イセカイ&ドラゴンズ   作:原田孝之

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日常編第二話:小隊戦狂騒曲

「リカルドはダメだな。ああも周囲にあたられちゃやってられん」

「だな、悲劇のヒーローってか。気取ってんのもいい加減にしろってんだ」

「付くなら安定感のあるラファエルかフェルミンだな、乗り換えるか」

「お前……あわよくば逆玉狙ってんだろ」

「男の夢だろ。美人、金持ち、貴族さま。最高だぜ」

「はっ、てめえなんかが相手にされるか」

「ちげえねえ」

 

 ゲラゲラと不快な笑い声に、ヴァレリオットは架空の魔法を詠唱した。

 

 人の性は男も女も変わらないのだろう。他人事、といった立場を取ってはいるが、声音は愉悦に浸っている。弱者のサクセスストーリーより、スターの転落がより快感を誘うのだ。声を潜めながらも残忍な好奇心で嘲笑っている。

 

 日を追うごとに、脱名者は数を増していった。すんでのところで決壊を押しとどめていたのは参謀グリードであったのだろう。ニコラスなどは下卑た顔つきを隠さず、ことあるごとにねちっこく絡んだ。

 

 リカルドは班員の公募を掛けたが、冷やかしのような弱者が手を挙げただけらしい。出場すら危ぶまれている現状を鑑みて、他所の指導教官などは、

 

「舎を代表しながらこの体たらく、誠に遺憾である」

 

 零落ぶりを論い、中には、エマの名を出して、下げマンなどと吹聴する輩まで現れた。堕ちた人間を徹底的に叩く。階級と成績に魂を捧げた学び舎の汚穢に満ちた本質であった。

 

「青くつめたき岩肌に

 すぎゆく日々を重ねゆく

 われらが肩にかかりしは

 花ではあらぬ薫衣草

 可愛らしい詩ね。咄嗟に出てきたの?」

 

「返せ」

 

「ごめんなさい。呼びかけても返事がなかったものだから」

 

 シラクサは微笑みながら詩の綴られた用紙を突き返すと、長机の上に腰掛けしなを作りながら妖艶に見下ろした。その目は、驚くほど冷えていた。

 

「まだ、閉じこもったままなの?」

 

 顎の下をすっとシラクサの細い指先が通り過ぎていった。その質感、量感は、心の奥底で封じていた官能の記憶を呼び起こした。女に、情感といった意図はないように思われた。憐れみの籠った目が凝視ている。

 

「女、弁えろ」

 

 手を振り払ったヴァレリオットの声には、冷たい拒絶が込められていた。反射的な動きであった。女は悲しむでもなく、微笑むでもなく、冷たい無表情で非礼を詫びた。

 

 謝罪の言葉もなく、ヴァレリオットは割り当てられている個室を後にした。後悔は必ず事後に生まれいずる。激しい懊悩にあった彼は、気のおもむくままに辺りを散策していた。

 

 いや、それは鬱病にありがちな迷走であったのかもしれない。

 

 重い。

 

 過去や人の想いというものが、カサになって肩にのし掛かっている。人間という、卑しくも尊い社会生物が創り出した因果に押し潰されそうだ。同輩たちの気遣いを疎かにしながら脚を回していると、敷地内のかたほとり、森林演習場前に辿り着いていた。

 

 ヴァレリオットは苔の生えた巨巌に手を添えた。開校当時から聳えるという由緒ある御岩さまは、変わらず雄大に歴史を眺めてきたらしい。僅かばかり、表面に刃傷がはしっている。悪戯心に駆られた未熟者の鼻っ面を、叩き折ってきたのだろう。

 

 ――本当に、そうか?

