「こんのクソガキ!」
叫んだのはおばちゃんだ。50歳前後だろうその医者は、かけたメガネを吹き飛ばさん勢いで体を動かし、指示を飛ばす。
「手術室の洗浄は終わってるね!?」「はいっ!」「F型の輸血準備!」「ありますっ!」「念のためノコギリの用意!」「あっ、はいっ!」「シビレダケの麻酔じゃない、砂漠の苺の麻酔を使うっ!」「えっ!? はいっ!」
「こどもの体だ、麻酔を一滴まちがえりゃそのまま死ぬからね! 覚悟しなよ!」
壮年の女医がすごんだ相手はカッパではない。周囲の看護師たちにむけられた言葉である。白いスモッグ姿の男も女も、一段、緊張感を引き上げる。
診療所の片隅に突っ立った、私の緊張もひきあげられた。木製のカートのようなストレッチャーに乗せられて、カッパの姿が診療所の奥へと消える。
この診療所に、麻酔医はいないらしい。そりゃそうだ、病院じゃねぇからな。手術のできる医師がいただけでも恩の字である。
看護師によれば、カッパは一度、反乱軍のメンバーによってこの診療所に運び込まれてきたらしい。しかし、手当てを受けた後、いつの間にか姿を消していたという。
あの大怪我で勝手に動き回っていたのだ。医者が怒るのもムリはない。
「黒ちゃあん………あのこ、カッパでしょー?」
巨大船と火災のせいである。ベッドだけでは足りず、診療所の床一面に、怪我人が所せましと寝かされている。
怪我人のうめき声と独特なニオイに、心細くなったのだろう。私の足にナノハナじえーたいのガキンチョがくっついてきた。
女児の髪を、ぽん、と撫でれば、私の太ももに押しつけられる、小さな頭。
「カッパは……死ぬ?」
「死なねぇよ!?」
なんつうこと言いやがる。縁起でもねぇ……。
反対の足には男児がしがみついてくる。こっちはもう完全に、全身をつかって私の足を抱き込んでくる。コアラかてめぇは。
男児はびくつきながらも、ある一点を見つめていた。その視線をたどれば、すぐそばに寝ている男の顔。
痛みに耐えているのだろう、苦悶する額から、汗がたれていた。その汗で流れたらしく、顔にぬられた黄色い軟膏が、一部とれてしまっている。
うっすら見える、火傷で爛れた皮膚のありさま。
私が見たって痛々しい。ガキには刺激がつよすぎるか。
「………外に出て待とう」
診療所から出れば、ヤシの木が横たわっていた。巨大船が突っ込んできた時、吹きとばされた瓦礫が当たったようだ。木のてっぺんの青い葉っぱが今は地面を舐めている。
ガキンチョ二人がしがみついた足を、のったりのったり動かしていれば、道の向こうから声がした。
「あっ!」
国王軍の軍服を着た男だった。次いで、どこかを振り返り、叫ぶ。
「居たぞぉー!」
なんだ。
その声に応えたように、こちらへゾロゾロとやってくるのは、男ども。白金の鎖帷子の胸に、黒いバツマークをつけた、元国王軍兵士たちだ。
その全員が全員、ロープを引っ張っていた。ロープの先につながれて、引きずるように連れてこられたのは、
「あ?」
大きなワニである。ワニ?
所々崩れてしまった町並みの中、大きなワニが引きずられてきた。くすんだイエローの巨体でもって、クビを振りながら、ロープに抗おうとしている。
「ブルン! ブルルルン!」
ひびいた重低音は、あのワニの鼻息か?
ひくつく鼻のその上には、なぜだろう、バナナが一房ついている。バナナが一房ついている。どういうことだ。
「引けぇーっ!」 兵士たちが必死にロープを引くが、一足遅かったな。
ワニの暴れる尻尾が、オレンジ色の外壁をかすった。ボゴォン、と派手な音をたて、壁の一部がすっ飛ばされる。
しかし、なぜなのか。ワニの大きなしっぽの先にも………どデカイバナナが一房。バナナが一房ついている。
「バッ………バナナ………」なぜ?
足にしがみついていた男児は、パッと私から離れ、ワクワクした声で叫んだ。
「おあー! ババナワニぃー! エフワニぃー! すげぇー!」
あれが、エフワニ? ババナワニ? どっち?
