日で味わった。
その末辿り着いたのは、元老院議員全員が集まる帝国議会への襲撃計画であった。
大量の兵器を発見してからの記憶はほとんど残っていない。全身の血が凍結したように冷え、手足は感覚を失ったかのようだった。絶望するエマの手を引いて、必死に地下を脱出した記憶がぼんやりとある。
冗談ではなかった。オウルのような遊び半分の手口ではない。本当に国家転覆を目論んだ陰謀であったのだ。
心底恐怖した。
その執念に、信念に。命を賭けてでも変えてやろうとする、情熱に。
「先輩、そろそろ報告をお願いしますよ」
魂の抜け切った顔つきで見る。機構の同僚としてサイレール撲滅を任務としているガイルスが、ポケットに手を突っ込んだまま冷笑を浮かべていた。
「それで、どうなったんです? 敵のアジトに潜入したんですよね」
「そう、だね――」
アンヘルは今までの経緯を語った。リカルドの父エドゥアルドから、過激派に身を窶したと予想される人物の名簿を貰ったこと。彼らを追跡するため、アリベールから追跡用魔道具を融通してもらったこと。名簿こそ役に立たなかったものの、エマの記憶を頼りに魔道具を荷物へ忍ばせたこと。一部すでに報告したことが混ざってはいたが、敵のアジト発見までの経緯を漏らさず話した。
「なるほど、敵のアジトで何か見聞きしましたか?」
「どういう意味? 大量の武器を発見したぐらいしか――」
「いえいえ。他に何か見聞きしてないのか、という意味です」
他の情報といえば。都市の地下にある敵のアジトで救国主義者が語ったことを、アンヘルは記憶の海から探し当てた。
「“援軍”や“見取り図”って言っていたような」
「他にはどうです?」
「……“魔剣”って、聞いた気もする」
(そういえばエマさんも言っていたような……どういう意味なんだ?)
見取り図や援軍はおそらく議事堂襲撃の話なのだろうが、魔剣というのはどこにも繋がっていない。
ふと、ガイルスが一人笑っていた。
「もしかして、君は何か知っているの?」
「いえいえ、何でもありませんよ。それより先輩所属の班長を紹介するって話、どうなってます?」
「クナルのこと? 今はそれどころじゃないでしょ」
「思い立ったが吉日というでしょう。こっちは普通に学校もありますから、縁は繋いでおかないと」
と言いながらも、ガイルスは笑いながらカッコンカッコンと椅子を前後に揺らめかせている。
アンヘルは顔を顰めながら、部下のベップにこちらの指示だと伝えれば取り計らうだろうと告げた。
「それで、君はどうしてここ数日姿を現さなかったの?」
「別件ですよ、別件」
「この調査以外に優先すべき任務があると?」
「まあまあ、そうカリカリしないでくださいよ。先輩と違って他に二つも掛け持ちしてるんですから――ああ、そうだ。先輩も内一つは聞いておいたほうがいいですよ」
ガイルスが指を一本立てた。
「先輩が聞いた”援軍“という話なんですがね、実は見当がつきますよ。なんでも、不審者が先輩の同期であるラファエルさんらを襲撃したとか」
「それってヴィエント家の?」
「ええ。襲撃したのは『僧服の男』と『剣士』の二人組だったそうですが……先輩はバアル教団の教典をご存知で?」
ぶんぶんと首を振った。アンヘルは召喚師としての能力を持つ身、召喚師至上主義を唱える教理に興味を示すのは不味い。そういう特異思想は調べることすら奇異に映るものである。
否定に対して鳩のように頭を前後させたガイルスは、召喚師と剣士がペアになることが習慣付けられている事実を述べ、白昼堂々と犯行に及んだ事実から危険性にも注釈した。
「彼らは高い確率で教団の人間でしょう。なぜラファエルさんらを襲撃したのかは不明ですが」
