今更だが、二手に分かれたのは悪手だったかもしれない。
イガラム達に何かあればすぐ駆けつけられるよう、見聞色の覇気は、広場の向こう側まで広げてある。そうなれば当然、乱戦の狂気に染まった幾十万の気配たちも、感知しつづける事になる。
狂気は伝染する。
私のこの頭の奥もジワリジワリと白に染まる。
狂うというのは案外、心地よいものだった。面倒なことは何も考えなくていい。邪魔な奴は潰し、従わぬ奴は力で屈服させ、周りを滅ぼし、己までもを滅ぼし尽くすその瞬間まで、ひた走るだけ。
気づけば、右手で男の首元を掴んでいた。私よりも身長の高いチンピラだ。
こちらがまっすぐ腕を伸ばしても、完全に持ち上げることは叶わない。私の手の大きさも足りないので、首を掴むというよりは触れているといった有様である。
それでも男が逃げないのは、逃げられないからだ。私の指は男の首にめり込み、男の太い指は、必死でそれを引き剥がそうとしている。剥がせる訳ねぇのにな。
左腕が、カキィン、と妙な音を立てた。その手に掴むのは男2人の襟首。
引きずり倒されたような格好の2人は、身をひねって私の腕にカトラスを突き立てたらしい。さしずめ、無意識に発動させた武装色硬化が弾いたのだろう。真っ二つに折れたのはカトラスの刃の方。
カラン、カラン、と刃が転がり、砂国の西日で影を得る。
そう、そうだった。
砲弾の中に混ぜられた爆弾。それを選別して私に寄越せと命じた矢先、砲弾を運んできたバロックワークスの男達は、言ったのだ。
〝なぜてめぇの指示に従わなきゃならねぇ?〟と。
質問の意味がわからず、私は首を傾げた。そこへ武器を抜いた2名が飛びかかって来たのである。左手一本で引きずり倒せば、今がチャンスとばかりに一名が逃げ出そうとした。そいつの首を掴んで捕まえ、私はようやく問いに答えた。
〝私があんたらより強ぇからだ〟と。
「……私に協力し、爆弾を、私に寄越すか」
静かな声は、王宮内部と屋上をむすぶアーチの中で反響する。ゆっくりと振り向けば、バロックワークスの残りの3人と目があった。
「それとも、此処でこのまま死ぬか……。どっちがいいんだ、選んでいいぞ」
腰の引けていた残りの3人は、私の視線から逃れるように木製のカートへ群がりだす。砲弾と爆弾を分ける作業に入ったらしい。パッと手を離せば、私に捕まっていた3人もヨロヨロとそちらへ合流する。
うん。分かってくれてよかった。
お前ら私より弱えんだから、抵抗するなら命を賭けろ。その度胸がねぇなら黙って従え。それが世の中ってもんだろ?
そんな事を思ってから、ふと、思考が止まる。「……ん……?」なんか今、私、ちょっと、判断基準が狂ってねぇか?
腕っ節の強え奴がエラい? 弱い奴は強い奴に従って当然?
世の中ってそんな感じだったか?
そうだよそういうものだよよのなかは、つよいいきものがすきかってするんだよ、よわいいきものはしたがうか、しぬまではんこうするかのどっちかだよ。
『マジェルカ。そいつは人の考え方じゃねぇ』
古い記憶の扉が開く。
その中から聞こえてくるのは、とっくに死んじまった、老齢の元海賊の声。
『お前は鬼だ』『人になりてぇなら』『ひとまず』『なんでもかんでも暴力で解決しようとするんじゃねぇ!』『人を動かしてぇなら、言葉を使え』『腹が立ったら、まずは口で文句を言え』『相手の気持ちを考えろ』『難しけりゃ、お前がいいなと思う人間の、真似をしてみりゃあいいんだよ』
野生児だった幼い私に、人の生き方を教えたジイさん。車椅子が似合わぬほどにたくましい腕を組んで笑ったビルは、全く、小うるせえジジイだった。あーしろこーしろと、うざったいったらありゃしねぇ。
それでも、ビルの皺くちゃの手のひらは、私の頭を撫でたのだ。ビルは私と会話しようとしたのだ。肌の色が珍しいからと忌み嫌われていた私のことを、はじめて、ただの人間扱いしてくれた。
未だに私の人生には、ビルの言葉が響きつづける。
『人ってのはな、心を大事にできる奴のことだぜ。自分の心も……人の心も』
敵といえども力づくで服従させた、さっきの私のやり方は、人として、正しい行動だったのか?
