ラブライブ!サンシャイン!! Beyond the Horizon 作:Le Nereidi
聖良の隣に座るダイヤは、トロフィーに歩み寄り凝視しているこむぎを気にかけつつ、後輩たちに柔らかく問いかけた。
「それで、失敗の総括は終わったんですの?」
千歌たちは下を向いてしまう。
少し間を置いてから、ルビィが語り始めた。
「ステージで失敗した原因はわかってる……でも、これからどうすればいいのかは、まだ考えがまとまってないの」
「マーメイズとのやりとりも途絶えたままで……」
肩をすくめて花丸がそう言葉を継いだきり、沈黙が談話室を覆う。その場にいた者はしばらく、ヒグラシの
Aqoursの様子をひとわたり見渡していた部外者の聖良が口を開く。
「なぜ二人は飛び出してしまったんでしょう」
「それは、ルビィが菜々実ちゃんに、歌わなくていいって失礼なこと言っちゃったから……」
「それだけでしょうか。ダイヤさんからだいたいの話は聞きましたが、もっと根本的な理由があるように、私は思います。例えば、Aqoursのルールを一方的に二人に押しつけたとか」
いきなり核心を突かれて梨子はうっと息を詰まらせる。
横たわっていた善子が勢いよく跳ね起きた。
「だって、私たちは、ラブライブで優勝してるのよ?」
「そんな勝手な理屈でマーメイズが納得するんですか? そもそも『対等』だったんですよね?」
「……」
遠慮ない指摘がストレートに刺さり、善子は絶句する。理知的で聡明な聖良から放たれる言葉には、力があった。
「確かに、Aqoursのやり方を押しつけた面はなかったわけじゃない。でも、遼香ちゃんのほうにも、私たちと折り合いをつけようって態度は感じられなくて……私は、わがままを言ってるようにしか受け取れなくて……」
言い訳を試みる梨子だが、次第に弱まる口ぶりには悔恨の情がにじんでおり、やがて再びうつむいてしまう。
意外な人物が口をはさんだ。
「あのぅ……遠藤先輩のことで……」
「あんたたちも、あいつに泣かされたの?」
「違います! そういうんじゃないです」
遠慮がちに切り出しながらも、こむぎは、善子の邪推をきっぱり否定してみせた。
「広瀬と、部室に練習に行ったとき……」
こむぎたちはわずかに開いたドアのすき間から、二畳程度のスペースで単身ダンスの練習に励む遼香の後ろ姿をのぞき見ていた。
遼香は振り向きざま二人と目が合い、動きを止める。
「あ」
微妙に気まずい。
「……す、すみませんでした」
「練習続けてください」
「いや、いいよ、予約してたんでしょ? ごめんごめん、入って」
反射的に使用権を譲ろうとしたものの引き留められて、こむぎと雪奈は恐縮しつつ入室する。
雪奈が問うた。
「Aqoursの人たちは?」
「グラウンド走ってる。今やる意味のない練習はやめようって申し入れたんだけど、全然相手にしてもらえなくて。良かれと思って言ってるんだけど……実績がないからなのか、なかなか聞いてもらえない感じ」
遼香は諦め口調だった。
「そうなんですね」
「まあ、原因は私にもあってね。言いたいことはわかるけど言い方を考えろって、国木田に注意されちゃったし。性分なんだよねー」
バツが悪そうに遼香は頭をかく。近寄りがたかった先輩が、意外な一面を見せた。
尋ねてみたいことがふと浮かぶ。
思い切ってこむぎは聞いてみた。
「遠藤先輩」
「ん?」
「Aqoursと一緒にやってみて、どうですか?」
「そうだなあ……」
遼香は後頭部で手を組み、少し考えてから、姿勢はそのままで眼球だけを自分たちの方へ動かした。
「……津島善子って、どう思う?」
「え? 津島先輩……ですか? え、ええっと……」
急な逆質問に、こむぎは口に出していい言葉がすぐ思い浮かばない。
「広瀬はどう?」
「あっ、あのぅ……」雪奈は細い目をしばたたき、小首をかしげながら答えた。「なんか、よくわかんないけど、すごい人だなあって……」
「でしょ!?」
遼香は二人の方へぐいっと身を乗り出し、瞳を輝かせた。
「よくわかんないけどすごいんだよあいつ! 一緒にやってみてつくづく思ったわ、津島にだけは逆立ちしても勝てないって!
