若い男の声は言う。
「この巨大船は、武器商船だ! 中には武器が積まれてる! おれたちはそれを運び出したい! 積み荷をおろすには、陸にあがったままの船から運び出した方が早い! だから一度、船を止めてくれ!」
「……は?」
この巨大船には、武器が山ほど積まれてる?
だったら余計に、一刻もはやく、海に戻すべきじゃねぇのか?
そんな私の内心を察したわけではないだろうが、中年男が声を荒げた。
「ふざけたことを言うな! 武器商船なら、火薬もつまれているはずだろう! 倉庫街の火災が、この巨大船に飛び火したらどうなる!? 干ばつで、空気が乾燥しきってる! いつ引火してもおかしくないんだぞ! お前ら反乱軍は、ナノハナを……潰す気か!?」
若い男は、反乱軍の一員らしい。こちらもまた、声を荒げる。
「ナノハナを潰そうとしてるのはっ! この国を……燃やそうとしているのは……! ……国王だ……! あんたも聞いただろう! 国王の自白を……! 国王は、ダンスパウダーの使用も、雨を奪っていたことも………最悪の形で認めやがった! 倉庫街に火を放ったのも、国王と国王軍の仕業だぞ!? わかってるだろう!?」
なんだ? なんの話だ?
中年男はだまりこむ。
国王が放火? ダンスパウダーの使用を認めた?
絞り出したような、中年男の声がする。それにかぶせて、若者は言った。
「国王、さまは………!」
「あの男に〝様〟をつける価値があるのか! おれたちは、あいつを討つ! 討たなきゃならない! この国が………! 国王によって……滅ぼされる前に………! そのためには、この船に積まれた武器が必要なんだ!」
中年男はもう、何も言わなかった。若者の声だけが私に向かって飛んでくる。
「旅人! とにかく、この船を一度、止めてくれ!」
押しつづけた船体は、人がゆっくりと歩くほどの速さで前に進む。「おい、旅人!」私はただただ押しすすめる。
「聞こえないのか!? 旅人! 一度、船を止めろ!」
私の足は止まらない。
「あのよ……! 私は、旅人なんだよ………!」
もうしゃべるのも億劫だ。しかし腹の底からふつふつと、言葉が湧き出て漏れ出していく。
「グランドラインの、旅人だ……! この国に、アラバスタにきたのはこれが初めて……! ナノハナの奴らには、とにかく良くしてもらってる………!」
「だったらこの国を守るために協力してくれ!」
「嫌だ!」
「……なんだって!?」
アラバスタを守る? 好きにしろ。
だが私は、
「私は! ナノハナの奴らに! 良くしてもらってんだ!」
「だから、」
「アラバスタなんて知らねぇよ! 私が守りてぇのは、ナノハナの奴らだ! この町の奴らだ! この町だ! アラバスタを救うために、ナノハナを危険にさらすってんなら! 私がここで、てめぇら全員ぶっ倒してやってもいいんだぞ………!」
ゾワリ、空気が変わる。私の気配が濃密さを増し、ドロリと周囲に広がった。
巨大な生物にであったとき、人はなにも思わずにいられるだろうか。
否。
生物の本能が、命の根元が、恐怖を抱かずにはいられない。
そんじょそこらの巨大生物よりも、私は強い。その私がありのまま、人里に入ったらどうなるか。
私がもつ強者の気配は、人間たちの本能に、圧倒的な恐怖を呼び起こさせる。
人間たちは、〝自分がなにに恐怖しているのか理解できない〟まま、理屈のわからぬ恐怖心を私に抱くこととなるだろう。
旅人としては、百害あって一利なしの現象だ。波は気まぐれ波まかせ、気ままに海を渡るため、私はつねに己の気配を極限まで封じ込めている。
それをちらりと、解放した。反乱軍の一員らしき若者は、ヒュ、と声を失い息を呑む。
「この船は……! 引火の危険があるもんで……! 一刻もはやく、海に、戻す……! 邪魔するなら、命は保証しねぇ……! 火事がもう、起こってんだったら…………! こんなところで怒鳴ってねぇで、その火事を、消しに行け! 反乱軍!」
反乱軍の主張が正しいのである。
もし本当に、アラバスタの国王が乱心し、あらゆる町に火をつけて回っているとしたら、一刻もはやく止めねばならない。たとえナノハナ1つが潰れようとも、他のいくつもの町の悲劇を減らすことこそ……〝正義〟。
「フン」 人知れず、鼻で笑う。〝正義〟にゃ興味がねぇんだよ。
巨大すぎる武器商船はおそろしくゆっくりと、海面に着水した。それでもぶち上がった水飛沫に、私の全身が濡らされる。
「旅人ぉ!」
走り寄ってきた国王軍の兵士は、一昨日、カッパを家まで送り届けた男だ。
国王軍の軍服は、白いマントに白金の鎖帷子、ゆったりとした小豆色のボトム。
しかし彼は今、白いマントを脱ぎ捨てていた。白金の鎖帷子のその胸元に、黒いペンキでバツ印が書かれている。
「町にのりあげた大型船を、移動させてくれたらしいな! 助かった! ……本当に一人でこれを、動かしたのか……!」
あ、引いてる?
