楽園の悪鬼   作:我輩=メイじゃもん

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一章 嘆きのプロローグ
1.前夜


 月が煌々と照っている。

 海面から顔をだすと、サン・ファルドの夜風は冷たかった。ぞくりと耳を冷やされて、首をすくめてしまう。海中の方がよほどあたたかい。

 

 夜の海は黒々しく、どこが水平線なのかもあいまいだ。暗いさざなみのひとつひとつに、月光がサラサラと宿っては消える。

 14夜、だろうか。

 満月と呼ぶには、ほんのかすかに何かが足りない、お月様。

 

「こちらに、いらっしゃいましたか」

 気づかないフリをしようか、と考えてやめる。波にゆらゆら遊ばれながら、陸を振り向いた。

 ただの水遊びだ。泳ぎ回っていたとはいえ、さして遠ざかってはいない。

 視界をぐらつくさざ波の向こう、かろうじて目視できる岩場の上に、一人の男が立っていた。

 

 暗い虚空にでもぽっかり浮かんでいるかのようだ。

 白なのか、それともベージュだろうか。月明かりにぼうっと照らされるスーツ姿は、腕を捧げ、腰をおり、優雅な礼をとる。

 

「ご遊泳中、お邪魔して申し訳ありません。例の件でご報告があります。〝お部屋〟で、お話しても?」

 差し向けられた男の手は、背後の暗闇をさしている。

 たいした大声でもないのに、よく通る声。夜目もきくらしい。私がうなずいたことを理解したかのように、くるりとこちらに背を向けた。

 

 あの男は苦手だ。しかし今回の件では、頼りにする他ない。

 最後にもういちど月をふりかえり、私は陸へむかって泳ぎはじめた。暗い波をかきわけて、光から遠ざかるようにして。

 

 この世にぐるりと巻かれた、プレゼントのリボン。

 グランドライン〈偉大なる航路〉と呼ばれる海域は、そのような形をしている。

 

 リボンの両端をフチどるのは、モンスターどもの巣窟、カームベルト〈凪の海〉だ。

 最小のものでも、全長900メートルを超える、奇妙な姿をした巨大な肉食魚、〈〝大型〟海王類〉たちの巣が密集した一帯である。

 

 彼らはなぜか、グランドラインと他の海を分断するかのごとく、グランドラインの両端にびっしりと己らのナワバリをはっている。

 これによってグランドラインには、独自の生態系が築かれ、それが乱されることもなく進化してきた。

 

 世界一、過酷な海。

 それがグランドラインの別称だ。

 

 大型があれば小型がある。奇妙な姿の巨大肉食魚、〈海王類〉は、全長300メートルでもまだ〝小型〟に分類される。全長600メートルを超えてようやく〝中型〟だ。

 グランドラインの海には、この手のモンスターたちがうじゃうじゃしている。

 

 それらを軽々とまきあげて、ミンチにし、空の彼方へふきとばす、暴風の柱〈サイクロン〉も忘れちゃならない。

 神出鬼没なこの大災害は、グランドラインの海を渡れば、嫌というほど会いにきてくれる。

 

 グランドラインでは、方位磁石がバカになる。島がそれぞれ、独自の磁場を形成しているためだ。

 

 天体もあてにならない。

〝常軌を逸した〟グランドラインの天候は、光の屈折率を〝異常〟なものにしてしまう。これによって巻き起こるのは〝天体の見え方が〟〝おかしく〟なるというもの。

 

 時に、月や太陽の姿さえ、二つ三つに増やしてしまうのだ。

 この海に、旅人を導く星などない。

 

 セオリーの通じない海。

 天候は不可解。生物は獰猛・強大。

 どれだけの叡智をかきあつめても、人間という生き物がこの下ない弱者となる、〝異常な海〟。

 

 そんなグランドラインに位置するのが、この秋島、サン・ファルドである。

 

 ザバリと岩場の上へあがれば、ポニーテールから海水がしたたる。かるく絞って水気をきり、Tシャツを脱いだ。

 泳いぎまわった普段着は、たっぷりと海水をふくんでいる。ぎゅっとねじってふたたび着る。少し迷って、ショートデニムも同様にした。

 水着を用意する習慣はない。べたつく布の感触も、不快というよりなれ親しんだものである。

 