 

 暑さに焼かれたのであろうか。ヴァレリオットは肩に担いでいた荷を解き、構えを取った。すううと全身の力が血管を伝い、刀身に収斂されてゆく。心臓の鼓動に合わせて、今か今かと息が荒々しくなる。

 

 鯉口を切る。空に、ゆらり刀身を掲げた。

 

 夕焼けを駆けるような、火花が舞った。

 

 手応えは、なかった。視界を満たす閃光の中で、巨巌はかたときも揺るがず佇んでいた。

 

 得物を放り出し、ヴァレリオットは息を吐いた。強化の残滓で火照る身体を空からそそぐ風が撫でる。ぐるりと周囲を見渡すと、簡易的な井戸があった。釣瓶を落として水を汲み上げ、ちろりと中身を舐めた。澱んでいるような気配はない。柄杓ですくって喉を潤す。山際の端に紅を刷いたような夕日が眩しかった。それも、吸い込まれそうなほどに。

 

「――凡庸だな」

 

 ふと、巨大な影が視界を遮った。延びる先を追うと、鍛え上げた上半身を晒した鋼の男が姿を現した。

 

 クナルである。手には抜き身の大剣を携えたまま、ゆっくりとした動きで近寄ってくる。目の奥が窪み、どこか狂気に染まっているように思われた。無礼千万な科白であったが、心にはしみったれた苛立ちのようなものはなく、純粋に先をゆく稀代の戦士を目で追っていた。

 

「失せろ」

 

 三年釜を共にしてきたはずだが、彼の目付きは、初対面の羽虫を観察するものと同質であった。

 

「君に、占有する権限はないと思うが」

 

 クナルは頬をわずかに歪ませると、興味なさげに鼻で笑った。吹きつけた突風が彼の服をはげしくはためかせた。落ち着き払っている表情には、正面から反抗していることへの拘りすら見えない。油断も慢心もなく、奇妙なほど自然体であった。

 

「私など歯牙にもかけない、ということか。傲慢は身を滅ぼすぞ」

 

「一掴み幾らの裾物が喚くな」

 

「……驕りすぎではないかな。この私とて、剣技は伝位に及ぶ。魔の技を用いれば君も全力にならざるをえまい」

 

「貴様が、か?」

 

 クナルはくつくつと声をあげて笑った。悲しいことに、瞳には感情というものが失せていた。昆虫の目でヴァレリオットの全身を眺めた彼は、手にした大曲刀を天まで貫かんと大きく掲げた。

 

「雑兵、私の器は貴様如きで満ちぬ。狼とて群れる、獅子すら率いるのだ。羊にすら劣る貴様がどうして無為に挑む。束になってようやく人で在れるのだ。雑兵らしく、群れていろ」

 

 クナルは、驚くほど無造作に大剣を振り下ろし、いともたやすく巨巌を斬った。それは、リカルドが見せた剣技の秘奥や魂の気迫のようなものはなく、包丁で果実を切り裂くような、たわいのない何かであった。

 

 貴様らが競うのは、所詮凡夫の界である。若き天凛には、拒絶と思しき語り手としての力が秘められていた。

 

 彼我の距離はたった数歩。だが、そこには巨大な壁が聳える。血と死、悲劇で彩られた居壁。隔てられた境界線の向こう側で彼らは生きているのだ。

 

 時折、僅かばかり世界が交差する。決して繋がっているわけではない。憐れみのようななにかが、交わったそのときだけ恩寵となって落ちるのだ。こちらの世界に悲しみとなって、あちらの世界に幸せとなって。叶うのは、別世界のできごとをさも知ったように語るだけなのである。

 

 容赦ない糾弾に打ちひしがれながら、よろけた足取りで近くの木の根本に背を預け、荒い息を吐いた。落ちかかる夕日の残光が、斬られたように全身を朱で染め上げた。

 

(どうして、か)

 

 風が枯れ木を揺らし、瑞々しい葉を重力に引かせる。ひらひらと舞い落ち、掌に収まった落ち葉を眺めていれば、黙っていても現実を直視させられた。

 

 貴様は老いた枯れ木ではない。

 

 貴様は瑞々しい落ち葉でしかない、と。

 

 気がつけば、ヴァレリオットは鈍くうめいていた。蘇るのは、シラクサの横顔と裸体だけであった。記憶が、みるみるうちに忍び寄る闇の帷に包まれて見えなくなってゆく。手を伸ばしたとしても、もう遠い彼方の事物であろう。

 

 ヴァレリオットは涙を流さなかった。凍てつくような風が全身を震え上がらせた。

 

「リカルド……」

 

