東方外伝記 the another scarlet 作:そよ風ミキサー
思えばハーメルンに初めて投稿したのはこの作品なんですよね。懐かしい。
調子に乗っていたら魅魔様の性格が凄い事になりました。
本文文字数:約17000文字
遺跡こと“可能性移動船”のすぐ隣にある博麗神社。その縁側で二人の少女がお茶の注がれた湯呑を手に寛いでいた。
一人はこの神社の主にして巫女である靈夢、もう一人は魔法使いの魔理沙だ。
肌寒い風が吹いているものの、暖かい日差しが降り注いでいるのでそれなりに過ごしやすい環境の中のんびりと過ごしている彼女達だが、その姿は痛々しかった。
首や手など、素肌の見える個所は漏れなく包帯や絆創膏などで治療が施されており、身に付けている衣服も所々破けていたり煤けていた。
チュンチュンと鳴きながら飛んでいく雀をぼんやりと見上げながら魔理沙が呟いた。
「暇ねえ靈夢、なんか面白い事無いかしら?」
「だったら鏡で自分の顔でも見てなさいよ」
「それならさっきやったわよ。傷だらけでも尚衰えない美貌を確認したおかげで、傷心気味のこの私もちょっぴり心に勇気が沸いてきたわ」
「――」
相変わらず図太い神経だなこいつはーと靈夢は何とも言えない表情を作り、静かに溜息をついて湯のみに口をつけて茶を啜っていた。
二人は遺跡の中へ入る為の資格を手に入れるべくその入口前に集まった者達と戦い、勝ち進む事で遺跡のプレゼントを手に入れようと目論んでいた。勿論、先着一名なので最終的には抜け駆けをしようと腹に一物抱えていた訳だが。
途中までは良かった。能天気そうな魔法使い、イカれたお姫様、ポルターガイスト、邪教(科学)を信仰する少女。誰も彼も一癖も二癖もある曲者ぞろいだったが、それらを二人は尽く退ける事が出来た。
そして最後に立ちはだかったのが、前回の騒動の首謀者である魅魔だった。
最初はこの三すくみ状態でどうしたものかと頭を悩ませていたが、魅魔がコケにした態度で「二人揃ってギリギリ一人前にも満たないあんたらには良いハンデさね。まとめて掛かって来な」と彼女達を挑発したのだ。
それに攻撃で答えたのは、意外な事に彼女の事を慕う魔理沙だった。
「魅魔様に勝てば私も大魔法使いの仲間入りー!」と下剋上を叩きつけて突っ込む彼女に靈夢も巻き込まれ、なし崩し的に戦いへ突入したのだ。
結果はご覧の通り。二人まとめて仲良く魔法でブッ飛ばされてしまった。
相手の魅魔は多少服を焦がした程度でピンシャンしており、「まだまだ御飯事(おままごと)の範囲だな。修行が足りんね!」と腰に手を当てて豪快に高笑い。何でこんなに元気なのだろう、悪霊だから疲れないのだろうかと疑問に思いながらも、靈夢と魔理沙は魅魔の魔法で神社まで放り投げられてしまい、しょうがないので傷付いた体を手当てをしながら此処で寛ぐ事にしたのだ。
「そういえばさ、靈夢は遺跡に行けたら何が欲しかったの?」
空になった湯呑を手の中で転がしながら魔理沙が靈夢に訊ねて来た。
「あんた、過ぎた事の“たられば”なんて言うだけ虚しくなるだけよ」
ちなみに魔理沙の望みは、可愛いペットが欲しいという意外(?)にもまともな内容だったのは事前に知らされていた。
「追憶は知的生物の特権よ。で、どうなの?」
小難しい言葉を並べてくる魔理沙を内心面倒臭く思った靈夢。いっぺん霊撃でも叩き込んで黙らせてやろうかという力技による解決策を思い浮かべたが、痛みの残る体がその気概を削いでしまったので答えるに留まった。
「……神社の雑用を手伝ってくれるものが欲しかったわね。境内の掃除とか」
「お伴の亀じゃだめなの?」
「亀は箒で石畳を掃いてくれないし、お茶だってくめないからそう言う事についてはからっきし役に立たないわ」
それが出来たら私も大分楽出来るのになーと、サボる事についてのみ欲望を沸かせる彼女は果たして本当に巫女なのだろうか。
願望を口にする靈夢の言葉に、何者かが口裏から回り込むようにやって来た。
「心外ですな、そもそも神社を清めるのは巫女の役目だと言うのに。更に役立たず扱いとは相変わらず酷い事を仰る」
突然聞こえた老人の様な声。
声の主を眼で辿っていくと、境内からのっそりと地面を這って物影が動いた。
年老いた海亀だった。大きさは人一人が余裕で乗れるくらい大きく、普通の亀とは違って白髪の長い眉毛と髭を伸ばしており、人語を介するため普通の亀ではない事が伺える。この亀こそが先の言葉を発したのだ。
亀の名は玄爺。ある日靈夢が捕まえ、それ以来妖怪退治の際には靈夢を乗せて空を飛ぶ奇妙な亀である。捕まった時は色々と思う所があったらしいが、今は靈夢を主として仕える事に抵抗感は無いらしい
しかし、この亀も靈夢達と同じ様に満身創痍と言った風体で、体中に治療を受けた痕跡があった。特に体の大半を占める甲羅は罅割れており、それを補修するように奇妙な文字の書かれたお札が貼られていた。
「あら、噂をすればペットの亀。もう動いて平気なの?」
「ペットとは何じゃ、ワシは御主人様に仕える由緒正しい……」
「老いぼれの長ったらしいお言葉なんて若者の耳には毒よ」