 もどった部屋の廊下には、だれもいなかった。殺風景な石壁の部屋。ドアは開けたままにしてある。しかし、中にも人はいない。

「……出てきなよ。話があるんだろ?」

 暗闇に満たされた石の床に、私のぬれた足跡がつづいている。そこにぬっと現れた男は、カンテラを持っていた。

 あやしげに照らしだされる、優男のほほえみ。

「よろしいのですか? シャワーなど浴びなくて。あなたが身支度をおえたころに、伺おうと思っていましたが」

「……私に、陸の常識を求めると?」

「いえ、マジェルカ様がよろしいのであれば、お邪魔しましょう」

 

 部屋の照明をつけると、男の全貌がようやく見える。

 撫でつけられた、うす紫色の短髪。スーツはベージュだ。のっぺりとしたキツネ顔は、微笑みを絶やすことがないのだろう。

 私はこいつのこの表情しかみたことがなく、こいつの目が笑っているところも見たことがない。

 

「サン・ファルドはいかがです? 秋島はすごしやすいと、おおくのお客様からご好評いただいておりますが」

「悪くはねぇよ。……悪い奴はやまほど居そうだけどな」

「……あなたとか?」

「あんたとか」

 

 男はノドでくつくつ笑う。私はロッキングチェアに腰をおろした。「で? 本題は」男は商人だ。にやりと張り付く笑みは分厚い。

 

「ご注文いただいた商品が、完成しました。すでに輸送をはじめております。6月までにご用意するお約束でしたが、4月までにはサン・ファルドへ届く予定です」

「……早いな?」

「ここだけの話……。政府が抱えていた科学者を数名、確保しております。彼らの頭脳は一級品です。マジェルカ様の難題にもよく応えてくれました」

「……パンクハザードだっけ? 去年、政府の科学者たちが大事故をおこした島……。事故のどさくさにまぎれて、研究員たちを拉致してきたのか」

「いいえ、拉致なんてとんでもない。……私どもはただ、路頭にまよった科学者たちを、保護しただけですよ」

 

 ローテーブルの上には茶色いビンが置かれている。炭酸水のような味をしたビールだ。水代わりにそれをのみ、男を睨めあげる。

「信用してるぜ? シャーリン・シャリーア〈月の経典〉。 拉致してムリやり働かせた科学者たちのつくった、失敗作、なんて……渡してくるわけねぇよな?」

 

 男は ーーー 闇商会、シャーリン・シャリーアの若頭、ラズウェルは笑わぬ瞳をこちらへむける。

 

「ご信頼いただき、ありがとうございます。ええ、私どもの商会は、決して、お客様との契約を裏切りません」

 

 命がけ、ではまだ生ぬるい。命を捨てて挑まねば、踏み入ることさえ叶わない。

 それがこのグランドラインである。

 この海域には大陸がなく、サン・ファルドもまた、一つの島だった。外からやってくる客となれば、かならずグランドラインの海を越えてくる必要がある。

 

 だれがわざわざ好き好んで、〝怪物どもの海〟を渡ってくるというのか。少なくともたかが〝観光〟のために、グランドラインへこぎ出す人間など、いないに等しい。

 

 しかしこの秋島サン・ファルドは、観光業にこそ力をいれている。そしてこれは、この島に限ったことでもなかった。

 

 行き来の困難な海。言いかえれば、〝監視の目がとどかない〟海。

 グランドラインは、悪党どもに都合のいい造りをしている。

 悪党どもはもとより、命を半分、あの世に捨てて生きているようなものだ。彼らを客にするならば、グランドラインでの観光業もはかどる。

 

 他聞に漏れず、ここサン・ファルドもまた、悪党どもを相手取った〝悪党ども〟の本拠地だった。

 

 グランドライン、最大最古の闇商会、シャーリン・シャリーア。

 サン・ファルドが彼らのナワバリなのではない。この島そのものが、彼らの〝店〟なのである。

 

「ご注文の内容は、〝一滴で海王類を殺せる、解毒のできない、液体状の、即効性をもった、新種の猛毒〟ですね。……恐ろしいものをお考えになる……。ご注文どおり、1mlで、中型海王類を死にいたらしめるお品となっています。一滴で、成人した巨人三人分の致死量となる………それを、500ml。人間150万人分の致死量です」

