ラブライブ!サンシャイン!! Beyond the Horizon 作:Le Nereidi
「津島とは、中二から二年間、同じクラスだったんだけど」
狩野川に面したオープンテラスが売りの、おしゃれなカフェ。大きな開口部から光が差し込む白く明るい店内で、遼香は菜々実に、中学校時代の善子の話を始めた。
「最初のうちは、目立たない陰キャな子だった。休み時間は自分の席で、占いとかの本をおとなしく読んでた。
それがある日――急におかしくなったの。
校庭で朝礼の最中、頭上から突然、『そこにいる、下劣で下等な人間ども!』だったかな? 大きな声が聞こえてきて、見上げたら、校舎の屋上に黒いマント羽織ったあいつがいて。『堕天使ヨハネ、天界より降臨!』とか、わけわかんないこと叫び始めたんだ。もう騒然としちゃって。お母さん学校まで呼び出されたりとか、病院連れてけとか。
それ以来、キモいとかヤバいとかイタいとか、クラスの中でさんざんからかわれたんだよね……私も、からかった一人なんだけどさ」
時を同じくして、三年U組の教室では、Aqoursの練習の合間に、善子が遼香の過去を語っていた。
「容姿端麗。成績優秀。品行方正。スクールカーストの頂点……中学の三年間、彼氏のいない時期がなかったらしいわ。家もそこそこ裕福らしいし。典型的な勝ち組よね」
善子は、椅子に座る四人に背を向けて窓際に立ち、腰の後ろで指を結んで、曇り空の遠くを見つめながら淡々と話す。
「学校では、仲のいい同級生を引き連れて、肩で風切って歩いてた。私それ見て思ったの。『リア充』って、ああいう子のためにある言葉なんだって。私みたいな人……堕天使には、縁のない言葉なんだって」
善子の中に、忌まわしい光景がよみがえる。
それは、休み時間に本を読んでいたときのこと――頭上から、リア充仲間を従えた遼香の、心無い言葉が降ってきた。
「『黒魔術の神秘』? どこがおもしろいの、そんな本?」
感情は瞬時に沸点に達した。顔を上げ、無言でにらみ返してやった。そのときの遼香はなぜか、少し戸惑っていたような覚えがある。
「遼香、行こ」
「相手しなくていいよ、こんなヤツ」
そのまま立ち去る失礼な連中をよそに、善子は視線を本に戻したが、言い知れない劣等感が込み上げ、目に映るページは次第ににじんでいった。
「一度、たちの悪い男子グループに因縁つけられてけんかになって、あいつ大暴れしたんだよね。取っ組み合いから首や手に噛みついたりとか、『なめんじゃねーぞコノヤロー!!』とか叫びながら椅子ぶん投げたりとか。一人で四、五人相手にして……壮絶だった」
「……」
「それでもう、ガチでヤバいヤツってなって、私たちのグループも距離置いて。目に見えるいじめはなくなったけど、そのあとはむしろ腫れ物扱いって感じで、孤立しちゃった」
「……」
菜々実は言葉もなく、深刻な面持ちで耳を傾けていた。
向かい合う二人の間には、店の名物アップルパイが一皿、大皿で供されている。小ぶりながら厚みのあるパイの上に、赤いソースをまとった雪玉のようなアイスがどっしりと載る。アイスは一向に減らないまま溶け始めており、パイの生地に徐々に染みていく。
「でもあいつ、全然めげなかったんだよね。あの
「……うん」
「おかげでますます絡みにくくなっちゃった、ハハ。でもそうやって、津島は、堕天使ヨハネとしての自分を貫き通したんだ……卒業まで」
「……」
遼香は、目の前の大きなアイスを、ナイフとフォークで手際よく切り出し、話し終わると同時に口に入れる。ひんやりした触感とベリーの甘味に交じって、かすかな酸味と苦味が感じられた。
「ただ頭がいいだけじゃなくて、実技も達者だった。体育、音楽、家庭科……」
「完璧ずら……」
「美術も?」
「……」
善子は、梨子への返答をためらう。そして、よく考えながら、再び話し出した。
「美術だけは、不得意だったわね。絵を描く授業のとき、ひとりで勝手にブチキレて先生に叱られたこともあるし」
善子は鮮明に覚えている――美術室で、生徒たちが黙々と絵筆を走らせる中、突然遼香が画材を床に投げ捨てて、「別に絵なんてうまく描けなくてもいいだろ!」と叫んだシーンを。
「そうなんだ」千歌が言う。「やっぱり、どんな人でも苦手なことってあるもんなんだね」
「頭はいいし、言われたことはパーフェクトにこなすけど、……」
無意識に続きを口にしかけて、善子はハッと思い直し、自制した。
「自分で新しい何かを創り出すのは……ってこと?」
「じゃあ、前に言ってた五・七・五っていうのも……」