「お、お主まで老いぼれと抜かしよるのか……御主人と言いお主と言い、どうにも歳上を敬う若者が減っていかん。……まあとりあえずは平気じゃよ。割れた甲羅もちょいと時間が掛かるが、しばらくすれば元に戻るじゃろう」
あまりにもあんまりな言い方に、玄爺はがくりと顔を俯かせて溜息をつくが、律儀に最初の問いに答えるあたり、根は真面目な様だ。
「そう、とりあえずお葬式が亀鍋パーティーにならなくて済んだわね」
「な、何と恐ろしい事を! お主はこの老体を魔女の鍋にでも放り込むつもりか!」
「冗談よ。あんた煮ても焼いても……食えそうにないものねえ。パサパサしてそう」
やいのやいのとやり取りをする亀と魔法使いをよそに、靈夢はじっと青空を見上げていた。
(これはいい加減、飛べるようにならなきゃなあ……)
靈夢は自分の未熟さ、というよりはこの世界で空を飛ぶ事の重要さをより一層身にしみていた。
思い返すのは魅魔との戦いの時の事だ。
何時も通り玄爺に乗って何とか魅魔の攻撃を避けながら戦っていたのだが、魅魔の攻撃が偶然玄爺に被弾してしまい、機動が崩れた所を一気に集中砲火に晒されてしまったのだ。
以前は玄爺がいなくても魔界や地獄へと乗り込んで妖怪達を退治していくのが普通だった。
いつぞやの異変で地獄へ乗りこみ、最奥地で待ち構えていた赤い角の生えた侍もどきと戦った時は相手の強さが洒落にならなかった。あの時は敵の攻撃の苛烈さに死を覚悟してしまったものだが、よく勝てたと当時働いた感の鋭さと運の良さには我ながら称賛せざるをえない。
しかし、その戦い方にも限界があった。
ここ最近、“異変”が起こる度に妖怪達の攻撃が激しさを増している様な気がする。そんな中、空を飛べない状態というのは途轍もなく不利だ。頭上を抑えられたまま妖怪達の攻撃の嵐を掻い潜る事の困難さは、過去に嫌という程体験している。
玄爺という空を飛ぶ手段を手に入れて、その欠点を解消してきたと思っていたが、そうもいかない様だ。
何かに頼っていると、もしその頼れる相手がいなくなった場合、自分ではどうしようもなくなる様な自体に陥ってしまう。今回の一件でそれがより決定的になってしまった。
勝手に体が宙に浮く様な能力にでも目覚めないかしら。そんな都合のいい事を考えながらも修行の仕方を頭の中で模索してみるが、全く思い付かなかった。
靈夢は巫女としての才能は確かな物を持っているのだが、どうにも努力をするという事に関してはトンと苦手な様で、今までの妖怪退治も自分の才能と勘を頼りにやっていた所が多分にある。見方を変えれば、碌な努力をせずに今まで多くの妖怪達を退治して来たのだから凄まじい才能を持っていると取れるがしかし、物事には限度というものがあった。彼女の才能はいわば原石、原石は磨かねば輝かないものなのだ。
ぼうっと空を見上げていた靈夢だが、彼女の肩をいつの間にか話を終えた魔理沙がポンと手を置いた。何故かニコニコと微笑んでいる。
こいつ何か言って来るなぁ。そう察せる程には、魔理沙との付き合いもそこそこ経っていた。
靈夢は癒えていない体から来る倦怠感に加えて更に鬱陶しさが合わさり、これでもかという位に面倒くさそうな顔をした。
「修行、いっとく?」
「話が見えないわ、何でそうなる」
「あら、隠す事は無いわよ? 貴女と私の仲じゃない。 ――私には分かるわよ貴女の悩みが、よーく分かるの。大方“お空を自由に飛びたいの!”なんて事を考えていたんじゃない? 何も恥ずかしがる事は無いわ、この魔理沙様が貴女の専属のトレーナーになって、お空の彼方までブッ飛ばしてあげるわよ」
……その前に、こいつをいっぺんマジでブッ飛ばす必要があるかもしれないわね。とは口には出さず、言葉のキャッチボールをしない魔法使いに対して、靈夢のこめかみに人知れず青筋が浮き上がっていた。
こいつはいつもこうだ。人をからかう口調で、なのに結構的確に相手の心理を突いた事を口にして来る。靈夢はそれがちょっと苦手だった。
その点、靈夢は物事をシンプルに考え、捉える事を好んだ。普段の生活は元より、妖怪退治をする時等はその傾向が顕著に出ていた。本人が基本的に呑気な性格な所と、生まれ持った勘の鋭さがこのような思考回路を形成させてきたのかもしれない。
自他共に不思議なのは、そんな靈夢がちょっと屁理屈屋の魔理沙と何時も行動を共にしている事。これは靈夢自身も自覚している。
まぁそれも靈夢風にシンプルに考えるのならば、相性が良かったり、それこそまさしく腐れ縁という言葉で簡単に片付くものだったのだろう。
それに最近は魔理沙だけでなく、その親分の魅魔も神社へ冷やかしにやって来る。決して嫌いなわけではないのだが、巫女としては如何なものなのだろうとこの現状に疑問を抱かずにはいられなかった。何か魔法使いが好む匂いでも漂わせているのだろうか、私ないしはこの神社は。
「生憎だけど、修行なら一人で……」
言い切るその時だった。突如神社の隣あった遺跡の一部が大爆発を起こし、大地を揺らしながら天へ突き抜ける程の魔力の柱が稲妻を伴って伸びて行ったのだ。
凄まじい魔力の量だった。少なくとも、自分の単純な霊力の総量を大きく超えていた。
