うたがって悪かった、と内心で一つ謝る。女の言は正しかった。
日の出の気配に目を覚ませば、昨日の嵐がウソのように、きれいに晴れているではないか。
風呂にはずいぶん入っていない。水不足のせいもあるが、もとよりこの国では、〝入浴〟の習慣がないらしい。
湿度が低いせいだろう。これほど暑いというのに、汗をかかない。肌がやけにサラサラしている。
これで毎日、風呂に入ってしまうと、逆に肌を傷めてしまうそうである。
それでもナノハナでは毎日、体を拭いていた。5日に一度は風呂屋にいって、髪も洗った。この国の〝風呂屋〟はサウナそのものだが、髪をあらうための湯も用意してある。
朝は女将さんがタライ一杯、水を持ってきてくれるので、それで顔を洗っていた。
まぁ、反乱軍の本拠地でそれができるとは思っちゃいない。
水筒の残りの水をタオルにぶちまけ、顔を拭う。首と耳元、わきの下に、手のひら、足もふいて、さっぱりした。
念のためにもってきた、スキンケアオイルの瓶。よくやった、自分。
髪をとかすクシは忘れてきてしまったが、どうにかなる。手グシでまとめた髪を、高い位置で一つにしばった。
手にオイルをなじませて顔につけていたとき、ゴンゴンゴン!と部屋のドアが叩かれる。
「なんだー?」
一拍おいて、ドアを開けたファラフラは、すこし首をかがめて叫ぶ。
「こどもはどこだ!」
「……あ? いねぇの?」
「宿、この周り、探したが、いねェ……!」
あらまぁ。
目を閉じて、見聞色の覇気を発する。おそらく、この町で唯一のこどもだ。起きているならこれで発見できるだろう。
どこかで眠るか、意識をなくしていれば、お手上げだが。
……いた。
「一緒に探しに行こう、アテがある」
天候は回復した。もうこの町にいる理由はない。リュックを背負い、ファラフラとともに宿を出た。
向かうべきは、町の中心部。ただ、問題が一つある。
見聞色の覇気では、基本的に、生物の気配しか感じとれない。
おかげで相手の居場所はわかっても、そこへ行くための道順がわからないのである。
見聞色の覇気は、生物のもつ覇気が、反発しあう性質を利用している。自分の覇気をうすくなげかけ、はね返ってきた覇気を感じとることによって、相手の位置をさぐるのだ。
しかし、生物〝以外〟がもつ覇気は、生物の覇気と反発しない。これによって建物などは、私のなげかけた覇気を、すんなり自分の中に通りぬけさせてしまう。
反発がかえってこないせいで、そこになにがあるのか、何もないのか、わからない。
いきおい勇んで先導した私が、あれっ、あれっ、と行き止まりにぶちあたったり、道をキョロキョロ見比べたりしていたためか。
「……どこに向かう」
「……町の中央、コーザがいるあたり」
見かねたファラフラが、先を歩きはじめてくれた。
なんか、悔しい。
テントの立ち並ぶ広場にはいると、こどもの甲高い叫び声がきこえてきた。位置はわかるんだが、どっちに進めばいいのか、さっぱりだ。
目に入るのは、どれも同じようなカーキ色をしたテントの布地ばかり。ファラフラは迷いもせず、スルスルと進んで行く。小走りになっていったのは、きっとこいつがやさしい奴だからだろう。
「コーザに会わせてくれよっ!」
「コーザさんは忙しいんだ! こどもの遊びに付き合ってるヒマはない!」
「遊びじゃねェ! おれは本気だ! 国王を倒すためなら、死んだっていい!」
布地の向こうにようやく、こどもの姿をとらえたとき、チビは一人の男の腰元へ掴みかかっていた。
「ファラフラ!」
昨日の女がこちらに気づく。走り寄ってくるその後ろで、チビは叫ぶ。
「おれを反乱軍に入れてくれ!」
よかったよかった、あのチビ、元気そうじゃねぇか。
私がほっこりしている間に、テントの中がざわめきだす。布地をめくってあらわれた、あの真紅のコート。
「なんだ、騒がしい」
コーザが顔をみせた途端、その場にいた全員の背すじがすっと伸びてゆく。
こどもは敏感だ。変化を感じとったのだろう、チビもまた、わめくのをやめて背筋を正した。
何百万人もの反乱軍をまとめるリーダーともあって、コーザは面倒見がいいらしい。
昨日の私にそうしたように、コーザはチビと向かい合った。こどもだからと跳ね除けるわけではなく、その話に耳をかたむけるつもりがあるようだ。
夏島の朝日は、気が早い。もうまぶしく照りつけはじめた金色の朝日を浴びながら、チビは一つ覚悟を決めて、コーザに語りはじめる。
周囲には、いわば幹部クラスのメンバーが集まってきたようだった。全員がめいめいに陣どり、コーザとおなじく、チビの言葉をきいている。
ファラフラもまた、コーザの斜め後ろに立ち、チビを見つめていた。
仕方がないので、私も腕を組んで、チビの話を聞く。どうせコーザに挨拶してから町を出ようと思ってたから、順番待ちみてぇなもんだな。
本当はあっちの木箱に腰をおろして、日陰でダラダラ待っていたいんだが、そんな雰囲気でもないし……。
チビ、あらため、ナノハナで靴磨きをしているという少年、カッパは、反乱軍へ加入するため、一人で砂漠をこえてきたのだという。
……ん? カッパ?
