ラブライブ!サンシャイン!! Beyond the Horizon 作:Le Nereidi
前回のあらすじ
スクールアイドル部の部室を確保したAqours。しかし、練習場所が学校の中になかなか見つからない。広々とした芝生に覆われた屋上も――
梨子「ここ、ステップが踏めないんじゃない?」
勝手に部室で練習していた
「この教室で練習すればいいんだよ!」
厳しすぎる校則も、リトルデーモンたちや千歌の同級生のおかげでクリアし、Aqoursは最初の目標へと進み始めた――
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うららかに差す陽光。穏やかな
五月の内浦は、みかんの白い花が風に揺れ、甘い香りに包まれる。
総合案内所の近くに、内浦の網元を代々務めてきた旧家がある。周りの家より奥まった位置に建つその屋敷は、入口に黒瓦と白漆喰の重厚な長屋門を構える。「黒澤」と墨書きされた分厚い表札が、百年以上の時を経て風合いを増した、門の太い木の柱に掲げられている。
長屋門をくぐると内庭が現れ、今を盛りと静岡の県花・ツツジが咲く。端正に樹木が手入れされた庭を囲んで、床面積が東京の住宅の三倍はありそうな、豪壮な
その風格漂う旧家の静寂を破り、ビート感の強いハイテンションでにぎにぎしい音楽と、少女たちの騒々しい声が、切妻造の離れの二階から聞こえてくる。
「もっとにぎやかにしちゃおうよ!」
「むしろこれ、やりすぎじゃない?」
「テンポが速すぎて踊れないずらぁ」
Aqoursの二年生たちが、ルビィの部屋で曲作りに取り組んでいた。
フローリングの床に並べられた置き畳の上で、ルビィ、善子、花丸が肩を寄せ合い座卓に着く。そばには『シンフォニア完全攻略マニュアル』なる本のほか、歌詞ノート、衣装デザイン用のスケッチブックなどが散乱している。
「パラメータが多すぎて、どこいじっていいのかわかんないわよ!」
「全部設定しないといけないずらか」
「『曲調パラメータの設定が最も重要』ってその本に書いてあったけど……」
三人はスマートフォンのアプリで作った伴奏を修正しようとするものの、かなり手こずっていた。
「……よっこらしょっと」
やおら立ち上がった花丸は、北向きの窓を開けに行く。そして下枠に小さな体を預けた。両手で頬杖をつき、眼鏡のレンズ越しに青い海を
「いい天気ずら。外で遊びたいな」
「ダメだよ花丸ちゃん。あと一ヶ月ないんだから。がんばルビィだよ」
紫色のスマートフォンから目を離さずアプリと格闘するルビィをよそに、善子も窓際へ移った。花丸の隣でまったく同じ体勢をとり、やつれた顔でぼんやり外を眺める。
正面で富士山が笑っている。
「今ごろ千歌とリリーは、あっちにいるのね」
置き畳に広げられたスケッチブックには、ギンガムチェックを基調とした衣装のイラストが描かれ、隅に「YOU」とサインが記してあった。
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#3 それぞれの針路
「梨子ちゃん、着いたよ」
「あれがプール? ずいぶん立派ね」
「宇宙船みたいでしょ」
澄んだ青空を背景に、銀色の巨大ドームが千歌と梨子の前方に出現した。表面の一部が初夏の強い日差しを受けてギラリと光る。
「それに、ここからだと沼津よりも富士山が大きく見えるのね」
「富士市っていうくらいだからね」
二人が訪れたのは、静岡県富士水泳場――県内でも有数の規模を持つ、飛込競技にも対応した屋内プールである。
水泳の飛込競技は、競技人口も指導者も、そして競技施設も少なく、中学校や高校の校内では満足な練習ができない。曜は学校の水泳部に所属しながらも、実際の活動はここ富士水泳場を拠点とするスイミングクラブで行っていた。
水泳場の内部は、高く丸みを帯びた天井が特徴的で、屋内プール特有の、生ぬるく湿った空気が充満している。観客席はプールの片側にしかなく、反対側には大きめのガラス窓が設けられて、外光が入ってくる。飛込用のプールは五十メートルプールの奥にあり、千歌と梨子はその近くの観客席で練習を見学した。
さまざまな高さから、多種多様なフォームで次々と選手がダイブしていく。そのたびに、踏切板がうなる音、着水する音が場内で反響する。
「あっち側で、板をしならせて飛び込んでるのが
そう言って千歌は、コンクリート製の大きな飛込台を指差す。高さが異なる複数のプラットフォームが備わっている。
「高さはどれくらいあるの?」
「いちばん高いのは十メートルだね。建物でいうと四階くらいの高さだって」
「危なくないの?」
「落ち方によっては大けがするよ。だから、頭からまっすぐ突っ込んでくんだ。水しぶきをできるだけ抑えれば、その分高い得点が出るんだよ」
こういった調子で、千歌は、飛込競技に関する基本的な事柄を梨子にレクチャーする。
「あっ、曜ちゃんの番だ」
飛込台の最も高い場所に曜が姿を現した。ふだんからトレーニングに使っている、サイドにピンクが入ったネイビーの競泳用水着に身を包むが、競泳と違ってキャップとゴーグルは着けない。
曜は観客席の千歌に、元気いっぱいの笑顔で手を振り、次に両手の指で七を示した。
