砂煙は遠ざかる。思わずつぶやいていた。
「……わかるよ。私も、ゆずれねぇ」
どうしても許せねぇ未来がある。だからエース。あんたの生き様、邪魔もしねぇが、あんたを死なせもしない。
マンガ〝ONE PIECE〟の主人公・ルフィは、冒険ストーリーの主人公なだけあって、トラブルに巻き込まれつづける。
そして、このご時世に自ら望んで海賊となるだけあり、ルフィは好んでトラブルに首を突っ込んでいき、ひっかきまわしては、騒ぎを一回りもふた回りも大きくするような男である。
私がこの島にやって来たのは、エースと話をするためだ。
エースがこの島に来ることを、なぜ、あらかじめ知っていたのか。それは〝ONE PIECE〟の中のワンシーンを覚えていたからに他ならない。
エースがこの島で、ルフィと再会をはたすシーン。
そのエースが今、ルフィに会うため、ナノハナヘ向かった、ということは。
そろそろ、この島に。
あのナノハナに。
モンキー・D・ルフィがやってくる。
万全を期すためには、トラブル誘引機でもあるルフィに、近づかぬ方が良い。もう用は済んだのだが、ナノハナへ戻るわけにはいかなくなった。
明日になれば、ルフィも立ち去っているだろう。当初の予定通り、これからタマリスクに行って一泊するか。女将さんへの土産も買わなきゃいけねぇし、なぁー………
………んてことを考えていたら、俄かに空が暗くなる。
夕暮れにはまだ早いはず。この国は今、人為的な干ばつの中にある。雨雲がでたとも思えない。
妙な胸さわぎと共に天をあおげば、
「………………あ………………!?」
口がぽっかり開いてしまった。
竜巻だ。真っ黒い竜巻が、すぐそこまで迫っている。なぜこれほど近づくまで気づかなかった、と咄嗟に疑えば、ちがう。
近いのではない。近く見えるだけだった。デカすぎて、距離感が歪んでいる。
あれ、サイクロンよりデカくねぇ?
「あらぁー………えーえ………!? ………えー!? ………逃げよう!」
リュックはとうに背負っている。最大感度、最大範囲で、見聞色の覇気を展開する。
空に駆け上がって逃げる、のはダメだ。
あれは、竜巻にみえるつむじ風ではなく、本物の竜巻らしい。見上げれば、上空の大気の方が、より激しく竜巻の影響をうけているのがわかる。
空に上がったら、体のコントロールを奪われてしまうだろう。
サイクロンなら対処法がわかる。つむじ風ならどれだけデカくとも蹴り散らせる。しかしここまで巨大な竜巻となると、進路の予想もたてられない。
砂の海に巨大な影をおとす、漆黒の暴風は、ウソみたいな速度で移動していた。速い。たゆんでは右へ、こちらに来ては、左へ。
これ、どっちに逃げればいいんだ?
知らぬ間に、ずいぶん内陸側へきてしまったらしい。半径50キロ以内に、海がない。エースと戦っていたせいで、どちらが海の方角だかもわからなくなっている。
イチかバチか。人の気配のある方にむかって、砂の上を走り出した。
サンドラ河からこちら、アラバスタ王国の東側には、砂丘が少ないと聞いている。そのおかげで砂漠の移動がラクなのだと。
どこがラクなものか。
私からすればこちらの砂漠も、充分、起伏がおおい。その上、ズボズボ、足を呑み込もうとする砂の大地。
走りにくいったらありゃしねぇ。
いっそのことすべて更地にしてしまおうかと、1つの砂丘らしきものを蹴り散らしたのだが、ムダだった。よこの砂丘からズザザザァ、と砂が崩れおちてきたおかげで、砂丘はすぐに復活してしまう。やってらんねぇ。
デカすぎるせいで近づいたのだか遠ざかったのだかよくわからない、竜巻の暗影。
それに追いつかれる前に、ようやく町が見えてきた。
ささやかな要塞のようなつくりだ。
ぐるりと街を囲むのだろう、木造の壁がみえる。町の入り口らしきゲートは閉じられ、すぐそばに立れられた櫓から、一人の男がこちらを見ていた。
双眼鏡から顔をはなし、男が叫ぶ。
「うっ! うわああああああぁっ! 悪魔だっ! 砂漠の悪魔だああっ!」
砂漠の悪魔?
後ろをふりむくが、私の巻き上げた、砂煙があるばかり。それらしき姿はない。見聞色の覇気でも感じない。
それ、もしかして、私のことか?
