はーい、あいてるよう、と女将さんが声をかける。そう言いつつも、わざわざドアを開けにいくところがこの人らしいではないか。
万一の事を考えて、腰のナイフに手を添える。
外は暗かった。砂漠の夜のつめたさが、ひやりと宿の中に忍び込む。
訪いを告げたのは1人の男。あまりの背丈に、男を見上げた女将さんは、ひゃやあ、と息を呑んだ。
「くっ、クロコダイル様っ!? どっど、どうなすったんですよう、ウチなんかにぃ……!」
「……私を知っているのかね?」
「知っているも何も! つい先週だって、ナノハナを海賊から守ってくだすったじゃあないですか! あたしら本当に感謝してますよう! クロコダイル様は、本当に本当の、英雄だって!」
「……やるべき事を、やったまで……。街の人々が、息災なようでなによりだ」
「あっ、ありがとうございます……! ……それで今日はまさか、ウチで、お、お、お、お食事ですか……!?」
クロコダイル〝様〟と呼ばれた男の背丈は、2メートルを優に超えるだろう。この夏島にそぐわない、ファーコートを肩にかけ、式典にでる貴族のようなシャツとベストをぴっしり身にまとう。
それでも到底、貴族には見えなかった。
よく鍛えられた、軍人のような体躯。温室どころか、数多の荒波をこえつづけてきた事を知らせる、分厚そうな肌。
その顔の真ん中を、真横に分断するひどい古傷が、カタギではない事を明示するようだ。
ドア枠の上、ギリギリに、ギラリと光る鋭い目つきこそ、なによりこの男の本質を物語っていた。
「……そうしたい所はやまやまなのだが……今日は別件でね。ここに………私の、〝古い友人〟がやってきていると聞いたのだよ………。久しぶりだなァ………! ミス・シェルディーナ……!」
荒れ狂う大海賊時代の抑止力とさせるべく、世界政府があみだした苦肉の策。
政府公認の海賊、〈王下七武海〉。
その名前をきかせただけで他の海賊をおそれさせ、世の暴虐を萎縮させることができるーーー〈王下七武海〉に名を連ねるのは、世界がそうと認めた無法者だけ。
政府の〝公認〟であるこの席についた海賊どもには、海兵さえも手出しはできない。
この男はその中の一人。
海賊、クロコダイル。
入れ替わりの激しいこの海で、20年以上、その名を轟かせつづける男だった。
わざとらしい笑みが、こちらを向く。どうやらここでドンパチするつもりはないらしい。
見せつけるようにナイフの柄をねっとりと撫でれば、奴は芝居がかった仕草で、両腕をゆるくひろげた。
宿の明かりを反射して、男の右手が金にきらめく。ーーーーかぎ爪だ。刃物の如く尖った、フック状の切っ先が、私の体の方を向く。
「……会わねぇうちに、ずいぶん出世したらしい。本当に、久しぶりだね、クロコダイル〝様〟?」
「〝君〟にそう呼ばれると、照れくさいものだなァ………! しかし、この島にやってくるなら、事前に教えてくれればいいものを………! 知っていれば、じっくりと〝歓迎〟の準備をしたのだがね………!」
「そりゃ、ずいぶん豪勢な〝歓迎会〟をひらいてくれそうなもんだ」
「〝君〟の訪問は、先ほど知ったばかり。慌ててこの街にやってきた……。急拵えだが、ホテルのレストランをおさえてある。食事でもいかがかな? ………つもる話も、あることだ………」
視界の端では女将さんが、私とクロコダイルを見比べている。あっけにとられたその顔を、これ以上魂消させるわけにもいくまい。
私は席を立った。
「そうだね。聞きてぇことも、言いてぇことも、山ほどある……。……女将さん、私、ちょっと出てくるよ。この宿に門限はある?」
