イセカイ&ドラゴンズ   作:原田孝之

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途中で確率計算が出てきますが、しっかり計算できているか自信がありません。あくまでもお話の添加物だと思ってお楽しみください。



PHASE4-1:ポーカーフェイス

 我らの碧血を流した都市連合国家群紛争より今日に至るまで艱難辛苦に在りながらも帝国の趨勢に懊悩し、再起を希望した。然れど、強く逞しい国家興隆の唯一の途は帝国成立初期の軍政独裁官復活にあるも其国民大部分は依然として沈淪した皇帝制度、門閥主義、世襲制の迷夢から未だ覚醒せず。

 

 人民いずれも帝国臣民たることが何物たるを知らず、祖先代々より継ぎし軍国主義を忘却し、貴族、官僚、皇族等地位ある者らの民意ありと語る言葉を退けられぬものなり。これら打破する方法なくば、しからずんば国家を蝕む貴族性の維持なりて、官僚体制の維持となる。これでは永久に改革の兆しなく、斜陽の帝国を保持するものなり。

 

 彼等内に巣食う者たちを没落せしめることは、自然の作用なりと知らしめねばならぬ。地方、奴隷の供給減により生産品供出不可能に達すれば、虎視眈々と狙いを定めん各国が鬣犬のごとく群がるであろう。

 

 依って我らアッグア領にて偉大なるかのカルノサ永久独裁官以来の方策を以て、全体主義かつ統制主義を国家全体に浸透せしめることで、人民の真たる帰属意識を昂揚せんとするものなり。そして革命の暁には、門閥派、佐皇派、平民派を一掃し、誠正常なる国家組織を形成せんと確信に相至る。

 

 尊き碧血を流したロウウィートの英霊たちを救わんが為、我ら晩秋の時節にて蜂起せん。万難を排し戦いに当たるも、卑劣な魔の手に屈せん可能性は零に至らず。もしも敵を討ち果たすこと叶わぬならば、我が古き友に後続として遺志を継ぐことを願う。

 

 屍山血河を共にくぐり抜けた友エドゥアルドへ。

 

 

     帝都西方軍第三歩兵師団将軍ティトウス・アリバレーノ

 

 

 

 

 

 アンヘルを待っていると、エマは襲いかかってきた男たち数人によって袋叩きに合い、馬車へ詰め込まれた。両手両足を縛められ、目隠しをさせられた状態。抵抗できず抱えられて運ばれる。リカルドの心配そうな顔とアンヘルの苦悩に満ちた顔が浮かんでは消えた。

 

 奴隷商人にでも売り払われるんだ。そんな妄想していると時間は経って、ようやく目隠しが外された。

 

 薄暗い廃倉庫の一室。突然、ぼっと明かりが一斉に灯される。エマは反射的に瞼を閉じた。

 

「そんなに顔を顰めないでください。私たちは一心同体の身なのですから」

 

 緊張をほぐそうというのだろうか。優しく落ち着きのある声音がエマの耳をついた。

 

 聞き覚えのある声に煽られてゆっくりと瞼を上げると、その男の正体に、身体の芯から端まで極限までの寒気を覚えた。

 

 信じられない。エマは血を抜き取られたかのように蒼白になりながら、目を大きく開き、そして瞬かせた。

 

 党首は穏やかな微笑みを顔に貼り付け、後ろで手を組んだ状態で、芋虫のように転がるエマを見下ろしていた。

 

「うそ、よね。エドゥアルド……さん?」

 

 ちらりと周囲をうかがうと、エマを取り囲むようにして目を鋭く尖らせた男たちが屯している。中央に立つ男が何を意味するか、彼らの瞳が物言わずとも、応じていた。

 

「やはり何も知らぬ、のですか。それがどうして、我らの遠大な計画を阻止できたのか。狼の妹は狼、血は争えぬということでしょうか」

 

「うそよ、そんなわけないっ! だって、エドゥアルドさん、道場であんなに兄さんのこと、謝ってくれた!」

 

「しかし知能は愚昧と言わざるを得ないようですね。こと此処に至って事態を把握する術を持たないとは」

 

 エドゥアルドは眉を曲げながら、伺うようにエマの双眸を覗き込んだ。

 

「……最初から騙していたのね。役に立たない名簿を渡したのも、私たちの捜査を妨害するために」

 

「あなた方が尋ねて来られた折りは肝を冷やしました。なんと言っても連れの方。アンヘルと申しましたか? 巧妙に隠し通しているつもりかもしれませんが、影者特有の匂いは消しきれていない」