突然の出来事に縁側から飛びだし、呆然とエネルギーの塊が空へと伸びていくのを見上げていた靈夢の隣で、魔理沙が慄いた様に呟いた。
「み、魅魔様の魔法だわ。……確か“イビルフィールド”だった、かしら?」
「という事はあの悪霊、中で何かやらかしたのね」
「遺跡の“中の人”の対応が悪かったのかも。そう言う所気にする御方から」
「そんな呑気な事を言っている場合ではないですぞ、ほら来た!」
玄爺の言葉に気付いた靈夢達が見た者は、空から飛んでくる大小様々な瓦礫達だった。神社に限りなく近い位置で派手に爆発したのが原因なのだろう。
「何でいつもうちの神社ばっかりこんな目に遭うのよ!」
己の境遇を嘆きながら靈夢は裾から赤いお札を取り出して放り投げた。
すると一枚だったお札が二つに分かれ、二つが四つに、四つが八つにと分裂し続け瓦礫の群れへと飛んで行き、お札が貼りついた瓦礫は弾ける音と共にその場から消えて無くなった。
「日ごろの行いじゃない?」
「喧しい! あんたも神社でごろごろしている分位は手伝いなさいよ!」
「成程、然るべき恩恵にはそれに見合った労力の提供が必要なのね。でも残念、貴女の頑張りのおかげで私の出る幕は無くなっちゃったみたいよ。ほら」
魔理沙が指摘した通り、靈夢が迎撃したおかげで全ての瓦礫は神社に降り注ぐ前に全て破壊する事が出来たようだ。
魔力の余波で木々は揺れ、木造の神社も地震で軋みを上げていた。
取りあえず事なきを得た靈夢は、神社に被害が出なかった事に大きく安堵して肩を落とすが、同時に恨めしげな顔で魔理沙を睨みつけた。
「この役立たずめ」
「その怒りの矛先は筋違いと言わせてもらうわよ靈夢。もし貴女がチョイとでも怠け心を持っていたなら、この魔理沙さんの頑張る姿を見れかもしれなかったのにねえ」
残念だわーと縁側に座り直して足をぷらぷらと軽くばたつかせる魔理沙。
ええい相変わらず一言多い奴だなと靈夢は思ったが、今に始まった事じゃあないかとも思った時、魔理沙があっと声を上げて何かを見ていた。
「魅魔様だ。それに更に上を飛んでいるのは……あの時の吸血鬼までいるわね」
その言葉につられて靈夢も見上げてみる。
確かに魅魔がいた、戦車騒動の時の様に黒い翼を広げて遺跡から飛び上がって行くあの姿を見間違える事は無い。
そしてその上で彼女を待ち構えるように浮かんでいるのは、いつぞや世話になった吸血鬼だ。遠目から見ているだけなので判別しにくいが、どうやら帽子とサングラスが無いように見える。それ以外はあの時と同じようにダークブラウンのスーツとコートを身に纏い、七色に光る不気味な翼を広げている。こちらもある意味では印象深い姿をしていた。
「あれ……ひょっとしてあれもしかしてこっちに来るおわあぁぁーー!?」
その二人が、いきなりこっちへ方向を変えたと思った瞬間、その姿が掻き消えたのだ。
そしてとの次の瞬間には、二人の影が残像を残しながら神社のすれすれを飛び越し、その際生じたソニックブームが靈夢達を襲った。
「うひゃあ!?」
「え、おぼぉっ!?」
靈夢は突然の衝撃波に対応しきれず足が地面から離れて吹き飛ばされてしまい、その丁度間隣にいた魔理沙が靈夢にぶつかって巻き込まれ、藪の中を突き抜けた先にある木に顔面を強打した。
飛ばされた靈夢は魔理沙がクッション代わりになったため特に痛みもない。
だが、木にぶつかった時に生々しい音がしたため、靈夢はちょっと焦りながら魔理沙の容態を気遣った。
「……あんた大丈夫?」
「うぐぇ……。でぎるぼんなばばじゃべのごごぼぐばびもれぎぐごご(出来る女は他者への心配りも出来るのよ)」
木に顔をうずめながら呻く彼女は、一応元気そうなので靈夢は意識を切り替えた。
しかし、そんな安堵も神社を見た時には絶望へと反転して、靈夢の顔を青褪めさせた。
魔理沙の事は最早頭には無い、よろよろと歩み寄りながらその有様を間近で見た靈夢は、定まらない虚ろな眼で力なく膝をついた。
恐らく今の衝撃波が原因なのだろう。博麗神社の屋根がきれいさっぱり吹き飛んでしまっていたのだ。
天井を支えていた数本の柱が支える物を失い、メキメキと音を立てて畳を叩きつける音が残酷に響いてくる。
「うわぁぁぁ!? 私の神社! 人里の誠意がああああ!?」
何を隠そうこの神社、以前の戦車騒動の際に木端微塵に爆破された後、騒動を解決してくれた靈夢へのお礼と言う事で人里の人達が有志を募って建て直してくれたのだ。
もともとこの神社を建てたのは大昔の人里の大工達で、その時引いた図面は今も里の偉い人が丁重に保管してくれているので建てなおした際も前と大差ない神社を建てる事が出来たのだ。
そもそも神社が壊されたのは靈夢の代だけではない。代々引き継がれてきたこの神社も、過去には妖怪達の脅威から壊されてしまった事もあったらしい。その様な事態に直面した時の為の対応策として、紛失する確率の少ない人里の方に設計図は置かれる事になったのだ。
靈夢からすれば首謀者の魅魔を退治していない未解決事件なのに、ここまでしてくれた事に対して彼女は少なからず後ろめたさを感じていた。
とはいえ、吹きさらしの状態のまま日々を過ごす事に我慢が出来ないので、結局は人里の住民たちのご厚意にあずかってしまったわけなのだが。またやられてしまった。