男は櫓の上、腰をぬかしたようだった。あの様子では、ゲートを開けてくれそうにない。
しょうがねぇ。
軽く減速しながら、一歩二歩三歩。砂を踏みしめ、ゲートの上まで飛び上がり、そこからさらに櫓の上へ。
若い男だった。まだ十代だろう。オレンジがかった黄色の髪が、ニット帽からはみ出している。
櫓の木板の床へと着地した私の姿をみるなり、男は腰を抜かしたまま、ベルト付近から銃をとりだした。
向けられた銃口は、直径9ミリってところかな。旧式のリボルバーだ。やたらと長い銃身に、無骨なフォルム、木でできた持ち手はゆるやかなカーブを描いている。
「動くな! 悪魔め! なにをしにきた! この町にはっ、お前に惑わされるような、軽薄な人間はいないっ!」
ご立派な文句だが、声と手先のふるえが隠せていない。当たらねぇぞ、それじゃあ。
ゆっくりと、両手をあげた。
「私は、旅人だ。この肌の色、この島だと、珍しいみてぇだが、悪魔、では、ねぇんだよなぁ。………ご期待に添えなくて悪ぃね」
「………うっ、ウソをついたな!? 悪魔はう、ウソをついて人を惑わすんだろう!」
「………そんなこと言っちまったら、なにが証明になる? あんた、私のなにを知ってる? 私はあんたのことを1つ知ってる」
「くっ、来るな! 立ち去れ!」
「あんたは………人の見た目だけで、人を悪魔と決めつけるような、ひでぇ人間………」
人差し指をゆっくりとちかづければ、男の顔が、罪悪感にひるんだ。よし。今だ。
ニコリと笑ってみせる。
「………じゃ、ねぇよな! 驚いただけだろ? この肌に! 私はマジェルカ、シェルディーナ・マジェルカ、旅人だ! ナノハナからタマリスクに向かう途中…………あの………竜巻に、出会っちまって………逃げてきた! アレをやりすごすまで、匿ってくれねぇか?」
この町は、カトレアというらしい。櫓をおりて町の中に入れば、ナノハナと似たような、レトロなパステルカラーの建物がならぶ。ヤシの木が、そこかしこでゆれていた。
あちらと違うのは、建物の背が低いことと、ドゥオモを思わせる、丸っこい屋根がことさら多いこと。
さすがに港町とはちがい、活気はなかった。人気のない通りにはポツポツと、簡易なテントが乱立している。
ほかの町から避難してきた奴らの寝床かと思えば、そうでもないらしい。
布をめくってテントから出てくるのは、みな、軍人のような体つきだ。ライフルだのカトラスだの、マシンガンだのまでぶら下げて、皆が皆、私を睨みつけていた。
見聞色の覇気で、サッとたしかめれば、やけに女が少ない。こどもはいない。男ばかりだ。
怪我人らしき気配はおおいが、病人はいないようだった。やはり、ほとんどが男。それも、若い男ばかり。
1万人をこえる規模の町で、老人、こどもが一人もいない?
なんなんだ、この町は。
見張りの男に先導され、町の中心部へむかう。部外者である私をこの町にいれるかどうかは、コーザさん、という人に許可をとらねばならないらしい。
やたらとピリピリした背中をみせる見張りの男は、何度も何度もふりかえる。
その仕草といい、カジュアルな服装といい、町のゲートで検問をするような職業にはみえなかった。
もとは広場だったのだろう。町の中心部にはところせましと、煤けた色の天幕がはられ、テントがひしめきあっていた。
まるで戦場だな。
ありあわせの棒切れでささえられたように、所々たゆんだテント。路上におかれた木箱の中から、銃や弾丸がのぞいている。
ツン、とただよう生臭さは、まともな治療をうけていない怪我のにおいだ。肉が膿んで腐りかけている、イヤなにおい。
歩く足元に、カツンと、空の薬莢がぶつかる。
軍の基地と呼ぶにはあまりにお粗末だった。
まるでここは、反乱軍の拠点のようじゃないか。
「コーザさん」と、見張りの男がテントの中へ顔をつっこみ、だれかを呼ぶ。
待つこと数秒。
真紅のローブを肩にはおった、一人の男が現れた。
片目にかぶさる、古傷のある男だった。
うっすらとオレンジがかったサングラスをし、その表情は、陰鬱な鋭さをもっている。
その男が、道におかれた木箱の上へ腰を下ろすと、テントの中から数名が現れ、彼を守るように周囲へ立った。
「………あんたが、旅人か。……おれはコーザ。反乱軍を率いてる。今はこの町を、取り仕切ってもいる」
ざらついた声だ。
うすうす気づいちゃいたが、本当にここ、
「……私はマジェルカ、シェルディーナ・マジェルカだ。……つかぬことを、聞くかもしれねぇが………反乱軍の、拠点だったり、するのか? この町」
コーザの周囲だけではない。野戦病院を思わせるようなテントからは、続々と人が現れ、私たちを取り囲んでいた。
とおく、竜巻が唸りをあげる。
その巨大な影にのまれた、うす暗い町の中、反乱軍の面々は私に睨みをきかせている。
「知らずに来た、と言いたいらしい………カトレアがおれたちの本拠地になったことは、国中のうわさになってるはずだ……。お前が国王軍のスパイじゃないと、示せる証拠は?」
なんだこの状況。
ガチャガチャ、となる金属音は、周囲の人間たちがみな、武器を構えた音である。
その標準の矛先は、見なくてもわかる。私だ。
笑っちゃダメだぞ、笑っちゃダメだ、私。あんまり予想外の展開すぎて、おもしろくなってきちゃったけど、笑っちゃダメだぞ私!