 

「――日陰に生きてるのは貴方よッ!」

 

「我々は陽の当たらぬ場所で過ごすことを義務付けられているのです。それを思えば、彼も不幸だ。民草皆欺瞞に踊らされ誤った方向へ走らされている。それを正すため、我々は立ち上がった。イーサクもそうだったでしょう?」

 

「違うっ! イーサク兄は憲兵機構を、治安維持機構を是正しようとッ」

 

「それが誤りだと、私が教えたのです。すべての諸悪は国家に通ずるのだと、ね。だからこそ私は金を融通し続けた」

 

「っまさか……!」

 

「この薬は良い。地獄に苦しむ彼や、未だ迷う同志の背中を押してくれる。副作用もなければ、余計なものが削ぎ落とされたように思考が研ぎ澄まされる。値は張るのが欠点ですがね。ほら、貴方も一袋どうです? 特別サービスで送って差し上げましょう」

 

 老人は狂気と光悦の混じり合って濁った瞳で、薬袋を無防備な懐に差し込んだ。

 

 エマは苦く淀んだ唾を、まるで汚泥でも飲み込むように嚥下した。

 

「彼は真に悩んでいた。娘のブリヒッテを失った悲しみから、自傷を繰り返し、さらには酒に溺れて無為なときを過ごすばかりだった。そして帰ってきてみれば、憲兵機構に対する不満を述べた。私は理解に苦しんだ。たとえ憲兵を排除しても、卑しい者たちは同じような統治構造を産むでしょう。私はただ、物事の根幹を理解し、適切に切除せねばならぬという道理を説いただけです。彼も感謝しているでしょう」

 

「狂ってる。あなたは狂ってるわ、エドゥアルド!」

 

「理解の及ばぬ範疇をすべて狂っているで済ませるとは、まさに愚劣。腕っぷしだけが能なのですか。まあそれも、これから失われるのですが、ね!」

 

 ごっと頬に熱い感触が到来した。すぐにやってきた衝撃で地面に叩きつけられる。しばらくしてやってきた頬の痛みにエマは、何が起こっているのか信じられずただ呆然としてしまった。

 

「え、なんで」

 

 顔色ひとつ変えず、無造作に殴られた。

 

 先ほどの悲鳴はどこへやら、肉体的な痛みよりも、知り合いからの殴打という日現実感に思考が停止した。

 

 遅れて、底から全身を支配する震えのような恐怖が登ってきた。目尻に涙が込み上げてくる。

 

「立たせなさい」

 

 取り巻いていた男の一人が無理やりエマの髪を掴んで立たせる。怒気を瞳の奥に宿らせたエドゥアルドは、まるで虫けらでも見るような眼差しで指示した。

 

「この女を好きなだけ痛めつけてやりなさい。我ら最後の突撃のときまで、血族の絆を裏切ったこと、骨の髄まで後悔させてやるのです」

 

「いいんですか?」

 

「やりなさい」

 

 割れるような怒声を耳にして、エマは恐怖に身がすくんだ。一度瞬きすると、後ろから髪を思いっきり引っ張られ、ぶちぶちっと抜ける音がした。

 

「我らの痛みを思い知れ」

 

 腹部にハンマーで撃たれたような衝撃が広がった。なすがまま男たちの輪に飛び込まされる。これから迫る地獄に、エマは深く絶望した。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 轟々と荒々しい風が耳元で唸っている。唸りは街並みの谷間で収束し、一際強くなって全身を突き刺した。

 

 夜は更け、繁華街の喧騒は戻っている。帝国を根本からひっくり返すような大事件、そんなものがあたかも空想だったかのような日常である。

 

 足は歩き詰めで、棒と化していた。斬られた傷口からは血が滲み、少しづつ体温が下がってゆくような感覚に陥る。焦燥感で脳は焼け、喉の奥に泥団子を詰めこまれたかのように呼吸不全となった。

 

 あまりの痛苦にどこを探し回ったのか覚えていない。ただ、体力の限り町を駆け回った記憶だけがある。

 

 ふと、エマの涙を思い出した。

 

 どうしてこんなことに。あのとき彼女の元を離れた申し訳なさで、アンヘルのこころはいっぱいだった。

 

 視界の向こうの街並みは、モヤがかかったように歪んでいる。何も知らぬ、酔っ払いたちの陽気な鼻歌が耳に届いた。

 

