流されるまま残留する形となったベップだが、割合文句もなく、穏やかな集落に迎合していた。生来、上昇志向に疎い彼にとって、地方の閑職こそ天命であったのかもしれない。
「ねえニンゲンー、フットボォル教えてー」
「ふあ、分かった分かった。今行くよ」
「やったぁー」
気楽な奴隷の毎日。ベップはチビ兎共に起こされながら起床した。洞窟住みゆえに太陽が恋しいが、まあそれだけ。日中、近場の沢で釣りをしていれば、一日二日などあっという間に時は流れていった。
ケイブラビット族の村落には女しか居ない。いわばハーレムだ。
実際のところ、帝国人のベップは雄としてカウントされていないという現実はあるが、それは野暮なはなしだろう。身も心も世俗のしがらみから解き放たれていた。
一つ不満があるとすれば、宵毎に嘶く暴れん坊将軍のことだった。文字の習得をせがむカサに美しい兎たち。美肉を貪ろうとする獣性だけは抑え難かった。
「灯りは無ェ、本も無ェ、人もそれほど走って無ェ。酒は無ェ、ワインも無ェ、皆さんシラフでぐーるぐる、俺らこんな村いやだぁ、と」
「なに独り言を呟いている。はやく書け」
「はいはい、人使いの荒いご主人様ですこと」
慣れた手つきで岩肌に文字を彫るベップ。カサの部屋は、壁面や地面に所狭しと書きつづられていた。
「えぇっと、“私はメス犬です”。なんだこれ、犬が喋るのか?」
「文字を勉強するにはいろいろ知る必要があるだろ。ほら、練習練習」
洞窟のなかは昼夜関係なしに気温の変化がない。自然の着用は文明人として超えてはならぬ一線だと思っているので、遊び人らしく濡れ場の男を演じていた。
(ま、和やかってのも悪かねえか)
いちおう奴婢に堕とされたはずだが、肝心のカサも意味をイマイチ理解していないようだ。食卓も同じで、仕事はない。野菜生活は御免なので、食料さえ賄えば暮らせた。
食前と真夜中のお祈りだけがミスラス教の正式な形とは違ったが、本心では無神論者なので気にならなかった。かの蛮族の神マーニもミスラスの一柱に数えられているのは御愛嬌である。
なんにせよ、成果を求められない扶養の身は心地良かった。
「で、いつになったら行商人が来るんだ。前はもうちょいって言ってたが」
丸出しに慣れてしまっては社会復帰に支障をきたしそうだ。猥語を満足そうに眺めると、底から流れてくる冷気に身を震わせた。
「もうちょいはもうちょいだ。気長に待て」
「日数でいってくんね。もっと具体的にさ」
「もうちょっとはもうちょっとなの! もっと大らかに待てんのか、ウチの奴隷ときたらもぅ」
「これ、俺が悪いの?」
色々と不便はある一族である。
勉強を済ませたあと、唐突に訪れた一人の時間、ベップは久方ぶりに自分を磨くか悩んでいた。男は出さねば腐ってゆく。しかし、ひとり遊びは一般社会の通説として「悪」とされた。
誰の目もないので憚る必要もないのだが、やはり魂に根差す社会的規範というのは重いのであった。
(ま、いっか。襲うよりはマシだろ)
が、そこはベップクオリティ。その信念はコンドームより薄っぺらい。
カサの艶姿をズリネタにして磨いていると、身体の中で澱んでいた毒素が集中しはじめた。うつ伏せになって岩肌へと差しこむと、熱河の氾濫が起こりそうになっている。
「どうだいカサちゃん、俺のロンギヌスは鋭いだろ。へへ、そろそろか、もうそろそろ行くか。俺はイケるぜぇ!」
「……行く」
「キタキタぁー、イク宣言キタァァー……ってはいいいいいぃぃぃ!?」
ベップは闇の中からの返事にひっくり返った。
懐かしい低音。数日振りだ。
薄ぼんやりと光る青苔に照らされて、鎖帷子姿の候補生が影を伸ばしている。ターバンの奥には輝く猫目。暗視の呪術か、それとも特性か。仰向けになって天を突く様がしっかりと晒されてしまった。
その瞬間、外道としての引き金が引かれた。
同班の同僚にして、探していたはずの仲間。その顔に向かって、緊張と驚愕によって解き放たれた体液がぴゅぴゅぴゅっと放たれた。
「あ」
