東方外伝記 the another scarlet 作:そよ風ミキサー
ヨーロッパから日本行きの飛行機の客席内、そこには様々な人々がいた。家族で旅行に行く者、仕事で行く者、または帰る者、それぞれが客席に着いて思い思いの時間を過ごしている。
そんな客席のとある3人席の自由席スペース。その席には少女と母親、二人の 日本人親子が並んで座っていた。子供の方はまだ10にも届かなさそうな幼子だ。
少女達親子は日本人で、夫が欧州に単身赴任で働いている為会いに行った帰りなのである。
そんな二人の、少女の隣の席にはもう一人座っていた。赤の他人同士が隣り合わせで座り合う、自由席では割と観る光景だ。
その席には北欧系の長身の女性が、シートの肘掛けに頬杖をついて本を片手にジッと読みふけっていた。
ダークブラウンのパンツスーツを着込んだその姿はキャリアウーマンの様に見えるが、両の手にはスーツと同じ色の手袋を付け、丸いサングラスをかけているのでどうも堅気の人間では無い感じだ。
外見は20代を間近に控えた10代後半と言った所だろうか。少女とも、女性とも取れる顔立ちであった。年齢にそぐわず生まれつき幼い顔立ちをしているのか、それとも外見通りなのか。ウェーブかかった薄黄色の髪を肩まで伸ばし、肌は病的なまでに白い。
幼い少女が絵本を読みながらも、チラチラと隣のスーツの女性の方を見る。少々変わった外見が、少女の好奇心をくすぐったのかもしれない。母親の方は週刊誌に視線を向けている為、未だにそれに気付いていない。
少女の視線に気付いたのか、スーツの女性は読んでいた本から視線を外し、幼い少女の方に顔を向けた。
「……私が気になるかい? お嬢ちゃん」
スーツの女性が読んでいた本を膝に置き、少女に流暢な日本語で問いかけた。スーツの女性の言葉で母親は自分の娘が何をしていたのかにようやく気付き、青ざめた。
「す、すみません。こら、アキ!」
「あぁ、気にしないでください」
女性がやんわりと子供を咎めようとしていた母親に言う。
母親が懸念していたのとは違ってその声色に怒りは無く、穏やかなものだった。
母親がすぐさま女性に謝るが、女性は再度お気になさらず、と口元に苦笑いを携えながら手を軽く振った。
そんな二人の掛け合いを気にせず、少女は女性の質問に質問で答える。それは幼いが故の無遠慮が成せる所業か。
「お姉ちゃんは、どうして飛行機の中でサングラスをかけているの?」
メガネをかけている人なら周りにいるが、サングラスをかけているのはこの女性だけだ。幼い少女にとってはそれが気になったらしい。
無邪気な幼い少女と打って変わって母親の方は気が気でない。
外見や雰囲気からしてどうしても堅気の人とは思えない佇まいをしているこの女性に対し、いつ自分の娘の言葉がこの女性の癇に障ってしまわないかと肝を冷やしていたのだ。
母親は不躾な質問をした娘を咎めようとしたがまたしても女性が止め、そして少女に答えた。
「私は生まれ持ち太陽や光に弱い体でね。これはそれから守る為にかけてるのさ」
そう言って、サングラスを外したその女性の眼を見た少女の母親は軽く息をのんだ。
サングラスを外した事でようやく分かった女性の全貌。眼つきは刃物の様に鋭いが、顔立ちは世間一般に知られている芸能界の女性達の中から探してもお目にかかれない様な妖艶さを持ち、女の身である母親ですらふと魅せられてしまう程美しい顔立ちをしていた。
だが、それと同時にどこか不気味さすら感じさせていた。
その原因は女性の眼だ。女性の瞳は橙色に近い赤色をしており、奈落の底で微かに揺らめく火のような妖しさを見せていた。
脱色したような肌の白さと赤い瞳。それらが相まって目の前の女性が人であって人でない様な、幻想的な錯覚を母親に覚えさせてしまう。
それに対して少女の方は不思議そうにその眼を見つめた後、少女なりの感想を述べた。
「お姉ちゃん、兎さんみたいだね」
思いもよらない感想だった為か、女性はキョトンとした顔をした後、笑いのつぼを刺激されたのだろう。愉快そうに笑いだした。
「兎か、それはまた可愛い例えだね。そんな事は初めて言われたよ」
「じゃあ今まで何て言われていたの?」
女性に少女は更に問う。母親の方は、女性の気性が見た目によらず穏やかな人物だったため、一応少女が迂闊な事をしないか気をつけつつ二人の会話を聞く事に徹していた。
そうだな……とサングラスをかけ直した女性は顎に手をかけ思考に浸ること数秒後、少女にこう答えた。