 呆然と彷徨った先には、当たり前のように男の姿があった。

 

 燃え尽きようとしているかのように、男は闇の中でも剣を振っていた。鋒から飛ぶ汗が、涙となって散っている。

 

 何かが誕生しようとしている。何かが死産しようとしている。没我の世界で孤独に歩む男は、どこか遠い世界に旅立とうとしている。過去と被る光景に、やり場のない後悔がヴァレリオットを襲った。

 

 絶望の末虚しい運命を辿ったエマ。

 

 迷うことなく汚辱に塗れる道を選んだアンヘル。

 

 弄ばれたことに蔑みを呟くでもなく、未練を断ち切るよう嫁いでいった恋人の姿。

 

 そして、望まれぬままに生を受け、いまもどこかで苦しみに喘ぐひとつの命。

 

 亡骸を冒涜することは許されない。朽ちた願いが、ヴァレリオットの背中を押した。

 

「なにか用か」

 

「ああ」

 

 そばにいてほしいと懇願したシラクサを、月の輝く夜に突き放した。守るため、よかれと思ってやったつもりだった。彼女を奪うことはいけないことだと、心の中で思い込んだ。

 

 本当はちがう。彼女は強い、そう妄信することで、すべてから逃避し、なにもかも終わったことにしていれば気持ちが楽だった。

 

 昔の自分は逃げた。身分や体面を気にして、彼女を拒絶した。

 

 今度こそは許されない。ヴァレリオットの双肩には、数多の願いが積み重なっている。悉く打ってきた逃げの手にすがって、安寧に微睡むなど選べない。

 

 男は吠えた。

 

 二本の足で雄々しく立ち、激しく吠えた。

 

「私を殴れ、リカルド」

 

 ――君の想いびと失われたのは、私のせいなのだから。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 思えば、昔から可愛げのない子供であった。ヴァレリオットは武官の名門ラブロック家に次男として生まれながら、幼きころはやんちゃばかりで、代官として一族が治めていた領地近郊では、無類の放蕩息子として知られていた。

 

 彼は、生来何かに縛られるのことを極めて嫌がる性質であった。

 

 理由などはない。物心着いた頃から常に変わらずそこに在った。推察するなら、聞こえこそいいものの、

 

「特権階級」

 

 に位置する家柄のせいか。平和な世にあって、能力など必要とされない。お飾りと名高い近衛騎士団や聖カトー騎士団などに身を捧げ、宮廷でのロビー活動が栄達を定める。つまりは、もう少し現場に近い家柄ならともかく、彼のような貴種が下々の生え抜きに混じって戦うことなどあり得ないのである。

 

 彼とて馬鹿ではない。腫れ物を触るように接する師範をひどく疎んだ。煽てられて鼻高々になる同年代とは著しく乖離していることは察していても、諾々と許容することはできなかったのである。

 

 そんな中、シラクサは唯一、ヴァレリオットに対して正面から接する人物であった。七つ上であった彼女は、籠の鳥である少年を憐れに思ったのであろう。身につけた剣技で躊躇もせず打ちのめした。

 

 幼きヴァレリオットは、意外にも、プライドだけは残っていた。無為な時間が彼の魂を犯し、立ち帰ったときには凝り固まらせていたのである。彼は激しく衝突し、何度も転がされては、狂乱とおぼしきまで憤った。当然であろう、齢十そこそこの少年が、隠された真実を直視したのだから。

 

 彼はあてつけのように蕩尽を繰り返した。類まれな容姿に託けては領内の女を引っ張り込み、気に入らない人間は有無も言わせず叩きのめしたのである。領内で高まる非難に対し、温和な父ブルーノ公こそ興味を示さなかったが、屋敷内での冷遇は日を増すごとに顕著となった。

 

 自然と外へと向かうことになるが、かといって、無辜の民を屠っていても心満たす何かが生まれることはなかった。心根は奔放でこそあったが、高みを目指すという剛毅さを欠いてはいなかったのである。黙ってオイラー学派の門を叩くと、護身剣と魔法を融合させ新たな技を体得した。

 

「シラクサ、もう一度勝負だ」

 

