東方外伝記 the another scarlet 作:そよ風ミキサー
話の流れ上タグに“東方旧作”を入れておこうと思います。
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「はじめまして吸血鬼さん。遠い異国の地から、この夢幻館へようこそ」
サテンは今、目の前で挨拶を交わしている女性が先程の寝間着姿の女性と同一人物なのかと思うと、その変わり様に舌を巻いた。
エリーが幽香を連れてから数十分、身支度を整えて戻ってきた幽香の雰囲気は一変した。
メイド達とエリーを連れだって現れた時は、一瞬誰だったのかと思ってしまう程だ。
下は赤地にチェック柄のズボン、上は白のブラウスの上にズボンと同じ柄のベストと言うパンツルックの洋服を着こなし、立ち振る舞いは貴婦人の様に優雅そのもの。
間の抜けていた寝ぼけ眼から今は知性と力強さが秘められているかのように鋭く、口元には上品な笑みを携えている。
確かに、これなら一屋敷の主を務めている妖怪と言われても誰も文句は言えまい。
どうやらサテンが思ってたよりも、幽香という妖怪はしっかりした人物であったらしい。
そして現在サテンがいる場所は幽香の部屋。
くるみとエリーはこの場にはいない。幽香がサテンと二人で話がしたいと言って彼女達をメイド達と一緒に部屋から出したのだ。
最初はくるみが少しごねていたが「にんにくを口に詰め込まれるのと大人しく部屋を出ていくの、どっちが良いのかしら?」と幽香が優しく微笑みながらそんな物騒な事を言うと石の様に固まってしまい、エリ―が苦笑しながら引き摺って退出した。
そして現在、サテンは幽香の自室へ通され、其処で改めて幽香と対面していた。
部屋の中は夢幻館の外観程奇抜なものでは無く、シンプルで且つ嫌身の無い程度に上品な西洋風の家具と小物でレイアウトされていた。所々に花の意匠が取り入れられているのは彼女の趣味なのだろう。
結構いい趣味をしているんじゃなかろうか? そんな感想をサテンが抱く程、この屋敷の主人のレイアウトは西洋出身のサテンから見ても違和感が無かった。名前の響きからすると日本の妖怪だと思うのだが、西洋好きかもしれない。
「コートかけならそこにあるから使って頂戴。さぁ、遠慮しないで」
幽香にすすめられた場所はテーブルセットの置かれた場所。
サテン達が席に着いた時、幽香が指を鳴らすとテーブルの上にティーセットが現れた。おそらく、何らかの術を使ったのだろう。
特に驚いた様子もなくサテンは幽香に注いでもらったお茶を手元に寄せた。カップから立ち昇る湯気が、そのお茶が淹れたてである事を証明してくれる。
「くるみの事、良くしてくださっているみたいですね」
最初に話を切り出したのはサテンだった。
この地に住んでいるくるみの顔はとても楽しそうだった。欧州に居続けるよりはずっとましだ。だから彼女をこの極東の地で拾ってくれた幽香に、サテンは感謝していた。
そう幽香にサテンは伝えると、くすぐったそうに幽香は目を細めた。
「あの娘がいい子だったからよ。私は気に入らない輩の面倒をみる程の慈愛は持ち合わせていないわ。感謝するべきなのはあの娘の可愛い気、それと私と出会った運命とやらにかしら」
「それでも、貴女がくるみを拾ってくれなければあの娘は今の様に笑ってはいなかったかもしれない。それもまた事実です」
尚も引っ張るサテンに幽香は苦笑する。
「貴女って結構そういうの気にする質(タチ)なのね。それならどうして一緒に日本に行こうとは思わなかったの?」
「彼女が自分一人で行きたいと言ったんです。独り立ちをする良いきっかけでしたので、彼女の意思を尊重しました」
サテンはそう締めくくって紅茶を口にした。
「ふーん、まるで親の心境ね。実は家族だったりして?」
「友人ですよ、彼女とは。それに私は物心ついてから今まで、自分の家族を見た事が無い」
