ラブライブ!サンシャイン!! Beyond the Horizon   作:Le Nereidi

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#6 今を楽しめ!!(2)

 井上先生はその日、三島市民文化会館大ホールの観客席で、手元のプログラムに目を落としていた。

 教え子たちの出番まではまだ少し時間があったため、外の空気を吸いに行く。傘を広げて建物から出てみると、正面広場の先の道端に、若い女性の人影を捉えた。緑の傘にグレーのロングコート、足元にはブラウンのキャリーケース。左側、つまり三島駅に通じる方を向きスマートフォンを耳に当てている。服装や身長から高校生には見えなかったが、どこか覚えのあるショートカットの彼女は突然叫んだ――「遼香をひとりになんてできない!!」と。

 ゆっくり歩み寄ると、通話を終えたその女性がこちらへ顔を向けた。

 悲しみをたたえた、大きくつぶらな瞳――本来なら楽屋にいるはずの、自校の生徒だった。目の周りを紅色に腫らし、ふっくらとした頬は、雨か何かでひどく濡れていた。

 

 

「吉原さん、こんなこと言ってたわ……『ステージに立つのも一緒、立たないのも一緒』って」

「……」

 五人は言葉を失う。Aqoursから離れていった菜々実の真意を、完全に読み違えていた。

「あなたたちの今後の活動について、私からどうこう言う話ではないのだけど」

 顧問とはいえ、スクールアイドルに類する経験がなく知識も乏しい一教師が、部活動の内容やあり方について助言できることは、おのずと限られる。

「ただ、二人には二人の、考えとか、思いがあるんじゃないかしら? これからもこの部屋で、顔を合わせながら活動していくんでしょう?」

「……」

「失敗は成功の糧。まずは、自分たちで解決してみなさい」

 慈しむようなまなざしで優しく言い残し、井上先生は部室から去った。

 

 

 ルビィが、訥々(とつとつ)と語り出す。

「なんでこんな結果になっちゃったのか、何がいけなかったのか……それを、みんなできちんと話し合わなくちゃ。でないと、遼香ちゃんと菜々実ちゃんにこれからどう接していけばいいのか、わからないよ」

「そうずらね。でも、すぐに答えが出るとは思えないずら」

「ほっときゃいいのよ!」

 穏やかな花丸と対照的に、善子は感情をあらわにする。

 部室に、気まずい空気とエアコンのかすかな作動音だけが漂う。

 やがて、千歌が静かに言った。

「夏休みの間、することなくなっちゃったから、みんなでじっくり考えてみようよ」

「……そうね」

 梨子が応じる。

 曜は、一呼吸置いて空気を読みつつ、慎重に、話題を軌道修正する。

「詳しい経緯は、おいおい聞かせてもらうとして……とりあえず次のライブだけど、『楽しくやる』ってことを目標にしない? 順位がつくわけじゃないし、余計な力を抜いてさ」

 千歌はすぐに賛同した。

「私も、来週はそれでいいと思う。多少のミスは気にしない。まずは、歌ってる私たちが楽しくなきゃ。でないと、見てる人だって楽しくないんじゃないかな」

 それを聞いて、花丸はかねかね思っていたことを、口にした。

「このところ、結果を求められるステージが続いて……それに、誰かを説得するためだとか、励ますためだとか」

 話しながら、ときおり左隣のルビィをうかがう。ルビィは首を前に傾け、その両手は力なくももの上に置かれている。顔色の赤みは失せ、口は半開きで、長机に視線を落としつつも、焦点は定まっていないようだった。中学以来の付き合いの花丸が見たことのない、やつれた姿だ。

