イセカイ&ドラゴンズ   作:原田孝之

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PAHSE5-1:あり得た未来のエピローグ

 これはいつかの記憶。

 

 もういつのことだったのか忘れてしまった思い出の話。

 

 幼馴染の剣術バカには珍しく、外のことに興味を示したからだったか。どうして自分たちが厳しい訓練を抜け出し、街中で走り回っていたのか定かではない。ただ、無限遠点まで続いているような田舎道を、二人並んでいたことを微かに覚えていた。

 

「ゆめって、あるー?」

 

「あー、なんかあっかなぁ」

 

 少年はぷすぷすと頭から煙を出して唸る。少女は年相応に笑った。

 

「そうだ。おれはすごいな将軍になる」

 

「むりだよー」

 

「いいや、なれる。おれはすごいんだ」

 

 少女は子供っぽいその夢に口先を尖らせる。もっと現実的な、と考えるのは少女であろうとも女だということか。

 

 けれど、少年の満面の笑顔は眩しかった。輝かしく、清廉で。現実的な願いに比べ、ひどく清らかに思えたのだ。

 

 仕方なしとばかりにため息を吐く。そして少女は、茜色に染まる坂で少年にこんな約束をした。

 

「なら、わたしが後ろでささえるから」

 

 遠い、遠い思い出。

 

 今はもう叶わない、夢の切れ端だった。

 

 

 

 

 

「エマ候補生。君には生贄になってもらわなくてはならない。何よりも君が想うリカルドのために」

 

 眼前に立つヴァレリオットは、どんな批難でも受け入れるといわんばかりに堂々と宣言した。そこには過去の遺恨などは微塵も窺えない。ただ、真にエマの行く末を儚んでいる。そんな憐憫溢れる眼差しであった。

 

 生贄、イケニエ。その意味を理解することを、脳は拒んだ。だめだ、何があろうとも、それだけは。

 

「な、何を言っているっ。エマさんは恩赦になったはずだ」

 

 アンヘルは怒鳴った。怒声が瓦礫と化した倉庫街に虚しく反響する。

 

 ヴァレリオットは気の毒そうに目尻を傾けると、顎をゆっくりと縦に振った。

 

「君の言う通りだ、私の提案にはなんら正当性はない。そして、君は拒否する力を持っている――だからこれは願いだ、エマ候補生。君の力でリカルドを助けてやってくれないか」

 

 エマはか弱い震え声で尋ねる。

 

「どういう、意味なの」

 

「やめろ、聞くんじゃない」

 

 全方位を警戒するように両手を広げると、アンヘルは子供を守る狼のように叫んだ。隊長であるディアゴは、怒気に反応してざわめく憲兵たちを諌めた。

 

「連座制だよ、お二人さん……アンタらの仕事っぷりはわかってるし、邪魔して悪かったとは思ってる。しかし、嬢ちゃんの目的は自分の恩赦以外に、リカルドの坊ちゃんの無罪にもあったわけだろ。それが叶わなくちゃ意味がねえはずだ」

 

「君たち所属の機構から連絡を受けた。義兄イーサク、実父エドゥアルド。両者が首謀者となれば、事件解決に協力したエマ候補生はともかく、リカルドは連座で死罪を宣告されるだろう」

 

 アンヘルははっと表情を変え、背後の少女の相貌を両の目で捉えた。少女の顔からは色彩が失せ、氷像のように熱を失っていた。

 

「しかし、それを回避する術はある。君の犠牲があれば」

 

「ぎ、セイ?」

 

 ヴァレリオットは防御の姿勢を取らなかった。ひどく無防備で、抜刀するアンヘルとは数歩の間合いにまで寄る。斬られてもよいという自己犠牲が滲んでいた。

 

「君は一度逮捕されたとき、廃倉庫へ向かった理由を吐かなかった。これは冷静に考えれば辻褄が合わない」

 

 エマは憲兵からの尋問に対し、たまたまそこに立ち寄ったの、知らず存ぜぬで通した。

 

 一見不自然さはない。本当に何も知らぬ候補生であればその回答が妥当であるし、すべての事情を把握した諜報員であれば秘密保持という言い訳が聞くだろう。当時の彼女は強引な捜査をする憲兵に不信感を持っていた。特段問題視する行動ではないだろう。

 

 エマ候補生が脱獄翌日に協力要請を受けた、という事実が秘密機構側に記されていなければ。

 

「重箱の角を突くような行為にどんな意味がある!」

 

「事実を捏造することができる」

 

 ヴァレリオットは護衛の身体を右手で除き、エマの蒼白となった顔の前で跪く。もはや踏み込みで一歩の距離。剣を抜き、ただの一太刀で首を刎ねられる距離だ。

 