愉快犯の可能性もあるので要警戒です。そう一言付け足したガイルスは、懐から一枚の紙を取り出してパンパンと手を打ち鳴らした。
「はいはい、ちゅうもーく」
泣き崩れていたエマが泣き腫らした目元のままゆっくりと顔を上げた。その瞳には強い虚無が宿っていた。
「何するつもり?」
長い前髪の間から覗く双眸に嗜虐の色を見つけ、アンヘルは慌てて肩を掴んだ。
ガイルスは一瞬戸惑ったような顔をしてから、すぐさまにやりと笑った。井戸端で他人の不貞を論うような、悪趣味代表のような笑みだった。
「ああ、もしかして惚れました?」
アンヘルは胸倉を掴み上げ、薄笑いを浮かべる口から息が届くほどまで詰め寄った。
「冗談ですよ。謝りますから離してください」
舌打ちしてから突き飛ばす。ガイルスは一、二歩たたらを踏んでから乱れた襟を正し、エマに向かって一枚の紙を突きつけた。
真っ白な羊皮紙に描かれるのは美しく達筆な文字だが、どこか事務的な匂いが漂う。遠目から見たそこには、小さく細々とした文章の上に「恩赦状」としたためられていた。
「これ、は?」
「貴方のこれまでの罪。脱獄やらなんやら含めて、すべて無罪になりました」
――サイレール密売に関しては、ね。
どこか含みのある声音。それに気づかないエマは、ゆっくりと震える手を恩赦状へ伸ばした。
そろりと指先に紙が触れる。
その瞬間、ガイルスは届かぬよう上に持ちあげると、そのまま両手でビリビリに破いた。
恩赦状は原型も残さず幾重にも千切られた。舞い散る紙吹雪。何が起こったのかわからない、そんな表情でエマは残骸が地面に落ちるのを眺めていた。
「どう、して」
「貴方には恩赦が適用されない、それだけのことです」
冷徹な目でガイルスが恩赦状の残骸を踏み躙る。
「先輩には黙っていましたが、貴方の実兄イーサクは過激派の救国主義者としてマークされていた人物です。傘連判状では最上位に位置し、組織の中心人物と目されていました」
「……最初から、わかっていたの?」
「先輩方が指名手配されてからではありますがね」
上司であるユーシンは、エマの廃倉庫発見の経緯から周囲に過激派の影があることを鑑み、親族知人の徹底的な洗い出しを検討したらしい。その結果、イーサクがなんらかの活動に関与していることを掴んでいたというのだ。
「国家転覆を目論んだ者が親戚内にいる。多少協力したぐらいで恩赦の沙汰がくだる筈もないでしょう?」
陰鬱な表情を浮かべたエマ。アンヘルはいたたまれなくなって目を逸らすしかできなかった。
誰もが口を噤み、真実から目を逸らしていたこと。その事実。
元老院襲撃が成功した暁には、エマは死ぬ。リカルドも死ぬ。エドゥアルドも死ぬ。
すべては消えてなくなる。大衆は限られた情報から革命の真相を探る頭脳を持たない。感情的にも、帝国を混乱の最中へ導いたものたちを悪逆非道の徒の罪咎を糾弾するだろう。しかし、戦いの末に残る生贄は数が足りない。その下請けを、何も知らない親族が引き受けるというのは合理的帰結である。
そして、革命はなしえない。
帝国は一枚岩ではない。皇帝派、元老院派、平民派。単純化した派閥だけで三つある。
全州会議に出席するのは元老院やその関係者、そして五大貴族だろう。つまり、全州会議で関係者を運よく全滅させることができても、皇帝派はまるまる残ることになる。
そうなれば、大神祇官は弱った元老院属州を直轄領にして、民衆の支持を得るために危険分子を一掃するだろう。よくぞ門閥派を一掃する手筈を整えてくれた。そう、ほくそ笑みながら。
結果は利益を得たドミティオス、帝国を弱体化させたバアル教団、元老院に復讐できた過激派たち。そして――
