ラブライブ!サンシャイン!! Beyond the Horizon   作:Le Nereidi

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#7 迷える人魚(4)

 遼香が昔語りをしていたちょうどそのころ、善子は、母校の中学校に赴いた。

 メッシュフェンス越しに道端から眺めるのは、昨春まで通った鉄筋コンクリートの学び()だ。高校生になってからは特段足を向ける理由もなく、訪れるのは卒業以来初めてだった。人影のない校庭に蝉の合唱だけが響く。

 夏まつりライブの数日後に曜から「遼香ちゃんのこと、どう思ってるの?」と聞かれたことを思い出す。

 そのときと同じ答えを、フェンスにそっと右手を添えて、つぶやいた。

「別に、なんとも思ってないわよ。あんなヤツ」

 

 

 あの日善子は、分校にあてがわれた古びた建物で衣装制作の仕上げをしていた。

 床板がきしむような不自然な音に顔を上げたところ、四、五メートルほど先に、できれば会いたくなかった元同級生の姿があった。赤いプルオーバーのパーカーに細身のジーンズというくだけた服装ながら、久しぶりに現れた遼香は、変わらぬ長い黒髪と凜とした麗しい顔立ちに、スクールカースト上位層のオーラを漂わせていた。

「……元気そうじゃない?」

 含みのありそうな笑みで尋ねられ、ぽつりと、本心が口に出てしまう。

「……なんの用?」

「なんの用って……Aqoursの手伝いに来たんだけど」

 遼香は頭に手を当てて、困ったような、あきれたようなリアクションをとった。

 気まずさを顔に表さないよう努めながら、善子は当たり障りのない話題を振る。

「……ありがと。特進コース、だったわよね」

「まあね」

 視線を合わせ続けるのがつらい。手元の針先に目を落とし、遠慮がちに聞いた。

「……静真でも、リア充してるの?」

「……まあね」

 なぜか一拍遅れて、答えが返ってきた。

「……そう」

 引け目を感じつつ作業を再開しようとすると、遼香が近づいてきて、衣装にぐっと顔を寄せ目を凝らす。

「ずいぶん手が込んでんだね」

「……まあね」

「手伝おうか?」

 至近距離から見上げてきた。

 善子は一瞬動揺し身構えたものの、遼香の表情からは自然な気づかいを感じた。言外の意味はなさそうだ。なのに、素直に受け取ることができない。

「……これはもうじき終わるから。ほかに手伝ってくれる子もいるし。外の作業のほうが、人手が要ると思うわ」

 微妙に顔をそらし、知らないうちに声が小さくなっている。そんな自分が情けない。

「そっか。じゃあ、そっち行くわ」

 言い残して部屋をあとにしようとした遼香が、急に立ち止まる。

「……あっそうだ、大事なこと伝えるの忘れてた!」

 くるっと振り向いた遼香は、善子が思いもよらなかったセリフを、大きな声で口にした。

「ラブライブ優勝、おめでとう!」

「……」

「うちらの学校のバカ親どもに、今度こそ、実力見せつけてやりなよ!」

 過去二年分の記憶の引き出しにはない、邪心を感じさせない笑顔。

 当惑する善子がお礼を言えないまま、廊下に待たせていたショートカットのおとなしめな生徒と一緒に遼香は出ていった。

 彼女たちもまたスクールアイドルであることを、その時点では知る由もなかった。

 

 

 沼津市西郊の浮島(うきしま)地区では毎夏、田園地帯の一角に三万本のヒマワリが咲き誇る。近所に住む菜々実は、膝上丈でアイスグリーンの袖なしIラインワンピース、そして素足にサンダル、という軽装で訪れた。

 夏休みを迎えるたび、気軽に足を運べる雄大なスケールの花畑を楽しみにしてきたが、今年は違った。

 太陽に顔を向け生気をみなぎらせる黄色い花々が恨めしい。背景になるはずの富士山は、白雲に覆い尽くされている。いつしか菜々実は雲の方に目が向いていた。最も青春を謳歌できるはずだった高二の夏休みが、日々無意味に過ぎていく。

 ふと、スクールアイドル活動を始めたころの思い出が脳裏をかすめる。

 

 