あえておどけてうなずいてみせる。
「うーむ! 苦しゅうない! 旅人のたしなみだ! あんた、旅人、ナメてたな?」
「ナメていたとか、そういう次元じゃないだろう……!」
「ナノハナでこんだけ良くしてもらってきたんだぜ、そのナノハナのピンチとくりゃあ、火事場の馬鹿力も、爆発するよ」
「火事場の馬鹿力………ですぎだろう……!?」
ポニーテールをキュッと絞り、海水をとりのぞく。指先がふるえている。さすがにあの重量を一人で支え続けたのは、応えたな。
「途中で、反乱軍のやつに声をかけられた。今から国王を討伐しにいくと。国王が、この町に放火したとも聞いた。それにあんたのその、胸のバツマーク。………一体なにが起こってる?」
震える指を隠すように、Tシャツの裾を絞りながら問いかければ、兵士は言葉少なに教えてくれた。
「………国王………が…………ナノハナの朝市に現れ……ダンスパウダーを使い、雨を奪っていたことを認め………! ……この町に火を放った……! ダンスパウダーの使用が〝バレる〟原因となった事件は、このナノハナで起こったのだから………自分の汚点を………この町ごと、消し去ると………! そう言って………!」
兵士が握り込んだその拳は、怒りにふるえている。
ナノハナの朝市にあらわれた国王は、国王軍の兵士たちを引き連れていたらしい。放火も、国王の指示により、国王軍兵士が実行したものだった。
今、この男が胸にえがいたバツマークは、
「おれは本日をもって国王軍を辞めた。辞表はまだ出しちゃいないが、町に放火するような奴らと一緒にされたくないんでな、このバツマークを………書いたんだ」
元からナノハナの警備を担っていた国王軍兵士、全員が、胸にバツマークをつけて消火活動にあたっているそうだ。見れば男の足元も、煤けた灰で汚れている。
男は姿勢をあらため、まっすぐに私を見すえた。
「マジェルカ殿。改めて、協力を願う。付け火された倉庫街の火災は、広まりつづけている。このままでは町が全焼する可能性もある。もうなりふり構っていられんのでな、消火に海水を使うことにした。水の汲み上げを、手伝ってもらえんだろうか」
「わかった」
「これほどの助力をいただいた上に、厚かましい願いだとは重々承知。しかし我らには頼れるものがあまりに少なく……」
「どこで汲みあげてる?」
「情けないことだが、貴殿の働き以上どころか、貴殿と同等の働きすら、我々だけでは行えぬのだ……」
「あ、あっちか? じゃ、先行くぞ」
「恥を忍んで、頼む!」
「ぶああああああああか! なにが恥だ! 困った時はお互い様! 知らねぇなら前世からやりなおせ! 先行くからな!」
「………はっ?」
港の波止場は、島の岩礁を切り崩し、平らにしてある。石の地面を走ってゆくと、ここまで火は届かないと判断したのか、巨大船から少し離れたところに、逃げてきた人々がごった返していた。
その向こうに、見えてくる煙。
明るい夏日の下の炎は、蜃気楼のようだ。しかしどす黒い煙ははっきりとこの目に映る。バガン、となにかの弾ける音がして、黒煙はより一層勢いを増した。
あっちから。こっちから。
一ヶ所じゃない。倉庫街の複数ヶ所から、猛烈な火の手があがっている。
気配を追って港を走る。火の手のあがる倉庫街は、ナノハナの南東。港の中ではそこに最もちかい、港の東端、舗装された石の地面の途切れめに、バケツを担いで走る集団がある。
ここの顔役はどいつだ。さっと視線を走らせれば、報告のようなものを受け、指示をとばしている男をみつけた。話が通っているのか、私が近づけば大きく頷く。
「来てくれたか! ありがたい! もう少し助力を頼む!」
ロープをつけたバケツを海に投げ、引きずり上げて、海水をくみ上げているらしい。先ほどの、元・国王軍兵士とおなじ、鎧の胸元にバツマークをつけた男たちが力任せにロープを引いていた。