そう言いはしたが、先の言葉を否定はしない。サテンはくるみとは友人として付き合っているが、過去の経緯から彼女の事を妹か、娘として見ている時があった。そう言う意味では幽香の感想は強ち間違いでもなかった。
「あら、貴女孤児(みなしご)だったの?」
「えぇ、私が自我を持った頃は既にいませんでした。でも、案外私は親のいない自然発生した妖怪かもしれませんけどね。此処最近はそう考え始めてきました」
そう言いながら、サテンは自分の七色の翼を動かして見せた。動かす度に部屋の明かりが鉱石の様な翼膜部分を照らし、キラキラと不思議な七色に光った。
幼い頃こそこういった出自に関する事についてはナイーブな面を持っていた時期もあったが、今はこうして冗談を言いながら懐かしむ程度には落ち着いている。自分も大人になったもんだとサテンはつい感慨深くなった。
幽香は、そんなサテンの翼を興味深く眺めていた。大抵初めて出会った者はサテンの翼を見て驚くか不思議がるので、サテンは特に気にしてはいない。とはいえ、あまり熱心に見られると落ち着かないけれども。
「貴女って、見れば見る程良く分からない吸血鬼だわ」
「それは旅先でも良く言われます。吸血鬼には見えないって」
ならば何だと問われたら、サテンは吸血鬼としか答えようがない。人の生血を吸い、吸い尽くした者をゾンビに変え、数多くの超能力を有する。今は訳あって陽の光や流水も平気な身だが、過去にはそれらに触れて焼けた事だってある。自分にそう言った特徴があった事を踏まえて考えれば、吸血鬼以外の何ものでもないだろうとサテンは決めつけた。
「ふぅん。でもまぁ、ハッキリと正体の分かるものより、謎めいている方が魅力的な妖怪かもしれないわね」
「そう言う貴女はどういった妖怪なんですか?」
「うふふ、何だと思う?」
目の前で優雅に笑うミステリアスな女妖怪を、サテンがじっと見つめる。
妖怪として特徴的な部分が一見すると全く見当たらない。強いて言うならば、彼女の緑色の長髪位か。
一瞬髪の色で植物を思い浮かべたが、しかしそれも決定的では無い。
過去の旅でも見た目だけでは全く分からない妖怪はいた。大抵そう言うのは戦い方や暮らしぶりを見てみれば自ずと分かって来るものなのだが、如何せん幽香とは出会ってからの時間が浅い。
サテンは眉をハの字にした。
「……何なのでしょうね?」
「つまりは、そう言う事よ」
謎、という事だろうかか。
先程の発言も踏まえて聞けば、幽香は自分の事を魅力的だと遠まわしに言っているようにも感じる。
大層なナルシズムであるがしかし、幽香の態度や言動から来るものに虚勢や無駄な驕りは感じられない。むしろ長く生きた妖怪によく見られる独自の貫禄と、自分自身に対する絶大なる自信と誇りが窺い知れる。
夢幻館の主、幽香。
どうやら彼女は紛う事無く妖怪そのものであった様だ。
それからの会話は他愛のないものだった。やれヨーロッパの妖怪事情はどうなっているのだとか、あちらの退魔士達はどんな連中なのだとか、主に妖怪方面に沿った話題でサテンと幽香は話に花を咲かせて行った。
特に幽香は人間――退魔士達の事が気になっていたようなので、サテンが彼らの執念深さや妖怪ですら引き攣る様な残忍さを垣間見せた事を話した所「あら良いわね。其処まで熱心にアプローチをかけてくれたら、腕によりをかけて踏み潰してやりたくなるわね」と花の様な笑顔を添えて素敵なお言葉を返してくれた。
この時サテンは直感する。この妖怪、絶対サディストだ。しかも結構突き抜けているかもしれない。
何となくその点について遠まわしに訊ねた所、自信を持って答えてくれた。
「だって私、弱い者虐めが大好きなんですもの」
笑顔は花丸大輪咲き。怖いもの知らず? 否、私が恐怖だ!!……そんなフレーズが脳裏に浮かんだ。
……一瞬、「拾われる相手を間違えたかくるみ?」とサテンは本気で心配になったが、くるみの態度を思い出す限り、嫌々働いているとも思えない為、否定した。