瓦礫となったオスゼリアスに彼女の墓標が残るのだろう。
誰の陰謀でもなく。
集団の意見の相違の果てに。
「まだ手はあるっ!」
気付いたとき、アンヘルは拳から血が出るほど強く握りしめ、何度も振りかざしては絶叫していた。
未だ負けたわけではない。計画は実行に移されていないのだ。発見したアジトの襲撃や構成員の撃破など、多用な方法論を説く。
「ま、悪くはない考え方ですがね」
「なら――」
「ですが、先輩だって本当は理解しているんでしょう? これだけ大規模に準備しているんです。先輩が発見した場所だけしか存在しないと本気で思いますか? と云うかそもそも、相手が武器を失わせただけで計画を実行しないと思いますか?」
ガイルスは呆れたと首を振った。
「標的が一斉に集まる機会なんです。多少の障害くらいモノともしないでしょう」
彼が足を払うと恩赦状の残骸がふわりと舞い上がり、そして霧散した。どうやっても根本から探し出すことは不可能だ、そういう証明であった。
「まだ、まだやれる――」
「もういいっ」
エマが地面に蹲って叫んでいる。伏せた顔は伺えずとも、涙の滴り落ちた痕を見れば、そのかんばせの推察はたやすかった。
「家族の罪は、誰かが償わないといけないんだから。だから……」
それを見て、アンヘルの中で得もしれぬ感情が湧き上がっていた。
最初に浮かんだのは、自分が助けられなかった少女の顔である。彼女は同じように、家族の不始末の責任を取るようにしてこの世を去っていった。短い生を儚むこともできず、自身の幸せの為ではない不条理で、運命という名の星はついえた。
人の繋がりは歯車のようなものだ。誰かが力強く駆動すれば、周りもそれに追い立てられ回転する。だが、どこかか一箇所でも大きく欠損すれば、砂上の楼閣のように崩れ去るのである。
彼女に訪れたのは、まさにそのようなものであった。
「そんなことないっ!」
身体は無意識のうちに走り出していた。彼女の肩を抱いて起き上がらせる。月明かりが差し込む窓の方角を無理やり向かせた。まるで、救いの希望を直視させんばかりに。
認めてなるものか。なんのために士官学校を志した。家族の不始末を一身で受け止めた少女、その理不尽を再び起こさぬために力を求めた。
こんな結末を再現しては、結局なにも成長していない事実を認めてしまう。それだけは、悪魔に魂を売っても許せなかった。
「これも神様の、お告げなの……私の人生はここまでだって」
「神なんていないっ!」
思いっきり壁に拳を叩きつけた。
「神なんているはずはない! あんなものが神だなんて、僕が認めないっ!」
「あんへる、くん?」
「あいつらは悪魔だ。あいつらのアガペーは僕らに何も益しない。人の心も理解できないような奴らが、神であっていいはずがない! 僕たちを助けるのは、僕たち自身。一人で立たなきゃ、誰も助かりやしないんだ!」
あの時とは違う。無力に転がされてばかりだった過去の自分とは違う。戦って、戦って、その先の未来を掴むため、ここにいる。
胸を張れ、剣を取れ、一歩一歩進み続けろ。それこそ、自分の目指した姿のはずだ。
身体が燃える。力強いなにかが全身を駆動させた。燃え上がるような熱が脳を焼き、全身を焦土と化し、心を灰に変えた。それでも残った熾火が、アンヘルの身体を突き動かす。
無理やりエマを引っ張り起こす。深い諦めを宿した目など気にもせず、血走った目でガイルスを見つめた。
「襲撃が失敗すればいいんだろ?」
「ええ。元々この情報はバレンティア騎士団にでも流して警備を強化させるつもりですから」
「僕らが首謀者を捕らえたら、どうだ?」
