モクちゃん号の前方は、床板がパカリと外れるようになっている。
あらわになった骨組みの下、ぽっかり空いたスペースには、毛布にロープにハンモック、服や下着にリュックと本、そして二本のオールが仕舞ってあった。
島の海岸線に沿い、オールを漕いで舟をすすめる。帆は2つともしっかり畳んで、大きすぎるカヌーのように、腰をおろして櫂を押し、櫂を引き、とくりかえす。
ふりかえれば、ヴァメルの港は遠ざかり、もう見えなくなっていた。無骨な岩場の数々と、時折かすかにチラリと見える、砂漠の姿が視界を彩る。
そのどこにもかしこにも、見わたす限りに、鳥がいない。やっぱりそうだよなぁ、と重い気持ちになりながら、舟を進めたせいだろうか。
異変に気づいたのは、その場所に入り込んでしまったあと。
「うんっ?」
妙な手ごたえを感じ、疑念をいだいた。舟が前に、進まない? 海藻か何かにひっかかったか?
いいや。どちらかというとこれは、川を逆走しているような……。
「ああ? 嘘だろこれ、さっき言ってた大きな川って、」
オールから手を離し、立ち上がる。
見える世界は、端の端まで、水面である。
「これ………川ぁ!?」
でかすぎねぇか!?
海だと思ったら川だった。何を言っているのかわからねぇと思うが、たぶんきっと、これは川なのだろう。
水面下に手をつっこめば、かすかに水の流れを感じる。海の波打ち方じゃない。前方から後方へ、ゆるやかながらに迷いのない、一方的な水流だ。
海岸線に沿っているつもりが、知らぬ間に、川べりに沿って、川を逆走していたようである。
そんなことある?
「っええええええ!?」
納得いかねぇ!
こんな時こそ、見聞色の覇気だ。ソナーのように微弱な覇気をばらまいた。
基本的な性質として、生物の覇気は、他の生物の覇気と反発しあうものである。
はね返ってきた、さらに一回り微弱な覇気を感じとることができれば、周囲に生物がいるか否かが分かる。
私の展開できる、見聞色の覇気の範囲は、最大で半径50キロ。
私は、自分を中心として、楕円形に覇気を広げることができるため、水中や地中、海中の生物もある程度察知できる。
これを逆手にとれば、どこに陸があるかもわかる。魚がいれば、そこは水中。モグラがいれば、そこは地中だ。
モクちゃん号を中心とした、半径50キロの範囲内に、陸はあった。私からも見えている、右側の陸地だ。
しかし問題は、それとは真逆の、左側。
おおよそ30キロ先に、魚がいる。30キロ先まで、水である。
その先にも、地中にいる生き物の気配が感じられない。
これほんとに川か!? 川幅30キロ以上ある川って、あるのか!?
「えっつか、なんだこいつら」
ひとりごとが聞こえた訳ではないだろうに、絶妙なタイミングだった。
(おそらく川岸なのだろう)ベージュ色をした、大岩の上。
「クオーッ!」と威勢よく鳴きながら、一匹の珍獣が現れたのだ。
「亀?」のような甲羅を背中にしょっている。背中だけじゃない、頭の上にも、ヘルメットような形の甲羅。
その体も全体的に、くすんだ緑色をしている。
しかし下半身には、足がない。イルカのような尾っぽを地面にべたりとつけて、胸を張って立つその珍獣。
「クオッ、クオッ、クオクオッ!」と言いながら、シャドーボクシングをシャシャッと始めた。
そう、腕がある。二本もある。
ヒレと言うには太く長すぎるが、指はないので、ヒレだろうか。
顔はといえば、まるっこい頭に、つぶらな瞳、可愛らしいライオンのような口元。
つまりこいつは………さっぱりわからん! だれだお前!