「そろそろ、マルたち自身が純粋に、スクールアイドルを楽しみたい……ルビィちゃん、今度のライブ、肩の力を抜いて、やってみる?」

 問いかけに対して、答えはすぐに返ってこなかった。

「うゅ……善子ちゃんと、梨子ちゃんは?」

「ヨハネ。去年の今ごろも同じようにしょぼくれてたけど、結局花火大会のライブ、やったわよね」

「そうね、いつまでもくよくよしてても始まらないものね。ステージで失った自信は、ステージで取り戻すしかない」

 二人とも、自らを諭すような口調で、懸命に前へ進もうとしている。

「……じゃあ、次のライブは……予定どおり、やる……ということで……頑張ろう」

 ルビィは、リーダーとしてそう決定したが、声にまったく覇気がなかった。言葉に気持ちが追いついていない。

「ルビィちゃん、そうじゃなくて……」

 花丸はルビィの顔を優しくのぞき込みながら、いつもの手振りをしてみせた。こぶしを握り、肘から先の両腕を目の前で縦に閉じてから、左右へ開く。

「ぁ……が、がんばルビィ……」

 ルビィはか弱い声で言い直す。手振りは伴っていない。

 花丸はたまらず席を立ち、ルビィを背後から包み込む。

「元気出して、ルビィちゃん。昨日の失敗は、みんなの失敗だよ。だから、ひとりで抱え込まないで」

「花丸ちゃん……」

 ルビィは今にも泣きそうだ。

「大丈夫、できるよ! この六人なら!」曜は立ち上がる。「ライブまで日にちも迫ってるし、今日中に、歌う曲だけでも決めちゃわない?」

「そうだね。曲決めないと、練習できないしね!」

 快活さを取り戻した千歌だったが――

「私、歌いたい歌があるんだ。最後に」

 曜の発言で、びっくりして声が出そうになった。なんとかそれを、誰にも聞こえない音量までに押し殺す。

「……最後?」

「え? あ、違う違う、ライブの最後でって意味だよ。それじゃあ行くよー、夏まつりの熱いステージへ、全速前進、ヨーソロー!」

 梨子に言い直してからいつもの口癖と敬礼を朗らかに繰り出す曜の様子を、千歌は曇った顔で見つめていた。

 

 

   ▲▲▲

 

 

 その夜、ルビィは、灯りを消した自分の部屋で、ベッドに横たわっていた。窓越しに、淡い光がボブ丈の下ろし髪を柔らかく照らす。

 

――菜々実ちゃんと音信不通になって、五人でやるんだって覚悟を決めて、フォーメーションを組み替えたのが、本番の四日前……花丸ちゃんが心配したとおりになっちゃった……

 

 ステージで転倒した瞬間が幾度となく頭の中を巡るが、そのあとの記憶はしばらく途切れている。気づけば楽屋で泣き濡れていた。

 

――菜々実ちゃんから歌を奪ったのも、フォーメーションを変えたのも、最後に決めたのはリーダーの私。

  だって……約束したから。

  それに……証明したかったから。

  お姉ちゃんたちがいなくても、Aqoursはできるって。

  お姉ちゃんがいなくても、ルビィはできるって!

  なのに……

 

「お姉ちゃん……」

 瞳の奥から、喉の奥から、悲しみが込み上げる。

 ルビィは、ゆっくり上体を起こす。春から使い始めたスマートフォンを手に取り、メッセージアプリを開いた。まだ返事をしていない、一日前のメッセージがあったのだ。

 

  お疲れさま。

  とりあえず、今夜はゆっくり

  お休みなさい。

 

 ルビィは鼻をすすり目元を拭う。小さな身にまとうネグリジェは、姉のダイヤとおそろいのものだ。

 いつもそばにいてくれた――悔しいとき悲しいときは泣きついて、甘えることができた、慰めてもらえた。今は叶わない。

 ルビィは通話アイコンに指を伸ばしたものの、寸前で止める。

 幼い日、走り回るうち転んで大泣きしたときを思い出した。

 

――ルビィは強い子でしょ? ほら、勇気をお出しなさい!

 

 額にそっと触れた唇の柔らかさ、そして、温かみがよみがえる。

「お姉ちゃん……」

 

 

 結局ルビィは、電話をかけた。

 ベッドとは逆の海側に面した窓を開け放ち、スマートフォン越しに語りかける。梅雨が明け久しぶりに見る、満天の星。夜風が、奥駿河湾からほのかな潮の香りを運んでくる。

「ごめんね……約束、果たせなくて」

 電話口の向こうは黙っている。

 やがて、返事がぽつりぽつりと返ってきた。

『前回は、私。そして、今度は、あなた……難しいものね。ラブライブって』

 函館の鹿角理亞だ。

 低い声で慎重に発話された言葉の端々からは、敗れし者への気づかいが感じられる。七ヶ月前の地区予選で理亞が味わったひどい悲しみと苦しみを、ルビィはようやく、本当の意味で理解できたと思った。