願わくば、くるみが彼女の影響を受けて捻くれた(!)妖怪にならない事をサテンは心の中で願った。
だが、サテンは幽香の事は結構好いていた。妖怪ならではの残虐性と傲慢さもみられるが、それは同じ妖怪であるサテンも思う所がある為お互い様。同じ様に思慮深さと分別もある程度弁えられているので付き合う分には、そう悪いものでもないと思っていた。
「貴女、この後はどうするの?」
「どう、とは?」
途中から話題の内容がエキサイトしだして幽香が虐め談議をおっ始め、サテンがその話の落とし所を探っていた時、幽香が訊ねて来た。
「元々はあの娘(くるみ)に会いに来たんでしょ? その後の予定を訊いているのよ」
サテンは当初此処に来た時よりは幾分か姿勢を崩し、空になったカップをぼんやりと片手でいじりながら伝えた。
「さぁ、特に決めていませんでしたので。せっかくですからこの地で少し休んでから北欧に帰ろうと思ってます。その後は、またしばらくしたら何時も通りブラブラと旅に出るのでしょうね。私の事ですから」
くるみの元気な顔が見れた事で、サテンのこの地での目的は既に終わっている。しかし急いで欧州に戻る必要性が無いので、この妖怪に寛容な地でのんびりだらけているのも悪くは無いと思っていた。
そう自分の意思をサテンが伝えると、幽香は少し思案顔を浮かべた後、パッと笑顔を浮かべた。
「ね、だったらこっちにいる間はこの屋敷に住んでみない?」
「この夢幻館にですか?」
「えぇそう。部屋は空いているし、住み心地は私が保証するわ」
どうやら知らない内に気に入られたらしい。
これはサテンが彼女と話している内に気づいた事だが、幽香は一見するとその佇まいは落ち着いた淑女の様であるが、その実中身は結構子供っぽい所がある。
今もこうしてわくわくしながら提案している姿に人に恐怖を与える妖怪の姿は無く。友達にお泊りを勧めてようとしている若い娘の姿があった。
案外彼女の時折垣間見せるいじめっ子気質は、構って欲しいと言う感情の裏返しなのだろうか。
暫く思いを巡らせていたが、困ったように苦笑いをしてサテンは幽香に自分の意思を伝えた。
「折角ですけど、私は外で寝ます」
「住まないの?」
えぇーっと至極残念そうに顔を顰める幽香。
しかしサテンはそれでも譲らなかった。
「確かに此処は素敵な場所です。通った時に見た館の中は綺麗だし、見かけたベッドは柔らかそうに見えました。それに……」
カップにお茶のおかわりを注いだサテンは一口飲む。
「お茶も美味しい。きっと、良い所なんでしょうね」
「そうよ、なのに何で……」
そこで幽香が何かに気付いた様にハッとし、その表情が不機嫌なものに変わる。しかしその瞳の方は悲しげに揺れていた。
こんな顔もするんだなとサテンは彼女の意外な一面を見たが、彼女に一つ釘をさした。
「言っておきますけど、私は貴女の事が嫌いだからここに住まないわけじゃないんですよ。貴女は妖怪として、同姓としても好意に値する。今日、貴女との話も楽しかった」
「じゃあどうしてよ?」
幽香は不機嫌な顔を崩す事無く、サテンを鋭く睨みつけた。
未だ瞳の奥に悲しげな感情が見え隠れしているものの、並の人間や妖怪がその眼で睨まれれば心臓を握りつぶされるかの様な錯覚に陥られる程の威圧感だ。
しかし、サテンは動じなかった。
「ただ単に、私は自然に囲まれて暮らしている方が性に合っているんです。くるみから聞いていませんでしたか?」
これは事実だ。サテンはその出自の関係上、その暮らしの殆どを大自然の中で過ごしてきた。それこそ幼い頃は、獣同然に近い文字通り“野生児”のような生活だった頃もある。
その生活習慣は今でもサテンの中に根付いており、森や山の中等自然のある適当な場所にテントを張ったりごろ寝したりして野宿をする日々が、今でも永い事続いている。
