イセカイ&ドラゴンズ   作:原田孝之

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第九話:歪んで

「もう、いくのかい?」

 

 そういって、中年女性は座った椅子から腰を浮かせ、目の前の息子に問いかける。老齢に差し掛かるその女性は、目に不安そうな表情を浮かべている。その、白い毛髪は長年の苦労を漂わせていた。

 

「ああ」

 

 息子は簡潔に答えた。屈みこみながら、身につけているブーツの紐を引き締める。その上半身には丈夫な皮鎧を身につけ、腰には立派な長剣が差してあった。息子――ホアン・ロペスは、心配する母の様子を気にすることもなく淡々と準備を続ける。その所作は、拒絶を強く放出していた。

 中年女性は手を伸ばしたり縮めたりを繰り返しながら会話の糸口を探すが、ホアンの纏うオーラがそのすべてを拒否していた。

 

 すべてを確認し終えたホアンが告げる。

 

「もういくよ、母さん」

 

 そう言って立ち上がる。中年女性――ホアンの母であるコンチタ・ロペスには目もくれない。家の戸に手を掛けたときに母から声がかかった。

 

「もう、いくのは止めないかい? もう、5度目だろう? 探索者の仕事なんてする意味、あるのかい? 軍の試験だって来年に迫ってるんだし、今は勉強に専念したほうが、いいと思うんだよ……。それに、私は軍に入ることも賛成しているわけじゃ……」

「やめてくれよ! 自分のことは、自分で決められるんだ。何も分かってない、母さんに言われたくないよ」

「で、でもね。探索者の仕事なんて、大した金にもなりはしないんだろ? それなのに、あなたが危険な目に遭う必要ないじゃない……。家には、お金もあるんだし……」

「もう決めたことなんだ! 試験では実戦経験を重視されるかもしれない。多くの事を成すべき時期なんだ」

「それは、そうだけど……。それに、わたしは軍へ入るのに賛成したわけじゃ……」

「いい加減にしてくれ!! 俺は父さんと同じように軍に入ると決めてるんだ! いつもいってることだろう。口を挟まないでくれ!」

「そうだけど……。あの人みたいに、あなたが軍に取られるみたいで……」

 

 そうやって母は、目尻に涙をこさえる。しかし、ホアンには何も響かない。その表情が逆にホアンの怒りに火を注いだ。

 

「もういいだろう。いくよ」

「ま、待って。家には十分なお金があるし、あなたは剣の腕もある。道場に誘われているんでしょう? 軍に入らなくても十分やっていけるわ」

 

 その言葉がホアンの沸点を振り切った。喧嘩などしたくはなかったが止められなかった。

 

「絶対に、ごめんだ! あんな奴と一緒に暮らすだなんてっ」

「あんな奴だなんて。そんな言い方……、あなたのお義父さんでしょう?」

「あんな奴といって何が悪い!! 母さんも、母さんだ。どうして喪も明けぬ内に再婚だなんて! 地を這う阿婆擦れよりも汚らしいことを。父さんの死になにも思わなかったのか!!」

「それは、そうだけど……」

「それに、相手も相手だ!! よりにもよって、父さんが良くしていた部下とだなんて。俺と1回りしか変らない歳じゃないか! 財産目当てに寄ってきたに決まってる!!」

「やめて!! あの人は、夫を亡くしたわたしに優しくしてくれたの。いい人なのよ!」

「なにが、いい人だ。俺は知ってるんだぞ! 父さんが生きてる間も仲良くしていたのを!」

「そ、それは……ただ、仲良くしていただけで……」

「何が、仲良くだ! こっちが知らないとでも、思っているのか! 父さんの留守中、夜中に出かけていくのが、ただ仲良くなのか!! 母さんみたいな人から生まれてきたことに反吐が出るッ!!」

「えっ!! ち、違うのよ! あ、あの人は、軍ばかりで……。わたしに、何もしてくれなかったのよ……。そのときに、少しだけ良くしてくれただけで……。その時はなにもなかったのよッ!」

「そんなこと知ったことかッ!」

 