私用にと用意されていたのは、バケツよりふた回り大きな樽。
「緊急時用の、海水をくみあげるポンプが港にあったんだが、あの巨大船が突っ込んできた時に壊されてしまった。人力だのみだ! 頼めるか!」
示された樽を受けとらず、私はさっと視線をおよがす。
「樽じゃなく、デケェ布は用意できるか?」
「布?」
「海水を包んで放り投げる。デケェ水風船を、直接、火災現場にぶつける」
「そんなこと………! いや、できるんだな!? 君は……!」
海にとびこんだ私の頭上に、布がなげられた。一辺が5メートルほどある、長方形の布である。
4つ端をもち、海に潜る。ぐっと水中に沈んだ布の一部。布は、海水のはいったバルーンのように膨らむ。
港の一角には、人払いをたのんでおいた。そこをめがけて海水のバルーンを引きずり泳ぎ、海水を〝踏みしめて〟一気に地上へ飛び上がる。
「………おらっ………!」
ハンマー投げの要領だ。遠心力をかけて、海水のバルーンをぶん投げた。
黒煙の空をバックに打ち上がった水袋は、狙い通り、火災の頭上で勢いをうしない、形を崩し、水をあふれさせる。
ナノハナの倉庫街だけは、ほとんどが木造建築。延焼を防ぐためにも、水のぶっかけは有効だろう。消火活動をしているだれかにぶち当たっても、濡れた布なら怪我もするまい。
「うし、次!」
何十往復しただろう。火が消えた、と一報を受けて、体から力が抜ける。
バケツリレーの影響か、港の石の地面はどこもかしこも濡れていた。その上にぐでり、寝っころがる。
太陽がまぶしい。
「あぁー………はぁー………よかったぁ……」
守りてぇ奴らの命がかかっていると、余計に緊張するものだ。張り詰めていた精神が、どっと疲れを訴えた。
私に布を投げてくれていた数人も、よかったよかったと肩を叩き合っている。その反対側から、港で指示を出していた、あの顔役の男がやってきた。
寝転んだまま見上げていれば、男は膝をついて、片手をさしだす。オレンジ色をした日よけのマントが地面にたゆむ。
「マジェルカ殿、ありがとう。これほど早く火を消せたのは、あなたの助力が大きかった」
男の手は、握手を求めていた。
時には疫病のうたがいをかけられ、近寄るどころか汚物のように遠ざけられることもある、私の黒い手に、自分から握手を求めている。
ひとつ呼吸をととのえ、起き上がり、私はその手を握り返した。
サンセット・ハウスは無事だった。巨大船の突っ込んできた町のメインストリートとは、離れた場所にあるためだ。火災が起こったエリアはさらに向こう側。サーモンピンクの建物はいつもどおりにそこにある。
宿にもどると、女将さんがとんできてハグをする。
私はまだびしょ濡れだ。濡れてしまうことも気にせず、女将さんはまた海賊並みの剛腕でもって、バッシンバッシン、背中を叩く。おうおうおう、おう。
「もうあんた無事でよかったよう! 巻き込まれなかったんだね!? なんであんたはそう、あたしに心配ばっかりかけるんだよう!」
笑ってしまった。あんたは私の母ちゃんか。
厨房からはいい匂いがただよってくる。時計を見ればまだ8時半過ぎ。昼飯には早い。きけば、炊き出しがわりに、焼け出された人々へ食事をとどけるつもりらしい。
「焼けたのは倉庫街だぜ?」
「あそこら辺には食堂が結構あるんだよ、倉庫街で働く人らのためのね。あっちには、船の乗組員〈クルー〉向けの、素泊まりの宿屋も並んでるし………ほら、なんていうのさ、あの………あのぉ………お、女の人がその、サービスするようなお店もね」
「風俗街か」
「ふっ、ふうっ……そのっ……とにかく、だよう! 焼けだされちまった人が結構いるって話だからさ、せめてあったかい食べ物、届けてあげようと思ってさ!」
