「話……?」
エースに会ったらどう切り出そうかと、ずっと考えていた。どれだけ考えても、正しいことばは思いつかなかった。
直接その目をのぞき込めば、答えも見つかるだろうか。
見下ろしたエースの黒い瞳は、ほんのり、赤みがかっている。
「ああ。……おやっさんにはエースと話をしてやってくれと、頼まれた。……私も、あんたと話が、したかった。……あんたの真意が知りたい。あんたが…………どこまで、真実を、知っているのかも」
そっと、足をどける。覇気は、己の内側から湧き出すものだ。私が流し込むのをやめれば、エースの覇気は自然と回復する。
元々の生命力がデカければデカいほど、回復も早い。徐々に感覚がもどってきたのだろう。ピクリと指を動かしたエースは、ゆっくりと体をおこした。
レバーブローの余韻にか、表情をしかめつつも、もう暴れるつもりはないらしい。テンガロンハットを被りなおすと、砂の上にあぐらを組み、虚空をながめる。
「………真実…………」
ぽつりとこぼしたエースの、表情は読み取れない。
目を閉じて、深く呼吸する。白ヒゲのおやっさんは、本当にイヤな男だった。こんな話を、私の口から言わせようというのだから。
私の声は、知らずと掠れる。
「…………サッチを………殺したのは…………ティーチじゃない」
この島は乾燥しすぎている。砂漠の風が目にしみる。涙が視界をうるませるのは、きっとそのせい。
ウソは嫌いだ。デメリットが多すぎる。
相手を思いやるためのウソだったなら、バレた時、より一層相手の心を傷つけてしまう。相手を選んでウソをついたとしても、繰り返していれば、己の言葉の重みがなくなる。ウソは聞きたくもない、吐きたくもない。
それでも今は、ウソをつこうと決めた。あの世まで貫き通し、真実と見紛うようなウソを。
「サッチを………斬りつけたのは、ティーチだ。だが殺したのは、ティーチじゃない。………サッチは…………病で、死んだんだ……。サッチを殺したのは、病気だ………」
ふざけるな、と、エースは殴りかかってくるかもしれない。そんな予想に反して、エースは微動だにしなかった。
地平線のすぐそばで、砂がまきあがる。竜巻が起こっているらしい。金の柱は歪みながらも、遠くの砂漠をえぐっていく。
エース、いや………白ヒゲ海賊団、二番隊隊長は言った。
「それは違う。…………サッチを殺したのは、ウチのオヤジだ。ティーチでも病気でもねェ………」
テンガロンハットを深くずり下げ、エースはつづける。
「白ひげの本船クルーは、全員、知ってるさ。サッチが病を抱えていたことも………その病が発症したら、すぐに、自分を殺してくれと………サッチがオヤジに頼んでいたことも…………。オヤジが、その願いを叶えてやったことも」
唇がわななく。意味のない言葉が、口から漏れた。
「……知ってたのか……!?」
エースは小さく笑った。
「オヤジやマルコなんかは、おれが〝知ってる〟ってことを、知らねェだろうけどな。………隊長の肩書きはもらったが、白ひげの中じゃあ、おれはまだまだ新参者だ。クルーたちの事情には、うといと思われてる。なにより…………サッチ本人が、それを隠したがってたから…………知ってても、みんな知らねェフリをしてたし………おれも知らないフリをしてきた」
砂の地面に、膝をついた。血の気がひいているのだろうか、熱いはずの地面が、熱いとも感じない。
「だったら………! どうして、船を飛び出した………!? ティーチは仲間殺しをやらかしちゃいない! ティーチ本人は、自分がサッチを………殺したと………思っているだろうが、事実じゃない! あんたがティーチを追いかける必要もねぇだろう!」
「それも、違う」
エースがようやく、こちらを向く。まっすぐにかち合った瞳の奥。
赤みがかった男の目の深いところには、とても静かな海が宿っていた。
「事実がどうであろうと。ティーチの野郎は、〝自分が仲間殺しをやらかした〟と思いこんでる。そして、そのまま逃げたんだ。殺しちまったかもしれねェ仲間のことを……助けるでもなく、放置したまま……! 仲間殺しも同然だ……!」
私はとっさに、何も言えない。
エースはふと、視線をそらし、彼方を眺める。「それに」こぼされた男の声を、砂漠の風がかき消そうとする。
ノイズにまみれたエースの独白は、それでも確かに、私の耳まで届いた。
