[完結済み] この夜に祝福を。 作:Rabbit Queen
綺麗な月が出ていた。美しく、儚いその姿に私の瞳は奪われていた。
奪われたのは今日が初めてではない。
この世界に来てからは毎日のように、月を見てはこの瞳は奪われていた。
飽きることがないその月に、まるで恋を抱くように、見つめる。
もしこれが本当に恋ならば、決して届くことはない恋愛話として本にすればきっと売れるだろう。
ああ、愛しき月よ。
どうか今宵も、私と共に時間を過ごしておくれ。
この長い長い夜を、共に――。
「月花夜兎さん。貴方は残念ながら死にました」
あの日、死んだはずの私は目を覚ますと、自分を女神と名乗る少女に自分の今の状況を説明された。
少女の話を聞きながら、私は死ぬ直前の事を思い出していた。
月花夜兎。
これは本名ではない。本名ではないが、私はこれを本当の名前のように扱っている。
元々の名前は忘れてしまった。女神を名乗る少女も知らないらしい。
まぁ、知らないのなら仕方ない。私も、そこまで興味はなかった。
私がこの名前を使っているのは、なんてことはない、ただ単に生きていた頃の仕事がホストだったからだ。特別理由があってこの名前が気に入ってるわけではない。
ただ、名前を決めたのは自分だったのは今も覚えている。
先輩方から自分の名前を決めろと言われた時、私はただ自分の好きな物を言っただけだった。
月、花、夜、兎。
趣味も人と話す話題も持っていなかった私が、好きか嫌いかで言われれば恐らく好きだと思ったそれらを述べた。それが、そのまま名前となった。
月、花、夜は、どれも共通があって好きではあった。
美しくて、儚くて、決して、人の手には届かない物。
私は、そんなものに憧れていたのかもしれない。
暇さえあれば、ただじっと、夜になると月や花を見ていた。
言っておくと、私は夜型の人間ではなかった。
かと言って、朝方の人間でもない。少し、複雑なのだ。
夜になると見える月が綺麗で、その影響もあってか、花に関しても夜に見ないと惹かれるものがなかった。朝に花を見ても、ただの花で、それ以上のものは何も感じなかった。
それほどに、夜というものにも、私は強く惹かれていた。
夜になれば、私が欲しかったものが全て揃う。この心が満たされる。
そうして、私は長く、月と花、そして夜を共にしてきた。
初めて瞳を奪われた日から、丁度10年が経とうとしていたある日の事だった。
その日は、私がホストになって10年という記念で、普段私を指名してくれている女性の方々からお祝いの席と、多くのプレゼントを貰った。
他人から写った私がどう見えているのかわからないが、私自身は至って普通の容姿をしていた。
実際、指名してくれている女性というのも二人だけで。
私と比べ先輩方やトップの人は何十人と多くの女性を魅了していた。
彼らのスキルと生まれ持った容姿は素晴らしいものだとは思う。
ただ、私は彼らほど女性に飢えてはいないし、富や地位などにも興味はなかった。
指名してくれるお客様の事は、勿論大事にしていた。
彼女達が望めば一緒に食事もするし、夜を共にしたこともある。
ただ、後者に関しては、一度だけ関係を持つと、その後はパタリとその話題を振らなくなる。
私が早漏やEDなわけではない。もしかしたら、ただ単に下手だったのかもしれない。
もしそうじゃなければ、一つだけ思い当たるフシはある。
そう、それは私があまりにも、夜や、その夜に輝く月に惹かれてしまっているから。
何をやっても、何度同じ時間を過ごしても、結局変わらなかった。
最後はいつだって、月を見て夜を過ごした。その姿が、きっと嫌だったのだろう。
だから私は死んだ。
きっと、名誉あることなのだろう。
私を想って、その女性は刺してきたのだから。
彼女は嫉妬したのだ。決して手の届かない月に。
不思議と痛くはなかった。
刺された事に関しても、まぁ仕方ないかと納得した。
こういう仕事をしているのだ、女性の嫉妬を買うのは容易い。
ただそれが他の女性ではなく、月に嫉妬したからなんて先輩方が知ったら笑うだろうな。
私を拾ってくれた今は亡き店長も、きっと笑うだろう。
薄れていく意識の中で、ただ一つだけ心残りだったのは、
