ラブライブ!サンシャイン!! Beyond the Horizon 作:Le Nereidi
沼津の中心部では毎年七月下旬、沼津夏まつりと狩野川花火大会が二日間にわたって開催される。
沼津駅から南へ延びる大通りは歩行者天国となり、屋台やパレードで大いににぎわう。花火大会は、市街地のまっただ中で行われる大規模なものとあって、市内外からの大勢の見物客であふれかえるのが常だ。
Aqoursは一年前、花火大会において河川敷の特設ステージで歌を披露する機会を得たが、今年は昼間、市役所と市民文化センターの間に位置する広大なイベントスペースで歌う。アスファルトで舗装され日常的には平面駐車場に供される敷地の一角に、大人数のブラスバンドや合唱隊なども余裕で収まる幅広のステージが、市役所を背にして設営されている。
開演まではまだ三十分以上あるが、徐々に人が集まり始めていた。梅雨明け直後の強烈な日射が、ほぼ真上から降り注ぐ。
「いい絵が撮れそうだ。取材申請しといてよかったぁ!」
観覧エリアのいちばん後ろで、小ぶりな脚立に上がった月は上機嫌だ。学校を代表して申請したので、この日はスラックスの制服で、首から取材許可証をぶら下げている。
「曜ちゃん、いつになく気合い入ってたからなあ」
月は試し撮りをするため、右手に持った小型ビデオカメラをステージの方へひょいと向け、ビューファインダーのアイカップを右目に当てる。
ズームした画面に、女子高生たちがもめている様子が映った。何人かは赤いスカーフにグレー襟、半袖の白セーラー服を着ている。
「あれって……」
ステージの前では、千歌たちのクラスメイト十数人が言い争っていた。
「今の学校の連中に私たちの母校をバカにされて、もう我慢できないよ! あの二人だって、千歌や梨子をさんざん困らせたあげく、予選をドタキャンしやがって、私たちのAqoursの顔に泥を塗ったんだよ? 絶対許せない!」
むつが不満をぶちまける。後ろには同じ制服を着た、険しい表情の女子生徒が六人いる。
「だからって、こんな所にまで浦女の制服着てくることないのに」
よしみが、むつをいさめる。右後頭部で髪を短く束ねたよしみは、赤いTシャツに水色の薄手のジップアップパーカーというふだん着だ。ほかにも、私服姿の同級生が七人、むつたちを制止すべく参集している。
「ここは学校じゃないんだから、何を着ようと私たちの自由だよ!」
むつは聞く耳を持たない。カチューシャであらわになった額に、点々と汗の粒がにじむ。
「それより、いつき! あんたこそなんでそんな服着てんのよ? 魂売ったね?」
「何よその言い方? 自分の学校の制服着てきてどこがいけないの?」
いつきは、生徒会役員としての立場から、あえて静真高校の制服を身に着けてきた。ふだんから
月は仲裁に入ろうと、ビデオカメラを手に持ったまま、人混みを縫うように現場へ向かった。
「またあの子たちかぁ……」
セーラー服軍団の背後から月は近づく。
いつきと目が合ったと思ったとき、聞き覚えのある女性の声が――
「何をごちゃごちゃとやっているんですの?」
気高く、しかし幾ばくかの不快感を伴った、通る声。
「せっ、生徒会長!」
いつきのリアクションに、月は一瞬自身のことだと思い、ぼく? と言いたげに、自分の顔を指差す。
むろんそれは勘違いだった。
「元、生徒会長ですわ」
振り向くと、声の主がいた。
吸い込まれそうな神秘的な瞳、眉に沿って真一文字に切りそろえた前髪。高い位置でベルトを締めた
黒澤ダイヤである。
ストレートロングの黒髪を揺らし悠然と歩みを進めるダイヤは、月に気づくと微笑みながら会釈し、一年下の後輩たちの前で足を止めた。二十四人しか生徒がいなかった学年なので、元生徒会長の頭には全員の顔と名前が記憶されている。
「みなさん、Aqoursのライブを見に来てくださったのですね」
「はい」
よしみが答える。