 苛立つ内心、遮二無二に走り抜けた。泥だらけになりながら、破傷風になることも構わず駆け続けた。

 

 流されるようにして進み続けたとき、見覚えのある風景に変わっていた。

 

「どうしたんです、先輩?」

 

 飾り気のない煉瓦造りの建造物。手頃な大きさの扉が人の入れる隙間だけ開いている。アンヘルに諜報員としての基礎を叩き込んだ場所だった。

 

 扉を開くガイルスが嫌味に笑う。彼はどうしてエマが居ないのかすら聞かず、憔悴した様子を見るとひとり得心するように深々と頷いた。

 

「へぇ、そういうことですか」

 

「新たな進展があったのか」

 

 奥から出迎えた教官ユーシンは、世間話もなしに本題を切り出した。他の同期も勢揃いしている。どうやら報告待ちだったらしい。

 

「これから報告しますよ」

 

 ガイルスは同期をアゴで使うと、会議室を用意させた。

 

「まずことの顛末ですが――」

 

「元老院や使節など重要人物の被害は極小で――」

 

「現段階をもって検挙の主導権は彼らに移るだろう。今後は――」

 

 流されるまま、ただ右から左へ抜けてゆく報告を聞いていた。さして興味のない議事堂襲撃の顛末である。もはや議員に犠牲がでなかったかどうかなど、大して意味のない話だ。エマが失われた今となっては。

 

 交わされる報告会の中で、アンヘルはただ一人彼女の寂しい微笑みを思い出していた。義父の意思を受けて、ただひたすらに努力した彼女の空元気。兄に起きる最悪の未来を予見しながら誤魔化し笑うその様。そして、幼馴染を想う憂いの顔も。

 

 ひどい、鬱々とした鈍麻が脳内を襲った。それは一時の喪失感より遥かに軽やかだが、時計の針のように脇目もふらず淡々と動き、純粋に身を蝕む、裸で鋭敏な痛みとなって降り注いだ。

 

「残った志士どもはどうする」

 

「――残党は一箇所に集まっていて、どうやら最後の突撃を敢行するようです」

 

 という言葉が、アンヘルを現実の世界に引き戻した。そして、どうしてガイルスが満身創痍の自分を見て得心したのかも。

 

「とはいっても、戦力のほとんどは議事堂襲撃と魔剣強奪で死亡しています。雇った情報屋に周囲を探らせましたが、残り数十人程度でしょう」

 

「待ってガイルス。今さっきなんて……」

 

「本名で呼ぶのは禁止ですよ。これだからもう」

 

 ガイルスは態とらしく頭を振った。

 

「そんなことはどうでもいい。敵はどこにいる?」

 

「言うわけないでしょう? もっと頭を使ってください」

 

「御託はいいっ。彼女の居所を言うんだ!」

 

 机に拳を叩きつけて、アンヘルは立ち上がる。

 

 同期の注目を集めながら、ガイルスは大きく肩をすくめた。

 

「先輩の鶏頭っぷりにはうんざりですよ。よく考えてください。相手の居所がわかっているんですよ。あとは憲兵にでも囲ませて決着でしょう?」

 

「いいから言うんだっ!」

 

「話が通じないなぁ。そもそも居場所を知ったところでどうするんです。どうせ死んでますよ」

 

 困り果てたようにガイルスは仲間たちと顔を見合わせてから嘲笑うと、つまみ出せとばかりに手をひらひら振った。

 

 激しく脳内回路が起動した。どうやったらこの男を納得させることができる。いや、相手の口を割らせるにはどうすればいいのか。

 

 ガイルスという男の忍耐力は桁違いだ。対拷問用の訓練を丸三日受けてもケロッとしている。知能指数が忍耐力と相関関係にあるというのは、決して間違ってはいないらしい。

 

 この場で全員を薙ぎ倒し、拷問したところで絶対に情報は吐かないだろう。だが、弱点がないわけじゃない。彼の底にあるプライド。それは彼の自信を支える根拠であり、そして最大の弱点になりうると思っていた。

 

「僕と勝負しろ」

 

「は?」

 

「聞こえただろ。ポーカーで勝負だ」

 

「……もしかして薬でもやってますか? 前後関係が意味不明ですよ」

 

「負けるのが怖いのか」

 

「はぁ。しかもその挑発、ちょっと陳腐過ぎると思いますがね」

 

 といいながらもガイルスの額には苛立ちのようなものが浮かんでいた。乗ってこない冷静さはあるようだが、不快な部分をくすぐったらしい。さらに言を紡ごうと身を乗り出した。

