ざわめきは素早く広がった。兵士達は戸惑い判断に迷っている。
しかし今停戦を求めたのは、誰とも知れない女の声だ。争いを止める力などある訳もない。
この静止もどうせ長くは続かず、すぐにまた怒号と狂気の乱戦が幕を上げるのだろう。そうなれば今度こそ、打つ手がなかった。打開策も思いつかない。
もう。ほんと。どうしよう……。
雨は無情である。背中にボタボタ当たる雨粒が今は異様に痛い。ザアァアァア、と地を穿つ雨音だけが耳にうずまく。
……雨音〝だけ〟?
どうして怒号が聞こえてこない?
「……ビビ……!」
初めに呟いたのはコーザだった。そこから漣打つように「ビビ様」兵士達が次々と口にするその名前。
あそこだと、叫んだのは誰だったのか。
ガシャン、カツンと鳴ったのは、下ろした武器が地に当たる音。呆気にとられた兵士達の姿に、こちらこそ呆気にとられ、彼らの視線の先を追う。
天より注ぐ雫に洗われ、砂煙は消えていた。
日差しを透かすのか、雨雲は白銀に輝いて見える。それより伸びくる雨の一筋一筋もまた、絹糸のように光を宿す。
仰いだヴェールのその向こう、時計台はあった。
ここからでは時計台があまりに遠い。棒立ちになった兵士達にも、人影すら見えていないだろう。
それでも誰もが何故かしら、確信をもって見上げてしまう。
〝あそこに彼女は居る〟。
「ビビ様だ」「ビビ……!」「王女は不在のハズでは……」
混乱の中にもう一度、女の言葉が降ってくる。泣き出しそうな声は、安堵の響きに満ちていた。
『みんな……』
コーザは全ての事情を忘れたように、電伝虫を注視するばかり。私ものぞき込んでみれば、電伝虫お得意の顔マネだ。
瞳をうるませ、その雫をこらえるように眉をしかめ、唇はふるえ。
『今、降っている雨は……昔のように、また降ります。悪夢は全て……終わりましたから……!』
電伝虫の目尻に伝うは、雨粒か、女の涙か。
静まり返る広場を思わず見回した。民兵も軍人も微動だにせず、ビビの心へ寄り添うかのよう。
おそらく、この声の主こそ〝ONE PIECE〟の登場人物。
主人公ルフィをこの国へ誘った少女、その人だ。
囁かれる内容からして、このビビが実は王女だったらしい。しかしそれでも言っちゃ悪いが、たかが王女。
宝物の如く扱われようと、宝石が喋ったところで大した影響力はない。権力を持たないがゆえ、発言には重みが生じないはずだった。
それだというのに現に今、王女の一言が民衆の心を掴んでいる。
ついていけずにキョロキョロするのは、私と他国の工作員くらいだ。あちらも混乱しているようで、目が合った途端にペコリ、会釈を寄越してきた。お前は私の敵じゃねぇのかと思う余裕もなく、つられて私も頷き返す。
この国の民と王女の間には、余所者には分からぬ絆があるらしい。
「……あ……!」
つまり、まだ終わってない。
兵士の身動きを封じたタイミングで、〝影響力ある人物の肉声を届け〟、終戦にもっていく。
そんな私の〝策〟はまだ失敗しちゃいねぇ!