「あらまぁ、見晴らしが良くなったわね……いでで」
「あぁぁ……。またしてもやられてしまいましたか」
部屋の中でも青空の拝める素敵な仕様へとリフォームされた神社をそう評したのは、赤く腫れた顔を片手で押えながら戻ってきた魔理沙。そして、同じく先の衝撃波で別の場所へと吹き飛ばされていた玄爺だ。
「そんな呑気な感想なんか聞きたかないわよ!」
「発想の逆転よ靈夢。古ぼけた天井のシミの数を数えるより、夜空の星を数えながら寝る方がとってもロマンチックだと思うの」
「……だったら、今度あんたの家の屋根もそうしてみなさいよ」
「え? いやよ、雨が降ったら大変じゃない」
「……」
何言ってんのかしらこの娘、と言いたげな怪訝そうな顔をして可愛らしく首を傾げる魔理沙。
間違ってはいない、間違ってはいないのだが。
靈夢は頭の中で何かがプチっと音を立てて千切れた音を聞いた様な気がした。
そしてその次の瞬間には、此処最近では類を見ない程の威力が込められた霊撃を目の前のあんちくしょうにぶちかましていた。
その時「年寄りをいたわって欲しいなぁ」と年老いた海亀の嘆きが聞こえたとか。
吸血鬼と魔法使い。
晴天の青空が似合わない双方によって戦端の開かれた隠れ里の空は、ただいま彼女達だけの戦場と化していた。
放たれる魔法の弾丸、大爆発する蝙蝠の群れ。そして凄まじい高速で飛び交う二人の妖魔。
鳥のさえずりは掻き消え、冷たく吹いていた秋風は大気の衝突によって弾け飛び、近くを飛んでいた呑気な妖怪達はそこから飛び散る攻撃の流れ弾に怯え、その場から慌てて退避している。
“可能性移動船”内では比較的動かずに火力のぶつかり合いのみで競い合っていた二人。しかしこの隔絶された狭くも広大なる空の上では彼女達を隔てる枷は無い。彼女達はその空間を最大限に生かした戦闘で以て攻撃の応酬を繰り広げていた。
現在確認されている生物界最速の飛行生物はハリオアマツバメと言われており、その水平飛行速度は200~300㎞にまで達すると言う。
だが、それはあくまで人間達の中での常識であり、認識である。この隠れ里及び、妖怪たちの世界においてそれは常識たり得ない。
それは、この場に居る彼女達にも当てはまった。
魔法使いは練り上げた魔力を加速に上乗せし、吸血身は種族の恩恵とその身に秘めた身体能力によって飛翔速度を上げていく。
それによって各々が弾きだした速度は、もはや先の常識を超えていた。
戦い始めてから少しずつ速度を上げていた二人だが、互いに少しずつ熱が入り始めたのか、今では見る者が瞬きをする暇を許さない程の領域へ突入していた。
現在魅魔のいる場所は高度1000m以上の上空。雲の無い青空の中、只一つ空の彼方に浮かぶ太陽からの日差しが眩しく降り注いでいる。
しかし今の魅魔にそれを感じる余裕は無い。目を細める程の眩しい日の光だろうと、冬に近付く秋の冷たい風だろうと、今はそんな事は重要ではない。
目下に見えるいくつもの山々が、風景が、視線の向こう側にあったかと思えば、一瞬の内に自分の遥か後方へ置き去りにされていく。
足から延びる霊体が、魅魔のあまりのスピードにまるで飛行機雲の様に尾を伸ばしては、その軌跡を描いて消えていった。
背中から延びる翼は、主の速度と空気抵抗によって広げる余裕を与えず後ろに向かって一直線に伸びっぱなしだ。
今、空を飛ぶ魅魔を見た者には、身に付けた衣服により青い残像と空気を裂く様な音がドップラー効果によって後から聞こえてくるだろう。それ位、この一戦での魅魔の飛行速度は常軌を逸していた。
元々幽霊の類である彼女は、生物の様に空気の抵抗や重力の負荷、空気の摩擦などの影響は無くそうと思えば無くせるのだ。そしてそこへ魔法による飛行速度の上昇を幾重にも上乗せすることで、彼女は日本妖怪において種族単位で俊足に秀でた天狗ですら追い付く事が困難な程の、信じられないスピードを叩きだす事を可能とした。
幽霊という種族は他の妖魔達に比べて肉体の比率がエネルギー寄りだ。だからこそ多少無茶な加速を可能としている。
しかし、全ての幽霊が出来るわけではない。高度な魔力操作の行使が出来る魔法使いとしての側面を持つ魅魔だから出来た芸当なのだ。
そんな魅魔だが、現状では彼女が窮地に立たされていた。
魅魔は濁流の様に風景が流れていく高速の世界の中で、自身の右斜め下方にサテンの後ろ姿を捉えていた。
丁度背後を上から抑えるような位置だ。攻撃するのならば絶好の位置、狙って下さいと言わんばかりだ。しかし魅魔はそれを好機と思わず、苦虫を噛んだ顔をして魔法の弾丸をマシンガンの様にサテン目がけて放った。
直撃する寸前で、サテンの体が凄まじい速度で真横にスライドするかの如くずれて回避した。標的を見失った弾丸は目下に広がる山林の樹木を穿ち倒す。
生物ではあり得ない軌道だ。そんな事をすれば体にかかる負担は重い筈。更に今二人は高速で飛行している、負担が掛かるどころか下手をすれば肉体が砕けかねない。
だが、それをものともしないのが吸血鬼の強靭な肉体なのだ。
(ええい、吸血鬼の分際でお天道様の下をブンブン飛びやがって!)