 彼がアンヘルを警戒していないなどは考えられない。貴族にとって召喚師は最悪の敵である。その彼がここまで自分を晒して懇願することに、本気度を察してしまった。

 

「君は実兄の関与を知っていた。そして実兄に調査機関の内偵を頼まれ、二重スパイとして秘密警察機構に潜り込んでいたことにしてくれないか」

 

 意味を理解したアンヘルは、狂乱したように頭を振ると、声にならない悲鳴をあげた。

 

 まさか、それは。この男は、まさかそんなくだらない理由で彼女の将来を。

 

 巌のような、戦いをくぐり抜けた戦士の手が、柔な肩を握り潰さんと掴んだ。ヴァレリオットは抗議するでもなく、ただ、哀れな少女を仰ぎ見るだけだった。

 

「リカルドが、エマ候補生の二重スパイに気が付いた。そんな筋書きだ。そうすれば彼も恩赦を受けられる」

 

「そんなまねをすればエマさんは」

 

「もちろんそれも考えている。リカルドは君たちと相対した戦いでエマ候補生と対話し、父親と義兄に無理やり働かされている事実を突き止めた。しかし、リカルド必死の説得により、エマ候補生は改心。そこからは本当に協力をはじめる。この筋書きならば、情状酌量の余地がないとはいえないし、死罪にはならないだろう。もしも世論や元老院が強行するなら、我々も脱獄を手助けする」

 

 ヴァレリオットは感情を失った少女の手を握りしめた。神聖なものかとみがまうほど恭しく頭上に掲げ、神具を授受された信徒のように奉った。

 

「君しか、頼れる人はいない」

 

「騙されるな、これは詭弁だ! 別にこんなことをしなくても、リカルドが無罪になる可能性はある」

 

「そのとおり。だが、彼のキャリアは失われる」

 

 ヴァレリオットは、少女を谷底に蹴り落とした。

 

「きゃり、あ? リカルドの……?」

 

 彼女の瞳に感情が宿り始める。それは鋼のように冷たく、荒野のごとく乾燥した感情だった。

 

「前代未聞の政治敵対行為。リカルドになんらかの成果がなければ、このまま士官学校で上科に居ることは難しい。あれほどの才能が埋もれてなくなるのだ。副官の君なら、それがどれほど惜しいかわかるだろう」

 

「それのなにが問題だ。彼女は投獄を賭けるんだぞ。多少のキャリアぐらいどうでもいい」

 

「上科のキャリアというのは命を賭けてでも守るべきものだ」

 

「そんなわけないっ!」

 

「あるのさ。君には理解できなくとも、エマ候補生ならわかるはずだ」

 

 上科生のキャリアの意味、それをエマは理解していた。否、アンヘルもわかっていた。なぜ、人は戦いに赴くのか。それは戦闘狂だからでも、規則だからでもない。軍人として戦い、名誉を勝ち取る。それこそが帝国人として規範となる生き方であり、命を賭して戦いに赴く唯一のリターンである。

 

 その最高峰が上科生なのだ。キャリアを失わぬためなら、友を裏切り、師を見捨ててでも惜しくはない。そう言われる社会。エマにとっては自分よりも大切な存在となれば、さらに判断は複雑である。

 

 アンヘルは最初からわかっていた。最終的に解決したとしても、すべてが丸く収まらないことは。そして、エマがどんな判断をするのか。自らと彼を天秤に賭け、どちらが傾くのか。

 

 だからこそ、ずっと黙っていた。ヴァレリオットは、その点に気が付いていたのだった。

 

「わたしが、捕まれば、リカルドは助かる、の?」

 

「そうだ、君が助けるんだ」

 

 エマは頷きかけている。それを理解した途端、脳髄が沸騰した。

 

 ちらりとヴァレリオットが一瞥。同時に、背後の憲兵たちが襲いかかってきた。拳も使わぬ捨て身の特攻。この地を火の海に変えたのが誰かをわかっていながらの行動。懇願の含まれた囁きがアンヘルの闘争心を奪ってゆく。

 

 眼前が霞んでゆく。この場の誰もが、間違った現実に誘導しようとしている。

 

 しかし、その誘導されている当人が、自ら誤った方向へと落ちてゆくのを見て、悄然とするしかなかった。

 

 のしかかってくる憲兵を召喚術で跳ね除けようかと決心するたびに、すまないという懺悔が囁かれる。これではもう、聞くなと叫ぶしかなかった。

 

「絶対に君を殺させるような事態にはならない。だから、黙って身を委ねてくれないか」

 

「わ、私は――」

 

 祈るような気持ちでヴァレリオットは目を閉じた。

 

 イブを唆す、サマエルの姿。まさしく悪魔の契約を目にしているかのようであった。

 