「……吸血鬼とか?」
少女の親子と別れてからスーツ姿の女性――サテンは日本の国際空港から離れて、近場の都市の中を革製の使い古したケースを片手に下げながら歩いていた。
時間は丁度お昼時、サラリーマン達が昼食をとる為に会社を出て、何処で食べようかと町へ繰り出している頃だ。
サテンは身に付けているスーツと同じダークブランのコートを羽織り、頭にボルサリーノハットに似た帽子を目深に被ったその外見は、サテンの長身と静かな佇まいが相まって、まるでマフィアの女の様な雰囲気を醸し出していた。同じ歩道を歩いていたサラリーマンの男性が、向かい側から歩いて来たサテンを見てつい道を譲ってしまう位に。サテンの回りにいる歩行者達も、サテンの姿に視線こそ向けるが、下手に絡まれる事を避けて彼女に近づこうとはしていなかった。
そんな風に見られているとも知らないサテンは、サングラスのその奥に潜む瞳を忙しなく動かし、まるで上京したての田舎者か観光客の様に興味深く道行く建物や車の往来を見ていた。
何処を見渡しても自分の知らない作りの街並みだらけ。サテンが今まで住んでいた北欧とは違った趣のあるそれら全てが目新しく、新鮮だった。
そして、東洋系の顔立ちをした人たちが大半を占めるこの場所が自分の住んでいた場所とは違う所なのだと実感させた。
(少し軽率だったかな)
飛行機内で出会った親子、その少女との会話をふと思い返した。少女との会話の最中、戯れにサングラスを取って自分の眼を見せ、自身が吸血鬼だと言う事を仄めかした事だ。
普通の『人間』ならば只の笑い話の一つとして終わるのだが、サテンの場合はそうはいかない。
このスーツを着た女性サテン・カーリーは紛う事無き本物の吸血鬼、計り知れない力を持ち、人よりも永い時を生きる魔性の存在だ。そんな御伽から出てきた様な存在が、人の世に紛れて今ここにいる。
この世界には常人の預かり知らぬ場所で、または人々の生活に交じって生きる者達がいる。それらは妖怪、悪魔、精霊etc……挙げれば枚挙にいとまがない。人の理から外れた存在達、サテンもそんな者達の一人だ。
そんなサテンが先程から気にしているのは自身の正体を悟られる事では無い。彼女達親子が自分の事を話し、それに感づいた妖怪や悪魔を退治する輩――退魔士達が彼女達親子に接触し、自分の事に付いて知りうるすべてを彼女達に洗いざらい吐かせようとする事だ。
それはまるで、大昔の西洋で行われた魔女狩りや、異端審問の様に。
しかし、いやそれは無いかと自分の懸念に対して首を横に振った。
此処日本の退魔士達は、欧州の連中とは違いその気性は大分穏やかなものだと風の噂で聞いている。
なのでサテンは願わくば彼女達に不幸が訪れない事を心の中でそっと願うだけに留めた。
今の所、あの親子たちにそれ以上の義理はない。これは長い吸血鬼人生の中での無数の出会いの一つとして、いつしかサテンの記憶の奥底へと埋没して行くだろう。再び出会い、その時サテンが彼女達親子に情が移ったら別かもしれないが。
親子たちへの懸念もほどほどに、サテンは自分の本来の目的の為に動く事にした。
サテンが北欧から日本に来た理由は、遠いこの日本へ移り住んでいる同じ西洋妖怪の友達に会いに行く為だ。
コートの内ポケットから取り出した一枚の洋型封筒、既に封を開けられた其れの中から二枚の紙を取り出す。その封筒の裏の差出人の名前は『くるみ』と書かれていた。
尋ねに行く友人の名前はくるみ、サテンと同じ吸血鬼の娘だ。
昨今の欧州の妖怪事情が酷く物騒になってきており、人の世の裏では退魔士達と西洋妖怪達の争いは激化の一途をたどっている。力の弱い妖怪達にとっては堪ったものではない話だ。くるみも吸血鬼なので御多分にもれず退魔士達から追われる身だ。しかも彼女自身の性格と生まれ持った妖怪としての才能の所為か、お世辞にも力があるとはいえない。そんな危険から逃れる為、欧州から遠く離れた比較的安全な東方の地に逃れ、とある地方の隠れ里で暮らす事にしている。
手紙の方には、要約すると差出人のくるみ自身の現状と一度遊びに来ないかと言う内容が書かれていた。
しかし、其処からが問題だった
手紙と一緒に地図が同封されていたのだが、それがいけない。日本地図のとある場所に矢印で「ココらへん」としか描いてなかったのだ。
欧州にいた頃、旅先で郵便配達をしている妖怪からそれを貰って読んだ時、目が点になったサテンの感想は以下の通り。