今朝のうちにそこらへんで拾ったのか、空っぽだったリュックからは、ハンマーやらなにやら、武器のような武器じゃないようなものがはみ出していた。
あれ? もしかして。
リュックの肩紐にくくりつけられた石たちは、おまじないではなく、投石用?
「父さんはもとからいないけどっ、母さんとおれは、干ばつのせいで元の町から逃げなきゃいけなくなったんだ! もとから母さんは体が弱かった。引っ越したせいで、体を壊して……! ナノハナは、母さんの体に良くないんだよ! 潮風がダメなんだ! でも干ばつのせいで、他に行くところがねェ! どの町にも、水がないから……! だから、おれは………! この国から雨を奪った、国王が許せないんだ!」
国王じゃねぇぞぉ、真犯人は、クロコダイルだぞぉ、と言ってもしょうがねぇから言わねぇが。
しかし、靴磨きと言ったか。
孤児たちがやるような仕事だ。このカッパ、こんなチビのくせして、体の弱い母さんの代わりに一生懸命働いているらしい。
えらいなぁ。
「だからおれを、反乱軍に入れてくれよ!」
コーザはまた、オレンジがかったサングラスの向こうから、カッパの目をのぞきこむ。
「……おれはお前を、反乱軍にいれるつもりはない」
「なんでっ……! おれだって戦える! 靴磨きだってだれより長く、だれより多くやれるんだ! 体力はある! 絶対に役に立つから!」
たのむよ!と、カッパは言った。
本人はきっと気づいていない。しかしその一言は、慟哭のように聞こえる。
カッパには、今にも枯れそうな町の中に、友達もいるらしい。その子は病気で、町を離れられないのだとか。
遠くない未来、友達の町も枯れてゆくだろう。
国王が憎いと、カッパは言う。怪我も死もこわくないと、カッパは言う。
ダメだ、と告げたコーザの瞳があまりにゆるぎないものだったからか。
焦って言いつのるカッパは、〝おれも戦いたいんだよ〟と叫ぶ。
なんだか、胸の奥がムズムズしてきた。弱っちかったガキの頃の自分を思い出してしまう。
カッパの訴えが、私にはこう聞こえたのだ。
〝どうしておれは、こんなに弱いんだよ〟と。
「帰れ……!」
コーザは静かに、苛立ちをこめてそう告げた。声の重みにひるんだカッパへ、畳み掛けるように怒声をあげる。
「帰れと言ってるんだ! ここはガキのくる場所じゃない!」
よく言った。拍手をあげたい。
少年兵を採用するような集団は、言い訳の余地もなく、クズの集まりである。この反乱軍がそうでなくて安心した。
この手で戦いたいという、カッパの気持ちはわかる。
しかし、戦場というのは、カッパが思うような〝戦い〟の場所ではないのだった。
ただの人殺しの現場だ。
兵士が入り乱れる白兵戦であっても、〝戦い〟にはならない。お互いが一方的に、ただ目の前の〝肉〟を殺していくだけの流れ作業。その連続が、戦争である。
どれほどキレイな言葉をつかっても、実態は変わらない。
肩を怒らせ、コーザはテントの中に消える。こらえきれない涙をこぼし、カッパは俯いた。
ファラフラが痛ましげに、カッパをみやる。しかし今は、自分が声をかけるべきではないと思ったらしい。
私に視線をよこしやがった。なんですか。
どいつもこいつも。
戦う男というものは、相手が女というだけで〝慈悲の女神〟みてぇな対応を期待しやがる。
バーカ。女神ってのは、人間じゃねぇから女神なんだよ! 人間の私に、んなもん期待すんな!