そこでガイルスがおやっという顔を見せた。
「僕たちも議会に潜入する。そこで首謀者を捕らえる、もしくは殺害する。それで解決だ」
「そんな、私のことはもう――」
「君は黙ってろ! 諦めない、僕は絶対に勝ち残って見せる」
「く、あはははっ。いや、さすが先輩ですね」
なぜかガイルスは腹を抱え、目を瞑りながら大笑いした。
「何がおもしろい?」
「いえいえ、本当に想像通りの行動をするなと思って」
ガイルスは懐からもう一枚紙を取り出した。
「先輩はここで任務から降りられるんですが、指名手配の身で議会に潜り込むとなれば機構も庇えません。いいんですね?」
「……」
「待って、それじゃあなたは――!」
エマが静止するも、それ以上の速さで抜刀。白銀が一筋の光となる。ハラハラと分断された紙が地に落ちた。
指をぱちりと鳴らすと、横から炎の魔剣士が現れて残らず燃やし尽くす。それを見たガイルスは肩を大袈裟にすくめた。
「これで先輩とは縁が切れました。捕まるなり、阻止するなり、勝手にしてください」
ひらひらと手を振りながら彼は扉の向こうに消えていった。
「アンヘルくんってさ、バカだよね」
俯いているエマの声は小さかった。ふるふるとそのまつ毛は震え、涙に浸かったよう光っている。赤く腫らした目元は痛々しく、その奥の海のように深い瞳が孤独を憐んでいるように思えた。
否定はできない。アンヘルの頭には今までの不器用な過去が投射されていた。
苦い笑いを浮かべようとしたとき、エマがぱぁっと弾けたような笑顔を浮かべた。
「でもね――ありがと」
その微笑みは、汚れなく美しかった。
§ § §
苦い顔をした男に屋敷の中へ通される。有名な詩になるほど美しさを称えられた、翡翠の髪を漉く女がテラスの外の風景を眺めていた。
客人の入室に気付いたところで、部屋の主人が振り向く。宝石のように透き通った瞳の瞼が下ろされ、その微笑みは陽光に照らされてキラキラと輝いていた。
豪奢な家財で埋め尽くされた客間はもう慣れたものだった。部屋の角のティーカップ、飾られた宗教画に大きな時計。テラスへつながる窓のカーテンは、風に煽られてゆらゆらと揺れていた。
何度となく無茶振りされた部屋。客人であるアンヘルが静かに頭を下げると、深みのある絨毯が映り込んできた。
「ご無沙汰であります。ヴィエント侯爵令嬢さま」
客間の主人――ルトリシアは、予想外の珍客に顔を綻ばせた。
ガイルスの無慈悲な通告を受け取った後、アンヘルたちはどのような方法で襲撃阻止を試みるか算段を立てていた。
勝利目標は首謀者、もしくは実行部隊長の確保。それ以外の襲撃は憲兵ら護衛集団に任せる。あくまでも、エマの恩赦を得るための手柄確保が主目的だ。
ここで、一つの賭けに出た。首謀者をイーサクおよびその周辺人物に絞ったのだ。多数の護衛たちが開場を固める会議。過激派とて真正面から犯行に及ぶ可能性は低い。遠いところで標的を発見できれば、被害を限りなく低くできる。エマの視力、そして兄イーサクの人相を知る。その観点から、これしかないという判断だった。
「でも、イーサク兄が首謀者じゃなかったら?」
「ガイルスの情報から見ても過激派の中心人物である可能性は高い。それに……」
当日の計画自体は割合早く決まったのだが、問題はどうやって会場に潜り込むか、という点へと絞られた。憲兵に追われる身、行政区の議事堂周辺には近づくこともできないだろう。
そこで閃いたアンヘルは、一人の人物を頼った。犬猿の仲、というよりは蛇蝎の如く嫌われている騎士ハーヴィーである。
時折、主人のわがままで彼が街を駆けずり回ることは知っていた。一人街を駆け回る彼を羽交い締めにして、路地裏へ連れ込む。背後から抑えつけられたハーヴィーは苦悶と歯軋りを漏らした。