「あー……」
砂国の風は鋭い。乾燥した大気は音をよく響かせて、地上の怒号をここまで届ける。展開させた見聞色の覇気は、兵士たちの身の内に広がる狂気まで、はっきりと私に意識させる。
情けねぇ。
私は今、兵士どもの狂気につられて、狂ってたのか。
ゴツっと額をノックした。グリグリと押し付けた拳。痛みで理性を呼びもどそう。生まれ持った本質ではなくとも、てめぇが人生かけて作り上げてきた思想だ。自分の本性は、理性の方であってほしい。
「これで全部だ、全部分けたぞ! もういいだろう!?」
呼ばれて顔をあげれば、石の床に砲弾の山が2つ。小洒落たドクロマークの入ったものだけ、木箱に積まれている。
「ああ……よくやった。さっきは」 悪かったな、と続ける前に、6人組は逃げ出していった。
その背中に待ったの声をかけたのは、私じゃない。砂場となっている王宮の屋上で戦い続ける、バロックワークスの面々である。
「おい! おい、てめぇらどこ行きやがる! 任務は……」
「うるせぇ! 任務は中止だ!」
「中止っ!?」「おい! 大砲が全部……斬られてる!?」「なんでだよ!? さっきまでちゃんと……!」
クロコダイルの秘密結社に入るような人間達だ。元々カタギじゃないのだろう。悪党にとって最も大切なのは、逃げの判断の早さ。
風向きが悪いと気づいたらしい。国王軍と戦っていたはずの彼らは、あっという間に踵を返して逃げ出した。「貴様らっ、逃がさんぞ!」それを追って、国王軍兵士もあちこちへ散らばっていく。
王宮の屋上から、人がいなくなっていく。
いつ無くしたのだろう。頭に巻いていたスカーフが、気づけばどこにもない。いつものショートパンツとTシャツなら覇気で守ってほつれ一つありゃしねぇが、日よけの上掛けはボロボロだ。
その上掛けを脱ぎ、よじってロープの代わりとする。ギリギリだがどうにか足りるな。爆弾の入った木箱を縛り、背中にくくりつけた。
「うし……」
行こう。広場爆破まで、あと1分15秒。
利害のためでなく、力関係のためでなく、心のために動く事。それは私が人である事の証明だ。
あの巨大な鳥の姿はどこにも見当たらない。今度こそ遠慮なく空へ〝駆け上がり〟広場の反対側を目指す。
イガラムの気配があるのは、水色の屋根の建物だった。クリーム色の5階建て。何を目的としてるのか、最上階には
いくつもの
この国の水準から考えると、割と本格的な軍事施設だ。あれもきっとお高いガラスなんだろうな。しかし緊急事態だし、許してくれよ?
上空から〝駆け下り〟ざま、ガラスを蹴破って中へ降り立つ。
「っ……! マジェルカ殿か! 待っていた!」
侵入者へ身構えたイガラムが、警戒をといた。大男の立つ部屋は、血まみれの惨状だ。石造りの床のあちこちで上がる呻き声。倒れた無数の人間たちは、
「ここに居たバロックワークスは、制圧した!」
「だよな……」
お前がやったのは気配で知ってたけどな。知ってたけどな? いいけどな? いいんだけどさぁ!
私が自分の暴力性を反省してた、同時刻に! お前、やりてぇ放題やってやがるなぁ!?
思わず睨みあげたが、イガラムは気付かずに続ける。
「しかし、肝心の爆弾が見つかっていないのだ! 砲弾の中に、バロックワークスのマークが入ったものがあった! それが怪しいかと思い、そこに集めてあるのだが」
「よし……! 多分そいつが爆弾だ。おそらく、中に時限装置が入ってる!」
イガラムの示した先を見れば、一つの頭陀袋。口をとじられていない麻布から覗くのは、
「……これだけ?」
たったの、十発少々?