 それを演じる二人の役者の顔は、両者とも希望には満ちていなかった。

 

 岸に巨大な波が打ちつけられると、飛沫が焼け残った残骸に降り注ぐ。それは、宙を舞う涙であった。少女は一度俯き、手のひらを固く握りしめ、そして口を開いた。

 

 その瞬間、夜空ですっと流れ星が降った。

 

「召喚!」

 

 青白い虚空のゲート。顔を見せたのは奇妙な乳白色の生物であった。

 

 ヴァレリオットという悪魔と純真な少女を引き裂いたそれは、主人を取り押さえていた憲兵すべてを弾き飛ばし、空へと舞い上がった。

 

 アンヘルは立ち尽くすエマを抱き抱えながら、舞い上がるその尾に掴まる。瞬く間に加速すると、風となって夜空を駆けた。

 

「あんへる、くん?」

 

「しゃべらないで」

 

 眼下に転がった憲兵たちとヴァレリオットの姿。どの顔にも、ホッとしたような眼差しが覗くのは、決して気のせいではないのだろう。

 

 だからこそ救いがない。青ざめた顔で震える少女を抱き抱えることで、これが夢でないことに絶望した。

 

 呆然と空を眺める。夜空に輝く星々。それは、闇にとらわれた虜囚であるようにしか思えなかった。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 アンヘルがエマを背負って宿に辿り着くと、すでに零時を過ぎた頃になっていた。

 

 彼女は宿に着き、寝台に座らせてから半刻の間、何一つ身動ぎせず一点を見つめていた。

 

 もはや生きる屍である。彼女は誰が見ても生きる気力を失っていた。時折アンヘルが声を掛けるも、生返事ひとつ返ってくることはなく、彼女はただ空気を吸って吐くを繰り返した。

 

 窓から外の風景を眺めた。暗がりの連れ込み宿の対面など、博打かいかがわしい酒屋ぐらいだ。客引きを行うポン引きや嬢の姿を見つけ、その生き生きとした活力をただ眺めた。

 

 彼女は、自らを生贄に捧げる道を選ぶのだろうか。答えの分かりきっている問いを投げかけ続ける。

 

 光明は、エマは死なないというぐらい。いや、それも確実ではない。数年単位の投獄が、いかに彼女を地獄へと誘うか。男女の区別もなければ、規律もくそもない監獄でこの年頃の少女がどんな目に合うか。

 

 理解ある憲兵ばかりという可能性も望めまい。ヴァレリオットのあの口ぶり。彼の願いはあくまでもリカルドの無事を祈るためのもの。エマの安全など、二者択一となれば考慮などしないのだろう。

 

 狂っている。こんな結末など、狂っている。

 

 アンヘルは荒い息を吐いた。もはやそれが、彼にできることのすべてだった。

 

「ねえ、アンヘル、くん」

 

 唐突に、エマの低い声がした。

 

「私は、どうすればいいかな。犠牲になるべき、なのかな」

 

「……無視する、べきです」

 

 エマはほのかに光る灯りを浴びて、その顔をかすかに綻ばせた。

 

 彼女は片膝を立て、膝小僧にキスするかのように口を近づけた。悩み、というのが今の一言で取り払われたようである。顔を上げ、ゆっくりと掌を開閉し、冷たくなった指先に息を吹きかけると言うそれらの仕草は、もはや決意を固めたあとの凪であった。

 

「諦めないでください、なんとしても」

 

「どうして、そんなことを言うの」

 

「すべてが悲しく思えたって、いつかはそれを忘れさせてくれる何かに出会えます。今見える景色すべてが、エマさんの世界じゃない。いつか必ず、幸せになれる時が来ます」

 

「やさしいね、やっぱり」

 

 静かな微笑みは楚々としていて、彼女の黒髪にとても映えた。

 

 エマは寝台から飛び降りると、自らの懐から袋を取り出した。袋の口を広げて、少女はしばし表情を無くす。瞳からは色が失せていた。

 

「アンヘルくん」

 

 突然、エマは表情を変えた。作り過ぎて歪んだ媚を全面に立たせ、窓際の椅子に座っていたアンヘルの胸元に飛び込んだ。

 

 少女は、もはや抑えきれぬと全身で震えて泣き声を高くした。

 

 アンヘルの手が、彼女の小さな身体を抱きしめようかと宙を彷徨う。すっぽりと収まってしまう小さな身体。世界はなぜ、小さな少女にここまでの痛苦を与えたのだろう。もっと優しくできたはずだ。もっと幸せにできたはずだ。歯車の一つがすこし違っていれば、その未来が。

 

「生きて、ください」

 

