ラブライブ!サンシャイン!! Beyond the Horizon 作:Le Nereidi
七月に入った。三年U組の窓の外には、梅雨の合間の夏空が広がっている。
静真高校は全館冷暖房完備で、教室での練習もはかどり、Aqours & Mermaidsはパフォーマンスの質と精度を急速に高めていた。
「じゃあ、このへんでいったん休もうね」
振付とトレーニングコーチを担当する菜々実の合図で、練習が一時中断される。善子はすぐさま黒マントを羽織って、冷気のたまりやすい、エアコンの吹き出し口の下に寝転んだ。
「クックックッ。新たなる約束の地に降り注ぐ天界からの波動で、漆黒の闇が浄化されてゆく……」
花丸も、隣で無邪気にあお向けになった。
「涼しいずらー! 未来ずらー!」
「……前の学校って、エアコン付いてなかったの?」
遼香は、身長のわりに発育のよい花丸の上半身の隆起に目をやりながら、
「千歌ちゃん、飲み物を買いに行くけど?」
「みかんジュースお願い!」
千歌は元気よく挙手し、梨子におつかいを頼む。
「お、おらもパンを買いに」
花丸は起き上がり、あとを追った。
「ちょっといいかな」
ルビィが菜々実に声をかけて、教室の前方へ寄せられた机の塊へ場所を移す。二人は手近な椅子に座った。
「ダンスのレベルを、もうちょっと上げてみたいの。一番のBパートの部分なんだけど、動きが少ないから、ほかの要素を入れられないかな」
ルビィの飽くなき向上心に、菜々実は感心する。
「うん、わかった。考えてみるね」
「それから」ルビィは声を潜める。「菜々実ちゃんの歌なんだけど……もっともっと頑張ってほしいの」
「……」
菜々実の顔から明るさが消える。
「菜々実ちゃんのソロパートをなくして、七人のユニゾンで目立たないようにしてるんだけど、やっぱりわかっちゃうんだよね……音程のずれが」
「……」
「今のままだと、まずいかもしれない」
ルビィの目は真剣だ。
「うん……頑張る」
そうとしか言えなかった菜々実は、ぽってりした唇を無意識のうちに噛みしめていた。
「私のどこがダメだっていうのよ!」
突然、善子のヒステリックな声が響く。
「吉原の指示どおり動けてないじゃん?」
見ると、遼香が挑発していた。
「そういうあんたはどうなのよ? あんただって四苦八苦してるじゃない!」
「あんたよりはマシだよ! 津島はいつもコンマ数秒遅れてるでしょ?」
「測ったんかい!」
「測るまでもなく見りゃわかるんだよ!」
二人は立ったまま、互いに煽り合う。
「また始まっちゃったね、遼香とよっちゃん」
「なんであそこまで仲悪いんだろう……」
菜々実とルビィは苦悩する。
「ルビィ、あの二人がサブで本当に大丈夫?」
「パフォーマンス自体は、ルビィが考えてたとおりにできてるの。遼香ちゃんが言うほど善子ちゃん悪くないし」
「なのに、いつもけんかしてるね。ささいなことで」
「うん。でも……だから、結果が出さえすれば、仲も収まると思うんだよね」
ルビィはそう言いながら口論を放置し、千歌の黄色いスマートフォンで練習の出来栄えを確認する作業に没頭し始めた。
千歌は、自分の席に座り、机に頬杖をついたまま、犬も食わないファイトをつまらなさそうに眺めている。
善子と遼香は野放し状態だった。
「だいたいあんた、アイドルとして、表情がなってないわよ!」
「どこがよ?」
「遼香はいつも、歌ってるときの表情が硬いの。あんた自分でわからないの?」
「自分で自分の表情がわかるわけないでしょ?」
「そんなんだから予備予選にも出られないのよ!」
「なんだって?」
業を煮やした菜々実が近づく。
「ねえ、もういいかげんに……」
「「おまえはすっ込んでろ!!」」
二人から、ユニゾンで暴言を浴びた。困り顔の菜々実は千歌のもとへ歩み寄る。
「千歌さん、どうにかしてください! 私じゃ手に負えません!」
ところが千歌は、あろうことか、ぼんやりした表情のまま
「あ、ごめん、ちょっとトイレ行ってくる」
と取って付けたように言って、教室からふらふらと出ていってしまった。