脳を焼く快感に下半身がびくりびくり脈打つ。何を思うているのか。アルバは能面のまま袖で顔を拭うと、ゆらり鞘から得物を引きぬいた。
「あのーアルバさん。ここは穏便に、ね。ほら、久方ぶりの生存報告ですし」
「……」
「もしかして、怒ってます?」
「……死ね」
強烈な風を股間に感じた。地を這う硬質な音。肌に接する面積は増えた気がする。
イカ臭い洞窟の中で、ベップはだらだらと冷や汗を流した。
三面六臂の阿修羅の出で立ち。立ち登る怒気を纏わせたアルバの闘気は、たちまち壁面を伝って洞窟内に伝播した。
学術院にて男色趣味の変態野郎を廃兵院送りにし、性質をドMに変えた逸話を持つアルバ。ベップは伝説と視線が合うなり、
「これはやべえ」
と察する。背後は岩壁の感触。しかも無手である。
(きょ、去勢されるッ)
感情を唇の端にすら浮かべないアルバは、青白く輝く刃を水平に掲げた。
「……遺言は?」
「へ、へへ、ふへへへ、はははは。遺言ねぇ。いいことを教えてやろう、アルバ」
「……」
「三十六計逃げるが勝ちさ。喰らえ、ドラゴンブレス!」
自慢の逸物をブルンとふると、乳白色の残り汁を撒き散らした。
これにはアルバも表情を一変させた。肉厚の短刀で逸らす剣技も今は無情、後方宙返りを選択する。ときは来たりと、色んなものを振りみだしながら遁走をはじめた。
九十九折の洞窟内を転がるように駆けた。地の利はこちらにある。なるべく広い通路を選んで走りまくった。
「ぎょぇぇえええ。アルバお前、そんな大道芸人みたいなことできんのかよ!」
悠々と逃げきれると断じたが、あろうことかアルバは、壁を足場に追走してきた。段差や坂を縦横無尽に駆け回られるのでは勝負にならない。
注視すれば、恐竜のような足跡が連続していた。一度村へ帰還し、スパイク付きの登山靴や食料を準備しているのである。が、そんなことを露ほど解さないベップは、無様に入り口へと逃げこんでいた。
「あああっ!」
「逃げてぇっ」
「風鼬族の襲撃だぁ!」
逃げる途中可愛い兎たちを蹴散らしたからか、悲鳴が壁を打って反響している。防衛に来たのだろう雄兎たちと鉢合わせした。
逃げ場を封じられ、ベップは立ち往生した。死神の足音が背後から忍びよってくる。諦観の想念を思い浮かべ、ゆっくりと振りかえろうとした。
「どけどけっ、んななまっちろい小僧じゃなくオレ様が相手をしてやる!」
そのとき、ひとり怯えるオス兎を掻き分け登場した巨躯が、ベップを押し退ける形になった。
ケイブラビットに似つかわしくない威容は、男衆収穫班の首領“大きい雄”であった。
言葉を交わしたことはなかったが、顔は知っている。夜空で木の上から降ってきた刺客、その首謀者であった。
「このオレ様が居てどうやって入りこんだのかわからねえが、たった一匹で来るタァいい覚悟だ。おら、直々に相手をしてやる……あ? オマエ、風鼬じゃねえな。ってか、ニンゲンだろ」
気がつくと、ベップは”大きい雄“の背中に匿われていた。悲しいことにいま現在彼は村の所有物、言うなら愛玩動物のようなものである。
乙女であれば「頼りになる背中ね」と恋の予感に胸がときめくところだろう。が、背中の剛毛からたつ、目玉を突く獣臭に顔を顰めるばかりだった。
「まあ、切れ味ってやつを確かめるにはいい機会だ。泣き喚いて命乞いでもしてみろや」
「……どけ」
「けっ、生意気な口を聞きやがる。んな小さいナリで何ができんだ?」
大きい雄は両拳を胸の前で打ちならすと、歯を剥きだしにして吠えた。部下などは頭を抱えて恐慌状態であるのに、その勇、まさに古強者であった。
(けど蛮勇ってこたぁねえよなぁ。俺ら治癒術使えねえぜ)
余計なお世話だろうが、隙だらけの剣の構えに不安がよぎる。つか、アレ俺のだし。
出方を窺うためか、アルバは円を描くようにして旋回した。猫目は血走っており、たたき殺すことに躊躇はなさそうだ。
血の嵐が吹きすさぶ予感に身を固くすると、背後から腹の底から響くような女の声があがった。
「カサ様っ!」
「カサさまがお越しになられた」
「おお、なんとお美しい!」