 意味がないとわかっていて紡がれる言葉は、ひどく空虚だった。エマの微笑みは、鋼鉄のように冷たかった。

 

「家族と師匠を殺して、そのうえ、リカルドを見捨てても?」

 

 アンヘルは唾を呑んだ。見下ろす彼女の眼差しは雲のように儚くて、とても美しい。

 

 けれども、少しでも掴もうとすれば霧散してしまう曖昧さだった。

 

「それでも、諦めないでください」

 

 エマはゆっくりと顔をあげた。大粒の涙が視界に大きく映し出される。

 

「なら、証明してみせてよ」

 

 エマは先ほどの袋を口につけると、喉を大きく動かせた。とろんと目が正気を無くす。彼女は裾を持って上へ捲り上げると、アンヘルの胸の中で裸になった。

 

 小さな灯りが、火照った白い肌をあわく照らしている。

 

「私のこと、好きなんでしょ。私も好き……優しい貴方が」

 

 エマの頬を銀色の涙がひとすじ流れた。

 

 はっと息が止まる。動きが止まったのを見計らって、彼女は細い腕を首の後ろに回し、のし掛かるように唇を押し付けてきた。

 

 柔らかい感触と、ざらついた舌が入り込んでくる。歯肉を撫でられる感触に背筋がぞわりとして、思わず拒絶の言葉が口を吐く。

 

 その瞬間、彼女の口から得体の知れないモノが流れ込んできた。

 

 長い長い接触。すべてが喉の奥に流れ込むと、エマは息継ぎするように唇を離した。

 

「エドゥアルドさんから、もらったの。効き目はどうかな」

 

 途端に平衡感覚を失い、あらゆる視界に靄がかかった。椅子から無様に転がり落ちる。敏感になった感覚が昂り、情緒のようなものが転がり落ちていった。

 

「こんな方法になっちゃったけど、アンヘル君頑固だから。生きる意味、教えて。ね、いいでしょ?」

 

 蕩けた彼女の瞳。もう、正常な世界に戻ることは叶わない。

 

 徐々に理性が溶けてゆく。非道徳的なのに、彼女の姿を見るだけで激しく己が昂った。

 

 待って、とも何も言えない。流し込まれた嘘が抵抗を消し去ってゆく。白濁した視界で、与えられる快感に震えるしかできない。

 

 少女は目の前で踊った。

 

 乱れた髪を額に張り付かせ、首に手を回したまま踊った。

 

 それは、愛も何もなく。見つめた瞳の奥には、深い深淵が広がっていた。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 長い月日が経った。

 

 流れた年月を想いながら、女は、山稜から一望できる都市同盟軍を視界に収めていた。

 

 彼らが攻めるこぢんまりとした砦には、いまにも崩れ落ちそうな帝国の国旗が掲げられている。射かけられる矢で兵がばたばたと息絶え、すでに陥落寸前といった様子だ。包囲のときは長く、内部はもはや沈没寸前の船である。

 

 女はにやりと口の端を歪め、大岩の上に足を掛けた。

 

「団長、本当にやるんですかい」

 

「ふん、なんか文句でもあるかいね。ほら、ぶつくさ言ってないでさっさと配置に付いた付いた」

 

 性を捨てたとみがまうほど短く切った髪、奇妙な仮面を付けたなりと、帝国人の模範的淑女とは大きく異なる女は、粗雑な口ぶりの割に細かった。

 

 身体には分不相応な大弓片手に、部下の戦意を引き上げる雄々しい雄叫びをあげた。

 

「いいかい、これはアタシらの天王山。勝てば官軍、負ければ奸賊。ここ一番の大勝負だよ。たとえ死んだって化けて出て、殺して殺して殺しまくりな!」

 

「うおぉぉぉぉぉーーー!」

 

 セヴィリア地方ブルータング砦は、西部へ睨みを利かせる大砦の補給路警備のため、増築されたものである。四方の門に備えられた大弓は古く、建材も対魔法ではない。そのうえ、配置されている兵は各門五百に満たず、一門の防衛に手間取る始末であった。

 

 他方、包囲する都市同盟の総兵力は一万を上回る。背後で魔法大国リヒテガルドと手を結ぶかの国の魔導兵器は、斜陽の帝国とは比べ物にならない。後方人員含めて数千の砦は、あと数刻も持つまい。

 

 それを救うのは傭兵団長エルマその人である。彼女の麾下一千は、飢えた獣のように山を下った。

 

「狙うは大将首だけさね。あとの雑兵は犬にでもくれてやりな!」

 

 完璧な奇襲。見事なエルマの用兵は、油断しきって間延びした大軍の土手っ腹に突き刺さった。混乱に拍車を掛けるのは手ずからに育てた長弓兵。率いる彼女の腕前は、神域に手がかかるほどだった。