そんなサテンが長期間にわたって屋内で暮らそうものなら次第にその閉塞感に息が詰まり、最後は外へ飛び出してしまう。そんな事は今でも日常茶飯事である。必要であるならばそこにいる事に文句は無いが、意味もなくい続けるのは勘弁ならないのだ。
後、もし幽香の所に泊ってしまうと呼んだ張本人であるくるみがへそを曲げてしまいそうな気がした為というのも密かにあった。だがこれを言って彼女達の仲がこじれると不味いため、心の中にそっとしまっておく事にした。
と言う訳なので私は外が良いんです。ときっぱりサテン理由を告げると、幽香も次第に顔から険が取れ、最後は大きく溜息をついた。
「……本当、可笑しな吸血鬼ね」
「その台詞にも慣れました」
サテンも彼女の言葉に肩をすくめた。
「今日はありがとうございました」
「いいえ、私も楽しかったわ。また退屈になったらいらっしゃいな。その時はエリーとくるみも誘いましょうか。あの娘達、見てると楽しいから」
話に夢中になっている時程、時間が経つのはあっと言う間である。
程良く時間が流れた所で二人は今日の御茶会をお開きにした。サテンは身支度を整えてこの場を去る準備を済ませている。
「そうですね、ではその時はお言葉に甘えてお邪魔させてもらいます。勿論、“貴女が起きている時”にですけどね」
見送りに出ようと椅子から立ち上がろうとした幽香がビタッと止まる。その口元が苦虫を噛み潰した様に歪んだのを、サテンは見た。
「……あれは忘れなさい」
幽香自信もあの寝ボケ様は忘れてしまいたいらしい。ドスの利いた声色だったが、顔が羞恥心で赤くなっていた。下手に藪を突いて蛇を出したくないので、サテンも彼女の話に合わせる事にした。
「……そうですね、私は何も見ていない。今日此処で会ったのは夢幻館の主、幽香。それで良いんでしょう?」
「結構」
咳払いをして誤魔化している幽香からサテンは許しを受けた。
それを確認して部屋から出ようと幽香に背を向けた時、幽香に呼び止められた。
部屋から出ようとしたサテンを幽香は引き止め、「一つ良いかしら?」と訊ねて来る。
「会った時からずっと思ってたけど、貴女はどうして私に敬語を使うの?」
「それは勿論、屋敷の主に対して礼儀を示しただけですよ」
実際の所はそれだけでは無い。くるみの上司の様な立場に当たる人物だと言う事もあったので、彼女の顔に泥を塗らないように配慮していたという側面もあった。もっとも、屋敷に泊まるように勧められた時はサテン個人の都合を優先したのだが。
「気を悪くしたのなら辞めますけど」とサテンが付け加えると、幽香はそうしなさいと答えた。
理由を訊ねてみたら、「貴女に畏(かしこ)まられると虫唾が走る」らしい。
なんでも“年上”に敬語を使われると、子供扱いされてからかわれているみたいだから気に入らない、との事。
そう言われてしまえばサテンも彼女をからかう気は無いので素直に従う事にした。だが。
「幽香は私の事をどこまで知っているんだ?」
自分の幼い頃の時代を教えていないサテンが怪訝そうに訊ねると、夢幻館の主は面白げに、そして妖しく微笑んだ。
「これでも昔、少しの間欧州に行った事がありますの。貴女の噂は色々と聞いていますわ。何でも昔は相当“やんちゃ”だったとか」
そこまで言われてサテンは目尻を引き攣らせ、口をへの字に曲げて帽子を眼深に被り直した。先ほどとは全く逆の構図になった。
「……それはまた、随分と懐かしい」
「そんな貴女の事を知っているから、会ってみたいと思っていたのよ? まさかくるみの友達だったなんて意外だったけど」
逆に、悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべた幽香に、サテンも苦笑しつつ照れ臭そうに笑って返した。
夢幻館の客間の一室。そこでは、二人の妖怪が静かに闘争心を燃やしながら相対していた。
一人は幼い吸血鬼のくるみ。
そしてもう一人は、白い帽子がトレードマークの妖怪エリーだ。