「静真高校でも、引き続きAqoursを応援してくださっているようで。グループのOGとして、また黒澤ルビィの姉として、改めて感謝いたしますわ」
ダイヤは丁寧におじぎをした。恭しい話し方、そして品のある立ち居振る舞いは、在学時とまったく変わっていない。
「ところで、むつさん」
丁重だった口ぶりが、一転して鋭利になる。
「そのかっこうは、いったいなんのまねですの?」
ダイヤから
むつは勇気を出して、自分たちの真意を説明し始める。
「ぼ、母校愛です!」
「……母校愛?」
ダイヤは小首をかしげる。
「浦女出身の私たちは、今の学校の指導者や生徒たちから、不当な仕打ち、嫌がらせを受けてるんです! ここにいる元剣道部の二人がそうだし、Aqoursもきっとそれであんなことになっちゃったんです!」
監督に干されたあげく剣道部を退部した二人も、恩義を感じて、この日むつたちと行動をともにしていたのだった。
むつの言葉に熱が入る。
「とにかくそれが許せなくて、こんちくしょう、浦女をバカにするなって気持ちで……」
「浦女への母校愛なら、わたくしももちろん持っていますし、いつきさんたちも同じようにお持ちではないかと」
ダイヤは、いつきたちを
「剣道部の詳しい事情は存じませんが、それでもあなた方が、この場であえて浦女の制服を着ることに、どういう意味があるんですの?」
「それは、その……」
冷たいまなざしから放たれる圧に一度は口ごもりつつ、むつは言い切る。
「……デモンストレーションです!」
「デモンストレーション?」
とたんにダイヤは整った顔をゆがめ、不機嫌な声を発した。
それでもむつは、ひるまず気持ちを込めて話し続ける。
「私たちの浦女は素敵な学校だったんだって、Aqoursを生んだすごい学校なんだって、今の学校の生徒や沼津の人たちに対して、このイベント会場で……」
「お黙らっしゃい!!」
突然の一喝に、むつは震え上がった。
「ひっ……」
「愚か者っ!!」
ダイヤは人目もはばからず、大声で強烈な雷を落とした。
「なんて恥知らずな……自分たちの行動が周りからどう見られているか、よーくお考えなさい! あなた方の軽率な振る舞いによって亡き母校の名誉が汚された場合、いったいどうやって責任を取れるんですの?」
大和撫子が鬼に変じた。胸の前で握った右手を小刻みに震わせる。
セーラー服の集団は、肩を寄せ青ざめるばかりだ。
「制服は学校の象徴であり、すべての卒業生にとっての誇り……それをこともあろうに、私怨にとらわれ自由をはき違えたあげく、浅はかな自己主張の道具に使うなど、言語道断ですわ!!」
あまりの剣幕に周囲の耳目が集まっている。
ダイヤは、むつたちに人差し指を向け、糾弾した。
「あなた方は、浦の星女学院の恥さらしです!! 恥を知りなさいっ!!」
威勢のよかった白いセーラー服の少女たちは、すっかり縮こまってしまった。
「そのようなふらちな目的で浦女の制服を着用するなど、最後の生徒会長を務めたこのわたくしが断じて許しません! 今すぐに、ここで今すぐに着替えなさいっ!!」
▲▲▲
「……そんなことがありましたのね。剣道部はもとより、月さんたちにまでご迷惑をおかけしてしまって。後輩の無礼の数々、心よりおわびいたしますわ」
撮影場所に戻った月の隣で、ダイヤは深々と頭を下げた。
「とんでもないです!」
月は、まるで気にしないというふうに、ビデオカメラを持たないほうの手を大げさに振る。
「で、今日はこれを見に東京から?」
「いえ、その、今日は実家から急に呼び出されまして……まあ、帰り道ですし、ついでに立ち寄っただけですわ」
ダイヤの口ぶりはなぜか強気だ。言いながら、唇の下にあるほくろを人差し指でかく。
「ただ……」
「ただ?」
指の動きを止めたダイヤは目を伏せ、声を落とす。