 

 さらに言うならば、鷹の目傭兵団はどこか普通の傭兵とは趣が違っていた。無論、例に違わず構成員は粗野だし、男ばかりでむさ苦しい。されど、ところどころに正規軍のような規律が垣間見え、軍略戦術に通ずる識者が各所に配置されているとなれば、有象無象と看做すのはまこと危険であった。

 

 傭兵の練達さと正規軍の厳粛さ。両者の良い部分だけを取り込んだ軍団は、鷹と長弓の異名を大陸全土に轟かせていた。

 

 エルマが弓を引いた。死の風が大将を刈り取った。軍団が潰走した。そして、それを見て部下は光悦に浸った。

 

 無知な民衆は、仮面の下は醜く焼け爛れた痕があるという。口がさない傭兵は、醜女だから隠すという。部下は盲信している。立ち振る舞いは粗雑で、口調もざっくばらんとしているが、団長は徐人と異なる風格があった。

 

 戦場を駆ける貴人。たとえ顔一つ知らず、過去の行いを存ぜぬとも、彼女に率いられる部下たちは彼女に心酔しきっていた。

 

「リカルド将軍、相手は奇襲で総崩れ。今こそ反撃のときです」

 

「うむ。全軍、出陣だ」

 

 帝国軍の将軍は生き残った兵を結集させると、傭兵団に応じて隙だらけの陣営に組み付いた。恨み骨髄、袈裟まで憎し。土地を侵犯された兵の恨み深く、草木が風に靡くよう戰模様は一変した。精鋭の長弓兵と帝国随一の騎馬隊、ティラノス竜騎兵の挟撃は、おもしろいように俄仕込みの軍勢を打ち破った。

 

 都市連合の弱みは、連合軍ゆえの指揮系統の脆さである。ひとたび纏め役が討たれれば、あとは烏合の衆。稲穂のごとく敵は地に落ちた。

 

 夕刻。両軍協力し、あらかたの残兵を狩り尽くしたところで、エルマは馬上の将軍に面会していた。

 

「そなたが団長のエルマ殿か。このたびの救援、我にとっては砂漠でオアシスを見つけたような心地であった。この恩は決して忘れぬ」

 

「は、もったいなきお言葉」

 

「陣中ゆえ大したもてなしもできぬが、貴公らは誉高き英雄。ゆるりと旅塵を落としてゆくがいいだろう。ふむ、誰か人は――」

 

「おとーさん」

 

 解放された門から一つの影。家族と思われる幼い男の子がリカルド将軍に飛びついた。

 

「はは、こらこら。まだ戦の最中。出てきてはならんぞ」

 

「はーい。ごめんなさい」

 

「それでよい。だが、ここまで来られたのは勇者になる資格を持つな。将来は俺を超える大将軍だ」

 

「だいしょうぐんー」

 

 リカルド将軍は宝物のように地面へと子供を下ろした。遅れて出てきた妻らしき妙齢の女性がたおやかに微笑む。

 

「すまないな、エルマ殿。長い間包囲されていての、やっとの解放なのだ。周りも騒がしいが、許してくれ」

 

「……いえ、至極当然のことと思います。私も長丁場で疲れました。今後のことは翌朝で」

 

「そうか、それは呼び止めてすまない。案内は部下にさせよう」

 

 家族と喜びを分かち合う者、戦友と勝利を味わう者。エルマはひとり顔を俯かせ、必要最小限の指示だけ部下に送って床についた。

 

「ねえ、おかーさん。朝だよー」

 

「――ん。あんたねぇ、団長と呼びなって言ってるだろ」

 

「ごめんなさーい。でも、偉い人がー」

 

「ちい、もうそんな時間かい」

 

 翌朝、齢九の娘に叩き起こされたエルマは、助勤に導かれるまま軍司令本部へと出向いた。

 

「おお、エルマ殿。よく眠れたかな? 申し訳ないが我らは苦境の最中にある。あと少し辛抱すれば、本営と連絡も取れるのだが」

 

「こちらも事情は把握しています。元々、閣下を最後までお助けする所存。途中で放り出すようなことはありません」

 

「そうか、こちらとしては助かるが……なぜ、そこまで助力してくれる」

 

「奇貨はとくと賭けよ、昔からそう申します。さらなる飛躍のため、一世一代の大勝負というわけです」

 

 予想もできぬ回答だったのか、側近のものたちは目をあんぐりと開け、リカルド将軍にいたっては豪快に笑い飛ばした。

 

「さすがは天下に名高き傭兵団、いうことが違うな。よし、そなたには私の配下として、帝国防衛網に加わってもらおう。まずは情勢だが――」

 