にらみ返してやったのを、どう解釈したのだか。しっかりひとつ頷き返し、ファラフラはコーザの後を追って消えた。
おい!
やめろお前ら、ファラフラの顔をみて、事情を察するのは! あーなるほどコイツに任せりゃいいんだな、みたいな感じで解散するな!
おい!
すっかり全員いなくなり、テントの狭間、立っているのはカッパと私のふたりきり。
どうするよこれ。
声も立てずに、ぐいっと腕で涙をぬぐう、このチビに今、なにが必要なのか。
考えたってわからないので、目の前にしゃがみこんでみた。
「……ひっ!?」
私をみたカッパが、息を呑む。あ、そこから?
昨日の夜は暗かった。私の肌の色が見えなかったのか。
「あんたには一つ、やり残したことがあるな」
ズズ、と後ずさったカッパが、止まる。
「………反乱軍には……入れてもらうぞ……! 絶対……! 火傷だって怖くねェ……!」
「そうじゃねぇ。………あんたは昨日、この町の男に、助けられた。砂漠に倒れてるところを、見つけてもらわなかったら………見つけてもらったとしても、ここに運び込んで、治療してもらわなかったら……。死んでたぜ」
ぐ、と歯を噛み締めたカッパは、引けていた腰を戻す。
「でも大人だって……砂漠には勝てないだろ……」
礼を言うのを忘れるなよ、と言いたかっただけなのだが、そうはとらなかったらしい。
こどもだから、お前が弱いからダメなんだ、と遠回しに指摘されたと思ったようだ。苦笑する。
わかるぜ。
自分に自信がもてねぇ時。なにを言われても、自分の欠点を責められてるような気になっちまうんだよな。
おびえさせないよう、そっと腕を伸ばし、カッパの手をとった。
ピクリと震えた小さな指は、それにそぐわず、かたい皮膚をしている。こどもにしては爪も分厚い。苦労をかさねた跡がある。
「いい手だな」
そろりと撫でれば、カッパの緊張がすこしほどけた。
「でも、私の方が、手が大きい」
手と手をあわせると、カッパの手は小さくはない。よかった、ギリギリ私の方がでかいな。
「そんなに変わらねェ」
うるせぇよ。
「……私は、守るものを、まちがえたことがある。守る順番を、まちがえたんだ。あんたより、私の方が手がでかいけど、私の手だって、別に大きいわけじゃない。……この手で掴めるものには、限りがある……。それをわかっちゃいなかった」
「おれには何にもできないって言いてェのか!? 手の大きさだけでそんなことわかるもんか!」
そりゃそうだ。
「そりゃそうだ」
あっ、口から思ったことが出てっちまった!
「え……?」
ほらみろ、カッパが戸惑ってるよ!
もー、何を言おうとしたのか忘れちまったよ!