光玉――オ―レリーズによる結界は展開していない。
最初こそ使用していたのだが、途中でサテンがある事に気付き、この結界を破ったのだ。
サテンの蝙蝠達の爆撃を防ぎきったオ―レリーズの結界だが、無敵ではない。結界を展開している最中に高速で回り続ける光玉部分を破壊すれば、結界が解けてしまうのだ。
とは言え、その光玉とて脆いわけではない。普通に展開していて、それでかつその欠点を知られていたとしても、簡単に破壊される様な柔な強度ではなかったのだ。普通の妖怪では傷一つ付けられないし、まして光玉部分は高速で回転し続けている。当てる事すら至難の技なのだ。
しかし結論から言えば、サテンの蝙蝠の爆撃が予想以上に精密で強力すぎたのだ。単発ならば耐えきれるであろうそれらが、何発も同じ個所を的確に攻撃し続ける事でとうとう光玉は崩壊、一つ光玉が砕けると結界はバランスを崩して徐々に解かれてしまったのだ。
最初はサテンもそれに気付かなかったが、ふとした拍子に蝙蝠が光玉に直撃し、その際結界がほんのわずかにぶれ始めた事で結界のからくりを看破。集中的に光玉を狙われて等々鉄壁を誇っていた結界が破られるに至った。
それ以降は当たりそうな物に限ってだけ、光玉を一つ展開して部分的に結界を張って凌いでいるに留めていた。その分使っていた魔力は速度の底上げに利用している。
何より今の速度を維持したままオ―レリーズを展開し続けるのはかなりの集中力を必要とする。今ここで下手に集中力を欠いてしまったら、間違いなく墜とされる。
だが、それを以てしてもサテンに追い付けないでいた。彼女の飛行速度が恐ろしく“速い”のだ。
元より吸血鬼とは身体能力に秀でた種族であり、凄まじい速さで空を駆ける事が出来る。早い者の中には、瞬く内に幾つもの山を飛び越える事だって出来る者がいると魅魔も聞いた事がある。
目の前の妖魔は、まさにその類だ。しかも更に性質の悪い方の、である。
サテンの姿が視界から消え失せた。前方に大量の蝙蝠を置き土産にして。
ほんの刹那の瞬間に突然軌道を変えたと思いきや、眼で追う事すら出来ない程の凄まじい速度で此方の視界を振り切ったのだ。
蝙蝠達の位置は、丁度魅魔の進路のど真ん中、一直線を飛行している魅魔とぶつかる事は道理。そしてそれは空中に大量の爆雷をばら撒かれたのと同義だった。
(やばい。こりゃ当たる)
回避するにしても、加速し過ぎている。少し動いた頃にはもう蝙蝠達のど真ん中だ。
視界が覆われる程の蝙蝠達を目にして、魅魔は突差にオ―レリーズの光玉を一つ前方に展開。結界を可能な限り広げて蝙蝠達の中に飛び込んだ。
そして始まる爆発の連鎖。再び起こる爆発は近くの木を吹き飛ばし、猛烈な爆発音を鳴り響かせた。
煙の中から飛び出る様にして現れた魅魔の体は、服の至る所が破れ、本人の体も爆発の衝撃でボロボロだった。
それでも魅魔は速度を落とすことなく飛び続ける。止まれば今度こそ終わりだ、すこし体が痛むがまだ飛べるというのなら問題はない。
(あの女、どこい……っ)
見失ったサテンの気配を探そうとして、彼女の位置を捕捉した魅魔は凍りついた。
サテンが、魅魔の真後ろにいる。
体が触れあう位の至近距離で、サテンはいつの間にか魅魔の速度に合わせて並行飛行をしているのだ。
魅魔の顔から冷たい汗が噴き出る。視線は後ろへ向けていない。向けている余裕が無かったと言うのが正確か。
(こいつ、何時の間に私の背後へ)
何処かでどさくさに紛れたにしては音がなかった。
飛行速度の云々でかたずけられる様な現象には感じられなかった。
『青褪めている様だね?』
突如頭に響く女の声。声の主はあのサテンだ。これも吸血鬼の超能力の一つなのだろうか。
声の調子から相手方はまだ余裕の範疇と取れる。
『この速度で飛ぶ奴はそうはいない。大分無茶をしているんじゃあないか? どうする? こんな“遊び”で体を壊すなんてつまらないと思うが』
感情の読めない声だ。
だが、あの余裕そうな面が目に浮かぶ。
何故攻撃してこない。と、魅魔は疑問に感じたが、何となく想像できた。
余裕なのだろう。
この私を相手に。奴はこの戦いを“遊び”と称した!
この魅魔を相手にして、あの吸血鬼は余裕をぶっこいているのだッ!
(虚仮にしやがって!)