スクールアイドルとしてスペック高いうえに、あの堕天使キャラ……どっからあんなアホな発想出てくるんだろね。しかも全然ぶれない! ネタじゃなくて、ほんとに魔能力持ってんじゃないかって……」
ふだんはクールかつ理路整然としていて高圧的な物言いもする遼香が、善子について手振りを交え早口でまくし立てる様子に、こむぎはおかしみを感じた。
「リスペクトしてるんですね」
「……!」
こむぎの一言で素に戻った遼香は、照れくさそうに咳払いしてから、噛みしめるように、元の質問への答えを返す。
「Aqoursって……キラキラしてる。メンバー一人一人が、私にないものを持ってて……それにやっぱり、ラブライブで優勝しただけあって、要求が高くてね。正直ついてくのが大変。でもその分やりがいあるし、得るものも多い」
こむぎには、そんな遼香もまた、キラキラと輝いて見えた。まぶしいほどに――
「『だから私たちなんかに声をかけてくれて感謝してるし、スクールアイドルを始めてよかった』って……遠藤先輩、うれしそうでした」
いつの間にか善子は、唇を強く噛み瞳を潤ませていた。
自分たちには決して見せることのなかった遼香の本心を知り、Aqoursの五人は言葉もない。
重苦しくなった空気を読みつつ、ダイヤが切り出す。
「わたくし、近ごろ、一つ気にかかっていることがありますの……千歌さん」
「えっ」
予期せず名を呼ばれ、千歌は顔を上げてダイヤへと向けた。ダイヤは生徒会長だったころのように、厳しくも愛ある瞳を千歌へ注ぐ。
「あなたの母校は?」
「……浦の星女学院」
「それだけですか?」
「……えっ? ええっ?」
千歌は質問の意味をつかみかねている。
「えぇと、浦の星女学院でしょ、その前が
一つ一つ指を折る手が止まる。再び顔を上げると、後輩たちが奇異の目で自分を見ている。
「千歌ちゃん……」
「まさか」
「ウソでしょ?」
ルビィも花丸も善子も、信じられないといった顔だ。
「先輩」
こむぎが、恐る恐る声をかける。
「……一つ、忘れてませんか?」
目が合ったその瞬間――
「あああっ!」
千歌は衝動的に大声を出していた。
周りはみなびっくりしている。言うまでもなく、それは千歌の突然の叫び声だけが原因ではない。
「私……」
自分で自分に衝撃を受けて千歌は顔色を変え、愕然とする。
その様子を見て、ダイヤはふっと息をついてから、改めて話し始めた。
「先月の夏まつりで、目撃しましたの……むつさんたちが、浦女の制服姿で騒ぎを起こしているのを。場を収めてから月さんにうかがうと、なんでも抗議行動と称してあの制服で静真に登校していたとか。なんて情けない……」
手の先を額に当て嘆いてみせたダイヤは、目の前の静真高校の面々に、静かに問いかけた。
「あなた方は、今通っている学校を……愛してますか?」
▲▲▲
間延びした蝉の鳴き声が降る
旧国道一号をまたぐ人道橋に差しかかると、橋のいちばん高い場所で車の流れを見下ろす人物がいる。深くかぶったキャップにスポーツ用ゴーグル、羽織った長袖リネンシャツ、ジョガーパンツにハイカットのスニーカー、すべて黒系統のコーディネートだ。後ろ髪は短めで、性別は不明だが身長はそれほど高くない。
奇妙に感じつつ、遼香はその背後を通り抜けた。
揺れながら遠ざかるポニーテールをさりげなく見送った黒い人物は、外したゴーグルを黄色いクルーネックに掛け、ムーンシルバーのスマートフォンを耳元に当てた。
沼津港へ通じていた貨物線の跡地に整備された蛇松緑道は中低木の植栽が主で、高い角度から降り注ぐ陽光をまともに浴びる区間が存外に多い。マリーゴールドのオレンジや黄、ニチニチソウのピンクや白、サルビアの赤が次々と現れ、足元で鮮やかな夏色のハーモニーを奏でる。
遼香はしかし、モヤモヤを抱えながら走っていた。
――渡辺さんのメール、なんて返せばいいんだろう。
ほぼほぼ毎日来るし、来なかった日は来なかったで気になるし。
今日もそろそろ……
Aqours & Mermaidsの衣装作りに際してメールアドレスを交換済みだった曜から、八月に入って急に、一方的なメールが届くようになった。時間帯的にジョギング中のスマートウォッチで受信することが多く、内容は「昨日はね、ハンバーグが上手に作れたよ!」とか「夏休みだから髪を染めてみたのだっ☆」とか、ご丁寧に画像まで添付されているのだが、すべてが自分にまったく無関係で他愛のないものだった。
緑道はやがて、港へ向かう県道を斜めに横切る。遼香がテンポを保ちつつ足踏みしながら歩行者用信号のボタンを押そうとしたとき――
「おーい、遼香ちゃーん!」
広い道路の反対側から、聞き覚えのある朗らかな声が飛ぶ。
無意識のうちに足踏みが止まった。
曜が、笑顔で、大きく右手を振っている。