 そう言ってホアンは母を糾弾した。義父が屯所に詰めて母とふたりになるとこういった諍いは頻発した。

 ホアンは努めて道場で寝泊まりし、義父と顔を合わせないようにしていた。義父と母の関係を許してしまえば父のすべてを否定することになると思ったのだ。だから、義父と母の関係を容認するわけには行かなかった。誰が祝福したとしても、唯一の血縁たる息子が。

 こうやって、ホアンが実家に帰宅するのは義父が仕事に出ている時間帯だけであった。

 

 とはいえ、母を心底嫌っているわけではない。実際、旦那を亡くした未亡人がひとりで暮らすのは容易でない。一定の社会的地位を築いているロペス家であっても、それは変えられない。

 そもそも、この世界における女性の立場など吹けば飛ぶように軽い。父権主義が横行する現状では財産を保有する権利は、旦那および親族にある。もし母が長い間再婚もせずにひとりで暮らしていれば、その家や財産はすべて母方の家のモノとなっていただろう。実際、喪が明けてから母の助けになる人物へ添い遂げるのであれば、ホアンは祝福するつもりだったのである。軍人とはどうしても死が付きまとう。碌な治療技術もない世界では致し方ないことであった。

 しかし、母は父が死んだ後、体面上は悲しんだふりをしたが、すぐさま別の男と再婚した。心の底では母が父の事をどう考えていたかなどわからないが、口がさない近隣住民どもは毒蜘蛛妻と呼んだ。

 

 父は近隣では高名な軍人であった。そして、人好きのされる人格者で近隣住民からは慕われていたことが母の悪名に繋がったのだが、ホアンは父の名誉まで汚された想いだった。

 その想いは日増しに高まり、母との関係は修復不可能な所まで来ていた。

 

「もう、いいだろう」

「……」

「いくよ。母さん」

 

 そう、最初と同じことを言ってホアンは踵を返した。心の底にヘドロのような塊がたまる。

 振り払うように、扉を開けて進んだ。

 

 ――きょうは、悪い日になりそうだ……。

 

 ホアンはひとりごちた。

 

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

 

「はぁ」

 

 アンヘルは大きなため息をつく。その顔には大きな疲労があった。疲れきった表情は、身体にも伝染し、全体から負のオーラを発している。

 

「なんでぇ、いきなりよぉ。けいき悪いったらありゃしねぇ」

「いや、そうなんだけどね……」

 

 返事をしたホセは、店員にビールを勝手知ったように頼む。アンヘルは何時も飲まないビールを浴びるように飲んでいた。もう、3杯目になる。

 

「黙ってひとりで、のみまくりやがってよぉ。それで、なにがあったんだ?」

「いや、それは……」

 

 ホセに今日の探索を報告する。

 

「もう、今日は最悪だったよ。ホアンは最初から調子悪いみたいで、最後の最後まで連携もうまくいかなかったし……。ヨンは相変わらず後ろで見てるだけだから、全然楽にならないし……。それに、帰りには雨まで降ってきてさ。そのとき、岩陰で休んでたらヨンが袋を忘れたみたいでさ。魔石を半分置いてくるし……」

 

 アンヘルは一息つき、ビールで唇を潤した。顔は少し赤くなり、視界も狭まっている。それでも出始めた不満は止まらない。

 

「攻略は全然進まないし、収入は激減だし。さいあくだよぉ」

 

 空になったカップを、ばんと机に叩きつけた。

 

「あぁ、それはクソだったなぁ。まぁ、のめや。きょうは、金、もってやんよ」

「うん、ありがとう。……でも、ホセは来られないの? 三人じゃ、攻略なんて進まないよ」

「ン、ぁあ。やっぱ、まだ厳しいなぁ。はじまったばっかだしよ」

「……そっか」

 

 ホセは街の用心棒仕事を本格的に開始した。街の金貸しに気に入られて、金の回収役の護衛となったのだ。

 都市間同士の情報交換もまともにできないセグーラの街では、金貸しは現代の闇金よりも遥かに恐ろしい手段を取るが、同時に金貸しは難しい商売でもあったのだ。借りた人物が都市間を移動されれば追跡する方法などないのだ。借りた側は金が返せそうになければ違う都市に向かえばいい。そして、借り倒しに対して法で裁くことはできない。