 帝国暦325年。現在から九年前に勃発したオスゼリアスの戦いから、帝国苦難の歴史は幕を挙げた。

 

 第三次カルサゴ大戦を指揮した大宗主と、神聖七騎士筆頭の最終決戦「ザマの戦い」。名誉騎士スキピオ二世は使徒としての能力を発揮しきれなかったため、盟友の剣王、指導者の大神祇官とともに命を落とした。

 

 増長した新カルサゴ教国は、無尽蔵の資金力から西方の都市連合、北方諸国に武装提供し戦火を拡大。重しが消え去ったことで内乱の種が再び芽吹いた南方奴隷解放戦線の起爆。これらは肥え太った帝国を内部からぐちゃぐちゃに掻き回した。

 

 さらにはこれを機と見た平民派の台頭。元老院議員を撃滅すると、共和制を皇帝に訴える。しかし、狂帝スッラは尽くを拒否。国土を分割し、首都の遷都を敢行することで未だ終わりの見えない戦いを続けている。

 

 しかし、それももう限界が見えていた。大陸に覇を唱えた帝国の版図は、すでに全盛期の五分の一にまで減少。諸国の攻撃はいまだ衰えることなく、すべての領土が切り取られようとしていた。

 

「我々は苦境にある。だが、希望を捨ててはならない。ヴィエント家の嫡子は十にならぬほどだが、すでに初陣を挙げ、その才を全土に知らしめている。まだ、戦えるのだ、我らは! 皆の者、我ら子孫に平穏な明日をもたらすためにも、屍になるそのときまで戦い抜こうではないか!」

 

 エルマの、そして鷹の目団の戦いが始まった。

 

 春、雪解け水流れる山河を血で紅く染めた。

 

 夏、向日葵の咲く景色一面を屍で埋め尽くした。

 

 秋、収穫の季節に合わせ、敵の首を刈り取った。

 

 冬、積雪の多い山を登り、油断し切っている砦を攻め落とした。

 

 戦った、戦った。

 

 一年、二年、三年。

 

 娘が成人を迎え、召喚師としての頭角を現しはじめても、永遠に戦った。戦い続けた。

 

 鷹の目傭兵団はいつか正規軍へと変貌し、弓使いエルマの名は、ティラノス竜騎兵副官の代名詞となっていた。

 

「なあ、エルマ」

 

「なんだい。そんなに改まって」

 

 二人っきりの幔幕の中で、リカルドはエルマの粗雑な物言いにケチをつけることなく、伸ばし始めた髭をこじった。

 

「俺たちは、いつまで戦うんだろうな」

 

「知らないよ。そんなの皇帝にでも聞いとくれ」

 

「不安にならないのか。この、終わりの見えない戦いが」

 

「そんなみみっちい考えはとうの昔におさらばしちまったのさ。アタシはアンタに付いてく。それでいいだろ」

 

「なあ、エルマ。おまえっ」

 

 リカルドははっと身体を起こすと、エルマの細い両手首を握り、想いを遂げる男女のように身を寄せた。

 

「っなんだい! アタシを手篭めにしようってのかい」

 

「もしかして、お前」

 

 真上から覗き込むようなリカルドに、エルマは顎を引きながら見あげる。相手の瞳に反射して写り込んだ自らの相貌に羞恥を覚え、そっぽを向いた。

 

「そんな熱っぽい目はやめとくれ。アタシらもう三十を回ってんの。今更子供みたいに惚れた腫れただのごめんさね」

 

「だが」

 

「――やめてったら、やめてよっ」

 

 リカルド少年の若い想いのたけを遮ったエルマは、仮面の奥に潜む瞳を潤わせながら、少女のような声高い声で拒絶した。

 

「私たちは、隊長と副長。それ以上でも、それ以下でもない。それだけ、それだけなんだから」

 

「そんな」

 

「私はエルマ。あのとき、あの場所でエルマになった。あなたの知っている人とは、違うの」

 

 閑寂とした空間に姦しい笑い声が入り込んできた。天幕の外から仲の良さそうな声で話し合う一組の男女が、入り口から顔を覗かせた。

 

「おかーさんっ、イーサク君がなんかエッチな目で見てくるのー。叱ってぇー」

 

「は、はあ? 俺、そんなことしてねえし。なあ父ちゃん。俺はそんなことしねえっていってやってくれよ……どうしたんだ、父ちゃん」

 

「おかーさんもどーしたの? すごく怖い顔をしてる」

 

「なんもないさね。ちょっと軍略で熱くなっちまってね。ほら、アンタら子供は寝る時間だろ」

 

「えー、私たちも一人前だよー」

 

 娘のブリヒッテはエルマと同じく細っこい二の腕を掲げると、ぐっと力瘤が浮き出るよう食いしばった。

 