 魔法剣士ヴァレリオットと候補生シラクサの決闘は、勝利こそ前者に傾くことはなかったが、日毎に伯仲し始めた。愛想を尽かし切った家人たちの中にあっては、もはや熱中することは武術だけである。付き合っていた悪仲間とはとうの昔に縁を切っていた。彼の手には、剣と魔法しか残っていない。

 

 そんな荒み続ける幼きヴァレリオットを慰め、変わらぬ情熱でもって向き合ったのはただひとりシラクサのみであった。思えば、自身の過去と重ね合わせていたのであろう。伯父の従兄弟、一門の恥部として闇に葬られた気狂いガルナバルドが、侍女を無理やり孕ませた、その落とし胤である。望まれぬ命の申し子は、母の優しさ、父の厳しさを知らないことの辛さを身に沁みて知っていた。

 

 だからこそ、曖昧にぼやかしつつも本気で叱りつけ、精根を正そうとした。そこに、どのような感情が秘められていたのかヴァレリオットに知る良しもない。血を分かった家族を立ち直らせたい一心であったのであろうか。それとも、特別ななにかがあったのであろうか。少なくとも、小僧を揶揄ってやろうという、風情のない感情でないことは確かであった。

 

 そして、献身的に向き合う姿勢は、ヴァレリオットに怒り以外の何かを育ませた。厳しい戦いで、気遣いのような部分に癒されるのである。その頃からであった。自尊心をへし折った憎き敵ではなく、請い焦がれる何かへと転じたのは。気が付けば、ヴァレリオットにとっては彼女のみが人生のすべてとなっていたのだった。

 

 シラクサのすべてが、

 

 家族であり、

 

 恋であり、

 

 孤独なヴァレリオットを照らす道標であった。

 

「ふふ、強くなったわね坊や。ご褒美でも欲しいかしら?」

 

 秀才だった彼女と違って、ヴァレリオットはまごうことなき神童であった。

 

 雨が降り頻る夜、ついに模擬刀を顔の横に突き立てたヴァレリオットは、地面に寝そべる彼女へ口付けた。夜陰と興奮に乗じて、醸成された想いを果たした。シラクサは、驚くでもなく目をすっと細めると、妖美に微笑んで男を受け入れた。

 

 コトを為したヴァレリオットの瞳には、霧が晴れたように迷いがなかった。世間的に評価を上げたのはそれからである。はじめ、胡乱げに見ていた家人たちも、名門ラブロックに連なる武人を叩きのめし、得物のあざなに「人間無骨」と掘り込んだ稀代の剣士、シェフィールドを滅多打ちにしてからは、侮りの眼差しを底冷えした恐怖に転じさせた。

 

 唯一、喜んだのはシラクサであった。夜毎、寝台で男の腕に絡みついては、武勇伝を聞き願う彼女の歓びは、姉のそれというより、栄達を分かち合う女のそれであった。

 

 もちろん、ふたりは正式な婚姻などしていなかったが、愛情を深め合う中で徐々に心を通じ合わせていった。普通なら結ばれようのない身分だが、落とし胤であったシラクサはもちろん、武門の常として長子しか興味のない父ブルーノ公も、放蕩息子の行く末など干渉するはずはない。未来は万事うまく運ぶはずであった。

 

 決定的事件は、半年が過ぎてからであった。

 

「シラクサよ、申し開きはあるか?」

 

 久方ぶりの彼女の帰郷は、すべてを狂わせる序曲となった。

 

 古小屋で愛を語り合っていると、伏せられていた家人の手によって安々と捕縛され、当主の座す広間に引っ立てられた。なんの反応も見せなかった父ブルーノが、突如ふたりの仲を見咎めたのだ。

 

 ヴァレリオットは存ぬことだが、禁治産者ガルナバルド卿の後始末に奔走したのは、当時、次期当主候補であったブルーノであった。かの血にはなんらかの瑕疵があると信じてやまない彼は、妄信とも云える憎しみを抱いていたのである。

 

 貴族の顔で冷然と見下ろすブルーノに、シラクサは震え上がった。下されようとしていた沙汰は、女には受け入れ難いものであった。

 