 しかし、殺してしまうこともできない。この世界に人権保護などと甘ったれた思想などない。目には目を、歯には歯をといった原則で、殺人被疑者は当然の如く斬首に処される。金貸しは現代社会よりも荒っぽい手を使ったが、同時に相手が死なないように手を緩める必要があった。

 

 そのための暴力装置としての用心棒。相手が逆らわない、そしてもしも問題を起したときのための保険として、外部の傭兵を雇うことが最善であった。

 ホセが興した用心棒団は、農村出身者の若者を中心としていた。そのため金は少額でよく、そのうえ捨て駒としても扱いやすい。そして、探索者として抜け目なく戦い抜いたホセの実力と手腕は、そこらの農民とは一線を画していた。ホセの経歴と実用性の観点から、ホセの用心棒稼業はたった2週間で軌道に乗り始めていた。

 ホセは軌道に乗り始めた商売へ専念するため、ここ何回かは探索に参加していなかった。人間関係上の問題から、ナセはあれ以来まったく顔を見せていない。どうしてか、探索者の仕事を気に入ったホアンと、無言で参加し続けるヨンの3人でなんとなく仕事を回している。そんな現状であった。

 

「なぁ、アンヘルもこっちにうつれよ。ぜんぜん、うまくいかねぇんだろ」

「……うん。そうなんだけど、なんだかね。あんまり、用心棒ってピンとこなくて……」

「はぁ。アンヘルよぉ。仕事は仕事だぜぇ。どれもいっしょさぁ。汚ねぇ仕事なんてありゃしないんだぜ」

「まぁ、それは分かっているんだけど……」

「それに、魔石の買い取り額も低くなったんだろぉ? ゴルカの野郎がいってやがったぜ」

「それは、そうなんだけど……」

「なら、きっぱりやめちまえよぉ。どうせ、探索者なんて、クソみたいな仕事だぜぇ」

 

 アンヘル達が通い続ける『塔』の買取価格は下がった。モンスタースタンピード抑制のための資金が尽き、補助金が出なくなったのだ。そのため、ホアンが参加することで大幅に上昇していた収入も、街に来たときと同じくらいに値下がりしていた。

 

 ――初めのころより、4倍近い相手を斃せるようになっているんだけどな……。

 

「……でも、なんとなく、性にあってる気がするんだ。最近は、口入れ屋の人にも覚えられてきたみたいだし……。もう少し、頑張ってみたいんだ。もしかしたら、見習いにスカウトされるかも、しれないし」

 

「そうかよ。なら、がんばれや」

 

 そういって、ホセはビールを口に含んだ。

 

 ホセとは探索に行かなくなったが、こうやって飲みに来ることが増えていた。ホセも一端の会社の社長である。部下に弱さをさらけ出すことはできず、アンヘルもホアンとはそれほど打ち解けているわけではなかった。まったく会話に参加してこないヨンなど、もはや仲間なのかも分からなかった。

 ふたりとも、弱音を吐き出す場所を探していた。ふたりは違う仕事に属していており、昔からの友人である。気兼ねなく語り合える存在となるのに時間はかからなかった。アンヘルが探索から帰った日かその次の日は、必ずふたりきりで飲みに来るのであった。

 

「それにしても……珍しいね。『菜の花亭』なんて。昔、いろいろあったから。ここは避けてるとおもってたのに……」

「あン? まぁ、別にいいだろ。どこでもよぉ」

「それは、そうなんだけどね」

 

 ホセは、街に来たばかりの頃とはまったく違うピリっとした服を正す。

 もはや、別人であった。背が低いからか威厳は感じないが、全体から粗野な雰囲気がぬけている。しかし、それは腑抜けたということでなく、狼のような鋭さを内に備えた男への変貌だった。人は立場によって成長するというが、ホセは正に典型例であった。

 

「昔のことだからよ、気にしねぇのさ」

「うん。良かったよ。ぼく、この店好きだからさ……」

「ああ、飯はわるかねぇもんなぁ。さいしょに来た時も、おまえが無理やり引っ張ってきたんだっけなぁ……」

「すごくおいしいよね、ここの料理」

「ま、たったひとつ。店員のアイソウがわるいってことぐらいか。いちゃもんつけるとしたらよ」

「へぇー。聞こえたわよ。お、チ、ビさん」

 