 

「やれ。私が許可する」

 

 ユーシンは顔色一つ変えず同意した。

 

「冗談でしょう?」

 

「私は冗談を好まない。これはどちらにとっても有益な勝負だ」

 

「この勝負、こちらに何の得があるんです」

 

 教官は決して折れない。そしてガイルスはなんだかんだいいながらも、かの隻腕の騎士の諜報員の能力を密かに尊敬している。アンヘルはその事実を強く認識していた。

 

 これは賭けだったが、部の悪い話ではないと思っていた。彼は殊更己の能力をひけらかす部分がある。とくに仲の悪いアンヘル相手ならば、完膚なきまでに叩きのめしたがるだろうと確信があった。

 

 それにしても、ユーシンの本心がよくわからない。訓練生の自主性に任せる気風や、ガイルスを高く評価している態度から反対するとは思わなかったが、ここまで協力的だと逆に不気味である。

 

「アルスに負けるのが怖いのか?」

 

「そういうわけでは」

 

「なら構わないだろう。随行員本来の目的は、我が機構の査察だ。貴様の実力を見せてやれ」

 

「そんなものですかね……ディーラーは誰がやるんです?」

 

 ガイルスは致し方なしといった様子で尋ねた。

 

「ナキアが勝敗を決定する。勝敗が決まれば教官が結果を僕に教える。それでいい?」

 

「問題ありません……けど、そうですね。こっちもなんのリスクを追わないってのは不公平だ。たしか相当な業物を持ってましたよね、先輩。あの魔剣、賭けてくださいよ。ま、無理だとは――」

 

「いいよ」

 

「……」

 

 二つ返事を聞いたガイルスは数瞬戸惑うと、肉食獣のように獰猛な笑みを浮かべた。

 

「結構、ゲームスタートといきましょうか」

 

 

 

 § § §

 

 

 

 ――先輩に勝ち目なんか、あるはずないんですけどね。

 

 ポーカーのルールは単純だ。参加者は二枚の札が配られる。つぎに、卓上に三枚の札が開かれる。一枚、一枚と札を追加してゆき、計五枚の札が出揃ったところで勝負となる。札が一枚開かれるごとにチップをベットし、掛け金が釣り上がる。プレイヤーはテーブルの上の五枚の内三枚を選択、自分の手札二枚と組み合わせて最高の手段を作ったほうの勝利だ。

 

 このゲームが愛される理由は、確率に強い人間ならば相手の手札を推測できる点にある。一対一の勝負なれば、確率の意味するところはさらに大きい。一度目、二度目の勝負は手が悪く、早々に降りたところであった。

 

 三度目の勝負。ガイルスは自分の手札を見下ろしてから、開かれたアップカードにもう一度目をやる。

 

 配られた手札は、〈市民〉と〈司祭〉のAだった。テーブルの三枚は〈騎士〉のAと二枚の〈商人〉――八とQ――であるから、今現在考えられる最高の手を持っていることになる。しかし、まだ序の口。ガイルスはあらゆるパターンを想定しはじめた。

 

 こちらの手役。Aのスリーカードを超える手役となると、ストレート、フラッシュ、フォーカードぐらいしかないが、現実的な可能性が残るのは商人のフラッシュだろう。

 

 一種のカードは全部で十三枚。相手が商人を二枚持っている確率は六パーセント。テーブルに残るカード九枚が出る確率は三十六パーセントなので、合わせると二パーセントの計算だ。当然、それ以外で手を作ろうとすれば確率はもっと下落する。

 

 ストレートも可能性は残るが、フラッシュ以下。成立は小数点以下になるだろう。当然、それ以上の手など考慮にも値しない。

 

 さらに、対面に座る対戦相手の顔色をうかがう。一般的にカードでは相手のブラフを厳密な変数として定量化できないが、深く調査した人間ならば傾向として思考を読み取り、必勝へと導くなど造作もないことだった。

 

(先輩の性格は、大体わかってるんですよね)

 

 服装は帝国人らしいものや制服を好み、休みの日には稀に教会へ赴くこともある。が、実際には、まるで忠誠心や信仰心などは持たない。

 

 ここから見て取れるのは、典型的な保守を装っているということである。成り上がり者の傾向として、保守をこれみよがしに主張する点があげられる。休日にも徹底した装いをするのは、一種病質的なものを感じざるをえず、前身をことさら隠蔽したいような印象を受けた。