驚き、戸惑い、迷い、ためらい――異なる感情が矢継ぎ早に押し寄せてきて遼香の心は乱れたが、まもなく決然と、信号柱のボタンを親指で強く押した。
信号が青になる。急に足が重く感じられたが、避け続けていた先輩へ、一歩一歩、近づいていく。
「久しぶりだね、元気そうでよかった!」
渡り終えた先で出迎えた曜は屈託がない。斜めに大きくストライプが入った水色Tシャツにインディゴブルーの膝丈パンツと服装はラフだが、亜麻色の髪のせいか、学校で会っていたときより女子力が増していて、同性の目にも魅力的に映る。
「ごめんね? 小学生の絵日記みたいなメルマガ、一方的に送りつけて」
「……」
「届いてない? しつこいから迷惑メールに入っちゃったのかな?」
曜は上目で人差し指を顎に当てて不思議そうだ。
「……あとで確認します。すみません」
遼香は小声でその場をしのいだ。
そんな遼香の全身を曜はひととおり眺め、ペットボトルをタイトに固定したランニング用のウエストポーチに目を留める。
「遼香ちゃん、ジョギングしてたんだ? 本格的だね!」
「あ、はい、まあ……」
「どのへん走ってるの?」
「家がこの緑道沿いで……戻りは
「私ん
「そうなんですか?」
「うん。狩野川が目の前だから、遼香ちゃんすぐそばを走ってるかもね」
テンポよく会話が進む。すっかり曜のペースだ。
「いやー、こんなふうに会えるなんて、奇跡だよー!」
曜は大げさに両腕を広げてみせた直後、左手に携えていたキャップをかぶりながら、突拍子もないことを口にした。
「ねえ、付いてっていい?」
「……はい?」
「突然でごめんね? なんだか私も、走りたくなってきちゃったよー!」
両手を顔の前で合わせ懇願してから、両腕を折り曲げ前後に振る。実に表情豊かな先輩だ。
「……」
断りにくい状況である。だが、もう逃げていてはダメだと遼香は悟った。この邂逅は偶然でも奇跡でもなく、運命なのだと。
曜は穏やかな声で付け加える。
「走るだけだから」
さりげない優しさが深く響いた。
二人は並んで沼津港の飲食店街を走る。ご当地バーガー向かいの浜焼き屋から漂う、炭火の匂いが香ばしい。さらに進むと、左右の店先ではアジやキンメダイなどの開きがほどよく干し上がっている。
突き当たりを右に回り込み、魚市場の上屋やマーケットモールを左に見る。黒はんぺんや抹茶ジェラートを立ち食いする観光客を横目に、フォークリフトが行き交う港の一角を、軽快に駆ける。
「このへん走ってると去年の夏を思い出すなあ。ほぼほぼ同じルートだよ」
漁船が係留された岸壁を走りながら、曜が口を開いた。
「ちょうどこの先の場所で、あの日、Aqoursに入ってくれたんだ、善子ちゃん」
思いがけない人物の名前で、遼香は呼吸をわずかに乱す。
角を曲がると、大型展望水門びゅうおの巨大な
曜は余計なことは聞いてこない。ときおり自然な笑みを向けながら、並走を続ける。
さざ波立つ海の果てから、抜けるような青を背景に、高く高く入道雲が立ちのぼる。
「ずーっと付いてくのも迷惑だろうし、このへんでバイバイするね」
海水浴場に差しかかったあたりで曜はスローダウンした。遼香もペースを合わせる。
「今日は、すっきりした気分で走れた気がします」
「そっか。よかった」
空がまぶしい。
左手の白い浜には、日差しと潮の香を浴びながら海遊びを満喫する人々の姿がある。
「遼香ちゃん」曜が無邪気に問う。「最後、かけっこしよっか?」
二つ目の突然な提案に、遼香は再び困惑する。
「あの自転車のとこまで、全力勝負。どう?」
海岸と千本松原を一直線に分かつ防潮堤の前方を、曜は指で示した。百メートルばかり先に、自転車が一台止めてある。
少し考えて、遼香は苦笑い含みで答える。
「……けっこう速いですよ、私」
「ほんと? だったら余計、ガチで勝負したくなってきたよ!」
幼い子のように曜は目を輝かせる。
「わかりました。お手合わせ、お願いします」
足踏みを止め、遼香はウエストポーチを外して路面に置いた。曜はキャップを脱ぎ、パンツのポケットにねじ込む。
二人は横に並び、クラウチングスタートの体勢をとった。
「私の口頭での合図でいい?」
「はい」
「じゃあ、三つ数えるからね。いくよ! 三、二、一、……!」
シューズが地面を強く蹴る。
遼香のほうがスタートよく、体一つ分、先んじる。
風になった二人は、富士山に向かって疾走する。
リードを保とうと、遼香は激しい息づかいで、全力を振るう。
曜が加速した。
追いつかれ、じりじり離される。
遼香は懸命に腕を振り足を駆るが、及ばない。
そのまま自転車の脇を駆け抜けた。
大きくオーバーランして、止まったとたん汗が噴き出る。
息を弾ませ、破顔一笑する曜。
亜麻色の潮風が、遼香の中を爽やかに吹き抜けていった。