そう感じた途端魅魔の体から汗がひき、今度は鋭く冷静な顔つきへと変わった。奇しくも彼女のプライドと怒りが、彼女の気持ちを落ち着かせたのだ。
強くなる為ならば、色々とやってきたつもりだ。(幽霊として)若い頃は誰かに頭を下げる事だって屁でもなかった。
だが、力を得た今の魅魔はその努力と力の積み重ねを繰り返す内に、彼女なりにプライドも総じて高くなっていた。
そんな今の彼女は、誰かの風下に立つような真似を彼女自身の矜持が許さない。
魔界の高名な悪魔だろうが地獄の住人であろうが、ましてや神や魔王であろうとも! お高くとまっているのならば足元から引きずり降ろし、泥水をしゃぶらせ! 頭を踏みつけてやるつもりだ。
「何時まで私を見下ろしているっ!!」
激昂した魅魔の叫びと共に、自分とその背後を飛んでいたサテンの周囲から光玉が8つ出現した。
サテンが反応するよりも早く各光玉から光のワイヤーが伸びて互いを繋ぎ始める。
形作られた物は、魔力で組まれたフレーム状のキューブ体。そしてそれがエネルギー状の結界を構築し、鳥籠のように“サテンと魅魔”をその中に閉じ込めたのだ。
「魅魔様特製の捕縛結界だ。余裕を見せすぎたな、捕まえたぞ」
魅魔はサテンが捕まるのを確認すると、速度にブレーキをかけて空中に止まった。
魔力の檻に囚われたサテンは、エネルギー状の壁面に手を触れる。すると激しい炸裂音と共にサテンの手が弾かれ、手袋をはめていた指先が煙を上げて焦げていた。焦げた指先を動かして支障が無いか確認をしているサテンの顔は尚も変わらず表情が無かった。
「あんた、私と戦っても手を抜いているのが分かったからな。だから余裕かまして近付いて来るかもと思って網を張ってみたら、案の定だったってわけさ」
「……君までこの中に入るのはどうなんだ?」
「ほう、“私まで”?」
魅魔がエネルギーの壁へと向かう。
すると壁は魅魔の体を傷つける事無く、彼女の体がすりぬけていった。
「蜘蛛や蟻地獄は自分で作った巣にかかりゃしない。ならそれよりも賢いこの魅魔様が、そんな間抜けな事はしない。間抜けは引っかかったお前の方さ」
魅魔が右手をかざた。
徐々に指を曲げて握りこぶしを作る仕草をすると、それに合わせて結界が狭まりサテンの体をきつく圧迫していく。
更に触れれば炸裂するエネルギーの壁が密着しているのだ。それに触れているサテンの体の至る所が弾けだした。
「……吸血鬼って言うのは、体が細切れの欠片一つになっても其処から元に戻るんだろう?」
今度は左手をサテンのいる方へと突き出した。
広げた掌から巨大な魔法陣が飛び出し、その更に先から八角形模様が浮かび上がる。
八角形模様の中心にエネルギーが充填されていく。唸りを上げる程の力の奔流は、嵐の到来が間近に迫っている様な様相を呈していた。
「だったら、この一件が終わるまで一休みしていてもらおうかい。あんたにこれ以上出しゃばられると面倒だ」
魅魔はこの場でサテンと決着をつける心算だ。
結界に閉じ込められたサテンは、さっきから何度も結界を破ろうと怪我を顧みずに叩いたりしていたが、一向に壊れる気配が無い。その所為で彼女の服も所々焦げと破れが目立ち始めてきた。
「今更ジタバタしたって手遅れだよ。――終りだ」
空に巨大な光の柱が伸びた。そう表現出来る位の光の濁流が魅魔の手から放たれた。
放たれた際、放射した手元に幾何学模様が描かれた光の輪が広がり、その中心を突き破る様にして伸びる巨大な光がサテンを飲み込もうと眼と鼻の先まで伸びていた。
だと言うのにその時、魅魔は何故か“自分がその光に呑み込まれている”のを突然感じ、何故と心にいだく事すら出来ずに、そのまま光の濁流に意識を消し飛ばされた。
サテンは光に呑まれ、山の方へと落ちていく魅魔の姿を見届けた。
可能性空間移動船内から空へと場所を移している内に、サテンはどうやって魅魔に勝つか色々と考えを巡らせていたのだが、状況を吟味した結果“彼女自身の力を借りる”事にしたのだ。
つまり、魅魔があそこでサテンを捉え、必殺の一撃を放つ事はサテンの頭の中では予定通りの結果だったのだ。
そして魅魔の敗因は、彼女の“頑張り過ぎ”が敗因という、本人からすれば憤慨物の理由だ。
魅魔の攻撃を利用したこの作戦だが、自分の力に自信が無いわけではない。
逆に、“威力があり過ぎて”、下手に力んで「つい張り切って殺っちゃいました」なんて事にならない様に爆発機能付きの蝙蝠をせっせとばら撒いていたりする。
とはいえ、貰えるものは貰えるよう頑張る気持は忘れない。
これで魅魔に勝った訳だから、このまま船の所まで戻ればプレゼントをくれるのではと思う。
証拠も、この近辺をこそこそと飛び回っている“妙な機械”が見ているだろうから問題はないだろう。
落ちた魅魔の方も致命傷にならない様“細工”はしているので大丈夫とは思うが、後で様子を見に行く必要がありそうだ。
頭に手を置き、帽子の位置を整えようとして……サテンはあっと思いだした。そう言えば、さっきサングラスと一緒に吹き飛んでしまったんだっけ。
長年体の一部の様に何時も身に着けている物の為、うっかりある物と思いこんでしまった。
そうと気が付けば、妙に違和感を覚えて落ち付かなくなる。それが習慣として身についているからだろう。
サテンはすっと頭に手を翳した。すると、先程無くしたと思われていたボルサリーノ帽がサングラスと一緒にサテンの元に戻ってきた。何処にも壊れた個所は無い、かといって新品でもない。いつも通りの状態だ。
やはりあると落ち着く。
改めて帽子の位置を直し、サングラスのフレームに指をかけて具合を調整すれば、いつも身に着けているそれと同じになる。
そして再びその表情を消して大分離れた船の方角へと目を向ける。後はさっさとプレゼントをもらって、彼女達にお引き取り願うだけだ。
