Muv-Luv Initiative   作:@liz

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─平和な日常─

1986年8月18日

 

 季節が巡り、年を二度超え、三度目の夏が訪れた。

 

 我が家の庭はコンサート会場と化し、セミのセミによるセミのための大合唱の真っ最中である。

 

「……せからしか……」

 

 喧し過ぎて思わず声に出してしまった。

 尤も、本気で毛嫌いしているわけではないが。

 むしろ今の内に、存分に鳴いて欲しいと思う。

 

 ────十数年後には、もう聞けなくなるのだから。

 

 ……憂鬱だ。

 蝉が五月蠅いからではない。

 もはや日課となった、幼児の限界を超えた運動という名の鍛錬も、苦に思うどころか楽しいとすら感じる。

 酷使され疲弊し熱のこもった体を労わる為に、お子様用ビニールプールでやる水浴び……これもまた極楽だ。

 風がそよぎ、風鈴を揺らし、心地よい音色が響き、鼓膜を震わせる。

 ()()()と、麦茶が注がれたコップの中で、氷が音を立てた。

 

「……はぁ……」

 

 平和だった────()()()()()()()()は。

 ……呆れてしまう程に。

 だからこそ、憂鬱なのだ。

 

 今この瞬間も大陸では地獄のような戦闘が行われているはずだ。

 だというのに俺は日常の中に居て、そこは穏やかさで満ちていて。

 

 10年後に西日本が壊滅するなんて────まるで、嘘のようで。

 

 プールから立ち上がり背後に視線を移してみると、家の中で父と母がまったりとスイカを齧りながら和やかに会話をしている。

 纏っている雰囲気からは、焦りや不安といった負の感情は一切読み取れない。

 この日常が壊される事無く、いつまでも続くと思っているのだろうか。

 その思いが届く事は、ない。

 

 ────目を閉じて、記憶を引き摺り上げ、現実と照らし合わせる。

 

 世界情勢の大きな動きで、公の場に晒された情報としては────欧州でECTSF計画のゴタゴタがあった。

 日本に住んでいる俺には無縁だが……記憶と現実が合致した。

 そして肝心の大陸のほうは、統一中華戦線の誕生か。歴史的な和解になるらしいが、それも個人的にはどうでもいい……そしてこれも、合致。

 米国でF-16の配備、各国への売り込み開始。これもF-15が採用される日本には関係がない。ちなみに、F-15は去年配備開始だ────どちらも、合致。

 時期のずれ等は、一切ない。

 

 つまり────このまま時が過ぎていけば必然、ここまでBETAは辿り着くのだろう。

 

 敵情────俺が生まれた時点で、ハイヴナンバー、01~08が建設済み。

 自我が安定した1984年にイラク領アンバールにH:09……ここがBETAの中東戦線における前線基地となる。

 同年、ソ連領ノギンスクにH:10。ソ連はこれ以降も国土を蹂躙され、最終的にエヴェンスクまで後退することとなる。

 去年、1985年。ハンガリー領ブダペストにH:11が建設開始。その後、一年かけて更に戦線は後退する。

 そして……今年、フランス領リヨンにH:12が建設────コレが、()()()()()()が始まる2001年時点でユーラシア大陸最西端に位置し、フェイズ5になっているであろうハイヴ。

 つまり、BETAのこれ以上の西進は、ない。欧州の戦力がそれを許さない。

 そこには文字通りの()()がいる。加えて単純に軍全体の練度が高い。対BETA戦の経験が段違いだ。

 だから次は───東進だ。

 父さん、母さん……日常はそんなに長く続きそうにないよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺が2度目の生を受けてから2年と半年。

 1歳の誕生日より今日に至るまでに1年と半年が経過した。

 その間に新しく入ってきた情報は、今後の行動方針を決定付けるのには十分すぎるものだった。

 

 どうやら────俺は、権力やコネとは無縁の家に生まれたようだ。

 