「全然でてないじゃないのさ。ほら、ガキどもはねんねの時間だよ」

 

「ちぇ、ほらブリヒッテ、行こうぜ」

 

「手なんか繋がなーい」

 

「あ、こら、待てよ」

 

 ぱたぱたと子供たちが駆け出してゆく。エルマは穏やかな目で彼らを見届けながらも、ひどく陰鬱な声音で呟いた。

 

「アンタには家族がいる。アタシにも娘がいる。アタシらの間には何もない、あっちゃいけないんだ。そんなこと、もう大人なんだからわかるだろ」

 

「……ああ、わかってる」

 

「ならいいさ。こんなことは、もうやめとくれよ」

 

「……」

 

 一年。戦いはまだ続いた。

 

 防衛線はさらに後退し、主要要塞や僻地以外はほぼすべて陥落。軍の被害は激烈だ。オスキュリア家は子だけを逃し、全滅。狂帝は服毒自殺し、長年国を支えたヴィエントの姫もこの世を去った。

 

 もはや政略的には何の価値もない帝国。しかし、新カルサゴ教国は侵攻の手を緩めなかった。

 

 独裁官、ヴィエント家が嫡子にしてスキピオ三世は、残った一般市民を都市同盟に逃し、大人はすべからく侵攻を遅らせる盾とすることを決定した。

 

 リカルド、そしてエルマのティラノス竜騎兵が担当した中央山脈防衛戦。十日の遅滞防御の後には、たった十人ほどの人員しか残らなかった。

 

「まだだ、まだ持たせないと。この真冬の登山、一般市民はまだ都市同盟にたどり着けていない。ティラノス竜騎兵の意地を見せてやれ!」

 

 最後の一日。エルマは壮絶に戦った。

 

 穿って、切り裂いて、殺した。

 

 守るんだ。

 

 自らが叶えられなかった夢を。希望を。

 

 もはや息もできぬと倒れ込む。積雪の山中、リカルドとエルマはたった二人、薄暗い洞穴の中で最後のときを過ごしていた。

 

「逃げ切れたかな」

 

「心配ないさ。アタシの娘は召喚師、そうそう負けやしないよ」

 

「へ、俺の息子だって剣じゃそうそう負けないさ」

 

「ブリヒッテは弓も使えるよ」

 

「大事なのは数じゃねえ、質さ」

 

「はいはい、相変わらず負けず嫌いだねぇ」

 

 隣り合って岩壁にもたれ掛かっていたエルマは、ふと苦い顔をしているリカルドを見つけて、掌を重ね合わせた。

 

「どうしたんだい。そんな暗い顔をして」

 

「もしも、もしもあいつが生きていたら、こんな風にはならなかったのかな。こんな、最後には」

 

「……やめなよ。彼はよくやってくれた、身を捧げてまで、戦い続けてくれた。責められるのは、何もできなかったアタシらみんなさ」

 

「けどっ、こんな――」

 

 エルマはぎゅっと手を握りしめた。

 

「私は、幸せだった。リカルドは、違う?」

 

「エ、ルマ」

 

 無言で、エルマは男の方に寄りかかった。少女のように。無垢なまま。

 

 寄りかかられたリカルドは体を固くした。少年のように。純粋なまま。

 

「私は幸せだった。後ろで、ずっと鍛えた弓で、あなたを助けられた。たとえ私たちの間にあったのが愛や友情なんかじゃなくても、それで幸せだった。他の未来は、娘や孫が、紡いでくれる。それでいいじゃない」

 

「おれは、それでも――」

 

「そんなわがまま、もう言わないで。私たちは凡人。あの人とは、違うのよ」

 

 エルマは優しく男の頭を抱きかかえた。少年へと帰ったリカルドは、少女の胸の中で大粒の涙を溢した。

 

 洞穴の中で。まだ、遅くはないと。長く過ぎ去ったときを巻き戻すように。最後の最後、たったひとときでも、昔の感情を取り戻すかのように。

 

 それはとても、純な心のありようだった。

 

「と、来たわね」

 

「下がってろ、今度は俺がおまえを――」

 

「これが最後よ。一緒に、果てましょう」

 

「……ああ、そうだな」

 

 執拗な追跡はたった二人になっても終わらないのか。いや、二人の勇名が轟きすぎたのだろう。明らかに過剰戦力が投入されていた。

 

 ふたり手を繋ぎながら、武器を取る。洞窟の入り口を睨み続けた。

 

 最初の一人ぐらいは道連れに。エルマは弓を構えた。

 

「とうさん、エルマさん。ここに居るのか」

 

「アンタたち、無事だったのかい」

 

 二人を出迎えたのは、救出部隊のイーサクとブリヒッテだった。

 