サテンは翼を広げて風の様に飛翔した。
空から降り立つサテンが戻って来たのは可能性空間移動船の広場だった所、魅魔と戦っていた場所だ。
派手に壊したせいで、天井も壁も吹き飛んでいるので空からそのまま戻る事が出来た。
あれからまだ時間も対して経っていないので、部屋の中の損壊具合は原因の半分を担っているサテンからしても酷いと言わざるを得ない。
「あー!? ご主人様、あの吸血鬼が戻って来たぜ!」
此方を指差して来るのはちゆり。そして服や顔を埃で汚したまま手元にある端末機を弄りながらそれに話しかけていた。
端末機を操作するたびに、無事だった船内の奥から球状の機械がコロコロと転がりながら現れ、現場に到着すると3本指の長いアームを体から2本伸ばして残骸に手を持ち上げたり、壊れた機械設備を弄っている。
そんな光景を眺めながら、サテンはゆっくりとちゆりの元へと降下して行く。
作業を球状の機械に任せて油断なく身構えたちゆりの表情は少し青褪めてはいたが、サテンが魅魔と船外へ出た時と比べると、そこにはもう怯えきった娘はいなかった。
代わりに、何か覚悟を決めた者の気配を感じた。ほんの僅かな時間の間に、彼女の心境に変化が出たのだろう。
瓦礫が少しか片付けられて地肌が露出した部屋に足をつけたサテンは、周りを一瞥して夢美を探す。彼女の提示した条件をクリアしたので願い事を聞いてくれる流れの筈なのだが、果たして素直に答えてくれるだろうかとサテンは密かに首を傾げていた。
悪魔の契約を取り交わしたとはいえ、あの賢そうな人間の事だ、上手く契約内容に抵触しない様に頓知でも利かせて少しでも自分の利益をかき集めようと画策していると予想するのは難しくは無いだろう。
「あ! 戻ってきたわね? 待ってたわよ」
噂をすれば彼女のお出ましだ。
コツコツと靴を鳴らして奥の部屋から姿を露わしたその姿に、サテンはサングラスの奥で目を細めた。
今の夢美は何時もの赤い服の上に、更に赤いマントを羽織っていた。
マントを羽織る。たったそれだけの事だが、マントを身に着ける意味が分からない。
まさか出迎える為だけにわざわざ付けて来たなんて事は、あの学者がするとは考えづらい。
何かあるんだろうなあ、とサテンは特に肩肘を張らずに自然体のまま彼女が近付いて来るのを待った。
夢美はサテンの回りを見回して、もう片方の悪霊ノ魔法使いがいない事に気付いた。
「もう一人の彼女はどうしたの?」
「そこらへんの山で休んでいるだろうさ。君も“見ていた”んだから分かるだろう?」
サテンの返事に、夢美は血色の好い赤らんだ頬を携えて腕を組みながらうんうんと満足げに頷いた。
その顔は大変うれしそうで、実験で自分の期待以上の結果を得る事が出来た研究者のそれだ。ホクホク顔と言っても良い。
夢美達は、密かに偵察用の機械を飛ばしてサテンたちが戦っている姿を記録し続けていたのだ。
「勿論、貴方達の戦いっぷりは見させてもらったわ。お見事! そして素敵だったわ」
称賛している夢美は、純粋にサテンを祝福している様だ。
対するサテンは、それに対して喜びも怒りもしない。無表情を貫いたまま、この後控えているであろう可能性を待ち構えていたら、夢美の方から自ずと口に出てきた。
「おめでとう、あの悪霊さんに勝った貴女はプレゼントを得る権利を得たわ。 ――――でも、ここでもう一つ追加したいの」
夢美が今までにない不敵な笑みを携えて、サテンの前に人差し指を立てた。
余裕綽々、という訳ではないらしい。こめかみ辺りに湿り気が―――汗が噴き出ているのをサテンの眼は見逃さなかった。
「あの悪霊に勝てば良いと言う話だった筈だが」
突き返す様に冷たい返事をサテンが返しても、夢美は引き下がらなかった。
「そうなんだけど……あともう一回、今度は私と戦ってほしいの」
「君と?」
「正確には私達と、よ。私が研究して生み出した魔法で、私達は吸血鬼の貴女に挑みたいの」
挑むと言うのか。人間の小娘が、この私(吸血鬼)に。
本来ならば、その言葉は恐ろしく重い。特に彼の妖魔を知り、対峙する者達の間では。
人知を隔絶した超常の存在たる吸血鬼に戦いを挑むのは、それ自体が限りなく死を意味するのだ。
とは言え、相手は今日初めて吸血鬼を眼にした学者に過ぎない。無知なる者が、好奇心と使命感に突き動かされて口にしただけと思えば肩に力も入らない。
だが、この娘は分かっている筈だ。
夢美はサテンと魅魔の戦いを機械を通じて見ているのだ。吸血鬼の力の、ほんの一端を。
あの空の向こうで何があったのか、つぶさにデータとして記録して、分かっている筈だ。
サテンの眼に映る夢美の顔は、緊張か、恐怖かは知らないが硬く強張っている。しかし、その奥には歓喜の色が見えたのをサテンは見逃さなかった。
何とも欲深いお嬢さんである。
尤も、それが人間らしいとも思える。
世界で最も欲深い存在とは、人間なのだから。
「……まあ、契約の内容を違えてはいないか」
夢美達と取り交わした悪魔の契約書の中に、“魅魔に勝つ”とは書いていない。“夢美の研究に一時的に協力する”という曖昧な表現で綴られているので、彼女の要望はこの契約に違反する所ではない。
だが、“協力者の意に反して強要させたり、意に反して強要させたり約束を違えるのなら、その場限りでは無い”とも記載されている。
つまり、協力者であるサテンが今の夢美達の言葉をどう捉えるかで全てが決まる。気分一つでこの契約は履行にも不履行にも成り得るのだ。
「良いだろう。そのリクエストに応えようじゃないか」
ここまで来たら多少の事は飲み込んでも構わないと判断したサテンは、夢美の願いを承諾した。
どうもこの夢美と言う学者の娘は、知的好奇心に細やかな狂気を感じるが、此方を害そうとする程の害意を感じなかったので、その人間性を多少は信じてみようと思ったのだ。
サテンの返事を聞くや否や、夢美は頬を赤く染めて嬉しそうに笑った。
