ラブライブ!サンシャイン!! Beyond the Horizon 作:Le Nereidi
「次の曲は、私たちにとって、先週のリベンジになります。見ていてください。『Get over it!!』」
曲紹介を行うのはルビィだ。
会場の最奥部で見守るダイヤは、もはや気が気ではない。
「……ルビィ」
無意識に妹の名を呼び、頬や首筋に生じる汗の粒を拭おうともせず、ハンカチを持った右手を固く握りしめた。
フォービートの力強いイントロに乗って、Aqoursはパフォーマンスを開始する。
ルビィ、曜、そして善子。ソロパートを歌い継ぎながら、六人は一糸乱れず、互いの立ち位置を変化させる。中でも曜は、縦横無尽に動き回り、あらゆるポジションに出没する。
スクールアイドル部の一年生二人は、そんな先輩たちの様子に引っかかりを覚えた。
「こないだと、歌詞が少し違う気がする……」
「全体のバランスも不自然だね」こむぎは雪奈に言う。「これたぶん、六人で七人分をやってる。予選用に準備してた形に戻したんだろうけど」
「……一人足りない」
「うん。渡辺先輩が二人分カバーしようとして、どっちつかずになってる」
***
飛込の地区大会、苦手なひねり技の四本目も失敗して、私はプールから上がる。自分で自分をどうすることもできず、会場の景色がぐるぐる回って見えた。たぶん、まっすぐ歩けてなかっただろう。
最後の五本目は得意技307C――前逆宙返り三回半・抱え型。成功すればかなりの得点になるのに、予選突破まであと何点取ればいいのか計算する余裕もなくて。なんとか飛込台の上までは行ったけど、腰の引けた私は十メートル下の水面を見るのはもとより、小刻みに震える手を手すりから放すことすらできない。
涙ぐみ、おののきながら、私は観念した。
――棄権しよう。
そう心でつぶやき、階段へ引き返そうとしたとき――
「アクアー! サンシャイーーーン!」
アリーナに大きな声が響いた。月ちゃんの声だ。
観客席へ振り向いた私の目に、信じられない光景が映った。
「千歌ちゃん……と……梨子ちゃん……!?」
夢じゃない。来るはずのない二人の姿が、はっきり見える。
月ちゃんの隣で立ち上がった千歌ちゃんが、笑顔で私に大きく手を振る。梨子ちゃんは座ったまま、いつもの優しい微笑を送ってくれた。
手にしたみかん色の吸水タオルに視線を落とした、そのとき。
――!!
私を押しつぶそうとしてたすべてのものが、消えた。
おもむろに顔を上げ、プラットフォームの先を見据える。
――できる。
何も感じず。何も考えず。不思議な感覚を保ったまま、日ごろ練習するとおり飛込台の先端に立ち、両腕を広げ、そして身を翻す。
低くこもった音――瞬時に手からつま先まで伝わる、心地よい感触。肉体が水と同化する。
浮上してしばらくの間、私は高得点を示す電光掲示板をぼんやり眺めていた。温かい拍手と歓声に包まれながら。
***
ルビィが転倒した箇所のフォーメーションチェンジも、この日はスマートにやってみせた。
プレッシャーから解放されたAqoursは、真夏の日差しが降り注ぐステージで、自信あふれる笑顔で躍動した。湧き起こる大きな手拍子に合わせて、
大失敗で負ったダメージは、一掃された。
越えろ! 自分を越えるんだ!
乗り越える前より弱さ知って
超えろ! 自分を超えるんだ!
飛び越える前より強くなるよ
水平線の向こう側 広がる新しい景色
笑いあえる日が来るまで
一緒に……一緒に走ろう!