表面に露が付いた紙パックのみかんジュースを両手に携え、梨子は鼻歌を歌いながら階段を上がる。
上りきって教室へ向かおうとしたとき、黄色い練習着が一瞬視界の隅に入った。振り返ると、千歌がトイレの前の廊下でうなだれている。梨子は鼻歌を止め、ジュースを渡そうとしたが、いつもの千歌とは違う気配で、ためらった。
教室から言い争う声が聞こえてくる。
「またあの二人ね」
梨子は渋い顔をしながら、開いたままだった教室後ろ側の出入口に立ち、口論する二人をにらみつけた。当人たちはまだ気づかない。菜々実が焦る。
しかしそのとき、花丸が梨子のすぐ脇をすり抜けてつかつかと入室し、善子と遼香の頭に両手できつく手刀を振り下ろした。
「えいっ」
「
「いいかげん二人ともやめるずらぁ」
ルビィがスマートフォンから顔を上げる。
細長い菓子パンを練習着の背中に斜めに突っ込んだまま、教師のように凛とした態度で花丸は諭す。
「ほかのメンバーをディスったところで誰の得にもならないずら。そんな暇があったら自分自身を高めるために、各自が今できることをやるずら。わかったずら?」
「……はい」
「わかったわよ」
遼香も善子も、あっさり花丸の言うことを聞いた。菜々実が目を丸くしている。
梨子はもの憂げにつぶやく。
「あの子をコントロールできるのは、花丸ちゃんしかいないのかしら」
そして視線を、手元の二個のみかんジュースから遠くの千歌の背中へ移した。
廊下の奥の方で立ちつくしたままの千歌は、こぶしを握りしめ、ひとりで葛藤しているようだった。
▲▲▲
「本番まであと八日ずらね、菜々実ちゃん」
「ここから一気に仕上げてかないとね」
期末試験が終わった日の放課後、三年U組の教室に、七人が久しぶりにそろった。長雨を含んだ風が、窓の外の木々を揺らす。
「ちょっといいかな」
ルビィが全員を目の前に集める。
「みんなには急な話だけど……今日から演出プランを一部変更します。これはルビィの……リーダーの私の一存で、決めさせてもらうね」
ほかのメンバーはなんだろうと、互いに見合う。
「菜々実ちゃん」
ルビィは菜々実の目の前に進み出て、厳粛な面持ちで、静かに告げた。
「菜々実ちゃんは、もう歌わなくていい」
菜々実の柔和な表情が一変する。
「……ルビィちゃん」
千歌が思わず漏らす。
菜々実は突然の通告にも、取り乱したりはしなかった。むしろほかのメンバーのほうが、驚き動揺している様子だ。
「ちょっと待って、ルビィ……」
「その分、パフォーマーとして、みんなに貢献してほしいの」
花丸がはさんだ言葉に耳を貸さず、ルビィは新たな役割を菜々実に課す。
「……わかった」
菜々実は一切あらがわず、リーダーの要請を受け入れた。
「私の力不足で、ごめんなさい」
申し訳なさそうに下を向き、弱った小鳥のような声で答える。
しかし――
「……何それ?」
隣で、遼香が体を震わせている。
「ちょっと待ってよ、あまりにひどすぎるじゃない!」
遼香は、憤りと声量を抑えられなくなった。
「なんでこの時期なの? それに一方的で、しかもはしごを外すようなやり方で! 黒澤、あんた卑怯だよ!」
「予選で負けるわけにはいかないの! ラブライブは遊びじゃない!」
ルビィは涙目で、遼香に対して初めて、真っ向から言い返した。
「だけど、やり方が汚いよ! さんざん吉原に練習させといて、ダメだからポイって、無礼にもほどがあるでしょ!」
「何きれいごと言ってるの? 努力しても結果が伴わなかったんだからしょうがないじゃない?」
善子は冷たい言葉を放った。
「あんたは黙ってろ!」
「あんたとは何よ!」
「もうやめてよ! 全部私のせいだから、ルビィを責めるのはやめて!」
菜々実が悲痛な声で叫ぶ。
「吉原が納得できても、私は納得できないんだよ! なんだよ、このAqoursってクソみたいなグループ?」
遠慮のない罵倒を浴びて、千歌は反射的に頬の筋肉がつり上がる。
「結局あんたたち、私たちの都合のいいところだけ利用して、つまみ食いするつもり……」
「いいかげんにしなさいっ!!」
教室の外まで通る、梨子の怒鳴り声。おりしも廊下を歩いてきた、膝丈スカートの生徒が萎縮して足を止める。