 スリーマーメイズが練習できる場所は校内になく、菜々実と遼香は海寄りに位置する温子(あつこ)の家まで通った。

 ダンス練習のため、作業小屋の散らかった土間を三人で片付ける。

「悪いね、こんな小汚い場所しかなくて」

 手を動かしながら、ぼそぼそと早口でしゃべっていた温子。

「ううん、平気。むしろごめんね、温子ん()に迷惑かけちゃって」

「外だと冷えるしすぐ暗くなるし。ここで十分十分」

 工具や資材が積み上げられ雑然とした小さな空間には、白熱電球の光、塗料やガソリンの匂いだけでなく、大きな夢と希望が、確かに満ちていた。

 だが、(じき)に菜々実は現実を思い知る。

 温子の部屋で初めて歌ってみた直後のことだ。

「あのさ」

 電子オルガンの演奏を止めた温子が低くつぶやく。

「……真面目に歌ってくんない?」

 鍵盤を向いたまま、こちらを見ようともしない。切りっぱなしショートボブの髪で表情は隠されていたが、抑えた声が怖かった。

「全然変わってないんだ……」

 遼香は引きつった顔でドン引きしていた。

 憮然とするクラスメイトと慄然とする幼なじみを前に、菜々実は、後頭部に手をやり、下げぎみの目線で申し訳なさそうに笑うしかなかった。

 

 

 気がつけば菜々実は、背の高い花畑の中に設けられた迷路に入り込んでいた。迷路とは名ばかりで、折れ曲がりくねった一本道をそのまま進めば脱出できるように作られている。そう知りつつも、どこかで行き止まりになっていて、逆にたどっても出られない、そんな感覚に襲われる。

 幾度となく後ろに前に振り返り、ついに菜々実は立ち往生した。

 苦い記憶が呼び起こされる。これで何度目だろう。

 ――ルビィから宣告を下された場面。

 ――遼香が憤慨し、梨子と罵り合い、善子の制止を振り切り飛び出していった場面。

 あれ以来、クラスメイトの花丸から着信したメッセージには既読を付けていない。やがて接触は絶えた。

 菜々実は、温子が作ってくれた曲の一節を、外れた調子で口に出す。

 自らに与えられたたった四小節、それに、その続きを――

 

 

  声にならない 私の願い

  ねえ 届くのは……いつ?

 

 

「私だって……スクールアイドルなのに」

 花火大会のステージでキラキラ輝いていた果南の姿がよぎる。

「私だって……私だって……」

 大きな瞳から、真珠のしずくが止めどなく、こぼれ落ちる。

「……歌いたーーい!!」

 浮島ヶ原の夏空に響き渡る、叶わぬ思いと涙声。

 頬を濡らしたまま菜々実は歩き出し、許されなかったフレーズを続ける。

 拙いなりに、気持ちを込めて。

 

 

  ああ 叶えたいの 叶わない恋を

  たとえすべて失ったとしても

  私の想いは 今日も波に消えてく

  夜明けとともに

 

  ああ 叶わないと知っていたのに

  こぼれ落ちる真珠のひとしずく

  いつか ふたり寄り添い 虹を仰ぐの

  夜明けの海で

 

 

 スクールアイドルに恋い焦がれながらも歌声を奪われたマーメイドが、黄色く波打つヒマワリの迷宮で、ひとり、さまよう。

 

 

「スクールカーストって、私ピンとこないんだ」

 びゅうおでは、遼香が曜の語りに耳を傾ける番だ。

「内浦は小学校も中学校も生徒が少なくて、学校中がファミリーみたいな感じだったの。浦女もそう。生徒が少なくて……だから、廃校になっちゃったんだけどね」

 懐かしそうに、そして少し寂しそうに、曜は回顧する。

「U組にはそんな雰囲気がまだ残ってて。ときどき錯覚しちゃうんだ、ここは浦女だって。休み時間のたびに千歌ちゃんたちとスマホいじったりとか、井上先生の授業のしかたとか。全然変わらない」

 屈託なく校則破りを認めた先輩をとがめる気は、今は湧いてこない。

「でもね。窓の外の、みかん畑も海もない建物だらけの風景で、現実に戻るの……ここは浦女じゃないんだって。クラスのみんなも、きっと同じなんじゃないかな。

 いつまでもそんなだから、分校とか出島とか、陰で言われちゃうんだろうね……言われてもしかたなかったと思う」

 地上三十メートルの展望回廊は周囲に視界を遮るものがない。直下の港はもちろん、沼津の市街地とそれを囲む山、海と、全方位に眺望が利く。日当たりがよいので、熱気がこもらないようガラス窓がところどころ開いていて、潮の香りが入り込んでくる。

 遠くのどこかを見つめていた曜は少し間を置いてから、真顔で尋ねてきた。

「T組でも、遼香ちゃんはカーストの頂点なの?」

 答えづらい質問をいきなり振られて、遼香はしばし視線をさまよわせた。いったんそれを足元に収め、ふっとため息をついてから、重い口を開く。

「特進コースって、勉強できて当たり前っていうか……だから、一芸に秀でた子に人気が集まるんです。テニス部のエースだとか、イラストが上手だとか、人を笑わせるのが得意だとか……私は、そんなの全然なくて」