同時刻、遼香は、狩野川風のテラスに面した遊歩道にたたずみ、反対側の岸辺を見つめていた。
階段状のテラスは桟敷席の準備が整い、
後ろから静かに菜々実が現れ隣に並んだ気配を、遼香は察した。
「ごめん……巻き込んじゃって」
菜々実は首を横に二度三度振ったあと、小声で自らに問う。
「どうしたらいいんだろうね。私たち」
遼香は唇を噛み、視線を落として、しばし黙考する。
「確かなのは……」
そして、答えになっていない答えを絞り出した。
「……謝って済む話じゃないってこと」
楽しそうに往来する人々をよそに、沈んだ面持ちの二人は、別の世界に身を置いていた。
どこからまちがった? すぐにはわからない
それでも それでもぼくは心から叫ぶよ
もう一度 きみと歌いたいんだ
もう一度 きみの声を聞かせて
もう一度……
▲▲▲
スクールアイドルの楽しさを文字どおり謳歌する六人にとって、時の経過はあっという間だった。
ステージ真ん中に立つ曜が、やや上ずった声で曲紹介を行う。
「それでは、これが、
曜にとっては、センターポジションを担う、ひときわ思い入れのある歌だ。前年度に、Aqoursが内浦
光と泡が揺らめく海の底を思わせる、柔らかで幻想的なイントロが会場を包む。
曜は自分に言い聞かせた。
――この五分間を、心の底から楽しもう。
私と千歌ちゃんとの、最高の五分間に――
重低音をブーストしたアップテンポのビートが鳴り始めた。
中央に集まった六人が一人ずつ左右に分かれ、最後に奥から現れた曜がメインパートを歌い出す。ゆらゆらと揺れる両腕が波のようだ。
ルビィ、梨子、善子が、観客を海中の楽園へ誘い込みながら、リズムに乗って跳ねるように歌う。メインの作詞者でもある果南のパートは千歌が受け継いだ。
続いて二年生のパートへ。ふざけ半分で花丸が加筆した歌詞をユーモラスに歌う三人は、先週の痛恨事を引きずる様子もなく、ステージ上のにぎやかなパーティーを楽しんでいる。
***
秋葉原で
キラキラしたスクールアイドルになるんだって、チラシを作って、無許可で部を名乗って、新入生に声をかけまくった。
夢がとうとう叶うんだと思った――
始業式の翌朝、学校最寄りのバス停で、千歌ちゃんの背中に自分の背中を預けた。ほのかな体温と、熱い思いを分かち合いたくて。
「私ね、小学校のころからずーっと思ってたんだ。千歌ちゃんと一緒に夢中で、何かやりたいなあって」
「曜ちゃん?」
「だから、水泳部と掛け持ち、だけど!」
部活動申請書の二番目に自分の名前を大きく書いて、千歌ちゃんに差し出す。
「えへっ! はいっ!」
***
キレッキレのダンス。豊かな表情。
曜はスクールアイドルのセンターとして、高いパフォーマンスを見せつける。本来の振付にない動きを加えながら、奔放に、まさに水を得た魚のようにステージを回遊した。
間奏の軽やかなステップに合わせて、胸元の大きなリボンが揺れる。
***
いつの間にか、千歌ちゃんは私だけのものじゃなくなってた。特に梨子ちゃんは、千歌ちゃんと家が隣どうしで、二人で曲を作って……梨子ちゃんといるときの千歌ちゃんは、なんだかうれしそうに見えた。
去年夏の予備予選、梨子ちゃんの代役として二人の動きに合わせようとする私は、次第に、言葉で表せないモヤモヤを抱え込んでた。
でも、それは思い過ごしだった――
『千歌ちゃん、前話してたんだよ。スクールアイドルは絶対一緒にやるんだって。絶対曜ちゃんとやり遂げるって』
梨子ちゃんから電話で聞いた直後、千歌ちゃんが
「練習しようと思って!」
「練習?」
「うん! 考えたんだけど、やっぱり曜ちゃん、自分のステップでダンスしたほうがいい! 合わせるんじゃなくて、一から作り直したほうがいい! 曜ちゃんと私の二人で!」
涙が、止まらない。
十キロ以上の夜道を自転車で来てくれた汗まみれの千歌ちゃんを、感激のあまり、抱きついた勢いで押し倒してしまった。やっぱり私、バカ曜だ。
それ以来、梨子ちゃんとはいっそう仲良くなれた。