カサら女衆は、腕を組みながら駆けてきた通路から現れた。なかには、大酋長とも言うべき老齢の兎の姿もあった。
香占いによって村の方針を定める重役である。安易に表舞台には立たない。
それほど重大事ということだろう。ボソボソと話す大酋長に代わって、カサが堂々とした語り口で言った。
「“大きい雄”よ、なんだこの騒ぎは」
「は、ははぁ。自分はその、侵入者を捕らえようと……」
「意味がわからん。どうしてオマエは警告することなく、こうやって暴れ回っているんだ。侵入者が来れば知らせを送るのが掟だ」
「それは、その。カサさま、違うんです」
「見苦しい言い訳はやめろ!」
カサがかっと一喝すると、大男はびくりと肩を震わせた。女衆の援護を受けて、両膝を突いて忠誠の姿勢に移行する。
天敵の襲撃に備える警邏の役割を放棄したのだ。彼女らはかさになって“大きい雄”たちを非難した。
女系優位の社会。俯いて拳をわなわな震わせる“大きい雄”を見て、ベップは得も知れぬ不安を抱いた。
カサは慣れた風で事情聴取すると、仕事に戻れと指示した。大事件になって頭が冷えたのだろう、アルバも剣を納めている。半径五メートル以内には近寄ってこないが。
「どけっ」
立ち上がった大男はベップの肩を掴むと、なぎ倒しながら外へと向かった。
倒れたとき、岩が鼻にあたって血が逆流する。べっと唾を吐くと、地面に赤い華が広がってゆく。
「だ、大丈夫か」
慌てて駆けよってきたカサに助けられ、ベップは上半身を起こした。彼女は鋭い目で“大きい雄”を睨んだ。
「へ、へへ。そんなに心配すんなって。俺は帝国一の快男児。怪我なんてへっちゃらだぜ」
「だけど」
「どうしてそんなに心配してくれんだ?」
「バカ、オマエは私の奴隷だろ!」
目を潤せながら母性本能を全開にしている。ベップは健気だなと頬を拭ってやった。
「ニンゲン、テメェ……」
「いつまでそこに居るっ、早く行け。まだ罰され足りないのか!」
立ち去った筈の大男が恨めしそうに睨んでいる。再びカサがかっと吠えると、今度こそ月の光が差す向こうに消えた。
やっとこさの合流だが、まだ一悶着ありそうだ。豊な胸に抱かれながらも、珍しくまじめに思案していた。
「クソが、クソがっ。オレ様を見下しやがって」
“大きい雄”は顔を般若のように歪ませながら、怒りのたけをぶちまけていた。
矛先となった部下たちは、草むらの影で白目を剥いている。失策を犯すたび、胴体に青痣が残るまで打ち据えるのだが、現下に限っては桁が違っていた。
むろん、彼とて反省の色がないわけではない。
村の唯一の掟「逃げの鐘」の役目を放り出すなど、帝国法に照らせば処刑一直線ものの失態である。アルバの潜入能力も素因の一つだが、あとの対処は言い逃れできない。誰も口にこそしなかったが、評価を著しく下げたのは確実であった。
「俺はこの村を食わせてやってるんだぞ。なのにアイツら、何様のつもりだ」
気に食わないのは、杓子定規に処断されたことである。実力を考慮すれば、鼠の一匹や二匹容易く屠れる。だというのに、難癖をつけられた。タダ飯を喰らう穀潰しの分際で、だ。
許せなかった。憧れのカサに否定された、その一点。裏切られたような感覚すらあった。
“大きい雄”は捕まえた小鳥を火鉢に突っこむと、丸ごと齧りついた。骨の硬い音と熱い感触が咥内を焼く。血と骨の残骸を吐きだすと、辛うじて意識の残る“黄色い鼻”の首を掴んだ。
「聞けテメェら。俺はあのニンゲン野郎がムカついてしょうがねえ。なんならバラして食ってやりたいぐらいだ。なあ、そう思うだろ」
「へ、へへぇ」
「よし、ならさっさと外に誘い出せや」
いくら腹の虫が収まらないと云えど、女衆に逆らうわけにもいかない。彼の目的は種を残すことなのである。脚の遅い彼では、散り散りに逃げられては追いつけないだろう。
だからこそ、拳のおろしどころが必要だ。何もすべてを破壊する必要はない。俺を侮った愚か者同様、地面に転がせば溜飲も下がる。あとはカサを征服すれば、すべて忘れられるだろう。
草食が雑食へと転じる。覇者としての支配欲の発露であった。