「オーケー、手伝うよ」
「……料理だよ?」
「手伝いくらいできるさ! 旅人だぜ?」
「……ケモノの丸焼きとかじゃないんだよ?」
「私のイメージはどうなってんだ……」
宿泊客のひとりである求職中の女は、事故の時間、まだ宿にいたらしい。そのまま女将さんの炊き出しを手伝っている。
手は足りてるから、ということで、私は料理のデリバリーを頼まれることになった。
べつにいいけどさ。いいんだけどさ。私だって、芋の皮くらい剥けるのに。
スープのようにサラリとしたシチューの大鍋を、両手にぶらさげ宿をでる。「盗みぐいしちゃダメだよう!?」「わぁかってるよ!」さっき勝手に〝味見〟したからもうしねぇ。
トットット、と小走りに駆けていけば、巨大船が破壊したメインストリートのあたりに、ポツポツと人が立っていた。
怪我人が多い。手だの足だの頭だの、血濡れた布でおさえつつ、たったの数分で瓦礫の山になってしまった町並みを呆然とみあげている。
いつもは私の黒い肌をみて、見慣れないそれに注目するような奴らも、すぐそばの私に気づきもしない様子だった。
すれ違いざまに、
「明日から、どうするか……」
ぽかんとした独り言が聞こえた。
焼け出された人の避難所は、港のほど近く。教えてくれた元・国軍兵士は、ナノハナ商工会の寄り合い所が避難場所になっていると言っていた。青年会も老勇会もあるのに、商工会まであるのか……。
行ってみれば、人であふれていた。皆、ものが燃えたあとの臭いをまとっている。
建物に入りきらなかったのだろう、道の方にまで簡易な天幕がはられ、その下にも、人、人、人。もえた区間の地域性か、こどもがいないのはありがたい。ガキがげっそりしてたりすると、私の心が痛むからな。
「えっ、あれ、ねぇねぇねぇ! 見てみて、あの女の子ぉ!」
「えー、うっそ! ほんとだったのぉ!? あの話ぃ!」
「真っ黒だぁ! すごーい!」
「生き物?」
「アハハハハッ! 生き物でしょう? ていうか人間でしょどうみても! 女じゃん!」
「な? おれ言っただろ? 黒い旅人がいるって! 信じてなかったのか!?」
「疑ってたわけじゃないけど、まさか、本当だと思わないじゃない!」
「それ疑ってたってことだよ!」
うふふふ、あははは、と華やかな女の声がする。なんだ、なんだ?
火事になったのが倉庫ともあって、避難所もまた、むさ苦しい男どもの巣窟だ。
火にまかれたのか火傷のできた腕、煙にやられたのか塗られたように黒い顔がならんでいる。しかし、なぜだか全員、暗い顔はしていない。
その理由はあの女たちか。
男どものど真ん中に、艶やかな女の集団がすわっていた。
美女ぞろい、というわけではない。体つきも特別、豊満なわけでもない。
しかし全員、妙な色気にあふれている。完熟した苺のような、それでいて、まだ青いオレンジのあどけなさのような。
媚びている感じはしないというのに、やたらと愛嬌のある声としぐさで、女たちは私に手をふる。
「旅人さぁーん!」
「あっ、こっち見た! 旅人さぁーん!」
風俗街の〝嬢〟たちか。
なんだかドキドキしてしまう、不思議な色気を放つ彼女らへ、手をふろうとして失敗した。そうだ、シチューの大鍋を持ってたんだっけ。
「ああ! 私がウワサの? 旅人だ!」
言葉をつづけようとして、できない。きゃー、ほんとだったんだぁー、うわぁー、などなど、〝嬢〟たちが盛り上がってしまったためである。
私のほど近くで、うるせぇなぁ、とぼやいた男がいる。拗ねたようなその男の声は、周囲の男の耳には入らぬようだ。ムダに通りのいい女の声に、ほわん、と表情をゆるめる男たち。わかる。わかるが……。
やべぇ。私もあんな、シマリのねぇツラしてるのか?