千歌ちゃんと三人で歌ってるとき、とても楽しい気分になる。
ずっと、このままだったらいいのにな――
「ずっとこのままだったらいいのにね。明日も、
閉校祭の前夜、煌々と灯りのともる校舎の外で、千歌ちゃんと私は語り合った。
「私ね、千歌ちゃんに憧れてたんだ。千歌ちゃんが見てるものが見たいんだって。ずっと同じ景色を見てたいんだって。
このまま、みんなでおばあちゃんになるまでやろっか?」
見つめ合う私たち。
「……うん!」
このままずっと、いつまでも、同じ景色を見ていたい。
だって、私は――
私は、千歌ちゃんのことが――
***
千歌との一年四ヶ月が、一瞬で駆け抜ける。
ビデオ撮影していた月が、ズームで捉えた映像に息をのむ。
曜の笑顔から、涙があふれ落ちていた。
「イエーイ!!」
オーディエンスの盛大なコール。ライブはクライマックスを迎え、ブレード、タオル、うちわ、さまざまなものがあちこちで高く振り回される。
頬を濡らしたまま、曜はラストフレーズを歌いきった。
後ろにいる千歌たちに悟られぬよう、全員でくるりとターンするタイミングでさりげなく目元を腕で拭う。
これ以上は泣くまいと、
「イエーイ!!」
そして最後に仲間たちとともにポーズをとり、渾身のパフォーマンスを終える。
晴れやかな笑顔に涙はなかった。
▲▲▲
終演後のバックステージで、ルビィが運営スタッフと言葉を交わす間、ほかのメンバーは充実感に満たされていた。
「六人でのライブとしては、今日は今まででいちばんよかったんじゃないかな」
「そうね。これで、本当の意味で、前へ進めそうな気がするわ」
「おら、今日はとっても楽しかったずら」
千歌、梨子、花丸は喜びを口にするが、善子は違うことを言った。
「曜、その目、どしたの?」
「え? あぁ、これ、歌ってる最中に目におっきなゴミが入ったんだよ」
両目を赤く腫らした曜の様子を、千歌と梨子も多少気にかける。
「あれ?」
千歌たちは、旧知の人物を視界に捉えた。ビデオカメラを手にした月を伴って歩いてくる。
千歌が小走りで近づいて声をかけた。
「ダイヤちゃん、今日サークル活動で来れないんじゃなかったっけ?」
「あっ、いえ、その、急にお父さまに呼ばれて……」
立ち止まりうろたえるダイヤの人差し指が、無意識に口元のほくろに触れたとき――
「お姉ちゃん?」
遅れてルビィが現れた。かすれた声で呼んだ姉を、いたいけな目でうるうると見つめる。
ダイヤは、たおやかに妹の前へ歩み出て、話しかけた。
「ルビィ。あなたのことが心配で心配で、大事な用を放り出して、来てしまいました」
「へ?」
間の抜けた千歌の反応に、月がクスッと笑う。
ダイヤは続けた。
「いろいろあったようですが、一週間で、よくここまで持ち直しましたわね。今日のパフォーマンスについては、文句のつけようも……」
「お姉ちゃあぁぁん!」ルビィが泣きつく。「ルビィ、できたよ! お姉ちゃんに頼らず、ルビィたちだけで……」
それ以上の言葉は出てこない。
激しく感情を噴出させる妹の頭と背中にそっと手を回し、ダイヤは言う。
「わたくしは、ルビィをずっと信じてました。そして信じますわ……これからも」
「これから……」
つぶやく曜。夢で見た、海原を泳ぎ進む五人の後ろ姿が浮かんだ。
再び目が潤む。
左右の頬を伝う涙をこらえられない。
そのまましゃくり声を上げ始めた。
「よ……曜ちゃん?」
「どうしたずら?」
「もしかして、
月、花丸、善子だけではない。号泣するルビィを抱擁したダイヤもまた、戸惑っている。
「大丈夫?」
曜は梨子の気づかいに反応せず、泣き叫びながら千歌に抱きつく。弾みで二人はそのまま地面に倒れ込んだ。
「千歌ちゃん……ありがとう……」
それでも、曜はありのままの想いを伝える。
「大好き……」
曜の体と気持ちを、千歌は黙ったまま受け止めていた。優しく、悲しい瞳で――
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次回 #7「迷える人魚」