「これが最後の機会だ、シラクサよ」

 

 当主としての判断は明快であった。

 

 一つ、誘ったのはシラクサ側であったと認めること。

 一つ、罪を贖うため、絶縁を受け入れること。

 一つ、事件を決して吹聴しないこと。

 

 そして、身に宿った生命を、父母を知らせることなく教会へ奉公に出すこと。

 

 これらを条件に、侍女として務める母やその他一才に責任を求めぬと明言した。

 

「ち、父上っ」

 

 思わずあげた反論に、父は一瞥しただけであった。じろりとした貴族の瞳は、感情と呼ばれるものはなく、自らを映す鏡のようであった。相手は問うている、自分の後ろに連なっている歴史に問うている。

 

 恐怖で戦いて目を逸らすと、自分の下に無数の屍が築き上げられていることを知った。貴種とは、数多の願いを踏み抱いて立っているのである。

 

 言葉を失って、ヴァレリオットは口を噤んだ。

 

 代わりに、シラクサが罪を告白した。

 

 荷物を背負って他所へと旅立つことになった女は、夜空に輝く下弦の月を見て、

 

「綺麗ね」

 

 と呟いた。応える言葉があろうはずもない。夜風に身をすくませながら、ひとりで立つこともできないのだ。力を失って見上げた男は、恨めしそうに月を睨んだまま無言で涙を流した。頬を流れる涙がこぼれ落ちる前、女の姿は闇に飲み込まれた。

 

 一月の謹慎を受けたヴァレリオットは、懺悔を幾度も繰り返した。変わらねばならぬ、成長せねばならぬ、と。

 

 弱いから、救えなかった。

 

 強ければ、救えたであろう。

 

 今まで受け入れらなかった伝統、格式に迎合し、遂には執着した。捨て去るならいましかない。無力だった自分と訣別するのは。

 

 いや、そうではない。それは嘘だ。要するに、逃げただけなのだ。あのときの自分でも、すべてを投げ出せば救えただろう。

 

 強くなれば救えると誤魔化し、弱さを悪と断じた。権威や地位がすべてを救うと、力だけを希求してきた。悪徳も不義も、すべては後から消し去れる。そう信じるしかなかった。

 

 簡単なことすら認められなかった。自分が可愛かった、咎が怖かった、ことを。

 

 だから、憧れた。

 

 自らを捨て去ったエマとアンヘルを。

 

 いつでも日輪のように輝く、リカルドを。

 

(ああ、思えば、意味のない旅だった)

 

 幻想から覚めたように目蓋を持ちあげると、そこには、雷に打たれた男が無音で佇んでいた。極度の緊張で筋肉が硬化していたのか、身体中に力が入らない。暗闇に煌々と輝く男の双眸を、恐ろしくないといえば嘘になる。だが、終えたのだ。長い長い、暗闇を彷徨う当てのない旅路を。

 

 ふっと笑うと、グツグツ底から感情が沸き立ってくる。ああ、自分はもう、ウォーカーではないのだ。彼らのようになろう。得難き人生の先達のように、光を示す道標となろう。そして、彼らが見ること叶わなかった行末を綴ろう。それこそが、自分の、真なる願いだ。

 

「来い、リカルド」

 

 あのときの男のように、女のように、今の自分は笑えているのだろうか。波紋に映る歪んだ唇はどうにも判断し難い。けれど、心は軽くなってゆく。

 

 抜き身の刃を、ヴァレリオットは閃かせた。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 昼下がりのオスゼリアス士官学校癈兵院。学術院に属する医師見習いや、衛生兵として日々研鑽を積んでいる若人たちが闊歩している。ヴァレリオットは、彼らと患者たちが織りなす喧騒を、煩わしいと思った。

 

 いつもは見舞う友人として訪れるからであろうか。気にならなかったはずなのに、病室の壁沿いに屯する家族や友人の、迷惑を考えない勝手な声が、今日はやけに耳を突いた。石造りの天井は、開けた広場の吹きさらしより音が反響する。

 

 医師が出ていった病室の中で、包帯を取り替える音だけが響いている。腕と脚の包帯を棄ててから、後ろを向かされたヴァレリオットは瞳を閉じた。

 