どうにか半笑いでおさえこみ、首をかしげた。
「私がスパイじゃない、証拠…………ねぇな!」
「なに……?」
その場に座り込んであぐらをかく。町中はさすがに、砂漠のようなふかい砂地ではないらしい。ザラリとした砂と、硬い地面が尻にあたる。
見えあげる形になったコーザの、殺気立った目をみつめた。
「私は、この島の旅人じゃない、グランドラインの旅人だ。この島に来てからは2週間ほど、ナノハナに滞在してる。そんなわけでこの国のうわさにはうとい。………ご覧の通り、この肌の色は、この島じゃあ、珍しいようだからね。ナノハナでも目立ってた。あの町の奴らに聞いてもらえりゃ、事実だとわかるだろうが………この場で示せる証拠はないよ」
「なぜこの町に?」
「タマリスクに行く途中だったんだ。宝石………あのー、〝水の宝石〟っていう、今流行りのモンがタマリスクにあるって聞いてさ。砂漠を渡って来たんだが、あの竜巻にあっちまって、ビビってここまで逃げて来た。町があってたすかったよ。あの竜巻がなくなるまででいいから、ここに滞在させてくれねぇか?」
ギロリと見下ろすコーザの目は、より一層、険を帯びる。
「外海からやってきたというなら………なぜ今、この国にきた。干ばつと反乱で乱れたこの国へ………わざわざ観光しにきたのか………?」
「観光しにきたわけじゃねぇけど……友だちに会いにきたんだよ。会おうと思ってたうちの、一人にはあえた。もう一人は、トグルの民でさ。干ばつでやべぇことになってんじゃねぇかと心配してたんだが……トグル自治区は平気らしいな! アラバスタにいるトグルの民は、ほとんど、ヴァメルから避難したっていうし………あと二、三日観光でもして、海へ出ようと思ってたところだ。それで今日、タマリスクへ行こうとしてた。水の宝石がどんなもんか、見てみようとね」
ウソはひとつもない。かつて世話になったトグルの民、ドジョーにも会えればいいなと思っていたのは事実である。
そしてもし、反乱軍やクロコダイルの魔の手が、トグルの民にも及ぶようであれば……。
私がそれを打ち砕くつもりでいた。
なにせこれからルフィが救うのは、アラバスタ王国のみ。トグル自治区はその名前すらでてこないはずである。
それを知った上で、すぐそばの友人を放っておくほど恩知らずになったとあれば、旅人の名折れだ。
「………この町に来たのは、偶然だと」
「まぁ。……砂漠から町が見えたから、ここに逃げ込んで来たわけだがな」
じっと、私の目をのぞきこんだコーザは、素早く立ち上がった。ひらりと、真紅のコートがひるがえる。
「………歓迎はしない。………町の建物の一室を使え。監視をつける。渡せるのは最低限の水とパンだけだ。それでよければ、砂嵐がおさまるまで、滞在を許可する」
「ありがとう!」
テントに戻るコーザの背中を、守るように、数人があとにつづいた。周囲をかこむ人間たちが、武器をおろす音がする。
よっぽど緊張していたらしい。ずっと私の真後ろに立っていた、町の見張り役の男は、ほうっと安堵の息をはく。そうだよなぁ。もし私が撃たれたら、ついでにハチの巣になるだろう立ち位置だったもんなぁ。
コーザの消えたテントから、ガタイのいい男がぬうっと現れた。背丈は3メートル近くありそうだ。それに見合った肩幅と、歴戦の戦士じみた体躯をしている。
かすかに臭う、薬草の苦味と、すえたにおい。
まだ古くない傷なのか。上掛けからはみだした、男の腕には包帯が巻かれ、右手の先がなくなっていた。
「監視につく、ファラフラ。こっちだ」
「あぁ。マジェルカだ。よろしく」
そっけない視線をよこし、ふぁらふぁる、じゃねぇ、ふぁーらふ………ファラ、フラ、は、歩き出す。
干ばつによって、この町も本当は、放棄されたのかもしれない。
与えられたのは、だれもいない宿屋の一室。ベッドを叩けば埃がまった。飾られたドライフラワーの上にも、目に見えて埃がたまっている。
人がいないだけではなく、人の使っていた気配がない。
この街には怪我人の気配も多い。しかしその全員が、外でのテント暮らしをしているようだ。