「借りを返してほしい、だと?」
「そのとおりです」
主人であるルトリシア救出、邪竜討伐の功。とくに後者は、近年稀に見る大功から功二級シャングリラ殊勲十字章が授けられている。名誉を重視する騎士には無視できないと目論んだ。
「何が目的だ」
「ヴィエント侯爵令嬢さまにお目通りしたいのです」
「ふ、不可能だ」
「騎士に二言はないと言いませんか?」
相当の葛藤が脳内で繰り広げられていた。逡巡の後、憎悪の宿った瞳でハーヴィーは了承した。
「……いい、だろう。だが、私にできるのはお話を通すだけだ。ルトリシアさまがお会いにならぬと判断されれば面会は実現せぬぞ。それから――」
壁で呻くハーヴィーは目を鋭くさせた。
「それから?」
「一発殴らせろ」
「まったく、予定にない人物の来訪かと思えば、まさかそれが現在指名手配中の有名人ですか。人生とは数奇なものですね」
客間のソファに席を移したアンヘルたちは、呆れたような視線を送るルトリシアに対し、居心地悪く身を縮めていた。
優雅に茶を啜る彼女の目がアンヘルとエマを見比べる。そのついでに騎士ハーヴィーもちらりと一瞥。彼は極寒の視線にぶるりと身体を震わせた。
(すみません、スキピオさま。骨ぐらいは拾います)
巻き込んどいてあれだが、ちょっと気分のいいアンヘルであった。
「それで、犯罪者のアンヘルさまはどのような御用件で?」
「三日後の全州会議のことで伺いました」
詳細は後日通達されるであろうことを前置きし、アンヘルたちが置かれている現状、バアル教団――というよりは救国主義者――の陰謀、エマの恩赦を勝ち取るため首謀者の確保を画策していることなどを説明した。
「会場で憲兵に扮し、護衛したいと考えております。我々が潜入できるよう手を貸していただけませんか?」
「あ、その、よろしくお願いします」
カチカチと時計が動く音だけが響いている。秒針が一周しただろうか。ようやくルトリシアが切り出した。
「なぜ私が協力を?」
「……邪竜討伐の際、ヴィエント侯爵さまはこう仰っておりました。いくつ報酬を望みますか、と」
「あのとき限りの報酬です。シュタール家への攻撃を止め、ロペス候補生の脱走疑惑を解除、見舞金まで拠出させた。つまり計三つも願いを叶えたのです。それでもまだ足りぬと?」
「恥知らずの行為をしているとは存じております。ただ、その三つの報酬とでは……」
「邪竜討伐の功とは釣り合わぬ、そう仰りたいのですか?」
こくりと頷く。冷え切った表情で、ルトリシアは背もたれに体重を預けた。
困惑したようにエマがきょろきょろ視線を散らせる。まったく説明していない弊害だが、貴族の前でこの態度は頂けない。礼儀作法が全然身に付かないアンヘルの言では、まるで説得力がないが。
「それに功績のこともあります。我々が譲った邪龍討伐の功。騎士スキピオとヴィエント家の勇名は響き渡ったはず。これに対する報酬はいただいても構わないのでは?」
がちゃりと背後から得物を握った音がした。先ほどと同じ内容で主人と取引したから、騎士ハーヴィーが怒気を放ったのだ。
「ハーヴィー」
「はっ」
苦虫を大量に噛み潰したような顔でハーヴィーが剣から手を離し、数歩下がって元の位置に着く。
ルトリシアの手がそおっと空のカップの淵をなぞった。白く細い指が一周すると、すううと透き通った音が流れる。
「エマ候補生を信頼できる理由はなんです? アンヘルさまの説明では彼女が救国主義者でない理由にはなりませんが?」
「……それは私も同じことです。根拠はなく、信頼していただくしか――」