「コーザ、おい、コーザ!」
「うるさ……! 悪いが黙ってくれ! 今ビビが、」
「ここで待ってろよ!?」
言うが早いか走り出す。まっすぐに向かった先は、広場とつながる道の上。やはりと言うべきか、時計台を仰いで固まるイガラムに叫ぶ。
「おい! ここで待ってろ!」
「は? グオォォオ!?」
そのすぐ脇を走り抜け、おかしな悲鳴に振り向いた。止まった足元からジュワッと湯気が上がる。煙の向こうでイガラムが宙に浮かんでいるのが見える。雨音に紛れて響く、パパパパパリィン、という破裂音。ガラスが降ってきてようやく気がついた。
意気込み過ぎたらしい。走る速度のスピード違反だ。
辺りのガラスを割りまくるのは、私の走りが起こした突風。風は兵士たちをも吹き飛ばしたのだろう。通ってきたルートにぽっかり、無人の道ができていた。
「……ワリぃ!」
うん。ごめん。
人目をさけて〝駆け上がった〟空中。目玉に雨がビシャビシャ当たり、視界なんざ無いに等しい。「うお!?」王都にひしめく塔のどれかにぶち当たるたび、塔の先が墜落していく。いやほんとごめん。許せ。
それでも気配を辿っていけば、目的地は見失わない。
スピードをゆるめ、目を眇める。雨でぼやけた視界の先に、うっすら黒い穴がある。あれがビビの居る時計台のてっぺん、文字盤がひらいた後の大穴だろう。
「キャアっ!」
飛び込んだ時計台の内部に、女の悲鳴が反響した。
「ビビ様っ! 何者だ、貴様あ!」
ぐるりと宙で身をひねり、勢いを無理やり殺して着地する。ボゥワ、と吹き荒れた余波の風。気配によれば、ビビはしゃがんで風圧を躱し、国王軍兵士らしき青年がビビを庇うように立った。
しかし参った。雨のせいで目玉がすげぇ、ショボショボする。目が開けられねぇ。
「あの〜、お前ら、その電伝虫、よこせ」
どうにか薄目をひらいたとき、ビビが叫ぶ。
「まさかお前も、バロックワークスの残党……!?」
言葉の意味を知ってか知らずか、青年兵士は私を〝敵〟認定したらしい。抱えた電伝虫をビビに託し、腰の剣を抜いた。
国王軍の中でも、護衛隊だけは帯剣しているようだ。間合いの少ない武器を使うあたり、精鋭部隊なのだろう。
気配からして、広場の兵士達とは格が違う。踏み切りは力強く、しなやかに速い。
「オオオアアアア!」
ちょっと待てよ。こっちはまだ目もあいてねぇんだぞコラ。
覇気使いでもない人間が、故意に動かす武器である。宿ってしまった覇気を頼りに、剣の気配は追える。
迫る切っ先にあわせ、ヌルリと動かした肩。半身になった目の前に、青年のカトラスが振り下ろされる。
そのカトラスをコツンとノックし刃を折った。空いてる片手で兵士の手元をやさしく引っ張り、円を描くように走らせよう。
床へ床へと手の高さを下げてゆけば、つんのめった兵士は遂に転んで腹ばいとなり、私の椅子になりましたとさ。
青年兵士の肩甲骨を押さえるように乗せた尻。座り心地は控えめに言って最悪だ。あのなぁ、手加減もラクじゃねぇんだぞコラ。
力任せに抜け出そうというのだろう、青年は腕立て伏せの要領で起きようとするが無駄である。私とあんたじゃ格が違う。
「う……動かん……! ビビ、様、お逃げ、くだ……!」
やっと目玉の調子が戻った。すぐそばには黒光りする鉄の壁。ぶつからなかったのは奇跡だな。
ゆるくカーブした鉄壁の中央には、バロックワークスのマークがある。もしかすると壁ではなく、これがクロコダイルの用意していた大砲だろうか。でっけ……。
「何が目的!? 王女なら私よ! 私に用があるんでしょう!? 我が国の兵士を解放しなさい!」
フワリと揺れたのは、一つにくくられた水色の長髪。銀糸の雨を背景に、ビビ王女は立ち上がり、私を睨む。
驚いた。この王女、かわいいな……。
ひどい誤解をされたようだが、ここで慌てりゃますます怪しい。ひとまず笑っとこう。
「あっはっはっはっは……! 早とちりなお姫サマだなあ? 私は……」
ビビ王女の足元に、電伝虫はいた。目をクリクリさせて興味津々、この会話を広場全域に発信する気まんまんだ。
先程までイガラムと共にいた海兵は、今も広場のどこかに居る。今回の旅路は極力、海軍に動向を知られたくない。ここで名乗りをあげるべきではなかった。
しかしそれじゃ、てめぇの立場をどう説明する?