(大雑把にも程がある)
まあ無いよりはマシだ。彼女も悪気があってやったわけじゃないんだろう。くるみという吸血鬼の少女は良くも悪くも少々のんびりした性格をしている。彼女なりの親切心と言う奴だ。
一応矢印が書かれている為場所は絞りこめている。取りあえず矢印の場所に行って、分からなければ地元の人達や妖怪達にでも聞けばいい。
だが、動くのは夜になってからだ。
取り急ぎの用でも無いので、太陽が昇っている間はせっかく来た日本の文化に触れてみるのも悪くはあるまい。
それに何より、夜とは妖怪達魑魅魍魎が本格的に動き出す時間だ。道中地元の妖怪たちに道を尋ねるにしてもそっちの方が都合が良い筈。サテン自身が動くにしたって同じ事。
そう結論付けたサテンはそれまでの時間潰しの手始めとして、丁度お昼時なので何処かで食事をとる事にした。日本の食事文化には興味が沸くが、箸というこの国独自の食器が使えないため、スプーンを貸してくれる場所があれば良いのだがと、さして問題でもない事に頭を悩ませながらサテンは町中に並ぶ飲食店を回る事にした。
今の季節は秋。夏の暑さはなりを顰め、冬の厳しい寒さが顔を出し始めているそんな時期だった。
サテンは程良い満腹感を残したまま、夕日に照らされた町はずれの通りを歩いていた。無表情のまま静かに歩いているが、その内心は大変にご満悦だ。
サテンが入った店は日本の何処にでもよく見かけるありふれた定食屋だった。サテンが中に入った当初は店の人と店内の客が面喰った顔でサテンの事を見ており、店の看板娘と思しき若い女性がつたない英語とボディランゲージで応対してくれたのが何となく微笑ましい。日本語で返した時はそれ以上の反応をしてくれた事も同上だ。
昼に食べたランチは納豆定食と言っただろうか、発酵した豆の独特の匂いに驚かされたが味は中々に乙なものだった。糸を引いていたし、店の人から借りたレンゲと言うスプーンで食べるにはちょっと難しかったがそこは大した問題では無い。
臭いに関して言えば、まだ北欧にいた頃に好奇心で食べた。どこぞのニシンの缶詰よりかはマシな臭いだ。あの缶詰は吸血鬼の優れた嗅覚が災いし、常人が感じる何倍以上もの刺激臭を鼻腔に流し込んでしまった事で驚愕を通り越して数秒間気絶した事がある。
にんにくの匂いですら毛嫌いする吸血鬼が多いのだ、そんな種族が人間世界でトップを誇る刺激臭を放つ物を嗅ごうものなら、心の弱い吸血鬼だったらそれだけで発狂する事請け合いだ。
(確かシュール……なんだったかな)
あの時は森の中でこっそりと食べていたのだが、その森に住んでいた妖怪連中たちから大ひんしゅくを買ってしまったものだ。体にまで臭いがこびりついてしまい、おかげで臭いが取れるまでは誰も近付いてこなかった。
日本食の味を思い返していただけなのに、どうした事かサテンは嫌な事まで思い出してしまって、ほんのちょっぴり暗くなった。
時間は夕暮れ時。太陽が大地に沈み、光の世界から闇の世界へと移り変わりつつある。地平の向こう側の空は未だにオレンジ色だが、サテンの真上に広がる空へと近付くうちにオレンジは青へ変わり、そして黒へと変わるグラデーションが神秘的でかつ幻想的だ。
歩く道も昼間の都市から打って変わって、場所は田んぼの目立つ田舎道になっていた。コンクリートで舗装された道路に連なって並ぶ電柱に付いている蛍光灯が、チカチカと点滅を始めている。
もうそろそろ良いだろう。そう思ったサテンは蛍光灯の光が当たらない暗い林に視線をずらし、そっちへと歩みを変える。
林の奥に付き、人の目が無い事を確認するとサテンの体が突如黒く染まり出す。
足元から頭まで、まるで習字紙に墨を沁み渡らせるかのように広がって行く黒い影を気にせず、サテンは未だ染まっていない腕に付いている時計をチラリと見てを時間を確認していた時、「あ、しまった」とふとある事に気が付いた。
(お土産を用意してなかった……)
事ここに至って肝心の物を忘れていた。北欧で手紙をもらった時はくるみに何を持って行ってやろうかと考えていたのに、いつの間にかそれをサテンは完全に失念していた。
ああもうしょうがない、近場に町があったらそこで買っていこう。あの娘、がっかりしないかなぁと頭を抱えたままサテンの全身が黒く染まり、あたりの闇に溶け込むようにしてその場から消えて行った。
何か気になる箇所がありましたらご一報ください。