緊張の糸が張り詰められ、静寂なる戦いの場と化した其処で最初の動いたのはくるみだった。
幼い手を伸ばし、それを引く。
そしてあるものを手に取った瞬間、くるみは笑みをこぼした。
それは己の勝利を確信して疑わず、相手を甚振らんとする狡猾な悪魔の笑みだ。
「ふふ……エリーちゃん。悪いけどこの勝負、勝利の女神は私に微笑んでいるみたいよ」
「あら、悪魔が女神に笑われるだなんて、それは負けを暗示しているんじゃないのかしら?」
対するエリーは動じず、静かにくるみに挑発する。しかしくるみもそんな事で動じはしない。
勝利を確信した今こそが勝負の時と、くるみは声高に叫んだ。
「これで全て終わりにしてあげるわ! “ロイヤルストレートフラッシュ”!!」
テーブルの上にずらりと並べた五枚のトランプのカードに合わせてくるみは不敵な笑みを浮かべた。
それを見たエリーも叫んだ。別の意味で。
「ばば抜きに何でそんなもん出んのよ! このお馬鹿!」
「あ痛ぁー!?」
くるみが悲鳴を上げるのと同時に、小気味の良い音も一緒に響いた。
確かに女神は微笑んでいたのかもしれない。しかしそれが勝利を司っているのかまでは、誰にも解らない事だ。
サテンがくるみ達のいる広めの部屋へメイドに通された時、エリーがスリッパ片手にくるみを追いまわしているのが見えた。
最初は飛んだり走ったりと忙しなく部屋の中を逃げ回っていたくるみだが、エリーが手慣れた様にくるみの逃げ場を潰し、徐々に追い詰めていく。部屋の片隅まで追い込まれたくるみが、何故か頭をさすりながら涙目でエリーに抗議した。
「ちょっと待ってエリーちゃん! 今のは西洋で流行りのヴァンパイアジョークなのよ! だからその物騒なスリッパちゃんをしまって!」
「悪魔が寝ぼけた事ぬかすんじゃなーい!」
そんなジョーク初耳である。サテンは二人の頓珍漢なやり取りを目撃して気不味い気分になってしまったが、止むを得ず彼女達の元へ静かに向かう。
「ばば抜きすら覚えられない頭はこれか! この頭か!? えぇいこの頭なのかしらっ!?」
暴れるくるみの頭をがっちり脇でホールドして、エリーはスリッパでそこに熱いリズムを刻んでいた。やけに良い音が響くのは空気が乾燥しているからか、それともくるみの頭に秘密があるのか。
「痛い痛い! 悪かったわ、私が悪かったわよ~!」
くるみがとうとう謝りだした所でサテンも彼女達に近づき、声をかけようとした。
だが、それは思いもかけない第三者からの声に遮られた。
「あら貴方達、随分と楽しそうね」
音もなく、気配すら悟らせず、サテンの後ろからひょっこりと顔を出したのはこの館の主人である幽香だった。サテンも予想外だったため、眼を見開かせて振り向いた。
くるみとエリーに至っては幽香の登場に、その体勢のまま凍りついてしまった。
くるみとエリーの番人娘達に対して優しく微笑みながら話しかけてきている幽香だが、細められた瞳に宿すものは優しさとは縁の無いものだった。
「お客様の帰りを自分の部屋で見送るだけと言うのも無粋だから、玄関まで付き合おうと思ったんだけど……貴方達」
幽香の穏やかな目が刃の様に鋭く細められた目になると、二人は「はひぃ!?」と奇声を上げながら姿勢を正した。
「仲が良いのも、元気があるのも大いに結構。でもね、私はその中にも確固とした節度を持って欲しかったわ」
柔らかなカーペットの敷かれた客間をゆっくりと歩きながら、くるみ達の元へ向かう幽香の姿は彼女達からすれば死刑執行人に見えたのだろう。先程まで喧嘩をしていた二人その恐怖に圧されて揃って顔を青くしながら抱き合い、身を震わせた。
「あ、あわわわわ幽香ちゃん?」
「い、いやこれにはわ、訳があるのよ?」
二人はこれ以上ない程のうろたえっぷりで弁解しているが、幽香には精々念仏か辞世の句を唱えている程度にしか認識されていなかった様だ。
「だぁーめ」
語尾にハートマークが付きそうなほど甘ったるく、どこか官能的とすら思えるほどの声色で許しを拒絶した幽香は、二人の眼と鼻の先まで近付くと両の手でくるみたちの額に軽くデコピンを見舞った。