私のわずかな躊躇いを、ビビ王女はどう取ったのか。
床にだらりと投げ出されていた、2本の風変わりなチェーン。慎重にたぐり寄せたその先端を、左右の小指にひっかけて構えをとった。
「……彼を解放しないなら、力尽くでどいてもらうわ……!」
驚いた。たかが兵士一人の為に、王女自ら戦う気か。
ビビ王女の口元は引きつっている。迷いなく武器を選んだ手つきからして、戦闘の素人ではないらしい。その分、痛感しているだろう。
彼女では、私に勝てない。
おそらく彼女は今、自分が負けると分かっていて尚〝よく知りもしないただの国民一人のため〟に命を賭けて武器をとった。
まだ十代だろうに、とてつもない胆力と覚悟である。そして、非常識なほどの慈愛。なるほどこの気立てなら、民から信奉されるのも頷ける。
しかし今その覚悟は要らねぇんだ。私には本当に敵意がないんだ。
いくら手加減しようと王女を倒すのはマズい。どうすりゃいい。
電伝虫を渡して欲しいだけなのに。
救いの手、あるいは救いの声は、青年兵士の腰元から響く。
『こちら指令部! 応答願う! 旅人! 近くにいるのだろう!? ビビ様の身に何があったのだ!』
尻に敷いた兵士のマントをひっぺがし、ゆったりとしたズボンのポケットをまさぐった。指先に当たったものを引っ張り出せば、〈小電伝虫〉!
人工カバーのボタンを押せば応答できる。手のひらサイズのコイツが再現するのは、チャカの声だ。
「いい所に……! おい、あんたから説明してくれ! ビビ王女が私のこと敵だと勘違いしてんだよ!」
『何故だ!? ビビ様は無事なのか!?』
「無事も無事の無事だ! ビビ王女から〈電伝虫〉を預かりたい! 王女もこの会話を聞いてる!」
「その声、チャカなの……!?」
『ビビ様! この者に〈電伝虫〉をお預けあれ! 彼女は、我が国の和平に助力する人物です!』
戸惑いを浮かべた途端、ビビ王女の凛々しさは鳴りをひそめ、年相応のあどけなさで瞳がゆれる。それで充分だ。
姿勢を低く走り抜けた。左手には〈小電伝虫〉。右手で床に置かれた〈電伝虫〉をかっさらい、そのまま外へと飛び出す身体。
「え……」
すれ違いざま目にした王女の顔は、近くで見ても本当に、かわいかった。
雨降りしきる中、近くの屋根をめがけて落ちていく。〈小電伝虫〉に話しかければ、右腕に抱えた〈電伝虫〉も私の声を拾ったらしい。
下の広場のあちこちから、エコーのかかった自分の声が耳に届く。
「チャカ! あんたは有名人なのか!?」
『どっ……どういう意味だ?』
「あんたは、終戦の号令をかけるに値する人間か!?」
この〈電伝虫〉は人工カバーを外してある。そのため〝人の声がする間だけ〟電波を発信するのだ。聞こえる声が途切れれば、こいつも受信側に回り、マイクの機能を失ってしまう。
屋根づたいに走るこの時も、声を聞かせつづけねばならない。
「チャカ!」
『……ああ! その小電伝虫を、電伝虫に近づけてくれ!』
「いくぞ! 叫べ!」
もうイガラムの姿は見えている。濡れた屋根を、トッ、と踏み切れば、フッと重力を忘れた直後、みるみる地上へ落ちゆく身体。
〈電伝虫〉の正面に、〈小電伝虫〉を近づけた。
チャカの声が轟いたのと、つま先が地についたのはほぼ同時。
『 武器を捨てよ! 国王軍! 』
仮にも武人だ、落ちてきた存在にイガラムはいち早く気づき、振り返る。私は〈小電伝虫〉をポッケに突っ込み、〈電伝虫〉を差し出した。あとは分かるな!?
「ンッ!? ン……! おま……」
『ンッ!? ン……! おま……』
あちこちから響く、エコーのかかったおっさんの声。いや、叫べよ!?
ゴホン、と咳払いを一つして、イガラムは目を閉じ、歌い出す。
「マ……マ〜……! ンマ〜〜……!」
『マ……マ〜……! ンマ〜〜……!』
何してんだよ!?
しかし、準備運動は伊達じゃなかった。次の瞬間、耳をつんざくような、
「 お 前 達 も だ ! 反 乱 軍 ! 」
『 お 前 達 も だ ! 反 乱 軍 ! 』
きっつ……!