初めて見る生物に、テンションが上がった。これだから旅はやめられない。グランドラインは宝の山だ。未知との出会いがゴロゴロしている。
「やぁ、私はマジェルカ、シェルディーナ・マジェルカ、旅人だ。よろしくっ!」
片手をあげてあいさつしてみる。すると………(命名)亀ラッコは、シャドーボクシングの手を止めた。
ふしぎそうに首をかしげて、「クオッ!」と片手をあげて見せる。
そうしてくるりと振り返り、大岩の裏側を見下ろしたかと思えば、クイクイッと手をこまねいて、何かを呼んだ。
すぽんすぽんすぽんすぽん! と岩の上に躍り出た、あらたな(仮名)亀ラッコたち。
大岩の上まで、ジャンプして飛び乗ったらしい。相当な脚力……いや、尾ヒレ力?である。
ズラリと並んだその数は、100匹とすこし。
そいつらは皆、礼儀正しく、「クオオオーっス!」声をそろえて礼をした。
「あっ、どうも」つられて私も礼をしよう、と、したその時。
「クゥウウウウォオオオオオォオウッ!」
100匹あまりが一斉に、私めがけて落ちてきた。事故ではない、目を見ればわかる。
つぶらな瞳はしっかりと、私の姿をみさだめて、ふりあげた己の拳を叩き込まんと、闘志の炎を宿してギラつく。
「おおおおっ?」
どうやら、私を歓迎してくれるらしい。彼らの拳に殺気はない。あるのはひたすら純粋な〝戦い〟への熱意。
なんだか嬉しくなってしまう。幼少期を無人のジャングルですごした元野生児としては、いつまでたっても憧れなのだ、こういう、獣同士ならではのスキンシップ!
一番槍の一匹を、つかんで手首をひるがえす。投げ飛ばされた一匹は、巻き込まれた数匹とともに視界から消えた。水面がボシャボシャシャン!と音をたてる。
ポイポイポイ、とはじめの数匹を手首のスナップで投げながら、「お相手しようっ!」返答を発した。
おそらく先ほどの一礼は、〝試合してくれ! おねがいしまーす!〟というような意味だったのだろう。
人の言葉がわかるのか、彼らの瞳の輝きは、よりいっそう鋭さを増す。
亀ラッコ(仮)たちは、一体一体が1メートル30センチほど。筋肉でしっかり太ったその体躯は、おそらく私よりも重たい。
私は決してチビではないが、私より小さく軽いケンカ相手など滅多にいない。
私は決してチビではないが、この海で生き残ろうと思えば、ウェイトや体躯の差を覆す戦法など、基本中の基本である。
とんできた拳には、肘をつきだした。新体操のボールをあやつるように、相手の動きを二の腕でうけとめ、しなやかに肩を回せばいい。念押しに、手の甲でくいと後押ししてやれば、ほら。
拳を出した一匹は、加速した己の勢いを止められず、後方へふっとんでいく。
肩の先で、ふくらはぎで、足の甲とつま先で、時には首のうしろをつかって、数多の攻撃をさばいていった。
私が相手を見るように、相手も私の動きを見ている。
頭上がガラ空きだ、と見たのだろう。仲間の体を踏み台にして、一匹が上空へまいあがる
「クゥオオオオーーーッ!」
なるほど。くるりと一回転したそいつは、尾っぽでビンタをかますつもりのようだ。
ちょっと面白そうなので、周囲の亀ラッコ(仮)たちをすばやく吹き飛ばし、待ち構える。
人間をふくめた、大抵の動物は、後ろ足の筋力が強い。パワーだけを比べれば、殴るよりも蹴りを放ったほうが強力な攻撃となる。
見た所、亀ラッコ(仮)の尾びれも、そうとうな筋力を保有しているようだった。あれだけしなやかにジャンプできるのだから、ひねりをつければ見た目以上の遠心力が味方する。
上空へとびあがったことにより、全体重と、位置エネルギーまでもが加わって、ひときわヘビーな一撃となるだろう。
避けるのはもったいない。いなすのも、もったいない。