 

 軍議盤における得意戦術は基本的に犠牲前提であり、肉を斬らせ骨を断つ戦法を好む。一撃打破を望むタイプだ。一見考えなしだが、かといって勘働きは侮れず、不可視の罠をギリギリで回避するところもある。

 

 つまり、ガイルスから見て、成り上がり者かつ勘が冴え渡る典型的な戦士思考の男であった。

 

(統計を鑑みれば、良い手のときはイケイケ、悪いときはすぐに降りる、と。どうして三連続で勝負を挑んできたんだか……)

 

 もう一度卓上を見る。ここでAをもう一枚か、他二枚がペアになれば勝利は確定である。その確率約三割。ガイルスは「レイズ」と宣言しながら、机の上の金額を二倍にした。

 

「コール」

 

 アンヘルが同額まで揃えてきた。勝負続行、ディーラーが一枚札を捲る。そこでガイルスは歓喜に包まれた。

 

 カードの絵柄は雪の積もる連峰より美しく、歴史と伝統ある皇居よりはるかに荘厳だった。見えたのは〈商人〉のA。

 

 つまり、手役はフォーカードだ。

 

 これに勝利するのは、ストレートフラッシュしかありえない。だが、商人のK、J、十が手札と新しく捲られる手札に必要となる。その確率など一万分の一以下だ。

 

 勝利は確定的。人生でここまで強い手札を引いたのははじめてかもしれない。ガイルスに求められる任務は、どれだけこの手を釣り上げられるかだった。

 

 ガイルスが「チェック」と宣言した途端、相手が「レイズ」と釣り上げた。

 

「へえ、先輩も手札が良さそうですね」

 

「……」

 

(性格から考えて、手はフラッシュでしょう。中々手札がいい)

 

 ちらりとディーラーの動きをうかがう。ガイルスにとって、無能な対戦相手よりもこちらを蹴落とそうとする同期の方が厄介だ。もしかしたら、負けさせるためにイカサマを仕掛ける可能性がある。

 

 一度目は〈フルハウス〉、二度目は〈スリーカード〉、三度目が〈フラッシュ〉となれば不正は決定的だが。

 

(ナキアは手先が不器用ですからね。可能性は低い、ですかね)

 

 長丁場になることを見越しているかのよう大袈裟に椅子の背へ凭れかかると、チップの山を積み上げた。

 

「レイズです、先輩。これでチップの約半分ですね」

 

「黙ってろ」

 

 アンヘルの声は、今まで聞いたなかでもっとも滑らかだった。まるで勝利を確信しているような。ハッタリをかましているだけのはずなのに、憮然とした態度はいかにも何かあり気な雰囲気だ。

 

 そこではじめて、ガイルスは自分の計算が間違っているのではないかと不安になる。コインを触る手がひりついていた。

 

「レイズ」

 

 さらにアンヘルが掛け金を釣り上げる。ガイルスは涼しい顔の下で、もう一度手の確認を取った。

 

(フォーカードを七枚のカードで作るとすれば、大体二十万。そもそもの手役は一億と三千万通りだから、確率的には小数点一パーセントぐらい。ストレートフラッシュはさらに十分の一以下。同時に出るはずがない)

 

 そんな確率を超越した手役がぽんぽんと現れるはずはない。計算に誤りはないはずなのだ。

 

 ――その部分において、貴様はアルスと比べて明確に劣っている。

 

 いつかユーシンに言われた言葉がぶり返した。いや、そんなはずはない。頭脳こそが物事を決定づける一因なのだ。こんな無能に劣っている部分など存在するはずがない。ましてや、知能がすべてを支配するゲームにおいて。ガイルスは生まれたときからの信念を強く信じた。

 

 勤めて冷静な声で同額を卓上に吐き出したが、出る言葉一つひとつがクリームのように甘く粘っこかった。

 

 ディーラーが最後のカードを捲った。〈商人〉のK。さしものガイルスも引き攣るような思いで凝視した。

 

 いまや卓上には、〈商人〉のA、K、Qが並んでいる。誰が見ても、ストレートフラッシュの匂いは否定しがたい。

 

 あり得るはずがないのだ。相手の手が、ちょうど〈商人〉の十とJを持っている確率など天文学的な値である。だが、相手の平然とした顔を見て、自分の考えが間違っているのではないかと錯覚しそうになる。動きもしない巨大な壁を相手にしているようで、まるで手応えがない。

 

「おい、ガイ?」

 

 ナキアの声がした。

 