たかがデコピン。
されどデコピン。
しかし驚く無かれ幽香の繰り出したそれの威力は、悲鳴を上げさせる間もなく二人の体を屋敷内の壁面を突き破らせ、夢幻館の外へ放り出す程のものだった。
屋敷内が小さく揺れ、砕けた壁面の向こうを土埃越しに見やったサテンは幽香の馬鹿力に驚く事無く、彼女を非難めいた視線で見た。
「何時もこんな事をしているのか?」
思えばくるみとこの地で再会した時に幽香の名をあの娘が口にしていた場面は、こう言った事が日常茶飯事行われている事を暗に含んでいるからだったのだろう。
幽香は苦笑しながら片手を軽く横に振った。
「大丈夫よ、それなりに抑えているから。それに理由もなくあの娘達を虐めたりしないわ」
その言葉に、サテンは片眉を器用に上げた。
「意外だな、てっきり見境が無いものとばかり思っていたんだが」
「失礼ね、私だって分別はつけているわ。私が徹底的に虐める対象は人間と身内以外の輩よ」
これ、此処だけの秘密よ? そう言うや幽香はパチンと指を鳴らす。
すると室内の壊れた個所がみるみる元に戻って行き、一分と経たない内にくるみたちが吹き飛ばされる前の元の状態へと戻った。
「さぁさぁ、丁度良くあの娘達も玄関まで飛んで行ってくれた事だから、私達も行きましょう」
サテンと幽香が夢幻館の玄関の外に着くと、幽香の言った通りくるみ達は確かにそこにいた。入り口の門に仲良く頭から突き刺さり、前衛アートの一部と化していたのをメイド達が救助しているのは変な意味でファンタスティック。
まるで大根の様にメイドに引き抜かれたくるみは眼を回し、「なんかサテンちゃんと会った時も同じ事があった様な……」と既視感に見舞われているのを見た幽香は、サテンを半目で見ていた。
「何よ、貴女も人の事言えないじゃない」
「君と一緒にしないでくれ」
同類を見る様な目で見られて、サテンは心外だと言わんばかりに顔を顰めた。
「ねえサテンちゃん、幽香ちゃんとお話してどうだった?」
幽香とエリー達に別れを告げ、夢幻館を後にした帰り道。夢幻の空間を飛んでいる最中にサテンの隣を飛んでいたくるみが、先の夢幻館行われた事について興味深そうに訊ねて来た。
「んー、悪い人では無かったかな」
かといって、良い人かと言われれば答えにくい人物でもあった。
彼女については善悪という枠組みでは無く、ただ単にこう一言で纏めればそれで十分ではないのかとサテンは考えていた。
曰く『捻くれ者』。
他人を虐めたがる気性を持ちながらも、誰かと一緒にいたがる節のある彼女を、サテンはそう評した。
サテンは言葉としては大した返事をしていなかった事もあって、くるみは深く考えず相槌を打った。
「ふーん、どんなお話していたの?」
「妖怪同士の世間話だよ」
実際これと言って重大な内容の話をしたという自覚もあまりないため、幽香との会話は精々世間話程度のものと見なしていた。そんなサテンの言葉に、くるみは頬を膨らませた。
「む! 何か私が子供扱いされているような気がするのだけど?」
「そういう反応が出る辺り、くるみもまだまだ成長盛りだな」
大人の余裕とでも思ったのか、ニヒルな笑みを浮かべたサテンにくるみは「何よー!」とプンスカと擬音が聞こえそうな可愛らしい仕草で怒りだした。
「ふんだ! 今に見てなさい、サテンちゃんや幽香ちゃんなんて目じゃない位の立派なレディになっちゃうんだから!」
そこにエリーはいないのか、と心の中でのみサテンは突っ込みつつ苦笑した。
「それは楽しみだな。でも、はたして何百年後の事なのかな?」
「言った傍からそんな事言わないでよもー!」
くるみが空中で器用にじたばたと翼と一緒に手足をばたつかせる中、サテンもボルサリーノ調の帽子の被り具合を直しながら笑った。