この大音量、もはや攻撃。
身の危険を覚えたらしい。本能が足を動かし、気づけば後方に跳んでいた。10メートルほど距離をとったが、まだ耳の奥にはとんでもねぇ不快感。
くっそ……!
広場の兵士が一斉に振り返り、イガラムを注視する。あれほどの大声だ、当然、気づくよな。こいつには〈電伝虫〉いらなかったかも……。
嫌がる足をそれでも動かし、イガラムの元へ戻る。その腕に抱かれたカッパには〈電伝虫〉が必要なのだ。
「カッパ! てめぇも言いてぇことがあるんだろ!? ナノハナからわざわざここまで来たんだ! 起きろ! 叫べ!」
『カッパ! てめぇも言いてぇことがあるんだろ!? ナノハナから……』
間をつなぐための私の叫びが、電伝虫を通じて広場にこだまする。大男の腕の中では、ますます小柄に見える血まみれのガキ。虚ろな目がふるりと私をみやり、光を取り戻す。
カッパが自力で起き上がる間、兵士たちの噂話がこちらに届き、電伝虫がそれを広めた。
『あれは、ナノハナの……』
『そうだ、国王軍にやられた子だ』
『国王に暴行された少年か!?』
彼らの発言にカッパの目が潤んでいく。違うよ、と動いた唇。しかし雨音にかき消され、聞こえない。
がんばれと、言うまでもなかった。
ギッと視線を鋭くして、絞り出された肉声。
「……違うんだ!」 『 違うんだ! 』
みんな聞いて、と告げる言葉は震えている。一度は無視されてしまった訴えだ。それでもコイツは諦めなかった。痛みに耐えて命を削り、真実を告げるためだけに、ここまで来た。
その声が、今、伝わる。
「ナノハナを襲った「国王軍」は……みんなニセモノだったんだ! みんな、騙されたんだよ! あの国王だって……ニセモノさ! ……誰かのワナだったんだよ! だから、だからみんな……もう……殺しあったり、しなくていいんだ……!」
『……そうだ……』
今の相槌はコーザか。声が異様に近い。〈電伝虫〉をイガラムに押し付け、ポケットから〈小電伝虫〉を出してみる。やはりコイツだ。
『……この戦いは……始めから、仕組まれていたんだ……』
〈小電伝虫〉から〈電伝虫〉へ聞かせたコーザの肉声が、雨の広場を駆けぬける。特別、叫んだ訳でもない。しかし反乱軍リーダーの言葉は、不思議と人々の間に沁み渡った。
先ほどまでチャカと通じていたこの〈小電伝虫〉が、なぜ今はコーザにつながっているのか。答えは簡単だ。つながる相手の〈小電伝虫〉を、チャカがコーザへ渡したのである。
思いがけない真実に呆然とした兵士の間を、一匹の黒犬が駆けてくる。
ゾオン系悪魔の実の能力者がもつ、変身能力のひとつ、〈獣型〉。気配からして正体はチャカだった。
駆け寄ってくるなり、後ろから飛びかかるように私の肩へ前足をひっかけワフワフ言う、でかい黒犬。いいや、チャカ。
チャカだよな? なぜ人に戻らねぇ? 理由があるなら話しかけない方がいいのか?
〝ちょっとツラ貸せ〟とばかりに、尖った鼻をくいくい揺らし、何なんだ一体。
大男なだけあって、イガラムの手はものすごくデカい。〈電伝虫〉を置いてもまだ余る手のひらに〈小電伝虫〉もそっと乗せ、黒犬のあとについていった。
細い路地へ入ったかと思えば、べたっと座って首を伸ばし、まるきりただの犬じゃねぇか。あんたはチャカでいいんだよな?
「あ?」
その首をよく見れば、艶やかな黒毛と似たような、一筋の黒いベルベット。登山犬よろしく、小さなポシェットの付いた首輪だ。
中には、折り畳まれたメモが一枚あった。黒犬はピンと背を正し、緊迫した瞳で見つめてくる。何かあったのか?
急いで広げた紙には殴り書き。〝犬だが私はチャカだ〟。私は犬を見た。犬も私を見た。目と目の間で雨が降った。
「知ってる」
「……ワフっ!?」