「上げるのか、それとも維持なのか宣言してくれ」

 

「考えているんですよ」

 

 ガイルスはできる限り平静に言うと、さらに追求されるよりも前に卓上のチップを押し出した。

 

「オールイン」

 

 アンヘルは推し量るような目で見つめることもなく、ただ無感情にすべてのチップを吐き出した。

 

 しばし間を置いてから、その理解できない行動に固まってしまう。今自分に浮かんでいるのは、ポーカーフェイスではなく動揺だろう。

 

 確率的にはあり得ないストレート・フラッシュ。相手ははったりでこちらを負かそうとしているのは明白でも、突き刺さるような雰囲気が最後のコールを押しとどめている。

 

 もしも、相手が本当に最強の手札を持っていたとしたら。

 

 妄想が顔を出しては消えるを繰り返す。勝てば勝利、降りれば今までの掛け金を失うことになる。どうする、どうする。答えは決まっているはずだ。ガイルスは一人深く懊悩した。

 

「コールするなら全賭けだぞ、ガイ。降りるのか、賭けるのか?」

 

 ナキアはニヤニヤと笑っている。こんなブラフに掛かってどうすると言いたいのだろう。舐めやがって。ぎりっと唇を噛むと、大きく「コール」を宣言した。

 

 知らず、湿った息が漏れ出ている。すべてのチップが積み上がったそれを見つめ、ガイルスはディーラーの宣言に合わせて札を捲った。

 

 おおっと周囲で伺っていた訓練生たちの動揺が耳を突く。

 

「おいおい、そんな手で悩んでたのかよ」

 

 つまらない合いの手を無視する。ガイルスはわざとらしい微笑を浮かべながら、

 

「さあ先輩、手を晒してください」

 

「アルスさん、貴方の番ですよ」

 

 周囲全員が身を乗り出した。アンヘルが本当にストレートフラッシュを作るのに必要な〈商人〉の十とJを持っているのか。それともはったりなのか。

 

 アンヘルは手札を一枚ずつ表に向けた。最初の一枚は、本当に〈商人〉のJ。ガイルスのときよりもさらに大きい歓声があがり、そして自らの敗北を強く予感した。

 

 ありえない、あり得るはずがない。確率はゼロも同然だ。震えるような手先がかたかたと机を小刻みに叩いている。ゆっくりと最後の一枚が捲られた。

 

 それを見た時、ガイルスはそっと安堵のため息をついた。

 

 周囲から、深い失望のため息が漏れる。

 

 奇跡は、起きず。

 

 最後の手札は、まったく何も関係ない〈商人〉の『三』でしかなかった。

 

 ストレート・フラッシュは成らなかった。その事実を認識したとき、いつもより乾いた笑みを漏らしていた。

 

「やっぱり出なかったか。でも、さすがにガイも肝をひやしたんじゃないか?」

 

 ナキアの茶化しも気にせず席を立った。やはりはったりか、驚かせやがって。愚行に及んだ相手の無能を論うような目で見下ろした。

 

「どこ行くの?」

 

 アンヘルの冷酷な声に一瞬唾を呑んだ。

 

「はぁ? 勝負は終わったでしょう」

 

「まだディーラーの宣言は聞いてない」

 

「拘りますね。そんなルールに」

 

 一応の規則としては、ディーラーが認めたところで勝負ありとなる。だが、そんな細かい事に囚われる人間は少ないだろう。

 

 諦めの悪いバカを見下ろしながら、ディーラーに向かって顎をしゃくった。指示されたナキアは仕方なしとばかりに宣言した。

 

「聞こえなかった。もう一度」

 

「……貴方の負けです。諦め悪いですよ」

 

「ナキア、聞こえない」

 

 ナキアは何かを言おうとした。恐らくだが、無能が縋り付くのをばかにしようとしたのだろう。どこからどう見ても、ガイルスの勝ちは揺るがないのだ。しかしなぜか、彼は何も口にしなかった。

 

「往生際が悪いですよ、先輩……」

 

 代わりにガイルスは無能極まりない先達を見下ろして、なにか一つ嫌味でもつけてやろうと思った。だが、言葉は音声にならず空へ溶けるばかりだった。

 

 なぜなら、アンヘルがこう呟いたからだった。

 

 ――召喚、と。

 

 まるで神の信託のように、ガイルスの台詞は遮られた。次いで、鋭い恐怖に見舞われる。津波が街をすべて攫ってゆくような、鋭く激しい恐怖が。

 