反乱軍が、この町の人間をおいだし、占拠したのであれば、ベッドや建物を利用しない理由がなかった。
まるで反乱軍は、ここの住民たちが戻ってきたときに困らぬよう、配慮しているようにも見える。
「メシには、呼ぶ」
ファラフラはそう言うと、部屋のドアを閉めた。しかし気配は立ち去らない。ドアの前に立ち続けるつもりらしい。
「……意外だな」
ポツリ、つぶやく。
アルコールは人を酔わせるが、正義や暴力もまた、人を酔わせる。
暴力のゆるされた戦場では、人がもともと持っていた価値観など、波より脆くくずれさる。
規律を叩きこまれた軍人であろうと、例外ではない。暴力に酔いしれ、己の〝大義〟に泥酔し、略奪レイプ虐殺などまで〝正義〟のために許されると思い込む。
人の心は、人が思っているよりも、脆い。
戦争の現場は、いつも悲惨だ。
特に〝自分たちの国を救うため〟の、〝有志による〟反乱ともなれば、その酩酊感は強烈なものだろう。
反乱軍を名乗っていようと、実態は、反乱の意味をかみしめている者など一握り、あとは正義の名に酔わされた暴徒の群れなのだろうと思っていた。
しかしどうして、この町にいる反乱軍は、〝倫理〟を失っていないらしい。
意外なことに、ナノハナでも、反乱軍の悪口をきかなかった。かといって、国王への悪口も耳にしなかった。
つづく反乱によって、もうずいぶんな人数が、殺し殺され死んでいるはずだ。
それを鎮圧できない国王軍のふがいなさを嘆くことばはきこえてきても、反乱軍への恨みつらみ、国王軍や国王本人への罵詈雑言は、夜の酒場でもみつからなかった。
反乱軍の、らしからぬ規律正しさといい。国民たちの反応といい。
なんとも妙な国である。
ベッドにそうっとあがり、ホコリっぽい布団をすっぽりかぶる。竜巻、じゃねぇ、砂嵐のせいで、ただでさえ視界は暗い。布団までかぶれば、暗さはまるきり夜のようだ。
リュックの中から小電々虫をとりだした。
いつもの、カタツムリに似た姿ではなく、今はただの貝殻のよう。
エースとの戦闘前に、リュックごと放り投げたせいだろう。衝撃から身を守るため、殻の中にすっぽりと入り込んでいる。
心配はいらない。あまり知られていないことだが、電々虫の〝殻(正確には甲羅の部分)〟といえば、世界で一二を争う硬度をもっている。
生物の中で一二を争う、のではない。あらゆる鉱物をあわせた、すべての物体の中での、一二である。
たとえ突進するマンモスに踏まれたとしても、巨人の歯で噛みしめられたとしても、殻にとじこもってさえいれば、電々虫は怪我一つ負わない。
そうでもなければこんなノロくさい、攻撃手段をなにももたない生物が、グランドラインで絶滅もせずに生息しつづけられるわけがない。
殻の部分をちょんちょん、と小突いてやれば、ウニューッと、顔を出す小電々虫。
パチリパチリと目を瞬かせ、もう危険はないと判断したのか。ふぁー………とあくびを漏らして寝に入る。
取り付けてある人工のカバーには派手なヒビが入っていたが、本体はやはり屁でもないらしい。
カバー型の通信補助器のまんなかにある、通話ボタンをポチりと押した。ガチョ、と嫌な音がしつつも、壊れてはいないようである。
「ジジジジィ……ジジジジィ……」
と、小電々虫がねむたげに、呼び出し音を口ずさめば、「ガチャ」相手が出た。
『……おれだ……』
クロコダイルの低い声が、布団の中でかすれて消える。
外の奴らに聞かせたいものではない。限界まで口をちかづけ、簡潔につげた。
「上物だった。じゃあな」
さきほどとは反対側のボタンをおせば、通話はおわり。
私の用事が終わるまでは、動き出さないという約束だった。これで今から、クロコダイルの国盗りがはじまるのだろう。
窓の外では、風が強まっていた。薄暗い大気の中から、とんできた砂つぶが窓にあたって不穏な音を奏でだす。
この町に満ちる、殺気立った気配。
砂漠の明日に描かれるのは、だれのどんな夢なのか。
小電々虫だけは一足お先に、ふにゃふにゃと夢の中へ入っていった。