「……でもね、今日から練習再開したの」

『ほんと? 合同ユニットは?』

「それは、まだ……でも、Aqoursだけでも、立ち上がって、走り出さなきゃって思ったから」

 ルビィは自らを元気づけるように、少しだけ声のトーンを高めた。

 再び、会話の間が空く。

 下ろし髪とネグリジェの薄い布地をふわりとなでながら、涼風が通り過ぎた。

『……強いんだね。ルビィは』

 ルビィはほんの一瞬、息が詰まる。思わず(かぶり)を振った。

「そんなことない。ルビィはリーダーとしては全然ダメだよ。花丸ちゃんや千歌ちゃん、曜ちゃんたちに、助けてもらってばかりだし」

『私だって……晶妃(あき)萌枝(もえ)、それに、(ともり)(ほたる)。四人のおかげで、ここまで……ううん、それだけじゃない』

 理亞は言った。実感のこもった口ぶりで。

『黒澤ルビィ。あなたがいたから、やっと……やっとここまで来れた』

 ルビィの心はじんわり温かくなった。

 遠い空の下にいる友が、手を伸ばせば届きそうなほど近くに感じられる。理亞は今、どんな夜空を見ているのだろう。北斗七星、北極星、カシオペア――函館から見える星座も同じなのだろうか。

「理亞ちゃんたちは、予備予選トップ通過だね。おめでとう」

『ありがとう。でも、道南ブロックはレベル高くないから。私たちがやりたいことの、四十パーセントしか出せてない』

「そうなんだ。楽しみだなぁ、理亞ちゃんたちの百パーセント」

『……ルビィ』

 理亞の口調が、改まる。

「何?」

『アキバドームには、あなた一人で優勝旗返しに来るんでしょ?』

 言われて初めてルビィは気づいた。

「……そうだね」

『その優勝旗、私たちがもらって帰るから』

「……」

『いちばん高いところからの景色を、見てくるから』

「……理亞ちゃん」

『だから、その次。来年の春、同じステージで……また会おう。絶対に!』

 挫折を乗り越えてほしくて力を貸した相手が、今は自分に勇気をくれている。

 端末を強く握りしめ、ルビィは心から理亞たちの優勝を祈った。

「うん。ありがとう……必ず、会おうね」

 

 

 通話を終えたルビィはおもむろに、細い右腕を窓の外へ伸ばす。目指す約束の場所は、数百光年のかなたで瞬く星ほどに遠く思える。

 虚空をつかむように動かしていた指が、不意に止まる。

 誰かの手に触れた気がした。

 

――強いんだね。ルビィは――

 

 つい今しがた受け取った言葉に続いて、ツインテールの無愛想な顔がふと浮かぶ。ルビィはかすかに頬を緩めた。

 明日は今日よりも、少しだけ頑張れそうな気がする――

 そして、改めて姉のメッセージを開き、たどたどしい一本指で返信を入力する。

 ルビィの心の針は再び、動き始めた。北の空をゆっくりと回る星座のように。

 

 

   ▲▲▲

 

 

 曜は泳いでいた。

 蒼い空と(あお)い海を分かち大きな弧を描く水平線。その先へ、その先の景色に向かって、Aqoursの仲間と一緒に、曜は泳ぐ。

 不可解なことが起きた。

 水を手でかいても、足で蹴っても、空気をかき回しているみたいで、前へ進んでいる感覚がない。

「あれ……あれ?」

 ストロークのピッチを上げる。だが、千歌たちとの差は次第に広がっていく。

 だんだん息が切れてきて苦しい。

 曜は焦る。

「待って! みんな、待ってよ!」

 大声で懸命に呼んでも、届かない。五人の姿が小さくなる。

 曜は、海原にひとり取り残されつつあった。

「千歌ちゃん、待って!」

 泣きながら友の名を叫んだ。

「千歌ちゃん! 千歌ちゃん!!」

 ――自分の声で跳ね起きる。暗い部屋。タンクトップを着た上半身は汗ばんでいた。

 ベッドから飛び出て、窓際に飾ってあったフォトスタンドを手荒につかみ、乱暴にカーテンを開けた。

 薄明かりで浮かび上がったフレームの中を、曜は見つめる。運動会のおり笑顔でピースする、小学生の千歌と自分を。

 激しい息づかいのまま、曜は涙目で、大切な写真を抱きしめるのだった。

 

 

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