「いえ、アンヘルさまがこの事件に関与していないのは既知のことですから」
あんぐりと口を開けて愕然とするしかなった。説明するところによると、指名手配された段階で、アンヘルが何かしらの調査活動に関わっていたことを掴んでいたらしい。
(それを知ってて犯罪者とか呼んでたのかよ)
「ですが、それはアンヘルさまだけです。エマ候補生が計画の一員でないと言い切れますか?」
「そんな、私はっ」
エマがハッと顔を上げて猛然と噛み付いた。
「貴方に発言の許可を与えた覚えはありませんよ」
ルトリシアが冷たい声で遮った。ハーヴィーを見る目とも違う、冷徹な目で彼女を見据えた。
「全州会議には門閥派が一堂に集う場です。それが私の手で破談になれば、家はお取りつぶしになるでしょう。邪竜討伐の功績とヴィエント家の去就、釣り合いが取れていませんね」
にこりと微笑んだルトリシア。その言葉に反論することはできなかった。
家と功績。それを天秤にかけることはできない。貴族は家の名誉なら命すら安い。誇りで食って生けぬとは至言だが、名を売る時代ゆえ、誇りや名誉で人は暮らせる。
彼女の命を一度救った程度では一考にすら値しない。エマの潔白を訴えるのも手だが、それを証明するのも事だ。絶対の確信が無ければ彼女は納得しまい。
机の下で拳を強く握った。俯いたエマの横顔をちらりと流し見る。
かんばせにのぞく瞼は強く閉じられ、口は一文字に結ばれていた。
「どのような交換条件なら、飲んでいただけますか?」
アンヘルが決意を固めてカードを切ると、ルトリシアは待っていましたとばかりに頬を緩めた。
「夏季休暇の際、自領で候補生を紹介する機会があり、全学年から大体六小隊、計三試合披露していただくことになっています。其処には、フェルミン、リンガード……」
ルトリシアは指を折り、上科の候補生をあげてゆく。五本目を握り終えた時、手に注いでいた視線を上げた。
「そしてラファエル。彼の出番は最終戦。五回生首席のリンガードと対決する予定です」
「なりませんルトリシアさま――」
「黙りなさい、ハーヴィー」
諫言を無視して一度咳払いをすると、困惑を深めるエマを一瞥した。
「ご存知の通り、今の士官学校には、三回生以外でラファエルに勝利し得る小隊は存在しないでしょう。予定調和のような戦いは家の者にも退屈でしょうし、ラファエルにとっても経験を奪ってしまうことになります」
「私が参加して、邪魔せよと?」
瞬かれた琥珀の瞳の奥には獲物を捉えた蜘蛛の貪欲さが秘められていた。
「晴れ舞台を潰すと奴に恨まれますぞ。それに、負傷中の奴を鞭で打たなくとも」
「あら、ハーヴィー。貴方はラファエルが勝つと思っていないのですか?」
「そ、それは……」
「意外に評価が高いのですね。ま、確かに小隊戦ならラファエルの実力は群を抜きますが……現実を知らねば。最近の彼は目に余る所が多い」
ふふと口元を手で隠しながら微笑む貴人。騎士は苦い顔のままがっくりと肩を落とした。
「ただし、おバカ隊長以下を使うことは禁止とします。それだと本当に勝負になりませんから。残りは……」
そういってエマを指差す。
「私、ですか?」
「彼女を中心とした五人とアンヘルさま。それでラファエルに勝てるというなら、協力しても構いません」
エマはキョトンとした顔のまま此方の顔色伺っている。今ここに至って旧隊を脱隊したくないとは言わぬようだが、あの召喚師ラファエルに勝てるものかを問いたいらしい。
まあ、言わんとすることは理解できなくないのだが。
(本当の目的は、エマさんだな)