もう二度とあの月を、夜を、過ごすことは出来ないのだろうという気持ちだった。
そうして、死んだ私は女神に呼ばれ新たな世界で生きていくという提案を受けた。
魔王を倒すという条件付きで。
私は断った。無理だと。
すると女神は私に言った。
手を貸してくれるなら特別な力を私に与えてくれると。
私は、やはりそんなものに興味はなく断った。
結果から言うと、女神が泣いた。
予想もしなかった。
女神というから、てっきり神の使いで素晴らしい知識や性格を持ったものだと思っていた。
泣くなどと、誰が想定出来ただろうか。
困惑しながらも、生前がホストだけあって女性を泣かせてしまった自分に恥じると、目の前で泣いている女神を名乗る少女をどうにか泣き止ませる。
どうしても泣き止んで欲しかったら条件を飲みなさい。
少女は泣きながら、それでも私を新しい世界に行かせようとしていた。
私はあやしつつ、再度断った。
とうとう大洪水のように泣いてしまった女神は、妥協として、魔王は倒さなくていいからその世界に行ってほしいと頼み込んできた。
私はそれでも断るしかなかった。
生まれてこの方喧嘩もしたことがない私だ。
きっと足を引っ張るに違いない。
私自身、この身を犠牲にしてまで正義の味方になりたいとは思っていなかった。
だからそれとなく話してみた。
それでも女神は駄々をこねて泣き止まなかった。
何故そこまでして私を連れていきたいのか聞いてみた。
女神は、このままだとノルマが達成出来ないと言った。
ノルマか……それが達成出来ない辛さは、ホストをやっていたからよくわかる。
私は亡き店長に世話されてた影響もあってかそこまで酷くはなかったが、本当に酷いやつは先輩方によくリンチされていた。
あれだけは避けたいと思い、私も随分努力した。
そのおかげもあって、記念を祝ってくれる程度には指名客が付いた。
それほどに、ノルマというのは厳しいものだ。
あまりにも可愛そうで、しかし自分の身を考えると、すぐには答えれなかった。
その姿を見て呆れたのか、別の女神が現れるまでは。
別の女神は泣いて地面に張り付いている女神を引っ張りながら言った。
無理に行かなくてもいいと。その言葉を聞いて、少しホッとした。
少なくとも選択権はあったからだ。
その言葉を聞いてか、泣いている女神は更に泣き出す。
身体中からそれらを出し切るように、延々と泣き出す。
その姿がなんとも哀れで、見てるこっちが悲しくて。
そうして、私は遂に折れてしまった。行ってもいいと。
するとどうだろう。
さっきまで泣いていた女神は急に立ち上がると、ほんとにほんと? と顔を近づけてきた。
急な出来事にびっくりしたが、その気持ちに嘘偽りはない。私は答えた。
それを聞いた女神は涙を拭うと、どこからか取り出したお酒が入ってそうな瓶を取り出し、飲み始めた。ゲフ―というゲップと共に流れてきた匂いが、アルコールだとすぐにわかった。
「最初からそうしなさいよね」
女神はそう言うと再び瓶に口を付けて飲み始める。
まさか、嘘泣きだったのか。見事に騙された私は自分の甘さに反省した。
まぁ、約束してしまっては仕方ない。
私はもう1人の女神に言った。
行ってもいいが、本当に戦うつもりはない。
行っても、邪魔になるだけだと。
その女神は私の言葉を最後まで聞くと、それでも大丈夫ですと答えた。
話を聞けば、別に魔王を絶対に倒さないといけない、なんてことはないらしい。
既に魔王討伐の為に出ている冒険者なるもの達がいて、私は保険という形で送られるらしい。
それと、戦わなくても、例えば生産や料理など別の形で協力してくれても構わないと言ってくれた。もしその気があるなら、それをしてくれるだけでもありがたいと。
残念ながら私は料理も物作りも得意ではない。
ただ少しだけ、人の話を聞くのが得意だった。
時には、相談事を聞いてあげたりと。それしか、私にはなかった。
生活の仕方は各自に任せると言われた。
どんな暮らし方をしても構わないと。
ただ、やはり人様に迷惑をかけるような事はやめてくれと警告された。
無論そのつもりはないし、仮にしたとしても返り討ちにあうだけだろう。