先ほどあっと叫んだ男がかけてきて、右の拳を胸にあてる。それが敬礼であるらしい。
「マジェルカ殿でありますな! イガラム護衛隊長より話はうかがっております! 極秘任務のため、アルバーナへ向かうとのこと! 砂漠越えにはこのエフワニをお使いください!」
エフワニと呼ばれたワニの背中は、平べったい。その上に、座席がとりつけられていた。
馬の鞍のように、ワニが背負っているらしい。分厚い革のホルダーの上、透明なドームでおおわれた中に、座席らしい椅子がある。
5メートル前後あるエフワニが背負っているのは、流体力学を考慮した、楕円形のドーム。まるで、ワニが高速移動するとでも言うかのようだ。
最後は、その場に足をふんばってまで、エフワニは進むのを嫌がった。兵士が10人がかりで引っ張れば、ズザザザザ、と砂が鳴る。
しかし、私と目があった瞬間。
エフワニは絶望したように脱力したのだ。
目を伏せ、頭を伏せ、首をちぢこまらせて、エフワニはその場にひれ伏す。
「……あ……」
もしかして、こいつ、私のせいで暴れてたのか?
そういえば今日は、2度ほど、己の気配を解放していた。陸の動物は、強者の気配に敏感だ。遠すぎて人には感じとれないその脅威を、正しく感じとり、怯えていたのかもしれない。
その元凶の元へ、無理やり引きずられてきたのなら、あの嫌がり様にも納得がいく。
「エフワニは、緊急時の移動のための、砂漠超えによく使われる生物であります! このエフワニは、国王軍ナノハナ基地にて飼育されております! 顔に似合わず、人に、よく、懐き……えー……よく懐くはずなのでありますが、本日は少々……混乱しているのでありましょう!」
足の速さは保証する、と、焦ったように告げる兵士。
今度は一転、ビクビクとしはじめたエフワニは、チラチラ私をうかがっている。
「黒ちゃぁん、こっちみてる、えふわに……」 そうだな。
しがみついていた女児を、足から降ろし、エフワニへ近づく。
平身低頭したその姿。そこまで怯えているようじゃ、まともに走れもしないだろう。
ワニの鼻先に、そっと、手を伸ばした。大きなワニの鼻は、私の腰ほどの高さがある。くすんだ黄色のかたい皮膚へ、グッと、掌を押しつけて、ゆっくり離す。
服従の意を受けとるサインだ。人間風に言うと、〝お前、私の子分にしてやるよ。だからお前を食ったりしねぇんで安心しろ〟といったところか。
野生動物には大抵、これが通じる。飼われているワニには伝わるだろうか。そう様子をうかがえば、エフワニは、見るからにホッとした様子で震えを止めた。
「あれっ、おとなしくなった……!」
「よかった……いつもの調子に戻ったな……!」
ワニの様子に、国王軍の鎧をまとった男たちはロープをゆるめる。
ガキンチョ二人はエフワニの周りをうろちょろし、黄色く巨大な体躯に顔をちかづけては、恐る恐る、突っついたり触ったり。それに怒りもせずじっとしているのだから、元は温厚なワニであるらしい。
「………で、あんたら、その胸のバツマーク。国王軍をやめたんじゃねぇのか?」
ぽつりと問えば、男たちは顔をひきしめた。
あの大男は、自分を国王軍だと言っていた。王族の護衛なんちゃら、という単語が出ていたのだから、軍の高官なのだろう。
国王軍兵士が、あの男の指示に従うならわかる。しかし、国王軍をやめたはずのこいつらが従う理由はないはずだ。
暗にほのめかした問いかけを、正しく理解して男は言う。
「ええ、我々は国王軍をやめました。だが、この国を守りたいという思いは、変わりませんのであります。もしも、イガラム隊長のおっしゃる通り、本当に、この戦いが不要な争いであるならば……それを止めることができるならば……全力を尽くす所存であります。助力も惜しみませんであります!」
まっすぐな男の目に、カッパの言葉を思い出す。
〝今朝方、この町に火を放った国王はニセモノ〟〝みんな騙されてる〟。
あの大男が、とっさに漏らした一言。
〝この国を、クロコダイルには渡さない〟。
「……ま、なんにせよ、ありがてぇよ。こいつを使っていいんだろ?」
はい、という言葉と同時に、エフワニが「ブルン」鼻を鳴らした。
「だが………こいつ、馬より速ぇの?」「当然であります!」エフワニも肯定するように「ブルルルルゥン!」鼻息を荒くする。「揺れはあるのか?」「いえ! ほぼありません!」「……そうか。じゃ、よろしく頼むぜ」
調子を取り戻したらしい。エフワニはニヤリとニヒルに口角をあげる。任せろってことだな。
建物の角をまがり、あの大男が小走りでやってくる。周囲の兵士たちが一様に姿勢をあらため、拳を胸にあてた。