 勿論、幾つか想定した事態にこの状況はあった。

 あったが……実際にその事実を突き付けられた時の落胆は凄まじいものだった。

 両親の家柄、土地、職業、親族、全てに置いて権力者との繋がりが見られなかった。

 これは俺がこの先、大規模な介入を行うことが出来なくなったということに他ならない。

 大きなことを成すためには、大きな力が必要だ。

 その力を直接持っていなかったとしても、力を持つものと繋がりさえあれば助力を請うという方法もある。

 しかし、その繋がりすらもない状態からの開始となってしまった。

 勿論、極めて過酷で険しい道程になるだろうが、作ろうと思えば作れる。

 ただどうしてもそれ相応の時間というものが掛かってしまう。

 一般人の軍への入隊は15歳からだ。()()()では。

 義務教育終了後に志願して訓練をこなし、一度目の総戦技演習で合格する。

 これがモデルケースが一般人である場合の、最速での任官への道。

 ここまでやって漸く、俺はゼロからのコネ作りのスタート地点に立つ事が出来る。

 だが……BETA本土上陸時、俺はまだ義務教育すら修めきっていない14歳と半年のガキでしかない。

 つまり、例え天地が引っ繰り返ろうとも俺はBETA本土上陸に対して大規模なアプローチを掛けることは出来ない。

 俺はその時点で、未来の情報を最大限活かすことの出来る立場にいない。

 発言に力がある訳もなく、後押ししてくれる人も居らず、故に耳を傾けてくれる者などほとんど出てこないだろう。

 戯言、世迷言と切り捨てられるのがオチだ。

 絶望の二文字が頭を過ぎる。

 

 ────()()だ。

 

 権力が、地位が、コネがあれば……ついそういう無い物ねだりをしてしまう。

 何とも情けない、みっともない行為だ。不毛極まりない。

 だから、元よりそんな都合よく権力やコネのある家庭に生まれるほうが異常なのだと、そう考えろ。

 

「……はァ────」

 

 俺は気分を落ち着けるために結露が起きたコップを傾け、キンキンに冷えた麦茶を喉に流し込み、不安と一緒に飲み干す。

 

 ……滞ってしまった思考を前に進めなければならない。

 1998年夏の大侵攻への対策は間に合わないという事実は、悔しいが一先ず受け入れよう。

 その上で、何かできる事を模索しなければならない。

 だが、答えなど一つしか無い。

 

 三十六計逃げるに如かず、だ。

 

 闘えないならば、死なないためにも、何より闘う者の邪魔にならないためにも逃げるのが賢い。

 故に無力な民間人である俺に許された選択肢は、もう逃げの一手しかない。

 

 しかし、不可解だ。なぜ3600万人もの死者が出てしまったのか。

 疎開令が行き届いていなかった?馬鹿な、あり得ない。

 去年の事だ。

 帝国政府がオーストラリア・オセアニア諸国と経済協定を締結し、西日本が戦場になった場合を想定して主な生産拠点をそれぞれの国々へと移し始めたのを改めて確認した。

 

 これは、()()()()の一つなのだ。

 

 つまり……疎開は1985年から既に始まっていたということになる。

 それならば10年後に、西日本の住民に対して疎開しろという政府の訴えかけが情報として渡り切っていない訳が無いのだ。

 確かにそういった問題とは別に、疎開しろと言われて、はいそうですかと応じる訳にはいかない。

 生活と言うものがあるのだ。今の生活を手放せと言われているのと同義だ。だから易々と頷けない。

 だけど、戦場になる可能性があります、と言われて残るだろうか?

 既に滅ぼされた国があり、難民が大量に発生しているという現実が確かにあるこの世界で。

 生活云々の前に、自分達が死ぬ可能性があるというのに。

 

 ……BETAに蹂躙されて、無様に死ぬかもしれないということなのに。

 

「……俺なら、真っ平ゴメンだけどな」

 

 恐怖すら覚える。

 これは俺が悲惨な未来も、BETAの醜悪なフォルムも知っているからこそ沸いてくる恐怖心なのだろうか。

 BETAの情報は一般大衆に対して秘匿されているから、恐怖感、現実感が沸いてこないということもあるかもしれないが……。

 

 ────いや。やめておこう。

 

 何にしろ、3600万人というあの死亡者数は逃げろと言われて逃げなかった人間の数字だ。

 つまり死んだヤツらはBETAを過小評価した、または日本帝国の力を過大評価してその場に留まったということ。

 判断ミスによる……自業自得。

 そんな顔も知らない何千万人がくたばろうが、心を痛めることも、無い。

 どうでもいい。所詮は他人だ。

 俺にとっては有象無象。そう思い込んでおけばいい。

 自分と両親を守る事が出来れば、それでいい。

 俺の手は……そんなに広くも大きくも、無いんだ。

 3600万もの人達の命を救うことの出来る方法なんて無い。

 だから、BETA本土上陸に対する基本方針として────自分たちの生存を、最優先とする。

 

「────……ッ」

 