 そういって背後から現れたのは、怒気をあらわにしたナタリアである。さきほどまでは見かけなかったが、この時間帯になって仕事に参加してきたのか元気溌剌という様子でまくしたてる。

 

「愛想が悪くて、わるかったですねっ。それなら、来なければいいんじゃないっ。さいきん、何回もきてるくせにっ!」

 

 左手を腰にあて、右手の人差し指でホセの胸をツンツンと押す。私怒っていますと言わんばかりに頬を膨らませていた。

 

「まぁよ。けど、全員がわりぃわけじゃねえのさ。いちぶ。一部だけだ。飯は悪くねぇんだし、それで来ねえのは、もったいねぇだろ」

「へぇ。一部って誰かしら? その、一部って」

「さぁ。だれだろなぁ?」

 

 ホセはにやにや笑いながら揶揄した。

 

「まぁ、客にすぐカッカきちまう、胸のねぇやつかもしんねぇなぁ」

「はぁっ!? それってだれのことよ。だ、れ、の」

 

 ――はぁ。また始まった……。始まってしまった。

 

 アンヘルはそう思いながらも止める術を持たなかった。今回の諍いは、前回と違って顔見知りだからか、ヒートアップが早い。

 

「これを、聞いてるやつの胸にはよぉ、とどいてるとおもうけどなぁ。あぁ、そいつには胸がねぇから、わかんねぇか」

「はぁあ、それって、とぉっても失礼なんですけどッ」

「べっつによぉ、おまえのことなんて言ってねぇじゃねえか。それとも、自分だっておもってんのかぁ?」

「もぉぉぉ、なによ、なによっ。これ、渡さないわよっ!」

 

 そういって、ナタリアは顔を真っ赤にしながら、先ほどホセが頼んだビールをぐいぐいと飲みだす。一気に飲み干したグラスをホセに押し付けた。

 そして、アンヘルとホセの間にすわった。

 

「おいおい、とんだ不良娘じゃぁねえかよぉ。さっさと、あたらしいもんもってこいやぁ」

「いやですぅー」

 

 そう言って、ホセから差し出された手を払いのける。そして、その手で相手の胸をトンと弱くついた。

 

「そんな、捻くれてるやつには、なぁんにもあげませんー。はい、アンヘル。これ、あなたのよね」

 

 そういって、もう一杯のビールを差し出してきた。アンヘルがそれを受け取る前に、横から伸びてきたホセの手がそのビールを奪い取る。

 

「ああっ、勝手に取らないでよ!」

「かってはどっちだよ。さっさと、あたらしいやつもってこい」

「もう、持ってきましたー。そこに、ありますぅ」

「はぁ、おまえが飲んで空じゃねぇかよぉ。ジョッキ一杯にしてしてもってこいや」

「えぇ? あなたが、飲んだんじゃないんですかぁ。嘘つかないで、ちゃんとみとめてくださぁい」

 

 そういって、ナタリアはホセの肩パシンと叩く。もうやりたい放題だ。

 アンヘルは場にまったくついていけない。

 

「なにが、『えぇ?』だ。目の前で、飲みやがったんじゃねぇか。おれは、こんなん払わねぇぞッ。てめぇが、のんだやつなんてよぉ」

「食い逃げ宣言ですかぁ。もしかして、捕まりたいんですかぁ?」

「はぁ? ふざけんな、このくされアマ。胸までじゃなく、あたままでねぇのかよ」

「ぁあッ、また言った。もう、腹立つッ!!」

 

 そういうと、ナタリアは立ち上がり、ホセの目の前に指を突き出す。周りが見えていないのか、カンカンに怒っているナタリアはホセに至近距離まで近づき、大声で宣言した。

 

「なにが、胸なしよ。このチビっ。大きいほうじゃないけど、あるんだからね。私だって」

「はぁん。おれは、まだ成長するけどよ。おまえは、もう成長しねぇんじゃねぇかぁ?」

「はぁ!? あんただって、もう成長しないわよッ」

 