意図してきりりと引き締めた。
「この鍋! あっちの宿屋! サンセット・ハウスの女将さんからの差し入れだ!」
配りはじめれば、器が足りない。スープボウルを使えたのはほんの一部、あとはマグカップだの、酒のジョッキやグラスだのに熱いスープを注いでいく。
スプーンも足りないので、全員が全員器をかたむけ飲んでいる。そうか、食器も壊れて焼けちまったんだもんな。
女将さんはまだまだ色々作っていた。第二弾を取りに行こうと、汗臭さと焦げた臭いがムッとこもった天幕から出たとき。
刺さるような日差し。その中に立つ、馬のシルエットが目に飛び込む。
逆光に黒く染まった、一頭の馬、そして馬上に一人の男。
その、鋭くざらつく気配。反乱軍のリーダーである、コーザだった。
「なんだ」
目が慣れれば、赤いコートの襟が風に揺れるのがわかる。馬がかすかな嗎をする。
「………旅人…………おれたちは今から、全軍をもって、王都アルバーナに攻め込む。理由は知っているだろう、今朝おこった、国王の告白………裏切りを認め、罪をかさねた事について………」
どこに攻め込もうが勝手にしろ、と言い捨てそうになり、堪える。
どうも私は、刹那的に生きすぎるきらいがある。すこし考えればわかることだ。
この島でダンスパウダーは使われていない。そもそも、ダンスパウダーでは雨を奪えない。
国王がダンスパウダーの使用を認め、雨を奪っていたのは自分だと告白したその言葉自体、絶対的なウソである。
国王が己の罪をけすために、この町に火を放った? それならば己の罪を、己の言葉で認める必要はなかったはずだ。
黙って素知らぬ顔をして、こっそりと手下のものに放火させるのが最も良い。なぜそうしなかったのか。
一歩さがって今の状況をながめてみれば、国王のそぶりには拭いきれない違和感がある。消しきれない矛盾がある。
脳裏に浮かぶのは一人の海賊。
王下七武海の一人、クロコダイル。
国王のこの〝矛盾〟のおかげで、得をするのはあいつだけだ。
王が威信を失うことこそ、クロコダイルが最も求めていた状況であるのだから。
「この国は王を信じていた……。国王の顔を見たことがない民たちも、みながみな、あの男の心を疑ったことがなかった……。……おれもだ……。国王が本当に、自分の意思で、民から雨を奪っているとは…………考えてもみなかった………」
馬上のコーザは、視線をそらす。
「反乱軍は…………おれたちは、国王が民を裏切っているとは思っていなかった。ただ、ダンスパウダーを国王からうばいとり、枯れた町に雨をふらせるために、動いてきた…………。ほんの数時間前まで、国王の裏切りには、少しも気づかないまま………」
乾いた風にかき消されそうな、コーザの独白に、合点が行く。
カトレアは王都から離れた町だ。水源のあるカトレアを、反乱軍の拠点のひとつにするのはいい。しかし反乱軍の〝本拠地〟とするには、国王の居場所から離れすぎている。
元より反乱軍の目的が、国王を倒すことではなかったならば、辻褄があう。
その反乱軍が今、国王に見切りをつけ、その首を討とうと言うのだった。
これまで信じつづけたものに、これまで裏切られつづけていたのだと、思い込んで。
「旅人………。お前は多くの国を、その目で見てきたのだろう。おれたちの知らないものを、知っているはずだ。その目に、この国は………おれたちは、どう映る」
おれたちは愚かだろうか、と、コーザの無言が問うている。信じること、疑うこと、そのどちらもが浅はかなことではないかと迷っている。
うすくオレンジがかったサングラスの向こう、男の目は透き通っていた。色のないこの島の空をとじこめた、砂漠に生きる民の瞳だ。
私の瞳の奥底にはなにが宿っているのだろう。自分じゃわからぬその色は、それでもきっと、この男とは違うもの。
命をかけて信じることが、愚かであるはずがない。
しかしそれは、今、私が言うべきことではなかった。この男と同じ瞳の人間だけが、告げていい言葉である。
言葉を探して、地面にころがる砂を見つめる。脳裏をよぎるナノハナの人間たち、カトレアでの一夜、そして英雄という名を弄ぶ、葉巻を咥えた海賊の笑み。
「この国のことはわからねぇ。ただ……この町は、いい町だな。少し滞在しただけの私でも、肩入れしたくなるくれぇには……」
王都からはなれたこの町に、クロコダイルの計画がどれほど影響してくるのか。見誤った感はある。巨大船の一件も、放火の一件も、ヤツが無関係だとは思えない。
国王の放火をきっかけに、反乱軍が王都へ攻め込むことですら、クロコダイルの計画のうち……。その可能性も高かった。腹の立つことである。
しかし、あいつに踊らされるな、と、コーザへ忠告するには、私は部外者すぎる。
旅人の処世術だが、と前置きし、逆光の男をまっすぐみすえた。
「……真実は、細部に宿るよ。デカイ動きに目をうばわれて、ごまかされるな。………見抜いてくれ」
真実を。
視線を交わらせたとき、私の背後から遠慮がちな声がかかった。
「おい、やめろって」
「なんでよ、聞くだけなんだからいいでしょ、ねぇ、旅人さぁん?」
コーザはふっと視線をそらし、馬をあやつり走り出す。その姿を見届けてから振り向けば、天幕から顔を出す、風俗店の〝嬢〟らしき女がいた。