「あ、ありがとう! こうしちゃいられないわ、ちゆり! 準備をするからいらっしゃい!」
「え、あ、ああ分かった。分かったから待ってくれよ!」
夢美がはしゃぎながらちゆりを連れて船の奥へと引っ込んでいく。
二人を見送ったサテンはサングラスを外し、内ポケットからハンカチを取り出してレンズを磨きながら溜息をついた。
「……若いっていいね。全く」
昔はどうだったか知らないが、今のサテンは感情の浮き沈みが極めて静かな女だ。永い時の中で酸いも甘いも沢山経験した所為か、ああいう風に素直に感情を表に出す術を忘れてしまったらしい。
そういう意味では、些細なことで感情が剥き出しになれる彼女達が少し羨ましく感じる。サテンは若い頃の青春を懐かしむ老人の様な独り言をぽつりと呟いた。外見が若く美しい姿をしているくせに、言葉が酷くあべこべであった。
「待たせたわね!」
程なくして夢美達は戻って来た。
彼女たちの見てくれは大して変わっていない。ちゆりは初めて出くわしたときと同じように近未来的な銃を装備しているだけだし、夢美は身に着けている服と同じ色の、赤いマントを新しく羽織っているだけだった。
そのマントを身に着ける意味はあるのだろうか? と夢美の服装を指摘したくなるサテン。
まあ、人間、人外問わずにここぞという勝負に身に着ける服というものがあるので、彼女のマントもその類なのだろうとサテンはとりあえず納得しておくことにした。
「気分はまさしくヴァン・ヘルシングね。さあ覚悟なさい吸血鬼! 貴女に明日の月は拝ませないわよ!」
「ご、ご主人様よせってば、下手にあいつを刺激すんなって」
ビシッとサテンに指さす夢美にちゆりが慌てて窘める。
対するサテンだが、別に気を害してはいない。基本的に冷めた眼差しと無表情が常の彼女は、付き合いのある知人以外には冷酷非情と勘違いされやすい。
まあ、態度の取り方は相手によって変えはするが。
これ以上船内が破壊される事を危惧した夢美達の提案により、三人は現在隠れ里の上空に浮かんでいた。
サテンはともかくとして、ほかの人間である二人は特に空を飛ぶために必要そうな機械らしいものを身に付けてはいない。それとも、これらも彼女達が開発した魔法とやらが解決してくれているのだろうか。
「正直な事を言うとね、私達でもなんとかなりそうな奴が来たら、気絶させてでも連れて帰るつもりだったの」
風が吹く中でもしっかりと聞こえるほどにはっきりと口にした夢美の言葉がサテンの耳に届き、特に反応もせずに返事を返した。
「本人の前でそれを口にするとは、随分と肝が太い様だね?」
「この際だから、腹の内は事前に曝け出す事にしたの。そっちの方が、お互い納得できるじゃない」
「今は違うと?」
「貴女は無理そうだわ。逆に食べられてしまいそう」
あっけらかんと言ってのける夢美だが、その笑みには最後の最後まで何かを手に入れようとする強(したた)かさが見え隠れしているように見えた。
それだけ彼女たちの腹も決まっているという事なのだろう。
「一手、ご指南いただけるかしら? ノスフェラトゥ(吸血鬼)」
「……つくづく酔狂な娘だよ、君は」
両手でスカートの裾をつまんで軽く持ち上げ、腰を曲げて深々と頭を下げる夢美の姿に、サテンは呆れを滲ませたぼやきをこぼした。
夢美が今行ったのは、西洋の女性が行う古い挨拶の仕方である。しかも、丁寧な方のだ。サテンに対する礼儀だとでも言うのだろうか。
そして、礼を済ませた夢美が構えを取ると、背後に控えていたちゆりも決死の覚悟を秘めた形相で構えだす。
どうやら、向こうは何時でも良いらしい。
夢美は口元に笑みを浮かべてはいるが、その目はサテンに対して少なからぬ恐怖を覚えていると雄弁に語っていた。
それでも尚、挑もうとするその姿勢はある意味称賛に値する。
……が、彼女達はまだ知らない。
吸血鬼と言うものを、全く分かっていない。
曲がりなりにも吸血鬼であることに矜持を持っているサテンは、老婆心も込めて、そんな無知な少女たちにその一端を教授してやることにした。
これとて立派な魔法だ。何も間違ってはいない。
サテンの体から、魅魔と戦った時の様に夥しい量の蝙蝠が湧きだした。
破壊されて天井が無くなったため、蝙蝠たちは空を覆いつくさんとする勢いで飛び立っていく。
しかし、今回はそれだけにとどまらなかった。
サテンの足元から、黒い影がまるでこぼれたインクの様に地面を染めて広がっているのだ。
夢美とちゆりはそれに気づき、慌てて距離を取る。
丁度直径20m位まで広がった頃に、その影に変化が起きる。
ボコボコと沸き立つように現れたのは、大きな狼だ。肩高(けんこう)が180cm台のサテンと同じくらいもある巨体が数頭、どろりと影の中から這い上がってくる。
その狼の姿は異様の一言に尽きた。全身がコールタールで塗り固められたかのようにどす黒く、その瞳は赤黒に染まって裂け目の様に鋭かった。
ゆっくりと包囲するように歩き出す狼達に警戒する夢美達へ、サテンは口元をほんの僅かだけ吊り上げた。
「どうせ最後になるのだから丁度いい、折角だから気が済むまで体験すると良いさ。――――吸血鬼に戦いを挑むという事が、何を意味するのかをね」
サテンの緋色の瞳が、かけたサングラスの奥で怪しく光った。
後に、夢美とちゆりはその当時の事を思い返し、「モノホンの悪魔を見た気がする」「とても素敵だったけれど、地獄も見えた」と述懐していたとか。
久しぶりにこの作品を書くにあたりまして、キャラクターの設定を書き溜めていた奴を久しぶりに見ていたら、主人公のコンセプト欄に妙な物を発見。
・吸血鬼+スナフキン×グリニデ
(;^ω^) か、閣下―!?
※主人公はワイン片手にエクセレントだとか、Be Coolを連呼したりしません。ついでに「お前」と言われて激怒もしません。