王の威信がゆらいだこの状況でも、これほど敬われているとは。この大男はよっぽど人望があるようだ。
「お前は………ン〜! ンマァ〜〜! 貴殿は、マジェルカ殿というのだな。兵士たちより、あなたのこれまでについて聞いた。国王に仕える一家臣として、この国の民の一人として、この町のために尽力いただいたこと、感謝する!」
ぐるぐる髪の大男は、スーツの胸に拳をあてる。
ドンッ、と音を鳴らしたのは大男の胸ではない。ナノハナじえーたいの二人がマネをして、自分の胸を叩いた音だ。勢いをつけすぎたのだろう、二人してゲホゴホ咳込んでいる。アホ。
「……あんたが連れてくるのはカメじゃなく、ワニだったのか」
大男に問えば、気まずげに頷かれる。
「カメではなく、ワニにしたのだ。私が乗って行こうと思ったカメは……足が速くないと言われたもので……」
だろうな。カメだもん。
カッパの手術は一時間ほどで終わった。幸い、肺に損傷はなかったらしい。肋骨の一部が折れ、その先端が体の表面に飛び出していたのだとか。やっぱりか……。
エフワニの座席にもたれたカッパは、まだ麻酔で眠っている。輸血のおかげか、手術前より顔色はよかった。
血を吐いていたのは、食道が傷ついていたせいだと医者は言う。次に起きたら飲ませるようにと、液状の飲み薬をあずかった。
シワのよった顔に、さらに深いシワを刻み、女の医者は言う。
「私は患者を死なせるために助けているわけじゃない。人はいつか死ぬが……それをできるだけ先延ばしにするために医術をふるっている。そうして増やした命の時間には、価値があると信じている。………せっかく一命をとりとめたんだ、すぐに死なせるような事はしないでくださいよ」
ギロリ。
メガネ越しでもするどい医師の眼光は、大男に向かっていた。大男はその視線をしっかりと受け止める。
「もちろんです」
医師はつづいて、私を睨んだ。うなずきを返す。
「ありがとう」カッパを助けてくれて。連れ出すことを許してくれて。
エフワニの座席をおおう透明なドームは、前がパカリと開くようになっていた。限界までリクライニングさせた座席のシートに、カッパは寝ている。その周りに、看護師たちが、点滴などを取り付けていった。
用意が終わったらしい。じゃあ出発しようかとしたところで、大男に呼び止められる。
「マジェルカ殿、ひとつ問題が」
「あ?」
ナノハナじえーたいは、もう家に帰した。カッパの手術中に、昼メシを食べ、サンセットハウスの女将さんに町を離れることも告げた。カッパの親の許可もとり、カッパの着替えの服も用意した。ほかになんの問題があるというのか。
大男は言う。
「このエフワニ、基本は1人乗り、2人でめいいっぱい、3人は乗れない。私と貴殿の、どちらかは、乗ることができないのだ」
こいつ、バカにしてんのか?
エフワニを見れば誰でもわかる。まともな座席はひとつしかない。補助椅子のような座席がもうひとつあるだけだ。
細身の3人ならばまだしも、大男が混ざった時点で、3人は乗れるわけもないと見てわかる。
「貴殿か私のどちらかは、馬に乗ってあとから追いかけるしかない。私は国王軍に顔がきく、少年と共にアルバーナへ入るべきであるからして………マジェルカ殿は、あとから馬で、追いかけてくるといい」
「なぁ。………私はあんたを信用してねぇんだよ」
「はっ?」
大男の名は、イガラムだったか? 覚えてるさ。それでも今のところ、その名を呼ぶつもりはない。
「てめぇよ………カッパをなんの為にアルバーナへ連れてくつもりだ」
「またその話か……! 少年に、証言してもらうためだと、」
「だったら、カッパが死んだらマズイよな。あれだけの怪我したカッパを、そのまま砂漠に連れて行きゃあ……途中で死ぬだろうとは、わかるよな。だがてめぇは、カッパを医者に診せようともせず、砂漠へ向かってた」
「何が言いたいのだ、時間がない! もう反乱は始まっている! 我々は一刻も早く、反乱を止めねば、」
「お前。カッパをわざと、死なせるつもりだったな?」
大男の表情が、冷たく止まる。その目を見上げて、告げる。
「お前は、この国を奪うために、裏で動きまわる、クロコダイルのことを知ってた……。奴の作った、バロックワークスのことも……。怒りに満ちた百万人の、反乱軍を、とめる? 地位も身分もねぇ、ガキの一言で? 国王が真実を知ったら反乱は止まる? その国王に信用がなくなったからこそ、反乱が起こっているのに?」
低く低く告げた言葉に、大男は、高級軍人らしい無表情を崩さない。
そのスーツの胸に、指を一本、押しつけた。