「あんたがどうって話じゃねぇよ。誰の手だって、それこそ巨人の手のひらだって、掴めるものには限りがある。なにかをつかめば、なにかを手放さなきゃならねぇ」
「おれは命を捨てる覚悟だ! 反乱軍に入れてもらえるなら………!」
カッパの目を見た。逆光になったその瞳は、黒とみまがうような、緑色をしている。
命を捨てる覚悟か。
「ふふっ……!」
思わず笑ってしまった。昨日、エースの真意を聞いたばかりだからか。カッパの言う〝命〟という言葉の軽さが、やたらと耳にくすぐったい。
「笑うな! おれは本気なんだよ……!」
私を見たおどろきで一度はひっこんだ涙が、またポロポロと落っこちてきた。それを恥じるように、カッパは腕で目元をかくす。
その手を、なでてみる。平べったく、丸まった爪。もう取れなくなっているのだろう、爪と指の境目には、黒い油が染み込んでいた。靴磨きのクリームだ。
「なぁ……捨てることと、手放すことは、ちがうよな」
ぽん、ぽん、とガキンチョの手にやさしく触れる。
「命をなくしたらな、もう、何にもできねぇんだよ。なにかをやり遂げたあと、最後の最後に、仕方なく手放すものが、てめぇの命だ。…………まだ何もしてないうちから、自分から命を捨てようと思ってる奴に………なにができる?」
ぐぅ、とカッパが嗚咽をもらす。私がつつんだ少年の手は、力をこめられ、こわばった。
どうにかそれを解けるように、ゆっくり、撫でさする。
「だれだってそうなんだ。全部一度に、手にすることはできねぇんだよ。その上、自分の命みたいに、最後まで手放しちゃならねぇものもある………。順番があるんだ。それを間違えちゃいけねぇ。一つ一つ、掴めるものから、掴んでいくんだ。掴むべき順番を、きっちりとみきわめて、一つ一つ手にして行くんだ。そうすりゃすべてが手に入る。…………掴めねぇものにばかり手を伸ばしていたら、なんにも手に入らねぇまま、年老いて死んじまう」
カッパはちらりと、私の二の腕をみた。
右に5本。左に2本。
肉のえぐれた痕がある。
どことなく灰色の、ピンクがかった古傷は、こっちこそ正真正銘、火傷の痕だ。
死を、口で語るのと、目で見るのでは、何千倍も重みがちがう。私の傷痕に、死の影を見たらしい。カッパは静かにことばを吐き出す。
「……だけどっ、おれができることなんて……靴を磨くくらいで………命を捨てるくらいじゃなくちゃ、何にも、できねェから…………!」
ボタボタボタ、と落ちてくる涙。朝日が宿ってキラキラしている。
合わせた手のひらから、力が抜けた。小さな背中が、曲がっていった。
私は小さくはないカッパの手を、ぎゅっと握った。
「靴磨きで、金を稼いでいるんだろう。金を稼ぐということが、どんなにすごいことか、お前は知らないのか」
歯をくいしばったカッパの口から、どうしようもない吐息がもれた。泣くなと言ってしまいたい、それを言うべきではないとも知っている。人の涙は命のかけらだ。他人が無理やり動かしていいものじゃない。
言葉を尽くす他になかった。
「金があれば、食い物が買える。金があれば、水も買える。金があれば、薬も買える。その大事な大事な金を、あんたは、人から、受け取ることができている。これがどういうことだか、わかるか」
さいごの涙がボタリとたれて、カッパの視線をようやく捉える。
「金を稼いでいるってことは、あんたは人の役に立つことが、できているってことなんだ。あんたのこの手は、だれかを助けることが、できる手だ」
「………だって………靴磨きだよ………」
「それがどうした。靴磨きに価値がねぇなら、だれも金を払って頼まねぇ」
焦点をうしなった、カッパの目。イヤなぼやけ方ではない。なにかを深く吟味している、人の目に深みを創る一瞬。
ポン、と手の甲をたたき、カッパの手を離す。
立ち上がって伸びをすると、もう日が昇りきっている。砂漠のからっ風はこんなところにまで届いて、どこぞで煮炊きする香りを運ぶ。
「あんたができることなんて、いくらでもあるじゃねぇか。一つ一つ、掴めるものから掴んでいけよ。順番をまちがえずに。………まずは………ナノハナじえーたいを、安心させてやるとかさ」
「……えっ?」
「探してるぜ、あんたのこと。カッパっていう名前のガキが、行方不明だからって、ナノハナじえーたいも、ナノハナ青年団も、ナノハナ自警団も、ナノハナ老勇会ってのも、みーんなあんたのことを探してた。あんたの母さんが、国王軍に尋ね人の届けも出したってさ」
母さん、という一言に、カッパの目が揺らぐ。
ちょっと探せば、空いてる木箱があるじゃないか。
その背中のリュックから、ハンマーだのノコギリだのをスイスイっと抜き取って、ポンポン木箱になげこんだ。これはもういらねぇだろう?
また空になったリュックの上から、カッパの背をかるく叩く。
「私はこれから、ナノハナに戻ろうと思ってるんだが……一緒に行くか?」