「白ひげ海賊団は、デケェ……。お前の言う〝真実〟を知ってるのは、本船クルーたちだけだ。白ひげには、本船の他に、千人以上のクルーがいる。傘下の海賊たちもいる………。………そいつらから見れば、ティーチが、仲間殺しの下手人、それが真実。……………そのティーチを逃がすことは……………仲間殺しの大罪人を、白ひげが、許したことになる…………。だれもティーチを追わなかったら………白ひげの結束が………崩れる」
白ヒゲが他の海賊から恐れられ、また、白ヒゲが身内から慕われる、最大の理由。
【白ヒゲは、仲間の死を、許さない】。
どんなバカなことをしでかした野郎だろうと、身内であれば、白ヒゲは必ず助けに行く。他のすべてのクルーたちの命を危険にさらすことになろうとも、白ヒゲは、絶対に、仲間を見捨てない。
【白ヒゲ】の名がもつその【誇り】こそが、白ヒゲ海賊団の結束を生んでいるとは、エースの言った通りだ。
しかしそれなら、身内の全員に、真実を伝えればいいじゃねぇか、とは、言えなかった。
おやっさんがなぜそうしなかったのか、その事情を知っているから。
「サッチは………おやっさんに、願ってたらしいな。病を発症し………おやっさんに、介錯されて、死んだとしても……………自分が病気だったことを、公表しないで欲しいと………」
エースがピクリと、こちらをうかがう。
「そこまで知ってるのか……!? その通りだ。オヤジはサッチとの約束を、破らねェだろう、なにがあっても。………おれたちはオヤジに従う」
「だから………! だから、身内にも、サッチの死の真相を………話さねぇつもりか………!?」
「サッチの願いだ。……仲間の願いだ……。叶えねェ理由がねェ。…………マジェルカ、お前は元から知ってたようだし、例外だな」
エースの瞳に気負いはない。
船長の制止さえふりきって、怒りのままに、船を飛び出して来た男の目には、到底見えなかった。
「それじゃ、お前……! サッチの願いと白ひげの誇りを守るために………! 一人だけ悪者になって、船飛び出して来たのか!?」
エースはからかうように笑った。
「おれは海賊だぜ? 元から悪者さ」
ああ。全身から力がぬける。砂地にペタリと、座り込んでしまう。
だから海賊はイヤなんだ。まっすぐ過ぎて妥協ができねぇ。
信念をまげるくらいなら、死んだほうがマシ。仲間との約束をやぶるくらいなら、戦争になった方がマシ。
本物の海賊ってやつは、そんな頭のおかしいことを、平気でやってのける。
サッチの死んだ、3月15日。
あの日、ティーチに斬りつけられたサッチは、岩場で倒れていたところを、白ヒゲ本船に発見された。
サッチが起き上がれなかったのは、傷のせいじゃなかった。出血のせいでもなかった。
足首から下が、動かなくなっていたのだ。
遺伝性の病だと、かつてサッチは言っていた。
いつ発症するかはわからない、死ぬまで発症しないかもしれない。
ただ、発症したら最後、治療法はない。
手足の先から順々に、石のように動かなくなって行く病だった。じわじわと体の自由がなくなってゆき、最終的には、〝頭が狂って死ぬ〟。
病が脳に達するころには、体の自由はほとんどない。暴れることはできないが、その分、周囲の人間にひどい暴言をはきつづけるようになるという。
きれいな死に方をするのは、難しい。
サッチは海賊になる前、この病を発症した実の親の看護をしていた。病のせいで、人が変わってしまったようだ、と、思えるうちはまだ良かったらしい。
人の記憶は上書きされる。
だんだんと、わからなくなっていくのだと言っていた。
自分の親は元からこんな性格の人間だったんじゃないのか。今まで口に出さなかっただけで、本当はずっとそう思っていたんじゃないのか。
今まで自分が知っていると思っていた、親の姿の方こそ、ニセモノだったんじゃないのか。
じわじわと広がる病の性質から、すぐに死ぬことはない。長い長い闘病になったのだという。
暴言は病のせいだと頭ではわかっていようと、毎日毎日くりかえされれば、心で信じられなくなっていく。
最期にはもう、親子の情を感じられなくなっていたと、サッチは冷たい顔で言っていた。
遺伝性の病だ。逃げようがない。逃げ方もわからない。それでも逃げずにはいられない。
そうしてサッチは海に出たのだという。