 喉に酷い渇きを感じ、再びコップを傾けて残っていた麦茶を勢いよく飲み干す。

 いつの間にか氷が解けて、味が薄くなっていた。

 見上げた空には雲一つ無く、ギラリとその存在を主張する太陽からは夏の強い日差しが降り注いでいた。

 BETA大戦がその舞台を地球に移してから、環境破壊による異常気象が問題化しているらしい。

 その影響で、陽光が肌に突き刺さるような気がするのか────。

 ────それとも……お天道様に、後ろ向きで斜に構えた内心を指摘されているのか。

 嫌な汗が滲む。いよいよ日差しが辛くなってきた俺は、空になったコップを持って子供用プールから立ち退いた。

 無力感から逃げるように。

 体を拭いて家に上がり、台所に入る。

常備してある俺用の足場に昇って、コップを流しに置く。

 そして両親に昼寝をすると伝え、寝室の布団に仰向けになって腹にタオルケットを掛け、目を閉じる。

 いつもなら、子供特有の睡眠欲求が襲ってくるのだが……どうやら、睡魔はバカンスにでも出掛けたようだ。

 昼寝はもはや習慣になっていたのだが、それほどまでに考えすぎた頭が煮えたぎっているのだろうか。

 

 それでも横になっていれば眠りに落ちるだろうと考えて、眠気が来るまで大まかな今後の流れをまとめてみようと試みた。

 

 まずは、避難。

 避難先の確保、避難のタイミング、避難先での生活レベルの確保など、考慮すべき点が幾つかある。

 初めに避難先だが、身を預けれそうな親戚が2箇所に居るのを確認出来ている。

 一方は沖縄。もう一方は茨城。

 前者が母の、後者が父の実家とのこと。どちらも全く連絡を取っていない親不孝者だと笑っていたが。

 駆け落ちではないだろう……実家が離れすぎである。元々、親との折り合いが悪かったのだろうか。

 去年にこの話を知った時、よく二人は巡り会えたな、と本気で感嘆した。

 ……脱線した思考を正す。どちらも1998年に起きる、夏のBETA大侵攻から連なる撤退戦……それを免れる事の出来る場所であることは幸いだ。

 どちらかに両親と逃げる事が出来れば一つ目の山を越す事は出来る。

 次にタイミングだが……これはある程度の時間的余裕を持てれば、ぶっちゃけると何時でもいい。

 それこそ、1998年に入ってからでも十二分に間に合う。

 故に特別急ぐような事ではない。早いに越した事もないだろうが。

 問題が、避難先での生活レベルの確保だ。

 こればかりは低下を避けられないだろう。だが可能な限り低下を和らげたいところだ。

 国土の半分以上を失う事になる故に贅沢なんて言ってられないのだが、両親に辛い生活を強いりたくは無い。

 だとすれば、やはり兵役に就き、危険な任務を遂行することによって発生する特別手当も考慮すべきか。

 

 しかし父、不破 俊哉は既に徴兵期間を終えている。

 

 徴兵制が復活したのが1980年。

 衛士になりたかったらしいが適正が無く、3年を整備兵として訓練したらしい。腕は悪くなかったとの事。

 そして今、兵役義務の代替である社会福祉の公務についている。詳しくは聞いちゃいないが……難民関係だったはずだ。

 整備兵としての腕も買われているようで、技術力の維持やアップデートの関係で陸軍や斯衛の方にまで出張する事があるとか。

 まぁでも、現場レベルの話らしい。政治的な話にはてんで疎いのが我が父だった。

 戦況が切迫すれば再度徴兵されるようだ。と言ってもそこまで切迫する時期には40近くで適正年齢ギリギリ、仮にされたとしても過去に経験のある整備兵だ。

 最前線に出されることはないだろう。

 