「サボっていたのです……必勝の願掛けを。予備予選なら大丈夫、と思い込んでいたわたくしもまた、心に隙があったのです。ルビィの……Aqoursのために、何もできなかった自分がもどかしくて」
「ルビィちゃんと連絡はとったんですか?」
「予選の次の日、メッセージアプリで少しやりとりをしただけですの。気丈に返事をくれましたが、今どんな具合なのか、心配といえば心配ですわ」
開演時刻が迫ってきた。
上からの日差しと下からの照り返し、さらに、これから繰り広げられるパフォーマンスへの期待とで、会場に詰めかけた人々が体感する気温は、公的な観測記録よりも数度は高いに違いなかった。
観覧スペースはオール・スタンディング仕様とあってか、十代以下の少年少女、それに若い家族連れが大半を占める。かき氷のカップやらうちわやらを手にした浴衣、甚平の客も少なくない。
むつたちは、物販ブースで購入した『Proud NUMAZU』Tシャツをセーラー服の上からかぶることでダイヤの許しを得て、よしみ、いつきたちと最前列に陣取り、「ブレード」とも称される応援用ペンライトを両手に構えてスタンバイする。
ほかにもスリーリトルデーモンズの
観客の中には
ペットボトルの水を含んで喉を潤した華穂は、一息ついてから、繊細な声で不安を漏らす。
「今日こそ、うまくいくといいのだけど」
透き通るような肌、深い二重
炎天下にもかかわらず、華穂はホワイト&ラベンダーの姫ロリ長袖ワンピースと白タイツで小柄な身を包む。裾を膨らませたワンピースはフリルやリボンが多めだが、淡い色調ゆえくどさはなく、華やぎの中に清楚な美を感じさせる。
華穂はさらに、肩に届く内巻きの、シルバーカラーのウィッグの上に、ワンピースと同系色のボンネット帽子を装う。その姿はさながらアンティークドールといった趣だが、どこか
一方レイは、黒キャップを斜にかぶり、オーバーサイズのグラフィティ入り黒Tシャツ、ダークグリーンの迷彩柄カーゴパンツという対照的なスタイルだ。チェーンネックレスのゴールドとコントラストをなす濃褐色の肌が、アフリカンの血を引くことを物語る。
黒くて広い額、二重のくっきりした目、愛嬌のある太い鼻、くいっと上がった口角と顎――ボーイッシュな顔立ちに服装も相まって、外見は、アメリカのダウンタウンにいそうなやんちゃなヒップホップ少年といったところである。連れのロリィタ美少女とはまったく釣り合っていない。
かような二人は会場内で必要以上に目立ってしまっていたが、本人たちは特に周りを気にする様子もなく自然体だ。
「ま、見ものだな」
華穂と違いスクールアイドルにシニカルな態度をとるレイは続けて、低いトーンでひとりつぶやく。
「国木田花丸か……久しぶりだな」
▲▲▲
歓声と拍手に迎えられ、Aqoursは汚名返上の舞台を踏む。
衣装は、三曲目のものを着用している。各自のメンバーカラーと白の二色で構成され、ツーピースとニーハイタイツのすき間から腹部と太ももを露出させている。背側を装飾する布が魚のひれ、胴回りの意匠がうろこのようでもあり、どこか海の妖精を想起させるデザインだ。
『MIRACLE WAVE』のイントロが始まった。
歯切れよいエレキギターのフレーズ。テンポの速いスネアの響き。
ビートに合わせ、六人は腕を大きく動かし、リズミカルにステップを踏む。
観客から、手拍子が自然に湧き起こる。
舞台中央でAメロを歌い出すのは、曜と梨子だ。
二年生三人が合いの手を入れる。
勝手知ったる三年U組の生徒たちがそれに加わり、コールが勢いづく。
続いて、善子、ルビィ、花丸が前面に出て、わちゃわちゃと歌う。
梨子は
曜の外側には千歌が位置する。
Bメロを歌う千歌は、上手へ向かって軽やかにスキップ。
奥に並ぶメンバーは次々と、手を着き脚を後方へ跳ね上げながらうつ伏せに。
そして順々に左向きで片膝立ちし、腕を広げて、千歌の挙動を注視する。
千歌は駆ける。
ロンダートからのバク転――ですれ違う、影。
――??!!