「ふふふ、おもしろいところに呼んでくれたみたいね、ご主人さま」

 

 ナキアの背後に佇立していたのは、美しく、そして神秘的な少女であった。

 

 少女が影のように動く。ナキアは反応できなかった。無抵抗だった。

 

 黄金の髪を持った美しく妖しい少女は、きらりと鈍く光る短刀を片手に男を後ろから羽交い締めにした。

 

 宝石のように美しい瞳に宿る、嗜虐の色。人を人として思わぬ冷然さが彼女の瞳に閉じ込められていた。

 

「ナキア、僕の手はなんだった?」

 

 アンヘルは座ったまま、腕を大きく開いて自らの手元に視線を集中させる。むろん、手役が変わっているわけがない。卓上の札は〈商人〉の三だ。

 

「何のつもりです、先輩?」

 

「君には聞いてない――ナキア、この手はなんだ?」

 

「かっはっ、脅しの……つもりですか」

 

 ナキアが憎々しげな瞳で召喚主を睨んでいた。

 

 絶対に吐くものかという信念が見て取れたが、アンヘルは嘲笑うように命令を下した。

 

「はい、ご主人さまの仰せの通りに」

 

 少女は首元に突きつけていた短剣を振り上げると、恐るべき速度で机の上に乗るナキアの手に突き立てた。

 

 木霊す男の絶叫。遅れて生物特有の悪臭が肌すべてから侵入し、血管を流れて脳髄すべてを満たした。今まで幾度か嗅いだ匂い。鉄の生臭い、生き物の死の匂いだ。

 

 黒いニスを塗った机へ、まるで絵の具でもぶちまけたように赤黒い液体が広がる。津波のように机のチップを飲み込むと、二人の手札を微かに汚した。

 

「ナキア、もう一度聞く。僕の手札はなんだ」

 

「お、お前っ!」

 

「答えろ」

 

 女がナキアの頭を掴むと、眼球にくっつくほど近くまで卓上の手札を覗き込ませた。

 

 バタバタと動くたび、女の持つ鈍色の獲物が肩あたりを凌辱する。血走った目で男は絶叫した。

 

「君が答えないなら、次のディーラーに答えさせる。ダメならその次だ。候補はいくらでもいる」

 

 返り血を顔に浴びながら佇む召喚主に、ナキアは怯えたようにぶるりと震える。音にもならないようなか細い呟きを漏らし、パチパチと瞬きを繰りかえした。

 

「こんな真似をして許されると本気で思っているんですか?」

 

「誰が許さない」

 

 アンヘルはあたりを見渡しながら、静かに問い返した。

 

「誰がどうやって僕を咎める」

 

「ここにいる全員が先輩を許しませんよ」

 

 ガイルスは無表情のまま、自らの得物の鯉口を切った。さも自信満々。そんな雰囲気である。

 

 だが、内心まったく逆であった。

 

 カードでまるめこまれそうになった、はったり。それを今度はガイルスが使う側になっている。音もなく佇んでいた少女の正体、そしてさらに潜む数々の眷属を思えば、大した訓練をしていない同期など何の役に立とうか。

 

 そもそも、果たして真っ向勝負ですら太刀打ちできるのだろうか。

 

 ガイルスは眼前の男に対し、一度も劣っていると考えたことはなかった。知識、機転はもちろん、戦闘においても手段さえ選ばなければどうとでもなると思っていたのだ。

 

 ガイルスの近接戦闘能力は、士官学校二回生においても上の下程度を彷徨うだろう。学内の模擬戦であっても、百戦百勝とはけして言い難い。当然、奇跡の世代で上位に食い込むアンヘル相手では分が悪い。

 

 だが、戦いとは強者が勝つのではない。魔法の才でも、剣術の才でも、ましてや召喚術の才でもない。頭脳を使って相手の弱点を突き、相手を出し抜き、勝てる勝負にだけ挑めばいい。一個の能力など、勝敗には一要因程度の意味合いしかないのだ。

 

 だから、ガイルスは頭脳を使った。類い稀なる才能を信じた。それで勝ってきた、筈なのに。

 

 カードとは違って、完全に勝率の定まった勝負。ひやりと冷や汗が流れ落ちる。恐怖に慄いたように手がいうことを聞かない。

 

 ユーシンは腕組みしたまま微動だにしない。この凶行を我々だけで処理せよと言うのか。はじめてこの男相手に歯噛みした。

 

「君にしては、らしくないはったりだ」

 