「……そうなんだ」

 遼香が肩をすくめると、曜は意外そうな反応を示した。

「渡辺さん、インターハイ出てるんですよね」

「一回だけだけどね」

「……羨ましいです」

「そう? 私、遼香ちゃんと違ってバカだけど?」

 とぼけながら曜は言い、そしてニッと笑う。亜麻色の髪がいたずらっ子のような笑顔によく似合う。

 遼香はわずかに頬を緩ませるも、首を軽く横に振った。

「一芸に秀でた子……」

 そうつぶやいてから、曜は質問を重ねてきた。

「善子ちゃんのこと、どう思ってるの?」

 遼香の全身に緊張が走る。

 回答を、すぐには言語化できそうにない。

 数秒間――体感的にはもっと長く感じられた――頭の回路を必死に働かせ、そして、あえて焦点をずらしながら答えた。

「違う高校へ行ったら、もう会うことなんてないと思ってたけど……少しだけ、またつながった。導かれたみたいに」

「……そっか」

 曜はおもむろに腰を上げる。

「お互い本音で話し合えたらなって、私思うんだ。簡単じゃないよね。相手が本当に大切な人だと」

 窓に近づき海を見つめ、曜は遼香に伝える。

「善子ちゃんと一緒に全力で走ってけば、見たことのない景色をきっと見れるよ。水平線の向こうに広がってる、新しい景色を……私にとっては千歌ちゃんが、そうだったから」

 そして、振り向いた。

「遼香ちゃんにお願いがあるんだ」

 

 

   ▲▲▲

 

 

 翌日、遼香と菜々実は、行きつけのカフェで落ち合った。

 狩野川に向いたオープンテラス席。白いテーブルに、水色ソーダのグラスが二つ並ぶ。東に開けたデッキなので昼下がりの夏の日は直接差さないが、風がほとんどないせいで、湿気を伴った不快な暑さが肌にまとわりついて離れない。

「聞いちゃったんだよね、チア部の子から」

 上目づかいで、恐る恐る菜々実が切り出す。

「U組の人たちが、私たちを目の敵にしてるらしいって」

「……えっ!?」

 

 

 遼香の脳裏には、二人そろって人目につかない体育館の裏に呼び出され、いきり立った白セーラー服の上級生たちに囲まれる、おぞましいシチュエーションが浮かぶ。

『……落とし前は、どうつけてくれるつもりなのかしら?』

 薄気味悪い笑みを浮かべた梨子が、竹刀をパンパン地面に打ちつけ、威嚇してくる。スカートの丈は昭和のスケバン並みに長く、足首まで達する。

『す、すみませんでした、申し訳あ……』

『泣いて謝って済むのは小学生までよ!!』

 目をつり上げたスケバン先輩はヒステリックに叫び、バチーンとそばの立木をしばく。

『ヒイッ!』

 菜々実は隣で震えながら身を縮こまらせ、声も出ない。

『千歌ちゃん、どうする? このクソアマ』

 忌ま忌ましく吐き捨てる梨子の隣で、それまで背中を向けていた千歌がゆっくり振り返る。恐ろしく冷たい視線を突き刺してくるAqoursの元リーダーは、気だるそうにつぶやくのだ。

『……やっちゃえば?』

 その一言を合図に、怒号や罵声、泥、海藻、腐った魚、腐ったみかんなどが四方八方から投げつけられる。

『ごめんなさい! ごめんなさい!』

 泣きながら許しを請う遼香の顔や制服が、ドロドロにされていく――

 

 

「地獄だ……」

 肩を落としうなだれる遼香は、腹から苦しげな声を発する。

「もうさ、曜さんと月さんにすがるしかないよね?」

「なんとかしてくれるかなあ」遼香は弱気だ。「桜内さん怒ったらめっちゃ怖いし……高海さんは高海さんで、私にどんだけ腹立ててるのかわかんないのが怖い」

 ぐじぐじ悩んでいる二人の背後から、声がかかった。

「千歌たちと何かあったの?」

 体をひねって仰ぎ見た菜々実は、大きな目をいっそう大きく開いたまま、固まり、絶句した。

「……」

 すらりと伸びた背をさらに強調する、長い丈のポニーテール。グラスに満ちる青いソーダの海から魔法を使って現れ()でたかのような、穏やかで優しい瞳を持つその女性(ひと)は――

「……ま、ま、松浦、か、果南さん!?」

 ――憧れの、マーメイドだった。

 

 

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 次回 #8「Friendship」

 

 

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