「覚えてろよぉ、ニンゲン」
喉を極められ泡を吹く過去の上位者。心地よい悲鳴を耳に、成りあがってきた道を回顧したのだった。
§ § §
「なんだアイツ、一々一々逆らって。しかもだぞ、耳を伏せるくせに歯軋りをするんだぞ。あり得るかっ」
「まあまあカサちゃんそれぐらいで」
「これもそれもお前のせいだ。オマエは私の奴隷だろ。ならちゃんと言いかえせ!」
「そりゃないぜ」
空が白々と明るみはじめた。侵入者騒動が終わってから長く経つが、カサなどは怒りおさまらぬと、腕を振ってぷりぷり怒りを吹いていた。
「大変だったわねぇ、カサったら乱暴だし。怪我はない?」
「怪我には慣れっこなんで」
「ま、よく走ってるのねぇ、偉いわぁ」
「……どうも」
中年兎の思考は、駆けっこで鍛えたから怪我に強いなのだろう。一々訂正するのは面倒だった。
祭壇に集合した女衆一同は、カサを先頭にして族長を募っている。年老いた族長の世話係たちも、同情的な雰囲気を隠そうとしていない。
「あんな乱暴者は村に相応しくない。だよな、“片目”様」
ボソボソと萎びた声で族長が答える。その目はどこを見ているやら、目線すら曖昧であった。
「だが、奴は一番食料を運んでくる。次の献上祭で先頭を歩くでのう」
「でもっ」
「言いたいことはわかるがのう、カサよ。あやつが望むのはお主じゃよ。そんなに怒っておっては、せっかくの祭りが台無しになるでのう」
「けど、私はあんな奴と」
「ならん!」
皺がれて椅子に眠りこけていた老婆は、かっと片目を見開いて怒鳴った。雷鳴が轟いたように若い女衆は騒ぐのを止めた。
「カサよ、その才に信じて色々任せてきたが、村のしきたりを破るというのなら話は変わるでのう。いいかい、黙って言うことを聞くのだ」
「女には断る権利がある」
カサだけは気丈に言い返している。されど、地面に落ちる影はいつもよりも淡く、消えさりそうだった。
「あの男に逆らえるものか。よいか、カサ。大人になるのだ」
「なんで私だけっ」
「お主だけではない。稀にあのような聞かん坊が現れる。そのときはいつも、我ら長が鎮めてきたのだ」
顔中に深く刻まれた皺は、古くから村の趨勢を見守ってきたのだろう。族長の表情は、非難の籠った眼差しに小揺ぎもしなかった。
カサは力一杯に族長の座す椅子を叩くと、凄まじい勢いで走り去っていった。その頬には、きらりと光る涙が流れていた。
「追うてはならん」
名を呼んで慰めに向かおうとした数人を、族長は制した。
「カサは次期族長。色んなことを知らねばならぬ年よ。それともお主らが代わろうというのか?」
女衆たちは弾かれたように目を逸らした。実に吐き気がする。彼女らは慰めの言葉を吐きながら、裏では乱暴者を引き取ってくれたと感謝するのだろう。
村社会とは厄介だ。外からは理解し難い力関係がある。完全な部外者に発言権はない。粛々と判断が下される中、ベップは寝床に向かった。
翌日の話である。いつもなら文字習得をせがむはずの時間帯にカサの姿がなかった。なんとなしに不安で、集落の溜まり場に赴いていた。
「あー、ニンゲンだー。あそぼあそぼー」
「また今度な」
そこは食料を保管する場所であった。もっとも洞窟内の話。高床式であったりはせず、野ざらしで放置されている。女衆はそこで鼠を警戒しながら、岩を削って工芸品を作る。時折訪れる行商人の交換材料にしては、極小数の日用品を手に入れるらしい。
昨日、岩同士を擦り合わせる作業に石鑿とハンマーを作ってやったのだが、流行っている様子はない。効果を証明しても、技術は浸透しないものだ。
昔ながらとは聞こえこそいいが、他所から来た人間を迫害する何かがある。ベップは慣れたように狭っ苦しい横道を這うと、縦穴に転がりおちた。
足元は微かに湿っている。それから、僅かな腐敗臭。侵入者用の落とし穴をキノコ園と兼用しているのだ。出入りの難しさもあり、人と人とのべったり共依存村落には珍しい静寂が保たれている。そのことを、ちょっとした会話から耳に留めていた。
「よう、今日は勉強しなくていいのかい」