「お前は軍の高官だろう? そんな夢物語はアテにしねぇ」
指を曲げ、トン、と大男の胸をノックする。
「軍人ならこう考えるはずだ。今、この国の敵は、反乱軍とクロコダイル。それなら……」
反乱軍とクロコダイルを、潰し合わせればいい。
「反乱軍の怒りの矛先を……国王から、クロコダイルへ向ける……。カンタンだ。この国の反乱軍はもとから、国を守るために立ち上がった。国民をだれひとり見捨てねぇために戦ってる……。たとえば〝とある罪なき少年〟が………クロコダイルの秘密を知って、クロコダイルに殺された………なんて話が持ち上がれば、反乱軍は……クロコダイルに向かっていくんだろうなぁ?」
大男のスーツの襟を、掴んだ。グッと引き寄せた大男の耳元に、囁く。
「生きた少年つれていくより、クロコダイルに殺された少年を〝持っていく〟方が、てめぇにゃ都合がいいだろう」
こいつが本当にアルバーナへ持っていこうとしているのは、カッパの証言なのか。
それとも、〝悲劇の被害者〟という物証なのか。
〝生きたまま〟アルバーナに連れて行かねばならぬはずのカッパを、こいつは、まともな治療も受けさせぬまま、連れて行こうとしていた。カッパの怪我の位置も知っていたはずだろうに、私と対峙した瞬間、イガラムはカッパを肩に担いだ。カッパの怪我を圧迫するような体制をとった。
むしろ。
カッパが怪我をしていることを、隠そうとしている様にも見えた。
こいつの求めるものが、カッパの証言ではなく、少年の悲劇的な死であるならば、その行動に辻褄があう。
戦火の中では、人の理屈が通じない。迷ったら死ぬ、立ち止まったら死ぬ、そんな修羅場を潜り抜けるうちに、人の〝判断基準〟そのものが、とても原始的な水準になっていく。
よくある反乱軍が、ただの暴徒の群れになりがちなのは、上層部がこの現実を理解していないためというのが大きいだろう。戦争の現場の狂気を甘く見積もり、兵のコントロールを失うのだ。
この国の反乱軍がいくら規律正しいとはいえ、すでに走り出してしまった彼らを、修羅場の中に入ってしまった彼らを、理屈で止めることは難しい。
その逆。
強い感情で足止めすることは、意外にも容易い。
将軍やリーダーが死ぬと、なぜその軍の勝敗が左右されるのか。あとからやって来た学者などは、政治的な判断のためだと断言するだろうが、現場で起こるのはそのように理論だった行動ではない。
兵士の感情がゆらぐからだ。
〝もう負けなのかな?〟兵士の一人一人がそう思えば、軍は止まり、負ける。
〝リーダーを殺しやがって、絶対に許さん〟兵士の一人一人がそう思えば、猛攻が始まる。
少年の遺体を運んできた大男、など、平時では怪しい人間でしかない。しかし戦火の中では、言ってしまえば、ノリが全てだ。
〝少年を殺しやがって、絶対に許さん〟。そのような〝ノリ〟を生むことができれば……扇動することができれば……反乱軍をクロコダイルへ向けることも不可能ではないだろう。
どうせ理屈は通じない。こまかな辻褄あわせは、戦後に行えばいい。
死人に口無し。キーパーソンが生きているよりも、死んでいる方が、この大男の好き勝手に〝シナリオ〟を後付けすることができる。
証言者である少年は〝遺体になっていた方が都合がいい〟。
大男の言う、国を守りたいという想いは本物だろう。
ただし、国を守るとは、国民のほとんどを守ること。国民全員を守ることとは限らない。
私の予想がどこまで当たっているかは知らないが、大男は、眉をしかめた。小さく、本当に小さく漏らされた、舌打ち。
その一瞬ののち、わざとらしいほどの大声で、のけぞってみせる。
「砂漠の英雄、クロコダイルが! この少年に! 大怪我を負わせたというのか!?」
白々しいその一言に、しかし、兵士と言えどもお人好しなアラバスタの民はギョッとした。
こいつはその〝シナリオ〟を真実にするつもりらしい。
その〝ストーリー〟を描くなら、カッパの命を守ろうとする、私の存在は邪魔になる。私を遠ざけたいのだろうとは、エフワニの座席を見た時からわかっていた。
舞台にアドリブを添えてやろう。私もわざわざ声を張り上げる。
「あんたは! カッパを殺すつもりなのか!? やろうとしてみろ! その瞬間、私は、てめぇの、敵になる!」
大男が目を見開いた。「なっ……にを……!」
またざわめく兵士たちに、大男はざっと目を泳がせた。そこへ吹き込むように、私は囁く。
「カンタンだろ? そのシナリオは諦めろ。あんたが覚えるべきことは、一つだけ……。あのガキを死ぬ気で守れ。あいつは私の友だちだ。あいつを守っている限り………私は敵にはならねぇよ」