私は了承し、最後に特典について話をされた。
転生するにあたり、特別な力が与えられるらしい。
それは武器でも、防具でも、能力でも。
何にするかと聞かれ、私は悩んだ。
力をくれると言っても、やはり私は戦う気はない。
私と同じように転生した者が居るなら、そういう物を取って戦っているはずだ。
なら、無理して私が戦う必要もない。
もしもの為に防具は必要だと思った。
とはいえ、四六時中警戒してそれを着るのも嫌だった。
重い物は苦手だ。私は武器と防具を選択肢から外した。
そうなると、残ったのは能力だ。とはいえ、欲しい能力などなかった。
「……初めてですね。ここまで悩んだ方は」
説明してくれた別の女神がそう呟いた。
そうか、そう思うほどに私は彼女達を待たせてしまっているのか。
そう思うと余計に焦り、なかなか決まらなかった。
「なんでも良いんですよ?ワープとか、時間停止とか、なんでも」
ワープ……瞬間移動的なものだろう。
好きな所に一瞬で行ける。そんな能力。
悪くはないと思ったが、生憎私は歩くのが嫌いではなかった。考えて、その案はやめた。
時間停止は、聞いてすぐにやめた。
この能力があればきっと、いつもよりずっと夜を過ごせる。
いつもよりずっと、月を見ていられると思った。
だが、それだけは駄目だ。
それをやってしまったら、本当に私の中にはなんにも残らなくなってしまう。
欲しい物とは、手に届かないからこそ、欲しくなるのだ。
簡単にも手に入ってしまうそれに、果たして価値はあるのだろうか。
少なくとも、私にはない。
それに、私が夜を好きなのはそれだけではない。他にも、理由はある。
悩みに悩んだ結果、私は言った。
そうだ、ずっと、あればいいなと思っていたものがあった――。
そうして、私は異世界に飛ばされ、独り夜を過ごし月を見ていた。
空には美しく輝く月が、私を見下ろしている。
夜に流れる冷たい風を肌で感じつつ、テーブルに置かれたグラスを持ち、中のそれを喉に流し込む。……美味い。まさか、こうしてじっくりと酒を味わえる日が来るとは、夢にも思わなかった。
私が望んだ能力。それは、酒豪になること。
恥ずかしい話、私は酒が凄く弱かった。
お酒を扱う仕事をしているのに、普段飲んでいるのはお茶で、新しく指名してくれたお客様にはいつも笑われていた。
仕方がない。生まれつきなのだ。
何度も吐くまで飲んで、慣れさせようと先輩方は手伝ってくれたのだが、駄目だった。
お前に酒飲みの才能は無いと言われた。ガッカリした。
それでも何とか頑張って仕事をした。
酒が飲めないデメリットはとても大きく、固定客を見つけるまでは本当に苦労したものだ。
まぁ、新年会の度に先輩方や後輩には笑われていたのだが。
そんな私が望んだ能力。
ただアルコールに慣れるために吐くまで飲まされていたお酒。
本当はずっと憧れていたのだ。これをじっくり飲んで味わう日を。
それが叶った。とても嬉しくて、それだけで、ここに来て良かったと思えた。
ただ、そんな夢が叶っても、やはりあれには、敵わない。
生前に居た世界では到底見ることのなかった、とても綺麗な月。
あっちの月も美しかったが、この世界の月を見せられると、私は今まで以上に夢中になった。
そう思うほどに、この月は美しく見えた。
当然だろう。この空は汚れていないのだ。汚れていない空が、汚れのない月を輝かせる。
こんなにも、美しく、こんなにも、儚いなんて。この月を見る度に、私の心は惹かれていく。
そっと右手を空に伸ばす。
汚れのない月を、空を、決して汚すことをしなかったこの手でゆっくりと握る。
この為に、私は自分を汚さなかった。月に見合うように、私は努力した。
やっと、月に少しだけこの手が届いた気がして。
――それが気のせいだと知って、小さく微笑んだ。
そうだ。これでいい。
欲しいものは、届かないからこそ、欲しくなるのだ。
今はまだ届かなくても良い。時間はたっぷりとある。
だからこそ、月よ、夜よ。
今宵も私と過ごしておくれ。
この長い夜を共に――。
多分読み方は月花夜兎(げっかやと)
書いててお酒を飲みたくなったのは内緒。
不定期更新。続くか未定。続いたら兎の意味がわかります。