「馬鹿ね」

 

 背中側に回ったシラクサは、ヴァレリオットの襤褸となった制服を捲り上げながら、慣れた手つきで軟膏を塗りつけた。

 

「ひどい言いようだ」

 

「殴り合いだなんて、馬鹿じゃないとできないわ。貴方は由緒ある御家柄でしょうに」

 

「褒めてくれないのか」

 

「褒める? 冗談が下手なのね」

 

 傷は、顔の腫れに較べればそう大きくない。それより目を引くのは、矢を雨霰と浴びたらしき古傷である。シラクサは、その傷一つ一つに手を這わせ、震える声で呟いた。

 

「でも……あなたに必要だったのは、女じゃなかったのね」

 

「俺は、変われたか」

 

「さあ。けれど、昔の貴方と同じぐらい私は好きよ」

 

 シラクサは、成長した弟を懐かしむよう、丹念に傷の一つ一つを摩った。時折、鼻を啜り上げる音が漏れてくるが、努めて振り返ろうとしなかった。

 

 シラクサとて、ぐちゃぐちゃに泣き腫らした顔なんて見られたくないだろう。ヴァレリオットは、空に浮かぶ太陽を眺めながら、ある誓いを思い出した。

 

 激しい剣戟の嵐は、空が白み始めるまで永遠と続いた。いつからか、剣を取り落とし、白目が濁っても拳を打ちつけては、相手を叩き伏せようとした。

 

 ――彼女はふさわしくなかった。

 

 ――将軍へと昇り詰める君に、相応しいパートナーではなかった。

 

 ――だから、あの男と結ばれるよう画策した。

 

 約束は、互いが互いを信じ合う契約だ。幼き頃そう伝え聞き、ずっと信じていた。

 

 だから、夫婦の契りを下半身の滾りで反故にし、法律を懐加減で覆してしまう父親に、ヴァレリオットは失望した。

 

 母が冷たいのも、父が約束を破棄して、遊びまわっているからだ。自分がいつもひとりぼっちなのは、約束を守らなかったからだと。

 

 いつも恨んでいた。温和で甘いだけの父を呪っていた。

 

 だから、いつか自分が大人になったときは誓いを、約束を守ろうと。

 

 一度は破られた。二度目も破られようとしていた。でも、過去はいい。どうやって変えられないのだ。なら、これからはどんな形になっても約束を果たそう。

 

 約束は絶対なんだ。だから、守る。理屈はそれだけでいい。

 

 経緯はどうであっても、エマの絶望とアンヘルの献身に誓ったのだ。彼を、必ず栄達に導いて見せると。引き上げる鎖が切られたとしても、支える土台が蹴り崩されたとしても、魂だけでもなんとかする。

 

 誰も知らない誓い。この誓いは自分だけのもの。

 

 誰も知らず、自分だけが知っている。自分は、自分自身が、自分を裏切らないと知っている。

 

 もしも、この誓いが破られたとき、自分は汚泥に沈んで腐ってゆく。

 

 それだけでいい。それだけ知っていれば。自分は、いつだって立ち上がることができる。

 

「なあ、シラクサ」

 

 背中を撫でていた手が、ふいに動きを止めた。感触に身を委ねていたヴァレリオットは、身体ごと振り返って跡の残る彼女の頬を拭った。

 

「……まだ、早いわ」

 

 シラクサは、嫌がる子猫のように顔を震わせた。

 

「何も言ってないぞ」

 

「貴方には人生がある、私にも……そして、あの子にも」

 

 反駁が突こうとした口を、シラクサの細い指が縫いとめた。首に手を回しながら彼女は耳に口寄せて、そっと呟いた。

 

「いつか必ず会いましょう。大きくなったとき、変わっていない貴方と、私と、あの子の三人で」

 

 それさえ懐かしく思える自分は、変われたのだろうか。姉の胸に抱かれながら、男は、燦々と輝く太陽を眺めていた。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 じゃん、じゃん、じゃんと銅鑼のなる音が、低く、遠く、彼方から聞こえてくる。合わせて、観衆の盛大な雄叫びが轟く。

 