善子はルビィと花丸の問いに答えず、ただ黙って窓の外を見つめていた。
「よっちゃん、なんで堕天使にこだわるんだろうね?」
「……わからない」
遼香は、お手上げのポーズをした。
「わからないけど……あいつなりの、あいつしか知らない、特別な理由、譲れない理由があるんだと思うよ。きっと」
遼香もまた、三年前を回想していた――窓際の席でひとり、怪しげな内容の本に没入していた善子のことを。
「『黒魔術の神秘』? どこがおもしろいの、そんな本?」
つまらない優越感からついマウンティングしてしまい、にらみ返されたときの、きつい形相と、放散されるただならぬ
――津島は、ただの中二病じゃない。
自分にとって大切な何かを、深く深く心の奥に秘めてる――
仲間に促されてその場を離れたあとも、遼香は二度三度と、善子の小さく丸めた背中を顧みずにはいられなかった。
「でも、彼女、どうしてあんな素直じゃない態度やものの言い方するのかしら。ほとんど非の打ちどころがないっていうのに。ますますわからないわ」
「あれも昔っからね。私だけじゃなくて、まあ私は非リア充だからほとんど話す機会なかったけど、ほかの子にもよくああいう口の利き方してたわ」
梨子の疑問に、善子は淡々と背中で答える。
「満たされてないんじゃない? 私たちの知らない、例えば家族とか、彼氏のこととか。私は途中からそう思えてきたから、いちいち気にしないようにしてるの。それでもたまにムカつくけどね」
▲▲▲
六月下旬の日曜日、Aqours & Mermaidsは、沼津駅北口の複合施設『プラサヴェルデ』の練習スタジオにいた。
Aqoursはこのスタジオを、前年の秋から使用している。壁の一部が鏡張りでフォームの確認には有効な施設なのだが、年度が改まってからはそれまでのような優先利用ができなくなり、ほかの団体と同様に申し込みをして抽選に当たるのを祈るというかたちになった。しかし競争率が高く、Aqoursが使えるのは月に一度がやっとだった。
貴重な機会を利用して、二年生五人が鏡に向かいダンスの基礎練習をする。手拍子とカウントは梨子が行っている。
前列のマーメイズの二人はきびきびと動作を繰り返す。サイズが大きくスタイルがいい分、Aqoursの三人より映える。ルビィの見立ては間違っていなかった。
「いいね、あの二人」
梨子の隣で見ていた千歌が相好を崩す。
善子は後列で体を動かしながら、遼香の一挙手一投足に自然と意識が向いていた。
同じ日、曜は、インターハイの一次予選にあたる県大会に出場した。
会場は、曜がふだん練習している富士水泳場だ。梅雨のさなかで、灰色の厚い雲が富士山の姿をすっかり隠している。千歌たちが鏡張りスタジオでの練習を優先したため、静真高校からは、いとこの月のほか、三年U組のよしみ、いつき、むつたちが、制服姿で応援に来ていた。
「頑張れー!!」
曜は、苦手なひねり技の難度を下げ、確実に決める作戦で予選突破を図った。この作戦は当たり、大きなミスなくまとめて、余裕で東海地区大会への進出を果たした。
夕方、練習を終えた花丸、ルビィ、菜々実はスタジオの窓ガラス越しに外を眺める。日中にはなかった、どす黒い雲の塊が低空を動いている。
「空模様が怪しいずら」
「善子ちゃんと遼香ちゃん、自転車だから早く帰ったほうが……」
ルビィたちが振り向くと、二人の姿はいつの間にか室内から消えていた。
「手際がいいね」
菜々実が感心する。
「ところで千歌ちゃん、最近ときどき、朝いつものバスに乗ってないわよね?」
「……ああ、ちょっとこのごろ、夜遅くまで詞を書いてるから、時間どおり起きられなくてね、テヘッ」
「ギリギリに教室に駆け込んでくるじゃない。バスが遅れたらアウトよ?」
「そうだね。まあ、大丈夫だよ!」
三年生どうしの他愛ない会話が交わされる。
菜々実は笑みをこぼした。
予選を終えた曜は、母親が運転する車で沼津へ帰る。運転席の真後ろに座り、ガラス窓の向こう側、急速に広がりつつある不気味な雲の行方を追っていた。
「今日は、千歌ちゃんに……千歌ちゃんたちにも、見てもらいたかったな」
ひとり言のように曜はつぶやく。今日の結果は、既に連絡済みだ。
月が左の席から話しかける。
「Aqoursの予定が、こっちの大会と重なってるんだって?」
「うん、ラブライブの予備予選がちょうど次の試合と同じ日になっちゃったんだよ。インターハイ当日は都合がつくと思うんだけどね」
月は屈託のない笑顔で、いとこを激励する。