 アンヘルは見たこともないほど陰惨に笑う。静かに席から立ち上がるとナキアの肩に手を置いた。

 

「これが最後の質問だ。僕の手札はなんだった?」

 

 僅かに魔導灯のあかりがゆらめいだ。地面に落ちるアンヘルの影はまごうことなき人でなしであり、鬼となり、怪物へと変貌し、龍へと至った。

 

 只人では争いようもない。まっさらな深海の瞳に見据えられて、震えながらナキアは、最強の手役を絞り出した。

 

「こんなくだらねえことで命をかけられっかよっ!」

 

 イズーナが適当に男を放り出すと、ナキアは地面を這いずり回りながら、建物の奥に消えていった。

 

「エマさんはどこにいる?」

 

「……こんな勝敗、認めませんよ」

 

「ルールに則れば僕の勝利だ」

 

「なにがルールですかっ。あんなの成り立つはずがない!」

 

「成り立つよ。ディーラーが宣言し、君たちはそれを認めた」

 

 アンヘルが一歩踏み出した。囲みが男の前身に合わせて歪んだ。

 

 集団の動きは、強い反抗の意思を見せながらも、実は単なる服従に過ぎぬことをわかっていた。強き者には逆らえぬという、隷従ゆえの行動。客観的に見て、そうとしか思えなかった。

 

「倉庫街の三番地だ」

 

 沈黙を保っていたユーシンは準備した資料を手に取りながら、過激派が拠点としている場所を述べた。

 

 アンヘルは無感動に感謝を述べ、まるで何事もなかったかのように背を向けて去ってゆく。得体もしれぬ女に見据えられた身とあっては、身じろぎひとつできなかった。

 

「まて、アルス」

 

 騎士ユーシンが光り輝く黄金の何かを放り投げた。宙を駆けるそれは、キラキラと灯りの光を反射し、ちょうど振り返ったアンヘルの手元に収まった。

 

「これは?」

 

「貴様は機構の随行任務を解任とする。それは証だと思っておけ」

 

 アンヘルはやけに仰々しい一本の剣が象られた短剣の鞘を眺めたあと、ふところにしまって今度こそ駆けだした。

 

 女の姿がまるで煙にでも溶けたようにして掻き消えた。もののけにでも化かされたのかと思えるが、人がたしかに落とした血の生臭さが嘘偽りにはさせてくれない。

 

「結局、猊下の仰られたとおりあの男には勝てなかったか」

 

 ぽつりと、ユーシンがぼやくように言った。

 

「負けたわけじゃない!」

 

「いや、貴様の負けだ。諜報員の分際で戦闘員の土俵で戦った貴様のな」

 

 ――世には届かぬ領域があり、また必要のない領域がある。我らの任務とは情報を得ることであり、戦うことではない。

 

 相手の狙いはディーラーだった。まっとうな勝負では勝つことができず、力づくでも聞き出せないとわかっていた彼は、諜報員でありながらどこか利己的な部分を残すナキアを狙い撃ったのだ。阻止できない、力という武器を使って。

 

 そういう意味では、相手はどの部分で戦うのかという選択を徹底してきた。読み合いという部分で完敗を意味する。

 

「諜報を生業にする我らと違い、あの男は戦いに身を窶してきた戦士。そのことを貴様は知っていたはずだ。今一度、貴様に問う。組ませ続けた意味が本当に理解できなかったのか?」

 

 いかにも平素でありながら、その冷淡な声はガイルスの心に眠っていた感情を沸きたたせた。

 

 卒業を意味する短刀の鞘。おそらくあれは、どちらか一方に渡されるものだったのだろう。完璧に隠された素性のユーシンだが、前身をかすかに掴んでいたため、鞘の授与が意味するところをなんとなく察していた。

 

 帝国を守る剣として、どちらが相応しいか。戦闘員アンヘルと諜報員ガイルスの一騎討ち。両者を組ませ、争わせることで力量を計っていたのだ。

 

 結論は出た。

 

 徹頭徹尾相手を侮ったガイルスは常に優勢でこそあったが、最後の最後、負けてはならぬ決戦で敗北してしまった。

 

 生まれてはじめての覆せない負け。しかも、自らに土をつけた男は興味なさげに去っていった。

 

 強く、強く唇を噛んだ。歯肉に滴った血が染み渡るほどに。

 

「先輩っ」

 

 鋭い眼光が、アンヘルの消えた闇を眺め続けていた。

 

 

 

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