イガラムの額にはびっしりと汗が浮いている。焦りのためか、口調もどんどん速まっていく。
「おかしい、それは分かっているのだ。ここに降ろしてもらった直後、なぜか海兵たちが兵士詰所の付近に陣取っているのを見つけてな。なぜ海軍が我が国の中心地まで入ってきているのか、さっぱり理解できんが、ひとまず、彼らはなぜか、広場の爆破予告を知っていた。阻止のために協力は惜しまないというので、海兵諸君にもご助力願い、今、手分けして爆弾を探している最中なのだ。彼らのおかげで砲弾の中から怪しいものを取り分けられたのだが、マジェルカ殿、貴殿も、これで爆弾が全てだとは思わんだろう? 宮前広場全域の爆破だぞ! こんな小さな爆弾がこれしか用意されていないなんて、ありえない! しかし残りは一体どこにあるのかまだ……!」
広場爆破まで、あと40秒。
室内に大砲を配備するだけあって、この部屋はだだっ広く、床も壁も分厚いらしい。通路を走る気配があれども、その足音は聞こえてこなかった。
ドア付近に積み上げられた木箱の上では、カッパが横になっている。意識はあるが目を閉じて、浅い呼吸を繰り返す小さな体。その向こう、開け放たれたままのドアから、1人の男が入ってくる。
「護衛隊長殿、爆弾と思しき不審物、発見しました!」
わざわざ気合をいれなくとも、よく響く胴間声。海の人間の話し方だ。
とっさに隠れたイガラムの後ろから、チラリとのぞけば、白いキャップにMARINの文字。水兵服の胸元には青いスカーフ。服装からして、海軍の一兵卒だろう。
男は、その手に抱えた砲弾をイガラムへと差し出す。これまでに見つけたどれよりデカイ。直径30センチを超える砲弾には、表面に、タイマーらしきものが埋め込まれているのが見えた。
「おお! あったのだ……な……これ一つだけですか!?」
「引き続き捜索にあたります!」
海兵は踵を返し、イガラムは私を振り返る。「マジェ……ルカ殿、なぜ隠れているのだ」「いいだろなんでも」今回の旅路に限っては、海軍と関わりたくねぇんだよ。
爆弾の表面に埋め込まれたタイマーを見れば、針は一本、文字盤にはメモリだけ。カチカチと針が通過するのは、本来ならば4時のあたりだ。
「この針が真上を向いたら、爆発するのだろうか……」
イガラムのぼやきを背に、私は背中の木箱を下ろす。中身を頭陀袋の方へ移し替え、ひとまとめにしよう。袋には元々、リュックのような肩紐がつけられていた。背負うにもちょうどいいな。
「そっちも貸せ。そしたらお前は、カッパを連れて、この兵士詰所から退避しろ」
「ああ……いや、退避はできん、海兵諸君が爆弾を捜索してくれているのだ! 無論、私も」
「じゃ、中止して海兵も逃がせ。広場爆破まで、あと30秒ちょいだ、もう……間に合わねぇ」
舌打ちがこぼれそうになる。カッパが聞いていなくてよかった。
「他にも爆弾があるとすりゃ……あるだろうが……現時点で発見できなかった分はどうしようもない。被害は出るだろうが、本来のモンよりは減らせたはずだ。それで諦めるしかない。今やるべきはカッパの命を優先する事、お前は」
「あと……30秒……!?」
フラリと、よろけ、イガラムは窓辺に手をついた。私が蹴破った窓には、枠の周囲にガラスが残っている。その切っ先が手に刺さった事にも気づいていないかのように、イガラムは窓の外を見た。
「今の時刻は……本当にもうあと30秒しかないのか……!?」
その窓には私も用がある。そこから出ていく予定だからな。イガラムを避けて、窓へ……行けねぇ! ガタイのいい体とカーリーヘアーが、窓ふさいでやがる!
「おい、どけ」
「……何なのだあれは」
「なぁ、どけ! お前体がでけぇんだよ! 私はそっから出てくんだよ! サッサとどかねぇとここで爆発、」
「見ろ、マジェルカ殿、あそこ」
すっと横にズレたイガラムは、上空を指差した。窓の外は黄土色だ。ジンセンプウで塗りつぶされた大気の中、それでも空を仰ぐなら、いくらか見通しがきく。
砂国の西日が、チカリと、一つの塔を浮かびあがらせていた。
ひときわ高い塔のてっぺんは、四面体になっているらしい。全ての面にそれぞれ時計がついているようだ。こちらを向いた一面にも、巨大な時計が据え付けられてある。
そして今、ゆっくりと、本来なら他の面にあるのだろう時計の文字盤が、こちらを向き始めていた。
「……ん?」 あれはどういう事だ?
イガラムが呆然と言う。
「時計台の……広場に面している時計の、文字盤だけが、開いている……。ドアのように……?」
「それが何だよそういう仕掛け……なんじゃねぇのか?」
「そんな仕掛け、私は知らないのだが……」
今の時刻は、午後四時二十九分。万一あれがカラクリ時計だとしても、仕掛けを動かすにしちゃ随分、中途半端な時刻だ。
怪しいなんてモンじゃねぇ。
知らずと、隣のイガラムを見上げていた。イガラムもまた、目ん玉かっ開いて私を見た。
残りの爆弾の在り処は。
「「時計台……!?」」
広場爆破まで、あと27秒。