 ヴァレリオットは模擬剣を構えると、林立する樹木の奥の急増砦を見据えた。何度だって見た景色。いつもと変わらない六人の敵が居て、その奥に落すべき目標がある。

 

 違うのは、自分がチームの主役ではないというだけ。開放感と緊張感の狭間、いわゆる集中状態に浸っていた。

 

 ついに、ここまできた。はじまってしまう。惜しいような、すぐに済ませたいような。喉に溜まった唾液をごくりと嚥下する。すべてがリセット。震えはこない。ヴァレリオットはゆっくりと青い空を見上げた。

 

「そんなのアリか?」

 

 疲れたように首を振る男が、頭上から降ってきた。悪魔にぶらさがる対戦相手ラファエルは、こちらの面々を眺めてから口をへの字に曲げている。

 

 これもパフォーマンスの一種だろう。煩わしい群衆のボルテージが高まった。それを嫌っていた自分はもういない。他人事、いや、事実自分の話ではなかった。

 

「落ち目って話だっただろ。どんな魔法使ったんだ」

 

 ラファエルの目は、自分を素通りして背後に立つリーダーへと向かった。

 

「なあ、リカルド」

 

 リーダーは陣形の中で雄々しく笑った。

 

「ズルだと喚き立てるか?」

 

「いやいや、そんなことはしないさ。は、はは、いいねぇ、熱くなってきた。ニコラスの奴じゃちょっと物足りないと思ってたのさ」

 

「お前の目的は、主家へのアピールだろ」

 

「ま、そういうこと。注目されるには食い出のある獲物が必要だからな」

 

 ラファエルが優雅に礼をした先には、大注目の一戦ということで足を運んだ有力者たちの貴賓席があった。とはいっても、主目的の御令嬢は取り巻きたちとの歓談に手一杯で、派手な振る舞いなど一切注目していないが。

 

 彼は軽度の近視である。ご満悦な様子を尻目に、新リカルド班は顔を見合わせて含み笑いをした。

 

 じゃん、と銅鑼の音が連鎖する。心臓の鼓動に合わさって高まってゆく集中。宙を舞って陣営に戻ってゆくライバルを見ながら、リカルドがぽつりと呟いた。

 

「俺は、まだお前を許したわけじゃない」

 

「……ああ」

 

「けど、お前の言う通り、こんなところで凹んでたってなにも変わらない。一時的に手を借りるだけだ」

 

「……ああ、それでいい」

 

 そう答えると、リカルドは軽くあごを反らした。傲慢な目つき、勝気な振る舞い。けれど、それこそ覇道を歩むつるぎだ。冷たくて、闇に輝く剣になどあってはならない。夢にまで見た光景に、ヴァレリオットは涙を流した。

 

「リカルド」

 

「なんだよ」

 

「綺麗だ」

 

「――はぁっ!?」

 

 ぞぞぞ、と手首から肩まで鳥肌がたってゆくのをはっきりと見た。勝利を見据えていた瞳は、一転して獣を発見した恐怖で戦いている。

 

「ちょっと待て、お前まさか」

 

「い、いや、そんなわけないだろう」

 

 慌てて手を振ったのだが、裏目に出たのだろうか。すすすっとリカルドが後退してゆく。長年付き添った仲間さえ、ぎょっと顔をこわばらせていた。

 

「ふ、っざけんな。なんだそのオチっ!」

 

「待て、試合はどうするっ」

 

「知るか。俺のケツを狙うんじゃねえ!」

 

 凄まじい身体能力で飛び去ってゆくリカルド。とき同じくして、試合開始の合図。新生リカルド班はヴァレリオット以外の戦線離脱で敗北することになった。

 

 プレミアムリーグ開幕戦。第一リカルド小隊の初陣は苦い記録となった。しかし、彼らが破竹の勢いでライバルたちを蹴散らすだろうことは、語るまでもないだろう。

 

 がんばれ、リカルド班。

 

 イケイケ、リカルド班。

 

 

 

 一方、反対陣営。

 

「おーい、試合はどうなんのー」

 

 試合を逃したラファエルの虚しい叫びだけが木霊した。

 

 

 

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