 アンヘルは、ホセの返しが意外に感じた。正直に言うと、ナタリアの背の低さを指摘する言葉にドキッとしたのだ。ホセは、女子供に手をあげるような人間ではないが、言葉でならいくらでも返す。アンヘルは、ホセが手を出さないまでもブチ切れると思ったのである。

 アンヘルは、ホセが街で働くことによって大人になったのかと思った。

 

 ――ああ、ホセもかわっていくんだなぁ……。

 

 短時間で目まぐるしく成長していくホセに、アンヘルは憧憬の想いを抱いた。アンヘルがそんな感想を抱いているとは露ほどもおもっていないふたりは、どんどんヒートアップする。

 

 そんなとき、アンヘルはたくさんの視線を感じた。どうやら、周りの席からも注目され始めたようだ。

 

「ねぇ、ねぇってば。もうやめてって。恥ずかしいしっ」

 

 そうやって、アンヘルはふたりの間に入る。

 それでも、歯をむき出しにしてふたりはやり合っていたが、少しすると落ち着いたのか座る。ふたりとも、周囲の視線に気づいたのか恥ずかしそうだ。その空気を割るようにホセがいった。

 

「おい、さっきのは払ってやるからよ。あたらしいやつ、もってこいや」

「はいはい」

 

 そう言ってナタリアは立ち上がる。そして、空になったカップを受け取りながら、ホセの頬を指でついて反対側をむかせた。そして、アンヘルに向き直って言った。

 

「ごめんなさいね。勝手に、喧嘩しちゃって。すぐ持ってくるからさっ。アンヘルもゆっくりしていってね」

 

 そういうと、ナタリアは最後っ屁と言わんばかりにホセに悪態をついた後、カウンターの奥に消えてゆく。

 

 駆けてゆく後ろ姿に、きょうも綺麗だったなと思う反面、アンヘルには小さな違和感が残った。

 ほんの少しだけど、心にトゲが刺さるような、そんな違和感が。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 繁華街から少し離れた所に、薄暗い事務所があった。左右を高層の建築物で挟まれた狭い空間に据えられたその事務所は、率直に言ってボロい。その広いとは言えないその室内には、小さな机とスツールが乱雑に置かれている。中には幾つもの酒瓶とコマ札が捨てられている。壁には窓などという上等なものはなく、男臭いムワッした匂いが鼻腔をくすぐる。

 小柄な男――ホセは、たてつけの悪い引き戸をこじ開けた。

 

「チッ。やろうども。さんざん片付けろって、いってあったのによぉ」

 

 室内は酷い有様で、明りを着けなければ足を運ぶことも危うい。ホセは、転がった瓶を踏まないように奥まで進み、光を取り込むための戸を開けた。時間が経てば、室内に篭った悪臭が陰鬱な事務所の雰囲気と共に外へ吐き出された。

 

 この事務所は、金貸しの用心棒を専属で引き受けるに当たって、貸し与えられた建物である。事務所は窓口兼住居として活用する予定だったが、学もない農村出身の男所帯ではまともな管理などできない。ホセが散々注意したとしても、こうやって汚れるのが常だった。

 ホセの配下となった若衆は、今までまともな報酬を受け取れる立場ではなかった。それがほぼ専属で金貸しの仕事を受けるとあって金に恵まれ、事務所を窓口として使用することもほぼないとなれば、降って湧いた儲けに螺子が緩んで宴会場と化すのを中々止められない。

 

 とはいえ、常ならば清掃はしなくともゴミを出す所まではしているものだが。

 

 ――まぁた、シメなきゃなんねえなぁ……。

 

 明るくなった室内で、ホセは転がっている瓶を端に寄せる。瓶内に酒が残っているため、酒精の匂いが二日酔いの頭に響いた。無言で作業を続ける。すると部屋の隅の毛布がガサゴソと動いた。

 

「ぁあ!! チッ、なんだよ!」

 

 毛布の下から、小柄な男が這い出てくる。ボサボサとした毛髪とトロンとした眼が男の半覚醒状態を表していた。男は眠っていたところを邪魔されたからか、言葉に怒気が混ざる。

 

「おい! ヨン。さっさと、扉閉めねぇかい!」

「まてよ。ナセ。ねるんじゃねぇ! さっさと起きやがれッ」

 