千歌は手を振り返してから、梨子に告げる。
「曜ちゃんの得意技307C、くるよ」
307C――別名「前逆宙返り三回半・抱え型」――曜が飛べる技の中で、最も難易度の高いものである。梨子は視線を定め、両手を膝の上で握りしめる。
曜は、持っていたオレンジ色の吸水タオルから優しく手を放し、それが水面に到達するのを見届けてから、飛込台を一歩一歩進んでいく。既にルーティンに入っている。
台の先端で直立静止。両腕を横に大きく広げる。
両膝を曲げ、腕を下からすくい上げるように回しながら、伸び上がるように前方へ踏み切る。
腕の勢いで後方に空中回転を始め、速やかに膝を折りたたみ両腕で抱えながら落下、三回転半して着水寸前に体をやや弓なりに伸ばし、両手の指先から水面に突入する。
ズボッという、重くこもった音とともに、曜の全身は瞬時に水中に没する。無数の水滴と泡からなる白い小さな塊が水面上に生じ、消えた。
「すごーい! ノー・スプラッシュだよー!」
大声を上げた千歌は惜しみない拍手を送る。それを見た梨子も、遅れてゆっくり拍手をした。
水の中から顔を出した曜は、近くに漂っていた自分の吸水タオルを拾い、それを二人に向かって軽く振ってからプールサイドに上がった。
「……千歌ちゃん、今のは何がすごいの?」
勝手がわからない梨子は率直に尋ねてみる。
すると千歌は両手で梨子の両肩をつかみ、揺すりながら興奮ぎみに答えた。
「今の飛び方はね、女子の選手でできるのは世界で数人しかいないんだよ! オリンピック級なんだよ!」
「えっ、オリンピック級なの?」
想像を超える説明を受けた梨子の頭は、一瞬混乱する。
「……じゃあ、もしかして曜ちゃん、オリンピックに出られるかもってこと?」
「それがね、試合ではほかの飛び方もしないといけなくて、曜ちゃんはひねり技がちょっと苦手なんだ。それに、本人が言うには、日によって調子にムラがあったりして、日本代表に選ばれるような成績はまだ出せてないんだって」
「そうなの……スポーツって難しいのね。私も、ピアノで苦手な曲ってあるし」
「普通怪獣の私には、全然想像もつかないや」
飛込プールの方へ向き直り、まるで高嶺の花のアイドルに憧れるかのように瞳を輝かせる千歌。その純真な姿に、梨子は思わず笑みをこぼした。
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曜の練習が終わってから、千歌たちは三人で一緒に軽食をとった。
水泳場の建物南側におあつらえ向きの芝生スペースがあり、ときおり強めの風が吹くものの、レジャーシートを広げてそこで食べることにした。富士山を背に、右から梨子、千歌、曜の順に並んで腰を下ろす。
「やっぱり、たまごサンドは梨子ちゃんお手製のがいちばんおいしいね!」
「ありがとう。そう言われると、頑張って作ってきたかいがあったわ」
曜が褒めたサンドイッチは、食パンやロールパンなどさまざまなパンを使い、具材も、ゆで卵をつぶしてマヨネーズとピクルスで和えたもの、ハムやレタスと一緒にはさんだもの、薄焼き卵をケチャップとマスタードで味付けしたもの、などバリエーション豊かだ。
「今日は曜ちゃんのもう一つの顔が
梨子は、飛込プールでの光景を振り返り、素直な感想を伝える。
「オリンピック級は大げさかな」
「でも一年生のとき、インターハイに出て入賞してるからね。曜ちゃんってやっぱりすごいんだ」
千歌も、改めて親友をたたえた。
「ところで千歌ちゃん、果南ちゃんからの絵はがき、持ってきてくれた?」
「うん。持ってきたよ」
千歌はリュックの小ポケットから絵はがきを取り出し、ちょうどサンドイッチ一つを食べ終わった曜に渡す。
曜の手元に、常夏の風景が広がる。蒼く晴れ渡る空、エメラルド色のサンゴ礁。小島に茂る熱帯樹林の濃いグリーン、それを囲む白い砂浜。裏返すと、曜と千歌が昔から見慣れた字で、メッセージが綴られていた。
Aqoursのみんな元気? 私は元気だよ。
ケアンズに来て一ヶ月半、最初は言葉で
苦労したけど、英語が得意な日本人の仲
間がいて、その子の助けも借りてなんと
かやってるよ。
こっちの海は、内浦や
泳ぐ魚も違って、潜るたびに新しい景色
に出会えて、ときめいてるんだ。
ライセンスの件は進展があったら報告す
るね。Aqoursもスクワルがんばって!
松浦果南は、千歌と曜にとって小さいころからの遊び仲間だ。浦の星女学院在学中から、両親が淡島で営むダイビングショップを手伝っている。高校を卒業後、ダイビングインストラクターのライセンスを取るため、語学留学も兼ねてオーストラリアに渡っていた。
曜は絵はがきを再び裏返し、写真をじっと見つめる。
「……ケアンズって、実際どんな海の色してるのかな」
「そうね。それに、いったいどんな海の音が聞こえるのかしら……潜ってみたいわね、三人で」
Aqoursで作編曲を担当する梨子は、
千歌も調子を合わせた。
「一緒に行きたいね。でも海外だから、一生懸命バイトして、おこづかいためなきゃ」
「たまる前に果南ちゃん帰ってきちゃうじゃん!」
「そっかぁー!」
曜の軽口に三人は笑い合う。果南の海外留学は一年間の予定である。