「…………もっ…………ないよっ! ゆっ、ゆっくりしといで、ああ、開け、開けとくからね裏口!」
「ああ、よろしく」
「決まりだ。レディには支度もあるだろう、おれは先に行く。待ってるぞ、ミス・シェルディーナ……!」
クロコダイルは指を、パチン、鳴らした。
それを合図に、男のまとうファーコートがサラサラと砂になり、風に消えて行く。
何万年を早送りしたかのような、急激な風化。ついにはクロコダイルの不敵な目元までもが砂となり、どこへともなくかき消えた。
「………あっ、はああ、これが………クロコダイル様の、悪魔の実の能力なのかい……!」
初めてこの目で見ちゃったよ、とぼやきながら、女将さんはフラフラと壁に寄りかかる。
ロギア系・悪魔の実の能力者。
クロコダイルは、万物を干からびさせ、砂に帰すことができる。己の肉体でさえも。
男の姿がきえたドアの向こう、私は暗がりの中へと踏み出した。
太陽が沈んだとたんに、冷たくなった砂漠の風。 えっ、ウソだろこんなに寒いんだったっけ? 寒いの苦手なのに……。
星がポツポツと出ている。
肩を抱きたくなる手をグッとこらえ、ナノハナの街をおおうように見聞色の覇気を発動さた。なだれこんでくる膨大な情報量。頭がくらりとする。
ロギア系の能力者の気配は、ひとつも感じ取れなかった。クロコダイルの強みである。
奴は今、〝全身を砂の粒子にして〟いる。
奴がもつ気配もまた、砂のように小さく分裂されているのだ。そのひとつひとつが〝小さすぎる〟ため、気配感知ではとらえきれない。
私の見聞色であっても、2メートル以上はなれてしまえば、砂になった奴の存在をつかむことは不可能だった。
〝食事会〟の場所を知るには、クロコダイルが元の肉体に姿をもどすまで、見聞色を発動させつづけねばならないだろう。
街中での見聞色は、あまり長い時間やりたくないのだが。
嫌がらせか、あの野郎。
ようやく捉えたクロコダイルの気配をたどってゆくと、街のほぼ中央にそびえたつ、七階建に行きついた。
どことなく、チキュウの文化の、古代ローマを思わせる佇まい。角のとれた四角い建物がならぶなか、ひとつだけ、円形をかたどっている。
天からは月、地上からは街灯がてらす。
クリームホワイトの外壁にはところどころ彫刻までなされており、〝このホテルは高級ですが?〟という無言のメッセージを届けてくるようだ。
嫌な予感をいだきながら近づけば、案の定。
ホテルのドアマンには拒絶され、言いくるめてロビーに入ればフロントマン総出で止められ、警備員まであつまりだす始末。食事どころか、レストランまでたどり着けるのか、これ。
なるほど。この〝食事会〟すべて。
私への嫌がらせだろあの野郎!
チキュウの日本でも、身分制度があった頃はそうだったのだろう。身分制度が大前提となっているこの世界では、〝大金持ちでも、庶民は庶民〟。
このホテルのような〝特別贅沢な〟店は、大抵、上流階級をターゲットとしている。
金持ちを相手にするという意味ではない。〝身分の高い人間だけ〟を客にするという意味だ。
たとえ何億ベリー積み上げようが、身分の低い人間ははいることさえ許されない。
その法則にのっとれば、世界政府の国民ですらもない私など、庶民以下の、以下の以下。
たとえば世界政府加盟国にすんでいるネズミの方が、まだ、私より〝身分が高い〟のである。
このホテルが私の入場を許すわけがない。
そしてクロコダイルは、あらゆる方面で、頭の切れる男であるとの評判だ。
分かってて、ここに呼んだんだろ、あの野郎!
ぐるっと私をとり囲む警備員たちは、槍のように長い警棒でもって、グイグイ私を押してくる。私は人里に迷い込んできたクマか?