「うん。摂取方法は」

「口内などの粘液にふれさせることで、1分以内に死に至ります」

「……1分か……うん」

「ただし、毒の摂取から、30秒ほどで、四肢の動きがまひし、さらに45秒を経過すると、麻痺が全身にひろがり、身動きがとれなくなりますよ」

「……45秒………」

「ご納得いただけませんか?」

「いや……ありがとう」

 

 ウィルスではない、細菌でもない、酸でもなく、毒である。

 即効性のある、致死性の猛毒を用意する、というだけでむずかしいのだ。さらには新種であり、解毒が〝できない〟ともなれば、用意するのはほぼ不可能と言っていい。

 

 それを可能にするのが、シャーリン・シャリーア。

 

 天を貫かんばかりにそびえる、赤い大陸……レッドラインによって、グランドラインは二つに分かたれている。赤い絶壁のその向こうは、グランドラインの後半、通称〈新世界〉。

 あちらから戻ってきた者は口々にこう言うのだ。

 グランドライン前半の方が、〝まだマシ〟だった、と。

 そんな皮肉をこめて、グランドライン前半は〈楽園〉と呼ばれることもあった。

 

 〈新世界〉ではさらに、過酷で〝奇怪〟な自然環境がまっている。その自然環境によって選別されたかのように、〈新世界〉で名をはせる悪党どもは、強い。

 武力、軍事力、経済力ともに、世界最高峰といっていい。

 

 表社会の刑罰さえも、軽々とはねのける彼らは、〝とびきりの悪党〟を頂点とした、独自の社会を築いている。

 そんな〈新世界〉の悪党どもさえ、わざわざレッドラインを超えて、サン・ファルドへやって来るのだ。

 

 目的はひとつ。

 シャーリン・シャリーア〈月の経典〉の、導きをもとめて。

 

 目の前の男は、たいした悪党にはみえない。スリーピーススーツを優雅に着こなすさまといい、途切れないほほえみといい、どこぞのお貴族様とでも言われた方がしっくりくる。

 しかし、笑わぬ瞳こそ、この男の本質なのだろう。

 

 シャーリン・シャリーアのもつ、闇社会への影響力ははかりしれない。若頭であるラズウェルは、その気になればこの前半の海のパワーバランスをひっくり返すこともできる人物だった。

 

「それ。前倒しで受けとることもできるのか?」

「ええ。代金はすでにお支払いただいていますので、ご随意に。品物が届き次第、またご報告します。受けとりを早める場合は、我が商会の者にお申しつけください」

「わかった」

「もちろん、当初のお約束どおり、今年いっぱいまでお預かりしておくことも可能ですよ」

「うん」

 

 この男と話していると、気が滅入る。まるで自分が、ものすごい悪党になってしまったかのような気分になる。

 ビールをこくりと一口やった。

 

「この場所は、いつまで貸してくれるの」

「今年いっぱい、ご自由におつかいください。滞在中は、わたくしどもが雑用をうけたまわります」

「……サービスがいいな?」

 

 部屋の入り口、闇と光の交わる場所に立ったまま、ラズウェルは微笑みをうかべる。三日月型の目の奥で、瞳だけが鋭く光った。

 

「マジェルカ様は、お得意ですので」

「うん? ……私があんたらに依頼するのは、今回で、2度目だよ」

「そのどちらも、30億ベリーを超える、大口のお取引。さらにはわたくしどもをご信用くださり、代金は、全額、先払い。取引のルールもすべからくお守りくださっている。このようなお客様を、お得意様とよばない商人はおりませんとも」

「……ふぅん?」

 

 今回注文した品は、500mlほどの液体が、お値段、35億ベリー。

 小国ならば二、三個、国家が買える金額である。おかげで財産ののこりが心もとない。

 それでも注文の内容を考えれば、お手頃価格といえるだろう。

 

 この部屋は、その〝おまけ〟として提供されたものだった。毒の注文とはまた別に、潜伏場所を用意してもらおうとしたところ、ここを無料で貸してくれるというので甘えている。

 まさか、食料や日用品まで用意してくれるとは思っていなかったが、くれるというならもらうだけだ。

 

 話は終わった。しかしラズウェルは立ち去るどころか、部屋の奥へと足を進める。

 かさついた木板の棚から取りだしたのは、鉄の缶と、鉄の器具。

 フタをあけて香りをかぐ。

 