 期せず、二人は息を繋ぐことになった。

 

 そこから、さらに半年が過ぎ。

 

「えーと、皆さん。本日は新郎イーサクと新婦ブリヒッテの結婚式にお集まりいただきありがとうございます。式は間も無く開幕しますので、もうしばらくお待ちくだ――」

 

 初夏のこと。

 

 あの長い戦いは、終わりを告げた。

 

 夥しい戦死者を出した最終戦争は敗北で終えた。帝国の崩壊。巨人の最後を背中に、エルマは都市同盟への亡命を果たしていた。

 

「夢、みたいだな」

 

「ええ。子供たちが幸せで、本当によかった」

 

 席から見えた二人の姿は、まさに亡き兄のようであり、そして、自分たちが成しえなかった夢そのものに思えた。

 

「あ、あれ、おかしいな。そんな、つもりじゃ――」

 

「はは、エルマお前、めっちゃベソかいてるぞ」

 

「は、あんただって。もうボロ泣きじゃない」

 

「へ、おれは別に泣かないって決めたわけじゃねえからな」

 

「負けず嫌いなんだから、ほんと」

 

 眩しかった。綺麗だった。

 

 純白のドレスを身に纏い、愛しい人と寄り添いあって歩く娘の姿は、ステンドグラスから差し込む光やヴァージンロードの背景がなくとも、自ら恒星のように光を放っていた。

 

 エルマは泣いた。泣き崩れた。

 

 これまでの道は、決して楽なものではなかった。苦しみに溢れ、痛みに満ち、壮絶な絶望が身を襲った。

 

 けれど、たとえどんな過去があろうとも。

 

 こうやって、最後はハッピーエンド。それさえあれば。何もかも、許せる気がした。

 

 エルマは心の筆を取った。選ばなかった、彼に向けて。

 

 

 貴方は今も天国で見守ってくれていますか?

 

 貴方の言葉にしたがって、私はこんなにも幸せです。生きていればいいことがあるって、本当のことなんですね。

 

 もし生まれ変わるなら、今度は私が貴方を助けます。こんな幸せをくれた、貴方を。

 

 ね、アンヘルくん?

 

 

 新郎側の父として座るリカルドと視線が交錯する。周囲も憚らず少年のように泣く彼を、エマは同じ泣き顔で見つめ続けた。

 

 

 

 

 

 ――そう、これもあり得た未来ね。けれど、私たちは違う道を選ぶ。だってそうでしょう? それが、私たちに課せられた使命なんですもの。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 ふと、目蓋の先から熱のような明るさを覚えた。のぼりはじめた太陽が世界を醒まさせる。悪徳の屋敷も、埃に乱反射した光で色付きはじめた。

 

 泥の中に沈んだ思考が少しづつクリアになってゆく。女のとけたかんばせと、熱の残滓のようなものだけが身体に焼き付いていた。

 

 昨日は、たしか。

 

 数瞬の逡巡。白い肉体を組み敷く、黒髪が地面に広がっていた、そして本能のまま絡み付いて。

 

 過去に何が起きたか、脳が巡るたびにその光景がフラッシュバックした。そう、自分は昨日ここで、彼女を――

 

 そこで胸元に居るはずの少女が居ないことに気が付き、血の気が引く。アンヘルは掛けられていたシーツを跳ねのけた。

 

 膝下の感覚がいまだ不正常なのか、よろめいてチェストに手をついた。からんと何かを倒した音がする。音に釣られて視線を前方へと向けた。

 

 ゆらり、ゆらり。

 

 窓の隙間から入り込む風が、部屋に備え付けられた机の前のカーテンを僅かに揺らしている。蝋燭のように揺られる陽光は、腕を枕にして目を閉じる少女の頬を照らしていた。

 

 穏やかに、そして優しく微笑む女の横顔。天使のように清らかで、ありとあらゆる苦しみから解放された晴れやかさが満ちている。

 

 綺麗であった。神聖であった。何者にも代えがたい美しさであった。

 

 しかし、それは人形のように無機質でもあった。

 

 膝から、がらがらと崩れ落ちた。地面に手をつき、溺れたあとのように身体の中のモノを吐き出した。喉を焼くそれは、地面の赤色と混ざりあって酷く不快な匂いがした。

 

 女の右手は、だらんと地面に力なく垂れさがっている。そこから滴り落ちる水。命の水が、女の中からとめどなく流れ出ていた。

 

「あ、あぁ、ああ、あああぁああっ」

 

 枕代わりの女の左腕。手の中には羽ペンが、腕の下には一枚の手紙がある。味気のない、簡素な文字が並べられている。

 

 ――遺書。

 

 そこには、こう綴られていた。

 

 

 

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