サッチはお節介で、他人の私にまで心を砕くような男だった。仲間が相手となれば、それ以上に、小うるさく世話を焼いていた。
なにより己が【白ヒゲ】の一員であることを、誇りにしていた。
白ヒゲ海賊団のことだ。もしサッチが病を発症しても、絶対に、見捨てることはしなかっただろう。
それがサッチは、怖かったのだろうと思う。病に犯された自分がやがて、かけがえなく思っている仲間たちへ、ひどい侮辱のことばを投げかけてしまうであろうことが。
発症したらすぐに殺してほしいという、サッチの願いは、自分の死に方をえらぶための言葉じゃなかった。
自分の生き方を、最後まで、失わないための願いだ。
己の尊厳を、守るための願いだ。
海で生きるのは、危ない。荒波の上の暮らしは、毎日毎分、地震におそわれ続けているようなもの。
グランドラインではこれに加えて、水面下から人食いの猛獣どもまでとびだしてくるのだから、陸の暮らしとは比べようがない。
それでも人が海に出るのは、己の生き方を、貫くため。
陸の安寧を捨ててまで、しがらみから離れ、己の尊厳を守りつづけるためだった。
海に生きる者の一人として、痛いほどわかる。
サッチの願いも、サッチの願いを叶えてやった、おやっさんの気持ちも。
病だったことを公表しないでほしいといった、サッチの願いを叶える。だからサッチの死の真相は、身内にだって話さない。
たとえそれによって、〝ティーチがサッチを殺した〟ように見えてしまっても。
〝仲間殺しをやらかしたティーチのことを、白ヒゲが見逃した〟という、身内の絆をゆるがすような疑惑がもちあがったとしても。
エースは、サッチの願いを破らないまま、その疑惑を払拭するために、船長の命令にまで背いて、単身、この海にやってきたのだ。
もう。
どうすりゃいいんだこいつらはもう。
あぐらを組んで、頭をおさえた。エースは、「だが」言葉をつづける。
「おれは、ティーチの野郎が許せねェ………! おれたちは海賊、鼻つまみ者の悪党だ。それでも、だからこそ、超えちゃならねェ一線はある……!」
怒りのこもったエースの拳が、ブワリ、炎に変わる。
「ティーチに斬りつけられた時、サッチの病が発症したんだ。偶然だと思えるか!? 信じてた仲間の裏切りが……ティーチの裏切りが……! サッチの病の、引き金になったんじゃねェのかよ! ティーチは古参だ、サッチの抱える事情についても、知ってたはずだぜ………! それなのに………ッ!」
砂地をなぐったエースの拳が、ボォン、と小さな爆発をおこす。
「ティーチの野郎がしたことは、仲間殺し、そのもの………! おれがティーチを追うのは、白ひげの結束を守るためだけじゃねェ。ティーチに、テメェのしたことの………ケジメをつけさせるためだ………。テメェのしたことの、重さを、教えるためだ………! それが……あいつの所属してた二番隊の隊長である、おれのやるべきことだろう………!」
私を睨みあげた、エースの眼。テンガロンハットの影のなか、燃えるような眼光がある。
私は思わず、言っていた。
「エース………お前………死ぬぞ。このままティーチを追うなら………。あんたはティーチに勝てない」
エースの答えは簡潔だった。
「構わねェ」
「おれが死んでも、白ひげは崩れねェ。だが………仲間殺しの下手人を………みすみす逃し………追いかけもしなかったら………。それが真実だと、周りに思われちまったら……。白ひげの名が、穢れる」
とても静かに、エースは付け足す。
「おれの生死はどうでもいい」
私は目を見張った。
この男は、初めから、死にに行くつもりなのか。
自分が船長とあおいだ男の、役に立つためではない。
たとえ白ヒゲの意思に背いてでも、【白ヒゲ】の名を。
その名がもつ誇りを。
守るため。
……………それだけのために。
「おやっさんの命令に背いたのも、わざとか」
私が尋ねても、エースは答えない。
「船長命令にしたがわずに、一人で船飛び出してきたのは……ティーチに負けたとき、自分を見捨ててもらうためか? 白ヒゲのクルーたちを……ティーチとの戦いに、巻き込まねぇために……?」
自分一人が犠牲になって事を終える。それでいいと?
ことばを待つ私の耳に、エースのつぶやきが届く。
「白ひげは………オヤジは………おれに生きる意味をくれた男だ。おれの命は、あの人のためにつかう」