素直に出てってやるのも癪だ。
シャンデリアの照らすロビーで、仁王立ちをかます私は、ビクともしない。
20人ちかい屈強な男どもが、寄ってたかってそれなのである。たまらず一人は、警棒をグッと引き、突きをくりだしてくる。
棒術か槍術の使い手なのだろうか、フォームは鋭く、ムダがなかった。
私の二の腕にまっすぐ入ったその一撃で、ボキリと折れた。私の腕より太いであろう、警棒の方が。
もともと悪化していた警備員たちの顔色が、制帽の下、冷や汗をかきはじめる。
「クッハッハッハッハ!」
そこに響いた、一人の男の笑い声。
エントランスロビーの奥には、やたらと気合の入った、巨大な階段がのびていた。よこ幅だけでも5メートル近くあるだろう、その上階からカツリカツリと降りてくる、ファーコートを引っ掛けた大男。
「随分おもしろいことをしているようだが、ミス・シェルディーナ。それは食事の前の、余興かなにかかね?」
見下ろしてくる奴のことなど、見上げてやってなるものか。
フン、と鼻息を一つ鳴らして、私は困惑する警備員たちに告げた。
「だから言ったじゃねぇか。私は、クロコダイルのバカ男に、招待された客だと……!」
王下七武海は、世界政府〝公認〟の海賊だ。
他の海賊からうばった財宝の一部を、世界政府へ献上するかわりに、逮捕をまぬがれる。
言ってしまえば、ただ、それだけ。七武海の席についたからと、本人の〝身分〟が上がるわけではない。
王下七武海の一人、クロコダイルであれど、世界政府のさだめた指名手配犯であることに変わりはない。その身分の立ち位置は、私と似たようなものだ。
本来であればこのような、〝カタギ用〟〝上流階級用〟の〝高級ホテル〟を、利用できるはずはなかった。
しかし先ほど、ホテルマンは言っていた。『本当に、クロコダイル〝様〟のお連れ様であれば、もちろんお通ししますが……』と。
宿屋の女将も言っていた、『クロコダイル〝様〟』は『本物の英雄』だという言葉。
だれにどう〝公認〟されようが、くさっても海賊である。
乾きの能力をあやつるこの男は、腐るというより、ミイラ化するのかもしれないが、たとえミイラになっても海賊は海賊。
七武海だろうがなんだろうが、海賊におそわれ奪われる側である、島の人間たちから慕われるなど、まずありえない。よっぽどの事がないかぎりーーーーー。
ようやく通された先は、広間のような場所だった。
〝高貴な〟方々の利用するレストランである。すべてが個室であり、そのすべてがここのように、アホのような広さを誇るのだろう。
シャンデリアに照らされる調度品の数々。
別段、悪趣味なものではないが、興味がわかなかった。こういった〝お高いホテル〟は、どうしてどの島でも似たような内装になるのだろうか。
「席を外してくれるかね? 彼女は、久しぶりに再会した〝古い友人〟なものでね。二人きり、心ゆくまで話がしたいのだ」
「かしこまりました」
ズラリと並んだ料理の向こう、クロコダイルは鷹揚につげた。シャンパングラスに酒を注いだ、給仕の男は一礼し、優雅なふるまいで部屋をでていく。
ホテルに無理を言ったらしい。王侯貴族の会合に使われそうなテーブルの上に、コース料理として出てくるはずであろう上品な品々があらかじめ並べられてる。
給仕の男の手によって、重厚な扉がしめられる寸前、クロコダイルはグラスを置いた。
ファーコートの胸元からとりだす、葉巻。
指輪でいろどられた男の指が、一本ピンと伸ばされる。
数瞬後、くわえた葉巻にジリジリと、火がついていった。
ここは言わば敵地だ。部屋の隅々まで届くよう、見聞色の覇気を発動させている。
たった今、悪魔の実の能力が、発動する気配がした。
葉巻に灯った高熱は、クロコダイルの能力によるものだった。乾きの能力を応用し、熱を生み出したらしい。そんな事もできんのかい。
シャンパンをシャンデリアに透かして、その気泡をながめてみる。毒は入っているだろうか。見た目じゃわからん。
どうせ生半可な毒は、私にきかない。
口づければ、清流のような炭酸がはじけた。辛口だが、まろやかだ。一拍おいて浮かび上がる、かすかな果実の甘い酸味。あれっ、うまいじゃんこれ。
葉巻の紫煙が宙を舞う。クロコダイルは〝英雄〟の仮面をぬいだらしい。
私の知っている顔つきとなった、不機嫌そうな口元から、聞き覚えのある低いかすれた声をだす。
「………あいさつはいらねェだろう……。楽園の悪鬼。……テメェ……〝おれの島〟に、なにをしにきやがった………?」