たじろいだ遼香に梨子は鬼のような形相で詰め寄り、赤いTシャツの胸ぐらをつかんで、鈍い音とともに、廊下側の壁に体を叩きつけた。
「あなたねぇ、自分の行動が周りにどういう影響を与えてるかわかってるの? あなたが入ってから、引っかき回されてもうめちゃくちゃよ!」
これほど怒りをあらわにする梨子の姿は誰も見たことがない。殴りかかりそうな勢いだ。
「ルビィちゃんはねぇ、断腸の思いですべてを背負い込む覚悟なのよ? それに比べてあなたはなんなの? あまりにも自分勝手すぎるわ! 恥を知りなさい!」
遼香も、たまりにたまった不満が臨界点を超えつつあった。至近距離で梨子をにらみ返す。
「私だってよくしようと努力してるし提案もしてる、なのにこれまでの扱いはいったいなんなんですか? 私たちはあんたたちの駒じゃない……ふざけるな!」
一歩も退かない遼香に、梨子は、勢いに任せて言葉をぶつける。
「私たちのやり方が気に入らないなら、出てってもらってかまわないわよ!」
数秒の間を置いて、遼香は、ふっと表情を緩めた。
「とうとう馬脚を現しましたね……やっぱりそれが、Aqoursの本音だった。ここしばらく、毎日考えてたことの結論が、たった今出ました」
遼香は梨子の手を力任せに振りほどき、鋭利な単語を用いて自らの態度を示す。
「私、ラブライブ予備予選出場を、拒否します!」
「遼香ちゃん……」
「お、落ち着くずら」
「遼香、早まったまねはやめて!」
次々と声を上げるルビィ、花丸、菜々実に向かって、遼香は言う。
「ううん、これは、急な思いつきじゃなくて……ずっとずっと、考え抜いた末の結論だから。『対等』っていう前提条件が
胸中を吐き出し、すがすがしい表情になった遼香は、眼前の梨子に冷ややかな視線と強烈な毒を浴びせた。
「……好きにしなさい」
梨子も譲らない。強気に吐き捨てる。
泣き出しそうな菜々実に、遼香は優しく語りかけた。
「吉原がこれからも、この人たちのやり方に耐えられるなら、ともに行けばいい。私は耐えられない……ごめん」
そう言い残して、教室から出ようとすると――
「待ちなさいよ!」
善子が駆け寄り、立ちはだかった。
「あんた本気なの? 引き返すなら今のうちよ。菜々実とは違って、あんたの出来は悪くないんだから……つまらないプライドなんて、ゴミ箱にでも捨てたら?」
善子は落ち着いて相手の目を見据え、真剣に説き伏せる。そこには、以前見せた激しい敵意も、蔑みの態度もない。
遼香の瞳がかすかに泳ぐ。
「千歌もぼーっと突っ立ってないで何か言いなさいよ! みんなほんとにこれでいいの?」
千歌は何か言おうとしているかのようにも見えたが、一言も発さなかった。ルビィは
サイは、既に投げられてしまっていた。
「遼香ち……」
「残念だけど、終わりにする……楽しかった」
目を伏せながら花丸の呼びかけを遮った遼香は、引き留める善子の手を払い、教室の出入口へ歩いていく。
「遼香!」
善子に呼び止められた遼香は出入口で振り向く。
「一言言わせて。私、あんたのこと……」
遼香は、悲しげな表情だけを残し、教室から飛び出していった。その後ろ姿を一人の生徒に廊下で目撃されていたことなど、知る由もない。
追いかけようとした善子の手首を、梨子が強くつかむ。
「ほっときなさい! 『去る者は追わず』よ!」
「リリー……」
善子が驚いて振り返る。梨子の顔には血が通っていなかった。
「残酷かもしれないけど、ラブライブのため……ルビィちゃんは悪くない。受け入れてくれた菜々実ちゃんには、心から感謝するわ……さ、練習、始めましょ。千歌ちゃん、準備お願い」
冷徹に、平然と場を仕切る梨子。
言われたとおり黙々と、撮影に使うスマートフォンの準備にかかる千歌。
下を向き、目を腫らし、何度も鼻をすする菜々実。
涙をため、懸命に気持ちをこらえながら、過呼吸を繰り返すルビィ。
そんなルビィに、文字どおり体ごと寄り添う花丸。
統制を失いつつあるメンバーの様子を目の当たりにし、善子は悔しさと怒りをにじませながら、つぶやく。
「私、あんたのこと……」