 母、不破 涼子は既婚女性なので初めから徴兵対象外だ。

 父と同じく、社会福祉の関係者だ。

 つまり、危険な箇所に配置される可能性が高いのは俺だけになる。

 両親からすれば我が子だけが徴兵されるのは辛いだろうが、そこは我慢してもらい、比較的安全な所で暮らしてもらう。

 その後は、どんな形でもいいから徴兵の際に横浜基地に所属できるように動き、2001年10月22日まで生き延び、白銀武と接触してその存在を見極める。

 雌伏の時と言うヤツだ。この間に出来うる限りの"仕込み"をする。

 二度目の武の邪魔にならないようにしつつも、一度目の武のフォローにも回らなければならない。

 ……これら徴兵からの流れについてはまだ詳細の構築に至っていない。

 時間を掛けてじっくり練っていきたいモノだ。猶予はまだまだある。

 持っている情報を可能な限り出し切って有効活用し、予備案も可能な限り細かく何重にも張り巡らせたい。

 最低限の未来────オリジナルハイヴ攻略へと続く流れを確保する為に。

 ここまでは、俺にとっての義務だと思っていいだろう。

 何せ、やらないと人類滅亡なんて冗談のような現実が待ち受けているのだから。

 また流れの確保が出来た上で余力があれば、それを維持し、且つ要所要所で状況の改善を望めそうなら……可能な限り開拓していく。

 それは()()()()()運命を捩じ曲げることだったり、()()が敵に回らないように配慮することだったり。

 そしてその末に、オリジナルハイヴを攻略してしまえば、終わりだ。

 日本からはBETAは駆逐された。

 人類側は有利になった。

 白銀武と鑑純夏は結ばれ、ループの束縛は解かれる。

 そこまで来てしまえば、俺はお役ご免だろう。

 これが、俺にとっての終着点。ゴールだ。

 後は……香月夕呼博士に丸投げしていいと思う。

 きっと残りのハイヴも何とかしてくれるだろう。

 

 ────何とも情けない、他力本願だった。

 

「……いっそ……」

 

 いっそ、英雄症候群のような精神異常者なら……あれこれ深く考えずに、楽に生きられたのだろうか。

 お誂え向きに、衛士という解りやすい職業だってある。

 戦術機に乗り込み、BETAを駆逐し、英雄になってやるのだ、と。

 

 正直……格好良いとは思うのだ。心の底から、そう思ってる。

 

「……そういや、今日は────F-4J改 瑞鶴と、F-15イーグルのDACTの日か」

 

 流石に中継はないだろうが、結果次第では後々映像が出回ることもあるだろう。

 ────まぁ、その結果は知っているんだが。

 改造機とは言え第一世代の機体と、次世代で最強の座を獲得する事になる機体との異機種間戦闘訓練。

 普通に考えたらF-15に軍配が上がる、勝敗の決まったつまらない戦い。

 しかしこの戦いは事実上の代理闘争だ。

 F-15を売り込み、あわよくば主力機の座そのものを奪いたいマクダエル・ドグラム社と。

 それに対する、純国産戦術機を諦めない帝国兵器産業との。

 帝国側には─────つまらない、故に、張り通すべき()()がある。

 それに答えたのが、瑞鶴の首席開発衛士────巌谷榮二。確かこの時は大尉だったはずだ。

 旧式機が、最新鋭機を、技術・経験・心理……使えるものを総動員して下馬評を覆し、仕留める。

 斯くして、次期主力機の純国産開発は、首を繋げる事になる。

 

 あぁ……憧れるよな。

 戦術機。衛士。瑞鶴。斯衛。

 ────だからこそ。遊びじゃないからこそ。

 熱にうかされて、なりたいなんて思っちゃ駄目だ。

 迂闊にその道に進んだヤツには……()()()()は、超えられない。

 

 そんな取り留めの無い事を考えていると、待ち侘びた眠気がようやくやって来た。

 

 ふと────死の八分なんて言葉を思い浮かべたせいだろうか。

 眠りに落ちる時の感覚は、死ぬ時の無限に堕ちて行く感覚と似ているんだな、と思った。

 あの深くて冷たい暗い闇に沈んで、全てが無に返っていく感覚。

 けれど、あの時とは違って闇は暗くて深いけど、暖かい。

 そしてまたちゃんとこっちに戻ってこれるっていうのが、理屈じゃなくて解る。

 きっと何時もの様に一、二時間で母が起こしに来てくれるのだろう。

 あの時、この世界に生れた時と同じように、俺を深い闇から掬い上げてくれる。

 敬愛してやまない父と母。

 感謝を。

 新たな人生を、健やかに、毎日の生活を与えてくれていることに、感謝を。

 目が覚めたら夕飯になるだろう。

 確か母さんが今日は素麺だと言っていた。楽しみだ。

 暑い日が続くから、きっと美味しく頂けるだろう。

 3人で囲める食卓が

 その後は父さんと風呂に入る。

 毎回嬉しそうに水鉄砲を撃ってくるのはそろそろ簡便してほしい。

 うん……そうやって日々を刻んでいこう。

 いいと思う。今は、まだ。

 まだBETAは来ない。

 まだ日常は終わらない。

 

 だから今だけは、この一時の平和を噛み締めていこう。

 

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