 ホセの事をヨンと勘違いしたのか、入ってくる陽光を遮るための指示を出し再び床に就こうとしたナセをホセは呼び止める。毛布を剥ぎ取って、ナセの機嫌が悪そうな顔を睨みつけた。

 

「チッ。ンだよ。朝っぱらからよ!」

「うるせぇ。もう昼だ。起きやがれ」

「ぁあん? チッ。なんだよぉ、ホセかよ。他のやつはどうしたぃ?」

「知らねぇよ。だれもいねぇ。それにしても、てめぇよ。なんだってんだぁ? このありさまはよぉ?」

「はぁ?! なんだってんだ。いちゃもん付けやがって」

「なにがぁいちゃもんだ。また、こうやってここで呑みやがって。ここで、飲むなっつったろうがよぉ!」

「ああ! なんでてめぇに、そんなん指図されなきゃいけねぇんだよ。関係ねぇだろうがよ」

「何言ってやがる。ここは、おれたちの事務所なんだぜっ! さっさと片づけやがれ!」

 

 そう言って、ホセは周囲の惨状を指し示す。そうやって示してやると、ナセの周りに高額配当のコマ札が何枚も落ちているのが目についた。その周りの酒瓶は、街でも人気の割高のモノだ。

 

 ――こいつ、もしかしてまた抜きやがったな!!

 

 ホセは辺りに落ちているものを指差して訊ねた。

 

「おい! ナセ。おまえ、これよぉどうやったんだ?」

「ああン。べつに。買っただけだぜ」

「どうやってだ! お前、また事務所の金を抜きやがったな!!」

 

 ホセに用心棒稼業や行き場を失くした若衆を教えたのはナセである。ナセは頻繁に賭場へ出入りしており、街の事情に詳しかった。ホセが仕事を立ち上げるまでは、ナセは街に来てまだ間もないホセに十分な情報を与えた。そのうえ、ナセは街へ団体で上京しており、その集団のリーダー格であった。ナセが声をかければ、簡単に人間を調達できたのである。

 ホセはナセの人脈を頼りに仕事を立ち上げたが、ナセは軌道に乗り始めると頻繁に事務所の金を博打や酒につぎ込んでいた。事務所にいる奴らの半分はナセを頭と仰いでおり、ヨンのように腰を低くしてナセに付きしたがう。必然、ナセの暴挙を抑制するものはいなかった。

 

「はぁ? べつにいいだろ。ここはおれらで作ったんだぜ。おれらの金じゃねぇか」

「あれは、これからいるんだよ!! 備品とか、人を雇うとかよ!」

「おれも、必要だったんだよ。しかたねぇだろうがよ」

「てめぇ、ふざけんじゃねぇ!! だいたい、てめぇは最近なンもしてねぇじゃねぇか!」

「べつにいいじゃねぇか。しゃちょーってのは、そんなもんだろうがよ。しゃちょーってのはよ」

 

 ホセはその言葉で頭に血が上った。近くに置いてあった棒を手に取り、能面のような顔でにじり寄る。ナセは相手の雰囲気が変ったことにきづいたのか、卑屈な態度になった。

 

「へ、へへ。そ、そんな怒るなよ。ちょっと、ちょっとじゃねえか。なぁ、悪かったって」

「だったら、さっさとここを片づけやがれ」

「わかった、わかった。な、ちょっとまってくれよ」

「さっさとやりやがれ。ブチのめすぞ!」

「悪かった、わるかった。今からやるよ」

「次やりやがったら、ぶっころすからな!!」

 

 そう言ってホセは勝手口を開く。これ以上口を開くと、本当に殺してしまいそうだった。振り返って、ナセに告げた。

 

「いまから、あいさつ回りにいってくるからよぉ。それまでに、片づけやがれ。できてなかったら、本当にぶっころすからな!」

「あ、ああ。やるって。やるっていってんだろ」

 

 ナセは渋々あたりを片づけはじめる。しかし、その顔からは不満がにじみ出ていた。作業もどこかなげやりだ。

 

 ――さいきん、こんなんばっかだなぁ……。アンヘルとふたりで『塔』に行ったのが懐かしいぜ……。

 

 ホセはなんとか頭を切り替えると、次の仕事へ向かっていった。

 

 

 

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