タイミングを見計らってかち合わせようかと、拳を握って、やっぱやめる。いやいやいや、バカ正直に真正面から拳でうけたら折れちゃうよ、亀ラッコ(仮)の骨が。
「うりゃ」
それだから、手のひらを、差し出した。
ななめ前、約20センチ頭上にて、黒い手のひらと緑の尾ひれがぶつかりあう。
「おー!」
いい蹴りだ。ウェイトを余さず乗せてある。思わず頬がゆるんでしまう。
なんなんだろうな、いい攻撃をうけると、なぜかテンションが上がるこの現象。
音は鳴らなかった。そりゃそうだ。音も衝撃もなにもかも、私がすべて受け流している。
せっかくの〝歓迎会〟なのである。正面から拳をぶつけあい、互いの力を届けあいたいなぁとは思う。
しかし私は、ケンカが強い。このグランドライン前半の海で一番とまではいかないが、人間だけで比べたならば、ベスト30に入るほどには強い。
亀ラッコ(仮)をふつうに殴ってしまったら、相手がその場で千切れてしまう。
やさしく殴ってしまっても、相手はその場で死んでしまう。
ただ相手の攻撃を止めただけであっても、まるで岩山にぶつかったかのように、相手の方だけが大怪我を負ってしまうのだ。
見聞色の覇気をつかえば、相手の〝生命力の強さ〟がわかる。自分と相手を比べれば、〝地力の違い〟が浮き彫りになる。
亀ラッコ(仮)と私では、ケンカすることができないほどの、基礎力の差があった。
「クッ………! クオォ…………!」
手のひらでボールをキープするように、亀ラッコ(仮)をそうっと舟の甲板へ下ろしてやった。
ウェイトだけなら、私の3倍はあるだろう。ひときわ大きな亀ラッコ(仮)が床に降り立つと、モクちゃん号がグラグラ揺れる。
つかの間、打ちひしがれるかのようにうずくまった亀ラッコ(仮)は、再びバッ!と顔をあげた。
「クオッ、クオッ! クオッス!」
「……えっ?」
なんだこいつは。立ち上がったかと思えば、ヒレなのか腕なのかを、胸の前でクロスさせ、シュッと肘をひくような動きをみせる。
押忍! とでも付け加えたくなるようなポーズだ。
気配にハッと後ろをみれば、
「クオーッス!」
夏島のひざしに、きらめく水面。
投げ飛ばした亀ラッコ(仮)たちはみな、器用に立ち泳ぎをし、水上にとびだした体で、〝押忍!〟のポーズをとっている。
「んっ?」
負けを認めるポーズなら、ひっくり返ってお腹をみせたり、うなだれて頭を下げたりする、ものだろう。
〝押忍!〟のポーズをくりだす動物は、初めて見た。しかもこの状況で?
勝負がついたあとは、握手でもして、仲良くなれるかなぁと思っていたが、これは………?
「クオッ、クオッ? クオッ?」
モクちゃん号に乗る一匹が、ヒレだか腕だかを、片方、天に差し出した。そうして首を傾げては、チラチラ私をうかがっている。
……もしかして、私のマネをしてる?
……するってぇと、なにかい。チラチラこちらを見やる、その仕草。〝これであってる? こうすればいい?〟ってのを尋ねているんじゃねぇだろうね?
「……さっき、あんたを受け止めた、このポーズのことか?」
「クオオオッ!」
「できるように、なりてぇの?」
「クオッ!」
「教えてほしいの?」
「クオーッス!」
今度は〝押忍!〟のポーズに加えて、しっかり、コクコク頷いている。あっ、えええ……?
わけがわからねぇよ。わからなすぎて笑えてくる。
「あー……! うーん……! 教えてやるのは、ムリだな!」
「クオーーーッ!?」
「ただし! その代わり! 修行つけてやるよ!」
「オッ?」
「強くなりてぇんだろ? 私みたいに」
にやりと笑って問いかければ、「クオーーーーーッ!」100匹あまりが一斉に、気合の入った鳴き声をあげた。
ちょうどいい。
この場限りの舎弟となって、私のために働いてもらおうじゃねぇか。