 エスプレッソを淹れるらしい。銀に光る小鍋のような器具は、人の握力で圧をかけるタイプの抽出器だった。

 キッチンこそないものの、小さな暖炉は用意されている。無言の中で、火が熾され、湯が沸かされ、二つのカップに注がれる。

 

「お得意様をまえにすると、口が軽くなってしまいますね」

「気のせいだろ」

 カンコンコン、と音を鳴らし、銅の計量カップへ移される珈琲豆。ミルはなかったはずだ。どうするのかと見ていれば、奴は腰元から小さなナイフをとりだした。

 己の手のひらに出した珈琲豆へ、躊躇なく、刃をむける。

 サクサクと軽妙な音をもらしつつ、珈琲豆を粉砕していくアーミーナイフ。

 

「ここ数日。白ヒゲ海賊団に、妙な動きがあるそうですよ。……ご存知でしたか?」

 知るわけねぇだろバーカ、と言いたくなるがどうにかこらえた。

「私、珈琲の味にはうるせぇぞ?」

「ご安心を。サウスブルー、フレイムバード島の標高2000メートル付近で取れたニュークロップを、サン・ファルドで焙煎したものです。シティローストはお好みですか?」

「浅いより好き」

「それはよかった」

 

 アーミーナイフの尻をつかって、珈琲の粉をつめていく。ナイフの尻をつかってる。ナイフの尻を。

 それっぽっちのことでとやかく騒ぐつもりはないが、気にならないわけでもない。

「おい、血サビの風味は、珈琲にはいらねぇよ?」

 ラズウェルは耳が遠いらしい。私の声には我関せず、プレスを始める。

 

「4年前。〈四皇〉赤髪の誕生以来、このグランドラインは平穏を保ってきました……。おなじく海の皇帝とも呼ばれる、白ヒゲのような大海賊が、不審な動きをみせるというのは………久方ぶりのことです」

 

 光がもれてしまわぬよう、窓は閉め切っている。石壁のこの部屋は、思いの外しずかだった。

 トプトプと、珈琲の黒いエキスが滴る音。

 潮の音もきこえない。

 ややあって、ラズウェルはそっと、ローテーブルにおいた。一杯のチェイサーと、鈍重なデミタスカップ。

 男はカップの取っ手を離すことなく、仄暗い笑みをうかべる。

 

「〝大海賊時代〟のおとずれも、もっともはじめにおこった異変は、とても小さなものだったそうですよ。

 23年前の〈海賊王〉ゴールド・ロジャーの逮捕、処刑………。そして、海賊の大量発生と……世界の常識の変化……。

 当時はだれも気づかなかった。しかし後々、振り返ってみれば………。

 この流れの先駆けとなったのは、〝〈海賊王〉の身内〟が妙な動きをしはじめたこと……だったとか」

 

 ピリリと、空気が緊張をはらむ。伏せていた視線を不意にもちあげ、男は言う。

 

「似ていると思いませんか?」

 

 キツネのような面差しの中、ゆらめく暖炉の炎が、その瞳に映っている。

 

「世界屈指の大海賊、白ヒゲの身内が、これまでにない、妙な動きを見せはじめた。これはとても小さな波紋だ。だれしも深刻にはとらえない。しかし………それ自体、まるであの時の再現のようではありませんか。時代の転換点をむかえた、23年前の………世界がうまれ変わる〝前夜〟の」

 

 一流の商人は、カンが良い。特に闇商人ともなれば、カンの良さがなければとって食われて終わってしまう。

 悪党どものるつぼの中で生き残ってきた以上、ラズウェルの直感もまた、よく研ぎ澄まされているようだった。

 

 主導権をうばわれぬためには、商人に悟られてはならない。自分がなにを知っていて、なにを知らず、なにを知りたがっているのかを。

「珈琲は淹れたてを飲むもんだろう」

 デミタスカップに指を伸ばせば、ラズウェルはようやく離れてゆく。

「そうですね、珈琲も情報も……時間をおくと味が変わってしまいますから」

 クツクツと喉で笑う。

 

 この部屋に、来客用の椅子はない。ラズウェルは立ったまま、己のカップをかたむけた。

 

「なにかが…………起ころうとしているのでしょうね。この海を………世界をゆるがす、何かが……。あなたのご注文された、〝世界最悪の猛毒〟というのも、そのピースの一つとなりそうだ……」

 

 

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