勝利など結局どうでもいいのである。エマの勧誘。それこそが目的だ。事件解決の暁には、エマを自領の御前試合に出場させ、所属を鮮明にさせる。もしかしたら、さらにリカルドの勧誘を見据えたことなのかもしれない。アンヘルの参加は嫌がらせか何かだろう。恐らく、だが。
生きるか死ぬか、切羽詰まった状況で派閥もクソもない。此方が問題ないと示してやれば、エマはただ頷くしかなかった。
「また明日いらしてください。その時までに憲兵の制服や配置図などを用意しておきますから」
憲兵の制服と配置図を受け取りに行った翌日である。帰り際、ルトリシアは珍しく不安そうな顔をしていた。
「アンヘルさま。成功の可能性はどのくらいなのですか?」
「正直に申せば、半分を上回れば良い方だと思います」
「……そうですか」
「心配して頂けるので?」
「あら、生意気な口をききますね」
むっと頬を膨らませながら腕組みをすると、豊な胸が強調された。こういう態度はあまり見ないので小さく笑みが溢れる。
なんとなしにいらぬお節介が働いて、口をついた。
「会議にはご出席なさるのですか?」
「当然でしょう。私はヴィエント家の当主代理です」
「……今回の事件は危険も多いと思われます。態々危険を押してまで出席される必要はないかと。たとえ弱腰と取られても、ご欠席を決断されるべきだと私は考えます」
「家の問題に首を突っ込むとは、不遜ですね」
獲物を見つけた鷲のように目が鋭くなる。家や政治に絡むのはご法度であると理解していたが、礼儀として話を続けた。
「脅威に屈することはできないと理解はできますが、事情にもっとも通じる私の言葉を信じて頂けるならならば頭の片隅にでも……」
「あくまでも助言である、と?」
「はい、これまで幾度となく助けて頂いた恩ゆえ、無礼ながら申し上げております」
静かな沈黙が流れる。エマのキョドキョドした態度が目の端に入った。
「今回の無礼は不問にします。早く去りなさい」
アンヘルは静かに頭を下げた。
眉尻を下げたルトリシアは、そっぽを向くと早く解決するよう言い捨てた。
二人してヴィエント邸を辞した帰り道、明後日に控えた会議について思考を巡らせた。
「準備は大丈夫? って、準備するほどの物はないか」
「そう、だね。私たちって、ほとんど身の着のまま飛び込むことになるから」
「でも、なんとか成功させないと……」
手を差し出す。なんとしてでも相手の陰謀を打ち砕いてやる。そんな決意を持って。
エマは、ちょっと照れたように目を伏せながら手を取った。
§ § §
静かに身を潜める。震えながら今か今かとそのときを待ち続けていた。
時折強い風がビューと吹き付ける。自分の髪が煽られ、頭皮に強い負荷がかかる。
心を沈めるため、ずっと壁に付け続けた手のひらから汗がじんわり滲んでいる。そのせいでそこだけ薄く変色していた。
戦友が落ち着けとふるふる首を振る。促されるまま大きく深呼吸し、目的の場所を監視し続けた。
街路に敷設された魔導灯がちかちかと明滅している。路地には人通りなどまったくない。閑静な高級住宅が居並ぶ地区だけあり、時折警備兵が通るくらいだった。
ここはさる貴族の邸宅。そこから角をふたつほど曲がったところにある細い路地だ。そこからは鋼鉄製の柵の中に堂々と聳え立つ門が伺えた。
どれほど待っただろうか。ようやく、目的の二人組が姿を見せた。
その二人の背中が向こうの路地へと消えてゆく。待ち伏せていた男は仲間の二人と頷き合い、駆け出した。
「動くなっ!」
待ち伏せしていた男――リカルドは、仲間達の目撃情報をもとに張り込んでいた場所を飛び出し、二人の人物を捉えた。
「エマを解放しろ、アンヘルっ!」
ゆっくりとアンヘルが振り返る。その手はエマの手を掴んでいた。