背後から声を掛けられたカサは、慌てて目をゴシゴシと擦った。ベップは気付かぬふりをして、よっこらしょと隣に腰をおろした。
「なんの用だ」
「別に。お寝坊さんなカサちゃんを見に来ただけさ」
「ね、寝坊なんかしてない!」
「なら休むって一言くれよ。心配したぜ」
ベップは腕をまわし、冷たい落とし穴の中で肩を寄せた。
いつもは牙を剥いて怒鳴るカサも、今日は何も言わない。互いの息遣いが聞こえる距離で、寄り添いあっている。
「……おい」
「どうした?」
「こんなときに発情するなんて、お前は本当に頭がおかしいのか」
若い男女が素肌を合わせている。それに、彼女の身体を覆うのは頼りない自然の草木だ。白毛に包まれているとはいえ、瑞々しい若い肉に活力が湧くのは仕方あるまい。状況的には極めて最低だが。
「って、痛ぇよカサちゃん」
「奴隷の分際で私を孕ませようだなんて。常識ってものがないのか。これだから奴隷は、もう」
快楽の為にヤリたいベップと、子孫繁栄の手段と断じるカサのカルチャーギャップだった。
「絵本で読んだだけの知識でしょ。奴隷の常識どうこうわかんの?」
「知らん。が、オマエがおかしいのはわかる」
「そうかい」
「そうだ。って、だから触ろうとするな!」
素知らぬ顔で実った乳房に手を伸ばすと、ぱしんと払われた。寂しくて死んじゃうよぉとか世間で云われるが、残念ガードは中々に硬かった。
「なあ」
「なんだ」
「まあ今更だけどよ、一個謝っとかなくちゃなって」
「早く言え、気持ち悪い」
「その、あれだ。なんて言うか、アルバを好き勝手させて悪かったな」
「別にいい。オマエと会うため来たんだろ」
「それだけじゃない。蔵ン中の布とか色々さ」
アルバは今、一人ベップの服を製作している。当初は手伝う心算だったのだが、猛烈に嫌な顔をされたので、ほうほうの体で逃げ出した形だった。
「あとでアルバの話も聞かせてやるかさ。実はさ、かなり博識なんだぜ」
「いらない」
「は?」
「だからいらない」
「要らないってカサちゃん、なんで?」
ぷいと顔を背けてしまったカサは、いじいじと口先を曲げて言った。閉鎖的で慣習的なケイブラビット族にあって、彼女は例外的なまでに知識欲が深い。鼻から遮断するような言い方は珍しかった。
「どうしてまた」
「アイツ、なんか気に入らない」
「なんだそりゃ」
「むう、気に入らないったら気に入らないの。わかったか奴隷!」
「へいへい、承知しましたご主人様」
「羞恥? どうして恥ずかしいのだ」
「ちがうちがう。分かったってこと」
「な、なるほどな」
ベップはその頷くような仕草に強烈な保護欲が湧いて、ぐりぐりと耳ごと撫でた。カサは羞恥に襲われたのか、林檎のように赤くなって身を捩った。
「お、良い顔だ」
「ふざけるな」
「い、いてぇ。ちょっとカサちゃん、手加減を知らなさすぎるんじゃ」
「ふん、男のくせに力で勝てる訳ないだろ」
「それ普通逆じゃ……」
ベップは慌てて口を噤んだ。カサはキョトンとした顔でまじまじ見つめると、訝しんだのかアヒル口になった。
細かいことは気にしないたちなのか、キノコの繁殖に興味が移っている。
「あとで料理を教えてやるよ」
「料理?」
「そう、文明ってのは衣食住が基本だろ。衣は俺の服パクられてっから良いとして、次は食かなってね」
「ふうん。ま、別にいいけどな」
「おいおいちょいとは期待してくれよ。飯に興味ないアンヘルさんを唸らせたぐらいなんだぜ、俺の腕前」
「はいはい」
ふたりは手を取り合って落とし穴から抜け出した。彼女はどうやって抜け出すつもりだったのだろう。やはりケイブラビット族の計画性に不安を抱いた。
泥抜きしていた魚を回収して、アルバの嫌がる顔でも見に行くか。可愛いウサギたちに集られながら歩いているとき、目の前でカサの両耳がピンと起立した。
洞窟の向こう、光の彼方から雷鳴のように一際巨大な鐘の音が鳴ったのである。村で引き継がれる唯一の文明物。それは、ベップもカサ直々に教わったものであった。
ケイブラビット族の天敵、風鼬族の襲来を知らせる音色が鳴り響いた。