「まぁそう急ぐ事もないだろう。此処でのびのびと過ごして、ゆっくり大きくなればいい。無理に大人になろうとすると、却って悪い結果になる事もあるんだよ」
この地でこの娘を急かすものなんて、何も無いのだから。
――此処にいる限り、この娘は大丈夫だろう。
アクの強い妖怪達だが、良い友人達にも恵まれた様だ。
この地にい続ける限り、此処はくるみにとって平和な場所になるだろう。
――そうなれば、私もお役御免かな。
彼女の保護者としての自分が、であるが。
あとは友達としてくるみと付き合って行けば良い。未だ幼さが残るものの、あの娘は既に自分の手から離れている。彼女はもう、一人で行ける。
子供に独り立ちをされた親の心境の様な気分に浸りながら、サテンはくるみと共に夢幻の空間を超え、湖への入口を通り、元の世界へ戻った。
どうやら幽香達の所で大分時間が経ってしまったらしい。湖の入口へ向かった時は昇っていた日は沈み、既に夜だった。
人間の文明特有の明りは無く、その代わりに妖怪達の住む隠れ里だからだろう、人魂や様々な妖怪達が各々自由に活動している気配が所々で感じられる。今の時代では最早滅多に見られない光景であった。
酷く、懐かしい。
この国の気風だからだろうか、出来ればこの穏やかさが欧州にもあれば、大人しい妖怪達も少しは静かに暮せたのではないだろうか。そんな事を思ってサテンは溜息をついた。
――吸血鬼(悪魔)が何と可笑しな事を……
“昔”だったらそんな事は「軟弱者」だの「弱い奴から消えていくのは当たり前」だのと傲慢に鼻で笑っていた時もあったものだが、時間は妖怪を変えるらしい。サテンは感慨深くなる。
サテンが随分と重い事を考えているのとは対象に、くるみは呑気に欠伸をかいていた。
そんな呑気な姿を見てサテンは先程の考えが霧散してしまい、頭を横に振った。
「……眠いのかい?」
「うぇ~? だってお昼の時間起きてたんだもん、そろそろ寝ないとちょっとつらいわ~」
それで大丈夫なのか湖の門番はと訊ねてみると、原理は分からないがどうやら湖本体や周りにしっかりと罠が仕掛けられているので、生半可な奴らではケチョンケチョンのボロ雑巾になる事間違い無しだとか。
本来妖怪とは夜に活動する存在、中でも夜闇の隣人として生きる吸血鬼はその最たるものだ。
そんな種族のサテンとくるみの活動時間帯が、昼夜逆転していたとしたら妖怪として本末転倒ものである訳だが、何分お互い昼間に活動しても支障の無い体を持っている事と、方や就いている仕事柄そうも言っていられない。寝れる時に大人しく寝るべきなのだ。
「サテンちゃんはこれからどうするのー?」
「そうだな、一旦くるみの家まで戻って荷物を取りに行ったら……この湖の近くで適当にごろごろしているよ」
くるみには既にここに滞在する旨は伝えてある。伝えた時は酷く喜ばれ、手を取り踊られる程だった。
「ウチに泊ればいいのにー……」
「前に言っただろう? 私はこっち(外)の方が良いんだ」
くるみが眠気眼でむくれようとも、サテンは幽香の時のように自分のスタンスを変えない。これは昔サテンがくるみと一緒にいた時から変わらないものだった。
それを昔から知っているから、くるみもそれ以上は言わなかった。
無理に部屋に入れようとしても、気が付けば外の草っぱらの上で寝転がっている様な妖怪だ。何度試みてもそれが全て無駄に終わった事によってくるみも諦めが付いているのだ。
「……分かってるわよ~。でも遊びに行っても良いんでしょ?」
「それは勿論構わないさ。私は基本的に暇だからね、何時でもおいでよ」
「気の利いたお茶もお菓子もないけれど」「じゃあ今度持って行くわよ」と、そんなやり取りをしながらサテン達は夜の空をくるみのログハウス目指して飛んでいく。途中で眠気に負けたくるみをサテンが背負って飛んでいく事になったが、昔も同じ事があったので何だかちょっと懐かしくなってしまったのは此処だけのお話である。
かくして今日この日より、サテン・カーリーの隠れ里での滞在が始まった。