「ぼくは、曜ちゃんの応援を優先するよ。いよいよ次は名古屋だね」
「うん。これからが正念場だよ。ありがとう月ちゃん」
勢いよく降り出す雨。
その車体を叩く音に包まれながら、曜は、ふだん人前では見せない、不安げな表情を浮かべていた。
絶え間なく打ちつける水滴で、ドアガラスの外は一寸先も見通せない。
善子と遼香は、帰途に就いたわけではなかった。
プラサヴェルデには屋上庭園がある。丈の低い草木でイングリッシュガーデン風に仕立てられているが、沼津駅や町の中心部を望む南側は白いタイルが敷き詰められ、移動式の白いテーブルと椅子が間隔を空けて整然と並んでいる。
二人は、そこにいた。
タイトな黒Tシャツ、白いティアードショートパンツに黒のニーハイソックスを合わせた善子。赤いTシャツとグレーのジャージパンツを着た遼香。練習着のまま間合いを置いて相対する二人に、冷気を帯びた風が当たる。遼香の黒髪が大きくたなびき、善子の肩の後ろで紫のシュシュが揺れる。
善子は、顔の前で垂らした指の間から遼香ににらみを利かせながら、低い声でいつもの道化を演じてみせる。
「なんの用? ここで魔王サタンでも召還するつもり?」
「あいにく私、そんな闇の魔力持ってないけど。あなたと違ってね……堕天使ヨハネさん?」
遠くから、重く鈍い雷の音がする。
町の景色が開ける左側へ体を向けた遼香は、顎の角度を上げ、腕を組んで話し始める。
「配信動画、全部見せてもらった。最高だった……これ、お世辞じゃないから」
暗く覆われた空から、雨が降ってきた。
「ユニーク……個性的……ありきたりの言葉じゃ表現できない。どう言えばいいのか……独特な、感性……あまりに独創的。だから、誰もまねできない。『バカ』すぎる」
乱れる長い髪を、語りながら右手でかき上げる。『バカ』の部分は、強めに発音された。
「しかもよーく見たら、あなた、そこそこ美形だよね?」
遼香は含みのある流し目を善子に送り、再び真横を向く。
「津島のこと、中二病をこじらせたまま高二になっちゃった、かわいそうな子としか思ってなかったけど……少しだけ見直した」
遼香の声が、最後かすかに震えた気がした。これは褒め殺しなのか、それとも単にディスっているのか。善子は意図を測りかねた。
しかし――
「……でも、しょせんあなたはそれだけ」
そのセリフで、善子は全身が熱くなるのを覚えた。沸き上がる激情を抑えられない。
「あんた、けんか売ってんの!?」
「そうよ」
断言した遼香は、不敵な面構えで善子に向き直る。
雨が滝のように、音を立てて落ちてきた。
遼香は腕を組んだまま、激しい風雨と近づく雷鳴にかき消されないよう声を張り、堕天使に挑みかかる。
「教えてあげようか? 私がスクールアイドル始めた、本当の理由。
――あなたに勝つため。
私は、堕天使以外のことなら、全部あなたに勝ってる。
あなたができるんだったら、私にだってできる!」
スクールカーストの頂点に君臨した同級生の尊大な姿が、魔王のごとくよみがえる。それでも善子は、堕天使のポーズのまま微動だにせず、片方の奥歯をきつく噛みしめながら、遼香の挑発を正面から受け止めた。
勢いを増す風と横殴りの雨で頭からつま先までずぶ濡れになりながら、二人は互いに視線をぶつけ合う。
遼香の斜め後ろ、
「教えてあげる。私がAqoursからのオファーに応じた、本当の理由。
――あなたに勝つため。
同じユニットの中で競い合えば、優劣がはっきりするでしょ?
それを、あなたに見せつけてやるの!」
遼香は仁王立ちで右腕を強く伸ばし、善子を指差す。
だが、その表情は攻撃的な物言いとは裏腹に、追い込まれているように善子には映った。紅潮した頬や大きく開かれた瞳からは、余裕がうかがえない。口角は下がり、肩で息をしている。
善子は感じた。
――違う。
これは、あのころの遼香じゃない。
怒り? 焦り? 痛み? 嘆き?
それとも……それとも、まさか……?
見えない波動が、善子を深く共振させ、
呼び覚ました一つの記憶。
あのときも、激しい雷雨だった。
鮮明に再生される、声。
『お前ら……お前ら最低だーーっ!!』
荒れ狂う嵐に身をさらし、遼香は叫ぶ。
「私は、あなたより……」
あのときと同じ、ありったけの声で――
「あなたなんかより、ずっと輝いてみせる!!」
線路向こうの紅白の電波塔に、天から白い光が放たれる。
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次回 #5「Lose control」