宙高く舞う、千歌と曜。
同時に着地し、互いに敬礼。
――できる!!
どっと沸く観衆。あっけにとられるダイヤと月。
善子、ルビィ、花丸、そして梨子は、千歌と曜の輝きを目の前で見せつけられ、奮い立った。
「ハイ! ハイ!」
むつたちや岬たちから飛ぶ、熱いコール。
鮮やかにサプライズを決めた、曜の笑顔とジャンプが弾ける。
曜とそろってバク転バク宙を成功させた千歌は、自分たちに呼びかけるように、一コーラス目の最後のフレーズを高らかに歌った。
Aqoursは今まさに、自らの力で奇跡を起こし、その波に乗ろうとしている。
***
夏休みで使われてない、学校の小さな体育室。千歌ちゃんと私は、器具庫から重たいマットを数枚引きずり出し、縦長に広げた。
その上で私は、千歌ちゃんと同じ技をやってみる。
「すごーい!」
「意外と、あっさりできちゃったね、えへへ」
なんだかバツが悪くて、頭をかきながら照れ笑いした。
「私が何日もかかってやっとできた技を、曜ちゃんはたった二、三分で……」
「勘違いしないで千歌ちゃん。私、飛込のトレーニングで、ずっと前からマット運動やってたの。だから、いきなり今始めてすぐできたってわけじゃないよ」
フォローを入れたつもりだったけど、千歌ちゃんは、打ちのめされたようにへたり込んでしまった。
「曜ちゃんって、やっぱり特別なんだ。普通の私と違って」
「千歌ちゃん?」
「これなら、最初っから曜ちゃんがやってればよかったんじゃないかな」
「それは違うよ」
間髪入れず、私は否定した。
腰を下ろし、しょげる千歌ちゃんに目線の高さを合わせる。
「あのときは、リーダーで普通怪獣の千歌ちゃんが一生懸命やることに、すごく意味があったと思うんだ」
ラブライブ決勝大会出場と浦女の廃校阻止――Aqoursは二つの運命を、この曲と千歌ちゃんのロンダートからのバク転に託した。
「できなくてもそのたびに立ち上がって、できるまでチャレンジし続けた。私たち、そんな千歌ちゃんからとても勇気をもらった」
「曜ちゃん……」
普通を自認する千歌ちゃんが、何度も何度も転びながら、浜辺で夜通し練習してる姿を目の当たりにして、私は心が震えた。千歌ちゃんとスクールアイドルをやってきて本当によかった、と思う。
「それにね」
私は、多少おどけた口調で、いちばん大切なことを伝えた。
「最初っから私がやってたら、今こうして二人で一緒にはできなかったでしょ?」
千歌ちゃんの顔が、ぱあっと明るくなった。
夏の太陽みたいにキラキラまぶしい笑顔――私はそれを、きっと忘れない。
***
夢中で体を揺らす少年少女たちの縦ノリはうねりとなって、観覧エリアの最前部から全体に
荒ぶるドラムス。疾走するベース。
落ちサビのコールが会場中に響く。
「ハイ!! ハイ!!」
目を輝かせる華穂。
「すごい……Aqoursってすごいんだね、レイちゃん!」
隣でレイは、含み笑う。
開演からわずか三分半で、一帯は熱狂の場と化していた。
センターポジションの曜は、最大級のスマイルを伴いながら自身最後のソロパートを歌い上げ、両指でハート形を作り、キュートにウインクしてみせる。そして、ハイタッチで千歌にセンターを譲った。
横一列の千歌たちは、時間差をつけて同じアクションを起こすことで、下手から上手へ、上手から下手へウェーブをうねらせ、曲を締めくくる。
大歓声の中、Aqoursは再び起動した。